では、続きです。
リーネが基地本部内廊下の壁に背を預けて立っていると執務室のドアが開かれ、芳佳が出てきた。杉田から贈られた包みを大事そうに抱えている。
「芳佳ちゃん」
「リーネちゃん!待っててくれてたの?」
「うん!それなぁに?」
「これはね……」
風呂敷の包みに視線を向けて訊ねるリーネ。芳佳は微笑み返すと、執務室に呼び出された理由と中でのやり取りを嬉しそうに話した。
自分の力でたくさんの命を救えたことを改めて実感した芳佳は欣喜雀躍して喜び、そんな彼女の眩しく愛らしい笑顔にリーネも連られて笑みを零した。
「艦長さんって大佐だから、ミーナ中佐より偉いんだよ?」
「へぇ~、そんなに偉い人だったんだ……」
芳佳は惚けたような発言をする。ほんの数ヵ月前まで一般人だったことや元々興味がなっかたせいで彼女は相も変わらず軍関係の知識に疎い。階級のことすらもちゃんと理解しておらず、将官である赤坂のことも「スゴく偉い人」程度の認識しかない。
「艦長さんが代表してお礼に来てくれたなんて、凄いね!」
「えへへ♪」
「宮藤さんっ!!」
「ふぇっ!?」
基地本部から中庭に出たところで、白地の封筒を手にした一人の少年が目の前に現れた。リーネとのお喋りに夢中になっていた芳佳は、突然現れた名も知らぬ少年に驚いて素っ頓狂な声を上げる。
彼は赤城に配属されている扶桑海軍の少年兵、艦長の杉田について基地を訪れていた。横須賀からブリタニアへ来る途中の艦内で何度か顔を合わせていた芳佳はぼんやりとだが彼を覚えていた。
二人と同い歳だろうが、男だけあって背は芳佳よりも頭一つ、リーネより頭半分程高い。幼さを残しながらも端正な顔立ちは少年から大人へ成長する途中といった趣である。
「さ、先の戦いでの宮藤さんの勇戦敢闘には大変敬服しました!艦を守って頂き……た、大変感謝しています!」
「あ、はい。どういたしまして……」
少年兵は声に緊張を孕みつつも真っ直ぐな感謝の意を述べる。対する芳佳は当惑気味に応じる。
「あの……その、ですね。これ!受け取ってください!」
と、少年兵は芳佳に封筒を差し出した。相当勇気を振り絞ったらしい。少年兵の頬には赤みが差し、震える手には汗が滲んでいた。
「えっ?」
「わぁ!ラブレターじゃない?」
封筒の中身を察したリーネがキョトンとする芳佳に囁く。
「ラブレター?」
「うん、受け取ってあげたら?」
リーネは促すと芳佳が持っていた包みを預り、彼女の両手を空ける。親友の言動に戸惑う芳佳だったが拒否する理由もない。
芳佳は躊躇いがちに手を伸ばし、封筒を受け取ろうとする。すると芳佳の指が僅かに少年の手に触れた。
「「あっ!」」
心臓がドキンと跳ね上がり、二人の頬は赤く染まる。急に顔を合わせるのが恥ずかしくなった芳佳と少年兵は顔を伏せ、動悸の鎮静に努める。
(わぁ!うわぁ!)
芳佳達の初々しいやり取りを見てテンションの上がっているリーネの両目がこれ以上ないほど爛々と輝く。
「あ、あの……」
芳佳が沈黙を破らんとしたその時、少年兵の手中にあった手紙が突然の強風に飛ばされて宙を舞った。芳佳と少年兵は反射的に目で追う。
手紙は弧を描いた後、重力に引かれるまま落下していく。落ちた先には、いつになく厳しい表情をしたミーナが立っていた。
「このようなことは厳禁と伝えたはずですが?」
やや威圧的な口調のミーナ。普段にこやかな笑みを絶やさない彼女が、いつになく厳しい表情で少年兵をキッと睨みつけている。
「すみません、是非とも一言お礼が言いたくて」
「そうです。何も悪いことしてません」
二人の言い分にミーナは小さく頷く。芳佳達の気持ちを多少は理解してくれているようだが、厳格な姿勢を崩すことはなかった。
「ウィッチーズとの必要以上の接触は厳禁です。従って、これはお返しします」
「申し訳……ありませんでした……」
手紙を突き返された少年兵は、逃げるように走り去ってしまう。芳佳はその後ろ姿を哀しげに見つめていた。
◇ ◇ ◇
十数分後――
ミーナは自室の窓際に佇んでいた。外へと視線を向ければ穏やかに波打つ海が広がり、遠方にはガリアの国土がうっすらと確認出来るが、憂いを湛えたミーナの瞳には映っていない。
「聞いたぞ」
「美緒」
不意に背後から声を掛けられる。振り返るとドアの前に坂本が立っていた。ノックをくらいしただろうに、物思いに耽るミーナはノック音も彼女が部屋に入ってくる気配にもまったく気付かなかった。
「手紙を突き返したそうだな?」
「そういう決まりだもの」
ミーナは再び窓の外へ目を向ける。いつの間にか夜になっていた。日中は雲の少ない澄んだ青空を鏡のように映していた海も夜間は月明かりで神秘的に輝いている。
「まだ忘れられないのか?」
「…………」
ミーナは何も答えない。沈黙は肯定の証とはよく言ったものだ、この先人の教えは今のミーナにぴったりと当てはまる。坂本は彼女と並ぶようにして窓辺に立ち、同じ景色を静に眺める。
カールスラント組やペリーヌのように祖国や愛する人達を失ったことがなく、本当の意味でミーナの悲しみ、苦しみを理解出来ない自分では彼女の傍に居てやることしか出来ない。坂本にはそれが歯痒くてならなかった。
(アイツの時もこうだったな……)
フッと笑みを零す坂本の脳裏には付き合いが一番長い親友の姿が浮かび上がっていた。
◇ ◇ ◇
同時刻――
入浴を終えた芳佳はリーネと共に部屋へ戻り、杉田に渡された風呂敷包みを解いた。
「わぁ~、扶桑人形だぁ!」
芳佳は喜びの声を上げる。杉田をはじめとする赤城の乗員達から贈られたのは扶桑陸軍の著名なウィッチ、穴拭智子をモデルにした扶桑人形だった。
ストライカーユニットと巫女装束を身に纏い、凛とした表情で扶桑刀を手にした姿はまさしく扶桑の撫子。災厄たるネウロイ退ける人類の守り手だ。
「可愛い~!」
ベッドに置かれた人形を見て、リーネが羨ましそうに言う。
「お礼、言いたいな……」
床に座り込み、人形を眺めながら自身の気持ちを吐露する芳佳。同時に昼間のミーナを思い出していた。
芳佳が知っているミーナは綺麗で、淑やかで、優しく慈愛に満ちた大人の女性――包容力のある母のような存在。しかし、少年兵に手紙を突き返した時のミーナは見たことないような恐い顔をしていた。あの様子では出撃がなかったとして見送りを許して貰えそうにない。
「変だよ、こんなのって……ひゃっ!」
表情を暗くしている芳佳の頭を不意に誰かがわしゃわしゃと撫でた。背後を振り返ると、いつの間にか優人が立っていた。
「優人さん」
「お兄ちゃん……」
「な~に辛気くさい顔してんだ?」
顔を傾け、芳佳の顔を覗き込む優人。間も無く消灯時間、ウィッチ達に続いて入浴を終えた優人は扶桑海軍の第一種軍装から寝間着として使っている半袖のTシャツとハーフパンツに着替えていた。浮かない顔した妹に優しく微笑んで見せると、次にベッドの上の扶桑人形に視線を移した。
「おっ?それが杉田大佐からの?穴拭さんの扶桑人形か」
「お兄ちゃん、知ってるの?」
「知ってるも何も、今日の授業で話したはずなんだけど?」
「えっ……そ、そうだっけ?」
「お前なぁ……」
惚けたようなことを言う妹に優人は眉をひそめる。叱られそうになっている芳佳に助け舟を出す形で、リーネが話を振った。
「確か扶桑海事変で活躍した『扶桑海三羽烏』の一人でしたよね?」
扶桑海事変中、宮藤理論を採用した97式戦闘脚にしたのを機に目覚ましい活躍を見せ、『扶桑海三羽烏』と呼ばれた扶桑皇国陸軍の穴拭智子、加藤武子、加東圭子及び古式剣術の使い手である黒江綾香――通称『魔のクロエ』。彼女ら4人の上官で、当時扶桑皇国陸軍飛行第1戦隊の戦隊長を務めていた江藤敏子。優人や坂本の師にして上官――『軍神』北郷章香。現在カールスラント空軍ウィッチ隊総監の地位にあり、当時観戦武官として事変に参戦していたカールスラントウィッチ――アドルフィーネ・ガランド。
教練中、ずっと考え事をしていた芳佳とは違い、優人の話を真面目に聞いていたリーネの頭には、扶桑海事変で活躍したウィッチや扶桑皇国軍将兵の名前はすべて頭に入っている。
「ああ、『扶桑海の巴御前』って呼ばれてて、宣伝映画の主役にも選ばれていた俺達の先輩さ」
「優人さんと坂本少佐は穴拭さんと親しかったんですか?」
「まぁ面識はあるし、一緒にネウロイと戦ったりしたけど。親しいってほどじゃないな」
優人は腕を組み、一息吐いてから言葉を続ける。
「俺はどちらかと言えば、圭子さんに世話して貰ってたからな」
「加東圭子さん、ですか?」
リーネが確かめるように訊くと、優人は小さく頷いた。
「俺の射撃技術は、圭子さんにご指導を賜って磨いた物だからな」
「ふぇ~」
リーネは感嘆の声を漏らした。人に歴史あり、優人や坂本のようなエースも芳佳やリーネと同じく右も左も分からない新人時代を過ごし、先達の指導を受けて成長してきた。当たり前のことであるが、改めて考えると感慨深いものがある。
「ところで芳佳」
少しばかりの昔話を終え、優人は芳佳に向き直った。
「お前は何でそんな不景気な顔してるんだ?」
「……うん、あのね」
芳佳は順を追って一つずつ話し始めた。基地の整備兵におはぎを差し入れた時のこと、芳佳が赤城の少年兵からラブレターらしき手紙を貰ったこと、ミーナが基地の規則を理由に手紙を突き返してしまったこと、扶桑人形のお礼を兼ねた赤城の見送りにいけないこと。
優人は真剣な面持ちで、時折相槌をうちながら芳佳の話に耳を傾ける。しかし、さすがはシスコンというべきか「芳佳がラブレターを貰った」の件で一瞬だが、不機嫌そうに眉を顰めていた。表情の微妙な変化にリーネは気付いていたが、気にしないことにした。
「なるほどねぇ……」
大体の事情を理解した優人はソファチェアに腰を下ろし、天井を仰ぐ。
「何でミーナ中佐は、男の人と仲良くしちゃダメだなんて……」
今まで気にしていなかったリーネも芳佳と同じ疑問を口にする。
よくよく考えればおかしな話。柔軟な思考と広い視野を併せ持ち、システマチックな軍隊において各々の個性を重んじて活かす統合戦闘航空団の特性を表したような性格のミーナ。やることさえやっていれば、シャーリーのストライカーユニットの改造やルッキーニの隠れ家作り等の自由過ぎる行動も容認している彼女が優人を除いた男性陣との接触を禁ずる、という他の統合戦闘航空団にはない規則をわざわざ作り、このことに関しては杓子定規になって譲らない。
ウィッチが他の将兵と男女の仲になることで軍務に支障が出ることを懸念しているのかもしれないが、軽い世間話すら許さない徹底ぶりに加え、基地の男性陣のほぼ全員を殊更に冷遇するやり方は少々異常である。
「お兄ちゃん、何か知らない?」
芳佳の問い掛けに対し、優人は少し間を置いてから
「……悪い、俺もよくは知らないんだ」
と言葉を返した。
「そっか……」
再び表情を曇らせる芳佳。優人はそんな妹を見て胸を痛めた。ミーナが男性陣にウィッチとの接触禁止を厳命する理由を本当は知っている。しかし、それはミーナのプライバシーに関することで、規則を作った理由の半分は彼女の私的なもの。
信頼する上官であり、親しい友人でもあるミーナの心情を明かして、泥をつけずに二人に話す上手い方法が思い付かず、敢えて「知らない」と言ったのだ。
「納得出来ないだろうけど、軍にいる以上命令や規則は絶対だから……」
「でも、こんなの絶対おかしいよ」
「芳佳ちゃん……」
優人の言葉にも、ミーナの規則にもやはり納得がいかず、己の心情を訴える芳佳。リーネもまた、彼女を気遣い哀しげな声を漏らした。
(仕方ないな……)
物憂げな妹の姿を見て、居たたまれなくなった優人は踵を返して廊下へと向かう。
「どこへ行くんですか?」
「ん?部屋に戻って寝るんだよ。明日は出撃なんだから、二人も早く寝ろよ」
リーネの言葉にそう返すと、優人は部屋から出ていった。
◇ ◇ ◇
数時間後、ミーナの部屋――
501部隊司令を務めるミーナの私室は他の隊員よりも一回りほど大きい。室内にはカールスラントから持ってきたのだろうソファにスツール、デスク、立派な飾り時計とアップライトのピアノ等が置かれている。シンプルだが女性らしい部屋だ。
カールスラント空軍の制服から寝間着のキャミソールに着替えたミーナがベッドに入ろうとした矢先、深夜にも関わらず来客があった。優人だ。
この時間帯は夜間哨戒に出たサーニャ以外は皆眠りに就いていて、ネウロイの襲撃でも無い限りは誰も起きてはこない。そんな時刻に耳朶を打ったドアのノック音。ミーナは思わず身構えたが、相手が優人だとわかると警戒心を弛めて室内に招き入れた。
「どうぞ」
ミーナは手でソファーを指し、座るよう促す。優人が一言「失礼」と言って座るのを確認したミーナも自らはベッドの端に腰掛ける。シーツに包まれたマットが僅かに沈んだ。
「こんな時間に女性の部屋へ押し掛けるなんて……あなたはもう少し紳士的だと思ったのだけれど?」
ミーナが溜め息混じりに嫌味を言う。親しい間柄とは言え、男性に無防備な姿を晒すことに抵抗がある彼女はキャミソールの上にカーディガンを羽織り、胸元を庇うようにして腕を組んでいる。
「悪い、急ぎの用があって」
軽く弁明する優人。いつもの彼ならミーナのキャミソール姿に目移りしてしまうだろうが、話の内容が内容だけに彼女の顔をジッと見つめている。
「それで?」
「昼間に芳佳が貰った手紙の話だけど……何も突き返すことな――」
「美緒にも言ったことだけど、ウィッチとの必要以上接触は厳禁。そういう決まりだからよ」
「俺という例外を除いて……な」
ミーナが隊規を持ち出すことは優人も予想していたらしい。わざと嫌味ったらしい言い方をする彼にミーナは不快感から眉を顰めた。
「優人……あなたにはいろいろと助けて貰っているから言わないようにしていたけれど……」
そこまで言って一呼吸置いたミーナは、軽く目を伏せて言葉を続けた。
「少し芳佳さんを甘やかし過ぎているんじゃないかしら?」
「…………」
普段の彼女からは考えられないほど冷淡な口調のミーナに、優人は片眉を僅かに動かしつつ沈黙で応じる。
「あなたはウィザード、他の兵とは違うのよ」
「どう違うんだ?」
決して仲の悪くない、むしろ良好な関係のミーナと優人。二人からは険悪な雰囲気が醸し出されている。その様子を見ると芳佳をスカウトしようとした坂本と睨み合っていた時の優人を思い出される。
「説明しなければそれが理解できないほど、あなたは浅はかな人間ではないはずよ?」
戦闘隊長であり、優人を501に引き抜いた張本人でもある坂本は、男女の違いこそあれ同じ航空歩兵にまでウィッチとの接触禁止を命じることに難色を示していた。ミーナもまた日頃からのコミュニケーション不足が作戦行動時の連携にまで影響を及ぼすことを懸念し、彼のみ特例扱いとなっている。
優人とウィッチ達の交流を温かく見守っているミーナだが、ヘルシンキの会議に優人を同行させたり、艦で片道1ヶ月ほどかかる扶桑への一時帰国を命じたりと、基地要員に対してほど露骨ではないにしても501のウィッチ達と物理的な距離なを置かせるような試みも時折見られた。
「せめて、見送りだけでも許可してくれないか?」
「明日は出撃よ。あなたも知っているでしょ?」
「なら赤城の出航より先にネウロイを倒せばいいわけだな?」
「それは――」
「頼むよ、この通りだ!」
優人は頭を下げて懇願する。世話になった艦を見送るという妹のささやかな願い、甘いと言われようとそれだけは譲れなかった。
「……考えておきます」
「恩に着る」
優人の気持ちを多少は汲み取ったらしい、頭には入れておくつもりのミーナ。しかし、却下はされなかったもののすぐに許可は出来ないようだ。
「じゃあ、俺はそろそろ御暇するよ」
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
軽く挨拶した優人は踵を返し、部屋を出ようとドアへ向かう。
「どうしたの?」
と、問うミーナ。優人はドアノブに手を掛けたところで手を止めていたのだ。
「……ミーナ、俺も父さんを亡くしてる」
ミーナに背を向けたまま、優人はゆっくりと口を開いた。
「大切な人を失ったお前の気持ち……すべてとは言わないけど、幾らかは理解しているつもりだ」
「…………」
「ミーナ、一つだけ聞かせてくれ。お前は人を愛したことを後悔してるのか?」
「っ――」
ミーナの瞳に少なからず動揺の色が映る。同時に自分の領域に土足で踏み込まれた不快感から、優人の背中を睨みつけた。
「悪い、余計なことだったな」
優人は謝意を述べると、ドアを開けて部屋から出ていった。ひとりになったミーナの胸には優人の言葉が突き刺さっていた。
――愛したことを後悔してるのか?
「私は……私は……」
◇ ◇ ◇
深夜、基地食堂――
食堂内にはテーブルの椅子に腰掛け、グラスで酒を呷る者が1人――優人だ。ミーナの部屋を訪れた後、自室に戻るも寝付けなかった彼は寝酒を飲みに食堂まで来ていた。傍らには現在ロンドンの酒蔵で購入した麦焼酎の瓶がある。
この麦焼酎は502のロスマンに教えても貰った酒蔵で購入した物だ。扶桑より移住した人々や弟子として迎え入れた現地のブリタニア人や大陸からの難民が中々本格的な酒造を行っていた。
芳佳とロンドンへ出掛けたあの日、門限までに基地へ帰れなかった優人はこの酒蔵で購入した数本の焼酎のうち、少々高価な芋焼酎を献上することでミーナのご機嫌を取ることに成功している。
「ふぅ……」
身体から力を抜くかのように優人は息を吐いた。同時にグラスの中でカラン、という氷同士がぶつかる音が彼の耳朶を打つ。
賑やかな食事時とは違い、優人しかいない深夜の食堂を静寂が支配している。大勢で騒ぐことが嫌いなわけではないが、僅かな音が空間全体に響き渡るかのような静けさに心地好さを感じている。その一方で耳に残るミーナの言葉に煩悶していた。
――芳佳さんを甘やかし過ぎているんじゃないかしら?
「その通りだな……」
そう独り言ちた優人はグラスを傾け、中の麦焼酎を一気飲みする。
(今のままじゃ、ダメだよな)
◇ ◇ ◇
1935年10月扶桑皇国、横須賀――
鮮やかな朱色の紅葉が舞う秋晴れの日。市内に建っているとある小学校では授業参観が開かれていた。
4年生の教室では、生徒達が親を題材に書いた作文を順番に読み上げていた。内容は主に自分の父親ないし母親が就いている仕事のこと、家庭内でのこと、旅行へ連れて行って貰ったこと等。一人が読み終わる度に教室内で拍手が起こり、親は我が子の作文に感動して目に涙を浮かべていた。
「次は……宮藤優人君、読んで下さい」
「はっ、はい!」
クラス担任の女性教師に差され、幼き日の宮藤優人が席から立ち上がる。緊張しているのか、声がやや上擦っている。
教室の後ろには生徒の保護者達が横に並ぶようにして立っている。その中には、優人の養父である宮藤一郎の姿もあった。
一郎は穏やかな表情で愛する息子を見守っている。妻の清佳は、二人の娘で優人の妹でもある宮藤芳佳の授業に出ているため、優人の教室には一郎だけが訪れている。
「ふぅ~……僕のお父さんは竹田商会という会社でウィッチやウィザードが使う飛行機械の設計をしています」
深呼吸で気持ちを落ち着かせた優人は、父が聞き取りやすいように大きな声でゆっくりと作文を読み始めた。出だしから察するに、内容は一郎の仕事について書いた物らしい。
「父さんは、会社内では腕利きの設計師として尊敬されています。でも、会社の人から聞いた話だと成功より失敗の方が多いみたいです」
優人がそこまで読み上げると、教室内が笑いに包まれた。生徒、担任、保護者達の視線が一斉に一郎に向けられる。
「あ、あははは……」
恥ずかしそうに表情をひきつらせる一郎。優人は振り返って悪戯っぽい笑顔を父に向けると、また前を向いて続きを読み出した。
「けど、成功した時の父さんの発明はすごいものだと皆が誉めてくれています。また、どんなに忙しい時でも父さんは家族のことを忘れたりはしません。僕を、妹を、母を愛してくれています。そんな父さんが、僕が大好きです。終わり」
読み終えると同時に、今度は盛大な拍手が教室全体を包みこんだ。優人は「大好き」と言ったことが少し恥ずかしいのか、作文用紙で顔を隠しながら席に着く。一郎は、その後ろ姿を誇らしげに見つめ、心中に感謝を述べた。
(ありがとう、優人)
◇ ◇ ◇
1939年8月ブリタニア――
「どういうことだよ!?」
ブリタニアのとある田舎街に存在するストライカーユニットの共同研修所。その地下にある研究資料や工具が散らかった一室には扶桑海軍少尉にしてウィザードでもある宮藤優人が、新理論を採用したストライカーユニットの開発者である父――宮藤一郎に対し、怒りに身体を震わせて詰問していた。
「何で……どうしてあんな物を!?」
優人は一郎に視線を向けたまま、部屋の奥にある円形状の水槽を指差した。特殊な液体で満たされた水槽内には正十二面体の水晶のような物体が妖しく輝いている。
「あれが何か分かってるだろ!?」
「…………」
「俺のっ!……俺達の力を信じてくれてたんじゃないのか!?」
「…………」
「黙ってないでなんとか言えよ!」
「…………」
父に食って掛かる優人。しかし、当の一郎は何も答えようとせず、真っ直ぐ優人を見据えるだけだった。
言い訳はしないが、理由を話してくれる訳でもない。だんまりを決め込む一郎に、優人は苛立ちを募らせていく。そして、感情任せに思ってもいないことを口にし始めた。
「血の繋がらない他人と話すことは何もない、ってか?」
――止せ。
「それは違っ――」
「黙れ!」
――やめろ。
「許さない……」
――それ以上言うな。
「何がお前には力がある、だ……」
己の口からは吐き出される言葉を止めなければ、きっと何か事情があるんだ、父を傷付けてはいけない、と思いながらも優人は自分の心を制御することが出来なかった。
「あんたを父親とは認めないっ!」
◇ ◇ ◇
1944年8月現在、ブリタニア第501統合戦闘航空団基地――
「……さん……優人さん……」
「う、う~ん……」
誰かの声が眠っている優人の耳朶に触れた。歌手を思わせる澄みきった小気味良い声。声の主は語りかけながら優人の身体をユサユサと優しく揺らしていた。触れている手は小さく、柔らかい。どうやら女性――いや、少女のものらしい。
まだ眠りの淵に片足を突っ込んでいる状態の優人。夢と現実の区別がついていない。目蓋が開かず、身体は鉛のように重い。さっぱり働かない頭では、聞こえる声が誰なのかも分からない。
ふと扶桑の典型的な朝食を想起させる炊きたてのご飯の香りが優人の鼻を刺激した。
(ああ、夢か……)
自分は501基地宿舎の自室で眠っている筈だ。ウィッチの誰かが起こしにきたとしても部屋で朝食の匂いを感じるわけがない。優人は寝惚けた頭で、そう結論付けた。
「……あと5分」
夢ならば起きる必要はない。そう思い、お決まりの台詞を言うと
「寝ンナッ!」
「いっ!?」
自分を起こしていた人間の物とは別の、特徴的な声が耳朶を打つ。やや遅れて鈍い音も響き、優人の後頭部頭に痛みが走った。
「いつつ……あれ?」
痛みに耐えながら優人が顔を上げると、目の前にサーニャとエイラの姿があった。サーニャは不思議そうに、エイラは不機嫌そうに優人の顔を見つめていた。
「サーニャ、エイラ。俺の部屋で何してるんだ?」
「食堂がオマエの部屋ナノカヨ」
「……えっ?」
エイラの冷ややかな突っ込みを受けて、優人は室内を見渡す。彼女が言った通り、優人は自室ではなく食堂のテーブルに突っ伏して眠っていた。窓から射し込む朝日と小鳥達の囀ずりが、1日の始まりを告げている。
段々と頭が回り始め、昨夜自分が寝酒を嗜んでいたことやいつの間にか寝てしまっていたことに気が付く。
テーブルの上からグラスや酒瓶が消えているが、おそらくサーニャ達が片付けたのだろう。
「そっか、寝ちゃってたか……」
「夜中に酒飲んで朝まで眠りこけるナンテ。随分とイイ身分ダナ」
自分をジト目で見据えて嫌味を言うエイラに、優人は苦笑を返した。
「悪い悪い、ってもうこんな時間か。朝飯用意しないとな」
時計を確認すると同時に自分が朝食当番だったこと思い出した優人は、ゆっくりと腰を上げる。
「あの、これ……」
サーニャがキッチンカウンターを指差した。
「……えっ?これって?」
カウンターを見てみると、大皿一杯のおにぎりが置かれていた。
「おにぎりです。扶桑の料理本で作り方を見たことがあって……優人さん、おやすみだったから……作ってみました」
雪のように白い頬を僅かに紅潮させ、サーニャはか細い声で説明する。
「じゃあ、俺の代わりに?」
「……はい」
「そういうことダ!」
サーニャは照れながら、エイラは胸を張って答える。よく見ると二人ともエプロンをしている。サーニャのにはネコペンギンが、エイラのエプロンにはフードを被った黒い小人のような絵が描かれている。
「二人共、ありがとう!」
優人は笑顔で礼を述べると、キッチンカウンターに視線を戻した。皿に盛られたおにぎりのうち、半分は見事な三角形になっているが、もう半分はやや歪なものとなっている。前者はサーニャの、後者はエイラの作品である。
「食べてもいいかな?」
「どうぞ」
「夜間哨戒明けで疲れているのに、わざわざ作ってやったンダカラナ。心して食べろヨ」
二人の了解を貰った優人は、丁寧に作られたサーニャ作のおにぎりに手を伸ばす。おそらくは初めてだろうが、形はもちろん、海苔も綺麗に巻かれていて、サーニャの料理の腕と女子力の高さが垣間見える。
「頂きます」
おにぎりを手に取り、まず一口食べる優人。その美味しさと意外な中味に目を丸くする。
「ん~♪美味しい。中身沢庵なんだな?梅干しかと思ったけど」
「冷蔵庫に余ってたから使いました。ダメですか?」
サーニャが心配そうに訊ねる。
「合わないことはないけど、おにぎりとは別に食べることの方が多いかな?」
「ウルサイッ!サーニャの料理にケチつけるヤツはこうダッ!」
優人の言い分が気に入らなかったエイラは、優人の手から食べかけおにぎりを奪い取り、パクりと食い付いた。
「おっ、おい!エイラ!」
「文句言って、早く食べないのが悪いンダゾ!」
優人を睨みつつ、エイラはサーニャの手作りおにぎりを頬いっぱいに味わう。飲み込んだ瞬間、彼女は至福の表情を浮かべた。
「いや、そうじゃなくて……それ俺の食べかけだから」
「エイラ、優人さんと間接キスしちゃってるわ」
「エッ!?」
二人の言葉に数秒間思考を停止させたエイラだったが、やがて意味を理解し、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「な、な、ナンテことするンダァァァァァァァ!!」
耳をつんざくようなエイラの怒鳴り声。優人とサーニャは、反射的に両手で耳を塞いだ。
「サーニャならともかく、どうして兄藤ナンカと!気色悪い!」
「そこまで言わんでも……」
意中にない異性との間接キス。大抵の女性は嫌がるだろうが、ここまであからさまに嫌悪感を示されると男としてショックを通り越して心が折れそうになる。エイラほどの美少女からなら尚更だ。
「て言うか、サーニャならともかく……って?」
「う、ウルサ~イ!余計な詮索するナ!エロ藤!」
「はっ!?エロ藤!?」
あんまりなアダ名を進呈され、優人は条件反射で絶句する。
「ソウダ!風呂を覗くような痴漢にはこれで十分ダ!」
動揺のあまり過ぎたことを蒸し返すエイラ。その言葉を聞き、初めて父親以外の男に裸を見られた時のことを思い出したサーニャは、視線を床に向けて落とし、エイラ並みに顔を真っ赤に染める。
「そんな……あれはわざとじゃないよ。それに俺だって見たくて見たわけじゃ――」
「ナンダと!?ワタシ達の裸に見る価値ナンテナイって言いたいのカ?」
「いや、そんなことは……お前達は二人共色白の綺麗な肌してるし。エイラなんて、歳の割りにいい身体して――」
「ヘンタイ!ヘンタイ!ヘンタ~イ!!」
「ぶっ!?」
茹で蛸の涙目になったエイラは、優人の顔に己のエプロンを叩きつけると全力疾走で部屋から飛び出していった。
残った二人の間には暫しの沈黙が訪れる。サーニャは以前視線を下げており、優人も罰が悪そうに頭を掻いている。
「あ、あの……」
沈黙を破ったのはサーニャだった。
「お風呂のこと……もう、気にしてませんから……」
健気に優人を気遣うサーニャだが、その表情は赤みが差したままである。
「あ~……でも俺が不注意だったわけだから……って、これどうしたんだ?」
優人はサーニャの手に何枚か絆創膏が貼られていることに気付き、驚愕する。
「あっ……これは包丁で指切っちゃったり、炊きたてのご飯で火傷しゃったりして……」
普段のサーニャなら料理中に怪我などしない筈だが、夜間哨戒明け故に寝不足だったことで注意力が散漫になっていたらしい。
「ピアニストにとって指の怪我は致命的だろ?大丈夫か?」
優人はそう言うと、心配そうな表情でサーニャの両手を取る。
その時だった。突然、優人の身体から使い魔の柴犬――『紗綾』の耳と尻尾が現れ、手には光が灯り出した。その青く、温かく、優しい光は芳佳や母達が使う治癒魔法の光だった。
「えっ?」
「あっ……」
サーニャはもちろん、優人自身何が起きているか理解できずに気の抜けた声を漏らした。
光はサーニャの傷を癒し、ピアノの奏でる繊細で綺麗な手に戻していった。光が消えると共に手から痛みが無くなったことに気付いたサーニャは絆創膏を剥がして両手の平を確かめる。
「……治ってる」
サーニャは驚き、目を見開いた。治癒魔法に驚いたのではない。攻撃魔法を使うはずの優人が、芳佳とまったく同じ治癒魔法を使ったことに驚いているのだ。
「優人さん、これって……」
「俺にもわけが……」
突然発動した治癒魔法。優人の中の驚愕は僅かな動揺に変わっていた。
念の為に言いますが、作者はエイラが好きです。ただツンツンさせておきたいんです←
感想、誤字脱字報告お願いします。