ストライクウィッチーズ 扶桑の兄妹 改訂版   作:u-ya

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私の地の文の酷さは病気を通り越して障害だと、今(2019年3月現在)本気で思っています。


第33話「歌姫の悲しみ、堅物大尉の乱心、青の一番の嫉妬」

1944年8月末の某夜。ブリタニア、第501統合戦闘航空団基地――

 

昨日から本日の夕刻まで、当基地の港には桑海軍遣欧艦隊所属艦赤城型航空母艦『赤城』が停泊していた。空母と言っても既に第一線を引いた古参の艦で、扶桑から欧州への補給や人員の派遣が主な任務である。しかし、近々実施される予定のガリア反攻作戦においては、第一陣として攻撃に加わることとなる。

第501統合戦闘航空団司令ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケは愛する人から3年越しに贈られた深紅のイブニングドレスを身に纏い、航空歩兵、基地要員、そして赤城の乗員等を観客とした細やかなコンサートを開催した。聞いた者を魅了するミーナの歌声、ウィッチ達もその他の将兵達も穏やかな表情で聞き入っていた。

空母赤城及び艦長の杉田大佐をはじめとする総勢約2000名の乗員達は501のウィッチとミーナの歌に見送られて戦線へと発っていった。

久方ぶりに喉を鳴らし、晴れやかな表情で自室に戻ったミーナはドレス姿のまま自室の窓辺で佇み、余韻に浸っていた。

そんな彼女の元へ、坂本が歌の感想と見送り許可の礼を言いに訪れていた。短い会話の後、ミーナは隠し持っていた拳銃を取り出し、坂本へ向ける。

 

「なんだ?随分と物騒だな」

 

唐突に銃口を向けられた坂本。特に驚いた様子もなく、おどけた口調でミーナに理由を問う。

ミーナが手にしているのはシルバーモデルのワルサーPPK。501基地でウィッチないしウィザード用に採用されているカールスラント製の護身用拳銃だ。護身用といっても十分な威力、優れた命中精度、高い安全性を備えた極めて完成度の高い拳銃である。

華やかなドレスにはおよそ似つかわしくない代物を右手に構えたミーナは真剣な眼差しで、坂本を見据える。坂本もまた、ミーナの意図を推し量ろうと同じように見つめ返している。

 

「約束して……もうストライカーは履かない、って」

 

「……それは命令か?」

 

坂本が確かめるように訊ねる。すると、ミーナは強張らせていた表情を僅かに曇らせた。

 

「そんな格好で命令されても説得力がないな」

 

フッと口元に笑みを湛える坂本。対するミーナは追いつめられたような表情を浮かべている。

 

「私は本気よ!今度戦いに出たら、きっとあなたは帰ってこない」

 

昼間の戦闘時、キューブ型ネウロイのコアを芳佳が撃ち抜いた。その際に飛び散った破片が坂本のシールドを突き抜け、彼女の額を掠めていた。戦闘中の、しかもほんの一瞬のこと。誰にも気付かれていないと高を括っていた坂本だが、ミーナには見られていたのだ。

ウィッチやウィザードは20歳前後を境として急速に魔法力が減退していく。もちろん個人差があり、飛行に必要な魔法力や身体強化はある程度保てる場合もあるが、それでも最終的には完全に失う。特にシールドの弱体化は顕著だ。

芳佳の母方――秋元一族のように変わらず魔法力を維持している者もいるが、殆どは成人すると同時に魔法力を失っていく。それは坂本とて例外ではない。

日に日に魔法力が少しずつ、だが確実に衰えてきている。彼女自身が誰よりもそれを自覚していため、成人と共に減退していく魔力量を少しでも維持しようと毎日欠かさず早朝鍛練を行っていた。しかし、既に坂本の魔法力はシールドをまともに機能させることも出来ぬまでに衰えてしまっていた。

 

「だったらいっそ自分の手で、というわけか?矛盾だらけだな……お前らしくもない」

 

「違う!違うわ!」

 

頭を振るミーナ。不安と恐怖を湛えた瞳は今にも泣き出しそうなほど潤んでいる。

 

「私は……まだ飛ばねばならないんだ」

 

それだけ言うと坂本はドアへと向かう。ミーナは両手で銃を構え直し、部屋を出ていこうとする坂本に再び銃口を向ける。

拳銃には実弾が込められている。しかし、彼女に撃てるはずがない。本人以上にそのことが分かっていた坂本は構わずに廊下に出る。

 

「坂本」

 

不意に呼び止められ、坂本は声のした方へ目を向ける。

 

「む……優人か」

 

「よぉ、こんな時間にどうしたんだ?」

 

声の主は優人だった。既に入浴を済ませた彼は半袖のTシャツとハーフパンツというラフな格好をしている。

 

「……聞いていたのか?」

 

「何を?」

 

「いや、何でもない。私はもう寝る、お前も早く休め」

 

坂本はそれだけ告げると自室へ歩を進めた。月明かりだけの薄暗い廊下、奥へと消えていく親友の背中を見つめて優人は独り言ちる。

 

「……聞いてたに決まってんだろ、バカ美緒」

 

彼女を名前で呼ぶのは随分と久しぶりのことだった。やがて坂本の姿が完全に見えなくなり、優人はミーナの部屋をノックする。すぐに「どうぞ」という声が聞こえ、優人はドアを潜る。

室内には、先程と同じドレス姿のミーナが窓際に佇んでいた。手に銃はない。デスクの引き出しにでもしまったのだろう。

 

「優人……どうしたの?」

 

いつもと変わらぬ、柔らかな表情で問うミーナ。しかし、ミーティングで歌っていた時と比べ、表情から明るさが幾分失われていることを優人にはすぐ理解出来た。

 

「……坂本のことだけど」

 

「――ッ!?」

 

優人が口火を切ると、ミーナのハッと目を見開いた。

 

「止めても無駄だと思うぞ?」

 

「聞いていたの?」

 

「正しくは……聞こえた、かな?」

 

優人を睨み付け、ミーナは咎めるように訊く。優人は軽く弁明すると、話を戻した。

 

「付き合いが長いからわかる。あいつは超がつくほどの頑固者だ。昔からウィッチとして誰かを守りたい、って想いが強かったし。いつの頃からか戦いの中で自分の存在価値を見出だすようになった。毛利の3本矢じゃないけど、この3つと魔法力が僅かでもある限り坂本は引き下がらない」

 

「だからって、シールドを張れなくなった美緒を戦わせるなんてこと……」

 

「安心しろ」

 

優人が僅かに語気を強める。

 

「あいつのことは俺がなんとかする」

 

もう誰も死なせない、もう誰にもこんな想いはさせない。父を失ったあの日、心に強く誓った決意の言葉を優人は改めて胸に抱いた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

翌朝、501基地本部隊長執務室――

 

室内では、ミーナが1人で物思いに耽っていた。昨晩、優人が言っていた「なんとかする」というのは具体的にどういうことなのか。彼には何か坂本を戦場から遠ざける手立てがあるのだろうか。

説得――いや、それは無駄だと言っていた。隊内で坂本との付き合いが最も長い優人が言うのだから間違いないだろう。しかし、ならば一体どうするつもりなのか。

 

コンコン!

 

考え込むミーナの耳に小気味良いノック音が響く。顔を上げて扉の方に目をやると、小脇に資料を抱えた坂本と同じく資料らしきものが詰め込まれた段ボールを抱えた芳佳が扉前に立っていた。

 

「ちょっといいか?」

 

と、ミーナに訊ねる坂本の隣では、芳佳が「よいしょっと」と重そうな段ボールを抱え直す。

 

「悪いな、便利に使って」

 

「いえ、これくらいへっちゃらです」

 

詫びる坂本にそう返した芳佳であったが、その足取りはよたよたとしていて、あまりへっちゃらではなさそうだ。

 

「データだ、この前出たネウロイのな」

 

と、ミーナに告げる坂本。昨晩のことなど無かったかのように振る舞う彼女に、ミーナは眉を顰める。

坂本な報告書やレーダー記録等の資料を広げ、自己解釈を交えた分析を始める。

 

「8月16日と18日に来襲したネウロイだが、奴の出現した時に各地で謎の電波が傍受されている。周波数こそ違うがサーニャの歌っていた声の波形と極めてよく似ている」

 

「えぇ」

 

と、気の抜けた声で応じるミーナ。

 

「歌!?」

 

二人から少し離れた場所に立っていた芳佳は、ハッとなって夜間哨戒に参加した夜のことを思い出した。

サーニャ、エイラと共に戦い、撃破したあのネウロイは確かにサーニャの歌を歌っていた。

 

「あのネウロイは、サーニャの行動を再現していたて見て間違いなさそうだな」

 

「……ええ」

 

「分析の規模をもっと広げよう。しばらくは忙しくなるぞ!」

 

「そうね……」

 

鈍い反応を繰り返すミーナと、彼女を急かすように語勢を強める坂本。芳佳はそんな二人のやり取りをただ見つめていた。

 

「優人、それにバルクホルンやハルトマンにも今のうちに知らせておきたいな」

 

(お兄ちゃん……)

 

優人の名を聞いて、芳佳は僅かに顔を伏せた。脳裏に浮かぶのは昨日の、いつになく恐い顔をした優人の姿。いつも優しい兄が急に自分を突き放すような態度取るようになった。一晩考えてみたが、理由は分からずじまい。

 

――もう少し自重しろ。

 

あの時、優人に言われた言葉は未だ槍のように芳佳の胸に突き刺さっている。彼女は今、大好きな兄に対して恐怖にも似た感情を抱いている。

 

「三人をここへ」

 

「あのっ!」

 

坂本が優人達を呼ぼうとしたその時、芳佳が口を挟んできた。

 

「バルクホルンさんなら今日は非番です。夜明け前に出ていきましたよ」

 

「どこへ?」

 

と、訊ねる坂本。

 

「ロンドンです」

 

「ロンドン?」

 

坂本が芳佳の言葉を鸚鵡返しする。

 

「意識不明だった妹さんが目を覚ましたって……バルクホルンさん、慌ててストライカーを履いて出て行こうとするのを皆で止めたんですよ。いつもはあんなに冷静な人なのに」

 

ハンガーでの一件を思い出し、笑みを零す芳佳。その屈託のない笑顔を眩しく思えてならないミーナは、芳佳から目を逸らした。

 

「無理もないわ。バルクホルンにとって、妹は戦う理由そのものだもの」

 

ミーナは寂しげな表情で、さらに続ける。

 

「誰だって自分にとって大切な……守りたいものがあるから、勇気を振り絞って戦えるのよ」

 

「……は、はい」

 

心に重く響くミーナの言葉。芳佳は、ただ頷くことしか出来なかった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ロンドン、とある病院――

 

ネウロイがカールスラントを侵攻した際に負傷し、そのまま長い間昏睡状態にあったバルクホルンの妹――クリスことクリスティアーネ・バルクホルン。

病院からクリスが目を覚ましたとの連絡を受け、バルクホルンはハルトマンの運転するキューベルワーゲンで基地を発ち、病院へ向かった。病院に到着すると、電撃戦の如きスピードでクリスの病室へと駆け込んでいた。

 

バダンッ!

 

「きゃあっ!?」

 

逸る心を抑えられなかったバルクホルンは、病室のドアを乱暴に開いてしまう。室内でシーツを取り替えていたナースが驚いて悲鳴を上げた。

 

「病室ですよ!お静かに!」

 

「あ、ああ……すみません。急いでいたもので……」

 

ナースに注意され、罰が悪そうな顔で謝罪するバルクホルン。マナー面で他者から注意を受けるなど、規律に厳しい普段の彼女からは想像できない。

 

「フフフ……」

 

慌てて病室へ飛び込んできたバルクホルンがおかしかったのだろう。ベッド上で身体を起こした少女――クリスが、クスクスと可愛らしく笑っていた。

 

「クリス……」

 

振り向いたバルクホルンの瞳に最愛の妹の姿が映る。おそるおそるベッドへ近付くバルクホルン。そんな姉を迎えるようにクリスは両手を差し出し、姉妹は力強く抱き締め合った。互いの温もりをすべて感じ取ろうと、ギュッと手に力を込める。ハルトマンと看護師は、そんな二人を穏やかな表情で見守っていた。

しばらく抱き合った後、姉妹は改めて向き直る。

 

「お姉ちゃん、私が居なくて大丈夫だった?」

 

クリスがそう訊ねると、バルクホルンは途端に慌て出した。

 

「な、なにを言う、大丈夫に決まっているだろう。私を誰だと――」

 

「あ~もう全然ダメダメ」

 

ベッドのすぐ隣にある椅子に腰を下ろしたハルトマンがバルクホルンの声を遮り、言葉を続けた。

 

「この間まではひどいもんだったよ?やけっぱちになって無茶な戦い方ばっかりしてさ~」

 

「お姉ちゃん?」

 

と、クリスは窘めるようにバルクホルンを見る。

 

「お、お前!今日は見舞いに来たんだぞ、そういうことは――」

 

「だって本当じゃん」

 

妹の前で恥を掻かされたバルクホルンはすぐさま抗議するが、ハルトマンは全く意に介さない。

 

「ないない!そんな事は無いぞ!私はいつだって冷静だ!」

 

バルクホルンは身を乗りだしながら、ムキになって否定する。妹に心配かけまいとしているのだろうが、今の彼女は冷静な人間には程遠い。

 

「お姉ちゃん、なんか楽しそう」

 

以前よりも明るく、感情豊かになっている姉を見てクリスが安心したように言う。

 

「そ、そうか?」

 

クリスの言葉に少しだけ戸惑うバルクホルン。

 

「優人と芳佳のおかげだな」

 

「優人さん?……芳佳さん?」

 

ハルトマンの口から出てきた聞き覚えのない名前に、クリスは首を傾げる。

 

「うん、扶桑から来たウィザードとウィッチの兄妹。優人が兄で芳佳が妹」

 

ハルトマンが宮藤兄妹についての簡潔に説明をすると、ベッドに腰を下ろしたバルクホルンが言葉を継いだ。

 

「芳佳の方はお前に少し似ていてな」

 

「私に!?わぁ!会ってみたいな!!」

 

自分と似ているらしいウィッチの存在を知り、クリスは爛々と目を輝かせる。

 

「そう言うと思って事前に約束してある」

 

「本当!?お友達になってくれるかな?」

 

「ハハハ、かなりの変わり者だけど、良い奴だ。きっと良い友達になれるさ。あっ、似てると言っても当然お前の方がずっと美人だからな!」

 

腕を組んで自信満々に断言するバルクホルン。クリスはキョトンとする。

 

「姉バカだねぇ……」

 

相変わらずの溺愛っぷりにハルトマンは完全に呆れている。

 

「なっ!?私は事実をいったまでだぞ!」

 

「優人がここにいたら『芳佳の方が美人だ!』とか言うだろうな~」

 

シスコン二人が不毛な争いをしている光景を思い浮かべ、ハルトマンは肩を竦める。

 

「いや!クリスの方が美人だ!優人!いい加減に認めろ!」

 

「いない人間に怒鳴ってどうするのさ……」

 

無駄に上手いハルトマンの声真似に身体が反応してしまったのだろう。バルクホルンは現在501基地にいる優人に向かって怒鳴る。優人本人に聞こえたところで、やはり不毛な争いが繰り広げられるのだろう。

 

「優人さんはどんな人なの?」

 

芳佳の話を聞いたクリスは優人についても訊ねる。

 

「優人か……」

 

「顔はまぁまぁイケメンかな?それに良い人だよ」

 

バルクホルンよりも先にハルトマンが優人について語った。バルクホルンは頷き、言葉を継ぐ。

 

「ああ、妹や仲間を思いやる良い奴だ。歳相応にスケベなのが玉に瑕だが」

 

「体を張ってネウロイからトゥルーデを守ってくれたし。ねぇ?」

 

ハルトマンは意味深げな笑みを浮かべ、確認するような視線をバルクホルンに送る。

 

「ふーん」

 

二人の話を聞き終えたクリスは、ニヤニヤしながら姉の顔を見上げた。

 

「ん?どうしたクリス?」

 

「なんかお姉ちゃん、優人さんの名前を呼ぶ時の声がすごく優しいよ?」

 

「そうか?」

 

クリスに指摘されるも自覚の無いバルクホルンは首を傾げる。すると、ニヤリと悪い笑みを浮かべたハルトマンが語り出した。

 

「そりゃそうだよ。トゥルーデは優人にお熱だから」

 

「な……なあああああぁっ!?」

 

ハルトマンの発言にボンッと湯気が出そうな勢いで赤面する。

 

「何を言い出すんだハルトマン!?」

 

「ホントのことでしょ~?よく優人のことを目で追っているし、芳佳にもまるで未来の義妹みたいに気にかけてるし」

 

「ちっがあああああああう!!」

 

病院にいることを忘れ、凄まじい怒鳴り声を上げるバルクホルン。鼓膜が破れんばかりの怒号にクリスとハルトマンは思わず両手で耳を塞いだ。

 

「私はあいつのことなど何とも思っていない!!あ、いや、別に優人のことが嫌いだとかどうでもいいとかではなくてだな。あくまで……そう!あくまで友人としての感情であって!芳佳のことも友人の妹は自分の妹も同然と――」

 

「わかったから静かにしなよ」

 

ハルトマンは耳を塞いだままバルクホルンを宥める。声があまりに大きすぎるため、敷地外の通りにも響いてしまっている。他の患者や病院の職員からすればいい迷惑だ。

 

「ふぅん……それじゃ、私がお付き合いしようかな?」

 

「「え?」」

 

クリスの口から出た予想外の言葉にバルクホルンとハルトマンは揃って気の抜けた声を漏らした。

 

「付き合う、って……優人と?」

 

「はい!」

 

ハルトマンが言葉の意味を確かめるように訊くと、クリスは満面の笑みで頷いた。

 

「お姉ちゃんの彼氏さんなら遠慮したかもですけど、違うみたいですし」

 

「ちょっ、ちょっと待て!恋愛などお前にはまだ早いぞ!第一優人に会ったこともないだろ!?」

 

「そもそも歳の差が有り過ぎだしね」

 

バルクホルンはもちろん、さしものハルトマンもクリスの考えに難色を示す。

 

「でも二人の話だと、とっても素敵な人みたいだし。それに恋に歳なんて関係ないよ」

 

「だ、ダメだ!ダメだ!」

 

バルクホルンが頭を激しく振って猛反対する。長い眠りから目覚めたばかりの妹にマセた発言をされて、気が動転してしまっている。

 

「男はみんな羊の皮を被った狼なんだぞ!優人も例外じゃない!破廉恥な本を買い集めたり!他のウィッチの着替えや風呂を覗いたり!この前なんて私の胸を触った上に押し倒――」

 

バルクホルンは、そこまで話して言葉を止めた。思い出してしまったのだ、ズボン紛失事件が起きた日のことを。正確にはシャーリーが悪戯で優人の背中を押し、そのままバルクホルンを押し倒す形で倒れたことを。

彼女の脳裏に浮かんでいるのは、あの時互いの息が掛かるほどの距離まで迫った優人の顔。至近距離で初めて見た異性の、同世代の男の顔だ。

バルクホルンの顔はこれ以上ないほど顔を真っ赤なり、頭部からは水蒸気のようなものがシュウゥゥ、と音を立てながら噴き出している。

 

「おーい?トゥルーデ~?」

 

ハルトマンがバルクホルンの前で手を振ってみるが、固まったまま微動だにしない。まるでオーバーヒートしたコンピューターようで、しばらくは元に戻りそうもない。

 

「あちゃ~……こりゃ重症だねぇ」

 

ハルトマンは困ったなぁ、と言った感じに後頭部を掻くと、クリスにいる方へ振り返った。

 

「でも本気?優人と付き合おうなんて」

 

「ふふ、ごめんなさい。冗談です♪」

 

そう言いながら、チラっと可愛らしい舌を出して笑うクリス。

どうも自分の預かり知らなぬところで、同世代の男子と友達になっていた姉をからかっていたらしい。容姿は確かに芳佳と似ているが、性格面ではハルトマンに負けず劣らず小悪魔なところがあるらしい。

 

「とんだ妹だねぇ……」

 

ハルトマンはふぅ、と一息吐くと部屋に掛かっていた時計を確かめる。そろそろ面会時間が終わる。

 

「おっと、そろそろ帰らないと……じゃあ、また来るからねぇ」

 

ハルトマンは左手で固まったまま動かないバルクホルンの手を引きつつ、右手をクリスに向けて振り、別れの挨拶をする。

 

「は~い!また来て下さいね」

 

クリスも笑顔で手を振り返し、姉と姉の戦友を見送った。

二人が部屋を後にしてしばらくすると、入れ違いで眼鏡を掛けた優男風の中年男性が病室に入って来た。

 

「あれ?お姉さん達はもう帰ったのかい?」

 

「少し前に」

 

「そうか。嬉しそうな顔を見る限り、お姉さんと楽しくお話出来たようだね?」

 

「はい!」

 

男性の問いに、クリスはニッコリと微笑みながら答える。男性は軽く頷くと、クリスの向かい側にあるベッドに腰を下ろした。

彼はクリスと同室で、彼女と同様最近まで昏睡状態となっていた入院患者である。今朝知り合ったばかりの間柄だが、彼から父性的なものを感じ取ったクリスは男性のことを父のように慕っていた。

年齢は40前後。顔立ちからして扶桑人。顔には大きな火傷の跡のような大きな傷があるが、本人の優しげな表情と声色のおかげでクリスはもちろん、他の患者や病院スタッフも恐いとは思わず、むしろ好印象を抱いている。

 

「お姉さんとは何を話したのかな?」

 

「えーっと、お姉ちゃんの友達のことで……あっ、そう言えばおじさんって扶桑の人なんですよね?」

 

「ああ、そうだよ。8年くらい前かな?仕事で欧州に来たんだ」

 

「お姉ちゃんのお友達に扶桑から来た兄妹さんがいるみたいなんです」

 

「兄妹?」

 

「えーっと、名前は宮藤……優人さんと芳佳さんだったかな?」

 

クリスが二人の名を口にした瞬間、男性は眼鏡の奥にある目を光らせた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

病院の玄関を出た頃には、バルクホルンも自力で歩けるまでには回復していた。とは言っても顔にはまだ朱色が差している。

 

「クリス、いつからお姉ちゃんをからかうように……」

 

妹に手玉に取られてしまい、げんなりとするバルクホルン。妹が心身共に健康なのは喜ばしいことだが、ああ言った冗談は心臓に悪い。

 

「まぁまぁ、大目に見てあげたら?」

 

ハルトマンはバルクホルンを宥められつつ、キューベルワーゲンを停めた通りへと歩みを進める。

 

「あれ?」

 

「どうした?」

 

何かに気付いたハルトマンが正面を指差す。バルクホルンもつられて目をやると、純白の軍服を着こなした数人の男性がこちらに向かって歩いてきていた。彼らは世界的エースである二人に目もくれず、すぐ脇を通りすぎていった。

 

「あれ?扶桑海軍の制服だよね?」

 

「ああ」

 

ハルトマンの問いに首肯するバルクホルン。男性達が着ていたのは、優人や坂本と同じ扶桑海軍の第一種軍装と見て間違いない。

扶桑海軍の士官達が何故ここに?と思ったが、戦友か上官の見舞いにでも来たのだろう、とあまりに気にしなかった。

やがてキューベルワーゲンのところまで戻ると、ワイパーに挟まっている一通の手紙が目についた。

 

「何だ、これ?」

 

反則切符かと思ったが、封筒に入れられているため違う。ハルトマンが手に取ってみるも興味がないのか、すぐにバルクホルンに渡した。

 

「何でこんなものが?」

 

訝しげに封筒を見るバルクホルン。裏返して宛名を確認した途端、彼女の表情が僅かに険しくなった。

 

「どったの?」

 

ハルトマンも自分の目で確かめる。

 

「ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ殿?」

 

「ミーナ宛?」

 

ミーナに宛てられた手紙。バルクホルンは嫌な胸騒ぎを覚えた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

同時刻、501基地宿舎――

 

「あっ……坂本少佐」

 

自身が最も敬愛する上官の後ろ姿を廊下で見つけたペリーヌ。何故か廊下の角へ隠れて、そっと様子を窺う。 彼女は今日も眼鏡ではなくコンタクトである。慣れないが故につけるのに時間がかかり、部屋を出るのが遅れてしまっていた。尤もそのおかげで坂本を見つけられたのだが。

 

(はっ!私ったら、何をコソコソと……堂々とすればいいんですわ!堂々と!)

 

隠れる理由など無いことに気付いたペリーヌは坂本の後を追いつつ、心の中で自問自答を始める。

 

(いつから私は物陰からコソコソと真似ばかりするようになったんでして?そうよ!宮藤さんですわ!あのちんチンチクリンの豆狸が現れてからというものっ!少し前まで坂本少佐の隣に居たのはわた……いえ、宮藤大尉でしたわね)

 

宮藤兄妹相手に二度の敗北を喫していることに気付いたペリーヌはガックリとする。芳佳はともかくとして、ずっと坂本の近くにいた優人には勝つことは容易ではない。

ペリーヌの中では、坂本に向けているものと同質の感情が優人に対して芽生えつつある。しかし、彼女はそのことをあまり自覚していない。

 

「あの、坂本少佐。今度、私に左捻り込みを教えて頂くという約束を……」

 

ガチャッ!

 

「……ん?」

 

ペリーヌは思い切って坂本に話し掛けるが、一瞬遅かった。坂本はペリーヌに気付かず、誰かの部屋へと入っていった。

 

「へっ!?」

 

ペリーヌは慌ててドアに駆け寄り、ネームプレートを確認する。プレートには『YOSHIKA.MIYAFUZI』とある。つまり、芳佳の部屋だ。

 

「ここは宮藤さんの?どういうことですの!?坂本少佐が何故あのチンチクリンの部屋に!?まさか!?」

 

いつぞやと同じように、ペリーヌの脳内を悩ましい妄想が駆け巡った。

 

『もう逃がさないぞ。私の芳佳』

 

『坂本さん、ダメです。あなたにはお兄ちゃんというものが――』

 

『そんなこと言う口はこうして……』

 

『あっ……』

 

以上、妄想終了。

 

「あ……あ、あの豆狸いいいいいぃ!!」

 

勝手な妄想を抱き、理不尽にキレるペリーヌであった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

一方、扉一枚向こう側にある芳佳の部屋では芳佳と坂本が向かい合っていた。

 

「あの、お話って?」

 

突然の坂本の訪問に芳佳は戸惑いつつも、用件を訊ねる。

 

「ん、楽にしろ。自分の部屋だろ?」

 

そう言う坂本も言葉の調子が外れている。彼女の態度に違和感を感じるも、芳佳は「はい」と言われた通りにする。

坂本は一つ咳払いをしてから口火を切る。

 

「よくやった!」

 

「えっ?」

 

「昨日の戦いだ!初戦果だったろう?」

 

坂本は教官という立場上、芳佳やリーネに対して叱ることが多く、誉めるのはあまり得意ではない。

こういうことは優人やミーナの方が上手いな、と坂本は自身の不器用さに内心呆れる。

 

「あっ……はい!」

 

漸く誉められていることに気付いた芳佳は、パッと表情を輝かせる。

 

「でも、それもみんな坂本さんが鍛えてくれたおかげです!これからもいっぱい、いろんなことを教えて下さい!よろしくお願いします!」

 

と、深々とお辞儀をする芳佳。

 

(もっと頑張らないと!頑張ってお兄ちゃんや坂本さんみたいにならないと!きっとお兄ちゃんは、私がまだまだ甘えん坊で頼りないから厳しくしてるんだ!いつまでも甘えてちゃダメ!もっと頑張って、強くなって、お兄ちゃんと同じくらいすごいウィッチにならなきゃ!)

 

人々を守るとは別に『兄や坂本と肩を並べられるくらいのウィッチになる』という目標を芳佳は密かに抱く。

慢心した様子は一切見られず、更なる指導を求める教え子に、坂本は目頭が熱くなるのを感じた。僅かに瞳を潤ませたかと思えば、いつものように高笑いをする。

 

「はっはっはっはっはっはっ!よく言ったぞ芳佳!確かにお前はまだまだ尻の青いヒヨッコだ!初戦果など序の口に過ぎん!これから一層ビシビシしごいてやらねばならんな!」

 

(あれよりも厳しくなるの?)

 

坂本の話を聞くうちに、芳佳の表情が段々と暗くなっていく。改めてご指導願ったことを早くも後悔し始めていた。

 

「そうだ!では、さっそく明日から訓練メニューを三倍に増やそう!」

 

「うえぇぇ~!?」

 

芳佳は思わず悲鳴を上げる。坂本のスパルタ式指導は時に脱落者を生むほど過酷。そのさらに三倍など、きついなんてものではない。

 

「何だ、その顔は?」

 

「い、いえ!頑張ります!」

 

坂本に睨まれた芳佳は反射的にと気を付けの姿勢になる。

 

「そうだ!それでこそ扶桑の撫子だ!はっはっはっはっはっ!」

 

「……な、なんて羨ましい」

 

ドアの向こう側では妄想の世界から帰還したペリーヌが話を盗み聞きし、嫉妬に胸を焦がしていた。

 

「あの~?」

 

「ひっ!?」

 

芳佳に用があって部屋の前まで来ていたリーネが背後から声を掛ける。やましいことがあるペリーヌは思わず飛び上がった。

 

「ど、ど、どういたしましたのリーネさん!?」

 

ペリーヌが慌てた様子でリーネに振り返る。その挙動不審ぶりが恐ろしかったのか、リーネは飛び跳ねるような早歩きで数歩後退し、ペリーヌから距離を取った。その時だった。

 

ガチャッ!

 

「へっ?あぁ……っ!?」

 

不意にドアが開かれる。ドアに体重を掛けていたペリーヌは、そのまま勢い良く芳佳の部屋の中へ倒れ込んだ。

 

ゴンッ!

 

ペリーヌはもろにおでこを床にぶつけ、鈍い音が廊下に響いた。

 

「ペリーヌ?リーネ?お前達何やってんだ?」

 

ドアを開けた張本人――坂本は、ペリーヌとリーネを交互に見ながら問う。

 

「えっと、あの……ペリーヌさんが――」

 

「がるるるっ!」

 

リーネに睨み付け、唇の前で人差し指を立てながら唸るペリーヌ。おでこは赤く染まり、ぶつけた痛みで涙目になっている。

 

「ひっ!?」

 

怯えたリーネは可愛らしい悲鳴を上げ、もう一歩後退する。

 

「あっ!どうしたのペリーヌさん?おでこ真っ赤だよ?」

 

芳佳はペリーヌの顔を覗き込むと、赤くなった彼女のおでこに優しく手を添える。

 

「なっ!……何なさいまして!?何でもありませんわ!」

 

驚いたペリーヌは思わず怒鳴り返すと、尻餅をついたまま芳佳から距離を取る。

 

「ちょっと熱っぽくない?」

 

ペリーヌのおでこに触れた右手を己の額に当て、熱を計る芳佳。

 

「ほ、ほ、ほっといて頂戴!」

 

動揺のあまりペリーヌの声が一段と高く、大きくなる。

 

「さぁさぁ、訓練の時間だぞお前達!」

 

坂本が自らの両手をパンパン、と叩きながら言う。

 

「そうだ!それで芳佳ちゃんを呼びに来たんだっけ?」

 

リーネはペリーヌの奇行のせいで忘れていた用事を思い出した。

坂本は少々呆れたように小さな溜め息を吐くと、声を張り上げた。

 

「なら、ささっと準備にかかれ!」

 

「「「はっ、はい!」」」

 

怒声を飛ばされた三人は、脱兎の如きスピードでハンガーに向かった。




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