この度は、読者の皆様に多大な御迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした!
これからも私、u-yaの作品を何卒よろしく御願い致します!
(なんで……どうしてなの?……)
宮藤芳佳は唇を噛み締めながら、石畳の上を歩いていた。ベイカー兄妹との邂逅によって、彼女が味わったもの――それは挫折だった。故郷の横須賀を旅立って以降、彼女が経験した大きな挫折は3つ。
1つは、航空母艦『赤城』を旗艦とする扶桑皇国海軍遣欧艦隊が大型ネウロイの奇襲に見舞われた時のこと。この時点で、芳佳はまだ航空歩兵ではなかった。その上、治癒魔法のコントロールすらまともに出来ずにいた。ネウロイと戦うことも負傷兵の治癒も満足に行えなかった自分が、どうしようもなく無力に思えた。
1つは、自らの独断専行が原因で大好きな兄――宮藤優人に大怪我をさせてしまった時のこと。最も近しい人間の負傷という事実により、精神的な動揺が激しくなっていたため、芳佳は治癒魔法のコントロールは疎か、一時的ではあるが魔法力そのものが著しく弱体化していた。リーネに背中を押され、さらにペリーヌからも叱咤激励があってどうにか立ち直り、危篤状態の優人を助けるに至った。あのまま兄が死んでしまっていたら、そう考えると今でも恐怖で身体が震える。
そして、もう1つはつい先程。ウェンディ・ベイカーというひとりの少女と出会った芳佳は、自分の技術と知識、魔法力を総動員しても助けられない重病人が――成す術もなく、死を待つだけの人間がいる。その現実を突きつけられた。
かつて芳佳と彼の兄――優人は、「自分達兄妹の魔法が届く距離にいる全ての人々を守る」と、バルクホルンに語っていた。バルクホルンの救助中の出来事というのも相俟って、兄妹揃ってかなりの熱が声音に込もっていた。映画や小説の中で主人公が言いそうな臭い台詞。思い出すと少し気恥ずかしくなるが、口にした言葉に嘘偽りなどはなかった。
だが、現実はそんなに甘くない。どれだけ強大な魔法力を有していようと、自分と兄は10代の少年少女に過ぎない。完全無欠の完璧超人でもなければ、全知全能の神でもない。死病を患ったウェンディのように、助けられない命だって必ず存在する。頭では理解している。しかし、感情が納得しない。
治癒魔法は魔法力の強さやコントロールはもちろん、医療知識を有しているかどうかで効力が違ってくる。薬の効能を強化する等、応用も利く。
自分に必要な知識があれば、これらを利用して瘴気病を治すまではいかなくとも症状の緩和、進行を遅らせるくらい出来たのではないか。
訓練と家事の合間に、少しでも医学を学んでおけばよかった。芳佳は後悔する。
挫折感や慚愧の念が、世界から見放されたと思えるほどの凄まじい絶望感に変換され、津波の如く押し寄せてくる感覚を味わえるのは、思春期の若者の特権であろう。
それは、まだ自分の手触りを持って世界を変えられるという万能感の裏返しでもある。見方によっては自惚れや傲慢とも受け取れるが……。
「芳佳ちゃ~ん!」
ふと聞き覚えのある、可愛らしい声が耳朶を打った。ハッと現実に還った芳佳が声のした方へ視線を走らせると、一緒に買い物に来ていた友人――“リーネ”ことリネット・ビショップが、息を切らしながら走ってくるのが見えた。
「リーネちゃん!」
「や、やっと……見つけた……」
駆け寄ってきたリーネは両膝に手を置き、前屈みの姿勢となって芳佳を見上げる。
芳佳を見つけるためにかなり走り回ったのだろう。リーネは乱れた呼吸を整えつつ、汗で額に張り付いた前髪を直した。
「急に見当たらなくなったから、心配したんだよ?」
「ごめん、リーネちゃん!」
顔の前で拝み手を作り、芳佳はばつが悪そうな表情で謝罪の言葉を述べる。
迷子になってしまったのはもちろん、ひったくりの被害に遭った辺りから今の今までリーネの存在を忘れしまっていたことに対しても申し訳なく思っている。
「ううん、芳佳ちゃんが無事なら私は……って、それどうしたの!?」
漸く芳佳を見つけてホッとしたのも束の間。リーネは友人の頭に巻かれた真新しい包帯に気付く。
自分と離れている間に一体何があったというのか。リーネは狼狽える。
もし優人がこの場にいて、痛ましい姿の芳佳を目にすれば発狂しかねない。怪我の原因が他者からの暴行だとするなら、重火器を使用した報復も辞さないだろう。
「あはは……これはね……」
芳佳が事の次第を説明しようとした。その時だった。不意に何が芳佳の身体にぶつかった。それに続いて、野良犬が唸るような声が芳佳とリーネの鼓膜を刺激する。
「おい!どこ見てやがんだ、このクソガキ!」
怒鳴り声に反応して、2人は視線を走らせる。目線の先には、もろチンピラですと言わんばかりに柄の悪い連中がいた。
彼らと顔を合わせるなり、「ひっ!?」と短い悲鳴を上げたリーネは、反射的に芳佳にしがみついた。
「いってぇええええ!腕折れちまったぁ!」
芳佳とぶつかったらしい茶髪の男が、左腕を押さえてわざとらしく痛がる。明らかな当たり屋の手口である。ひったくりの件といい、今日の芳佳はやたら犯罪に巻き込まれる。厄日なのだろうか。
続いて、隣に立っていたスキンヘッドの男が芳佳達を鋭い視線で睨み付けてきた。
「おい!お前が突っ立てたせいでダチが怪我しちまったじゃねえか!当然慰謝料払ってくれるんだろうな?」
スキンヘッドの言葉を合図に、他の男達が芳佳とリーネを取り囲んだ。
数は10人前後といったところか。全員の瞳から、アウトロー特有の凶暴が垣間見える。何人かはナイフを手に取り、軽く振り回すことで2人の航空ウィッチを脅迫していた。
「そんなっ……ぶつかってきたのはそっちじゃないですか!それに、ちょっとぶつかったくらいで腕が折れるなんてことありません!」
理不尽極まりない物言いに反論しつつ、芳佳はキッと男達を睨み返す。
一方、リーネはどうにかして逃げ道を探そうと頭をフル回転させていた。
「人に怪我させておいてその態度、躾がなってねぇなぁ」
「腕を折ってくれた礼に、一つ教育してやるか」
茶髪の男が折れたはずの左手でナイフを取り出し、芳佳の鼻先へと向ける。
「腕が折れてたらナイフなんて握れません!嘘つかないでください!」
「おいおい、今度は嘘つき呼ばわりか?つべこべ言ってねぇで、さっさと慰謝料払いな!」
「嫌です!芳佳ちゃんは何もしてません!ぶつかってきたのはあなたの方です!」
小動物の如く震えていたリーネが、庇うようにして芳佳の前に出る。友達を守らんとする意思の宿った力強い瞳で茶髪の男を見つめ返す。
気弱な性格故に争い事が苦手なリーネだが、大切な人間や信じた人間のためならば、全てを投げ打つ強さと覚悟を持っている。聞こえて
基本的な性格は変わらないながらも、胸の奥底に秘められていた彼女の芯の強さが、宮藤兄妹の影響もあって最近は全面に出るようになっていた。
「黙ってろデカ乳!てめぇに用はねぇんだよ!」
スキンヘッドの男が、粗暴かつ下品な物言いでリーネを罵倒する。
「もしかして、お友達の代わりに君が身体で払ってくれるのかなぁ?」
また別の男がリーネに近付き、彼女の胸に手を伸ばしてきた。
3人目の男はセンスの悪いアロハシャツを着た浅黒い肌の持ち主で、チンピラ達の中では一番軽薄な印象を受ける。
「きゃっ!?」
「リーネちゃん!」
下卑た笑みを浮かべるアロハシャツの男から親友を守るため、芳佳はリーネと入れ替わるようにして前に出た。
当たり屋という手法で因縁をつけてきた目の前のチンピラ達は、2人を解放するつもりは毛頭無いようだ。
芳佳やリーネよりもずっと背が高く、ガタイの良い男が約10人。そのうち4人は刃物を所持している。か弱い10代の少女2人で何とかなる相手ではない。
身体強化魔法を使えば容易く撃退できるのだが、芳佳とリーネは対人戦の経験はもちろん、殴り合いの喧嘩すらした経験がない。力の加減が分からず、相手に大怪我をさせてしまうだろう。
「芳佳さん、リーネさん!あなた達何をしているの!?」
ふと声楽家を連想させる澄んだ声が、芳佳とリーネの耳朶を優しく撫でた。
チンピラ達でできた囲いの外へ目をやると、第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』の頼れる美しき司令――ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐が心配そうに2人を見据えていた。
「ミーナ隊長!?」
「どうしてここに!?」
芳佳とリーネが順に訊ねるも、ミーナが答えるより先に当たり屋をしてきた茶髪の男が彼女に詰め寄った。
「あんた保護者さん?そこの娘がさぁ……俺にぶつかってきたんだけど?おかげで利き腕が動かなくってさ。そんなわけで慰謝料払ってもらえる?」
安くは無いけど、と付け加えて男はナイフを指先でくるくると回転させる。
「あんた、かなりの上玉だなぁ」
と、アロハシャツの男が舐めずりしながらミーナの身体を観察する。
カールスラントの制服越しでも分かる凹凸のハッキリしたモデル顔負けのスタイルと全身から醸し出る女性特有の色香が、己の欲望に忠実なチンピラの興味も引いたらしい。
「今夜暇?一晩付き合ってくれたら、ぶつかったことは水に流してもいいんだけど?」
アロハシャツの男はミーナの肩にそっと手を置くが、即座に平手打ちでパシンと弾かれた。
「触らないでちょうだい」
「おい!」
茶髪の男は間合いを詰めると、ナイフの刃をミーナの白い首筋に押し寄当てた。
「なめんなよ“オバサン”、こっちが腕が動かねぇつってんだ。大人しく慰謝料払いな!」
ドスの利いた声でミーナに脅しをかける茶髪の男。しかし、彼は自らの失言にまったく気付いていなかった。
「今なんて?」
そう訊くミーナは、ニッコリと形の良い唇で曲線を描き、いつも通りの柔和な笑みを浮かべている。だが、目が笑っていない。
「ああ?」
「今、なんと仰ったのかしら?正直に答えてくださる?」
ミーナと茶髪の男のやり取りを見て、リーネは青ざめていた。彼女は気付いていたのだ。いつも優しいミーナ中佐の目付きが、まるで獲物を前にした狼のそれに変わっていることに……。
「言っとくけどな、オバサン。あんまり調子乗ると……ぶっ!?」
それは一瞬の出来事だった。茶髪の男が途中で言葉を切ったのかと思えば、立っていた場所より数メートルほど引き飛ばされ、レンガ造りの壁に叩きつけられた。
さらに茶髪の男をよく見てみると、左頬が大きく腫れ上っているのが確認できる。尋常じゃないほど強い力で殴り飛ばされたかのようだった。
「ふぇ?」
「…………」
芳佳は何が起きたのか分からず、不思議そうに首を傾げているが、状況をしっかりと理解しているリーネは全身を小刻みに震わせていた。
「うふふ♪うふふふふふふふふ♪」
慈愛に満ちた聖母の如く、美しい微笑を浮かべているミーナ。しかし、その笑顔からは静かながらも激しい怒りが滲み出ている。
「芳佳さん、リーネさん」
突然のことに唖然とするチンピラ達を他所に、ミーナは芳佳とリーネに声をかける。
「ここは私に任せて、あなた達は基地に帰りなさい」
「はっ、はい!」
形容し難い恐怖と圧力を肌で感じ取ったリーネは、直立不動の姿勢で応じ、芳佳の手を引いた。
「芳佳ちゃん、行こう!」
「えっ?でも、ミーナ中佐が――」
空気を読んだり、他者の気持ちを汲み取るのが苦手な芳佳。それ故にミーナを心配する必要がないこと。今この場で本当に危険な状況にあるのは誰なのか。まったく理解できていない。
一方、実は観察能力と危機回避能力が高いリーネ。これから何が起きるのか。魅力的な笑顔の裏で怒りの炎を燃やしているミーナが何をするつもりなのか。自分と芳佳に絡んできたチンピラ達がどんな目に遭うのか。
それらを正しく認識している彼女は、1秒でも早くこの場を離れたい衝動に駆られていた。
「ミーナ中佐なら1人でも大丈夫だから。ほら、早く!ロフティング先生に頭の怪我を診て貰わなきゃ行けないでしょ!」
「わわっ!リーネちゃん!?」
リーネの腕力は、普段の彼女からは想像できないほど強かった。芳佳は戸惑いつつも、リーネに引っ張られる形でその場を後にした。
「さて……」
手を振って可愛い部下2人を見送るミーナ。芳佳とリーネの姿が見えなくなったところで振り返り、改めてチンピラ達と対面する。
人数で言えば圧倒的に有利なはずのチンピラ達の顔からはすっかり笑みが消え失せ、代わりに嫌な冷や汗が伝っていた。
「あなた達のような悪い子には、おしおきが必要ね。うふふふ♪」
ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐。カールスラント空軍第3戦闘航空団及び連盟空軍第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』の司令を務める世界的エースウィッチ。
柔軟な思考と臨機応変さを持ち合わせる優秀な指揮官であり、代々音楽家を輩出した家系故か気品に溢れ、物腰優雅で柔らかい。
常に母性と優しさを湛えた笑みを絶やさず、滅多な事では怒らない。が、怒らせてしまうとネウロイよりも恐い。
――絶対にミーナ中佐を怒らせてはいけない。
それは、彼女が指揮する部隊における暗黙の了解であった。
◇ ◇ ◇
30分後、第501統合戦闘航空団基地――
バスを利用して帰路に着いた芳佳とリーネ。最寄りのバス停で下車し、そのまま徒歩で基地へと戻ってきた。
2人を最初に迎えたのは、リベリオン製のジープに乗ったミーナと坂本だった。
昼間。優人らがネウロイを撃退した直後、彼女達も所用で外出していた。なんでも、ノイエ・カールスラントから送られてきた大切な配送物を受け取りに出掛けていたらしい。
用事を終え、バザーに寄り道――坂本はジープで待っていた――していたところ、偶然チンピラに絡まれている芳佳とリーネを見つけたそうだ。
「2人共、災難だったわねぇ」
手にこびりついた深紅の液体――おそらくは返り血――
をハンカチで拭き取りながら、ミーナはフゥと軽く息を吐いた。清楚さを連想させる純白の布地が、真っ赤に染める。
「あのミーナ中佐、大丈夫でしたか?」
敬愛する上官を心配そうに見つめる芳佳が、恐る恐る訊ねた。対して、ミーナは柔らかな笑顔で返した。
「ふふ♪心配しないで。あの人達、ちゃん分かってくれたから大丈夫よ♪」
ミーナの言葉に、芳佳はホッと胸を撫で下ろす。リーネとしては、上官の逆鱗に触れたチンピラ達がどうなったのかが気になって仕方なかった。
少なくとも、話し合いの類いで解決したわけではなさそうだが、“触らぬ神に祟りなし”と扶桑の諺にもある。リーネは敢えてそのことには触れなかった。
「それよりも、芳佳さんこそどうしたの?その包帯」
一瞬で部隊指揮官の――どちらかと言えば保護者の――顔となったミーナが、真剣な眼差しで頭の怪我について訊ねる。
「怪我をしているのか?」
「えっと……これは……」
ミーナに続き、坂本も問いかける。一体どこから説明したものか。芳佳が頭を悩ませていると、正門の方からバルクホルンが駆け寄ってきた。
「ミーナ!少佐!よかった、帰ってきたのか!」
「トゥルーデ、どうしたの?そんなに慌てて」
「何だ?我々の留守中に何か問題でも起きたのか?」
血相変えて走り寄ってきたバルクホルンを、ミーナと坂本は怪訝そうに見返す。
バルクホルンは坂本の問いに「ああ、緊急事態だ!」と頷き、数瞬間を置いてから再び口を開いた。
「あの親子に休戦協定を結ばせてくれ!」
◇ ◇ ◇
数分後、501基地格納庫――
「待ちやがれ!このクソ親父!」
ウィッチーズの愛機であり、各国の主力ストライカーユニットが格納されている501基地格納庫。
出撃時には各々のメーカーで製造された魔導エンジンが一斉に唸り声を上げるこの場所で、少年の怒号が木霊する。
それ同時に凄まじい熱気が放たれ、格納庫内を満たしていた。
「優人、話し合おう!話せば分かる!」
悲鳴とも説得ともつかない言葉を発しているのは、芳佳の父で“ストライカーユニットの父”と渾名される天才技術者――宮藤一郎である。
着ている服のあちこちを焦がしながら、格納庫内を必死に逃げ回っている。
「あっはっはぁ~!汚物は消毒だぁ~!」
どこかで聞いたような台詞を叫びながら一郎を追いかけているのは、彼の息子にして芳佳の兄でもある扶桑皇国海軍大尉――宮藤優人。
彼はカールスラント製のM35火炎放射器を背負い、全力で逃げる父に早歩きで迫りながら、辺りに火炎を撒き散らしている。
基本的に温厚で、重度のシスコン且つ筋金入りのおっぱい星人であることを除けば501部隊屈指の常識人――前述の特徴がある時点で常識人かはかなり微妙――である宮藤優人。
そんな彼が、何故怒りで目を血走らせながら父親に向けて――それもストライカーや武器弾薬が置かれている格納庫内で、火災や誘爆の危険を顧みずに火炎放射器を振り回しているのか。
しかし、記憶を失くし天涯孤独同然だった自分を引き取り育ててくれた父親であり、偉大な実績を誇る凄腕の技術者でもある一郎を汚物呼ばわりとは。そもそもカールスラント製の火炎放射器など、優人は一体何処から持ち出したのだろうか。
「ほぇ~……」
「…………」
宮藤親子の様子を呆然と眺めているウィッチが2人。フランチェスカ・ルッキーニとシャーロット・エルウィン・イェーガーた。
まだ洗濯に出した衣類は乾いていないらしく、シャーリーは未だ優人から借りたワイシャツを着用していた。シャツは第2ボタンまで外され、白く豊かな谷間が覗いている。
「ねぇシャーリー。優人とイチローパーパ、追いかけっこしてるの?」
ルッキーニは宮藤親子の様子に目をぱちくりさせながら
シャーリーに訊ねる。
「ま、まぁ……追いかけっこと言えばそうだな。火炎放射ありの……」
無邪気な質問をするルッキーニに対し、シャーリーは引き攣った笑みを浮かべて応じる。
その直後、バルクホルンがミーナと坂本を引き連れて格納庫に飛び込んできた。
芳佳とリーネの姿はなかった。ミーナからロフティング医師に頭の怪我を診てもらうよう言われた芳佳は、上官達と別れて医務室へと向かった。リーネはその付き添いである。
「これは?」
「あぁ、もう……」
格納庫内の惨状を目の当たりにした航空団司令と戦闘隊長はそれぞれの反応を見せた。坂本は驚愕に目を見開き、ミーナは利き手で頭を抑えてうんざりといった感じの表情をしている。
「バルクホルン、どうしてこんなことになった?」
坂本はバルクホルンへと視線を移して問い掛ける。自分の戦友と恩人が盛大な親子喧嘩を繰り広げているとの報せを聞き、基地正門から格納庫まで急行した彼女とミーナ。だが正直言って、喧嘩というより一郎が一方的に襲われているように見える。
「それなんだが……」
バルクホルンが躊躇いがちに口を開いた。早い話が、信頼性や安全性を度外視した試作型魔導エンジンの実験台にされて2度も死にかけた優人が怒り狂い、激情に任せて開発者の父親に襲いかかった……というものだ。
危険極まりない試作エンジンのテストを息子にやらせる父親も父親だが、怒りで自制心を失い、丸腰の人間相手に軍用兵器を持ち出す息子も息子である。
「む……なるほどな。大体の事情は呑み込めた」
「感心してる場合じゃないわ!早く優人を止めないと!シャーリーさん!ルッキーニさん!あなた達も手伝って!」
無駄に落ち着いている坂本に対し、突っ込みを入れるミーナ。同時に表情が指揮官のそれへと変化し、彼女は隊員達に指示を出す。
(マロニーが解任された後で本当によかったわ……)
ウィッチーズに取り押さえられる優人の姿を据えながら、ミーナは深い溜め息を零した。
第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』の司令を務めるカールスラント空軍中佐――ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ。彼女の頭痛と胃痛はトレヴァー・マロニー空軍大将の更迭後も当分は続きそうだ。
周りに多大な迷惑を掛けた結果。扶桑海軍の大尉は航空団司令の中佐殿からお叱りの御言葉を賜り、罰として501が正式に解散するまで間基地のトイレ掃除を1人やる嵌めになった。
やらかしたことに比べて随分と寛大な措置だが、これは一郎の方にも非があったことや、優人には普段からデスクワークの手伝いをして貰っている恩があること。それらを鑑みたミーナの意向が働いたためだ。
どうにかマッドサイエンティスト……もとい、父親への怒りを収めて平静を取り戻した優人だが、その直後にロフティング医師の診察を終えた芳佳が、遅れて格納庫にやって来た。
頭に包帯を巻いた妹を見て、激しく動揺したシスコン兄貴は、事情を知るなりS-18対物ライフルと九九式二号二型改13mm機関銃2挺、勝手に持ち出したサーニャのフリガーハマー等で武装し、妹を傷物にしたひったくりへの報復に向かうとしていたのは言うまでもない。
◇ ◇ ◇
その夜、基地宿舎宮藤兄妹の部屋――
「もう、お兄ちゃんは怒りん坊なんだから……」
ベッドの端に腰掛けた芳佳が、呆れたような口調で呟く。夕食と入浴を終えた宮藤兄妹は部屋に戻っていた。
寝間着に着替え、いつもなら就寝時間までおしゃべりをしている二人だが、今日は芳佳からの軽いお説教から始まった。
「いや、だって……お前に怪我させたヤツが許せないし……」
すぐ隣に座っている優人は唇を尖らせ、不満げな口調で反論する。いつも妹や後輩達の前では大人らしく振る舞っている彼だが、今日はなんだか子どもっぽい。
ルッキーニほどではないが、宮藤兄妹は年齢よりも幼い一面を持っている。普段はそういった部分をおくびにも出さない――強いて言えば、お子様舌なところか――優人だが、今日は父親関係でいろいろあったから、そのストレスかもしれない。
「だとさしても暴力はダメだよ!仕返しするつもりなら、もうお兄ちゃんとはお話しません!」
ぴしゃりと言い放つ芳佳。こちらはなんだか悪戯した生徒を叱りつける新任教師といったところか。尤も、御世辞にも学業面の成績が良いとは言えない芳佳が、誰かに教鞭を執る姿など想像出来ないが……。
「う……わかった。何もしないよ……」
優人はあっさり言い負かされてしまう。扶桑皇国海軍が誇る世界的エースも、妹の前では形無しだ。
芳佳は兄の暴力的な一面に難色を示しながらも、優人が自分の為に本気で怒ってくれることを嬉しく思っていた。
「ところで、お前に応急処置をしてくださったベイカーさんはこの近くに住んでいるのか?お礼を言いに行きたいんだけど……」
「あっ…………」
優人に訊かれ、芳佳は思い出したように小さく声を上げる。兄の質問に答える代わりに、妹は影のかかった表情を下方へと向けた。
「…………何か、あったのか?」
表情を曇らせた妹を見て何かを察した優人は、芳佳の顔を心配そうに覗き込みながら重ねて訊ねる。
芳佳は少しだけ逡巡する素振りを見せながらも、コクンと小さく頷く。
「あっ……」
ふと優人の右手が芳佳の頭に置かれる。傷を刺激しないように気を付けながら、髪を梳くように優しく撫でる。
「何があったか話してくれないかな?」
口元に優しげな微笑を湛え、優人は穏やかな口調で諭すように語りかける。
妹が暗い顔をしている時の対処方の一つであり、こうされると芳佳はとても心地好い気分になり、周りに隠している秘密も大概は素直に話してしまうようになる。
「うん、実はね……」
芳佳はおもむろに口を開き、今日街に出て起きたことをすべて話した。
ベイカー兄妹との出会い。妹のウェンディ・ベイカーが“瘴気病”という死病に冒され、余命幾ばくもないという残酷な事実。そのことを告げられ、兄のヘンリー・ベイカーから「妹が死を受け入れられなくなる」「もう来ないでくれ」と言われたこと。
「なるほど。ガリアの難民の中に瘴気病の患者が……」
顎に右手を当てた優人は確認すように、または噛み締めるかのような口調で話の概要を整理する。
「なんとかしてウェンディちゃんを助けたいの!でも……」
伏せていた顔を上げ、語気を強めた声音で芳佳は自らの想いを口にする。しかし、またすぐに伏し目がちとなり、声遣いも弱々しくなる。
「私、まだまだ上手く治癒魔法を使えないし。それに怪我の治療ばかりで病気の治療は経験してないから……」
自身の考えをゆっくりと語る芳佳の声が、終わりに近づくにつれて段々と小さく、聞き取り難くなっていく。すべて言い切る前に声は完全に消えてしまったが、兄である優人は可愛い妹の心境をしっかりと理解していた。
「…………そうか……」
自分の力では助けたくても助けられない。瘴気病に限らず、死病というのはそういうもの。故に死病と定義付けられている。
どれだけ力を尽くそうと、どうにもならない。そんな事例は、この世に五万と存在する。決して妹に非があるわけではない。だが、そうだと受け入れ、心を切り替えることが出来ないのが宮藤芳佳だ。
これまで優人は、落ち込んだり悩んだりしている芳佳の姿を何度も見てきた。その度に心を曇らせた彼女をいじらしく思い、兄は妹を励ましてきた。しかし、今回は問題が問題なだけに掛ける言葉が見当たらなかった。
自分が行動を起こせば何か良い方法が見かり、死病を抱えた少女の運命を変えられるのではないか。今この瞬間も、芳佳はそんなことを考えているのだろう。優人には分かる。
「芳佳……」
妹の名を呟きながら、優人は芳佳の頭にそっと右手を乗せる。痛まないよう気を遣いつつ、スゥ~ッと頭の包帯を撫でた。
自分と違って治癒魔法という救済の力を持って生まれた妹。自らが負った傷を治すことは出来ない。ましてや、心の傷となれば尚更。
(せめて、頭の傷くらい治してやれたらな……)
ふと優人はそんなことを思う。己の無い物ねだりに自嘲しながらも包帯に覆われた傷へ手を翳し、治癒魔法を使う自分の姿をイメージしてみた。その時だった。
突如優人の手から青い光が発せられ、包帯越しに傷口を包み込んだ。その温かな光は、芳佳や彼女の母・祖母が有する治癒魔法のそれであった。
「え?」
「……へ?」
突然のことに頭が追い付かず、兄妹は揃って間の抜けた声を漏らす。傷口を覆った光はやがて消滅し、それと同時に痛みも頭から消えていた。
まさかと思った芳佳は、すぐさまチェストから手鏡を取り出した。包帯を取りさって鏡越しに頭部を確認してみる。驚いたことに傷が綺麗になくなっていたのだった。
「こ、これって……」
目の前で起こった予想外の出来事に、芳佳は驚愕のあまり両目を見開いた。傷痕を残さず怪我が完治したのは嬉しいが、喜びよりも驚きの方が勝っていた。
攻撃魔法を扱うはずの兄が、自分や母達と同じ治癒魔法を使ってみせたのだ。それも秋元家――二人の母方の家系――伝統の強大強力な治癒魔法だ。
「お兄ちゃん!」
呆然と鏡を見つめていた芳佳だったが、しばらくしてハッと我に還り、優人にズイッと顔を寄せてきた。
「これって、どういうこと!?今のって治癒魔法だよね!?治癒魔法は使えないんじゃなかったの!?」
本来持っていないはずの治癒魔法を、どういうわけか使えた。その事実に驚愕と興奮を禁じ得ないらしく、芳佳は捲し立てるかの如く質問攻めを行う。
「えっと~、俺にも何がなんだか……」
妹の剣幕にたじたじな優人。彼が治癒魔法を使ったのはこれが初めてではない。ガリア解放以前に、サーニャがおにぎり作りで指に軽い火傷を負った際も同じことがあった。
基地から脱走した芳佳が単身で人型と接触を図った時も、シャーリーの固有魔法『超加速』を無意識に発動していた。
ネウロイの巣がガリアに陣取っていたうちは戦闘やら、その他の軍務やら、軍上層部――トレヴァー・マロニー大将と彼の一派――の対応やらで忙しく、じっくり考える暇も無かったが、冷静に考えれば妙な話だ。
理由や仕組みは分からないが、優人は他人の固有魔法をトレースすることが可能らしい。何故そんなことが出来るのかは、本人にもまったく分からない。
(一体、どういうことなんだ?)
自分の身に起こった事態に、優人はただ困惑するだけだった。
この力は一体何なのか。後に力の正体と共に判明した事実は、優人の存在を根底から覆すものであった。
リーネファンの皆様へ。チンピラは彼女(のおっぱい)に手を伸ばしはしましたが、触れてはいません。御安心ください。
感想、誤字脱字報告をお願い致します。