1944年9月某夜、ブリタニア首都ロンドン――
ロンドン市内サヴォイ・ホテルにてブリタニア政府主催のパーティーが華やかに行われていた。
華美と贅沢と社交という名の厚化粧の下に、利権や打算や私欲で満ちた素顔を覆い隠し、ワインを片手に心にも無い世辞を交わし合う。
政財界のパーティーなどには、イメージが染み着いている。このホテルで催されているものも例外ではない。ブリタニア首相をはじめとする国の有力者達が参加するとあっては尚更だろう。
パーティーは盛況だった。ドレスと宝飾品で身なりを整えた女性達が会場に華を添え、礼服――或いは軍の制服に身を包んだ男性達が、あちらこちらでグラスを傾けながら、談笑に花を咲かせていた。
招待された全員が名だたる政治家、財界人、要職に就いている軍高官と相伴である。一つの会場に収まるにしては豪華過ぎる顔触れの中には、カールスラント空軍中佐にして、第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』の司令――ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケもいた。
亡き想い人から数年越しに贈られた深紅のイブニングドレスを身に纏ったミーナは、同様にパーティーに招待された宮藤兄妹を両脇に引き連れていた。音楽家の家系、そして“女公爵”という渾名に相応しい優雅かつ軽やかな足取りで、会場内を進んでいていく。
「あれが、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ……」
「ガリアを救った501部隊の指揮官……」
「なんと美しい……」
一瞬で魅了された男性達の視線がミーナに集中する。遠巻きに囁き合う彼らの存在に気付くと、501航空団司令は、ニッコリと柔らかな微笑みを返した。
すると、近くにいた男達は群がるようにミーナを取り囲んだ。若手の実業家らしい青年から初老の紳士に至るまで、多くの男性に入れ替わり立ち替わり話し掛けられ、その度にミーナは穏やかな笑顔で応対する。
純粋に女性としてのミーナの美しさに惹かれる者もいれば、彼女の肢体に邪な視線を注ぐ者もいる。だが、幸いなことに馴れ馴れしくミーナの身体に触れるような下劣者はいなかった。
統合戦闘航空団の司令という立場ならば、パーティーへの参加も歴とした“仕事”である。今夜彼女は、チャーチル卿とカールスラント空軍のガランド少将からの要望でステージに立ち、自慢の美声を披露することになっている。
(やれやれ……)
押し寄せる男性陣に弾かれ、司令殿と離されてしまった扶桑海軍大尉は人目を忍んで溜め息を漏らす。
妹や戦友とは違い、優人は半ば普段着となっている扶桑海軍第二種軍装で出席していた。本人曰く、「着なれている分、下手な礼服よりも気を張らないで済む」とのこと。
男性陣に囲まれた上官に目をやると、満更でもなさそうな表情で彼らと歓談しているミーナの姿が見えた。深紅のドレスを着こなすミーナは、優美さと気品に満ちている。
化粧やドレスで着飾った今のミーナは淑女然としていて、カールスラント空軍の制服を着た普段の彼女――統合戦闘航空団司令を勤める才色兼備なカールスラントウィッチと違った魅力を感じる。秀麗、典雅といった言葉がとてもよく当てはまる。
ふと扶桑海軍大尉の視線に気付いたミーナが、彼に向かって(私のことは気にせず楽しんで……)という目配せと、一際美しい微笑を向ける。
いつかと同じく、ミーナの姿につい見惚れてしまっていた。羞恥の熱が顔全体に回り始め、優人は堪らずミーナから目を逸らす。航空団司令は扶桑海軍大尉のウブな反応を見て、クスリと悪戯っぽい笑みを湛えていた。
「ふぅ……」
ボーイに勧められたソフトドリンクを口に含んで心を落ち着かせてから、優人は会場内に視線を走らせた。
パーティーに参加している軍高官の中には、連合軍最高司令部や西部方面総司令部に席を置いている各国将軍等の姿も認められた。
カールスラント空軍のヘルムート・ゲーリング元帥、同陸軍西部軍集団司令官――ゲオルグ・フォン・ルントシュテット元帥。リベリオン陸軍欧州派遣軍総司令官――ドナルド・D・アイゼンハワー元帥。ブリタニア空軍最高指導者の地位を追われ、左遷されたトレヴァー・マロニー大将に代わって空軍の中心人物となったアーサー・デッター大将、新戦闘機軍団司令官兼航空ウィッチ部隊総監――キース・パーク中将。自由ガリア政府指導者――シャルル・ド・ゴール将軍。扶桑皇国海軍遣欧艦隊司令長官にして、優人達501の扶桑組にとって原隊の上官でもある赤坂伊知郎中将等々。
各国の著名な将官が一同に会する様はなんとも壮観だったが、501部隊代表の1人としてパーティーの中盤までにひとりひとりに挨拶して回らなければならないと思うと非常に面倒だった。
パーティーに出席している将官の中には、優人が個人的に苦手と感じる相手も少なからずいる。
(赤坂長官と話してるのって、ガランド少将だよな?)
赤坂とグラスを交わして談笑している長い黒髪の美女は、カールスラント空軍ウィッチ隊総監を務める女性将官――アドルフィーネ・ガランドその人だった。
政財界のパーティーに出席しているというのに、ガランドは他の女性客とは違いドレスを着ていなければ礼服でもない。ミーナや芳佳のような薄化粧すらしていなかった。
軍用ブーツとまるで男性物のような丈の長いズボンを履き、青いシャツの上からカールスラントの飛行服『フリーガー・ヤッケ』を重ねて着ている。
小銃用照準眼鏡『GwZF4』をネックレスのように首から下げているが、さすがにオシャレというわけではあるまい。仮にそうだとすれば、あまりに武骨なアクセサリーを身に付ける彼女のセンスを疑うところだ。
ろくに着飾りもせず、軍務中とまったく同じ実用性重視の――或いは、優人のように本人とって楽な――服装で社交場の現れれば悪目立ちは避けられない気もするが、ガランドが招待客の中で浮くことはなかった。
歴然の軍人としての威厳、ウィッチないし女性としての魅力。加えて、自信に満ち溢れた堂々とした佇まいはミーナ以上に人の心を惹き付けてやまない。
凛と背筋を伸ばした立ち姿は遠目に見てもスタイルが良く、成人を迎えて成熟した美貌は女優やモデルと言っても通用するだろう。
優人や坂本は、本大戦が勃発するよりも遥かに前――扶桑海事変時からガランドと面識があった。同時の優人達は、まだ右も左も分からない新兵。ガランドは、カールスラント空軍コンドル軍団第88戦闘飛行隊に所属する大尉、扶桑皇国大陸領土へ観戦武官として赴任していた。
師であり、直属の上官でもあった北郷章香少佐はもちろん、江藤敏子中佐率いる扶桑陸軍航空ウィッチの面々は皆年長者ばかり。優人や坂本、そして同期入隊の仲間達の瞳には、全員が全員大人の女性として映っていた。
そこへ扶桑撫子とは異なった趣の華やかさを持つ西洋人美女――ガランドも合流し、図らずも健全な男子にとって桃源郷もかくやという夢のような状況が出来上がっていた。
海軍航空ウィザードである前に思春期に入りたての少年でもあった優人は、否が応でも歳上の異性という存在を強く意識してしまい、ドギマギしていた。そのことを察していた陸軍のウィッチ達からは可愛がられ、またからかわれもした。
(おっと、また見惚れちまったな……イカンイカン……)
頭を左右に振りながら、優人は心の中で自省する。取り敢えずは原隊の上官である赤坂に挨拶して、次に芳佳の為にわざわざドレスを用意してくださったカールスラントのウィッチ隊総監閣下へ感謝の念を伝えよう。
「芳佳、あの人がお前にドレスを……あれ?」
隣にいたはずの妹がいつの間にか姿を消していた。キョロキョロと周囲を見回してみると、ミーナと同様男の一団に囲まれている芳佳を視界に捉えた。
件の集団はミーナに群がっている男共よりも年齢層が低い。10代半ばの少年ばかりだ。招待された客人達の子息――政財界の名家の御曹司といったところか。
御曹司は、遥か東方より海を渡ってブリタニアまでやってきた扶桑の魔女に興味があるのか。芳佳に対して挨拶や質問責め……というよりは軽くナンパをしていた。
「しかし、美しいお嬢さんだ」
「あ、ありがとうございます」
「あなたに出会えただけでも、このパーティーに出席した甲斐がありました」
「いえ、そんな……」
「良かったら、今度お茶でもいかがですか?」
「えっ、えっ~と……」
紳士然とした声音で、御曹司達は次々と口説き文句並べる。
芳佳は褒められて嬉しい反面、社交の場に慣れていないがため、どう対応するべきか分からず当惑しているように見える。
或いは、今まで体験したことのない上流階級の雰囲気に圧倒され、萎縮してしまっているのか。
妹への賛辞や誘いが本心なのか。それとも建物で言っているのか判然としないが、扶桑海軍大尉の最愛の妹は、航空団司令殿にも引けを取らないモテっぷりである。
言うまでもないが、離れた場所から妹と御曹司達のやり取りを眺めてる優人の心情は決して穏やかではなかった。
ズンズンと無駄に力んだ足取りで集団の中へ割り込むと、優人は庇うように芳佳の前に立った。
御曹司達は、突然現れた扶桑海軍士官に不快と怪訝を孕んだ視線を注いでいた。
「すみません、妹は初めてのパーティーで気分が優れないようです。御歓談はまたの機会に……」
あくまでも穏やかに柔らかい口調で告げる優人だが、明らかに目が笑っていない。今、彼の顔は悪戯したルッキーニを叱る時のミーナのものと、極めて酷似した恐ろしげな表情をしている。
「そ、そうですか……」
「お、お大事に……」
優人は数々の激戦を潜り抜け、大小様々なネウロイを多数撃破してきた凄腕のウィザードである。
そんな彼から発せられる扶桑刀のように鋭く、シベリアの寒波の如く冷たい殺気に当てられ、すっかり及び腰になってしまった御曹司達。
足早に去っていく悪い虫達の後ろ姿を見送ると、優人は芳佳と向き直る。
「――っ!?」
優人は目を見張った。扶桑海軍大尉の双眸には、彼にとって女神や天女と見間違うほどに美しい妹の姿が映っていた。
華やかながら本人の清楚なイメージとした水色のドレス。小さなポニーテールに纏められた鏡のように輝く梳きながした髪。まだまだ幼い印象を受ける顔立は、唇を鮮やかに染める口紅をはじめとする化粧品で彩られ、数年分は大人びていた。
会場にくるまで優人は何度も目にしているはずだが、それでもパーティーに相応しい装いを纏った芳佳の容貌を見ては度々息を呑み、胸を高鳴らせた。
(あぁ~、神よ。今この瞬間、この幸福に感謝致します)
初見時では気を失うまでに至った優人は、パーティー本番で醜態を晒さぬよう写真や鏡越しに見るなどの即興訓練の末、なんとか無事直視出来るようになった。しかし、相変わらず破壊力抜群らしく、ドレスアップした芳佳の姿を見る度、優人は感極まっている。
「お兄ちゃん?」
無言のまま妹を見つめ続ける優人。芳佳は小首を傾げて、不思議そうに兄を見返す。
「あ、いや……」
気まずそうに逸らした視線を四方八方へ流した後、優人は再び妹と目を合わせ、取り繕うように提案する。
「……ちょっと散歩に行かないか?」
◇ ◇ ◇
同時刻、同ホテルの一室――
その少女は、宮藤兄妹と同じくパーティーに招待されてホテルを訪れていた。
義父が気を利かせて彼女の為に用意した部屋は、VIP専用というだけあって豪華でありながらも落ち着きのある調度品が揃っている。
薪がくべられ、炎がパチパチと小気味良い音を立てている暖炉、純金と宝石類によって縁取られた大きな鏡、壁に掛けられた油彩画、猫脚の風格あるクラシックソファー、高級ワインや氷で満たされたワインクーラーと数本のワイングラスを載せたテーブルセット。すべてが心安らぐ雰囲気を醸し出していた。
「そう。首尾良くいったのね」
一時的に部屋の主となった少女は、鏡の前で身嗜みをチェックしながら部下に報告に耳を傾けていた。
東洋系の美しい顔立ちに薄く化粧を施し、太平洋に存在する扶桑皇国領土『パシフィス島』――扶桑名“南洋島”――発祥の民族衣装に身を包んだ自らの出で立ちを鏡越しに確認すると、彼女は満足気な笑みを口元に湛えた。
この民族衣装。本来は肌色の面積が少ない民族衣装であったが、1920年代に西洋ドレスの影響を受けて様変わりし、腰開きスリットや背中を大きく開いた現在の形が定着していった。
彼女の衣装は特注品で、濃い赤地に鳳凰をモチーフにした金色の刺繍があしらわれ、腰のスリットや背中だけでなく胸元も露出させた大胆なデザインとなっている。
「はっ!」
直立不動の姿勢で部屋のドアの傍に立つもう1人の少女――帝政カールスラント皇室親衛隊のグレーテル・ホフマン大尉が短く、だがハッキリと上官の問いに応じる。
現在、当ホテルで実施されているブリタニア政府主催の政財界のパーティー。やや遅れて参加するつもりでいる上官は、セクシーなドレス風民族衣装を身に纏った豪奢な出で立ちだが、ホフマンは黒地の親衛隊勤務服という地味な格好をしていた。
一見、華やかさの欠けるように見えるが、雪のような白肌とサファイアの如き碧眼は、黒い制服姿によく映える。ブロンドのストレートヘアに被せている黒色の軍帽も同様だ。
「メリッサとアリョーナの方は?」
鏡に向かっていた少女がホフマンに振り返る。南洋島の民族衣裳に浮かび上がる身体のラインは、乳房が大きく前へと突き出し、ヒップは布を引き裂いてしまいそうだった。にもかかわらず、ウエストは恐ろしく締まっており、スリットから覗く脚も長い。
これで東洋人だというのがとても信じられない。世の男達からすれば、超が付くほどの理想的な体型である。
「両名共に、無事任務を終えたとのこと!」
「そう。2人共、さすがね」
少女は部下達の活躍を聞き、満足気に頷く。多少の色気を孕んだ柔和な笑みを浮かべ、ホフマンに労いの言葉を贈った。
「あなたもお疲れ様、グレーテル」
「は、はっ!ありがとうございます、アインツベルン大佐!」
任務の遂行だけを考え、不要な感情を抑制しているホフマンだが、鉄仮面として知られる彼女も、公私共に尊敬する上官から御言葉を賜わった時だけは顔を綻ばせる。
昨晩彼女は、数名の親衛隊ウィッチを率いてトレヴァー・マロニー元ブリタニア空軍戦闘機軍団司令官を護送する車列を襲撃し、マロニーの暗殺を敢行した。
不祥事が元で失脚・更迭されたとはいえ、連合軍総司令部に席を置いていた同盟国の将官を、ブリタニア空軍が厳重な監視体制を敷き、第501統合戦闘航空団のサーニャ・V・リトヴャク中尉をはじめとする各国空軍のナイトウィッチが夜間哨戒飛行を実施している防空圏内で、航空ウィッチを動員しての殺害する。
当然ながら正式な命令ではない。ホフマンの目の前で佇む上官――悠貴・フォン・アインツベルン親衛隊大佐からの私的な命令だった。
カールスラントにとっても親衛隊にとっても無利益かつハイリスクで、何より異常な作戦行動――正解には独断専行か……。
だが、それでもホフマンは実行した。自分がこの世で、唯一畏敬の念を抱いている存在――アインツベルン大佐。彼女の為なら、ホフマンは例え事が露見し、結果銃殺される末路を辿ったとしても本望だった。
「私はこれからパーティー会場へ入るわ」
アインツベルン大佐こと悠貴は、鏡から離れると荘厳なソファーへ悠然と腰を下ろす。
すぐさま上官の傍らへと移動したホフマンは、氷の詰まったワインクーラーからワインボトルを一本引き抜き、よく冷えたそれの封を開ける。
「今夜はここに泊まることになりそうね」
手に取ったワイングラスを胸の位置で掲げながら、悠貴は溜め息混じりにぼやく。
ホフマンは鮮血にも似た深紅の液体をグラスに注ぎつつ、上官の言葉に耳を傾けた。
「“接待”も親衛隊の任務の一環とは言え、よく知りもしない男の“相手”をしなくてはならないなんて……」
うんざりしていると言わんばかりに悠貴は片眉を僅かに下げた。
ホフマンにというよりは、ワイングラスに向かって語り掛けるかのようにコケティッシュな唇を動かしている。
「なにも大佐自らが……“接待”ならば、私が代行致します」
そう具申するホフマンは、無意識にボトルを握り締めていた。
他の誰かが敬愛する上官と2人きりになるだけでも許せないのに、色と欲にまみれた穢らわしい男の手が悠貴の身体に触れるなど我慢ならなかった。
「あなた、男性を前に愛想笑いが出来るのかしら?」
「そ、それは……」
上官に指摘され、ホフマンは口ごもった。悠貴は血のような赤ワインを軽く口に含むと、艶然とホフマンを見上げた。
「大丈夫よ、いつものことだから……」
「しかし――」
「グレーテル!」
食い下がるホフマンの声は、上官の一喝によって遮られた。
一旦ワイングラスをテーブルに置くと、悠貴はソファーから立ち上がり、艶のある唇をホフマンの耳元に近付けた。
「明日の夜、私の執務室にいらっしゃい。久しぶりに可愛がって上げるわ」
「――っ!?」
吐息と共に囁かれた甘い声音、ホフマンはゾクゾクと快感に身体を震わせる。かと思えば、堅かった表情を恍惚としたものに変えて「……はい」と蚊の鳴くような声で応じた。
自らの一言ですっかり惚けてしまった部下の頬に、悠貴は軽く口付けをした。
◇ ◇ ◇
同時刻、同ホテル中庭――
宮藤兄妹はこっそりパーティーを抜け出し、中庭までやって来ていた。夜ということもあって、ザヴォイホテルの中庭は閑散としている。
植え込み木々に囲まれ、青い芝生で地面を覆われた庭園には石畳が敷かれ、剣を携えた騎士の石像を頂点とした噴水を中心に構えている。
優人は妹の小さな手を引いて噴水のある中庭中央へと向かう。入り口から庭園へと漏れる僅かな照明の光以外に明かりと言えるものは、夜空から降り注ぐ月光のみ。
慣れていない夜会靴で動きがぎこちない芳佳が転倒せぬよう気を配りながら、優人は中庭を進んだ。
「ここに座ろうか……」
「うん」
噴水の周りには、2人掛けの小さなベンチが数脚設置されていた。
ホテルスタッフの清掃が行き届いているらしい。木製のベンチは新品の如き光沢を放っていた。
優人はベンチの1つに芳佳を座らせると、自分も隣に腰を下ろした。ドレスアップした華やかな美少女に、第二種軍装を着用した扶桑海軍士官。ベンチに並んで腰掛ける2人は、人目を忍んで逢引している扶桑人カップルに見えなくもない。
「ふぅ~……」
ベンチの背凭れに身体を預けた優人は、深く息を吐いて空を仰いだ。パーティーの人混みに軽く酔っていた身には、夜風が心地好かった。
こっそりパーティーを抜け出した2人だが、招待客は皆歓談に夢中で、扶桑人の兄妹がいなくなったことに気付いていない。
ミーナが歌い始まるまでに会場に戻りさえすれば問題ないだろう。
「あの、お兄ちゃん……」
隣に座る芳佳が、遠慮がちな口調で優人に声を掛けた。
「ん~?」
「さっきは助けてくれてありがとう。お兄ちゃんが来てくれて、安心したよ」
やや弾んだ声音で芳佳は礼を述べる。政財界の御曹司達に絡まれていた自分を兄が助けてくれた。あんな風に大勢の異性から迫られた経験がなかったため、ただただ困惑するしかなかった。いや、よく知らない上流階級の男達に囲まれて、恐いとすら思っていた。
そこへ駆けつけてくれたのが大好きな兄だった。芳佳には、純白の第二種軍装を着こなす優人が、他の男性招待客よりずっと格好良く思えたのだ。
「どういたしまして。芳佳はモテモテだな?」
優人は口角をつり上げて悪戯っぽく笑い、右手の人差し指で芳佳の頬をツンツンとつつく。
「もう、からかわないでよ……」
からかい混じりに褒められ、照れくさくなった芳佳は、頬を染め上げて伏し目がちになる。
妹の可愛らしい仕草を見て、扶桑皇国を代表するシスコン兄貴は、顔がだらしなくなるのを必死になって抑えた。
(ああ、やっぱ可愛いなぁ~)
ミーナやガランドをはじめ、パーティーの招待客には魅力的な女性が揃っている。それでも優人にとって芳佳が一番の美女であった。誰よりも妹が輝いて見えた。
(このまま芳佳を抱き抱えて、連れ去ってしまいた……いや、いかんいかん!)
頭を振って犯罪者的な思考を追い払うと、優人は改めて芳佳を見る。ほんの一瞬の目を離した隙に、妹の顔に影が射していた。
「芳佳?」
「お兄ちゃんも、ペリーヌさんから聞いたんだよね?ウェンディちゃん達のこと……」
「…………ああ、聞いたよ」
少し間を置いてから優人は頷いて応える。ヘンリーとウェンディ、ブリタニア系ガリア人のベイカー兄妹。この2人は、芳佳がブリタニアに来るよりも約1ヶ月に亡くなっていたというのだ。
501の仲間であるペリーヌや基地嘱託医のロフティング医師、看護士のウィステリアからこの事実を聞かされた際、宮藤兄妹は驚愕のあまり胸が詰まるほどの衝撃を受けた。
ガリアへ移住したブリタニア人の子孫であるベイカー兄妹は、ダイナモ作戦後もネウロイに占領されたガリアに2、3年程の残っていた。いや、“取り残されていた”と言うべきだろう。
異形の怪物が、我が物顔で闊歩するガリア国内はまさに地獄だった。上空に佇む巣と、ブラウシュテルマーが散蒔く高濃度の“瘴気”により人間の活動領域は大幅に制限され、その上に大小様々なネウロイが蠢いている。
“瘴気”を避けつつ、ネウロイから隠れ続ける生活を強いられ、生きた心地のしない日々を送っていた。
やっとの思いでブリタニアに辿り着いてみれば、妹のウェンディが“瘴気病”と呼ばれる死病を発症してしまっていた。
ネウロイのガリア侵攻時に頼れる親も他の親族も失い、ブリタニアに避難する際に財産の殆んどの手離さざるを得なかったヘイリーだが、それでもなんとか妹を守ろうと避難民の共同体に身を寄せ、苦労の末に見つけた仕事で生活費を稼いでいた。しかし、重労働の割には賃金が安く、生活は苦しかった。
医者にかかれず、あまり衛生的とは言えない環境での暮らしは妹の病状も悪化させるばかりだった。
夢も希望も失い、ウェンディが出来るだけ苦しまず、哀しまず、そして恐れずに安らかな死を迎えてくれるよう願いながら、ヘイリーは毎日を過ごしていた。
彼らの存在を知ったロフティングは人としての親切心と、医者としての使命感から、少しでも症状を緩和させられればとウェンディを自身の診療所に入院させ、無償での治療を買って出た。
しかし、運命は残酷だった。ウェンディの受け入れを翌日に控えたロフティングの診療所に届いた2つの報せ。それはベイカー兄妹がそれぞれ違う場所、違う相手に殺害されたというものだった。
ヘンリーは街の不良グループに避難民という理由で因縁をつけられ、集団暴行の末に死亡。
ウェンディは兄に黙ってこっそり散歩に出掛けたところをブリタニアに駐留していた連合軍兵――兵隊ヤクザというべき素行の悪い兵士数名に連れ去られ、暴力の限りを尽くされた挙げ句殺害されていた。
2人の遺品はロフティングとウィステリアが整理した上で預かっている。芳佳に見せた写真もその一つだ。
ちなみに、芳佳の鞄を引ったくろうとした避難民の少年――ジョンも既に死んでいることがわかった。何度も窃盗を繰り返した彼は、金持ちの一際膨らんだ財布に手を出し、翌日海に浮かんでいたそうだ。
「一体どういうことなんだ?」
内心で呟くつもりが、優人はうっかり声に出してしまっていた。
無理もない。妹が死んだはずの人間と遭遇し、話をしたばかりか、触れ合ったり一緒に食事までしたのだ。動揺しない方がおかしい。
それに芳佳の話が本当なら、ウェンディは欧州の現状――連合軍総司令から発表された501の活躍やガリアの解放のことを正しく知っていた。優人と芳佳が英雄として祭り上げられたことも……。
「あれは……夢?……」
そう独り言ち、芳佳は我知らず頭部に手を当てた。そこはヘンリーに手当てされた傷があった部位だ。
芳佳はすぐさま頭を振った。ベイカー兄妹と触れ合ったあの感覚、お世辞にも旨いとは言えない食事の味、おしゃべりやゲームをして楽しく過ごした時間は、間違いなく現実だった。
「戦争犠牲者達からの訴えかも知れないな……」
「訴え?」
優人は虚空に目を据え、悲哀を帯びた口調で自らの考えを述べる。芳佳は兄へと視線を走らせ、目と声で詳しい説明を促す。
「俺達ストライクウィッチーズは、ブリタニアの戦いで勝利した。仲間を誰1人欠かすことなく……」
切な気な表情を浮かべた優人はひと呼吸置いてから、さらに言葉を続ける。
「けど、これは戦争だ。直接的にしろ間接的にしろ、俺達が知らないだけで犠牲となった人達は大勢いる……」
それは優人自身失念しかけていた現実だった。扶桑海軍に所属するウィザードとして、扶桑海事変やリバウでの戦いを乗り越え、いつの間にか世界的エースとなり、遂には各国の精鋭で構成された501の一員となった。
501に配属されてからは大抵のネウロイに善戦するようになり、多少苦戦することはあれど、戦いで敗北することもネウロイに仲間が殺されることもなかった。
それ故に、他の戦場で戦死者が出ていること。戦火に巻き込まれて死傷した一般人がいること。戦争に起因する怪我や病気、貧困で苦しんでいる人々がいること。モラルを見失った連合軍兵士が起こした戦争犯罪の犠牲者もいること。
それら全てが頭から抜けていた。或いは、無意識に見て見ぬふりをしていたのか。
航空歩兵に志願して半年にも満たない芳佳は仕方ないにしても、扶桑海事変からの大ベテランである優人にとっては一生の不覚だった。
死んだはずのベイカー兄妹が現れたのも、英雄と持て囃される自分達にそれを気付かせるためではないだろうか。
「…………そっか、そうだよね」
そう応じる芳佳の声に力も明るさもなかった。優人がチラッと横目で見ると、芳佳は背中を丸め、顔を完全に俯かせている。
「…………芳佳」
優人は控え目に声を掛ける。しかし、芳佳は身動ぎ一つしない。ただ黙然と座っている。
「お兄ちゃん……」
ふとポツリと呟く声が聞こえた。凛と背筋を伸ばし、決意の火が灯った瞳で真っ直ぐ優人を見つめ返す。
「私、扶桑に帰ったら……学校を卒業したら……お母さんやお祖母ちゃんの手伝いをしながら勉強して……医学校に入って……」
少しずつ声のトーンを上げながら、芳佳は新たな自分の目標を声高に宣言した。
「お医者さんになる!」
悠貴・フォン・アインツベルン大佐、いろいろ危ないおねえさんです。
ちなみにですが、悠貴さんが着ているのは現実におけるチャイナドレスです。
ストパン世界では、中国に似た文化がパシフィス島で誕生しているんじゃないか……という作者の妄想です。
感想、誤字脱字報告をお願い致します。