1944年9月、ブリタニア首都ロンドン――
「あ~……何で、俺はこんなに疲れてるんだ?」
街頭のベンチに腰を下ろした優人は、背凭れに身体を預けて空を仰ぐ。
扶桑海軍大尉の真上には、爽やかな青空が広がっている。これだけ天気が良い日なら、ストライカーユニットを履いて遊覧飛行と洒落込むのもいいかも知れない。
優人は疲労により、大して回らなくなった頭でボンヤリと、そんなことを考える。
疲労の原因は、大切な501の戦友にして、カールスラントの友人でもあるゲルトルート・バルクホルンだ。とはいっても、別段彼女に何かされたというわけではない。
端的に言うと、生真面目でウブな性格故に些細なことで取り乱してしまうバルクホルンのフォローに四苦八苦しているのだ。
精鋭揃いの第501統合戦闘航空団。その中でもバルクホルンは、屈指の高い実力を持つウィッチである。戦闘中は頼もしい存在である彼女だが、軍務から離れてしまえば途端にポンコツ化してしまうという一面もがある。
バルクホルンの相棒であるハルトマンもまた、空では天才的技量を発揮する反面、地上での日常生活はだらしがなく、怠惰で寝てばかりいる。
501のWエースは一見すると正反対な性格をしているようで、そういった両極端な部分は意外にも共通している。
「しっかし、バルクホルン遅いなぁ……」
青空から正面へ視線を戻し、優人は独り言ちる。「化粧を直してくる」と優人に一言告げ、バルクホルンは昼食を摂ったカフェへ戻っていった。
化粧直しに店内のトイレを使わせてもらうつもりだったのだろう。
優人は腕時計を確認する。既に40分以上も時間が過ぎているのに、バルクホルンはまだ戻らない。
(何かあったのか?)
もしかすると、何かトラブルに巻き込まれているのかもしれない。心配になった優人はベンチから立ち上がり、バルクホルンを探しにカフェへ向かおうとする。
「ん?」
ふと進行方向上に佇む3つの人影を捉え、優人は歩みを止める。
人影等の方へ目をやると、道路路の端に駐車した真っ赤なバイクを背にして立つ女性と、彼女を左右から挟み込むかのように立っている2人の男性の姿が見えた。
派手な格好をした男性達は20歳前後くらいで、言ってはなんだが軽薄そうな印象を受ける。まるでチンピラだ。
女性――というよりは少女の方は男達より少し歳下に見える。10代後半といったところで、まだ少女として扱われる年齢だ。バイク乗りのようだが、それに相応しい格好をしている。
丈の短い黒色のタンクトップの上にバイクと同色のライダースジャケットを羽織り、下はローライズズボンの上からデニム生地のショートズボンを重ねて履いている。
背筋を伸ばした立ち姿は、遠目に見ても抜群にスタイルが良く、服の上からでも豊かなボディラインを窺い知ることが出来た。
顔立ちも綺麗に整っている。かなりの美少女だ。オレンジが掛かったブラウンの髪とサファイアのように蒼い瞳が印象的な彼女に、優人は細めた目を据える。
(シャーリー……だよな?)
バイク乗りの美少女。彼女の正体はは優人の戦友で、リベリオン陸軍第8航空軍より501へ派遣されている航空ウィッチ――“シャーリー”こと、シャーロット・エルウィン・イェーガー大尉だった。
見慣れたリベリオン陸軍の制服ではなく私服姿だったこと。さらに優人が離れた場所から、シャーリーを遠目で見ていたために、気付くまで少しばかり時間を要した。
決して、ライダースジャケット越しでも大きさがハッキリと分かる爆乳やら、ローライズのショートズボンからスラリと伸びた生足やらを凝視していたせいで気付かなかったわけではない……はずだ。
パーソナルカラーに染められた愛車と服装から察するにツーリングか。或いは、ロンドンのバイクショップに用があるのだろう。
シャーリーは仲の良いルッキーニを連れてツーリングへ出掛けることが多いが、バイクにサイドカーが無いのをみるに、今日は彼女1人のようだ。
気になるのは彼女に絡んでいる2人組だ。シャーリーは、その気さくで社交的な性格故にボーイフレンドが大勢いる。しかし、このような柄の悪い男達と付き合いがあるとは思えない。
「なぁ、いいだろう?ちょっとだけだって!」
どうやらナンパされているらしい。チンピラ風の男の片方は、馴れ馴れしく顔を近付け、明らかに鬱陶しがっているシャーリーにしつこく言い寄ってくる。
当のリベリオンウィッチは何も応えない。無言を貫きながら苛立だしげに腕を組み、蔑みを湛えた視線を左右の男達へ走らせている。
「君みたいな可愛い娘はもっと遊ばないとさぁ」
もう1人の男は、一歩引いた位置からシャーリー――正確には彼女の身体――を舐め回すかのような厭らしい目付きで見据えていた。頭のてっぺんから足の爪先まで、余すことなく視線を這わせている。
下心あるナンパをされ、シャーリーはムスッと不快そうに表情を歪めていた。
部隊一のナイスバディを誇り、周囲からも“グラマラス・シャーリー”の二つ名で呼ばれ、シャーリー本人もパーソナルマーク等に採用するほど気に入っている。
プロポーションに対する自信故に、露出度の高い私服やビキニタイプの水着を好んで着ている。
彼女自身が大らかな性格なので、例えば優人のように胸や尻へ目がいってしまう誰かがいたとしても気にはしない。もちろん、咎めもしない。
しかし、目の前のチンピラ風の男共のようなあからさまに身体目当てで絡んできた上、下卑た本心を隠そうともしない恥知らずな輩には寛容になれない。
人様を心底嫌うことなど殆んどしない彼女だが、眼前の下衆に対しては嫌悪感さえ抱いている。
(まずいな……)
状況を呑み込んだ優人は、シャーリーの元へ小走りで駆け出していった。
彼女はリベリオン陸軍のウィッチだ。暴漢相手の自衛手段――護身術等の格闘技――は心得ているし、いざとなれば魔法力がある。チンピラどころか、正規の軍人が相手だろうと問題にならない。その気になれば、目の前の男達など一捻りだろう。
だが、それを理由に静観を決め込むなんてことを優人はしない。困っている女の子がいるのに見て見ぬフリして
は、男が廃るというものだ。
「おい、あんたら!」
優人が語勢を強めた声音で告げると、チンピラ達は何事かと振り向く。上玉相手のナンパに水を差され、彼等は不機嫌そうな渋面を作っていた。
一方のシャーリーは、優人の姿を見るなり仏頂面から一転、表情を輝かせて駆け寄って来る。
チンピラ達の注意が一瞬だけ扶桑海軍隊へ向いたおかげで、用意に脱出することが出来たのだ。
「もぉ~、おっそいよ!何してたのぉ?」
聞き慣れない猫撫で声で話しながら、シャーリーは優人の右腕を取る。
ライダースジャケット越しだろうと、リベリオンウィッチのたわわに実った果実の柔らかな感触が伝わり、優人はドキマギする。
「おっ!おい何だよ!?」
「シッ!お願いだから合わせて」
シャーリーがヒソヒソと囁いた。熱い吐息が耳に当たり、何とも言えぬ擽ったさに優人は軽く悶える。
「なんだ、男がいたのか……」
「チッ!いい女捕まえたと思ったのによぉ」
チンピラ達は悪態を吐き、多少名残惜しい様子を見せつつも背を向けて去って行った。
シャーリーにしつこく言い寄っていた割には、ずいぶんあっさりと引き上げたので、優人は少し拍子抜けする。
「サンキュー、優人♪アイツらしつこくってさぁ……」
辟易したように言うと、シャーリーは優人の腕から離れる。
胸の感触を堪能する時間を終わってしまったことに内心悔やみつつも、シャーリーが解放されたことに安堵すした。
「ところで、お前は何でロンドンにいるんだ?オシャレしてるみたいだけど?」
シャーリーは、私服姿の優人をまじまじと見ながら訊ねる。
「あぁ、ちょっとバルクホルンと……」
事情を説明しようとして、戻ってこないバルクホルンを探しに向かう途中だったことを思い出し、優人はハッとなる。
「そうだ!バルクホルンだ!」
「バルクホルン?何だよ、アイツ迷子にでもなったのか?」
「いや、迷子って言うか……」
ふと経緯を話そうとした優人が、シャーリーの肩越しにバルクホルンの姿を見つける。
ホッとしたのもつかの間。私服姿の堅物大尉は、シャーリーと同じくチンピラ風の2人組――シャーリーをナンパした男達とは別の2人組――に絡まれていた。なんと、こちらもナンパの被害に遭っていたのだ。
「うわっ!他にもあんなのが……」
チャラそうな奴らに絡まれているバルクホルンに、シャーリーも気が付いた。
同時に粧したバルクホルンの姿を目にして、少し驚いているようだ。
「やれやれだよ」
一難去ってまた一難、優人は溜め息を吐くと同時に肩を竦める。
「まぁ、バルクホルンなら大丈夫だろ?ウチのエースだし、あんな奴らひと睨みで――」
そこまで言って、シャーリーは言葉を止める。普段の堅物大尉なら、睨むか一喝入れるかしてチンピラ共を追い払ったことだろう。シャーリーはもちろん、優人も同じ考えだった。
しかし、視線の先にいるバルクホルンの姿は、2人の航空歩兵が予想していたものと大分異なっていた。
「君、可愛いねぇ♪」
「ふぇっ!?」
「今、暇かい?」
「あ、えと……」
「俺達と遊ばない?」
「その……あ、あの……」
「「………………」」
交互に声を掛けてくるチンピラ達に対し、バルクホルンはあたふたと狼狽えてしまい、まともに受け答えをすることすら出来ていない。
厳格且つ気丈夫で、ハッキリと物申す性格のカールスラント軍人は見る影もなかった。というか、完全に別人となっている。
優人とシャーリーは、バルクホルンの尋常ではない変わりように思わず絶句する。
「な、なんじゃ……ありゃ……?」
信じられないといった口調でシャーリーは呟く。てっきり、バルクホルンが怒声一発で男達を追っ払うとばかり思っていたが、件の堅物大尉はまるで男性に対する免疫の低い乙女のようになってしまっている。よく見ると、少し涙目になっている。
「すみません。ちょっと、やめて頂けませんか?」
「あ?」
シャーリーの声を聞いて現実に帰った優人は、すぐさまバルクホルンを助けるべく動き出した。
チンピラの片方――茶髪の男が即ちに反応し、扶桑海軍大尉を睨みつけてくる。
「あんた誰だよ?」
「まさか、この娘の彼氏?」
もう1人のチンピラ――耳にピアスをつけた男――が、茶髪の男の言葉を継いだ。
「えっ!?」
チンピラの「彼氏?」という言葉に、バルクホルンは過敏な反応を示した。
「ち、違う!違う違う違う違う!」
ボンッと湯気が出そうなほど赤面して、バルクホルンは頭を振りながら否定する。
彼氏ということにしておけば、シャーリーの時みたいに引き下がってくれたかもしれない。密かにそう考えていた優人は「おいおい」と肩を落とす。
それにしても、こうも必死に否定されるとは……。扶桑海軍大尉は結構なショックを受ける。
「ハハハ!完全否定されてやんの!ダッセェ!」
ピアスの男は優人を嘲笑うと、再びバルクホルンに向き直る。
「ねぇ、俺なんかどう?絶対後悔させないよ?」
「バルクホルン。こんなヤツらは放っておこう」
そう言って優人はバルクホルンの手を引き、チンピラ達から離れようとする。当然、それで見逃してくれる連中ではなかった。
「おい!待てよ!」
「きゃっ!?」
茶髪の男がいきなりバルクホルンの腕を掴んだ。相手のことなど一切配慮しない荒っぽい所作。突然、腕を走った痛みにバルクホルンは短い悲鳴を上げる。
「兄貴が付き合ってやる、って言ってんだ。無視はねぇだろ?」
「やっ!……痛い!」
バルクホルンの表情が苦痛に歪む。茶髪の男が、脅しのつもりで握る力を強めたらしい。
「あんたもだ、扶桑人」
兄貴と呼ばれたピアスの男が優人の前へ回り込む。その瞳には、自分より体格で劣る東洋系に対する侮蔑の色が滲んでいた。
「他人の女を何処へ連れていくつもりだ?ん?」
「悪いけど、あんたじゃ到底彼女と釣り合わないよ。そこのお前もだ!その汚い手を離せ!」
「てめえっ!」
怒りを見せたのは茶髪の男だった。彼は優人の胸ぐらを掴み、自分の眼前まで乱暴に引き寄せる。
その時だった。優人が固有魔法『凍結』を発動させ、男の手が冷気に覆われた。
「手!手が!手が凍ったぁああああっ!」
実際は手の表面に氷がついただけだったが、頭が足りていないチンピラに恐怖を叩き込むには十分過ぎた。
茶髪の男は情けない声で喚き散らすと、兄貴分を放って逃げ出した。
「ま、魔法力?あんた、ウィザードなのか?」
声を震わせるピアスの男は、確かめるように訊きながらも、頭ではしっかりと理解していた。
とんでもない相手に――自分達では、とても手に負えない存在に喧嘩を売ってしまっていたことを……。
「ご、ごめんなさい!どうか!どうか命だけわぁあああああああああ!」
茶髪の男に負けず劣らずの無様な悲鳴を上げたピアスの男は、這いつくばるような姿勢で逃げ去って行った。
「まったく……」
優人はうんざりしたように吐き捨てる。出来ることなら、こんな風に魔法力を使いたくなかった。
軍に身を置く航空歩兵が、固有魔法を使って一般人を脅かしては大問題だ。ガリア解放の立役者である501の一員なら尚さらだろう。
もし騒がれたりすれば、事は優人だけの問題では済まない。501メンバーや祖国に多大な迷惑を掛けてしまう。
それが理解できない優人ではない。バルクホルンほど生真面目ではないにせよ、彼は軍人としては模範的な方である。可能であれば穏便に済ませたかったが、今回ばかりはどうしても怒りを押さえられなかった。
チンピラ達は大切な戦友――家族と言っても差し支えない存在である501の仲間にちょっかいを出し、あまつさえ乱暴を働いて怯えさせたのだ。とても許せることではない。
「バルクホルン」
優人は、質の悪いナンパ被害にあったカールスラントウィッチへ向き直る。
チャラついた野郎共から解放されたバルクホルンは、自らの身体を守るかのようにギュッと抱き締め、フルフルと小刻みに震えている。
「大丈夫か?」
「あ……ああ……」
口紅を塗り直した唇を微かに動かし、バルクホルンはどうにか優人の問いに応じる。
視線を足元に落としているため、表情は窺い知ることはできない。しかし、怯えているのは確かだろう。
数瞬を置き、バルクホルンはおもむろに顔を上げる。悪質なナンパが余程堪えたのか。彼女の目には涙が溜まり、瞳は潤んでいた。
「――っ!?」
涙目となっているカールスラントウィッチに上目遣いで見つめられ、優人はドキンと胸を高鳴らせる。
素の状態でも、彼女はかなりの美女である。今は化粧を施され、さらに涙という女の武器まで揃っている。ハッキリ言って反則だ。
「優人っ!」
堪えきれなくなったバルクホルンは、優人の胸に飛び込んだ。弱々しい姿を見せるカールスラントウィッチを、扶桑海軍ウィザードは自然な動作で抱きとめた。
自分でも驚くほど行動に迷いがなかった。ただ女の子が怯えているならそうしなければ、と思ったのだ。
やがて、バルクホルンは嗚咽を漏らし始める。彼女の肩は優人のものより細かった。香水とブレンドされた髪の香りが鼻腔を擽り、胸の膨らみが押し付けられる。
さらに、2本の繊細な腕が優人の身体に絡んで、彼の背中を抱き返す。とても戦闘でMG42を軽々と振り回しているとは思えない華奢な両腕だ。
堅物大尉殿の弱い一面は以前――芳佳が501に入隊して間もない頃――にも見ている。彼女は、数々の修羅場を潜り抜けた世界的エースウィッチである前に、年齢相応にか弱い乙女なのだ。
バルクホルンだけではない。ストライクウィッチーズの面々はもちろん、世界中で活躍するウィッチは皆そうだ。
殆んどのウィッチはすぐにでも軍を抜け出し、戦場から逃亡したいはずだ。にも関わらず、そういった話を聞かないのは、ネウロイの脅威から人々を守りたいがため、小さな身体と壊れそうな心を必死に奮い立たせているからだ。
か弱いながらもわ心を強く保とうとする乙女達を守り支えるのも、男たる自分の役目だと優人は考えている
傲慢な思考かもしれない。人によっては所謂男尊女卑と受け取るかもしれない。それでも、彼は自分のあり方を変えるつもりはなかった。
何故なら、長く最前線で戦ってきた優人にとって、戦場で最も守りたい存在は最愛の妹と、戦友のウィッチ達だからだ。
優人はバルクホルンの気が済むまで、彼女抱き締め続けた。
(そう言えば、シャーリーは?)
◇ ◇ ◇
シャーリーは愛車を走らせる。それも制限速度を越えた猛スピードでだ。
スピード狂ではあっても、見境なく速度出すわけではない。街中――特にロンドンのような大都市内では安全運転を心掛けており、交通事故を起こしたことは一度もない。
しかし、今日は事故の危険を帰り見ずに自らが改造したバイクを疾走させていた。あの場から一刻も早く逃げ出したかったからだ。
悪質なナンパから助けたバルクホルンを優人が抱き締め、バルクホルンが優人を抱き返している姿を見た時、シャーリーは心臓が口から飛び出てしまうのではないかと思うくらいの衝撃を受けた。
居たたまれない心境から衝動的にバイクを走らせ、声も掛けずに立ち去ってしまった。
(あたし、何やってんだ……)
シャーリーには、自分が酷く惨めに思えてならなかった。
化粧したバルクホルンは同性のシャーリーから見ても美しかった。それこそ息を呑むほどに……。
リベリオンウィッチはただ悔しかった。ボンネビル・ソルトフラッツにて、オートバイ――魔導エンジン二輪車――の世界最速記録を樹立して以来、初めて味わった敗北だった。
まさな恋愛に奥手そうなバルクホルンが、いつの間にか優人とデートするような関係になっているなんて、思いもしなかった。ライバルはすぐ近くにいたというのに、完全に油断していた。
ひたすらバイクを飛ばし、シャーリーは人気のない郊外まで来た。愛車から降りて、地面に寝っ転がる。
快晴の蒼い空を見上げ、“グラマラス・シャーリー”は胸に誓う。負けない、と……。
◇ ◇ ◇
30分後――
「着いたぞ!」
優人とバルクホルンは、クリスが入院している病院に到着する。ジープを通路に停め、優人は助手席のウィッチに声を掛ける。
「………………」
バルクホルンは何も応えない。仏頂面を浮かべて腕を組む姿は、なんとも機嫌が悪そうだった。
戦友の態度に深い溜め息を吐くと、優人は運転席から道路に降りた。バルクホルンも無言のまま車外に出る。
ここに来るまでウブな乙女の顔、か弱い少女の一面を見せていたバルクホルンだが、優人の胸で存分に泣いた後はあからさまな不機嫌オーラを醸し出していた。
おかげで美女が隣にいるにも関わらず、ここまでのドライブはまったく楽しくなかった。
少しでも居心地の悪さから逃れようと、優人はサイドミラーでを使って軽く髪型を直す。すると、突然胸ぐらを掴まれ、ミラーから引き離された。
鏡に映った自分の顔の代わりに、化粧をした堅物大尉の美人顔が視界を埋め尽くす。
美女と至近距離で見つめ合うシチュエーション。健全な男子であれば赤面しつつ、胸を高鳴らせるところだろう。しかし、ウィッチの美貌を堪能する余裕は、優人になかった。
先程までのか弱く可愛らしい彼女は何処へ行ってしまったのか。バルクホルンは息を荒くし、歯軋りしながら睨んでくる。
「な、何だよ?」
彼女の迫力に気圧されつつも、優人は問う。バルクホルンは、一層手に力を込めながら口火を切った。
「…………言うなよ」
「は?」
「わ、私がナンパに怯えて泣いていたことだ!クリスに言うなよ!いや、クリスだけではない!他の人間にもだ!絶対に言うなよ!」
ナンパされた時とは、また違った意味合いの涙を浮かべ、バルクホルンは必死に懇願――或いは恐喝かもしれない――する。
なるほど。事ここに至るまで、友人に散々醜態を晒してしまった彼女だが、初めて経験したナンパに狼狽え、不貞の輩怯えて、挙げ句子どものように泣いてしまった事実が一番尾を引いているらしい。
自分への苛立ちや自己嫌悪等で少しばかり優人に対して刺々しくなっていた、ということか。
大型ネウロイや敵の大群にも一切怯むことなく、果敢に立ち向かえる自分が、チャラついた男達相手にビクついてしまうなんて、優人はもちろん当のバルクホルンにとっても驚愕ものだろう。
オシャレに着飾っただけで、人はここまで変わるものなのか。
「い、言わない!言わないよ!」
「よし!」
お願い半分脅かし半分といった体(てい)で約束を取り付けたバルクホルンは満足そうに頷くと、優人の胸ぐらから手を離した。
「そ、それとだな……」
「うん?」
服の胸元を直しながら、優人は「まだ何かあるのか?」と怪訝そうに表情でバルクホルンを見返す。
「さっきは助けてくれて、ありがとう。それがと、遅くなったが……恋人役を引き受けてくれたことにも……感謝している。ありがとう……」
ポッと頬を赤く染め、バルクホルンは謝意を述べる。照れ臭いらしい。礼の言葉とは裏腹にプイッとそっぽ向いて、優人から姿勢を逸らしている。
扶桑海軍大尉は、照れ屋なカールスラントウィッチ様を見てクスリと小さく笑うと、スッと己の右手を差し出した。
「どういたしまして。じゃあ、妹さんに会いに行こうか?」
「…………」
差し出された手をチラッと一瞥したバルクホルンは、僅かに逡巡する様子を見せたものの、最終的には優人の手を取った。
優人は軍人のものとは思えない小さな手の、バルクホルンは自分よりも大きな男らしい手の感触を味わいつつ、クリスがいる病室へと向かった。
途中、何名かの看護婦と顔を合わせた。彼女らには2人が美男美女カップルに見えていたらしく、優人達に目を向けては黄色い声を上げていた。
「ここがクリスの部屋だ」
やがて、2人はクリスの病室前までやって来た。バルクホルンは扉の前で一旦足を止め、優人に短く声を掛けた。
「準備はいいか?」
「ああ」
頷く優人だったが、直前になって緊張していた。演技とはいえ、彼は今からバルクホルン恋人として彼女の妹と会うのだ。無理もない。
婚約者の親に結婚の挨拶をしに行く男性は皆こんな心境なのだろうか。自分もいつか相手を見つけて挨拶に行く日が来るのだろうか。そんなことを思いながら、優人は扉をノックする。
「は~い、どうぞ!」
ドアの向こうから女の子の明朗な声が返ってくる。優人とバルクホルンは深呼吸し、心を落ち着かせてから入室する。
「お姉ちゃん!」
「クリス!」
先に病室へ踏み込んだのはバルクホルンだった。室内に最愛の妹の姿を認めた彼女は、ぎこちない笑顔を浮かべつつも軽く手を挙げて挨拶する。
「今日も来てくれたの!?」
思いもよらない姉の来訪。クリスは表情を輝かせ、声を弾ませる。
自身の見舞いを喜んでくれるクリスの様子を見て、バルクホルンの笑顔も自然なものへと変化する。
「あ、あぁ。ちょっと近くまで来たから寄ったんだ」
「ふ~ん、もしかしてデート帰り?」
「ふぇっ!?」
ニィッと歯を見せて笑い、クリスは訊く。図星を突かれた――厳密には違うが――バルクホルンは、可愛らしいような間の抜け出しような声を漏らす。
「な、何で……?」
「だって、いつも軍服のお姉ちゃんがオシャレなお洋服着て、お化粧までしてるんだもん♪そこまで気合いを入れる理由があるとすればデートしかない!そうでしょ?」
ビシッと姉を指差し、クリスは断言する。中々鋭いお嬢さんだ。バルクホルンの背後からカールスラント姉妹のやり取りを見ていた優人は感心すると共に、一抹の不安を抱き始めていた。
下手なことを言えば、そこからバルクホルンが見栄の為に仕掛けた演技だと看破されかねない。扶桑海軍大尉は一層気を引き締める。
「ま、まぁな。そうだ!今日はお前に紹介したい人を連れてきてな」
そう言ってバルクホルンは脇へ退き、左手で優人を指し示した。
「私の恋人だ」
「初めまして、宮藤優人です」
バルクホルンの説明に続き、優人も軽く会釈しつつ自己紹介をする。
姉が連れて来た見知らぬ男性に目を据えたクスリは「わぁ!」と感嘆の声を上げた。
「この人が扶桑の宮藤優人さん!?お姉ちゃんの恋人って、やっぱり優人さんだったの!?」
クリスは爛々と輝かせた瞳に優人を映す。姉の恋人を名乗る男性の登場で無邪気にもはしゃいでいた。
色恋沙汰に興味を示さない女性はいない。ましてや、クリスは恋に恋するお年頃。優人が遥か遠い国の出身ということも無関係ではあるまい。
「そうだぞ!こいつは私の顔を見るなり、『付き合ってください』と交際を申し込んで来てな!一度断ったというのに、その後何度もアプローチを繰り返してきてな!あまりの熱心さに私が根負けして……」
バルクホルンは、交際を始めた経緯という名のホラ話を高らかに語り出した。
話の中で自分の扱いが地味に悪かったので、優人は横目でチラッと抗議の視線を送る。
長口上が終わったところで、優人とバルクホルンは用意した椅子に腰を下ろした。
「あ、ごめんなさい……挨拶がまだでしたね。クリスティアーネ・バルクホルン、ゲルトルートお姉ちゃんの妹です!初めまして」
と、クリスはペコリと頭を下げる。ベッドに座る目の前の少女は、お堅い姉に比べると幾分雰囲気が柔らかい。
人柄も年齢相応に無邪気で面がある一方で、お淑やか且つ礼儀正しいように思えた。
長い間、昏睡状態に陥っていたとの話だったが、外見上は目立った怪我もなく健康体である。
(雰囲気は違うけど、やっぱり姉妹なんだな)
と、優人は内心で呟いた。性格の差異こそあれど、そこは血の繋がった姉妹。クリスの髪や瞳は姉と同じ色をしていて、顔立ちもバルクホルンに似てかなり美人だ。
もちろん、同じ妹でも芳佳の方が美人だとシスコン兄貴は信じて疑わない。少なくとも、妹に限定すれば芳佳が世界一だと優人は考えている。
「ふ~ん♪」
「何かな?」
自己紹介を簡単に済ませると、クリスは優人をジ~っと見つめてきた。旺盛な好奇心を滲ませた視線に当惑しつつも優人は問い掛ける。
「ハルトマンさんが言ってた通り。イケメンさんですね♪」
「そ、そうかな?」
優人はポリポリと後頭部を掻いた。クリスのような美少女に褒められると悪い気はしないが、照れ臭くもある。
「そう言えば、さっき『やっぱり優人さんが』って言ってたけど。あれは?」
「はい。お姉ちゃんが優人さんのことをスゴく楽しそうに話してたので、そうなのかなぁって」
そう説明しながら、クリスはチラッと姉へ視線を走らせる。
バルクホルンは妹の眼差しに何か含んだものを感じ取り、冷や汗を一筋流していた。
「それは光栄だね」
どうコメントすればいいのか分からず、優人は愛想笑いを浮かべて無難な言葉を返した。
「優人さんは、お姉ちゃんのどんなところが気に入ったんですか?」
「そうだなぁ……」
優人が考える素振りを見せるのとほぼ同時に、病室のドアから小気味良いノック音が響いた。
すぐにドアは開かれ、40歳前後の医師が入室する。彼はクリスの主治医だ。
「お姉さん、ちょっといいですか?」
「あっ、はい」
医師はクリスの容態、もしくは入院生活について彼女の家族と話がしたいようだ。
声を掛けられたバルクホルンは、すぐさま椅子から立ち上がる。
「すまない。ちょっと2人で話していてくれないか?」
「ああ、わかったよ」
「は~い♪」
優人とクリスが順に返事をする。バルクホルンは主治医の後に続いて部屋を出ようとしたが、ふと何かを思い出して優人に耳打ちする。
「くれぐれも頼んだぞ?」
クリスの相手と演技がバレないよう用心しろということだろう。優人が小さく頷くと、バルクホルンは主治医を追って一時退室した。
バルクホルンを見送った優人は、再びクリスに向き直る。すると、何故かクリスが頭を下げていた。
「クリスちゃん?」
「ごめんなさい!お姉ちゃんが、優人さんに御迷惑をお掛けして!」
「えっ?もしかして……?」
「わかってました。優人さんがお姉ちゃんの為に恋人のフリをしていたんだって……」
クリスはさらに続けた。優人が姉の頼みで恋人役を引き受けたこと。姉が見栄を張って、自らを恋愛経験豊富でモテモテな女性だと嘯いていたこと。これらについては、初めから怪しく思っていたらしい。
そもそも堅物と称されるほど真面目で、軍務を優先するあまり男っ気のない日々を過ごしてきた姉が、戦時下に多数の男達と交際していたとは考えにくい。
優人とバルクホルンが恋人同士にしては妙にぎこちなかった様を見て、クリスは確信を持ったそうな。
「お姉ちゃんってば。私の前だとやたらカッコつけて、理想の姉を演じようとするんです」
「まぁ、気持ちはわかるよ」
苦笑気味ではあるが、優人は本心で言っている。自分だって出来ることなら芳佳の前では良い部分だけを見せていたい。兄としての威厳は元より、
少しでも妹の憧れ――ヒーローのような存在でありたい。嫌われ、幻滅されないために……。
兄や姉は、いつだって弟妹に失望される恐怖と戦っているのだ。
「でも私にとっては、どんなお姉ちゃんでもお姉ちゃんだから。お姉ちゃんがスゴい人だから好きなわけじゃ……」
「そうだろうね」
クリスがどれほど姉を慕っているか。また、バルクホルンがどれほど妹を愛しているか。彼女達姉妹のやり取りを見れば一目瞭然だ。
仲は良さなら自分と芳佳だって負けない自信はある。反面、バルクホルン姉妹のような血の繋がった兄妹ではない事実に優人は引け目を感じていた。
「まぁ、君のお姉さんが見栄を張ってくれたおかげで、俺は丸1日美人の恋人になれたけどね」
「何ですか、それ?」
優人のおどけた言動に、クリスはクスクスと小さく笑声を立てた。
「君のお姉さんが、戦友の贔屓目無しに素敵な人だってことだよ」
本心から思っていた。無理に着飾らなくても、バルクホルンは十分過ぎるほど魅力的だ。
それは何も外見や女性らしさ、軍人やウィッチとしての能力の高さを言っているわけでない。
優人はゲルトルート・バルクホルンという少女の人柄をよく理解していた。
規律や規律を重要視するため、真面目で頑固なところはあるものの、人一倍責任感が強く、常に周囲に気を配っている。その仲間想いな性格は501メンバーを含む多くウィッチから信頼され、好かれている。
委員長タイプの口やかましさこそあれど、彼女を本気で怖がったり嫌ったりする人間がいない辺り、バルクホルンの人徳が窺い知れた。
「そう言う優人さんも、素敵な人です♪」
「ありがとう、嬉しいよ」
「優人さん、ちょっと耳貸してもらっていいですか?」
「ん?こう?」
指示に従い、優人に右耳をクリスの方へ向ける。すると、横目で見ていたクリスの顔が近付き、右頬に何か柔らかく温かいものが触れた。
それが唇の感触で、クリスにキスをされたのだと優人が理解するのに時間はかからなかった。
「――っ!?クリスちゃん!?」
優人は、反射的にキスされた右頬へ手を添える。少女の大胆な行為に驚愕し、両の目を見開いていた。
「ふふ♪今日のお礼です。私のファーストキスですよ?」
クリスはチロッと舌を出し、悪戯っぽく笑う。どうやら優人は、彼女の性格について思い違いをしていたらしい。
目の前の少女は姉のように生真面目でない反面、おしゃま且つ小悪魔的な一面を有していたのだ。
「そう言うことは本当に好きな――」
「優人」
クリスを注意しようとした優人の言葉を、身震いするほど冷たい声が遮る。
声が聞こえた背後へ振り返ると、バルクホルンが静かな怒りを湛えた表情で優人を見下ろしていた。彼女は戦友のことを親の仇でも見るような目で睨んでいた。
◇ ◇ ◇
5分後、病院前の通り――
見舞いを短時間で終えた優人とバルクホルンは、クリスに別れを告げて病室を後にした。
ジープを停めた場所まで戻ってきたところで、バルクホルンによる優人への制裁が始まった。
「あ……あがっ!あがががががっ!」
優人は苦悶に満ちた表情で、言葉にならない悲鳴を上げていた。
「優人ぉ!どういうつもりだ!?私がいない間にクリスの初めてを奪うなど!」
怒りに満ちた表情で、誤解を招きかねない発言をしているのは、もちろんバルクホルンだ。
彼女は今、優人にベアハッグ――または、熊式鯖折り――と呼ばれる技をかけていた。
これは相手の胴体を両腕を使って捕まえ、力任せに締め上げるという技である。相手の背骨・肋骨や腰等にダメージを与える格闘技にバルクホルンの怪力が加わり、かなり強力な技へと昇華されている。
互いの身体が密着しているので、バルクホルンの豊かな胸の膨らみがムギュッと押し付けられている。
しかし、残念ながら優人に乳房の感触を楽しむ余裕はない。彼が感じているのは、格闘技によってもたらされる苦痛のみだった。
激痛のあまり言葉も出せず、説得も弁明も出来ない有り様。当然、ベアハッグから逃げ出すことなど出来るはずもない。
「ウィッチだけでは飽き足らず、私の妹にまで!貴様というヤツは!見損なったぞ!」
バルクホルンは技をかけながら、優人に怒声を浴びせ続ける。
彼女が声を張り上げる度に腕力が強くなり、扶桑海軍大尉の身体からミシミシと嫌な音が漏れ聞こえる。
悪いことに。カールスラントの堅物大尉は、無意識のうちに使い魔の耳と尻尾を出現させ、さらに固有魔法魔の『怪力』まで発動する。
――バキッ!
「ぎぃええええええええ~っ!」
背骨の折れる音と扶桑海軍大尉の叫び声が、ロンドンの青空に響き渡った。
シャーリーの服装は、バイオRE:2のクレアのノーマルコスチュームみたいなイメージで、下をローライズのデニムショートパンツにした感じです。
次回は501及び貴腐人が天城に乗艦します。
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