記憶の無い僕と黒い刃の彼女   作:丸いの

12 / 34
12. 拒絶と逃避

「……名前だよ、な・ま・え。君たち人間族だって普通にあるだろ。別に本名を名乗りたくないなら呼び名でも良いさ。まさかそれすらもど忘れしたんじゃ――」

 

 目の前のこの人の言葉が、半分すらも理解できない。彼女の素顔を認識したその瞬間から、頭の頂上から足の爪先まで、全身が恐ろしいほどの拒絶感に支配された。焦燥してこわばる頬、握りしめた拳に浮かぶ汗、そして自然と後退る両足。

 

 快活なはずの声が虚ろに、深紅の瞳からは色が消え失せ、夜の闇になびく髪の毛が無惨に焼け焦げて、そしてその口は力なく怨嗟を告げ――五感の全てがあり得ない妄想へと塗りつぶされる。

 

 その声を聞くたびに鼓膜の奥が悲鳴をあげ、黒紅色の長髪を揺らす姿から目を離そうとしてももはや金縛りにあったかのごとく首筋のいっぺんすらも動こうとはしない。

 

「なんだよ、そんなに始祖族が怖いの? でも安心しなよ、別にとって食おうだなんてわけじゃ――」

 

 こちらに向かって一歩を踏み出した瞬間に、限界にまでに膨れ上がった拒絶が決壊した。自分自身の全身が意識の制御も聞かずに逃げ出そうと足掻き、無様に屋根の上へと転げ倒れる。

 

 逃げなくては、何処へでも可能な限り遠くへ。目を背けなければ、意識が壊れるよりも前に。拒絶をしなければ、自分を守るために。

 

 気が付けば、僕の手は空をきっていた。屋根の端をも通り越し、ついさっき駆け登った壁の一部に腰が触れる。そして訪れる浮遊感。こんな体勢で落ちたら、下手すれば大怪我を追うかもしれない。でも、これ以上あの光景を目にいれなくて良いんだったら、ここから逃げるためなのであれば――

 

「――このっ……バカがっ!!」

 

 耳をつんざく大声と共に、意味もなく空に伸ばした手が強く捕まれた。

 

 その瞬間に、全身へ帯びていた何かが霧散した。視線の先で、驚きそして憤りに染まる始祖族の女の人が声を荒らげて僕の腕を掴みあげている。数秒前に幻視した光景など微塵も感じさせず、彼女の視線が僕をいぬく。

 

「とっとと上がって!!」

 

 再び聞こえる彼女の声からはただ焦りや苛立ちしか感じられず、どこにも絶望や怨嗟の響きなんて混じっていない。まるで濁った水の中から顔を出したかのごとく、全ての五感が一新された。そして慌てて空いたもう片方の手で壁の一部を掴みあげる。

 

 ここから落ちて大怪我を負っても良いだなんて冗談じゃない。今までの生活やようやく築いた人々との繋がり全てに背中を向けて、スタートラインにたどり着いたんだ。五体満足で生き残り、自分自身を明らかにする。それが今の原動力の全てなのだから、こんなところで足を掬われている場合などではない。

 

「……申し訳ございません、いきなりのことで気が動転してたようです」

「本当さ。一体始祖族にどんな印象を抱いてるんだ。敵対もしていない人間にここまで怯えられたのは久々だよ」

 

 彼女――カタリナと名乗った女性が心外だとばかりにため息をはいた。ようやく屋根の上に登ったところで、再度彼女の姿を視界に納める。

 

 カタリナ・フォン・アストランテ。先ほど聞いたばかりの、僕のような庶民は直接会って話すことなど絶対に無いだろうと思っていた、天上の高貴なる存在。この国で過ごして未だ半年程度の僕にだってわかる、彼女の名前はアストランテ王国を統治する国王一族のものだ。支配階級である始祖族の中でも、その頂点にいる存在。それが、彼女なのだ。

 

 それにもかかわらず、ついさっき見た光景と何ら変わりもなく、彼女はこちらを怪訝そうに眺めている。赤みがかった黒い長髪を夜風に靡かせながら、暗闇のなかで存在を主張する紅い双眼がこちらを向いていた。もうその姿を上書きするような妄想は何処にも浮かぶことはなく、一瞬の最中に見えたのはただの白昼夢だったのだろうか。

 

「……殿下のお手を煩わせてしまい、本当に申し訳ございま――」

 

 クアルスにいた頃から知っている。始祖族たる彼らには敬意を示し、決して立ち向かってはならない。それも彼らの頂点に立つといっても過言ではない王族なのだから、彼女がフードを取り去る前にしていた己の言動なんて不敬も不敬。なんとか失礼を払拭しようとしたその矢先に、露骨に不満げな視線が僕を射抜いた。

 

「そういうの、嫌いなんだよね。別に公的な場でもないし、今さら取り繕うとしなくても良い。それにボクが聞きたいのは取って付けた謝罪じゃなくて、君の回答だよ」

 

 しかし幸いにも――そして不幸にも、このカタリナという人は始祖族としてみても変わり者であったようだ。頭を下げて敬意を示さなければいけないというわけではなく、そしてたとえ頭を下げてても物事が勝手に通りすぎていくわけでもない。

 

「ボクが探しているのは、すぐに頭を下げるような奴じゃない。さっきの君みたいな、明らかに只者じゃない感じを出していたボクにすらも懐疑的な意思を向けることができて、そしてボクについてこれる奴が欲しいのさ」

 

 再びカタリナさんの表情が笑顔に染まる。それも、まるで獲物を追い詰めたかのように鋭く、そして見せつけるようにして舌なめずりをするような、目の前にして逃げたしたくなるような質のもの。

 

 無意識のなかで後ずさろうとした直後に、隣接する建物の壁に背中があたる。彼女の口角は、はっきりとつり上がっていた。

 

「副官っていうのはね、いわばボクの直属の部下さ。誰もが尻込みする火の出るような争いに、将官のボクと一緒に先陣を切る――ああ、本当に楽しみじゃないか」

 

 深紅の目はまるで楽しい夢を語るかのように輝き、しかしその内容は僕にとってみれば楽しいどころか忌避感しか浮かぶことはない。霊剣という分かりやすい力だけではなく寿命すらも違うから、僕ら人間族と彼ら始祖族の価値観は大きく異なる。それは、始祖族の中では変わり者かもしれないカタリナさんであっても同じなのだろう。

 

 いくら戦場に飛び出す自分を想像しても、そこに楽しさなんて感情が湧くはずもない。目の前に立つ彼女との間に横たわる隔絶した価値観の違いは、そう簡単には乗り越えられるものじゃない。しかしカタリナさんは、壁に背中をつけた僕にその笑みを深くして、僕らの間に隔たる見えない価値観の壁など存在しないかのように腕を伸ばす。

 

「なぁに、悪いようにはしない。戦乱なんていつ起きるかも知らないけど、それが起きた暁にはつまらない傭兵よりもよほど面白いものを見せてやるよ。だからボクと――」

 

 その手が僕へと届けば、絶対に逃げられない。彼女のなかには、もはや僕が否定をする可能性など存在しないのだろう。頭の中に浮かんでは適さないと消えていく否定の言葉が流れていき、まるで蜘蛛の巣に絡め捕られた羽虫の如く碌に身動きも取れない。

 

 細く、そして白いカタリナさんの指先が顎先をとらえようとし――触れる寸前に、彼女の手に何かが打ち付けられた。

 

「いっ――!?」

 

 直後に足元へこつりと小さなものがぶつかった。指の長さよりも小さな大きさの小石。音もなく投擲されたそれによって、カタリナさんの意識は反れている。こんなものをわざわざ彼女の手に狙って投げつけるなんて――一人だけ心当たりがあった。

 

 再びカタリナさんが顔をあげるよりも早く、石が飛んできた方へと駆け出した。表通りへと続く細道の中に、僅かにその人物の姿が見え隠れしている。

 

「待てよ、話は終わっちゃいない!! いいから名前を――チッ!!」

 

 走り出した頬の脇を、再び投擲された小石が通りすぎる。これだけお膳立てされれば、少なくともこの場所から逃げるだけならば造作はない。まるで歪な階段のように連なる半壊した塀を足場にし、その都度に蹴り出したところが音をたてて崩れていく。

 

 そしてようやく地面に両足が到達した瞬間、息をつく暇もなく片手が引かれた。目の前に映りこんだのは、夜のなかでもよく目立つ淡い桃色の髪の毛。やっぱり、僕の手を引いて連れ出してくれた人物は想像をした通りだ。

 

「……助かったよ、ありがとう」

「私は何があってもツカサを助けるよ。それに……」

 

 表通りへと向けて走る最中、助けに来てくれたナインが後ろを振り返りながら口をつぐみ、その表情を強張らせる。無理もない、つい先日にカタリナさんと同じ始祖族の男に殺されかけ、そして結局僕が殺したのだ。どうしたって始祖族の人に対して色眼鏡をつけてしまうし、ナインにしてみればカタリナさんだってアリアスのように理不尽な暴威の塊に見えても仕方が無いだろう。

 

『明日の昼、中央広場に来なよ。ボクの所信表明で、君の価値観にヒビを入れてやるさ』

 

 石を投げてナインが注意を反らせてくれたおかげで、恐らくカタリナさんは追ってきてはいない。その証拠に、後ろに残してきた建物の奥から、かすかに彼女の最後の言葉が聞こえてきた。

 

 彼女が来いと言っているのは、イモ焼き屋台の店主が話していた戦姫の演説とやらのことだろう。週末に合わせて行われる、辺境に訪れた王族の挨拶。多分彼女を崇拝する傭兵や正規兵たちだけじゃなくて、数多くの市民もそれに赴くことだろう。そんな集いの中心たるカタリナさんから直々に来いと言われるだなんて、ずいぶんと光栄な話だけど……

 

「明日の予定、少なくとも一個だけは決まったよ。何があっても、中央広場にだけは行かない」

「……それがいいと思う。この街であなたの痕跡を探すのは、また今度でも出来るもの」

 

 僕の目標は成り上がることではなく、自分を探すということだ。そしてその目的は未だに入口にようやく立ったばかりで、まずは地に足をつけて行動しなければならない。

 

 少なくとも今の段階では、カタリナさんのような劇物は必要などではない。むしろ彼女のように人の価値観を上書きしうるような豪傑さは、戦いに身を置く傭兵たちにとっては良い薬であっても僕にとってはただの毒になる。王族である彼女の誘いに乗らずきっぱりと断るには、十分すぎる理由なのだ。

 

 

*  *  *

 

 

「……信じられないわねぇ、ツカサちゃんが戦姫様にーなんて。それにたとえ真実だとして、本当に演説行かないだなんて……あなたかなりの変わり者よ」

 

 翌日、結局どこに行くでもなくいつも通りに商工会の受付所に訪れた僕を待っていたのは、雇い主の呆れと困惑をまぜこぜにした表情と言葉だった。

 

 

 今日は暦の上で立派な休日であり、この受付所においても通常業務の多くが休止状態になっている。新規の仕事斡旋は受け付けておらず、精々が依頼書を見た傭兵やら便利屋たちが請け負いの手続きを行うだけ。そのため仕事の規模は明らかに小さく、新入りの僕やナインが休んでいいと言われたほどだ。

 

 しかし実際には僕たちはそろってこの場に来ている。受付の業務を補佐し、時に自身も手続きの対応を行い、結局いつも通りの仕事に従事していた。元々受付窓口に用が人も少ないということもあり、合間合間での雑談は普段よりもずっと多い。ここを取り仕切る雇い主の彼とは、いつもより自然と話す時間も多くなるのだ。

 

 昨日の夜にカタリナ様を中心に引き起こされた、まるで嵐のようなごたごた。その経緯と顛末を彼に話してみた結果が、先ほどの返答である。後になって冷静に考えてみると、第三王女という高貴な方のお誘いを無下に断った挙句、石を投げつけてその隙に逃げ出すだなんて失礼にもほどがある話だ。雇い主の顔色が若干青くなったことを顧みるに、かなりの危ない橋を渡ってしまったのだろう。せめて名前を教えることなく逃げおおせて、本当に良かった。

 

「ヴァローナのあなたくらいの男の子なんて、きっとみんな戦姫様の演説を楽しみにしているわよ。なんたって街の外からの客だって多く訪れるほどなんだもの」

 

 彼が話す通り、実際ここ最近で見てもヴァローナに訪れる人の数は明らかに増加をしている。僕たちがここにたどり着いたころから前後して、その手の人足の変化が見られていたそうな。どこから漏れたのかも分からないカタリナ様がヴァローナの特務将官として赴任するという噂話が、その一因に違いないというのが目下の推測だ。

 

「周辺から人が集まってきてんのよ。国の中央部からだけじゃなくて、北部人もたくさん。こんなの、あまりある光景じゃないわ」

「……昨日屋台の店主にも言われたんですが、北部の人ってそうすぐ分かるものなんですか?」

 

 この半年の間で、どうにも感覚としてつかめなかったのがそういう人種の話だ。さすがに分かりやすい見た目の違いがある人間族と始祖族の見分けは簡単につくが、人間族の中でも住んでいる場所によって見た目や訛りに違いがあるらしい。

 

 そもそもクアルスに住んでいた頃から、周囲の人と自分とで顔の雰囲気が異なるなということは実感としてわかっていた。しかし自分以外の見分けとなると、その辺の境目が途端に曖昧になる。

 

「そうねぇ……アタシは顔のつくり、そして訛りで見分けてるけど、感覚的なものよ。それにアタシ自身、北部の出だから同郷の人間はなんとなくわかるの。まぁ、あなたもそのうち見分けられるようになるわ」

 

 歴史的な話にまで遡れば、そもそもヴァローナの砦は隣接する巨大国家フラントニア帝国への対抗ではなく、王国北部にある諸国を見張るためのものであったとか。その後諸国がアストランテとフラントニアにそれぞれ併合され、結果ここは二国間の要衝の地へとなった。

 

 そんな経緯もあり、ヴァローナの城壁内に住んでいる北部人の割合自体は少ないものの、その周辺の村には依然として彼らの居住地域が広がっているらしい。

 

「……別に剣姫様の偉業は北部にまでは浸透してないから不思議なのよね。ま、アタシら北部人も一枚岩じゃないから、みんながみんな剣姫様目当てじゃないかもしれないわ」

 

 そう言い残すと、彼はまた受付所の奥へと戻っていった。彼自身が北部出身だというのは初耳だ。ただ、その奇抜な出で立ちや女性のような言葉づかいのせいで、彼を基準として北部の人を見分けることはまず無理だろう。

 

 

 改めてこの受付所を見回す。うつらうつらと船をこぎながら何とか事務作業にあたる先輩の受け付け係と、今しがた雇い主と入れ替わるように奥の部屋から戻ってきたナイン、それにこの僕しかいない。

 

 普段であれば依頼の登録に来るクライアントやそれを請け負う傭兵など、ずっと賑わっている。でも今日が休日ということに加えて、利用する層の多くがカタリナ様の演説に赴いているのだろうから、結果としてこのがらんどう具合。いつもならばキリが良いところまで昼を我慢するところだけど、今日に限って言えばいつ休憩にしたって誰も文句を言うまい。

 

「ツカサっ。そろそろご飯の時間だよ」

「……もうちょっと待ってね。これ終わらせたら行けるよ」

 

 処理のすんだ書類を全てまとめ終えたのだろう、あまり表情を動かさないなりにナインの期待へ満ちた視線がこちらに向けられる。少し待ってと伝えてみると、彼女はすぐとなりに腰かけた。休日の昼食くらいは普段よりも良いものを食べようと今朝がたに伝えていたからか、どことなく彼女がわくわくとしているのが何となく分かる。

 

 カタリナ様の演説による恩恵は、何もその演説本体だけじゃない。人が集まることを見越して中央広場の界隈には普段以上に出店の数が多くなる。ここに来る途中、遠くからちらりと見た様子じゃ、広場の外れのほうにまでその手の店が立ち並んでいた。

 

 劇物じみているかもしれない演説そのものは遠慮しておくけども、それに付随しているものの恩恵は受けたってバチは当たらないだろう。今日くらいは、イモの薄生地焼きから離れるのも悪くはない。

 

 カタリナ様の話では、演説自体は昼にやるということだった。ということはちょうど今くらいが混雑のピークかもしれない。少し並んで待つことは覚悟の上だけど、広場の外側に並ぶ出店を見て吟味をしよう。

 

 

「……よし、一段落。じゃあ行こう――」

 

 羽ペンを置いてようやく立ち上がったちょうどその時、受け付け所の扉がばたんと開かれた。視線を向けてみると、久方ぶりの来客、それも一人じゃなくて複数の団体だ。全員が腰に剣と鞘をくくりつけており、恐らくは依頼を請けに来た傭兵の人たちだろう。

 

 ようやくご飯だと嬉しそうにしていたナインを手で制して、再び受け付け窓口に腰かけた。おおむね傭兵の客たちはここを訪れてまず初めに依頼の紹介を僕たちに要請する。彼らの多くが依頼の募集要旨に書かれた文字を読むことが出来ず、また窓口業務に読み書きの能力が求められる理由のひとつである。

 

 予想通り、彼らのうちの一人が僕の窓口へと近づいてきた。しかし不思議なことに、未だにうつらうつらしている先輩の窓口にも別の傭兵が向かっていく。一緒に受付所に来たというのにわざわざ別の窓口に行くだなんて、彼らは別々のグループなのだろうか。そんな違和感を頭の片隅に残しつつも、接客対応用の笑顔を浮かべた。

 

「こんにちは。本日はどのようなご用でしょう――」

 

 僕の元に近付く傭兵の男を見つめるその視界の片端に、白銀の何かが煌めいた。それと共に静かな受付所の中に聞こえる、不釣り合いな風切り音。

 

 その一瞬の空白を挟み再び正面に焦点を合わせた視界の真ん中で、いつの間にか抜き放たれていた剣の切っ先が目と鼻の先に差し迫っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。