「――総員広場奥へと退避、頭上を護りなさい!!」
やはりこの女は気が付いたようだ。頭上から迫りくる、幾多もの刃たちに。即座にその指示に従って一斉に引いていく反乱兵たちとは異なり、僕とマオは互いに向かい合ったまま高台から一歩も動かない。そして直近までに訪れる、幾つもの巨大な矢が空気を切り裂いて降り注ぐ音。僕たちは互いに黒剣と十字剣を構えた。
「あなたごとバリスタの標的にするなど、正気ですか!?」
正気だとも。僕のような人間族の青二才が始祖族の戦士に挑もうだなんて、むしろこんな手を使わなければ可能性すらもその手に得ることは決してない。
中央広場へと突入してくる矢の姿が、とうとう澄みわたった空を背景にして姿を現す。街の外に向けられていたバリスタを用いた、中央広場に向けての一斉射。通常の矢とは比較にならない破壊力のそれが、この広場に目掛けて一気に弾着し始めた。
高台を構成する石畳すらも砕きながら地面へと突き立てられる巨大な槍のような大きさの矢。幾つかは広場を囲う建物の屋根に遮られるが、それでも砕かれた屋根の破片までもが広場へと飛び散り、死角であるはずの広場の端へと転がった。武装蜂起で虐殺された市民の死体、打ち捨てられた屋台の残骸、そして逃げ遅れた反乱兵。その全てに分け隔てなく、飛来した鋼鉄の長槍は容赦なく穿ち、堅牢なはずの石が敷き詰められた地面へと深々と突き刺さる。
――ツカサ、来るよ!!――
バリスタの矢の雨は、無差別にこの広場を蹂躙するように降り注ぐ。それは決して僕に対しても例外ではなく、青々とした空を突き進み矢じりをこちらに向けて一直線で迫りくる鋼鉄の矢じりを見据える。未だ倒れ伏したまま動く様子のないカタリナ様の体を護るために砦の方角に向けて立ちふさがり、黒剣をその矢に向けて構えた。
「ああ、落とす。ナインだけが頼りだ!!」
普通だったら目で捉えることも困難なほどの速度で突き進むバリスタの矢、その先端がこの体を穿ち抜くその瞬間に、黒剣を薙ぎ払った。まるで細かなずれをナインが修正してくれたのかと思うほどに刀身がこれ以上ない瞬間に矢の先端へと打ち合わされ、その直後に伝わる異常とも言える重厚な衝撃。ただ打ち合わせただけなのに腕そのものを持っていかれそうな重さに耐えて、黒剣を振り抜く。
瞬きする間もなく、反らしたバリスタの矢が背後の地面へと突き立った爆音が響き、それと共にはじけ飛んだ幾つもの地面の破片が背中にぶつかった。しかし安心している暇はなく、続く二本目の槍の姿を目の当たりにする。
次なる槍を落とすために黒剣を振りかぶり、その傍らでこの計画の詳細を思い起こした。
『砦にあるバリスタの矢の半分を、マオと僕だけが高台にて向かい合う状況を作った直後に中央広場へ一気に撃ち込む』
それこそが、雷を操り腕一つ動かすことなく周囲の敵を攻撃するという始祖族の能力を封じるための唯一の手段。再度弾き飛ばしたのは、威力を極限まで高めるために矢じりから胴体までの全てが鋼鉄によって作られた、砦を護る敵陣殲滅用の重バリスタで運用される巨大な矢だ。高所から落着するそれは容易く石の地面を穿ち、そのたびに広場へと鋼鉄の柱を打ち立てていく。
撃ち込む矢の数は、砦へ大量に蓄えられたそれの半数にも上る。その一部は周囲の建物に阻まれたり着弾地点が大きく逸れてしまうが、多数は中央広場の高台付近に突き刺さる。僕と始祖族の双方が自身に降り注ぐ矢を迎撃をする最中、周辺の状況は大きく変化をしていた。幾多もの鋼鉄の矢がハリネズミのように地面から生え、それぞれが日の光を鈍く反射する。
「……これで撃ち止めですか。ヴァローナの敵将も、使者ごとバリスタで撃とうとは驚きですよ」
辺り一面には地面に撃ち込まれた大量のバリスタの矢が散在し、そして空から更なる矢が降り注ぐことも無い。砦にある残弾の半分というのは伊達ではなく、変わり果てた光景の中央広場がそこには広がっていた。矢が何本か直撃したのだろうか、カタリナ様が縛り付けられていた柱は中ほどから微塵に砕かれ、そして広場だけではなくその外周の建物にも穿たれた跡が生々しく刻み込まれている。
僕と同じく自身に迫ったバリスタの矢を全て払い落とした敵将が、霊剣を天高く掲げた。迸る雷光と雷鳴。それは僕の黒剣へと目掛けて雷を落とす合図。十字剣の全体を覆った金色の雷光を見せつけるかのように掲げた女が、ゆっくりと切っ先をこちらへと下ろした。
「でもそれもお終いのようですね。あなたを差し出した愚かしい敵将は、私が後ほど始末をしてあげましょう。だから、あなたはここで眠りなさ――っ!?」
霊剣から雷が放たれ、視界が金色の染まる寸前に目を瞑る。真昼の太陽からさえも光を奪わんとする、凄まじい雷光と耳を劈く爆音。しかしそれに続くはずの命を奪う雷撃はこの身へとは伝わらない。それはもう予想をしていたこと。まだ雷鳴の残り香がピリピリと肌を刺激する中で、再び瞼を開けた。
僕は、ようやくこの女の鼻をあかしたのだ。蓄えた雷撃が対象に直撃するどころか霧散したことに目を見開くマオの姿を正面に捉える。今やここは、避雷針としての役割を与えられた幾つものバリスタの矢によって強固な耐雷防御に覆われた空間と化した。圧倒的優位にいるという誇示を崩さぬままにあくまで僕を処断する対象としか認識していなかったこの始祖族は、初めてその優位さがもはや維持されていないと知ったのだ。
両手の黒剣を構えなおし、そして足へと力を込めた。周囲に突き立てられた幾多もの鋼鉄のバリスタの矢、それらを縫うようにして標的に接近する最短経路を思い浮かべ――地面を蹴り出した。
「くっ、雷が!! ですが、あなたなどそんなものが無くとも――」
「言えよ、"無くとも"何だっていうんだ!?」
確かにただの武器で挑めば、この女の霊剣とやりあうなど不可能だろう。でもナインならば、この黒剣ならばそれに追いすがることができる。再び電光を纏おうと光りだす十字剣を前にして、僕は背中を向けるどころか一抹の迷いもなく黒剣を打ち付けた。
返ってきたのは、まるで堅牢な岩を切りつけたかのような手応えの無さ。しかしその衝撃と共に蓄えられていたであろう雷が再度周囲へと弾け、それらはこの身を蝕むことはせずに全てが突き立てられたバリスタの矢の胴体へと吸い込まれるようにして消えた。
霊剣を押し留めるべく、二本の黒剣へ全身の力を込める。押し込むたびにほとばしる雷撃、そして敵の顔に浮かぶ驚きの表情。それはすぐに憤怒へと染まり、この膠着状態すらも長続きはしなかった。
「……鋼鉄の矢。それで私の全ての力を封じた気ですか――うぬぼれるな、人間族が!!」
まるで動く壁を前にしているがごとく、押し留めていた十字剣が万力のような威力と共に押し出された。到底押さえきれないそれにたたらを踏み、姿勢が完全に崩れ散るよりも前に後方へと飛び上がる間際、振り抜かれた十字は電光を再び纏い始めていた。
地面に足が着き、もう一度突撃をしようとしたその鼻先に雷の火花が瞬く。マオの構えた十字剣は無作為に周辺へと雷を飛ばし、その切っ先が寸分の狂いなくこちらへと向けられる。
「確かにただの雷は周辺の鉄で阻害されます。ですが――」
十字剣の切っ先から幾度となく周囲のバリスタの矢に向けて細かな雷が伝う。完全に敵の制御下から外れた動きのそれは、絶対にこの身を狙って焼くことはない。だというのに、冷や汗がほほを伝う。
――逃げて!! 奴のもう一つの能力、それは、――
視界を焼くほどにまで明るさを持ったその剣先が僅かに震えるその間際、頭の中にナインの叫び声が響いた。逃げろ、それは一体何処へだ。いや、そもそも何から逃げれば良い。そんなことは、まるで巨大な弩のように構えられた始祖族の霊剣を見た瞬間に、本能で理解を強制させられた。銃身を成す十字剣の先端が眩く輝き――
「――紫電一閃、消し飛びなさい!!」
それはまさに、雷光そのもの。雷を吸引するはずの鉄柱の全てを無視した、十字剣の先端から一直線に放たれる雷撃と熱線。体の僅か右を通過したそれは、直撃を避けたというのに火傷をしたのかと錯覚するほどの強烈な電熱を空気を通して伝えた。穿たれた建物の壁を中心に、異様な焦げ臭さが立ち込める。その雷撃線を放った十字剣は、再び雷光が集結していた。
それは、この戦いが始まる前から危惧していた、雷撃の他に霊剣自身が保有しているこの女のもう一つの能力。片方の能力が事実上封じられたために、次なるそれが姿を現したのだ。
――あいつの剣が持つ特能は、自身の能力の強制投射。持ち主の能力が雷ならば、たとえ電磁的な阻害があっても、それすらも突き抜けて何かに直撃するまで突き進む――
つまり、人間族である僕が始祖族に立ち向かうために用意した最終手段すらも無効化する、酷い理不尽にまみれたものだということ。たとえ奴の雷が強力だとして、自然現象の延長に過ぎないそれは天然の雷と同じく避雷針たちに吸引されて然るべきだ。しかしあの女の隠し玉は、それすらも超越するのだというのか。
立っていた場所を、再び光線のような雷撃が通過する。僕が出来るのは、ただ敵が構える十字剣の射線上から逃げるということだけ。体勢を崩しながら横っ飛びで避けたその先で、更に雷光を纏わせてこちらに向けられた霊剣の姿を見て歯噛みする。
――落ち着いて。確かに能力の投射は強力だよ。でもその投射は剣の先にしか行えない。そして投射の瞬間には、剣を銃座として固定しなければならない。だから――
「肉薄すれば、そこが死角になるッ!!」
走り出したその脇を、雷撃を宿した熱線が通過する。髪の毛を焦がさんとするその勢いに決して怯まずに、脳内に聞こえるナインの声だけを頼りにマオを目掛けて突撃する。彼女の言う通り、奴はまるでバリスタのように巨大な十字剣の切っ先をこちらに構えていて、そしてそんな巨大なものは高速で接近する僕の身をどうやったって捉えられるわけがない。
仕掛けが分かれば、あとは単純だ。軌跡の分からない雷よりも、全ての障壁を突き破ろうとも直進しかできない雷撃線の方がよほど対処は容易い。電光を纏い再び能力を投射しようとマオがこちらを捕捉するよりも早く、幾多ものバリスタの矢の柱を縫って、再度黒剣を構えて飛び掛かった。
碌な狙いも付けずに放たれた雷撃線の上で、黒剣の切っ先を標的に向けた。いくら強力無比な威力を誇ろうとも、ここまで近づかれてしまったら牽制の効果すらもない。
「小癪な……人間が!!」
今度は決して打ち負けない自信があった。隠しきれない尊大さと共に苦し紛れで振るわれようとした十字剣の背を、全力を持って黒剣で打ち据える。途端に剣の表面を覆っていた雷光が弾け消え、長大なその刀身を削るかのようにして更に敵の懐への接近を敢行する。
その瞬間、世界の全てがゆっくりと流れだす。火花を散らして十字剣の表面を撫でつける黒剣、それと共にマオの胴体へ目掛けてもう片方の剣を振りかぶる。目を見開く敵将、その首元は全くのがら空き。後ろから追う敵の十字剣が僕を薙ぎ払うよりも先に、その首を穿ち抜くのは簡単なこと。この僕に、出来ない訳がない。スローモーションの世界の中で、ただ一片の容赦もなく縊り殺すことだけを考えて剣を振るい――
「リーフェン様に、手ェ出すな!!」
後方の反乱兵により投てきされた一本の槍が手元を狂わせた。首の皮を薄く切り裂くに留まった直後、即座に槍を弾き落とすために黒剣を振るい――強烈な衝撃が背中を打った。肺から押し出される熱い空気、迫りくる地面の石畳。打ち付けられる寸前に受け身を取ってなければ、間違いなく気を失ったであろう衝撃が次の瞬間に全身へと伝わった。
地面に手をかけて起き上がり、そして振り返ったところで目に入る、雷光を纏わせた霊剣の切っ先。それは寸分の狂いなくこちらへと向けられていて、強烈に瞬いたのとこの場所から飛びのくべく足に力を入れたのは同時。しかし、僅かに動き出すのが遅れた。
「――ヂィッ」
左足の片隅に響く激痛、噛みしめた歯の間から漏れ出るうめき声。それは紛れもなく雷撃線に焼かれたということ。もはや痛覚を通り越して感覚全てが無くなったかのように、己の左足はただ膝から下がぶら下がっているだけ。片足でなんとか体を支え、目の前を見据えた。
「……ここまで私を追い詰めた人間は、あなたが初めてです。その点だけは敬意を表しましょう。ですがその蛮行、もはや生かしておくことはかないません」
薄く切り裂いた首筋から血を流しながらも、始祖族の女はこちらに霊剣の先端を向けていた。そして今この瞬間、僕と対峙をしているのはマオ一人だけではなくなっていた。周囲を護るかのように集結する反乱兵たち、その全員がこちらに向けて剣先を並べている。四面楚歌、この状況に堪らず舌打ちを鳴らす。
ただの荷物となり下がった左足を引きずってマオと戦おうにも、その周囲にいる兵士たちが必ず介入をしてくる。彼らが退避していたのはこの始祖族の扱う雷撃能力を阻害しないためであり、その能力が地面に突き立てられたバリスタの矢で封じられた今、彼らが律儀にそれを見守る理由は無くなった。彼らに現状を把握させないままに敵将を葬り去るという戦法は、ここにして潰えたのだ。
「さあ、幕引きと行きましょう。ここまで粘ったのは結構。しかし死に際までも無様に足掻くのは、これまでの自身の行動に泥を塗りますよ。この状況、あなたにもはや微塵も勝ち目は無い」
首から垂れる血を手で拭ったマオは、初めてその眼に嘲りを宿した。この女の本質は、戦いの中で既に見え隠れをしていた。一見すれば、蜂起する機会を伺っていた北部人を導いた、ある意味では人間たちを導く理想的な始祖族としての在り方。しかしその本性は真逆。こいつは人間というものを見下し、そして自分には決して害をなすことも出来ない矮小な存在と信じて疑わないのだ。
「あんたの本質は、指導者ではなく独裁者だ。いつまでそうやって、自分を無駄に飾り立てる? あなた方北部人は、何故そうまでしてこの始祖族に付き従う?」
「……何を話そうが、あなたはここで私が殺す。私に挑んだその瞬間から、それは決まっていたことだ。最期に言い残すことはありますか」
確かにこの女の言う通り、この状況では僕が敗北する未来しか待っていないだろう。敵将を打ち倒すどころか、ここから離脱をすることすらも叶わないだろう。敵はマオだけではなく、その周囲に付き従う何人もの反乱兵たちを含めた全てなのだから。
しかし僕は再び顔に笑みを浮かべる。この女は、そして反乱兵たちは、まだ何も分かってはいない。自分たちがこの広場に何を呼び込んでしまったのかを。それは果たして、黒剣というイレギュラーを抱えた僕か、それとも砦からのバリスタの矢の一斉射か。いや、そんな生易しいものではない。そもそもヴァローナの将官にその決断をさせたのは、僕たちにまだもう一つのカードが残っていたからだ。
「――最期に言い残すこと? そんなの、お前が言えよ」
不意に聞こえた、不遜な響きの声。これこそが、僕が切れる最後のカード。
瞬間的に沸き起こる、とてつもない熱波。視界の中で急激に沸き起こる、黒と紅の二色で彩られた荒縄のような炎。反乱兵たちを飲み込むようにして突き進むそれは、バリスタの矢が突き立てられた空間を瞬時に包囲した。
周辺の光景が、一瞬の間でまるで煉獄のような様相へと変化を遂げる。今やこの赤黒い炎で包まれた中には、体の各部を炎に蝕まれてのたうち回る反乱兵の他に、たったの三人しか地に足をつけて立ってはいない。再び黒剣を構えて、無理やりにその場へと立つ僕。こちらへと向けていた十字剣を帯電させ、即座に後ろへと振りかぶるマオ・リーフェン。
「ほら、雷はどうしたんだよ。散々ボクの身を焦がしたアレは。ああそうか、使えないのか」
そしてその霊剣は、重厚な音を響かせて十字剣の大きさに勝るとも劣らない巨大さの鉾槍に阻まれた。赤黒い炎をその刀身に纏わせる一層の深い紅色に染まったハルバートは、圧倒的な破壊力を宿していたはずの十字剣を打ち据えてなお押し返さんばかり。
これ以上ないタイミングで意識を戻した戦姫カタリナ・フォン・アストランテが、赤黒い炎の中で獰猛な笑顔を浮かべていた。