記憶の無い僕と黒い刃の彼女   作:丸いの

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20. 誰かが見た夢

――ピピピピッ ピピピピッ

 

 目覚まし時計から無機質な電子音が響き渡った。同じフレーズが数秒間流れるごとに段々と音が大きくなるそれは、そのすぐ脇で布団を被って寝ている僕を起こすのには十分なものだった。布団の中からニュッと腕を伸ばし、枕元の小棚上をごそごそと弄り、右往左往した後漫画やゲーム機と一緒に置かれた目当ての目覚まし時計を掴んだ。

 

「……寒い」

 

 時計上のボタンを押してアラーム音を止め、少しばかりの間温かみが残る布団の中でもぞもぞと動く。僅かに開いた布団の中に入ってきた寒気は、目覚ましの音以上にこちらの眠気をそぐには十分すぎる代物だ。こんな平日にだらだら二度寝をする余裕なんて無いんだから、とっとと起きるほかはない。

 

「起きなくちゃ……眠い」

 

 しかし勢いが良いのはここまでだった。のそのそと布団から起き上がり、ベッド脇に置いてあったモコモコの羽織を引っ掴んで着込んだ直後、背筋を丸めながら歩き出した。ただでさえ寒さが深まる年の瀬で、その上今年は例年よりもずっと寒さが強いと連日ニュースで言っている始末。

 

――年の瀬……? 今は、冬が明けた初春だ――

 

 ふと頭の中に違和感が過るが、それは一瞬の間のこと。今はともかくしゃきしゃきと動かなくては。自分よりもずっと早起きをしている両親が、下のリビングルームで朝食をとっているはずだ。それに乗じてとっとと準備をしなければ、遅刻をしてしまうかもしれないのだから。

 

 

* * *

 

 

『――日本重工業が、四葉工業医療部門の買収を検討していることが、21日明らかになりました。昨年秋から四葉工業の医療部門は業績不振に陥っており――』

 

「これ検討じゃなくて、ホントのところはもう既定路線だよ。おかげで連日面倒な会議が――おお、起きたか。おはよう、司」

 

 テレビで流れる朝のニュースを顰め面で眺めていた父親が、トーストを片手に声をかけてきた。ここ数日、父親が家に帰宅する時間は半年くらい前と比べて随分と遅くなっている。その理由についてあまり聞いたことは無かったけど、どうやら今テレビで話していることのせいなんだろう。

 

「おはよう、コーヒー湧いているから注いで頂戴ね――大変ね、あなたの所属も変わるんでしょ?」

「肩書だけだ。仕事内容はそう変わらんさ。多少の人事異動に巻き込まれるかも知れんが、そうなっても引継ぎのため最低でも一年は転勤も無いだろう」

 

 両親が共にニュースの内容に興味津々で、軽めの挨拶も過ぎれば二人そろって転勤やらなんやら入り組んだ話をしている。一方で僕ときたら、父親の言うように最低限一年の間は引っ越しも無いのだろうから特に不安なことも無かった。来年に控えた大学受験、それが過ぎれば親元を外れて一人暮らしをすることだって世間的に見れば珍しくも無い。少なくともその瞬間まで待っててもらえれば、そこまで大きな影響は無いはずだ。

 

――大学受験だって? 今僕が目指しているのは、己の過去を知るというただその一点のみのはずだろう――

 

 再び頭に何か不思議なものが浮かんでは消えていった。何の変哲もないこの日常を真っ向から否定するかのような可笑しな考え。それは果たして、起きる寸前まで見ていたのかもしれない夢か何かに引っ張られてるのだろうか。

 

「司、体調でも悪いのか。そんなしかめっ面して」

「……いいや、たぶん変な夢を見ただけ。そうだ、今日ちょっと帰るの遅くなるからね」

 

 無理やりに話題を変えるがために、母親へと声をかけた。内容の一片すらも思い出せないような夢なんかに意識を裂くことは馬鹿らしいし、それに本当に今日は帰る時間が遅いのだから実際知らせておいた方が良い。

 

「あっ塾ね。分かった、夕飯はお父さんと同じくらいで考えておくわ」

「そういえば、司。もう志望校は決めたのか? もう来年くらいに控えてるんだから、そろそろ第一志望くらいは絞っていた方が良いぞ」

 

 テレビから意識を戻した父親が、ふと思いついたようにそんなことを聞いてきた。志望校、それは今後の人生を決めるうえでかなり重要な決断になると日々家や学校の双方で耳にタコができるくらいに聞かされている話だ。そんな中で最も行きたいと願う対象の第一志望となると、ある程度は高望みをしたうえで決めろとも言われている。

 

「……今のとこは東都工科大学で考えてる」

「良いじゃないか。あそこの出身者はうちの部署にも何人かいるよ。ただかなりの難関大学だから、気を引き締めていかんとな」

 

 時折の模試や定期テストの渋い結果から言ったらそれなりに攻めた選択肢ではあるけど、父親の評価自体は上々みたいだ。気楽に高校生活を送れるのももうそろそろお終いで、これからはどんどん受験というものを頭に入れて過ごしていかなければならない。少なくとも、そのレベルの大学を第一志望に据えている以上、避けては通れない道なのである。

 

 

 朝食を食べ終えて準備を全て整えたら、あとはもう家を出るだけだ。鞄を肩にかつぎ、そして玄関の取っ手を握り締めたその瞬間、ふとした違和感に襲われる。今朝起きてからずっと続く違和感、それは果たして夢の中で見たのかもしれない情景と現実のギャップに頭が混乱しているだけだろう。しかし今感じたのは、ただそんなギャップに戸惑うというものではなく、何処かノスタルジックなもの。

 

 この扉を開けるその前からずっと続いていたその感触が、扉に手をかけた瞬間になってピークとなる。今朝の光景は普段から繰り返されてきた日常から外れるものじゃなく、それは本当に何の変哲もないものだ。それだというのに、こうやって家を出る直前になって何故かそんな日常に対して不可思議なノスタルジーを抱くのだろう。

 

 気が付けば、熱くなる目頭。まるで涙を流しているかのような感触だというのに、目をこすっても手は塗れず、玄関脇に立てかけられた鏡をみても自分の顔に涙なんて一滴たりとも浮かんではいない。ただ自分の体の内面だけがボロボロと涙を流すかのような、隔絶の激しいギャップ。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 別に今この瞬間にこの日常に切なさを感じる必要は無いのだ。学校や予備校から帰ってくれば、またこんな家族との光景はまた繰り返されるのだから。この光景は、これからもずっと見ることになるであろう日々の一コマに過ぎず――

 

――本当に、そうかい? 本当に僕は、これからもその日常の中にいるのか?――

 

 その扉を開けてはいけない!! そこで僕はようやくこの光景の本当の意味に気が付いた。また目が覚めたら、この現状を把握したという記憶は消えて失せてしまう。手を止めようとしても、涙を流し続ける内面の僕の意志とは裏腹に、"僕"の手はドアノブを握り締め――

 

――だって今の僕が居るのは、――

 

 玄関の先に見えた明るい太陽の姿が、この住み慣れていた家で見た最後の光景だということを思い出した瞬間に、全ての意識が潰えてしまった。

 

 

* * *

 

 

 目を覚まして始めに感じたことは、節々に響く鈍痛だった。それも急激な運動をした後の筋肉痛とかそういう類のものではなくて、痺れとかでうまく体を動かせないときのような性質のもの。ただ上半身を支えて起き上がるという行為だけで手一杯など、一体何が起きたというのか。

 

 窓辺から差し込む光は、既に十分な高さを持っている。となれば、今は別に朝早くというわけでは無く――そこまでを考えたところで、ようやく自分が寝かされていた部屋が見慣れたものではないということに気が付いた。

 

 ヴァローナに来てから借り受けていた商工会の宿舎の片隅にある小部屋よりも、よほど広々とした空間。下手すれば、仮にも一軒家だったクアルスで住んでいた小屋よりも見た目の広さは勝っているのではないのかというほどだ。調度品一つとってもどれもが高価そうで、それに地面へ敷かれたマットがこの部屋の上質さをありありと物語っている。こんな空間、自分には全くの無関係だし場違いといっても過言じゃない。

 

「……ツ、カサ――」

 

 そして足に感じる重さの正体を目に入れた。自分が寝かされているベッドの縁に腰かけたまま、僕の太ももを枕にして寝息を立てる薄桃色の頭。小さな寝言を漏らしぐっすりと寝ているナインを見る限り、少なくともこの状況がどこかに拉致監禁されているというわけでもないことは予想できる。

 

 

 ならば、何故自分はここに寝かされているのか。記憶の中の最後の光景とは、果たして何だったのだろうか。砦の将官であるイーリスに敵を打倒する策を進言し、そしてその策に乗っ取って中央広場に奇襲をかけて――

 

 その瞬間に、猛烈な吐き気が喉の奥から押し寄せてきた。また僕は、己の手で人を殺した。敵将の喉に突き立てた黒剣、その生々しい感触はまだこの右手にありありと残っている。

 

 首と口の両方から血を流しながら、虚ろな目であの始祖族は僕を見つめていた。それは瞳から色がなくなり、そして全身が黄色い無数の結晶に覆われるその時まで。まるでつい数秒前の出来事かのように、目をつぶればその光景が生々しく甦る。

 

「……はっ――なんだよ、こんなの」

 

 疑問しか浮かばない。あの瞬間を思い出しただけでここまで手が震えるというのに、なんであのときの自分は何の躊躇いもなく敵を殺したんだ。それはマオを相手にしたときだけでなく、母子を刺し殺そうとした反乱兵に対したってそう。彼らを前にした僕は、逃げようという意思ではなくただ打倒しようというその一心に突き動かされていた。

 

 そんなの、港町の外れで読み書きを教えながら慎ましく暮らしていたつい数日前の自分とは全く重ならない。ならば霧の中に見え隠れする過去の自分という幻影。それは果たして、僕が考えていたよりもずっと――

 

 

「おっ、起きてる。やぁ、気分はどうだい?」

 

 泥沼に沈み行く意識を引き上げたのは、そんな明るい声だった。いつの間にか部屋の扉は開け放たれており、そこに立っているのは黒い色をベースにした軍用の軽装に身を包んだ一人の女性。窓から吹き込んだ風が、その女性の長い黒紅色の髪の毛をふわりと揺らした。

 

「カタリナ、殿下……」

 

 正直なところ、気分は最悪だ。過去の自分という今もっとも明かさなければならないものが、今の自分と想像以上に隔絶した存在である可能性が示唆されたのだから。でも今はこの国の頂点に立つ王族の御前だ。失礼は許されない、その一心でこの気持ちの悪さを飲み込んだ。

 

「まぁ、呼び方は追々変えれば良いや。君の名前は聞いたよ。ツカサだっけ、君も無茶をしたよね。あそこで気を失ってから、今日でかれこれ四日になるよ」

 

 彼女のいうあそことは、恐らくはヨードルが中央広場に駆け付けたあの瞬間か。記憶の限りで残っているのは、あれが最後の光景だ。彼が砦の兵を引き連れているのを見た直後に、ようやく事態は僕の手のひらから出ていってくれたのだという安心感により気を失ったのだろう。

 

 そこから四日間眠り続けていたというのは驚きだが、その一方で当然なのかもしれないとも思う。文字通り自分の体の限界を超えた動きというものをこの身でやったのだから、むしろ今もこうして五体満足でいることに感謝をしたほうがいいかもしれない。痛む足や雷撃に焼かれた両手でさえも、あの瞬間に感じ取った不可視の膜を通したら自由に動かせたほど。その代償と考えれば、軽いものだ。

 

 起き上がろうと手に力を込めたが、想像していた以上に腕に力が入らない。ただ上体を起こすだけで一苦労なのだから、これは立ち上がった直後にそのままぶっ倒れかねないだろう。

 

「……すいません。力が入らないので、このままの姿勢でよろしいでしょうか」

「別に構わないさ。まだ寝てるのかなって様子を見に来ただけだし、今の状況については砦の兵が後々言いに来るだろうしね。ところで、夢見でも悪かったのかい?」

 

 中腰に屈んだカタリナ様が、僕の目の端を指さしてそう言った。彼女の手の先をなぞるようにして触れた自分の目。そこには、いつの間にか流れ出ていた涙が付着していた。それが伝う先にまで指を下ろしていけばいつの間にか頬をも通り過ぎ、ふと襟の下を見てみれば流れ落ちた涙が染みを作っていた。

 

「――えっ。なに、これ……」

 

 いつの間にか頬を濡らしていた涙、しかしそれが新たに瞼の中から生み出される様子もない。果たして、あの修羅の巷を生き延びたことに対する感動か、それとも人をまた殺したということに対しての苦悩の最中に気が付いたら泣いていたのか。はたまた彼女の言う通り、もはや欠片も記憶に存在していない何かの夢で涙を流したのか。今残っているのは、ただ僕が何故か涙を流していたという痕跡のみ。そして理由すらも分からない。

 

「あの始祖族に対峙して生き延びたどころか打ち勝ったんだから、うれし涙の一つということにしておけばいいさ」

 

 部屋の片隅に置いてあった椅子を運んできた彼女は、それをベッドの脇に置いて座った。結局のところ理由の分からない涙でしかないのだから、カタリナ様の言うような割り切りをして深くは考えないことにするのが賢明だろう。

 

「さて、まずは礼を言わなきゃね。ツカサ、助けてくれてありがとう。君があの時イーリスを説得して駆けつけて無ければ、ボクは間違いなく死んでいた。頭に血が上ると直情に従って行動してしまう。昔っからの悪い癖さ」

 

 少しだけバツの悪そうな顔を浮かべて、カタリナ様は正直にそういった。てっきり、手助けは必要ないだなんて風を装うのかと思っていたから意外だ。

 

「ボクも、あの後丸一日ぶっ倒れていたんだ。色んな所に火傷して、こうやって歩き回る許可をもらったのもつい昨日。それでも、生きているか死んでいるかじゃ大違いさ」

 

 よく見れば、軍服の袖口から包帯にまかれた箇所が見えていた。彼女の霊剣を伝いマオの雷がその腕を焼いたのだろう。もしかしたら、そもそもが彼女の能力や霊剣は、敵の雷を扱うという能力と相性が悪い代物であったのかもしれない。

 

「君もそこの子には起きたら感謝を伝えると良いさ。君がここに運ばれてからずっと彼女はそこを離れていないんだ。朝から晩、そして次の日の朝までずっとね」

「そうか、ナインが……」

 

 未だに起きる様子もないナインへと目をやる。いつ起きるかも分からないのに、ずっとここに付き添っていてくれたのか。その親切さに感謝をすると同時に、少しだけ胸が痛くなった。彼女の中の僕、もう記憶から消えた過去の自分は、そこまで彼女にとって大きな存在だったのかもしれない。

 

「……それだけじゃない。君があの時倒れた後、乱戦の最中に反乱兵が君に剣を振りかぶった瞬間に、この子は唐突に戦場へと現れてその兵を殺したよ」

 

 ふと、カタリナ様の声が堅くなる。彼女がナインを見つめる目には、柔らかさではなく何かを見極めようとする意思がある。ナインがあの戦場で僕を救った、つまり黒剣として顕現した状態を彼女自身が解除をしたということ。

 

 倒れ伏した僕のすぐ近くで戦っていたカタリナ様は、もしかしたらその瞬間を目にしたのかもしれない。黒い双剣という形状を解き、白光と共に現れたナインの姿を。

 

「病み上がりのところ悪いけど聞かせて貰おうか。黒い双剣と入れ替わるように現れたこの少女と、君が扱っていたその黒い双剣状の"霊剣"のことについてね」

 

 真紅の双眼がじっとこちらを捉えた。そこに浮かぶのは有無を言わさぬ強い意志、そしてナインと僕へ抱くとある予感と確信。この僕ですらも知らないような話、ナインが顕現した黒剣のことを始祖族しか扱うことの出来ない霊剣だと言い切るだけの根拠が、この人にはあるのだろう。

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