記憶の無い僕と黒い刃の彼女   作:丸いの

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25. 地上の冥府

 城塞都市ヴァローナを出発してから7日が経過した。旅路の半分は過ぎたといって間違いはない。リーベンハイム伯爵領地の最西端にある宿場町を出たのが今朝の出来事だ。ここから難所であるリオパーダを抜けるまで、宿の無い過酷な旅路が待っている。

 

 周囲の景色は森林地帯に差し掛かっていることを示すように、木々が林立していた。ひとたび横を見ればまるで出口なんて無いかのような鬱蒼とした様子は、クアルスからヴァローナに向かう街道のものよりも遥かに広大な森が続いていることを予想させる。しかし、こんな雰囲気の場所ですらリオパーダの鬱蒼とした森林にはまるで劣るという。

 

「アッシは何度か行ったことがあんがね、あの森はこの比じゃねぇんだ」

 

 そう話すのは、隣で馬車の手綱を操る御者の男だ。さすがに7日間も馬車に揺られていたらやることもなくなる。賊の襲撃が無かったのは幸いではあるが、最後の宿場を出てからは対向の馬車にも会わないとなると飽きも来る。

 

 リオパーダに入るまで英気を養うということでカタリナ殿下は仮眠しており、その隣でナインと雑談をし続けるのは建設的ではないし殿下の邪魔になる。だから、結局僕たちは御者のとなりに腰をおろし、後学のためと馬車の操舵を観たり御者と話に花を咲かせていた。

 

「なんせ一面が夜のように暗ぇ。こんな木漏れ日なんてほとんどねェのよ。おまけに何処からともなく獣の遠吠えが聞こえる……始祖様を乗せてでもなければ、こんな道など選択肢にも上がらねぇ」

 

 ハオランと名乗った御者の男が、おどけたように大袈裟な身震いを見せる。彼の話はいくつか聞いただけでも、リオパーダが想像していた以上の危険地帯であるという認識が深まった。

 

 現状の見立てでは、リオパーダ地帯を踏破するのに丸一日以上かかる見通しだ。広大な上に起伏にとんだ一帯は、例え馬四頭の力であろうともそれだけの時間を要する。旅路を決するための勝負は恐らく明日になる。今日中にリオパーダの入り口付近までたどり着き夜を明かし、そして明日中に深層部を一気に踏破するのが目下の目標だ。

 

 

「……その大規模な森は、何処まで拡がっているの?」

 

 横で一緒になって話を聞いていたナインが、そんな問いかけを口走った。おそらくはアストランテ王国の中部を半分覆い隠すほど、そんな壮大なスケールなんだろうと思っていた予想は、しかしハオランの答えでそれすらも見通しが甘かったと思い知る。

 

「そうだな……リオパーダだけでも帝国領土の一部を飲み込んでいる。その上フラントニア帝国の奥地も、ここみたいな広大な森が広がっているんだとよ」

 

 一見して平然としているナインとは対照的に、僕は驚きが隠せない。人の手を拒む深層の森林が、リオパーダ以外にもあるということは、今まで知るよしもなかった。

 

「深層森林の出現が古代文明の崩壊の一因だって言ってる学者さんもいるくらいだ。この世界には、そんな代物が幾つもあるんだから笑えねぇよ」

「……それはまた恐ろしい話ですね。文明一つを滅ぼすだなんて」

 

 ヴァローナで見た遺跡のことを思い出す。始祖族の霊剣や魔術によって打ち破れないような堅牢な建築物を造るほどの文明。それすらも飲み込むという逸話が存在するなんて、リオパーダのような深層の森林地帯の扱いはもはや災害級なのだろう。

 

 人々の間で語り継がれている大英雄プリムスの伝説にも、鬱蒼とした森林というものは登場していた。国や街を呑み込まんとする森林を絶大な力により切り開き新たな集落を興し、そして人々に安寧の住みかを与える。なるほど、ただ強大な敵を打ち倒すだけではなく民を導くとなると、流石は原初の英雄、全ての人民の王として君臨するだけはある。

 

「神話世界から今日まで、深層の森ってのは逸話に事欠かないんよ。この国の王都サンクト・ストルツは英雄プリムス様が最初に森を切り開いて造った街だし、リオパーダの中には手付かずの古代遺跡が数多く眠ってるって噂だ。それに――」

 

 

「――森林により隔絶された西方の地には伝説の竜の国がある、とかね」

 

 操車台と客室を仕切っていた布が払われると同時に、あくび混じりの声が聞こえた。目の端に付着した涙を乱雑にぬぐい、さっきまで寝息をたてていたはずのカタリナ殿下が眠そうな顔で姿を表す。

 

「失礼しました。煩くしすぎまし――」

「違う違う。もうそろそろリオパーダだろ。それにずっと寝っぱなしだと流石に疲れる」

 

 邪魔だったわけではなかったことにひとまずは心のなかで胸を撫で下ろす。何処までも同じような森の続く道では、深層の森林がどこから始まるのかはさっぱりわからない。しかし彼女のような魔術を手足のように扱う始祖族には、その森が放つ魔力か何かを捉えるから分かるのかもしれない。

 

「カタリナ、様。竜とは一体……?」

「……ツカサはまだしも、ナインの敬語は大概付け焼き刃だね。まぁボクは気にしないけど。それで、竜だっけ。そもそも竜ってのは――」

 

 竜、そんな荒唐無稽な存在なんておとぎ話のなかでしか聞いたことはない。人よりも遥かに巨大で強靭な体を持ち、強力な魔術を思うがままに操り、そして大きな翼を操り天を思うがままに駆け巡る伝説のような生き物。

 

 プリムスの英雄譚において、彼らはかの大英雄と共に強大な敵と戦う存在として描かれていた。時に人の体という形もとって、竜達は世界を滅ぼさんとする魔将たちへと立ち向かったのだ。

 

 だがそれが語られているのは、真実かどうかも怪しい古代から語り継がれている英雄譚。羽ばたきで竜巻を起こすやら森一つを焔で焼き尽くすやら、流石は神話というような強大さ。そんな天災級の存在と手をとった英雄プリムスがすごいのか、はたまたそうまでしなきゃ倒せなかった魔将たちがすごいのか、僕には知る由もない。

 

 僕に推測できるのは、もしプリムスの元となった偉人が存在するのならば、おとぎ話の竜のモチーフになった者も存在するのかもしれない、ただそれだけだ。

 

 

 そんな伝説の生き物である竜が国を作り、しかも深層の森林地帯の果てにあると噂されているのだ。もしそれが本当ならば、リオパーダのような森は人にとって荷が重すぎる。

 

 ただでさえ魔力により異常な成長を遂げた獣たちが闊歩するうえに、その奥地には神話の生き物がすくう。そんな森が国のど真ん中や諸国の西側に鎮座する。そりゃあ、いつまでたっても大陸西側の姿も明らかにならないわけだ。

 

「……一応、竜は存在することになっている。百年ほど前に、竜の血族が王都に訪れたという記録があるんだ。父上――現アストランテ国王も、幼い頃にその目で見たと言っていたよ。でも、ボクのような若者は王族であっても見たことはないし、それが神話のような生き物であるかはまるで分からない」

 

 そこまでを話し終えた彼女は、表情を険しくして馬車の向かう先へと視線を移した。いつの間にか木漏れ日は深まってきた木々によって弱くなり、顔に吹き付けられる湿った風は深い木々を予想させるように喉奥を濡らす。

 

 そして遥か先に見えるほの暗い街道は、ただ明るさが無いだけではなく白い靄がかかったかのように視界を遮る。それを見た瞬間に、思わず生唾を飲み込んだ。

 

 

「……霧か。話には聞いてたけど、あれじゃ視界も何もあったもんじゃないよ」

「へぇ、この季節は特別濃いんで。リオパーダを抜けるまでは、ずっとあんなのが続きます」

 

 朝のクアルスに広がっていたような霧とは、きっと根本的に質が違う。前後左右が白と黒の闇で覆い隠されるような、そんな圧迫感がリオパーダにはひしめいているのだろう。

 

 そんな視界すらもままならないような深層の森林が、もう目と鼻の先に迫ってきている。頭上に伸びる木々の間からわずかに見えた景色でもわかる、全てを圧倒しかねないほどの巨木が林立する地帯へと入りつつあるのだ。なるほど、確かにそこらの森とは比較にならない危険さというのが、ようやく体感として心へと収まる。

 

「……王都の連中め、本当に酷い行路を指定してきたな。賊どころか、少し街道から外れただけでおしまいだ。皆、心してかかるよ」

 

 今さら後戻りなんて出来やしない。この先にある王都へ到達するには、容易く命を落としかねない危険と神話世界の逸話に溢れたこの深層の森林を抜けるしかないのだ。

 

 

* * *

 

 

 嫌な予感というものは、往々にして現実のものとなる。リオパーダへ入る間際に感じた、この霧の深い森で何かが起こるかもしれないという予想は、今まさに形となって牙を剥いていた。

 

 白靄にかすれた異様な光景のなか、吐息の音が生々しく響き渡る。これは決して危険な状況に追い込まれた自分自身が吐き出したものなどてはない。馬車が全力で駆けるなか、馬や客車の車輪ではない、何かかが地面を走る気配を感じる。

 

「右側、くるよ!!」

 

 甲高く響くはカタリナ殿下の叫び声。手に持った剣の柄は手汗と霧でぐっしょりと濡れて、しかし滑り落とさぬよう一層強く握りしめる。白い闇の中に見え隠れする朧げな影と気配、それが一段とはっきりとした輪郭を現した。

 

 

 一瞬の刹那。濃い灰色の巨体が霧の中から飛び出した。纏わりつく霧を振り払うかの如く、馬車と並走していたその巨体はひと際大きく飛び上がる。強靭な体を見せつけるかの如く宙を舞い、研ぎ澄まされた刃のような牙と爪が馬車へと襲い掛かる瞬間――

 

「しつこい――連中だ!!」

 

 その軌跡に目掛けて突き出されたカタリナ殿下の鉾槍が、深々と灰色の胴体中央部に突き刺さった。霧の中に一瞬だけ飛び散る赤色の水滴、そして短く響く悲鳴のような鳴き声。鉾槍に心臓を穿ち抜かれたその襲撃者は、しかし瞬時に振り落とすには聊か巨大に過ぎた。

 

 仲間の死骸が投げ捨てられるその隙を縫い、霧の中から更なる襲撃者の姿が露わになる。カタリナ殿下の上半身を引き裂きかみ砕かんと大口を広げた新手。そんな獰猛な死というものが迫っているというのに、彼女は恐怖などではなく逆に殺気をその眼に滾らせ続ける。

 

「ツカサッ!!」

「わかって……ますよォ!!」

 

 殿下に言われるよりも早く、両の手に握り締めたものを振りかぶる。ごうと霧を切り裂いて振るわれるは、鈍くくすんだ色の軌跡を描く青銅の金属棒。

 

 刃のような牙が殿下を穿つその前に、その襲撃者の顔面に向けて杖を打ち据えた。青銅の棒身を伝った衝撃は、生き物を殴打したとは思えないほどに鈍くそして硬い。しかしのどが潰れたようなうめき声が聞こえ、そして霧の中に見え隠れしていた巨体が姿勢を崩して地面へと叩きつけられた。

 

 一瞬の攻防の中で露わになった巨大な獣の姿を目に焼き付ける。あれがこのリオパーダの森で群れを成して脅威を形成する、魔力により異常な成長を遂げたオオカミだ。尾を抜いた体長が自分の身長に到達しかねないほどの巨体は、短い悲鳴を残して再び霧の中に消え失せた。

 

 

「くッ……」

 

 手のひらに未だに残る感触に舌うちを鳴らす。手の骨の、その芯まで響かんばかりの強烈な衝撃は、数少ない頼みの綱である青銅の棒を取り落としかねないほど。だから、その痺れに気を取られていた僕は、更に襲い掛かってきていた巨体に気が付くのがコンマ数秒だけ遅れてしまった。

 

 霧を破って表れる、三頭目の巨大な狼の口蓋。棒を構えるよりも先に、その大あごは僕の頭を寸分の狂いなくかみ砕く――その暴虐的な死という未来は、頬の僅かに右側を通過した刃によって呆気なく潰えた。

 

「……ツカサには、手出しさせない」

 

 標的を逃がした頭は、巨体と共に馬車の縁へと打ち付けられた。口蓋の上側に突き立てられた巨大なナイフからはとめどなく鮮血が流れ出し、馬車やオオカミの体毛を容赦なく赤く染め上げる。いくらその全身を頑強な毛皮や筋肉という鎧で包もうとも、生き物の規範から外れない以上は口の中まで堅牢のわけがない。

 

 生命維持のための急所を穿ち抜かれた巨体は、反撃どころか不規則に痙攣を続けるばかり。ようやく棒を手に体勢を直した僕の隣で、ナインはオオカミの巨体に足を向ける。

 

「はっ、面白いッ!! 容赦の無さでは、君ほどの逸材はそうそう居ない!!」

 

 細身の彼女のどこにそんな力があるのか。オオカミの巨体は彼女の蹴りによって呆気なく宙に浮き、すぐに地面に打ち付けられ霧の中へと消えていった。その様は、まさにただの作業と言わんばかりのもの。更なるナイフを両手に持ち、表情には何の感慨も無くナインは淡々と周囲に注意を払う。殿下が場違いに嬉しそうな声をあげても、眉の一片も動きはしない。

 

 

 速力を落とさずに走行を続ける馬車の上で、眉間から流れ出した汗を拭うことなく青銅の棒を構えて気配に耳をすませる。扱いなれない武器、そしてこの奪い去られた視界。与えられた条件は最悪と言って過言ではない。しかし、それでも抵抗をしなければオオカミの群れに縊り殺され、そして彼らの腹を満たす肉片になり下がる。そんなことは真っ平ごめんだ。

 

 馬の吐息と車輪の立てる音の他は、若干の沈黙が流れる。つい先ほどに始まったオオカミの襲撃は、第一波に続いて第二波はしのいだのかもしれない。しかしそれでも、油断は出来るわけがない。一旦は気配が遠のいた霧の中、しかし街道と並走して奴らはまだ森林を縫うようにして虎視眈々とこちらを狙っているかもしれない。

 

「一端は、連中を追い払えやしたか」

「多分ね。でも油断はしないことだ。一息ついている最中に、何処からともなく頭を食いちぎられたら嫌だろう」

 

 この異常な状況下でも顔色一つ変化さえずに淡々と馬たちの操舵を取り続けていたハオランが、ようやく一息を吐いて表情を渋らせる。彼はこの場にいる中で最もリオパーダになれている人間だ。その彼がまだ表情を崩さないということは、ここのオオカミたちはこんなもので引き下がるほど軟な連中ではないということだ。

 

 彼がひとたび手綱を揺らせば、馬たちの走る速度は途端にゆっくりとしたものへと変わる。彼らもまた、オオカミの襲撃という事態に動じることもせず、ハオランの指示に従い続けた強者たちに違いは無いのだ。

 

「……随分長く追い回されました。すぐに次の襲撃があれば、こいつらも流石に持ちやせんよ」

 

 一見すれば変わらぬペースで歩き続ける彼らであっても、その実は全速力での走破を強いられたがために相当体力を消耗してしまったのだろう。ハオランの険しい顔つきは、それをありありと物語っている。

 

「そりゃそうだけど、どこで休ませるというんだい。街道のど真ん中で休息していたら、今度こそ逃げきれないよ」

「……アッシに心当たりがあります。この近辺には、リオパーダ中央部を貫く大河に流れ込む支流がいくつか存在しやす。アッシの記憶が正しければもうそろそろ、リオパーダに僅かしかない休憩所として使える川の中州があるはずです」

 

 馬たちのペースが落ちたおかげで、周辺を流れる音がある程度は耳に届くようになる。霧に満ち溢れた空間において、音というものは実際に目で見るよりも多くの情報を伝えてくれる。木々の間を弱弱しい風が吹き抜ける風と共に、僅かな水の流れるような音が耳へと届く。

 

 決してそれは濁流のような全てを押し流すような性質のものではなく、きっとハオランの言う通りに中州まで行ける程度のごくごく浅い川であるのだろう。

 

「……良いよ、そこに行こう。こんな霧のど真ん中よりかは、周囲が川の方がいくらかは奇襲の恐れも少ないだろうからね。それに水場があるということは……あの妙な汚れもいくらかはマシになるだろう」

 

 結局、誰の反対意見も出ることは無く、ハオランの先導の元でその中州へと向かうこととなった。リオパーダに突入してからは初めてとなる、街道から外れた道を行き始めるその最中、僕はこの襲撃が起きる寸前の出来事を思い出していた。

 

 

 きっと、この場にいる皆がどこかしらの違和感を覚えているはずだ。リオパーダに差し掛かってからいくらかまでは安定していた旅路と、先ほどの襲撃の間にあったとある出来事。僅かな間だけ取った休息と、その直後に現れた獲物を襲うにしては異常に殺気立ったオオカミたちの群れ。

 

 そしていつの間にか、この馬車の荷台の後方部に塗りたく垂れていた大量の血液。飲み水のいくらかを犠牲にして洗い流したとはいえ、その場所には未だに木目を犯すどす黒い血痕が鎮座しているのだ。

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