記憶の無い僕と黒い刃の彼女   作:丸いの

28 / 34
28. 不可視

 息がつまりそうなほどに鬱蒼と木々が詰まる森の中で気配を殺す。頭上から差し込むべき日の光は巨木たちの葉で遮られ、僅かに地表へ到達したものも立ち込める霧をぼんやりと照らすだけ。川の岸にあがって少し離れただけでこの有り様だ。下手に馬車から離れれば、自分の場所を見失うのは想像に容易い。

 

 木々の奥から、水の流れる小さな音と共に川が微かにのぞく。まるで何事も無かったかのように、淡々と白靄を吐き出し続ける川の中洲。襲撃を受けて御者を殺害されたことが嘘だと思うほどの、不気味な静けさだ。

 

 姿の見えない襲撃者の存在は、ただこの場にいるかもしれないというだけで僕たちに苦痛を強いるには十分すぎた。ひとことも発すること無く、各々が耳をすませて得物を霧に向けて構える。その切っ先の先にいるかも分からない、もしかしたら直ぐとなりで音もなく嘲笑っているかもしれない敵を警戒するために。

 

 僕たちが相手をしている敵に関して判明しているのは、姿を完全に消し去ることが出来る能力を持った始祖族ということだけ。オオカミの襲撃が起こるよりも前から一団を狙い、好機が訪れるまで息を殺していた。

 

 

 そんな見えざる驚異をそのままにしていては、リオパーダを踏破することなど到底かなわない。こちらは御者をすでに殺されている。慣れない馬の操舵を残存する人員で行いながら刺客を相手取るなど、不可能なのは目に見えていた。

 

 だからこそ、この場で敵を撃破しなければならない。この地上の冥府を突破するには決して避けては通ることが出来ないから。だがここは霧で覆われているためにただでさえ見晴らしが悪い。姿を消すという能力に加えて周囲の環境までもが敵に味方をする、一見して相手の土俵そのものとも言える空間だ。そして逆に言えば、勝機はその土俵から相手を引きずり降ろさなければ決して訪れない。

 

 敵の最大の誤算は、第一撃で僕を殺せなかったことだ。敵が平然と姿を消しているということすらも気が付かずに、襲撃者の出現に警戒していた僕は、結果的にこうして生き延びてここにいる。加えてたとえ断片的にだろうと、この身には敵と一度戦ったという経験がある。

 

 僕に残されたのは小さな剣が一本だけ。敵の霊剣に破壊をされて柄だけにかった片割れはすでに捨て置いた。カタリナ殿下やナインと共に、白い霧の奥に向けてその切っ先を向け息を忍ばせることしかできない。しかし、そんな膠着状態だからこそ頭のなかを回すことができる。

 

 

 考えろ、あの敵を打ち倒す方法を。思い出せ、襲撃の最中で感じ取った違和感を。

 

 姿の見えない襲撃者は、その能力から言って奇襲に特化した存在に違いない。オオカミの襲撃の最中にまったく気配をかけらも見せることなくいなしたほどの実力だ。事実、ハオランが殺された瞬間でさえも敵が透明で見えないということが可能性さえも思い付かなかったほど。

 

 だからこそ、その後の敵の戦いかたは今になって思えば不自然きわまりないものに思えてしまう。川の中洲という特殊な立地だから水面を叩く音がするのは仕方がない。だけどそこからの行動は最早隠密さがかけらも感じられないものへと変化を遂げた。

 

 笛の音を撒き散らす短刀を投てきし、奴は静かだった森の川辺を耳障りな音で染め上げた。姿が見えぬゆえの霧に紛れたものとは程遠い、自身のたてる足音をさらに大きな雑音で覆い隠すというちぐはぐなもの。その上、自身の大まかな位置をさらけ出しかねないほどに短刀を投てきし続け、しかも途中まで狙いも碌につけていないというありさま。

 

 奴の攻撃はある瞬間を境にして明確に激化した。無作為に放たれた短刀を打ち払った直後、これまでバラバラの方向に目掛けて投げられていた短刀が僕とナインに目掛けて集中して投てきされだしたのだ。最初こそ、互いに白い霧に隔たれた中で音というものによって僕たちの場所を発見するための措置なのだと考えていた。でも今になって、その点にこそ僕は違和感を抱いている。

 

 一度僕たちの大まかな場所を把握しておきながら、何故あの敵は短刀を投てきし続けたんだ? ある程度まで接近をすれば、音に頼らずとも良い。いくら濃密な霧が周辺を覆い隠しているとはいえども僕たちの姿はおぼろげながらにも見えたはずだ。それにも関わらず、敢えて自分の位置を知らしめるような行動の意味は何だ?

 

 それだけじゃない。奴は、ナインが反撃として至近距離から投げつけたナイフを弾き飛ばした時、瞬間的にその透明化能力を解除していた。一度だけならまだしも、二度目もまた奴は姿を現した。

 

 敵の戦い方は、隠密性に特化した能力とは必ずしも一致しない行動が多すぎる。何故、そんなちぐはぐな行動をしたのか。僕たちを甘く見ていたのか、それともそんな行動をしなければならないような状況だったのか。もし後者ならば、奴にそんなことを強いた要因は一体――

 

 

「チッ……埒が明かないな」

 

 囁くような小さな声で、カタリナ殿下が悪態をつく。視線だけを動かして流し見すると、ハルバード状の霊剣を僕と同じく虚空に向けて構えたままの彼女が険しい表情を浮かべて周囲に視線をはわせていた。

 

「霧が無ければ丸ごと焼き払ってやるっていうのに」

 

 彼女の小さな独り言に、僕はある種の納得を感じていた。カタリナ殿下と同じく炎を能力として扱っていた始祖族に、一人だけ心当たりがある。クアルスの街で衛兵に紛れ込んでいた、輸送船の襲撃から始まる一連の事件を引き起こした元凶であるアリアス。あの人もまた霧で覆われた地下の遺跡空間では炎の魔術が弱体化し、結果として僕とナインはあいつを撃破することができた。殿下のような炎を扱う始祖族にとっては、このような湿気は魔術を制限させるものなのだろう。

 

「……ツカサ、それにナイン。この襲撃、ボクはかなり面倒に仕組まれたものだと思う」

 

 殿下のその言葉に、僕とナインは思わず目を見合わせた。仕組まれたもの、つまりは街道で旅人を襲う盗賊のような、突発的な行動とは根本的に異なるということ。

 

「敵はおそらく、何らかの方法によって姿を消すことが出来る始祖族だ。そんなものが襲い掛かってくるということは、きっとどこかの息が掛かった暗殺者ということに違いは無いだろう」

 

 それが本当ならば、僕にとってはこの短い人生で二度目となる暗殺者との遭遇ということになる。そして一度目のアリアスについては偶然付け狙われたようなものだけど、二回目の今はきっとカタリナ殿下の一行の一員として命を狙われているということなのだ。

 

「さっきまで奴がどこの息が掛かった輩なのかを考えていた。仮にもボクはアストランテの第三王女で、且つ戦姫などという通り名が付くほどだから、帝国からしてみれば出来れば殺したい存在だろう。だからフラントニア帝国から刺客だ――最初はそう思っていた」

 

 殿下が一端言葉を切った。フラントニアといえば、数日前のヴァローナで遭遇した北部人たちの武装蜂起を企てた、始祖族の戦士マオ・リーフェンが属していた帝政国家だ。元来から隣接するアストランテ王国との間でにらみ合いが続いており、殿下が王都に呼び戻されるのもきっと帝国絡みの件だろう。

 

 その帝国が今回の仕掛け人ではない、殿下はその可能性を示した。ならば本当の黒幕は誰なのか、そんなことは深く考えなくとも自ずと結論は出てくる。この一件に関与しうる、フラントニア関係以外の始祖族を動かせるような存在なんて――

 

「……ボクたちがこのタイミングでリオパーダを通ると知っていて、尚且つボクの能力の欠点を把握している奴。そんなの、フラントニアよりもむしろアストランテの方が怪しいに決まってる」

 

 内心でまさかと思い立ったことを、カタリナ殿下は容赦なく口に出した。一国の姫が、自分の国に対して疑心を抱く。そんな通常では考えられないようなことすらも、殿下は平然と述べて顔を顰めていた。

 

「この予想がどこまで的を得ているかなんて分からない。それに、今この場で僕たちを害そうとする理由すらも不明さ。でも覚悟はしておいた方が良い。ボクたちに刃を向けているのが、下手すりゃこの国そのものなのかもしれないよ」

 

 最初に言っていた、面倒に仕組まれたというもの。それは、今回の王都サンクト・ストルツへ向かうという行為そのものが何らかの罠である可能性すら存在するということである。殿下が顔を顰めていたのは、それらの可能性を考えたうえのことなのだろう。

 

 

「……どのみち、敵は出来れば殺さずに何かを聞き出したいところだ。だから君たち、くれぐれも奴の奇襲で簡単に死んではくれるなよ。透明な敵なんてこっちは音を探すしか出来ないんだから、耳が減るのは痛手だ」

 

 結局は、敵を見つけなければ話は始まらない。殿下の言う通り、この白靄に満ちた空間で敵を見つけるには音を頼りにしなければ――

 

「――音を頼りに……もしかして、奴も同じなんじゃ」

 

 気が付けば、僕は考えていたことをそのまま小声で口から吐き出していた。濃密な霧の中、視界が使えなければ周囲の状況を探るには音を頼りにするほかはない。そして透明な敵を相手取っていた僕たちは、例え目の前にいる敵でさえも視覚が頼れないならば音で探るしかない。

 

 しかし、もしかしたら敵ですらもそれは同じなのではないか。自分の位置を知らしめるリスクがあるにもかかわらず、短刀を投げつけて僕たちにそれを弾かせることで、その音で僕たちの場所を把握する。霧による視界の遮蔽が働かない距離ですらも、奴はそれを続けた。

 

 何故そこまでして音に頼るのか。逆に、音に頼らなければならないのか。聴覚にこだわるということは、逆に視界が潰されているということ。

 

 まさか、と思い立つ。もしかして、あの敵は己が姿を消しているときには自身の視界も一切が潰されるのではないのか。ナインが投げつけたナイフを防ぐために姿を現したのは、迫りくるナイフを正確に叩き落すがために能力を限定的に解除したのではないか。敵の違和感という乱雑でバラバラだったピースが繋がれていく。

 

 

「……ツカサ。私も今、きっと同じことを考えている。ものを見るとは、つまり光を己の目で捉えるということ。そして光は周囲に満ち溢れている。奴が姿を消すということは、敵の後ろから来る光が敵本体に遮られずに私たちの目に届いている。じゃあ私たちの姿を映した光は、どうなると思う?」

 

 ナインは、僕と同じくあの敵の能力の綻びに気が付いたのだ。始祖族の能力は決して万能ではない、それはこれまでに出会ってきた始祖族たちによって経験的に理解をしている。ならば、僕たちが相手をしている刺客だって、その規範から外れることは決してないのだ。

 

 僕たちを映した光、それはきっと奴が姿を消している間は透過してしまう。つまり敵の目でその光を捉えることは出来ず、奴は何もその眼で捉えることは出来ない。奴は能力を発動させている限り、この空間における光のやり取りから完全に孤立する。

 

「多分、あの敵は姿を消している限り、私たちを"視る"ことが出来ない。戦況の全てを音で把握して、そして音で対処できない場合には瞬間的に能力を遮断する。それが、きっとあの敵の能力の綻び」

 

 僕たちは、結局のところ同じ負担を背負って戦っていたに過ぎない。姿を消した相手を前にして視覚が殆ど意味を為さない僕たちと、姿を消し去る代償として己の視界を黒く塗りつぶして戦っていた襲撃者。

 

「……何となく理解はできたよ。要は敵も能力を使っている時には目が見えていないんだろう。だからどっちも足枷を付けた状態で戦っていたと」

 

 カタリナ殿下もどうやら僕たちの考えている内容を察したようだ。しかしその上で、殿下は未だに険しい表情のままでいた。問題はそんなハンデを負ってもなお、敵が戦いなれているということだ。確かに土俵は同じ、でもそれはあくまでも相手のホームグラウンドのままだ。

 

 これまで、アリアスやマオという強大な始祖族たちと戦ってきて、僕はある一つの考えが欠かせないと気付きつつあった。それは、相手の強みを奪うということ。敵と同じ土俵で戦っている限り、地力の違う人間族に過ぎない僕は始祖族の魔術に決して叶わない。だから、こちらの土俵に戦いを引き込む他はない。

 

 

 敵の能力の弱点は分かった。ならば次は、敵の能力を無効化することを考えなければならない。あの襲撃者は、どうやって己の姿を消し去ることが出来るんだ。そしてそれは、僕たちの小手先の戦略で打ち消すことが出来るようなものなのか。

 

「……始祖族の能力は、強力ではあるけど自然の摂理から外れることは無い。透明になるということは、光がその存在に干渉されないということ。でも、普通の光は絶対に人間の体を通過することは出来ない。だから、"透明化"なんていう言葉がそもそも間違っている」

 

 ふと、ナインがそんなことを小声でつぶやいた。彼女は、マオの時にも率先してその能力の綻びを見抜いていた。だからこそ、もしかしたら既にナインは気が付いているのかもしれない。敵の能力、その全容を。

 

「きっと奴はその身に何かをまとっている。光を折り曲げて、己の存在だけを周囲から隠しうる、そんな何かを」

「つまりどうにかしてその"何か"を引きはがせば良い、そうだね?」

 

 そこに来てようやく、カタリナ殿下の表情が獰猛な笑顔に染まった。今まで散々息を殺して敵から隠れていたことへの反動なのか、獲物の首筋に噛みつかんとするほどの凶暴さが見て取れるほど。

 

 恐らくは奴の能力の正体は、完全に透明になるというわけでは無く、光に干渉して周辺の風景から消え去るというものなのだ。だからその能力を発動しうる魔力的な障壁を取り除ければ、ようやくこちらのレベルに落とし込むことができる。

 

「……敵の弱点と能力の鍵、その両方を一気に攻める方法を思いついた。散々こっちを追い回してくれた奴に、誰を敵に回したのかを頭に刻みつけ、目に物を見せてやろうじゃないか――君たち、反撃の時間だ」

 

 仮にも己の上官だというのに冷や汗を感じるほどに、彼女は凶暴な笑みを浮かべて舌なめずりをしている。戦姫とまで言われた存在が、ついに敵に向けて牙をむいたのだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。