記憶の無い僕と黒い刃の彼女   作:丸いの

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33. 御前会議

「……結局来ちゃったか」

 

 呟くような小さい声を耳が捉えた。それを発したのは、この広い円卓の間で僕たちの目の前で腰を下ろしている人物だ。声色こそは一見して淡々とした感じであるカタリナ殿下ではあるけども、つい少し前の様子を思い出せばよくもまあここまで落ち着いてくれたものだと胸をなでおろす。

 

 

 クーベルトと共に王都の中央にそびえる宮殿に向かったのはつい先ほどの話だ。小雨の降り止んだ日暮れの曇天の下で、女性を抱き抱えた大柄な男とその後をほとんど無言で着いて歩く若者二人。後者はともかく前者の絵面は強烈だったようで、行き向かう人々の視線が時折向けられていた。彼が近衛隊だと主張する格好でもなかったら、きっと宮殿にいくよりも前に兵の詰所に寄り道していたかもしれない。

 

 宮殿に近付くにつれて活気は静かなものへとなり、周辺の建物もどことなく厳かさを増していく。このまま敷地のなかまで入れば安泰なのだろう、そう思った矢先にカタリナ殿下が目を覚ましたのだ。

 

『はなせ!! かっ捌いてやる!!』

 

 人通りの多い商業地区だったならば、間違いなく物議をかもしたであろう物言い。優雅や気品とはかけ離れた殺気だった様子は王族どころか始祖族とすらも思えなかったほどだ。

 

 放せば本当に霊剣を顕現させてクーベルトに叩きつけていたであろう彼女は、三人でかわるがわる事情を説明することで何とか手負いの獣のごとき警戒心をしまってくれた。クーベルトが淡々と、ナインが無感情で、そして僕が宥めることを最優先にかいつまみ。そうこうしてるうちに気がついたら宮殿の土地に足を踏み入れていたのだから、かなり気を使っていたのだろう。

 

 

 宮殿とはいわば聖域である。一介の市民はその門の先にはそうそう入れず、堅牢な城壁で囲われたサンクト・ストルツの中で更に厳重な警備が敷かれている。王都から遠く離れたクアルスに住んでいた頃は、まさか自分がここに訪れることになるとは欠片も想像してはいなかった。

 

 巨大な建物に入るや否や視界に飛び込む異様に大きい広間はおろか、特別な許可を得た者や一部の高位の軍人でもなければ立ち入りなど到底出来ないその奥に向けて歩みを進める。遥か頭上に見える絢爛な絵が描かれた天井や色とりどりの硝子で飾られた大窓など、目に見えるすべての代物が自身のような存在が場違いであるとありありと伝えてくる。おそらく御前会議が行われるであろう円卓の間にたどり着くまで、緊張のあまり生きた心地がしなかった。

 

 

 

「この己が先に席へ着き貴様は四半刻も遅れるなど、いつの間に偉くなったものだなぁ、カタリナよ」

「遅れたことは謝る。だがここは王の下、机に着く全てのものが平等足る円卓の間だ。位の高低を論ずる場じゃない」

 

 現状でひどく胃が痛いのは、場違いさを自覚し緊張のあまり引き起こされたというだけではない。視界に映っているのは、深みのある赤色に塗られた円卓の姿だ。僕とナインは、円卓に着いたカタリナ殿下の後ろで立ち控えている。王族の副官という立場の者は御前会議という高貴な場に入れる特異な立ち位置であるが、席は当然用意されているわけもなく、こうして己が仕える存在の後ろで淡々と立ち続けるのだ。

 

 ただ立っているだけならば別にいい。問題は、目の前に座る上官が向かいの方から投げつけられた喧嘩へ盛大に乗ってしまったこと。嘲るような雰囲気をもって殿下に言葉を投げたのは、カタリナ殿下と同じく紅色の机に着いている美丈夫だ。

 

 その座っている位置しかり、そもそもカタリナ殿下への言葉遣いもしかり、どう考えてもあの人は殿下と同じ王族に違いない。そして投げ返された喧嘩の火種を受けながらも、激昂よりもむしろ嘲りの笑みを深めるその様子から考えて、どうみても良好な間柄には見えないのだ。

 

「この己を前にしてその言い種、度胸だけは半人前から脱したな。だが相も変わらず身の程は知らんときたか」

「何度も言わせるなよ。同じ円卓に腰を下ろす相手に身の程を知れなんてナンセンスだ。たとえ最も王座に近い兄上だろうとそれは変わらない」

 

 現国王の子息達の中で頂点に位置する存在、それはつまり第一王子ということになるのだろうか。そんな高貴な存在に対してあからさまな不和の態度を取る殿下に冷や汗が伝う。

 

「その態度については多目に見てやろう。だが貴様などに兄呼ばわりされるなど反吐が出る」

「そうよ。貴女がここに居ることも本当ならば受け入れ難いというのに。せめてその耳障りな音を吐き出す口を閉じなさいな」

 

 果たして、僕の上官はこの円卓に座する面々の中で誰か親しい存在はいないのだろうか。露骨に表情を歪めて吐き捨てた件の美丈夫に同意するかのごとく、同じく紅の机に着いていた妙齢の女性までもが嫌悪感を口にする始末。この女の人もまた、王族に連なる高貴な人物なのだろう。

 

 どう控えめに見ても親交のある一族の集いには見えないこの環境に、まさかという予感が頭をよぎる。もしかするとカタリナ殿下がまるで傭兵のように各地へ飛ばされる立ち場にいるのは、その地位や権力が磐石ではない故ではないだろうか。僕には王族などという雲の上の存在がとのような関係にあるかなんて知らない。しかし殿下がここまで他の子息と険悪なのが自然な光景にも到底見えないのだ。

 

 これがただ単に仲が悪いだけのことなのか。目の前で繰り広げられる険悪な空気は、もしかして自身の想像よりももっと根が深い可能性だってある。

 

「だいたい、貴女のその後ろの人間は何なのかしら。この場に無関係な者は入れるはずもないことは知っているでしょう?」

「彼らは無関係じゃない、このボクの副官だ」

 

 そして当然とも言うべきか、この円卓において露骨に立場が悪いカタリナ殿下の後ろに控えていた僕とナインにも話が飛び火してきた。副官だと言い返したら、その女性のわざとらしい呆気にとられた様子が直後に嘲るような笑みへと塗りつぶされた。

 

「まさか、それが副官だと言うの? 仮にも王族の端くれである貴女が、人間族を副官に置いているなんて嘆かわしいわ」

 

 殿下がこの場に来る前に酒場で口にしていた"あの連中"という言葉が誰を指していたのかが、なんとなく分かった気がする。嘆かわしいという言葉とは裏腹に明らかに見下したような雰囲気を隠しもしないあの女性と、その様子を見ながら淡く笑みを浮かべている美丈夫。どう見ても友好関係とは言い難い彼らが、カタリナ殿下にこの会をすっぽかすという強硬策を取らせようとした元凶なのだ。

 

 強張りそうな顔をなんとか平静に保ちながら突っかかってきた彼らの背後に目をやると、こちらと同じように立ったまま控えている副官たちの姿があった。そして当然とも言うべきか、彼らの耳は僕のような人間族とは明確に違う尖った見た目をしている。あからさまでは無いにせよ、こちらを伺う彼らの視線からは僕たちを下々の存在としてみているのが感じられた。

 

 当然いい気分はしない。だけどそれ以上に、彼らの考えも真っ当なものだとも思う。始祖族と人間族には、決定的に異なる側面がある。このアストランテという国においては、少数の強力な始祖族が無力な多数派である人間族を統治することで歯車が回っている。そしてこの場は、この国を実際に動かす立場にある面々が揃っている宮殿の円卓なのだ。その一員である王女カタリナ殿下の副官を一介の人間族の若者が拝命するなど、彼らから見れば役者不足であるといって過言では無いのだから。

 

 

 

「……陛下がお見えになりました。皆様、どうかご静粛に」

 

 このまま泥沼のように続くのではと危惧していた険悪な空気は、円卓の間に入ってきたクーベルトの言葉によって無理やりに中断した。言い争いの渦中にいた王族たちや、円卓の後ろに置かれた長机についていた重鎮のような面々が整然と姿勢を正して大部屋の入り口に視線を向ける。それと同時に円卓の間にいるすべての人が胸に手を当てて敬礼をし、見様見真似で慌ててそれに続く。

 

 

 僅かな間を置いて姿を現した壮年の人物を見て抱いた率直な感想は、浮世離れをした神聖であるというものだった。名のある画家が神話世界を描いた絵画からそのまま這い出してきたかのような、荘厳にして神秘的とも感じ取れる雰囲気。銀色の髪と刻み込まれた皺は、まるで古来から言い伝えられた名のある老神かのよう。

 

 あの王はこちらを一目たりとも見てはいない。それにも関わらず、まるで蛇に睨まれた蛙のように指先までが僅かな間とは言えどもピクリとも動かない。一目見た瞬間からこの人物こそがこの国を統べる王であると理解をさせられた。

 

「余が最後か。これで全員揃ったな」

 

 決して大きくはないはずの声が、この広い部屋の端にまで響き渡る。王という存在から発せられる雰囲気はもはや威圧感と言い換えても過言ではないほどに濃密なものだった。意識を保たなければ、もしかしたら自ずと首を垂れてしまうのではと思わせるほどの、畏敬の念を抱させるほどの物だ。

 

「では始めようか。何、時間は取らせ――」

「――父上。僭越ながら御前会議に先駆けてお伝えしたいことがあります」

 

 だからこそ、眼前の人物が王の言葉を遮って手をあげて立ち上がった瞬間、まるで目の前が真っ白になるほどの困惑さが頭を襲った。この人は一体何をやっているんだ。確かに言わなければならないことがあるとは言っていたにせよ、それは王の言葉を遮ってまで行うのか。冷静に自身の立場を考えればむしろカタリナ殿下の行動に同意をすべきなのに、その瞬間だけは僕は彼女を非常識だと感じてしまった。

 

「カタリナッ!! 貴様、状況を弁えろ!!」

「皆が一堂に会したこの場所でなければなりません。どうかお許しを」

 

 烈火の如き剣幕で声を上げる第一王子の声など聞こえないと言わんばかりに、カタリナ殿下は臆することなく言葉をつづけた。ただひたすらに王の方にだけ顔を向けて、他のものは何も存じないという姿勢。

 

「……遠路遥々ここまで来たのだ、許可しよう」

 

 呆れと憤慨で険しい顔を浮かべる他の王族たちと、困惑さを隠そうともしない重鎮たち。そんな混沌とした空気になりそうだった大部屋は、あっさりと許可を告げた王の一声で再び静まり返る。今や彼らの視線は、王ではなくカタリナ殿下へと向けられていた。

 

「ありがとうございます。それでは単刀直入に――このカタリナ・フォン・アストランテに刃を向けた者が、この王都サンクト・ストルツにいる」

 

 円卓から立ち上がり周囲を見回したカタリナ殿下は、感情の見えない声で淡々とそう告げた。ぐるりと部屋全体を見回しながら、王族や陛下、そしてクーベルトたちが座る長机にまで視線を向けて。その瞬間だけ、円卓の間からは息を飲む音すらも消え失せた。

 

「そしてその不届き者は、恐らくこの御前会議に参加できるほどの立場を持った者だ」

「ま、待ちなさい!! 貴女、一体何を言っているの!?」

 

 僅かな空白を置いて、円卓に座する面々から早速待ったがかかる。カタリナ殿下を遮って声を上げたのは、先ほどから険悪な口撃を仕掛けてきた王女だ。

 

「貴女に刃を向けたとか、この中に仕掛け人がいるとか、下らない絵空事も大概になさい。ここにいる人々は貴女の妄言に付き合えるほど暇じゃないのよ。これ以上無為に時間を使うのならば――」

「余計な茶々を入れるなよ。ボクは父上の許可を得て話している。ただまあ何か証拠がなければ信じることも出来ないならば仕方がない。ツカサ、例の物を」

 

 言われるがままに、腰元に括り付けている荷物入れから拳二つ分ほどの小包を出して彼女に手渡した。一応宮殿に来るまでの道すがらでどんなことをするのか聞いてはいたけれど、あの小包の中身が彼女の思うほど劇的に状況を良くするとはあまり思えないのが正直なところだ。

 

「……何なの、それは?」

「今に開けてやるさ。さて、一体何が起きたのかだけど単純なことだ、ヴァローナからここに来るまでの途中で刺客に襲われた」

 

 小包を片手に、円卓の周囲を添うようにして殿下が歩き始める。王族が刺客に襲われたという事実がどれほどのものなのかは、どよめきが走った重鎮たちの様子を見れば分かる。王族だけではない、この間にいるすべての存在の視線を受けながら、彼女は淡々と口を紡ぎ続ける。

 

「出没場所はリオパーダ、構成は始祖族が一名。どう考えても野盗やその類じゃない。ボクは立派な暗殺計画だと推測している」

 

 王の座する場所の後ろを通り過ぎ、なおも彼女は淡々と円卓に沿って歩き続ける。王子たちは表情を険しくし、長机の面々が発するざわつきは段々と大きくなっていく。たとえ彼女が暗殺者など返り討ちにするような戦姫と謳われる存在であろうと、そもそも暗殺計画が実行されたということそのものがあってはならない問題なのだ。

 

「出没場所やタイミングから言って、間違いなくボクがリオパーダを通って王都に向かうことを把握していた。だから、ヴァローナにいるボクに届けられた伝書の内容を把握しうる面々――それこそこの御前会議に出る資格がある者が怪しいとボクは見ている」

 

 立ち止まった彼女は、真紅の瞳で大部屋全体を見渡した。副官の身でありながら、まるで心臓をわしづかみにされたかのような寒気が体を襲う。途端に大きくなったざわめきは、再び歩き始めた彼女が口を開くと同時に下火へと変わる。

 

「腕を切り落とし剣を突きつけたボクに向けて、わざわざ殿下と呼ぶような素直な男だった。そんな奴をけし掛けたのは、一体誰なんだろうね」

「……仮に貴女の話が本当ならば見過ごせない問題よ。でも、それをいきなり信じろと言われたところで出来るわけが無いでしょう」

 

 いつの間にか背後にまでやってきていたカタリナ殿下に向けて、件の王女が声をあげる。ざわめきの中でもひと際通る声は確かにもっともなものであり、第一王子もそうだと言わんばかりに頷いた。そして僕は確かに目に入れたのだ、カタリナ殿下の顔にあの獰猛な笑顔の片りんが浮かぶ瞬間を。

 

「アデリナ姉様が言うことももっともだ。じゃあ見せるよ。証拠と言い切れるかは微妙なところだけど、始祖族の刺客が来たことくらいは示せるかもしれない」

 

 カタリナ殿下は、持っていた小包を王女の目の前へと置いた。ごとりという固い音が響き、王女――アデリナという名前なのだろう――は訝しんだ様子を隠さずにそれへ手をやった。あの小包の中身は、カタリナ殿下に言われてリオパーダでの戦いの直後にその場から持ち帰ったものだ。それはつまり――

 

「一体何――っ!!」

 

 薄汚れた布が取り払われた瞬間、アデリナ王女は声にならない叫び声を上げた。眼前にそれを置いたまま錯乱したように頭を抱えるアデリナ王女に彼女の副官が駆け寄り、大広間に緊張が走る。重鎮たちは一体何事だと騒ぎだし、きっと小包の中身が見えているのであろう第一王子と国王は表情を固くした。

 

「……カタリナ。"それ"は一体何だ?」

「ボクを襲った刺客の左手、それが結晶化したものさ。姉様には少し刺激が強かったか」

 

 言葉とは裏腹に、カタリナ殿下は悪びれた様子もなく軽薄に笑みを浮かべる。机に置かれた小包から、くすんだ灰色の結晶が見えていた。襲撃者自身はオオカミの腹に収まってしまったが、戦いの最中で切り落とした左腕はせせらぎの中で結晶と化していた。つまりあれが、リオパーダでの襲撃の後にあの場から持ち去った襲撃者の残骸だ

 

 僕にとってみればただの不思議な色合いの結晶体であっても、彼ら始祖族からすれば死体の肉体の一部だ。あれを僕のような人間に置き換えてみれば、小包を開けたらいきなり切り取られた誰かの左手が入っていたようなものだ。そう考えれば、あの驚きようも同情できてしまう。

 

「また崩壊もしていないだろう。だからそいつは死んでからまだ数日しか経っちゃいない。これで、とりあえずボクが始祖族の襲撃を返り討ちにしたくらいは信じてもらえるだろうか」

「……ああ、それは事実であるようだ。しかし、それを一体誰が企てたのかまでは予想はしているのか?」

 

 尚も眼前に置かれた襲撃者の残骸に焦燥したままのアデリナ王女を見かねたのか、国王が合図をするや否や彼女の副官が小包を取り去った。それを見届けながら、国王がカタリナ殿下へと目を移す。果たして、犯人は一体誰なのか。そう問われた殿下は事態の急変に未だざわめきの冷めやらない重鎮たちを一目見た直後に、即座に首を振った。

 

「それは分かりません。なのでこの場においてボクがやれることは、あくまでも警告です」

 

 再び自身の席へと戻ってきた彼女は、大部屋の全体をぐるりと見渡した。彼女の視線が通り過ぎるや否やざわめきはなりを潜め、長机に座る面々は自身の関与はないとそれぞれが目で訴えかける。それを軽く受け流した殿下は、今の今まで状況に流されっ放しでただ眺めることしか出来ていなかった僕やナインの肩をポンと叩いた。

 

 

「一体何処の誰かも知らない。もしかしたらこの場に居ない人物かもしれない。だけどもし再び襲撃があろうと、ボクがやることは同じだ――何人何十人と刺客を送り込もうと、その全てを淡々と殺してやる。そしていつの日か大元にたどり着き、その首を掻っ捌いてやる。この戦姫と、そして彼ら始祖殺しを、あまり舐めるなよ」

 

 獰猛に笑みを浮かべるカタリナ殿下、無表情に金色の瞳を向けるナイン、そして一見して普通過ぎる雰囲気の僕。見方によってはどれも危険そうに捉えられる面々に向けられた視線は、立場の悪い王族や高々人間族の副官たちに対しての物とは思えないほどの仰々しいものであった。




某中世クラフトゲーに熱中して遅れました

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