居心地が悪いっていうものにも、色々なタイプがある。それは例えば、周囲から敬意のある羨望が込められた眼差しを浴びたり、はたまた逆に目の上の瘤に向けるような負の感情をぶつけられたりだ。そして今感じているのは、どちらかというと後者に近いものだった。
カタリナ殿下のとんでもない宣誓を間近で聞いたのがつい少し前の出来事。国王や王子達、加えて十を超える重鎮の前という生きた心地のしない環境においてあの発言。もはや理解が追い付かないがままに、僕の身は御前会議が行われている広間の外へと移動させられていた。
御前会議の本題が始まる直前、僕たちのような副官たちは退出をさせられた。だから広間の外の廊下には、僕だけではなく他の副官職の始祖族たちも待機をしている。当然この場にいる者たちでの会話は一切が行われず、ただただ黙したままに御前会議が終わるのを待つのみ。
しかし、話し声が無かろうと各々の意識までが完全に無となるわけはない。僕の思い違いでなければ、恐らくこの面々のいくらかが僕とナインの両名に対して僅かに意識を向けていることは感じ取っていた。それは時折向けられる鋭い視線であったり、腕を組んで静かにため息を吐く姿であったり。そしてそれらは、総じてあまり好意的でないことが間違い無いだろう。
彼ら始祖族と僕たち人間という種族間の確執、僕たちにつけられた始祖殺しという肩書、カタリナ殿下の宣戦布告のような発言、はたまた王室でも異質なカタリナ殿下の副官という立場そのもの。挙げだしたらきりが無さそうだ。ざっと思いつくその全てが、きっと彼らのような由緒正しい始祖族たる正統的な副官たちにとって気に入らないのかもしれない。だからこそ、一言も口を開かない広間の外において、妙な居心地の悪さを感じてしまうのだ。
「――、――――」
そんな状況故、否が応にでも僅かに聞こえる部屋の中の話声が現状唯一の憂さ晴らしだった。重厚な扉に分厚い壁を介した、内容が分からない程度には微かに聞こえる中の声達。僕とナインはまだしも、始祖族という高貴な身分である他の副官たちすらも同席を許されない場で話されるような議題だ。相応の機密保持が求められるのか、もしくはかなり王国の運営に影響を与える話か、そんなところだろう。そして僕は、前もってカタリナ殿下から彼女の考えを聞いていたから、王子達を緊急招集してまで開催されたこの御前会議の議題についての予想は立っていた。
"開戦"
それは国王が下す命令としては、国内外全てに及ぼす影響が最も大きいものの一つに違いない。そんなとんでもない予想を導き出すパーツを、ここに来るまでの道すがらで僕たちはいくらか体感している。クアルスやヴァローナで直面したフラントニアのものと思われる工作行為、そして王都サンクト・ストルツに集結している熟練の傭兵たち。きっとこの御前会議が始まるよりも前に、王国の中枢はすでに戦に向けた準備を進めていたに違いない。だから今日が終わったその瞬間から、王国の空気はガラリと変わるだろう。
考え出したら悪い予想が止まりそうもないこの状況、どのようにして僕自身は関与していくのだろうか。そして隣に立つこの少女は、今の状況を一体どのように捉えているのだろうか。僕と同じく、出会ってからこの場に至るまでの間に様々な事柄に巻き込まれたナイン。きっと僕なんかよりもずっと事態の先を見据えているのだろうが、わき目で見えた無表情さからは何も読み取ることは出来ない。
「――ッ!!――――――!!」
にわかに、御前会議の間が騒がしくなった。それと同時に、廊下に並ぶ他の副官たちが目を見開く。これは、いやな雰囲気だ。分厚い壁越しですらも肌へと伝わる、熱せられた空気。きっと宣誓というよりも煽動、驚愕というよりも熱狂。
クアルスという国境線から離れた土地で高々半年の間だけ過ごしてきた僕にはきっと理解出来ない、国と国との間に横たわる確執。既に不満の燻りがあった土壌は、ちょっとした火種を投げ込んだだけであっという間に燃え広がるというのだろう。たとえ王国の中枢で現実を見据え人民を取りまとめている彼らであろうと、一度焚きつけられたら一緒くたになって燃えてしまうほどの背景があるんだ。
「……カタリナ殿下の予想通りだよ」
熱狂的な声に紛れるかのように、ナインが表情一つ変えずに言った。まるで煽られた大衆のような騒ぎへと発展しつつある声々を聞き分けたのだろう。フラントニアへ鉄槌を、アストランテに栄光を。まるで定型文のような熱狂ぶりだ。
果たして、この狂乱の中でカタリナ殿下はどうしているのだろうか。熱気に当てられたその中に、どこか冷めた雰囲気を纏って視線を鋭くする姿を幻視する。僕には、あの人が一緒に熱狂の中に居るとは到底思えやしなかった。
こうして、きっと何千何万もの民衆を巻き込むであろうフラントニア帝国との開戦決議は、扉一枚隔てた向こうで呆気なく執り行われたのだ。
* * *
「呆気ないってのはまさにこのことさ。全員、熱病に侵されたみたいに騒ぎやがって」
カタリナ殿下は、赤黒い髪の毛を乱雑に掻きむしりながら苛々とした様子でそう吐き捨てた。すっかり日も暮れて、灰色を通り越して闇に染まった窓の外からは、叩きつけるような雨の音が聞こえている。そんな雨音に負けじと、彼女は調度品の机をカツカツと指で弾き再度舌打ちを鳴らした。
御前会議が終了し、各重鎮や王子たちがそれぞれの副官を連れたって去り行く中、カタリナ殿下もまた僕とナインを連れて臨時に宛がわれた部屋へと向かった。その道すがら、僕たちを案内していた兵士が一緒にいる最中でさえも、彼女は明らかに納得をしていないと言わんばかりに憮然とした表情を保っていた。
そして部屋の中に僕とナイン、そしてカタリナ殿下だけになった瞬間、とうとう我慢をしていた言葉が決壊したかのように流れ出したのだ。国王が内々に告知をした開戦決議、それに批判的な視点を取るという行動。ともすれば造反とも受け取られるそれも、王族としてだけではなく始祖族としても異質である彼女ならばむしろさもありなんと見えてしまう。
ヴァローナで出会ってから今日に至るまで、この人に対する僕の認識とは、好戦的でありながら大局的な見地も保有しているというものである。だからこそ、きっとこの人は開戦という決定そのもの以外に何らかの不満を抱いているのだろう。
「まぁボクが王都に召喚された時点でこうなることは分かっていた話だけどね。さて、君たちはどう感じた?」
「……決定が性急すぎる。御前会議とは名ばかりの、開戦自体が既定路線に見えた」
数秒の思案の後、ナインが口にした不審な点。満足げに頷いた殿下の様子から見て、きっとこの場にいる全員が同じ認識を共有していたようだ。御前会議とやらが本当に"議論"の体をしているかは甚だ疑問ではある。しかし、仮にも国の要である王子たちや他の重鎮たちを呼び寄せた上で、あの僅かな間に開戦を告知したというのは、随分と性急な行動に見えてしまう。
殿下によれば、あの場にいた重鎮たちは王都の大臣級の貴族だけではなく、主に王国南部の統治を任された領主たちやその代理であるようだ。つまりは、実際の戦争において派兵を行い戦闘に参加をする面々だ。そんな彼らに対して、開戦を呼び掛けて満場一致で即時賛成というのは違和感が付き纏う。
「ナインの言う通り。開戦はもはや既定路線だったんだろうね。だから実務面を司る面々には内々に意思決定が伝えられていた可能性がある。そうなると、下手すりゃ明日の開戦告知から数日の間に総計数万単位の王国軍が編成されるかもしれない」
数万もの兵、その規格外のスケール感はもはや想像すらも及ばない。ヴァローナでの争いで経験した数百人が決起した殺しあい、その何倍もの人数が戦いに参加をする。そんな大規模の戦乱がもう目の前に迫っている。急に、気の遠くなるような感覚が全身を走った。
ヴァローナですらも、何人もの死体をこの目で見た。逃げ遅れた市民や彼らを守るべく始祖族に挑んだ何人もの兵士が呆気なく命を散らした。果たして次は、一体何人が死ぬ? そして僕は、きっと今度は戦の中枢に近い場所で黒剣と化したナインを振るい足掻くことになる。敵の首筋を穿いたあれだけこびりついていたはずの感覚は段々と己の両手から消えつつある。次は、一体何人を殺すのだろう――
「いつだって、ボクは後出しじゃんけんに巻き込まれる立場なのさ。それが、この上なく気に入らない。きっとボクらに与えられる役割は、いつもと何ら変わらんだろうさ――あぁ、何時ものって言われてもツカサたちはまだ知らないよね?」
いつの間にか淀んだ水のように停止していた思考が、カタリナ殿下の声で冷や水を浴びせられたかのように再び引き起こされた。二、三回のの瞬きの後、どこか怪訝そうな表情を浮かべた殿下の質問に答えるべく軽く頭を振った。
「……今までの殿下と同じということは、各地を転戦するということですか?」
「ふぅん、中々いい線を行っている。そういう便利屋という立場に、恐らく変わりは無いだろう」
元々、殿下と初めてあった時の肩書とは、ヴァローナに派遣されてきた特務将官というものだった。その実態とは、正式な将官や将官補佐が配属されるまでの間、当該地域の防衛戦力として力を振るう便利屋だ。それを踏まえると、国家間の戦争においても適宜戦力が手薄な箇所へと宛がわれる、かなり流動的な戦力として扱われるのではないか。その予想は、大元において違いは無かったようだ。
「主戦場は、西部から南部にかけての平原地帯だろう。ある程度の広がりは覚悟した方が良い。あそこは昔っからキナ臭いからね。あとはリオパーダも一応国境だけど、あんな深層の森林で事を構えるほど両国は馬鹿じゃない」
「……ヴァローナは無いんですか。あの街こそ、対フラントニア帝国への要所のはずです」
真っ先に浮かんだ疑問を口に出すと、殿下は「それは無い」と首を振った。
「曲がりなりにも、あそこは天然の城塞として非常に優秀な立地だ。そして内部からゲリラ的に攻め落とそうなんて搦め手すらも通じなかったんだ。ということは、帝国の連中もそこに主戦力は置かないだろう」
少なくともイーリスがヴァローナの兵士や傭兵団を率いている限り、大崩れはしない。カタリナ殿下は、そう結論付けた。そうなると、彼女の言う通りこれから向かうことになるのは、この王都よりもさらに南西側の地域なのだろう。未だ地図の中ですらも覚えきれてはいない、完全に新規の領域へと。
「さてと、そろそろボクは晩餐会とやらに行かなきゃならない。こう見えても肩書は第三王女、ある程度のお行儀の良さは必要だからね」
現状をある程度確認し終えたあたりで、彼女はそう嫌そうな雰囲気を隠すことも無くそう言った。王の血族やそれに近しいもの達のみで行われるであろう晩餐会、そんなものに参加をするわけがない僕とナインは果たしてどうすべきか困惑していると、どうやらこの後兵士が僕たちを案内してくれるそうだ。
「案内しに来る兵士を大人しく待っていてね。勝手に出歩いたらそれこそ面倒なことになる。それと、恐らく君たちを迎えに来るのは人間族の一般兵だ。御前会議の待ち時間みたいな居心地の悪さはきっと無いはずさ」
そう言い残した彼女はそのまま部屋を後にして、僕とナインの二人だけがここに取り残された。
殿下が出ていってから数秒後に互いに目を見合わせて、そしてほぼ同時に首を傾げあう。勝手に出歩いてはいけないという制約がある以上、いつ来るかも分からない兵士が来るまでは夕飯もお預けということだ。幸いにも空腹感に苛まれてもいないけど、それよりも手持ち無沙汰というのが大きい。
「……次は南西方面か。考えようによっては、各地を巡る切っ掛けになるかもしれない」
ふと、そんな言葉が口をつく。今まで、王国東部のクアルスと北部のヴァローナ、そして中央部の王都サンクト・ストルツとめぐってきた。結果として、僕自身の正体に結びつく確固たる痕跡にたどり着くことは出来なかったが、それでも全く進歩が無かったわけでは無い。だからこそ、どんな理由であろうと未だ足を延ばしたことの無い土地へと行けることはプラスに考えるべきだ。
「ねぇ、ナイン。過去の僕は、南部や西部でも何かしらの――」
「――ツカサ。逃げ出すならば今の内だよ。この国の戦乱なんかに巻き込まれなきゃいけない理由なんて、貴方には存在しないんだよ」
顔を上げて僕の両目をじっと見据えた彼女の表情には、言いようのない険しさが浮かんでいた。
「ツカサは、英雄じゃない。今引き返さなきゃ、あなたはもっと沢山の人を殺さなきゃいけない……きっと、また人を殺すことの痛みすらも感じられなくなる」
「……まるで修羅か何かだね。過去の僕は、そんなとこまで堕ちていたのか」
記憶喪失によって消し去られた過去の僕が、きっと想像もつかないほどの業を背負っているのだろうとは薄々勘付いてはいる。今引き返さなきゃ、また同じような道を歩む。それは僕の正体を知る彼女だからこそ出来る、精一杯の警告なんだろう。
不思議なものだ。僕を通して"過去の僕"というものに囚われているのであろうナインが、そこへ行きつきかねない行動を警告するだなんて。普段の無表情さからは考えられないほど、その視線はこちらを鋭くとらえて離さない。
「僕は、人殺しで英雄に成り上りたくなんて思っちゃいない。でも、現実的に考えて今はこの副官という状態に身を置くしか無いんだ」
自分を納得させるように、そして彼女に何とか言い聞かすように、ゆっくりと喋りつづける。可能ならば、僕もこんな意味不明な地位を放り出してしまいたい。始祖族という圧倒的な力を持つ存在たちが収める国において、僕のような人間が出張る意味や妥当性なんて存在するはずが無い。
「一度副官になることを受け入れた以上、今逃げ出したら今度こそカタリナ殿下は敵に回るよ。そもそもナインや僕には、現状殿下以外にもはや味方は居ないんだ」
次は一体何処から刺客が来るかも分からない。もしかしたら、この薄暗い部屋の外には既にそんな輩が居る可能性だってあるのだ。そんな、カタリナ殿下を除けば四面楚歌な状況。ここで殿下すらも敵に回したら、もはや僕たちは日陰を歩くしか生きる道は無くなる。
「……ツカサ、ごめんなさい」
「謝んなくても良いさ。クアルスで手を取った時から、そんなこと覚悟の上だ。なぁに、殿下からの興味が無くなるまでの辛抱さ」
だからヴァローナで誓ったように、ほとぼりが冷めるまではカタリナ殿下の元に居るべきだ。たとえ戦乱に巻き込まれようと、今の自分の至上命題である「過去を解き明かす」という目的のためには、絶対に足を止めやしない。
やや俯いていたナインが、ふと背を向けた。その先にはこの部屋の出口。きっとあそこから飛び出して追手を全て振り切ったら、一瞬の自由と引き換えにして今度こそ完全なお尋ね者だ。
「……あなたが望めば、いつだって一緒にこんな境遇から逃げ出すよ」
「どうしようも無くなったら、そうさせて貰おうかな。だけど、それは少なくとも今じゃない」
僕がどうせ今すぐに逃げることに首を縦に振らないのは分かっていたのだろう。深くため息を吐いた彼女は、背中を向けたまま小さく頷いた。
* * *
「そうだ。君にはその選択肢しか残っていない」
部屋の扉の外で、口の端を吊り上げた人影がいた。顕現しかけた鉾槍をかき消して、彼女は声が漏れ出ないように口元を抑えて笑顔をひた隠す。
「だけど残念でした。君のような面白いヤツを、そう易々と手放したりはしないよ」
きっとこの部屋の中で葛藤の最中に居る青年の表情を想像した彼女は、暗闇の中で笑い続ける。人けのない部屋に放置して、逃げ出そうと思えば決して不可能ではないという状況を与えてもなお、ツカサという青年はこの場に居ることを選択した。それも、この状況から逃れるのがただ怖いからなんていう消極的で後ろ向きなものではない。
彼を突き動かしているのは、戦争で成り上ってやるという野望でもなく、それどころか大多数の無力な人間のように戦火という驚異から逃げ出そうという怯えでもない。あくまでも己の目的のために戦乱へと身を置き、そしていつの日か逃げ出してやろうなんてことすらも画策している。そんな、英雄とも弱者とも、修羅でも覇道でもないあり方。それが、カタリナ・フォン・アストランテには面白くてたまらない。
「だから、これからボクのモノとして動いてもらうよ。なぁに、悪いようにはしないさ」
ツカサの心境を陰ながら聞き取ったことで一旦は満足したのだろう。ようやく王族の晩餐会が開かれる場所へと向けて足を向けたカタリナは、これから会うことになる嫌な面々を思い浮かべながらも、未だに思い出し笑いを浮かべながら上機嫌という様子で歩き去っていった。
だからこそ、彼女は最後まで気がつかなかった。ツカサに背を向けて薄暗い廊下を見つめていたナインの金色の双眼が、いつの間にか憎悪に染まっていたということに。