朝靄の漂う冷たい港町の空気を、ごうという音と共に振り抜かれた長剣が切り裂いた。
咄嗟に一歩後ずさったその目の前を、剣の切っ先が通過する。風切り音すらも伴い前髪を震わせるその斬撃は、すぐ様に角度を変えて袈裟懸けに振り上げられた。今度はそれを横っ飛びすることで避け、着地と同時に姿勢を変えて空振りした剣先へと向き直る。
「クッ……ちょこまかとッ!!」
長剣を構えた相手がそう吐き棄てて、こちらへ突進しながら剣を構えた。移動をしながらの線攻撃、単純にその場で回避を繰り返すのでは危険に過ぎる。後方へバックステップをして剣戟から逃れた隙に、両手を腰脇に伸ばした。
しかし相手の突進は終わらず、更に剣先が横薙ぎに目の前へ迫る。相手の速度から考えて再び後ろに跳んで逃げるのでは次くらいで捉えられる。だから今度はそれを避けるのではなく、受け流す。
「ようやく抜刀したなっ!!」
子気味の良い甲高い音が鳴り、向こうの長剣と今しがた腰から抜刀して構えた二振りの短剣が打ち合わされた。短剣を交差して相手の剣戟を受け止め、すぐ様に剣の腹に打ち付けて右後方へと勢いを流す。その隙に再び相手の後ろへと逃げるべく足を踏み込もうとするが、それよりも姿勢が崩れたはずの相手の剣が再び襲い来る方が先になった。
「逃げるな!! 正面から打ちあえ!!」
相手は腕の長さを優に超える長剣、一方こちらは二振りの短剣。重量が違い過ぎる両者がまともに打ち合えば、こっちが力負けするのは当然だろう。
一瞬の間をおき出た結論は、ひたすらに受け流すこと。再び片方の短剣で重厚な一撃を一瞬だけ受け止めて、すぐ様にその勢いを横へと追いやる。手に伝わる激しい衝撃、ただ受け流しただけでこれなのだから、相手の言う通りにして真正面から受けたらすごく不利になる。フリーになった右手の短剣で決着をつけようと振りかぶり――無意識のうちに後方へと飛び跳ねた。
「こんのぉッ……!!」
長剣の勢いをそのまま使った強烈な回し蹴り。剣戟に勝るとも劣らない鋭さのそれを寸でのところで回避する。
ドッと吹き出る冷や汗、あれが腹部に直撃していれば剣がどうとか関係無しに一撃でノックアウトだ。バックジャンプした勢いをそのままに、背後の壁にまとめて積んであった木箱たちの上に駆け上がり、そして空振りさせた蹴りの姿勢から再び剣先をこちらに向けた相手の姿を目に入れた。
「こらっ、降りてこい!! それでは剣術の練習にならんだろう!!」
「いや、剣術って……元々は護身術の練習会でしょう、これって」
ドスリと練習用の木剣を地面に突き立てて今しがた護身術の練習をしていた相手を、僕は呆れたように見つめた。革製の鎧に身を包んだ、やや長めの金髪を振り回して怒る一人の女性。普段はすごく落ち着いたまともな雰囲気の人なんだけど、自称剣術練習になると途端に負けん気の強さでああなってしまうのだ。
「ツカサは甘すぎるぞ。今は凶悪犯が街に解き放たれた状態だ。そんな危険な状況では剣術こそが己の身を護る唯一無二の道具となるというのに」
「……ジャンヌさんにはいつも組手の練習をしていただいて感謝しています。でも、僕らはあくまで一般市民。戦うよりも、まずは逃げろです」
足場である木箱を崩さないようにして飛び降り、覚悟が足りて無さ過ぎると怒る彼女をなだめるべく歩き出す。この人の名前はジャンヌ・シーツ。僕が住んでいるクアルス郊外の街の警備を担当する、衛兵の内の一人だ。クアルスに住み始めた当初から挨拶を交わす程度には顔見知りであったが、最近ではどういう縁かこうして一緒に体を動かして護身術の練習を見てくれている。曰く、筋がよさそうだったとのことらしい。
「相変わらずツカサはすっげーな。ウサギみたいにぴょんぴょん跳んで避けるし、いざとなったらちゃんと打ち合うし。お前、記憶失う前は傭兵か何かだったんじゃねーのか?」
僕らの練習を近くの木箱に腰かけて眺めていたフィンが、感心した様子でそう言った。僕にとって、彼は読み書きの先生である僕の生徒の一人であると同時にもっともよくつるんでいる腐れ縁でもある。たぶんジャンヌさんとの訓練の三回目くらいから僕を訪ねてきた彼も混じるようになったはずだ。
彼の言う通り、僕は自分自身について妙に反射神経が良いなと疑問に思ったことはある。それは日常生活の中で羽虫を捕まえる際だったり、こういう運動をしている時だったりと大小さまざまだ。でも一番大きかったのは、数か月前の出来事だろう。
数か月前、街道の一画で馬車の馬が暴れてしまい坂道を暴走するという危険な場面に遭遇したことがあった。商会ギルドに代筆した手紙を届けるためにそこを歩いていた僕は、まさに坂道をおちる馬車の直撃コースにいた。大きな物音とともに振り返ったところでようやく目の前にまで迫った馬車に気が付いた僕は、次の瞬間には何事も無かったかのように馬車が通過していったはずの道の上に立っていた。近くの人に聞いてみたところ、どうやら通過する馬車の縁を足場にして飛び上がって避けていたらしい。
常識で考えてそんなこと無意識のうちに出来ることじゃないが、事実自分の体はそれをやってのけたのだ。僕は半年よりも前の記憶を無くしている。フィンのいう昔は傭兵だったなんて話も、もしかしたら嘘じゃないのかもしれない。
「だがツカサ、お前は敵の剣戟を防ぐことは出来ても、その剣で敵に向かってくるのはからっきしだ。何故そう極端なんだ」
「……どうしてでしょうかね。ジャンヌさんから見て、何か理由みたいなものってわかりますか?」
「さっぱり分からん。少なくとも言えるのは、攻めに転じたお前はそこらの素人にも劣る」
呆れ気味にそう話すジャンヌさんの言葉は、まったく否定することは出来なかった。さっきの打ち合いの中でこちらから仕掛けなかったのは、その気がなかったというよりも、攻め口が全く思い浮かばなかったからという方が大きい。
何となく手に合うという感覚で選んだ小ぶりな二振りの短剣は、ジャンヌさんの剣戟を交わす分には大きな働きをするけど、攻める側に回ったら悲しいくらいにさっぱりだ。手ごたえありと思ったら盛大に空振りし、それどころか小さな木剣なのに振った勢いでこっちの重心がぶれる始末。数かいの練習会を経た今は、ただ身を護る分ならば別にこれで良いんじゃねと諦めの境地にいる。
解決しようと考えたことも無いわけではないけれども、悲しきかな突破口はさっぱり見つからない。一応剣を扱う職にいる彼女で分からないことを、素人の僕が分かるはずもないんだ。
「なぁー、ジャンヌー。難破船について教えてくれよ。衛兵なんだからなんか知ってんだろ?」
「……私のような下っ端はあまり情報が与えられていないんだ。昨日も、いきなりの厳重な警備態勢を敷けとしか言われていないよ」
木箱に座って悩んでいる向こうで、フィンがジャンヌさんに纏わりついていた。僕だけではなく、フィンも一昨日の衛兵たちの行為を目の当たりにしていた。衛兵の冷徹な治安維持部隊としての側面。僕たちにこうして時間を割いてくれているジャンヌさんも、一応はその衛兵に所属する一員だ。フィンは、ジャンヌさんならば衛兵の事情について少しは教えてくれるんだろうと期待をしているようだけど、多分何も聞きだすことは出来ないだろう。
昨日アリアスさんから言われたことを思い出す。僕らが助けた少女は、何人かの衛兵を殺害した。それも始祖族の人間まで犠牲になった。これだけでも途轍もなく重大な案件なのに、一番の問題はその少女がこの街のどこかに潜伏しているということだ。そんなことがあれば、昨日の衛兵たちの厳重な態勢も理解できる。
ジャンヌさんのような一般の衛兵全員にその情報が伝わっているかは定かじゃないし、それに伝わっていてもそんな重大なことは話してくれないだろう。少し気まずそうにフィンをあしらう姿から、多分後者なんだろうなと踏んだ。
たぶん明け方にいきなりフィンを連れたって訓練をするぞと押しかけてきたのも、僕らの無事を確かめるための方便だったのかもしれない。夜も開ける前に扉がどんどんと叩かれた時はまさか例の少女が戻ってきたのかと恐怖でガタガタと震えて布団を被っていたが、それは直後に聞こえたきたジャンヌさんの大声でふっと消え去ったものだ。
「さて、私はもうそろそろ戻らなければならん。お前たち、くれぐれも夜遅くまで出歩いているんじゃないぞ」
「わーってるよ!! ジャンヌ、ありがとなっ」
髪を纏めなおしたジャンヌさんが木剣を両手に抱えて立ち上がった。今の時間は夜が明けて早々といったところ。朝市もまだ始まっていないような早朝で、港の沖合から上がってきた太陽で本格的に街が照らされ始めている。
去り際に手を振る彼女を僕とフィンの二人で見送った。彼女はまた、昨日と同じく特別態勢の中物々しい警備任務に就くのだろう。色々とイレギュラーなことが一昨日昨日と続いている。街の人たちを見てみても浮足立った空気が満ちている。そんな何処か嫌な予感と雰囲気が蔓延するこの街に、新しい朝がまたやってきた。
* * *
すっかり日が上った昼下がりに、僕は交易所を訪れていた。クアルスの街と外部の間で交わされる貿易を取り仕切る組合の本部だけあって、建物の大きさは街でも相当大きな部類に入る。重厚な黒木の扉を開ければ、目の前には広々としたロビーと幾つかの受付窓口があった。
昨日にも増してピリピリと殺気だった街とは裏腹に、扉の向こう側は普段と何ら変わらない落ち着いた空気が流れている。この受付所で、刀剣類や食物などの取引といった街を出入りする交易の一切を管理するのだ。
僕は革製の小さな鞄一つだけを持った身軽な出で立ち、昨日以上に厳重な警戒態勢が引かれる中武装を施した衛兵たちとはまるで真逆である。その一方で、周囲には衛兵並みにとは言わないけど軽めの装備を身にまとった人たちもいる。たぶん隊商に所属している傭兵だろう。それだけじゃない、おそらく商人と思われる少し恰幅の良い男性が窓口で何らかの手続きをしていた。この場所には、交易に関する様々な人が訪れる。
僕も、交易に関連する用事でここを訪れている。しかし別に自分自身が何かの商品を別の街に売りに行くとかそういう用ではない。鞄の中から出した何枚かの小さな紙を受付の台に置く。これは自分の稼ぎのうちいくらかをもたらしている手紙の代筆作業で仕上げたものだ。それをここの受け付けにおいて、手紙の宛先と合致する隊商に運んでもらう手続きを行うのである。
依頼者から頼まれた内容の文面をかいた後は、こうして僕が発送の手続きまでを行うことにしている。今回の依頼は全て同じ行き先のものだから、手続きはいくらかは簡便なものになる。
「王都サンクト・ストリツ向け10通、合計120ジェブだ」
言われるがままに、小包から指定量の小銭をじゃらじゃらと出した。あらためて、手紙なんて気軽に贈るもんじゃねーなと思う。銀貨を合計12枚、贅沢しなければ1ヶ月は過ごせる金額だ。
「……よし、丁度だ。それにしても今週は多めだな」
「季節の変わり目ですからね、王都の家族に近況報告する人が多いんですよ」
王都には軍部の花形である近衛隊が常駐している。クアルスの衛兵団よりも始祖族の割合が多い、いわばこの国の主戦力陣だ。そしてそんな部隊に所属する人族の面々にも求められるものは相当に大きいと聞く。
今回手紙を依頼してくれた人の半分くらいが、子供や親族がそこの本隊や見習いに属しているような層だ。そんな遠く離れたエリートの家族に向けての手紙なのだから、内容の多さもひとしおである。今朝に確認がてら読み直してみたら、街の異変にあてられた不安が少しだけ取り除かれるような思いだった。
「ツカサ、今日は早めに帰れよ。コンスタントに金を落とす客になんかあれば、僅かばかりでも業績に傷がつく」
「……あの、今日ってなにかあったんですか? 街の空気がかなり固いですけど……」
帰ろうとしたところで掛けられたその言葉で、小屋を出てからずっと今まで抱いてきた疑問と違和感を思い出す。
昨日にあんなことを聞かされたためか、交易所を訪れなければならない用を除けば今日は極力外出は控えようと思っていたほどだ。しかしそれはあくまで僕がアリアスさんから秘密裏に聞かされたものであって、市井に知れ渡るようなものではない。だから昼過ぎに代筆作業を終わらせて外出した時に、たったの一日で街の雰囲気が様変わりしたことに対する疑問は拭えなかった。
僕の質問をうけた係員の男性は、最初こそ意外そうなものを見る顔を浮かべていたものの、直に納得した様子へと変化した。
「なるほど、まだ知らないのか。恐ろしい話だぜ。一昨日の難破船の事故で生き残りが何人か診療所に入れられただろ。それは知ってるか?」
「え、ええ。昨日聞いた港の噂じゃ、助けられた半数が意識不明とか……」
そこまでは把握をしている。例の少女を診療所に運んでいった時に突っ返されたのは、その生存者達を治療するためだったはずだ。そこそこの規模の輸送船なのに、救出された船員はわずか10名程度。たったのそれだけの情報でも、事故の大きさを物語っている。
「……昨晩、そいつらが全員殺されたんだ」
その言葉を投げかけられた一瞬の間だけ、彼が何を言ってるのかが理解できなかった。
「噂によれば全員が胸部を一突き、まったく戸惑いの感じられん殺し方だったようだ。船出日和の中でのスターランテ号沈没といい、生存者の暗殺といい、どうにもこの街は相当厄介なものを抱えているみたいだな」
続けざまの彼の説明は、その半分くらいしか頭に入ってこなかった。今日この場所に来るまでそういう情報を全く仕入れてこなかっただけに、いきなり突き付けられたこの話の衝撃はかなりのものだった。そして彼らは知らないだろうけど、人が死ぬという案件はこれで二日連続で起きたということになる。
一昨日は始祖族を含んだ衛兵たち、昨日は沈没事故の生存者たち。別に、クアルスという街は一日の間に一件も殺人事件が起きないことが当然といった潔癖な場所じゃない。でも、こう一度に立て続けに人が死ぬ、それも同一人物が犯人と思われるだなんてそう起こってたまるものか。
「衛兵の様子を見る限りじゃ、犯人は捕まっていないんだろうな。何人もの人間を殺して、その上恐らく船一隻を沈めた輩がクアルスのどっかに潜伏しているんだ。こりゃあ一大事だろうよ」
何か、とてつもないことが僕たちの街で起きている。昨日アリアスさんにこっそりと情報を伝えられた時には分かっていたその異変が、じわりじわりと街全体へと広がりつつあるということか。
恐ろしいことが起きただなんて、本当は昨日の時点で分かっていたことなのに、彼の話を聞いてから明らかにそれに対する考え方が変わった。多分僕は、犠牲になったのは見張りについていた衛兵だけで、市井の僕らには毒牙が及ばないなんて甘えたことをどこかで考えていたんだろう。容赦のない殺人が行われた今、もうどこにも身の安全を保障する根拠は存在しない。それどころか、目下犯人との疑いが強い件の少女との関りが最も強いのは、最初に彼女を救助した僕とフィンの二人だ。それを改めて認識すると、背筋がゾクリと冷えた。
「そういうわけで、うちも今日は早じまいだ。お前も気をつけるに越したことはないぞ」
「……ええ、出来る範囲で注意しますよ」
僕はただそう返すことしかできず、最後に一つ頭を下げた後は早足でその場を後にした。つい先ほどまで開閉をしていた扉には特に何の感慨も抱いてはいなかったが、それが今では恐ろしい外界とこちらを繋ぐ唯一の壁に思えて仕方がなかった。
今は、僕と同じくターゲットになる可能性がゼロじゃないフィンの安否を確かめよう。まだ日も落ち切らない明るい街の通りを、嫌な寒気を抱きながら足早に目的地を目指して歩みを進めた。