記憶の無い僕と黒い刃の彼女   作:丸いの

5 / 34
5. 遭遇

「あれま、ツカサじゃないかい。どうしたさこんな時間に」

 

 交易所の受付で話を聞いたあと、僕はいてもたってもいられなくなって帰りがけにフィンの家を訪れていた。扉を叩いて出てきたのは、彼の母親であるアンナさんだった。少し息を切らして焦った様子の僕を見て、彼女は怪訝そうな表情を浮かべている。

 

「フィンは……フィンはいますか!?」

「あの子は今夫の手伝いをしているはずだけど……どうかしたのかい?」

 

 今はやや日が落ち始めた程度と言ったところで、まだまだ夕刻なんかじゃない。確かに彼女の言うとおり、フィンがまだ漁師見習いとして手伝いをしているような時間帯だ。

 

 そんなことも見落とすくらいに気が動転していたことを恥じつつ、僕はアンナさんに事情をかいつまんで説明した。今この街で起きている異変、それに件の少女が関わっているかもしれないということ。もちろんアリアスさんから言われたことは適度にぼかしたけど、僕とフィンが何かのきっかけで狙われてもおかしくないということはきちんと言いきった。

 

「……そうなのねぇ。アンタも危ない中、わざわざ伝えてくれてありがとうよ」

「彼、そろそろ仕事の手伝いを切り上げて帰ってくる時間ですよね。僕買い物ついでにフィンを迎えに行きますよ」

 

 商売道具であるいくつかの紙や羽ペンなどをしまった鞄を持ったままだけど、それを自分の小屋に持ち帰るよりも先に今はフィンの無事を確かめたかった。ただの考えすぎなのだろうけど、何故か今は変な胸騒ぎに突き動かされるような気分だ。

 

「じゃあ、よろしく頼もうかしらね。あの子もアンタみたいな世話焼きの兄貴分が出来て、ホント幸せもんだよ」

 

 不可視の影が街を覆うなかで、普段と何ら変わらない様子で笑うアンナさんの姿に、気分は幾らかか和らいだ。

 

 

 

 フィンの家は漁師ということもあって港湾地区に程近く、小規模の市街地を抜ければすぐにたどり着くような距離にある。アンナさんと別れてから雑貨屋で紙やインクを購入した後は、わりと早めに小さな漁船がいくつも並んだエリアにたどり着けた。大きな桟橋を挟んでこちら側が漁港で、向こう側は交易港となっている。本来ならばスターランテ号の巨体がいたはずであろうその場所を一瞥したあと、漁船の並ぶ桟橋へと足を進めた。

 

 まだ10の子供であるフィンは、海に出て実際に漁を行うのではなく、漁船の点検整備の手伝いをしているはずだ。いくらか働く時間に幅のある僕とは違い、日の出ている間に明日の早朝に行う漁に向けての準備を終わらせなければならない彼らは常に一日の回りかたが早い。彼の父親が保有する漁船のところにたどり着いた時には、多分見た感じでは概ね作業の方は終了していた。

 

「じゃあ最後に網を畳んで――おお、ツカサじゃねぇか。フィンに何か用でもあったか」

 

 漁船の中の方で作業を続けているフィンに指事を飛ばしていた大柄な男性が、僕に気が付いたのか大きな声で呼び掛けてきた。彼はフィンの父親であり、この辺りの漁師を取りまとめる人物でもある。ヴェスタという名前の豪放な性格の人だ。

 

「こんにちはヴェスタさん。彼、そろそろ仕事は上がりですか?」

「ああ。後は組合の方で話し合いをするだけだから、こいつはここいらで仕舞いだ。フィン、ツカサがわざわざ来てくれたぞ!!」

 

 ヴェスタさんが船の先の方で作業をしていたフィンに大声で呼びかけると、そこでようやく僕が来たことに気が付いたのか彼は狭い船体の中を器用に走って桟橋へと飛び移ってきた。

 

 僕の方からこうして彼を訪ねることはそうそうあることじゃない。思い返してみても自立した生計を立ててから今に至るまでじゃあ初めてかもしれない。そんなこちらから来るという状況に何か面白い話でも持ってきたと誤解をしているのだろうか、僕の顔を興味津々といった様子で見つめるフィンの姿に、小さくため息を吐いた。

 

「ツカサ!! どうしたんだよ、何か面白いことでもあったのか!?」

「……君が普段僕を暇つぶしのオモチャとしてみていることは良くわかった。今日はそういうのじゃない。まあ、顔を見に来たんだよ」

 

 彼は何だかんだでまだ小さい子供だ。直接僕らは危険な状況にあるかもしれないと言うよりも、適度にぼかしたほうが良いだろう。ここに来るまでも街の空気がどこか浮き足だっていたのはなんとなく感じとることが出来た。多分その雰囲気を知っててその上で僕の真意を分かっていたのだろうか、ヴェスタさんはフィンを再び仕事に追いやったあと、近づいてきて小声で話しかけてきた。

 

「すまねぇな。本当ならば俺が面倒見ておくべきなんだが、頼めるか?」

「ええ、元からそのつもりです。それに僕の好きでやることですから気にしないで下さい」

 

 夕方近くになってくると、季節がまだ冬も開けたばかりということもあって暗くなるのはあっという間だ。暗く成りきる前に彼を家に送り届ければまずはそれで良い。フィンの仕事が終わるまで少し座って待っていようと思い適当に桟橋に腰を下ろすと、水面にはいつもだとあまり無いはずの幾つかの木くずが点々と浮いていることに気が付いた。

 

「それはスターランテ号の破片だ。一昨日お前たちが死体を見つけた海岸線だけじゃなくて、こっちにもいくつか流れ着いているんだ。そういう小さなものの他に、真っ二つに折れた小型のボートなんてのもあったよ」

「へぇ……今回の事故を解明できるようなものもあったりしますかね」

「衛兵が何回か見回りにきたが、どいつもこいつも手酷く破壊されたガラクタさ。有益な貨物や証拠品はみんな海の底だろうな」

 

 聞けば、昨日辺りはこのような残骸はもっと大量に漂っていたようだ。漁船の操舵に邪魔となるそれらを退かすために漁港一帯を清掃するのはかなりの手間がかかったようで、改めて沈没事故の影響の大きさを感じされられる。

 

 そんなことを話しているうちに、フィンは最後の作業を終わらせてきたようだ。軽快な動きで桟橋に跳び移ってきた彼は、普段と変わらない陽気な様子で僕の目の前に表れた。

 

「アンナには何時もより早く戻ると伝えてくれ。それとツカサに迷惑かけるんじゃねぇぞ!!」

「わーってるよ!! んじゃいこうぜ」

 

 木で出来た桟橋を彼は跳び跳ねるように進んでいく。トントンという小気味の良い音が響き、それに気が付いた他の漁師達が僕らに短く挨拶を交わしてきた。フィンは勿論のこと、彼の家族と少しばかりは関わりをもつ僕も一部の人には顔を覚えられているのだろう。怪しげな影が街を覆うなかでも、そういう日常は変わることはない。

 

 

 

「なぁ、それ何持ってるんだ?」

 

 港湾地区を出たところで、彼が僕の鞄を指差して尋ねてきた。確かにこの鞄は見た感じではいかにも何か入ってますと言わんばかりに膨らんでいる。もとが小さい物だから、少しでも荷物を入れるとこうなってしまうのだ。

 

「さっき買ってきた僕の仕事道具さ。インクと紙、これが無ければ話にならない」

「勉強会でも紙に文字を書きてぇなー。ツカサ、今度それちょっと使わせてくれよ」

「駄目。紙は高価だし使いまわせないからね。それに木版にだって書きやすいし、捨てたもんじゃないよ」

 

 手紙を書くためにはこのような紙とインクが欠かせない。特に紙は決して安いとは言えないが、やはり木版で送るよりは紙の方が軽いし嵩張らないし、配送の時の金額まで含めれば紙と木版はそこまで大きな差は無い。ただ少年少女たちの文字書きの練習に使うには、少々割に合わないのだ。

 

 

 普段と比べてやや人通りが少ないとはいえ、クアルス中心街はそれでも十分の賑わいを見せていた。気をつけて歩かなければ前から来た人と肩がぶつかりそうなくらいだ。日が落ちてきたこの時間帯では、むしろ一日の〆として人通りが若干増える傾向にある。肩から下げた鞄が人にぶつからないように、一層の注意を払った。

 

「なぁ、近道してこーぜ。オレ裏道結構詳しいんだ」

「路地裏のこと? 駄目だ、最近物騒なんだから人通りの多いところを行くよ」

 

 歴史の深い街であるクアルスには、表の賑わいから隔離された巨大な路地裏が存在する。石造りの建物たちの間を縫うようにして入ることの出来るのはほんの表層で、その奥には旧市街が広がっている。半年間この街で過ごしてきたけれど、いかにも危険そうなそんな場所には意図して近づかないようにしてきた。

 

 フィンの提案をばっさりと否定をしたら、彼はつまらなさそうに舌打ちをした。だがこんな状況で、わざわざ薄暗く人通りがほとんどない空間を歩くだなんて冗談じゃない。クアルス中心街に面した路地裏であっても、建物が密集した隙間は表通りとは全く異なる雰囲気を放つ。昼は浮浪者が、夜は酔っ払いがたむろするという、お世辞に治安の良い空間とは言えない。

 

「それにここを抜ければフィンの家はすぐに――ッ!?」

 

 ドン、という強い衝撃が肩に伝わった。ただ人とぶつかっただけじゃ済まされないその勢いに驚いているその間に、肩にかけていた鞄のひもがするりと腕の先へと抜け落ちる。それに気が付いた時には、鞄の本体に引きずられてひもから手が離れてしまった。咄嗟に掴みなおそうとするそれは、落下とは明らかに異なる挙動で指先から逃れた。

 

 目深にフードを被った人物が目の前を走り出し、そして表通りにぽっかりと口を開けた裏道へと向かう。そこに来てようやく、ひったくりに遭遇したのだということに気が付いた。

 

 咄嗟に追いかけようと足に力を入れかけたが、踏み出そうとする寸前に理性が待ったをかけた。このまま追い掛けて、路地裏の深層部に行けばどうなるか。あの鞄の中身は、ただでさえ怪しげな影で覆われた状況下でそんなリスクを背負うほどのものか。たかが紙とインク、また買いなおせばいいじゃないか――

 

「おい、コラァ!! 返せ!! 逃げるな、待てよ!!」

 

 隣から叫び声が聞こえてハッとする。顔を上げた時には、一緒に連れだって歩いていたはずの少年が、もう目の先を走り出していた。手を伸ばしても間に合わず、フィンは一直線に裏通りへと向かっていく。

 

「フィン、戻れッ!! そんなもんくれてやればいい、だから――クソッ!!」

 

 呼び止めようとしたが一歩遅かった。フードの人物とフィンは、二人ともがかなりの速さの駆け足で路地裏に吸い込まれていってしまった。追い掛けるための一歩目を踏みとどまったのは、僅か数秒のことだ。鞄を取り返すのではなく、ただフィンを捕まえて表通りに戻る。ただそれだけを考えて、僕も彼らを追って薄暗い細道へと飛び込んだ。

 

 

 

 表の通りとは全然違う、淀んだ空気が漂う路地裏の世界。表の街を形成する立派な建物の間を縫うように続くこの道は、当然日陰も多いため薄暗くそして肌寒い。そして空気の巡りも悪いせいか、生臭い磯のにおいが嫌に鼻に付いた。普段であれば決して足を踏み入れない領域に、僅かな音も聞き逃すことの無いようひたすら耳をすませながら駆ける。

 

 小さな駆け足の音を頼りに右へ左へと路地を曲がり、そしてそのたびにどんどんと表の通りからは遠ざかっていることをひしひしと肌で感じた。果たして彼を見つけたところで、スムーズに元来た道を戻れるのか。いや、そんなことは全て彼をひっ捕まえてから考えればいい。いくら裏路地でもここが街である以上いつかは果てがあるはずだ。別に底なし沼でも何でもないのだから。その一心でひたすらに足を動かした。

 

 浮浪者やごろつきすらも見当たらない、裏路地の中に見えた広場で立ち止まった。街の発展と共に置き去りにされた古い建物群、それらがこの路地裏の深層部を成していると聞いたことがある。ここは、その昔は旧市街の交差点か何かだったのだろうか。表通りの喧騒がまるで遠い異世界の出来事であるかのような錯覚を感じた。幾つかの細道がここから伸びていき、その奥からは僅かに表の街の喧騒が聞こえる。今まで走ってきたのも、たぶんその細道の一つなのだろう。流石のフィンもここまでくればひったくりを追い掛けるのも諦めるはずだ。

 

「……おいフィン、聞こえてるか!! とっとと戻るぞ!!」

 

 その広場の中央で、大きな声で叫んだ。両脇を塞ぐ人が住んでいるのかも怪しい古びた建物によって、その声が反響して路地裏へと響く。しかし、いつまでたっても彼からの返事は聞こえてこない。走った疲れか、それとも冷や汗か、首筋に付着した水滴をすえた臭いの風がそっと撫でつけた。

 

「鞄の中身なんてどうでもいい、それより早く帰るぞ!! 聞こえているんなら返事をしろ!!」

 

 再びフィンに向けて大きな声を上げる。まさか僕の方が見当違いのところまできたのか、それともフィンはここも通り過ぎて再び表通りまでひったくりを追い掛けていったのか。何か、非常に嫌な予感がする。いくら彼がすばしっこく走るといったって、こっちの足だって負けちゃいない。途中までは確かに彼の走る音を頼りにしてきたし、それにいつの間にか追い越したりいきなり距離を離されるわけも無い。彼の痕跡を追い掛けた結果が、この広場なのだ。

 

「フィ、フィン!! 何でもいいから返事をしろ!! どこだ、早く家へ――」

 

 その声を遮るようにして、ドサリと何かが倒れるような音が背後から聞こえた。雷にうたれたように振り返り、そして日の光がなくなり暗闇がにじみ出てきた空間の中に何かを見つけた。広場から伸びる細道、その一つの路上に何かが倒れている。

 

「……フィン、なのか……? お、おいしっかり――」

 

 ――僕は、駆け寄ったことを後悔した。小柄な体に茶髪のツンツン頭、それはフィンに違いなかった。彼は仄暗い路上にうつ伏せで倒れ、呼びかけたり背中を叩いてもピクリとも動かず、そして地面についた僕の手に生暖かい何かが触れた。それは液体で、この薄暗い空間でもはっきりと赤色とわかり、止め止めもなく突っ伏したままのフィンの体から流れるのを止めようとはしていない。

 

「あ……あぁ――」

 

 べっとりと濡れた手が、ひどく鉄臭い。言葉にならないうめき声が口から漏れ出し、そのまま後ろへと倒れこんだ。冷たく硬い石の感触とは真逆の、生暖かい液体。さっきまで一緒に歩いて話していたというのに、その彼に再び近寄ろうとするのがひどく怖い。これだけ呼びかけようが背中を叩こうが、一言も発しないどころか反応すらもしない。

 

「フィ、ン……起きろよ、なあ!!」

 

 勇気を振り絞り、動く様子のない彼の体を無理やり抱き起す。服が赤く滴る液体で濡れようが構わない。彼の顔を見る、その一心で目にした光景は、ようやく僕の脳に現実を受け入れさせた。

 

 瞬きすらせずに開かれたままの目、そして開けっ放しの口。全身のどこにも力が入っておらず、抱きかかえた体に逆らうようにしてゴロンと首がそのまま下へと向いた。視線を下ろせば、彼の左胸からその赤い液体――血液が流れ出ていた。

 

「な、何で……フィン――」

 

 ザリ、という背後で聞こえた足音で振り返った。動かなくなった彼の体を地面に下ろし、そして震える足で何とか立ち上がる。いつからそこにいたのだろうか、薄ら闇の路地に立ち、フード姿の人影がこっちを見つめていた。あの時僕の鞄をひったくって路地裏に逃げて、そしてフィンが鞄を取り返そうと追い掛けていった奴だ。手にはいまだにその鞄を持ったまま、そしてそれは一歩こちらに近づいた。無意識に一歩後ずさり、靴がフィンの体から流れ出た血だまりを踏みしめる。

 

 その人物は、フードに手をかけてゆっくりと素顔を僕の目の前へ晒していく。この暗闇の中でもはっきりとわかる、淡い桃色の髪の毛、そして周囲の僅かな光で煌く金色の瞳。その姿が誰であるのかを認識した瞬間、背筋に酷い寒気が走った。

 

「……ツカサ。やっとあなたに会えた」

 

 数日前に僕とフィンが木箱の中から助け出した少女が、まるで場違いな淡い微笑みを浮かべていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。