幻想郷は、斯くも残酷で   作:伊賀者

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2話 人形使いの少女

 胡蝶の夢という話をご存知だろうか。夢の中で蝶となった主人公が、自分は人間なのか、はたまた本当は蝶なのではないか、と夢と現実の区別がつかなくなってしまうというあれである。

 

 そんなわけで、辰巳は今、夢の中にいた。

 森の中での一連の出来事は、どうやら彼にとって、現実の出来事とは処理されなかったらしい。彼は今やっと、夢から目が覚めたばかりだと信じて疑わない。

 

 格安だとわかる古びたアパートの一室。無造作に敷かれた布団の上で、辰巳は一人微睡んでいた。

 カーテンの隙間から射す朝日に、僅かに聞こえる野鳥の鳴き声。辰巳が一日で最も好む時間帯である。

 

 そんな平和な空間に現る一人の闖入者。

 

「ほら、そろそろ起きなさい」

 

 自室へと無断で入り込んできたその声は、少女のもの。あぁ、いつも来る幼馴染の、えー、何だったか。あー、そうだ、誰々の声だ。

 辰巳はその声に薄目を開けた。

 

 目も覚めるような美しい金髪に、スカイブルーの瞳。未だかつて見たことの無いような美少女は……。うむ、よく見る幼馴染の顔である。

 

「うーん、あと五分だけ……」

 

 そう言って辰巳は再び目を閉じるものの、すぐにその体をゆさゆさと揺すられる。何だかいつにも増して、強情である。

 億劫そうな動きで今一度開けられた辰巳の瞼の先、そこにはやや不機嫌そうに表情を歪めた幼馴染の顔。ジトッとした顔も実に可愛い。

 

 冗談もさておき、実際そろそろ起きなければまずい。高校生の朝はとっても早いのだ。

 可愛い幼馴染と一緒に登校だなんて、素晴らしく青春してる。そんなことを考えながらも、一つの疑問。

 

 (あれ、俺ってもう高校卒業してないか?)

 

 辰巳の脳裏に、高校の卒業パーティーの記憶がよぎる。皆が抱き合って涙を流す中、一人隅っこで唐揚げをむしゃむしゃと。あの式場の料理は、今思い返してみてもとても美味しかった。

 

 一度疑問に思ってしまうと、連鎖するように違和感が募る。曰く、俺実家暮らしじゃんとか、昨日の晩飯何だったっけだとか。

 そして何より、

 

 そもそも、俺にこんな可愛い幼馴染など、果たしていただろうか?

 

 

 視界が歪む——。

 

 

 

 

「どわぁっっ!!」

「きゃっ」

 

 叫び声を上げながら、辰巳は上体を跳ね起こした。それにあわせて、すぐそばで彼を起こそうと奮闘していた少女、アリスは飛び上がるようにして後ろへ下がる。

 

「ちょっと、いきなり驚かせないで頂戴」

 

 居住まいを正しながら、アリスが言う。結構驚いたのだろうか、少し顔が赤い。

 

「ここは……?」

 

 辰巳は呟きつつ、周囲を見渡す。

 洋風をイメージしたとわかる調度品の数々に、壁にはやや多くの絵画や写真、時計が飾られている。そして何より目を引くのは、いたるところに並べられた人形達。部屋主の趣味だろうか、それにしては少々のめりこみ過ぎと言えなくもない。

 

「ここは私の家よ。襲われて気絶していたみたいだから、ここまで運ばせてもらったわ」

「気絶って——。いや、ありがとう、助かったわ」

 

 辰巳は状況が全く見えてこないものの、とりあえずは礼を言う。気絶していたなどと言われたものの、そのような事態に陥った憶えは——、と、そこで彼は、意識を失う前の記憶を思い出す。

 

「そうだ! 俺を襲ってきたあのでっかいやつ。あいつは一体どうなったんだ?」

「ああ、餓鬼のことね。それならもう私が倒したわよ」

 

 辰巳の問いに、アリスは大したことないとばかりに答える。

 

「倒したって……。えーっと、君が……?」

 

 信じがたいといった表情で、辰巳はアリスを見つめる。

 辰巳が見るに、アリスの年のころは十代の半ばといったところ。辰巳よりも頭一つ分よりもなお小さい身体は、おおよそ荒事とは結び付かない。ましてやあんな化け物と戦って倒すなど、正直言ってまったくもって信じられない。

 

 そんな辰巳の内心を表情から読み取ったのか、アリスは別に信じなくてもいいけれど、と彼の疑問におざなりに応じる。

 

「まあ、そんなことはどうでもいいの。それより、初めて会ったんだからまずは自己紹介から始めましょう」

 

 そうアリスは良識的な意見をいいつつ、コホンと一つ咳払い。

 

「私の名前はアリス・マーガトロイド。ここ魔法の森に住む、人形使いよ」

「ああ、俺は米岡辰巳。えーっと、普通の大学生だ。よろしく」

 

 アリスが差し出した右手を、辰巳はおずおずと握る。少しばかりに緊張した様子なのは、相手が普段お目にかかれないような美少女だからだろうか。

 

 互いの紹介も終わり、アリスはさて、と話を始める。

 

「それじゃあ、そろそろあなたが置かれていた状況について、話していきましょうか」

「ああ、よろしく頼むわ」

 

 辰巳としても、一刻も早くこの状況について把握しておきたい。何より、早く帰らなければ大学の単位が軒並み死滅する。

 

「あなたはおそらく、ここで言うところの外来人ね。気が付いたらあなたはあの森の中にいた、という認識で間違いないかしら」

「そうだな。だいたいそんな感じだ」

 

 アリスは確認するように辰巳へと問いかける。それに辰巳はうんうんと頷く。

 

「まず、あなたが迷い込んでしまったのは幻想郷という、あなたが元居た外の世界からは結界で隔離された土地よ」

「隔離されたって、隠れ里みたいなもんか?」

 

 辰巳が訪ねる。彼の脳裏に浮かんでいるのは、日本のどこかにあるかもしれない怪しい集落、それも恐ろしい儀式でもやっていそうなところである。

 

「それよりかは、もっと離れた感じね。外の世界でいうところの、異世界だとでも思ってもらって結構よ」

「異世界って、嘘だろ……?」

 

 辰巳は呆然とした顔でそう呟く。

 いつの間にか森にいた時点でかなりの不思議体験といえるが、まさか異世界とは。それではもう、自分は元の世界に帰れないのだろうか。まだ親孝行だってろくにしてないのに、あんまりである。

 また、辰巳が普段読んでいた小説では、主人公は元の世界に帰れず、その世界で骨を埋めることになっているものが多かった。そんなことから、彼の心には大きな不安が生まれていた。

 

「悲観しているところ悪いのだけれど、帰る方法自体はあるわよ」

「えっ、マジで!? 帰れんの?」

「ええ。ただ、その方法に少し問題があるの」

 

 アリスは困ったような顔をして言う。その表情に、辰巳は一瞬の喜びもつかの間、またも不安そうな顔をする。彼は感情豊かな人間である。

 アリスは、言い辛そうにその口を開く。

 

「本来、外来人は博麗の巫女の助けを借りて元の世界に帰るのよ。でも、その博麗の巫女が、つい先日急死してしまったの」

「そいつは何というか、お気の毒で……。あー、それでその、博麗の巫女っていうのの後任とかは?」

 

 辰巳は自信なさげに尋ねるも、アリスの表情は苦いままである。どうやら、彼が求める答えは用意されていないようだ。

 

「残念だけど、まだ決まっていないみたいね」

「やっぱりかぁ……」

 

 辰巳は落ち込んだままに、上体を勢いよく後ろへ倒す。物事とはそうそう上手くいかないものである。ベッドの脚が、その重さを受けて小さく音を鳴らす。

 

「それに、彼女がいなくなってから、幻想郷の妖怪たちが活発になってきているみたい。人間を喰らって、妖気を貯めこんで狂暴化した妖怪も増えてきているわ」

「それって、俺を襲っていたやつみたいな?」

「あれは見た目だけ。でも、あの異常な大きさについては、それが影響しているのでしょうね」

 

 アリスの言葉に、辰巳の口から小さくうわぁ、と漏れる。期せずして、危険地帯に、それも最悪のタイミングで迷い込んでしまったようだ。

 

「まあでも、そんなに心配することもないわよ。幸い、幻想郷には人間が生活できる里もあるし、それに、身体がよくなるまではここにいてくれて構わないわ」

 

 安心させるようにアリスは言う。しかしそこでふと、彼女は思い出したかのように辰巳へと問いかける。

 

「そういえば、あなた餓鬼に襲われるより前に何か食べたでしょう? 毒が回って酷いことになってたわよ」

 

 アリスが辰巳を家に連れ帰ったとき、彼は既に虫の息と言っても過言でもない状態になっていた。

 身体じゅうにできた発疹に、爪の間や鼻の穴、ましてや両の目から血をだくだくと流すさまは、ホラー映画のゾンビもかくやといったものであった。

 アリスが急いで魔法で毒を身体から抜いたものの、辰巳の体は未だ全快には至っていない。

 

 アリスの言葉に、辰巳はうっ、と声を詰まらせる。

 あー、あれね、とぼやく辰巳の顔は、嫌なことを思い出したとばかりに苦いものとなる。辰巳の中で、例の記憶は一刻も早く消し去りたいものの一つとなっていた。

 

「実はあそこで、よくわからない金ピカな茸を食べまして」

「ああ、それで」

 

 辰巳のその答えに、アリスはすぐに事の全容を把握したようだ。気の毒そうに辰巳を見ている。

 

「過ぎたことは仕方ないわ。けど、見ず知らずのものを口に入れるのは、あまり褒められたことではないわね」

「おっしゃる通りで」

 

 反論の余地のない、真っ当な注意であった。しかも、本気で咎めるでもなく、割と心配そうに言うアリスの視線は、辰巳の中の大事な何かをガリガリと削っていく。

 

 

 壁に飾られた、大きめの時計が針を刻んでいく。

 話始めてからだいぶ時間がたったのか、カーテンから除く外の景色は、いつの間にか紅く色づいていた。

 

「さ、長いこと話をさせちゃったわね。あなたも疲れてきたでしょう。待ってて、今、紅茶でも入れてくるから」 

「あ、どうぞお構いなくー」

 

 辰巳の言葉を背に、アリスは長めのスカートを翻して部屋を後にする。それを見て辰巳は、美少女なら何をしても恰好が付くんだなぁ、という感想を抱く。

 

 バタン、という扉の閉まる音とともに、部屋に静寂が訪れる。

 

 少しの間、辰巳は横になったまま大人しくしていたものの、すぐに落ち着かなくなったのか、起き上がって部屋をうろうろとし始める。

 

 アリスが戻ってくるまでの退屈を紛らわそうと、辰巳は傍らにおいてある人形を手に取ろうとする。しかし、すぐにその手を引っ込める。許可なく人の物に手を触れるのは、流石の辰巳のいかがなものかと考え直したようである。

 

 本格的に暇になってしまった辰巳は、これからどうすっかなーと、足りない頭で今後のことを考え始めた。しかし大した考えは浮かばなかったらしく、すぐにベッドに倒れてだらだらとしだす。

 

 傍らに置かれた人形は、呆れたように、そんな辰巳を見つめ続けていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 それにしても、とアリスは独りごちる。彼女の手元には、年代物とわかるティーセットに、それなりの値段で仕入れてきた茶葉が置かれている。

 

「彼、本当に人間かしら」

 

 アリスの視線の先、そこにはラベルの付いた小さなビンが一つ。中には何とも毒々しい、というか一目見て毒物だとわかる色をした液体が詰められている。

 それは辰巳を家に運んだ時、彼の身体から抜き出した毒素の一部であった。

 

「こんな強い毒素、普通の人間に耐えられるはずないわよね」

 

 蠱毒の術とでもいうのか、辰巳が食らい蓄積していった茸の成分は、普段滅多にお目にかかれないような劇薬と化していた。普通の人間では即お陀仏、下手をすれば、ある程度の力を持った妖怪をも殺せるものとなっている。

 辰巳との会話では冗談のように言ったものの、これはいくら何でも異常である。

 

 そもそも、とアリスは考える。辰巳が迷い込んだ魔法の森という場所は本来、何の対策もなしにいては、生きて歩くことすら困難な魔境なのだ。

 幻覚作用を持った胞子を吐き出す茸がそこかしこに自生しており、数十分もいれば、あっという間に正気を失ってしまう。また、外界から遮断され淀み切ったこの森には、人体に悪影響のある瘴気があふれかえっている。事実、辰巳の体内の毒素には、このようなものも多分に含まれていた。

 

 火にかけたケトルから、小気味よい音が鳴る。アリスは慣れた手つきで、茶葉へと湯を注いでいく。

 ポットからゆっくりと湯気が立ち込める。

 

(考えていても仕方無いわね。それに、人里の件もあるし――)

 

 わからないことを研究し、解明することを生き甲斐とする魔法使いではあるが、アリスには、それよりも懸念すべきことがあった。それは、辰巳を人里に連れていくことについてである。

 

 ついさっき、辰巳に幻想郷についていろいろと語っていたものの、実はアリスという少女、幻想郷の中ではまだまだ新参者といった立ち位置である。

 

 とある理由から親離れ(実質的にはほとんど親からみた子離れだが)をしなければならなくなったアリスが、この地に家ごと移動してきたのがおよそ半年前のこと。今のように、安定して触媒の採集などで出かけることができるようになったのは、つい最近になってからのことであった。

 

 人里についても同様で、そこに古くから住んでいるという人里の守護者に掛け合ってもらい、出入りする許可を得ることができたのは、そう昔の出来事ではない。

 

 魔法使いという種族である以上、人里に住む人間とあまり慣れ合うべきではないと考えていたアリスだったが、こと事情が変わってしまった。辰巳という新たな人間を里に新たに迎えさせるのだ、里の上役とも話し合いの場を持つ必要が出てくるだろう。

 

 アリスは、これからしなければならない事柄の数々を思い浮かべ、思わずため息を吐く。しかし、拾ってきてしまった以上、最後までその面倒を見てやるのが筋というものだ。

 なにより、ここで辰巳を見捨ててしまうようなことは、彼女の矜持が許さない。

 

「そろそろよさそうね」

 

 アリスは二人分用意されているカップに、紅茶を注いでいく。体調の良くない辰巳を慮って、熱すぎないよう調節されたそれは、アリスの普段からの気遣いを感じさせる。

 茶葉から出た上品な香りが、部屋の中に広がってゆく。

 

(このあいだ人里で買って来たお茶菓子が、確か——)

 

 アリスは今までほとんど使わなかった、来客用の品が仕舞われた戸棚を漁る。やがて目的の茶菓子を見つけたのか、綺麗にそれを皿へと盛り付けてゆく。

 

「ちょっと時間をかけすぎたかしら。彼、大人しく待っていてくれればいいのだけれど」

 

 時刻は夕暮れ時といったところ、午後のティータイムとしては、少々遅くなってしまっただろうか。

 入れたばかりの紅茶と茶菓子を持って、アリスは急ぎ足で辰巳のいる部屋へと向かっていく。

 

 

 その後、ベッドの上でぐうスカと眠る辰巳を見て、何とも言えない表情をするアリスがいたのだが、それはまた別のお話である。

 

 

 

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