【幕間】ラウラ・真島の平穏な日常
襲撃事件から丸三日以上も昏睡していたシャルルだったが、ついに意識を取り戻した。
眠っている間も波紋の呼吸を続けていたため、そのお肌はつやつやである。いつもの可愛いシェリーちゃんであった。
「お。シェリーちゃん、おはよ」
目覚めたシャルルのすぐ隣には、なぜだかラウラがいた。湯気が出ているタオルを手に、目の焦点が定まっていないシャルルを見下ろしている。
「三日ぶりのお目覚めやな。気分はどー?」
「……思ったより悪くない、かも」
とはいうものの、深仙脈疾走は本来、肉体に蓄えた波紋エネルギーを全て他者に譲渡する技だ。イエローデビルが先に自壊したので助かったが、シャルルは危うく生命力を使い果たして死ぬところだった。
目が覚めただけでも運が良かったと胸を撫で下ろすシャルル。
だがそんなシャルルを、ラウラは何故かニマニマしながら眺めていた。そして意味深いな仕草でこう告げた。
「せやろ。ウチが丹精込めてお手入れしたんや。サッパリしてんのと違う?」
「え?」
困惑するシャルルを余所に、ラウラは温かいタオルで彼の胸から腹に掛けてを丁寧にタオルで拭いていた。
その手付きは意外も繊細で優しく、タオルの温かい感触が素肌を柔らかく撫でていた。
「こうすると血行も良うなるんやて」
「えっ! 待って待ってちょっとタンマ!!」
しかし、待てと言われて待つラウラではない。彼女は見ていて腹が立つぐらい眩しい笑顔で、全裸のシャルルの体を温かいおしぼりで拭き続けた。
気持ちいいのは確かだが、全裸というのはパンツすら履いていないということだ。隠したい男の子な部分が、一応はうら若き美少女であるラウラの前にさらされている。
そもそも自分はいつから全裸なのか。もしも目の前の彼女に脱がされたとしたら、シャルルは相当なショックを受けるであろう。
気づいた途端、シャルルの顔が真っ青になった。
「うわああああああああああっ!!」
悲鳴を上げてベッドを転がり降り、ラウラの手から逃れた。
体を隠す物を必死に探すが、ベッドを囲むカーテンは透明素材、シーツの上掛けはラウラの体の下である。苦し紛れにベッドの下へ隠れるのが精一杯だった。
もちろん、その程度でラウラの魔手から逃れられるはずもなく、いたずらっ子の表情のラウラは蜘蛛のような動きでシャルルへ這い寄っていく。
泣く泣くベッドの上へ追いたてられたシャルルだが、幸いなことに体を包むシーツを手に入れることは出来たのであった。
「暴れるんやない。まだ痛くしとらんやろ」
「ハートが痛いのっ!! ていうか、僕の服はどこ!? まさか、君!!」
「ちゃうちゃう、最初っからスッポンポンで寝かされとったわ。そこらのクローゼットにでもしまわれてるんやないかな、知らんけど」
ラウラが顎で指した先、壁には備え付けのクローゼットがある。だが、調べに行くには無防備な背面をさらさねばならない。シャルルの気分がますます重くなった。
「辛気くさい顔。せっかくの美少年が台無しや」
「……ていうか……その様子だとラウラは見たんだよね。僕の秘密……」
「うん。大層ご立派なオトコノコやったね」
ラウラはちょっぴり照れながら「やらしいことはしてへんよ?」と付け加える。確かに体を拭く手つきに他意は感じられず、純粋にシャルルの世話を焼いていたのだろう。
なんでそんなことをしているのかという疑問も沸いたが、それについては一言「暇だったから」で済まされた。
「と、とにかく着替えるから、出ていってくれる?」
「え~、なんで? まだ全部拭き終わってないやん」
「全部拭かれてたまるか! いいから出ていけー――え、ええっ!?」
タオルを手に近寄ってくるラウラに恩知らずにも波紋を打ち込もうと、勢い良く立ち上がったその瞬間。シャルルの視界がグワンと回転した。
足の力が抜けて、危うくベッドから落ちそうになる。
「シェリーちゃん!?」
ラウラが咄嗟に抱き止めてくれたので転倒せずには済んだが、眩暈は治まってくれない。手足にも軽い痺れが出ていた。
「無理すんなや。ウチもふざけすぎた。もうせんから、大人しゅう寝とき」
「う、うん……」
シャルルをお姫様抱きで持ち上げたラウラは、彼をベッドに寝かせてシーツを被せた。
そして流れるように自分も横になり、シーツの間に体を滑り込ませる。
「って、何でだよ!?」
「いや、一緒に寝たろうかと思て」
「いらないよ! チェンジ、チェンジ!!」
「誰にチェンジ? のほほんちゃん? 山田センセ?」
「なんでそのチョイス!?」
フラフラなシャルルはラウラを強引に押し退けることも出来ず、頭を撫でられたりされるがままだ。
真島のクセに彼女の体からは年頃の生娘独特の良い香りがする。あやされるうちにシャルルはだんだん夢心地になってしまった。
いけないと思いながらもうとうとと意識を手放しそうになった、そのときだった。
「まあ」
そんなシャルルの背中にぶっ刺さる、セシリアマスクの冷たく固い感嘆符。とろけていた意識が瞬時に凍りついて固まった。
「知りませんでしたわ。お二人がそんな仲良しだっただなんて。うふ、うふふ」
背中越しに聞こえた笑い声は、口調はいつも通りなのにビックリするほど感情が籠っていない。鉄仮面の下ではどんな表情をしているのか。
「お、せっしーやないか。どしたん?」
シャルルが振り向けないでいるが、ラウラは構うことなく上体を起こし、そして何てことないように挨拶する。
その際にシーツが捲れてしまい、シャルルが全裸であることがセシリアマスクからも丸分かりになった。
何故だか背中に感じるセシリアマスクの圧力が激増した。比喩ではなくて本当に大気が震え、窓ガラスやカーテンレールが微かに振動している。いわゆる凄味というやつだ。
ふと、ラウラはセシリアマスクが持っているものに気付く。1リットルぐらいのポットと洗面器、そしてタオルが数枚。奇しくもついさっき、ラウラも同じものを持って入室したばかりだ。
「シャルルくんのお見舞いだったのですが、お邪魔してしまって申し訳ありません。これは馬に蹴られる前に退散した方がよろしいですわね」
「……いや、構わへんやろ。一緒にシェリーちゃんの世話ぁしたろうや」
セシリアマスクの様子から何事か感づいたらしいラウラは、大変に可愛らしい満面の笑顔でセシリアマスクを手招きする。その手には濡れタオルがあった。
チラリとシャルルへ落ちた視線は、新しい遊びを思い付いた子供のようにキラキラしていた。
「ほらほら。シェリーちゃんからも言うたれや。せっしー
「おまっ!? ――ひっ!!」
反論しようとした、その時だった。
シャルルの耳にあるはずのない空気がひび割れる音が聞こえ、思わず振り返ればセシリアマスクの両目が紅く激しく輝いていた。
鉄仮面が光ってるのか、その下で本人の両目から光が漏れているのか。夕焼け空も真っ青な美しくも恐ろしい輝きは仮面の裾からも溢れだし、彼女の全身から蒸気のように噴き出していた。
「へえ。ふーん、そうなんですの。わたくし
オーラに反して口調が冷淡なのが逆に怖い。
咄嗟に誤解だ! と叫びそうになるシャルルだが、そもそもラウラは嘘を言っていない。ちょっぴり印象を操作しているだけだった。
そもそも、お互い明確に意識してはいるものの交際している分けでも何でもないのがセシリアマスクとシャルルである。万が一シャルルがどこの誰と
「うふふ。さぞやラウラさんにサービスしてもらったのでしょうね。羨ましいかぎりですわ~、シャルルくん」
セシリアマスクもそれが分かっているからか、飽くまでも平静を装い続けていた。
そして小さく会釈すると、無言のまま病室を出ていこうとする。
さすがにいじめすぎたかと、ラウラがフォローに入ろうとしたその時だった。
「セシリアマスク!」
裸の美少年がベッドを飛び出し、仮面の淑女の手を取った。
驚くセシリアマスクを強引に振り返らしたシャルルは、噛み付くような勢いで口づけした。もちろん、鉄仮面越しに。
(えぇ~……)
シュール過ぎる光景に、さすがのラウラも真顔である。
だが当人たちからしてみれば、ラウラの方こそ蚊帳の外である。
セシリアマスクの表情はうかがい知れないが、両目の光と吹き荒れる圧力が収まっているので、おそらく放心しているのではなかろうか。
「セシリアマスク、君に話したいことがあった。聞いてくれる?」
「は、はい……」
(アカン! ウチは聞きたくないで、そういうの!)
さすがに空気を読んで、というよりむしろ空気に耐えきれなくなって、ラウラは気配を殺しながら窓からこっそり退散しようとした。
ところがである。
(あ! この窓嵌め殺しやないかい!!)
「君がサングラスの男に撃たれたとき、その場で君を守れない自分に心底腹が立った」
(ああ、始まってもうた……)
うっかり水を差したら最後、二人から猛烈に恨まれることを察したラウラは、開き直って傍観に徹することにした。
「僕は、君が好きだ」
「……ふぇ?」
「君の、イギリス代表候補って立場は理解してる。それでも、どうか僕と一緒にヴェネツィアに来てほしい。駄目かな」
「ふぇっ……!?」
(って、モロにプロポーズやんか! イタリアの男は情熱的やな~……あれ、シェリーちゃんってフランスの代表候補やなかったっけ?)
実はシャルルがイタリアの波紋使いということまでは知らないラウラだが、細かい疑問は後で確かめればいいと、事の成り行きを固唾を飲んで見守ることにした。なかばやけっぱちである。
セシリアマスクは小さく肩を震わせてシャルルを見上げたまま、何か言葉を発しようとしている。それがなかなか形にならないようだ。
一分が一時間にも感じる緊張の中、セシリアマスクからの答えをじっと待ち続けるシャルル。彼の体にも震えが見えるのは緊張からか、それとも裸で寒いからなのか。
ふと、セシリアマスクの雰囲気が変わった。
「ふぇ、ふぇ……フェイスオープン!」
叫び声と同時に、セシリアマスクのマスクが輝きだした。
顔の部分とヘルメット部分が分解し、カランと床に落ちる。現れたのは緩やかにウェーブしたブロンド髪で蒼い瞳の美少女である。意外な素顔にラウラも目を剥いた。
「その、シャルルくん。素顔のわたしくしは……ただ『セシリア』と、呼んでくださいまし?」
「う、うん……せ、セシリア?」
「はい。セシリア、です。大切な、あなただけのわたくしですわ」
(あ~あ~! だから『セシリアマスク』って長ったらしく呼ばせとったんか)
ふとラウラは、先日のファミレスでセシリアマスクが『セシリア』と呼ばれることを嫌がっていたのを思い出し、ついでにその理由にも思い至った。
おそらく彼女にとって素顔と名前は特別なものなのだろう。それこそ、将来を誓うような相手にだけ捧げるぐらいの。
(あれ、そうなるとウチがせっしーの素顔見てまうのってかなりヤバイ──)
「あ」
「ん? あ!」
ふと、我に返ったらしい二人が、気まずそうに自分を見ていた。
「あ~……その、おめっとさん」
それぐらいしか言葉が浮かばず、その後も沈黙と凍りついた空気が続き、真っ先に耐えきれなくなったシャルルによってセシリアマスクともども病室を追い出された。
「あ、あの、ラウラさん?」
いつの間にか鉄仮面を再装着していたセシリアマスクは、普段の余裕が消えた様子で、しかし普段よりも柔らかい物腰でラウラに向き合う。
「わたくし、幸せになりますわ」
「はあ、そか」
「それと、別に素顔のことは気になさらないでくださいね。どうやら近いうちにオルコット家を出ることになりそうですので」
「そうか。ごっそさん」
帰り際のセシリアマスクは弾むような足取りで。
対するラウラは、首を傾げながら気だるそうに歩き去っていった。
・起きたら全裸で布団の中に。
・お前を私の嫁にする!
ラウラ関連で必須と思われるイベントでした。