地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ十一 頂天

 

 

 

 世界の中心、迷宮都市オラリオ。

 

 その市壁の外に敷かれた農道を、ティオナ・ヒリュテは歩いていた。

 身に纏うエプロンドレスからは瑞々(みずみず)しい手足が伸びる。白を基調としたドレスと褐色の肌が、鮮やかなコントラストを成していた。

 

「ふんふーん」

 

 機嫌よく鼻歌を歌いながらティオナが両手に抱えているのは、見上げるほどに積み重なった木箱だ。

 

「にんじん~」

 

 ティオナは口ずさむ。

 

「ラディッシュ~」

 

 ティオナの頭上に広がる青空を、白い雲が流れていく。

 

「ごぼう~、ネギ~」

 

 ティオナはずんずんと農道を歩いていく。その足取りは軽く、抱えた荷の重さを微塵(みじん)も感じさせない。

 

「ブロッコリーに、アスパラガス!」

 

 興が乗ったティオナはその場でくるっと一回転。

 スカートがふわりと舞い、両の(もも)があらわになる。

 しかし、高く高く積み上がった木箱は、ティオナの動きに付いてこれなかった。

 

「うわっとぉ!?」

 

 木箱は崩れ落ち、そのいくつかは留め金が外れ、色とりどりの野菜たちが農道に飛び出していく。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインはそのとき、農道の脇のジャガイモ畑にいた。

 

「ティオナ!」

 

 悲鳴が聞こえたアイズはスコップから手を離し、ティオナのもとに向かおうとする。

 

「放っとけ、アイズ!」

 

「! ベートさんっ……」

 

 駆け出そうとするアイズをピシャリと制止したのは、アイズと同じくジャガイモ畑にいたベート・ローガだった。

 

「あれはアイツが任された仕事だ。自分(テメー)で蒔いた種だ、自分(テメー)で刈らせろ」

 

「ベートさん、でも……」

 

「俺たちは今日中に七つの耕地を制圧(収穫)しなきゃなんねぇ」

 

「─────────!!」

 

 アイズの顔色が変わる。

 畑をぐるりと見渡せば、なだらかな丘はジャガイモの葉で埋め尽くされていた。

 空の(あお)も畑の(あお)も、視界を越えた向こうまでずっとずっと続いている。丘を駆け上れば空にも手が届きそうだ。

 

 デメテルの畑は広大だった。

 さもありなん。

 ここがオラリオの食糧庫なのだから。

 

「昨日はなんとかなったが、今日のペースだとマジでやべぇぞ。日没までに終わる気がしねえ」

 

 終わりの見えない作業に、ベートはすっかり気が滅入っていた。

 

 ベートの表情を見て、アイズも危機感を強くする。

 収穫に遅れが出れば、ジャガ丸くんの屋台にも影響が出るだろう。アイズの私情として、それは避けたい。

 

 ペースを上げるべく、ゴブニュファミリア製のスコップでせっせとジャガイモを掘るアイズたちを突如、大きな影が覆った。

 

「あぁん?」

「…………?」

 

 ベートとアイズが頭上に目を向ける。

 そこには、山のように積まれた木箱を荷車ごと持ち上げて悠々と飛ぶクリリンの姿があった。

 ギルドによる連日の拘束からようやく解放されたクリリンは、その力を存分に振るっていた。

 

「クリリン、すごい……」

 

「あー、こりゃなんとかなるかもしんねえな」

 

 もはやベートは突っ込むのを止め、ただ冷静に進捗を期待した。

 この日、日没まで数刻残して、当日出荷予定の収穫は全て終了したのであった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「【象神の杖(アンクーシャ)】じゃない」

 

「【怒蛇(ヨルムガンド)】か」

 

 今日の収穫を終え、畑から引き上げてきたティオネ・ヒリュテの目に映るのは、草原に立つ藍色の髪の麗人だった。

 

「ふむ、()しもの【怒蛇(ヘビ)】もなかなかどうして、淑やかなお嬢さんに見えてしまうな」

 

「どういう意味よ。まるで普段の私が淑女じゃないみたいな言い方ね」

 

「どの口が言う」

 

【ガネーシャ・ファミリア】団長

【象神の杖】シャクティ・ヴァルマ

 

 第一級冒険者であるティオネの眼光を受けても微動だにせぬその姿は、さすがの貫禄であった。

 

「また腕を上げたか」

 

「へぇ、わかるの?」

 

「当然だろう」

 

 シャクティは目を細める。すでにティオネはレベル5の上限近くに達していた。その実力は今やシャクティをも上回る。

 

(ここが終着(ゴール)というわけではあるまい。この娘は、まだまだ伸びる)

 

 末恐ろしい娘よ、とシャクティはそう評する。

 

「それはそうと、()()はなんなのよ」

 

「ああ、ハシャーナのことか」

 

 ティオネが視線を移した先に、シャクティもまた目を向ける。

 

「ぬおおおおおおおおおおおおおお………………!」

 

【剛拳闘士】ハシャーナ・ドルリアが、巨大な馬蹄の下で(もが)いていた。

 

「おとといだったか、やつはあのクリリンに挑んだらしくてな」

 

「で、負けたと」

 

 シャクティの言葉を待たずにティオネはそう決め付ける。

 

「早い話がそうだ。それであいつは何を思ったか、今度はあの馬に戦いを挑んだのだ」

 

「冒険心だけは認めるわ」

 

 ティオネもシャクティも、その表情は渋い。

 

「これ、許可したのはあんたでしょ? ちょっとぐらい収穫はあったの?」

 

「いや、それがな」

 

 ハシャーナの挑戦は一手で詰んだ。

 突っ込んできたハシャーナに馬は軽く(ひづめ)を乗せた。それで終わりだった。

 シャクティが得られた情報は何もない。ティオネが馬の様子を窺えば、あの化け馬は欠伸(あくび)でもしながら鼻をほじらんばかりだ。馬の情報を引き出すには、ハシャーナではあまりに実力が不足していた。

 

「……………………まいった」

 

 ハシャーナが投了すると、馬は蹄をどかす。巨大な脚が宙を動く様は、それだけで迫力があった。

 

 ハシャーナはよろよろとしながらこちらに戻ってきた。

 

「わりぃ姐御、やられちまったわ」

 

「おまえというやつは、言っても聞かぬのだからな」

 

「男っつーのは実際に痛い目みないとわからねえ生き物なんでな。無茶をきいてくれる姐御にはいつも感謝してるんだぜ?」

 

「はぁ、まったく……」

 

 腕白な弟分に、シャクティはため息をひとつだけ寄越した。

 

「よぉ、ヒリュテ姉妹の色っぽい方」

 

「ぶっとばすぞ」

 

 ティオネはギロリとハシャーナをにらむ。

 

「あんた、クリリンとも()ったんだってね」

 

「ああ、クリリンはマジで強かったぜ。パンチをもらった時は、顔を持ってかれたと思ったな」

 

「あんた、もうちょっと慎重に生きた方がいいんじゃない?」

 

 明るく笑うハシャーナにティオネは呆れ返る。

 

「あ、【アンクーシャ】だ」

 

 ティオネたちがいる草原にティオナがやってきた。アイズ、ベートも彼女に続く。

 

「あー? 色ボケ野郎もいんじゃねえか」

 

「ティオネ、なにしてるの?」

 

【ガネーシャ・ファミリア】の幹部級とティオネがいる状況にアイズは首を傾げる。

 

「【剛拳闘士】が馬に返り討ちにされたって話よ」

 

 ティオネはアイズたちに事の次第をかいつまんで伝えた。

 

「へー! 【剛拳闘士】、あの馬と戦ったんだ! いいなー面白そう!」

 

 ティオネの話に食い付いたのはティオナだった。

 

「ねえねえ! あたしもやってみていいかな!?」

 

「私に聞いてどうする、【大切断(アマゾン)】」

 

 ティオナの言葉に、シャクティは眉を寄せる。

 

「ねー、アイズも戦ってみたいよね!?」

 

「……うん」

 

 アイズは馬を見上げる。

 

 クリリンやギルドの見解では怪物種(モンスター)ではなく、霊獣か何かと言われている馬。

 どこから来たのか、何が目的だったのか。

 それは未だ明らかになっていない。

 

 ただ確実に言えるのは、この馬はオラリオを壊滅させるに足る実力を持つこと。

 

 アイズは思う。あのときクリリンがいなかったら、果たして自分たちはオラリオを守れただろうか、と。

 

「決まりだね! よーし、やるぞー! たのもーー!」

 

 そう言ってティオナは馬のところに突撃する。

 

「ティオナ……!?」

 

「あのバカ……! 装備も無いのにどうやって戦うってのよ!」

 

 アイズたちは武器を門の関所近くにいる団員に預けている。ギルド職員や【ガネーシャ・ファミリア】の団員の監視付きだ。

 それがアイズたちが市外で活動するための条件の一つであり、また【デメテル・ファミリア】に対して友好を示す狙いもあった。

 

「うひゃあああああああああ!?」

 

 突っ込んできたティオナを、馬は鼻先で引っ掛け、空高く打ち上げた。

 

「遊ばれてんじゃねーか」

 

 その後も馬の鼻っ面で曲芸さながら跳ね転げ振り回されるティオナを、ベートが白い目で見やる。

 

 結局、馬とアイズたちのエキシビションマッチをメイクしたのは、面白がったハシャーナと、馬と意志疎通できる三つ編みの少女ほか農夫たち、巻き込まれたシャクティであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 

「クリリン君、アイズ君たちはいったい何をしようとしてるのかな」

 

「なんかあの馬と試合するみたいすよ」

 

 クリリンがこの草原にたどり着いた時には、すでに場は整っていた。

 クリリンに少し遅れてここに来たヘスティアは、状況を(たず)ねていた。

 

 アイズたち四人と馬、草原に両者が向かい合う。

 四人ともしっかりと装備で身を固め、冒険者の姿に戻っていた。そんな彼女たちをヘスティアは初めて見る。

 

「アイズ君たちって、ただの農夫じゃなかったのか……確かに浮いてる感じはしたけど」

 

 ヘスティアはじっ、とアイズたちを見つめる。

 

「それにしてもかっこいいねえ。あの子たち、実はかなり強かったりするのかい?」

 

 ヘスティアの言葉に、農夫たちはキョトンとする。

 

「………………え? なんだい、この空気?」

 

「えーとですね、ヘスティアさま」

 

 異世界人ゆえに、どちらかというとヘスティア寄りのクリリンが説明する。

 

「────という感じですね。特にアイズは世間から注目されてるみたいですし、実際に素質もあると思います」

 

「いやいやいや! なんであの子たち畑で収穫なんてしているのさ!?」

 

「さあ? オレも詳しくは聞いてないんですよ。長期遠征が近いって言ってたから、調整がてらウチでバイトしてるんじゃないっすかね」

 

 まさか自分が都市最大派閥を振り回しているとはつゆ知らず、クリリンはそんな暢気なことを言う。

 ヘスティアも、クリリンの言うことを真に受けて「ふぅん」などと気楽に返している。

 この場にあってなんともマイペースな御二方であった。

 

「というかここ、観戦するにはえらく遠くないかい?」

 

「これでも近すぎるぐらいですわ、ヘスティア様」

 

 クリリンの後ろにいた婦人が答える。

 ヘスティア達がいる場所は、アイズ達から二〇〇M(メドル)程度しか離れていない。

 馬のパワーを思えば、実のところ一〇K(キルロ)は欲しい。

 農夫たちもそれは理解しており、全員がクリリンより後ろに下がっていた。

 

「いざって時はたのむぜ、クリリンさんよ」

 

 ハシャーナがクリリンの傍でそう言って笑う。

 

「で、どうだい【剣姫】のパーティーは。少しは可能性あるかね?」

 

 ハシャーナがクリリンとシャクティに意見を求める。

 

「う~ん、さすがに今のアイズたちには厳しいんじゃないか?」

 

 クリリンがそう言えば、シャクティも口を開く。

 

「そうだな。【剣姫】たちはレベル5。番狂わせを期待するには実力に差がありすぎる。だが……」

 

 クリリンと同様の意見を述べるシャクティはしかし、なぜか結論を濁した。

 そんな彼女に、ハシャーナはニヤリとする。

 

「姐御の気持ちはわかるぜ。なにせあの【剣姫】だ。確かに力の差は洒落になんねえが、それでも何かやってくれるんじゃないかって気にさせられる。あいつは『特別な女』だからな」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインは、この世界で『特別な女の子』だった。

 

 これは決してハシャーナだけが思っていることではない。この時代に生きる人々は、いや神々さえも、アイズを特別視していた。

 

 クリリンもアイズと向かい合った時、それはなんとなく察した。

 具体的に何がどうなってそう思ったかはわからない。

 あるいは自分よりずっと洞察力に優れた武天老師ならば、その詳細を、アイズの才覚を感じ取れたかもしれないとクリリンは思う。

 戦闘に関しては、今やクリリンは偉大なる師を大きく超えている。

 しかし、人を見る目、人生観、世界観、新しい時代の展望。そういった人としての器の大きさは、まだまだ師に遠く及ばないとクリリンは自覚している。

 そんな武天老師ならばアイズをどう評するか。…………まさか『パイパイつつかせてくれ』では終わるまい。

 

 クリリンたちの話を聞いて、ヘスティアもさすがにアイズたちの立場がわかってくる。

 

(いや本当になんでアイズ君たちはここで働いているんだろう?)

 

 その理由が隣に立つ男にあるということを、ヘスティアはまだ知らない。

 

「そろそろ始まりそうだぜ」

 

 ハシャーナはスッと目を細める。場にも緊張が伝わった。

 あの馬が強いということはハシャーナも農夫たちも知っている。

 ただ誰も、実際にあの馬がどんな技を持ち、どんな戦い方をするのかは知らなかった。

 アイズたちは果たして、あの馬をその気にさせることができるのか。

 それとも、ハシャーナのように弄ばれるだけか。

 

 クリリンとヘスティアもまた、アイズたちに意識を集中させた。

 

 

 

 閉じていたまぶたを、アイズはゆっくりと開く。

 まぶたの奥の金の瞳が、巨大な馬の影を映した。

 

 ティオナは大きく伸びをし、ティオネは湾短刀(ゾルアス)の感触を確かめている。

 

「どうだアイズ、今の気分はよ」

 

 ベートがアイズに声をかけた。

 

「…………この馬の先にクリリンがいる。なら、私はこの壁を乗り越えなくてはいけない。……そう思っています」

 

「へっ、アレは『通過点』ってか! いいぜ、それでこそ【アイズ・ヴァレンシュタイン】だ」

 

 ベートは愉しそうに笑って、戦意を高めていく。

 

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 アイズを『風』が覆っていく。それを契機に、ティオナたちも構えをとる。

 

 アイズは馬を見る。

 馬もまたアイズを見下ろしていた。

 

 ────風精霊ノ力(エアリエル)、カ

 

 今まで何の感慨も浮かんでいなかった馬の目が色を帯びる。

 

 ────其ノ力、正面カラ受ケルノハ初メテダガ、成程、アノ御方ノ目ニ留マルダケノ事ハ有ル

 

 馬はクリリンの方を見るも、すぐにアイズたちに意識を戻す。

 

 ────良カロウ、()()()()()()()()

 

 馬が()いた。

 

 馬の(いなな)きは天高く響き、大地を震わせる。

 それだけで農夫たちは、否、ハシャーナやシャクティまでもが竦み上がる。

 挑戦者を(ふるい)に掛けるかのような馬の覇気を、アイズたちは耐える。馬は改めて、今なお己の前に立つ者達を見下ろした。

 

「─────いくわよっ!」

 

 馬の威に負けじとティオネが叫び、アイズたちは駆け出す。

 

 英雄(アイズ)たちが怪物()に挑む。

 世界を守るために、アイズたちが戦いを挑む。

 

 これは有ったかもしれない世界線の戦い。

 架空の英雄譚、その一頁。

 

 景色が高速で流れる中でアイズは見た。

 確かに見た。

 

 馬が歌っている。

 

 短い詠唱(うた)を、馬はまもなく歌い上げた。

 

 アイズは目を見開く。恐ろしく速い。超短文詠唱か、そう考えて瞬時に身構える。

 

 

 しかし、もう何もかもが終わっていた。

 

 アイズの『風』が剥ぎ取られ、虚空に消えた。

 

「!?」

 

 事態はそれだけにとどまらない。

 

 アイズの眼が、口の中が、急速に乾いていく。

 気化熱がアイズの体温を根こそぎ奪い、全身が凍り付いたかのような感覚に陥る。

 仲間たちに声を届けようとして、アイズはさらなる異変に気付いた。

 声が届かない。

 いや、そもそも声帯が震えない。

 

 アイズたちの周囲から空気が奪われていた。

 気圧の急激な低下によって、血液は沸騰する。

 心臓が懸命に拍動するも、血管に充満した気体(ガス)ばかりが圧縮し、血液は落ちていく。

 脳が酸欠を起こし、色覚が失われる。

 苦痛は逆に和らいでいく。アイズの肉体が、『生』を手放しかけていた。

 

 アイズは視界の端で、仲間たちが次々と倒れ伏すのを感じ取る。

 

(ク、クリリン…………!)

 

 アイズは垣間見た。

 回避したはずの『滅亡』を。

 現実と背中合わせの『悪夢』を。

 到底覆せ得ぬ『絶望』を。

 

 アイズの伸ばした手は馬に届かなかった。『希望』を掴み取れなかった。

 目の前の景色が黒く塗り潰されていく。もはや視覚までもが機能を停止した。

 

 アイズの体が崩れ落ちる。

 

 ()くして、【剣姫】を擁する第一級冒険者のパーティーは『全滅』した。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 意識が戻ったアイズが目を開ける。寝かされたアイズの上を、張られたタープが揺蕩(たゆた)っていた。

 

「やあ、目が覚めたかい? アイズ君」

 

 声がした方に頭を向ければ、アイズの目にヘスティアの姿が映った。

 

「ヘスティア様、私たちは……」

 

「おっと、無理せず休んでおきなよ。損傷(ダメージ)は無いってみんな言ってるけどさ」

 

 身を起こそうとするアイズを、ヘスティアは優しく押しとどめ、アイズはもういちど敷物の上に身を沈めた。

 

「あの、みんなは……?」

 

「ああ、三人ともなんともないってさ。アマゾネス君たちはまだ寝てる。ベート君は起きるなり、どこかへ行ってしまったよ。夕飯までには戻るよう声は掛けておいたけどねっ」

 

 アイズたちが気を失った後、すぐに馬はあの魔法を解除した。

 農夫たちが草原に設営したタープ・テントにアイズたちは運び込まれ、そのとき診察も受けた。特に異常や後遺症は認められなかったと、ヘスティアは言う。

 

「お、【剣姫】、気が付いたか」

 

「【剛拳闘士】……?」

 

 身を屈めてこちらを覗き込むハシャーナに、アイズは視線を返す。

 

「どうだ、水でも飲んどくか?」

 

「ありがとう、ございます」

 

 ハシャーナが差し出したコップを、アイズは上半身だけ起こして受け取る。

 アイズは水を少量、口に含んで喉を潤した。

 

「それにしても、あの馬が使った魔法、地味だけどすごかったなあ。アイズ君たちがバタバタ倒れちゃってさ」

 

 先の戦いで馬が放った一手を、ヘスティアは回顧する。

 

「あのとき、結局なにが起きたんだろう? ハシャーナ君は何か知ってるかい?」

 

 ヘスティアだけでなく、アイズもまたハシャーナの言葉を待つ。

 

「真空魔法じゃないか、って俺達はみてますぜ」

 

 ハシャーナはそう答える。

 

「真空魔法……? ボクはそこまで魔法が詳しいわけじゃないけど、そんな系統あったっけ?」

 

 ヘスティアは頭上にいくつも疑問符を浮かべる。

 

「系統としちゃ『風属性』だと、あのお嬢ちゃん伝手に聞きましたがね」

 

 そう言って、ハシャーナは例の三つ編みの少女に目を向ける。

 

 イマイチ要領を得ないヘスティアの横で、アイズは察した。

 あの魔法が超短文詠唱だったことも鑑みれば、馬の魔法の本体は『真空』では無い。

 奪い取った『風』にこそ有る。

 

 アイズは戦慄する。しかし同時に、何か感慨を覚えた。まるで『風』に対して強い権限を司るかのようなその在り方に────

 

「う~ん、まああの()がスゴいのはなんとなくわかったよ。で、あの子はなんでこんなとこにいるんだい? どこか秘境にでもひっそり住んでいそうなものだけど」

 

 そんなヘスティアに、アイズもハシャーナも一瞬、言葉を失う。

 

「ヘスティア様、もしかして何も聞いてないので……?」

 

「こちとら、ついこの間までヒキニートだったからねっ!」

 

 呆然とするハシャーナたちを見て、拗ねたようにヘスティアは口を尖らせる。

 

「まあ俺たちも、アレがここに来た理由はハッキリわからないんですがね……」

 

 アイズが「ヒキニート?」と首を傾げる横で、ハシャーナはヘスティアに経緯を話す。

 この畑で起きた激闘と奇跡の数々を。

 そして、クリリンという既に伝説と化した農夫のことを。

 

「…………………………………………ッ!」

 

 ヘスティアがプルプルと全身を震わす。

 

「ヘスティア様?」とアイズが声をかけるや否や、炉神はクワッと目を見開いて叫ぶ。

 

「結局、いちばんオカシイのはクリリン君じゃないかあ――――――――――――――!!!?」

 

 ヘスティアの悲鳴ともおぼしきその叫びは、草原じゅうに響き渡った。

 

 

 

「なあ、無理すんなよ。さっき意識が戻ったばっかなんだろ?」

 

 ヘスティアたちのいる場所からおよそ六〇〇M(メドル)離れたところに彼らはいた。

 今はクリリンが、目の前で片膝を突いている狼人(ウェアウルフ)に声をかけているところだ。

 

「────────ッ!!」

 

 ゼェゼェと苦しそうに肩を上下させているのはベートだ。

 しかし、その眼光は人を射殺さんばかりに鋭い。

 

「おらああああああああああ!!」

 

 地面が爆ぜ、突風が舞う。

 ベートの速度(スピード)が距離も時間もぶち抜いてクリリンに迫る。

 

 ベートの高速の蹴りがクリリンに決まる、かと思われた。

 刹那、ベートの血の気が引き全身の毛が逆立つ。

 

 それはまるで『壁』だった。

 

 ベートの横っ面にクリリンの蹴りが肉薄していた。

 (まばた)きなどとても許されぬ攻防の最中(さなか)、ベートが壁の前に腕を滑り込ませられたのは慮外の出来だった。

 

 それでも──────

 

 爆音がベートの耳朶(じだ)を打つ。

 

「~~~~~~~~~ッ!!」

 

 鋭い、などという言葉では言い表しようが無い。それはもはや爆弾だった。

 万言(ばんげん)尽くそうとも()を尽くせぬほどの凄まじい蹴りが、防御(ガード)の上からベートの顔を押し潰す。

 そのままクリリンが脚を振り抜けば、ベートの体はいとも容易くふっ飛んだ。

 

 地面を何度も跳ねた後、ごろごろと転がるベートは、芝草にまみれながらもなんとか体勢を整える。

 

 息をつく暇もなく、再びベートに悪寒が走る。

 

 顔を上げたベートが見たのはクリリンの『足』

 だが、もうベートに()()をどうにかする術は無かった。

 

 幻視する。

 

 自分の首から上が血飛沫と化す。

 そんな幻想を、まるで他人事のようにベートは俯瞰していた。

 

 ベートの意識が現実に引き戻されたのは、暴風が彼の顔を打った後だ。

 

「うぐッ────────!?」

 

 ベートの眼前で止められた追撃の威は、彼を越えて遥か遠くまで届く。

 まともに食らえばベートは勿論、あの『馬』ですらとても耐えられるモノでは無かった。

 

 クリリンがゆっくり足を戻すと同時に、ベートの体から力が抜ける。過度の緊張から解き放たれた反動か、ベートの表情もいつになく弛んでしまう。ティオナあたりが見たらきっと、からかうより先に心身を気遣ったことだろう。

 

「気は済んだか?」

 

 ほれ、と手を貸そうとするクリリンに、ベートは思いっきり顔を歪ませる。

 

「…………余計な真似すんな。自分で立てる」

 

 ヨロヨロとしながらではあったが、ベートは自力で立つ。ただ、さすがにもうベートに戦闘を続行する意思は無かった。

 

 ベートはクリリンに問う。

 

「世界には、アレ()以上の化け物がゴロゴロいんのか?」

 

 馬の強さはベートの想像を大きく上回っていた。

 ガレス以上の超パワーに、リヴェリア以上の殲滅力。

 勝負は一瞬で持っていかれたが、それだけの実力を窺わせた。

 

 その馬ですら、この男の前では霞んで見える。

 遠かった。この男の立つ頂きはあまりに遠かった。

 

 同時にベートは考える。

 クリリンがこれほどの力を身に付けたのは、必要だったからだと。

 

 アイズの口から出た【大魔王】

 あるいは、その対極(カウンター)として存在するであろう最上位精霊や霊獣。

 

 地下迷宮こそがラスト・ダンジョンだと思っていた。

 そう考えているのはベートだけではあるまい。というより、大多数の者はそう考えているはずだ。

 

 しかしこの静かなる地上にこそ、恐ろしいほどに強大な存在が眠っているのかもしれないと、ベートは見識を改める。

 他ならぬクリリンという男の存在が、そうさせた。

 

「そりゃあ、いるだろ」

 

 ベートの問いにクリリンは、なんてことないように返す。

 ことの重大さとクリリンの物腰には大きな温度差があった。それがいっそうベートの胸中をざわつかせる。

 ベートの表情が険しくなるのを知ってか知らずか、クリリンは言葉を付け足していった。

 

「別にアイツ()が弱いってことは無いけどよ、もっと強い奴らと比べちまうとな」

 

「……………………」

 

「まあアイツも、脱け殻みたいになっちまう前は、今よりずっと強かったんだろうとは思うけどさ」

 

(ちッ、全くどうなってやがる)

 

 ベートは内心で盛大に舌打ちをする。

 どうやら『黒竜』以外にも、世界には海千山千の怪物どもがいるらしい。

 

 そしてベートは、一番聞き出したいことを問う。

 

「【大魔王】ってのは、なんだ」

 

「!」

 

 ベートの眼光が一段と鋭くなる。

 

「【大魔王】ってのは何者だ。何が目的で、今は何をしてやがる」

 

「……………………」

 

 クリリンは口をつぐむ。

 そもそも()()()が本当に【大魔王】なのか、クリリンとて確信は無い。単に、気の性質が昔のピッコロに似ていたからという理由だけが判断材料だ。

 目的に関してもクリリンの知ったことでは無い。

 大方、世界征服か秩序の破壊か、そんなお決まりのものだろうとしか思っていなかった。

 いずれにせよクリリンとしては、敵対するならば返り討ちにするし、そうでないならば放置する。

 現状の心構えとしてはその程度。

 あのときアイズに話した【大魔王】の(くだり)は、クリリンからすればほとんど雑談だった。

 

 が、相手がここまで食い付く話題ならば、利用しない手はない。

 

「あーその話は、場を用意してからするわ」

 

 凍えるような視線を投げ付けてくるベートに、クリリンは返す。

 返答に込められたクリリンの意図、それがわからぬベートでは無い。

 

「はっ、取引か! さすがにソレをベラベラしゃべるほどテメーもお人よしじゃねーか」

 

 鼻を鳴らしながらも、ベートはしかしどこか納得したような表情を浮かべる。

 

「そういやオレもベートに聞きたいことがあるんだった」

 

 すかさずクリリンは会話の主導権を取りに行く。

「あぁ?」とベートは返すのみで、クリリンの言葉を遮る様子は無い。手ごたえアリ。

 

「ベート、おまえはどうして、雑魚だ雑魚だと相手を貶して()()()んだ?」

 

 クリリンの疑問。それはベートの態度だった。

 初めて会ったあの日も、レフィーヤに対して突き放すような言動をとった。

 アイズたちに言わせればあれでもまだマシな方で、ふだんの下位団員への物言いは聞くに堪えないとのことだ。暴言を吐いたその場で、ティオネやティオナに粛正されることもよくある話だとか。

 

 だからと言って、ベートは徹底した実力至上主義とまでは、クリリンには思えなかった。

 たしかにベートの第一印象はすこぶる悪かった。調子に乗っているようなら、少しお灸を据えてやろうかとも思った。

 それでも、何だかんだ言って最終的にはレフィーヤを『仲間』と認め、クリリンとの戦闘中もレフィーヤを気にかけていた。

 

 根は悪いやつでは無い。

 かといって、ふだんの言動は、発破をかけるというには度が過ぎている。

 それはベートの性格というより、信条とさえ思えた。

 

 何がベートをそうさせた? 

 

 クリリンがそう問えば、ベートから表情が消えた。

 クリリンとしては、話を反らすために振ったものだが、存外ベートには刺さったらしい。

 

「─────雑魚が嫌いだからだ」

 

「おう、それは確かにおまえの『本音』なんだろうけどさ」

 

 ベートの言葉は決して嘘では無い。ただ、言葉通りの意味では無いだろう。

 これ以上踏み込むのは無理かとクリリンが思いかけたところで、ベートは言葉を継ぐ。

 

「俺は弱え奴が嫌いだ。勝手に出てきて勝手に死んでいく。うんざりなんだよ。死に様も酷え。泣いて喚いて情けねえったら無え。こっちが泣きたくなるぐれーだ」

 

 ベートはそう言って顔を歪ませる。

 

「嗤うしかねえだろ、そんな奴らは。身の程を弁えねえ雑魚どもが出てきたって死ぬだけなんだよ。後には何も残らねえ。巣穴に(こも)って震えてりゃあいいんだ─────って、クリリン、なんでテメーがそんな顔しやがる」

 

「い、いや別に……」

 

 ベートの言う『弱え奴』に、クリリンは己の姿を重ねてしまい、なんともいえない表情を浮かべていた。なんならクリリンは、真っ先に死んだことすらある。

 ベジータたちが初めて地球に来たとき、あるいはナメック星で【帝王】と相対したとき、親友は懸命に自分たちを逃がそうとした。もっとも、敵の強さを思えばどこにも逃げ場は無かっただろうが。

 ベートの『雑魚』に対する思いは、少なからず親友が『自分』に抱く思いと重なる部分もあるに違いない、とクリリンは想像する。

 やれるだけのことはやってきた、とクリリンにも自負はある。が、自分が『強者』だとは思えなかった。

 

「フン、まあテメーほど強けりゃ守れねーもんも無えだろうがな」

 

「!!」

 

 ベートのどこか願望じみた言葉にクリリンの表情は曇り、呟いた。

 

「…………そんなわけないだろ」

 

「ッ!!」

 

 寂しそうにするクリリンを見て、ベートは言葉に詰まる。今の発言はさすがに浅慮に過ぎた。

 

「…………この話は終いだ。『取引』については持ち帰る。後はフィンがどうとでもするだろうよ」

 

 そう言って、ぷいっとベートは顔を背ける。すると、背けた視線の先で何を見つけたのか、ベートの表情が苦々しくなる。

 

「あーーー、いたいたっ!」

 

 声のする方をクリリンが見れば、ティオナが大きく両手を振ってこちらに駆けてきていた。

 アイズとティオネも一緒だ。

 

「やーすっごい衝撃だったから、一発で目が覚めちゃったよー!」

 

「ベートさん、クリリンと戦ってたの……? ずるい」

 

「他所の庭であんまりはしゃぐんじゃないわよ」

 

 ティオナは満面の笑顔で

 アイズは頬をちょっとだけ膨らませて

 ティオネはジロリとベートに目をくれて

 三人がベートに並んだ。

 

 クリリンは気を取り直して四人に声をかける。

 

「アイズたちも平気そうだな。どうだったよ、アイツ()と戦ってみて?」

 

「すっごい強かった! あんなのにクリリンはどうやって勝ったんだろーって思っちゃった! ティオネたちはどう?」

 

 高揚感に身を弾ませながらティオナがそう言えば、ティオネも口を開く。

 

「私はかなり面食らったわ。あのとき何をされたか今でもよくわからないし。これでも色んな怪物を相手にしてきた自負はあったんだけどね」

 

 悔しいけど完敗よ。

 ティオネはそう締めくくって、アイズを見る。

 

「アイズ、お前はどうだった?」

 

 クリリンが声をかけると、アイズも言葉を切り出した。

 

「……今のままだと、私は()()()()()()()に勝てない」

 

 アイズは、いやティオネもティオナもベートも、神妙な面持ちになる。

 四人は大きくステータスを上昇させた。

 それでも、もっと上の次元(せかい)とはまだまだ大きな差があった。

 

「だからクリリン、私に『キ』を教えてほしい」

 

 アイズの眼差しは熱をもってクリリンに注ぐ。

 

「いいぜ、約束だしな。夕食まで時間があるし、さっそく始めるか」

 

 クリリンがそう言うと、アイズは嬉しそうに頷くのだった。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「じゃあ、今から『気』の取り扱いについて教えるぞ」

 

「おー!!」

「わー」

 

 ティオナとアイズの拍手を受けるクリリンに、ティオネが尋ねる。

 

「その『キ』っていうのは何なの?」

 

「俺達と戦った時、最後に見せた光弾(アレ)がそうか」

 

 ティオネに続いてベートが聞けば、クリリンは頷いた。

 

「体の中に流れてる、目には見えないエネルギーのことだな。ま、やってみせた方が分かりやすいか」

 

 そう言ってクリリンは四人の前に両手を(かざ)す。

 アイズとティオナが身を乗り出してクリリンの掌を見つめていると、何もないはずのその手の中に小さな光が灯った。

 

「あ」

「わあっ!」

 

「これが『気』さ」

 

 クリリンの手の中で煌めく光に、アイズとティオナから感嘆の声が漏れる。

 

「私にもできる……?」

 

「ああ。ただ、最初は『気』を感じ取るのが難しいから頑張れよ」

 

『気』は、どんな生き物にも備わった基本的な要素である。

 しかし、生命の本質とも言うべき在り方ゆえか、普通の人間がその存在を知ることは非常に稀だ。

『気』は感覚の埒外──────否、深遠に在ると言えよう。

『気』を操るには、まず自分の中にひっそりと存在するソレを知ることから始まるのだが、これがまた非常に困難なのだ。

 

「口で説明するのは難しいんだが、瞑想でもやりながらどこか一点に意識を集中させるのが、いちばん取っ付きやすいかな」

 

『気』の存在を知る方法は一つでは無いが、掌や腹部、心臓の鼓動、額といったところに意識を集中させることが足掛かりになりやすい。

 クリリンも最初は気の集中と放出、

 

 すなわち【かめはめ波】から始まった。

 

 そこからさらに修行を積み、より高度な気の制御を身に付けていったのだ。

 

 アイズはそっと目を閉じて、体の内側に目を向けてみる。

 

 一分か二分、アイズはそうしていたが、眉を八の字に曲げながら目を開ける。

 

「……………………?」

 

 困った表情を見せるアイズの横で、「わっかんないよー!?」とティオナも音を上げていた。

 

「う~ん、なんだか雲をつかむような話ね」

 

 とティオネが言えば

 

「けっ、あんときクリリンをまともに捉えられなかったカラクリが、少しはわかった気がするぜ」

 

 ベートもまた困惑を表情に滲ませる。

 

 それはまるで人の手が及ばぬ領域に秘されていた。

 クリリンの師、武天老師が【かめはめ波】を完成させるのに要した歳月は五十年。

 それも、武泰斗という真の武道家の薫陶を受けて尚、だ。

 

『気』を自在に使いこなすには、日々を鍛練に費やしたとしても、気の遠くなるような時間がかかる。

 どんな達人であろうと『人間』である限り、死の間際でようやく入口を見ることが出来るかどうか。

 それこそ『仙人』にでもならねば───────

 

恩恵(ファルナ)』を刻んだアイズ達とて、このままでは『気』を知る前に寿命を迎えてしまいかねない。

 

 しかし結論から言えば、そうはならなかった。

 

 なぜなら

 

 アイズ達の目の前にいるのは、クリリンという天与の超人だからだ。

 

「あ、そうだ、『気』を体験した方がいいかもしれないな」

 

 一計ひらめいたクリリンがその手を差し出すと、アイズは条件反射で自分の手をクリリンの手に重ねた。

 

「…………おい、何のつもりだクリリン」

 

 ベートが抗議の視線を向けると、「まあ見てろって」とクリリンはニヤリと笑う。

 

「アイズ。今からオレの『気』をほんのちょっと送り込む。そうすれば『気』ってものがどういうものか、よく分かるはずだ」

 

「そんなことができるの?」

 

「ああ、じゃあいくぞ」

 

「────────!!!?」

 

 それは、この世界の人類が初めて『気』を実感した瞬間だった。

 

「こ、これが『キ』………………!?」

 

 ティオネがその表情(かお)を驚愕に染めながら、崩れ落ちそうになる体を両脚でなんとか踏ん張る。

 

 アイズを中心に幾つもの波紋が生まれては広がっていく。

 

 草原を薙ぎ

 木々をざわめかせ

 大地を走り

 海を渡り

 

 天に、迫る─────────! 

 

 

「アイズ、これが『気』だ」

 

「あああああああああああああ…………!!!?」

 

 アイズの全身は『気』の奔流に覆われ、光を発していた。

 

「アイズっ……なんか、すごいよ!?」

 

 ティオナがアイズの姿を見て、目をまんまるに見開く。

 アイズから立ちのぼる、圧倒的な気配。

 それはこの場にいない者にも伝わった。

 

 

 

 ────此レハ

 

 馬が

 

「な、なんか今、空気がピリッッとしなかったかい……?」

 

「気のせいではないと思います。クリリンさん達のいる方向が光ってますから。ほら、あちらに」

 

 ヘスティアが

 農夫たちが

 

「あら……あらあらあらっ……何だか面白いことをしているわね………………!」

 

「ええ。ですが、今の【剣姫】には過ぎた力でしょう。下手に動けば肉体は耐えられますまい」

 

 フレイヤが

【猛者】が

 

「おぉうっ!? なんやこれぇっ!!?」

 

稽古(レッスン)が始まったみたいだね」

 

 ロキが

【勇者】が

 

 ()()()

 

 

 そして、まだ遠き旅路を来る少年にも

 

「!?」

 

「クラネル……お前も何か感じたか…………?」

 

「う、うん……透明で大きな力が、全身を何度も通り抜けてる……みたいな…………」

 

 紅眼白髪の少年が、行く先を望む。

 

「オラリオから、だよね……? いったいあそこには何が待ってるんだろう……」

 

 ベル・クラネルは茫然と、この力の発信源に呟いた。

 

 

 

「……どうして、今まで気付かなかったんだろう」

 

 光に包まれたアイズが、ぽつりとこぼす。

 

「ずっと、私の傍にあったのに……」

 

「はは、『気』なんてそんなもんさ」

 

「…………これが『気』」

 

 アイズの言葉に、クリリンが笑ってこたえる。

 

「アイズ、そっちの手を出してみろよ」

 

 こう? とアイズが空いている方の手の平を広げると

 

「ほれ」

「!?」

 

 ボッ、と音を立てて光球がアイズの手の上に現れた。

 

「な、なんか出たあっ!!?」

 

「………………!?」

 

「オレたちはこれを、気弾とかエネルギー弾とか呼んでる」

 

 ティオナと一緒にアイズはじっと目の前に浮かぶ光球を見つめる。

 凄まじいエネルギーを秘めた光体は、普通ならすぐに弾け飛ぶはずだ。アイズたちを巻き添えにして。

 しかしこの高エネルギー体は安定して存在している。

 アイズの技術では無い。

 アイズを通してクリリンが制御(コントロール)しているのだ。

 恐ろしいほどに精緻さを極めた操作で。

 

(知れば知るほど、私たちは出鱈目な男を相手にしたのだとわかるわ……)

 

(こんなのはまだ序ノ口だ。コイツは気弾(コレ)を変幻自在に扱える……!)

 

 とてつもない威を秘めたエネルギー弾を完全に制御下に置いているクリリンを見て、ティオネとベートは改めて戦慄する。

 

「せっかくだし試し撃ちでもしてみるか。…………おーい!」

 

 クリリンが呼び止めた相手を見て、アイズたちはギョッとする。

 

 少し離れたところに控えていた『馬』だった。

 

 ギョッとしたのは馬も一緒のようで、「ヒンッ!?」と嘶く。

 完全に腰が引けている。

 ハシャーナを足蹴にし、アイズたちですら鼻先であしらったも同然の彼も、どうやらクリリンは怖いらしい。

 

「今からこれを撃つから、適当にもてなしてくれー」

 

『天意』に逆らえるはずも無い。

 馬は全身全霊を以て構える。

 

(私たちと戦った時とは全然ちがう……)

 

 馬の態度の違いからも、アイズはクリリンと自分たちにどれほど力の差があるかを思い知る。

 

「よし、アイズ、撃ってみろよ」

 

 緊張で震える馬をよそに、クリリンは軽く言う。

 なんだか馬が気の毒になりながらもアイズは掌を馬に向けた。撃つだけなら、今のアイズも感覚でなんとなくわかる。

 

「…………クリリン、これ何か技の名前、ないの?」

 

 必殺技(わざ)の名前を唱えれば、威力が上がるんやで!? 

 遠き日に、イイ顔したロキにそう唆されたアイズは、クリリンに聞いてみる。

 

「いや別にねえけど。名前付けたいなら、アイズ(たん)とかでいいんじゃね」

 

「クリリン、マジメにこたえて……」

 

 さして遠くもない空の下で悪戯神(ロキ)が笑っている気がして、アイズはすごく微妙な表情になる。

 

(これは借りた技だから……名前は自分の技につけよう)

 

 アイズはそう思い直して構える。

 

「ハッ!!」

 

 アイズが気弾を解き放つと、衝撃とともに着弾までの光路は瞬時に描かれた。

 反動でアイズが大きく仰け反るのと、気弾が馬の鼻面に飛び込んだのはほとんど同時だ。

 ズズズと大きく地面を抉りながら、光球が馬を押し込んでいく。

 

「すごっ!!?」

 

 ティオナが高揚に身を弾ませる。さっきまで何をどうやろうとビクともしなかった馬をここまで追い詰めているのだ。

 

 しかし、馬の実力もさるものだった。

 

「ヒヒィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!」

 

 馬が大きく嘶いたかと思うと、バチィッと電撃が弾けるような轟音と共に、気弾の光路は捻じ曲げられた。

 

 光芒が遥か上空に消える。

 

 それを見送って、馬は鼻を鳴らした。

 

「ちッ、アイツはアイツで、とんでもねぇじゃじゃ馬だぜ…………!」

 

 あまりの出来事に、ベートが悪態を吐きたくなるのも当然だ。

 追い詰めた、と思いきや蓋を開けてみれば馬は無傷(ノーダメージ)

 あれほどの威力であっても、レベル7にとってはあの程度()()()()なのだ。

 

「はあっ、はぁっ……」

 

「これが、気弾。『気』っていう潜在エネルギーを凝縮して放出する技の()()だな」

 

 息を切らすアイズに、クリリンは平然と言ってのける。

 一足飛びにレベル7相当の世界を擬似的に体験したアイズは、反動で大きく体力を減らしていた。

 

「よし、次は空でも飛んでみるか」

 

「………………!?」

 

 状況をわかっていて、クリリンはこういうことを言う。

 強くなるのはたいへんなのだ。

 

「そら」

 

「!!」

 

 クリリンが再び気を送り込む。今度は凝縮せずに全身に巡らせてやると、アイズの体はあっさり浮いた。

 

「う、浮いたあーーーーっ!!?」

 

「あ、あんたはちょっと落ち着きなさいよ。でも、本当に浮いたわ……」

 

 ティオナとティオネが信じられないものを見るような目をする。

 しかし、真に驚くのはここからだ。

 

「じゃあ、オラリオを上から見てみるか」

 

 そう言うとクリリンもアイズの隣に浮かぶ。

 

「あっさりとまあ……」

 

 目を剥くティオネたちに「い、いってくるね……」とアイズは手を小さく振った後、クリリンと共に高度を上げていく。

 

 ぐんぐんと飛び上がっていく。

 それでも、アイズは恐怖も不安も抱かなかった。

 その理由は、クリリンの『気』の扱いの巧さだろうということはアイズにも想像できた。

『気』の感覚をようやく理解できたアイズにとっても、他者に『気』を送り込んで技を体感させてしまうなどという芸当は、もはや超絶の領域としか思えなかった。

 

「!?」

 

 視線を感じてアイズは即座に振り返る。

 

「あん? どうしたアイズ」

 

「……なんでも、ない」

 

 アイズの瞳の奥にはバベルの最上階が映っていた。そこからこちらを注視するのは

 

(【猛者(おうじゃ)】……?)

 

 しかしその視線もバベルの頂上もアイズたちは一瞬で振り切って、さらに上空へ。

 

「ま、このへんにしとくか。どうだ、アイズ」

 

 クリリンがふわりと姿勢を整えて静止したのはオラリオの遥か上空。

 

「──────────っ!」

 

 目の前に広がるオラリオの全景。

 手を翳せば、その掌にオラリオはすっぽりと収まってしまう。

 目を移せばオラリオの外にも世界が広がっていた。

 地平線も水平線も曲線を描いている。

 

 これが『頂天』から見える景色。

 溢れ出す感情は言葉にならなかった。

 それでも、アイズは言葉をしぼりだす。

 

「クリリン」

 

「ん?」

 

「ここに連れてきてくれて、ありがとう」

 

 アイズは微笑む。

 美の女神も思わず嫉妬してしまいそうな、そんな顔で。

 ただ、それを見ることが許されたのはクリリン一人だけだった。

 

「いつかは、自分の力で()()に来られるようにがんばる」

 

「おう」

 

 自分がどれだけ果報者か、たぶんわかっていないクリリンは呑気に笑い返す。

 

 それからしばらくして地上に戻ったアイズは、今度こそぶっ倒れた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 

「なんでテメーがここにいんだ、猪野郎」

 

「…………」

 

(か、帰りたいっ…………!)

 

 朝の食卓で一触即発の空気を醸し出すのは【猛者】オッタルと、【凶狼(ヴァナルガンド)】を始めとした【ロキ・ファミリア】の面々だった。

 

 アイズが『気』を体験した日の翌朝のことである。

 

(こんな危険物どもを、なんで一つのテーブルに押し込めたの!?)

 

 内心で青ざめるのはルノア・ファウストだ。

 普段は朝の仕込みで、とっくに酒場に戻っている時刻である。

 しかし今日は遅番シフトのため、ここで朝食を済ませることにしたのだった。

 

 農夫たちは朝食や昼食を畑でとることも多い。

 大規模収穫期で人手がほぼ畑に出ている時は特にそうだ。

 食卓を広げる場所は、都市外にいくつか存在する【デメテル・ファミリア】の別邸や、今回のように農地の脇の草原だったりする。

 

(ただ平穏に朝食を取るだけだったはずなのに、どうしてこうなった!?)

 

 配膳を始めている眷族たちを横目に、ルノアは頭を抱えていた。

 

「ベート、よしなさい」

 

(そういうアンタの目もヤバいんですけど!?)

 

【怒蛇】の(かお)は宥める人間のそれでは無い。むしろ【凶狼】以上に敵意を剥き出しにしてさえいる。

 

 そもそも【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】を同席させること自体、間違っているだろう。

 

(こんな時にッ! クリリンさんはどこ行ったのさ!?)

 

 共通の知人(クリリン)がいない席は、気まずいという次元(レベル)を遥かに超えている。

 

(そうだっ! ヘスティア様は!?)

 

 どんな者にも分け隔て無く接する彼の女神ならば、この空気をきっとなんとかしてくれる。

 そんな願望を胸にルノアが女神の姿を探すと、眷族たちと歓談している彼女はすぐに見つかった。

 

(ヘスティア様、そこ替わって!?)

 

 切実な願いであった。

 しかし、その願いが神に聞き届けられることはなかった。

 極度の緊張下にあるルノアをよそに、ヘスティアは眷族たちと楽しそうに笑っている。

 現実は非情である。

 

 誰にも気付いてもらえぬままルノアが白目で虚空を見つめていると、【猛者】が沈黙を破った。

 

「度し難い。()()()()()何が出来る」

 

「─────────ッ!」

 

(あ、これマズい流れだ)

 

【猛者】の言葉は当たり前のことだとルノアには思える。

 レベル8の【猛者】を相手に、【凶狼】一人でまともな勝負になるはずがない。

 しかし、全てを見透かしたような目で見下ろす【猛者】の言葉には、それ以上の意味が込められていたに違いない。

 ルノアには、その意味まではわからなかった。

 ただ、その言葉がベートの傷を抉ったということだけはわかってしまった。

 

「テメェ…………!」

 

「ベートさん……」

 

「やめなよ、ベート」

 

 それまで静観していた【剣姫】と【大切断(アマゾン)】までもが、ついに口を挟む。

 

 状況は悪化の一途をたどるばかりだ。

 

(クリリンさん──────!!!! はやくきてくれ──────っ!!!!)

 

 ルノアが大絶叫したのも無理はない。

 しかし、ここでようやくルノアに救いの手が差し伸べられた。

 

「…………」

 

 オッタルが不意に空を見上げる。

 ベートへの関心はすでに薄れていた。

 

 遅れてアイズたちもその気配に気付く。

 最後にルノアが空を見上げようとした時に、声が聞こえた。

 

「着きましたよ、デメテルさま」

 

「あらあら、錚々たる顔ぶれね」

 

 デメテルをお姫さま抱っこしたクリリンが、空を飛んでやってきた。

 

「デ、デメテル様~」

 

「あら? ふふ、今日のルノアは甘えんぼね」

 

 デメテルが地に降りるや否や、満身創痍のルノアは女神に縋り付く。

 もちろん、デメテルがそれを拒むはずも無い。

 

 甘い囁きにルノアは身を蕩かされながら、もはやお約束とばかりにその幽谷(おっぱい)に導かれた。

 柔かいい匂い、でも窒息しそう。

 

 続いて、ルノアはクリリンの所へ。

 

「ははは、ルノア、お前いったいどうしたんだ────」

 

 ガシィッ、とクリリンの両肩がルノアに鷲づかみにされる。

 

「遅いよ、クリリンさん…………!」

 

 涙目のルノアが抗議する。

 それだけ見れば庇護欲がそそられるが、クリリンの双肩に置かれたその手はどう見ても骨を砕きにかかっている。

 想像を絶する、無慈悲の極みとしか思えないパワーだ。そこに可愛げなど欠片も無かった。

 常人ならば圧し潰されて然るべき怪力を、しかしクリリンは平然と受け流す。クリリンにとって、この殺人的な力ですら肩に蝶が止まった程にも感じられないようだった。

 それでもルノアの必死さだけはなんとか伝わったようで、「なんかよくわからんが、わるかった」というクリリンの謝意を引き出すに至った。

 

 ルノアがクリリンに八つ当たりをしている横で、ティオナもまた目を潤ませていた。

 

 その目が映すのは、豊穣の女神デメテルの豊穣たる象徴。

 バインバイーンといちいち大きく揺れるその胸元に、微動だにしない自身の荒野に手を当ててティオナは膝から崩れ落ちる。

 

 そんなティオナの苦悩などいざ知らず、デメテルはある少女を前にして顔を綻ばせる。

 

「…………っ!?」

 

 デメテルに笑顔を向けられたアイズは、なぜか悪寒が走る。

 善神の筆頭たるデメテルに、なぜこんなにも戦慄を覚えるのかアイズ自身にもわからなかった。

 しかしその理由は直後、思い出すことになる。

 

「あらやだ、一段と可愛くなっちゃってぇ~~~」「!!」

 

 ぼふん、と音を立ててデメテルの胸部(バスト)がアイズに炸裂(バースト)する。

 その瞬間、アイズは全てを思い出した。

 まだ冒険者になりたての頃、ロキに街へ連れ出された時の古い記憶。

 懐かしい、匂いがした────――――

 

「ちょっ…………!? デメテル様、ブレイクブレイク!! 【剣姫】が窒息しちゃう!?」

 

 デメテルに抱かれたアイズの手足が、力を失ってだらりと垂れる。

 そこに、異変を察知したルノア(レフェリー)が止めに入ったおかげで、アイズは九死に一生を得た。

 

 ティオナは自滅。

 アイズは瀕死。

 第一級冒険者二人を相手にこの戦果。

 さすがのデメテル様である。一方的に大女神の貫禄を見せ付けた形になった。

 これにはベートとティオネも開いた口が塞がらない。

 オッタルに向けていた剣呑な空気も、もはや跡形もなく吹き飛んだ。

 

 ルノアは額の汗を拭う。

 ようやく平穏な朝食が始まる。

 そう思っていた時期が、ルノアにもあった。

 

「おーいオッタル、お前も配膳を手伝ってくれ」

 

「!?」

 

 クリリンの呑気な声に耳朶を叩かれ、弛緩していたルノアの体は瞬時に緊張を再開した。

 

(ま……まさか……あの【猛者】に給仕をさせようっての!?)

 

 ルノアに電流が走る。

【猛者】にそんな口を利けるのは美神(フレイヤ)を除けばクリリンしかいないだろう。

 いや問題はそこでは無い。

【フレイヤ・ファミリア】団長のオッタルに、【ロキ・ファミリア】の若手幹部の給仕をさせようというのだ。

 それだけで抗争の火種になる気がした。

 

「クリリンさんッ、配膳は私が手伝うから! 嫌とは言わせないよ! これでもプロの給仕(ウェイトレス)なんだからッ!!」

 

 ルノアが泡食ったのも当然である。

 クリリンとしても断る理由があるはずもなく、ルノアの剣幕におされて「お、おう」と頷くしか無かった。

 

 

 

 こうして、ルノアの多大な労苦を以て今朝の食卓はつつがなく開かれるのであった。

 

 

 

 


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