地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ十二 異名

 

 

 

 ジャガイモ

 

 ナス科ナス属の多年草。

 原産地は、オラリオから海を越えた別の大陸に連なる山脈地帯。

 澱粉(スターチ)に富み、地域によっては主食として用いられる。

 性質として、胃腸を丈夫にし気を(やしな)う。

 どんな体質でも相性は悪くない。ただし、エネルギーが豊富で寒性のため、冷えがある者、あるいはエネルギーが滞りやすく腹が張りやすい者は控え目にすべし。

 

【デメテル・ファミリア】が扱う品種は五〇種を超える。

 前年の全品種総出荷量は、地球の単位にして百万トン以上。

 しかし、その数値はあくまで市場に流通した量に過ぎない。

 

 

 揚げた小ぶりのジャガイモが大皿に盛られていた。

 

 その高さは見上げるほどに高い。下手に触れれば(たちま)ち崩れ落ちるであろうそれは、奇跡的なバランスによって悠然と屹立(きつりつ)していた。

 

 規格に適合せず市場に出なかったジャガイモが、本日の朝食に供されているのである。

 

「これ、おいしっ!」

「ッ!!」

 

 ティオナとアイズの手は止まる気配が無い。

 ジャガイモの山が見る見る内に、食べ盛りの少女たちの腹に収まっていく。

 ときおり芋が滑落するも、第一級冒険者の反射神経が逃すはずも無く、芋は余さず平らげられていく。

 

「いい食べっぷりだねえ」

 

 既に食後の一服に入っているヘスティアが、呆れ混じりに感嘆した。

 がつがつムシャムシャばくばく。

 そんな幻聴が炉神の脳裏に響いてくる。

 食べるペースが一向に落ちない二人を見て、女神の隣にいたルノアも頷いた。

 

「どうなってるのさ、第一級冒険者たちの(ハラ)は」

 

 そう言って、ルノアはサツマイモの氷菓(ジェラート)を口に運ぶ。

 酒場の常連客でもある冒険者たちだ、その健啖ぶりはルノアも知るところではあるが、改めて彼女らの食欲の底無しぶりを見せつけられる。

 

「そこいくと、クリリンさんは少食だよね」

 

「ん、そうか? まあ食べ盛りのあいつらに比べればそうかもな」

 

 話を振られたクリリンも既に食事を終えており、アイズたちの食べっぷりをぼんやりと眺めていた。

 

「なんかさ、クリリンさん慣れてない?」

 

「あん?」

 

「いや、こういう状況にというか。ほら、あんだけ食べる人間を見ても、そんなに驚いてない感じしたから」

 

「あ~」

 

 首を傾げるルノアに、クリリンはポリポリと頭をかく。

 

「オレの仲間に、やたらよく食う奴らがいるんだよ」

 

「へえ? そんなに食べる人たちなの?」

 

「よく食べる、なんてカワイイもんじゃない。五十人前をぺろりと平らげて、それでも腹八分目とか言うちょっとおかしい連中だぜ」

 

「いやいやクリリンさん、そりゃあ冗談キツイって!」

 

「それが冗談じゃないんだよな」

 

「マジで?」と、真顔のルノアがクリリンを見つめる横で、ティオネとベートもまた視線が固まっていた。

 二人の目に映るのは、これまた盛々と大皿の山を築く【猛者(おうじゃ)】である。

 

「【猛者】さん、おかわりまだまだありますよ」

 

「……(たけのこ)の煮付けと蓮根(れんこん)のから揚げをいただこう」

 

 婦人の申し出を受けるオッタルに、ティオネたちは()け反りそうになる。

 

「こいつ……絶対、肉しか食べないと思ってたわ」

 

「オッタルは根菜類が好物だぞ」

 

「猪!?」

 

「つか、いらねーよッ、そんな情報!!」

 

 既にオッタルの嗜好を把握していたクリリンに、ティオネとベートが目を剥いた。

 食卓を共に囲んだからこそ知る、意外な一面だった。

 

「うふふ、盛り上がってるわね」

 

「デメテル、どこへ行っていたんだい?」

 

 そこへ、いつの間にか席を外していたデメテルが戻ってくる。そんな女神の姿がヘスティアの目に入った。

 

「デメテル様、それって葡萄酒(ワイン)?」

 

 ルノアの関心を誘ったのは、デメテルが両手に()げていたボトルバッグだ。

 ルノアだけではなくクリリンやティオネたちも、芋を頬張っていたアイズたちもが手を止めて、デメテルに目を向けた。

 

「正解をあげたいところだけれど、これは葡萄果汁(グレープジュース)よ」

 

 そう言ってデメテルはバッグから取り出した瓶をテーブルに置いていく。

 

「わぁ、赤いジュースだ!」

 

「フィンから聞いた。【デメテル・ファミリア】は葡萄も作ってるって……」

 

「ええ。いろんな【ファミリア】と協力して、何種類か葡萄酒(ワイン)葡萄果汁(グレープジュース)を作ってるの。中でもこれはかなりの自信作よ。今季の試作品がちょうど醸造所から届いたから、貴方たちにもぜひ飲んでもらいたくて」

 

 ティオナとアイズの感嘆を受けて、デメテルは喜色を浮かべる。

 本来はワイン醸造用の超高級品種を用いた幻の逸品だ。市井(しせい)に流通するものとはワケが違う。

 それをデメテルは惜しげもなく、並べたグラスに注いでいく。

 

「本当は料理と合わせたかったのだけれど折角だから────さあ、どうぞ召し上がれ」

 

「いただきまーす!」

 

 言うが早いかティオナがグラスに口を付ける。

 次いでヘスティアが、ティオネがルノアが、全員がその上質な果汁を口に含む。

 その瞬間、全員が一様に浮かべたのは歓喜と驚愕の表情だった。

 

「これ、めちゃくちゃ美味しいすね」

 

 最初にクリリンがそう言うと、他の面々も次々に賛辞を口にする。

 

「ふわ~~、デメテルぅ、この果汁(ジュース)とんでもなくおいしいよ~~」

 

「これはすごいよ。店で扱ってる品だって結構いいやつなのに、これは全然違う。デメテル様ってば、こんなのも作ってたなんて」

 

 ヘスティアもルノアも恍惚としながら高く評した。

 

「いや本当に、これには驚いたわ……」

 

 ティオネは茫然と呟く。

 酒精(アルコール)の入っていない飲み物など子供の飲み物だと、内心あなどっていたのだ。

 それがどうだ、あまりの芳醇さに気を抜くと酔いそうになる。果汁(ジュース)といえど、これほどに極まれば酒を超えうるのか。

 見ればベートも、そしてオッタルまでもが、驚愕とも困惑ともとれる顔をしていた。

 そんな貴重な光景も手伝って、ティオネは笑ってしまいそうになる。

 

「はー、いいものを飲ませてもらったよ。でもデメテル、これは相当お高いんだろう?」

 

 ヘスティアが身を乗り出してデメテルに詰め寄る。

 

「いくらぐらいだったかしら」

 

 唇に指を当てて記憶を辿るデメテルに、大皿を運んできた婦人が答えた。

 

「昨季の落札額なら、一本42000まで上がりましたよ」

「よ、よんまんにせん~~!!?」

 

 ヘスティアがわなわなと震え出す。

 何を隠そう、今のヘスティアの給料では四ヶ月分()ぎ込んでもまだ足りない。

 

「さ、さすがにデメテル様が自信作っていうだけはあるね……」

 

 ルノアもけっこう引いていた。

 高級酒場である『豊穣の女主人』の定番メニューでいえば、かなりしっかりした葡萄酒(ワイン)でさえ一瓶一〇〇〇から五〇〇〇ヴァリスだ。

 もちろん、裏メニューやミア秘蔵の酒はこの限りで無いが、葡萄果汁(グレープジュース)としては間違いなく破格といえる。

 店のメニューに欲しいぐらいだよ、とは口が裂けても言えなかった。

 

「へ~42000だって! すごいね、アイズっ!」

 

「うん、とってもお高い、ね」

 

 そう言ってティオナとアイズは笑い合う。

 ただ、二人とも口では高いと言っておきながら、実感はそれほど込もっていなかった。

 それもそのはずで、第一級冒険者の彼女たちの稼ぎはヘスティアの数百倍。ヘスティアにはとても手の届かない品であっても、アイズたちにとってはポケットマネーで足りるのだ。

 

 一方で、この見事な葡萄果汁の価値を知ったヘスティアは、グラスを持ち直すと二口目からはちびちびと嘗めるように飲み始めた。

 なにせもう二度と味わえないかもしれないのだ。こうまで有り難がるのも至極もっともな話である。

 

「────────なるほど」

 

 重く響いた男の声にアイズの肩が微かに揺れる。

 ルノアは口角が引き()り、ティオナは目を丸くした。

 一瞬たじろいでしまったベートとティオネは、それを恥じるかの如く忌々しげに男を睨み付け、デメテルは瞳の色が深くなる。

 

猛者(おうじゃ)】が沈黙を破った。

 それだけで場が緊張する。

 誰もが表情を固くし、誰も口を挟めない。

 ただし、例外もいた。

 

「んあ?」

「どうしたんだい?」

 

 ぽかんとするクリリンと、きょとんとするヘスティアは、こんな時でもやはり大物だった。

 そんな二人に、デメテルは内心ほほえましいものを感じるも、弛みかけた表情を引き締めてオッタルを見やる。

 

「ご満足いただけたかしら?」

 

「確かにこれまで飲んできた物とはまるで違うようだ」

 

 オッタルが再びグラスに口を付ける。

 

「素晴らしい品質だ」

 

(【猛者】が、賛辞を……!?)

 

 ティオネは息を飲んだ。

【猛者】にここまで言わせる事態に、ティオネは初めて出くわしたのだ。それはティオネだけではなく、ティオナやベートも変わらない。

 

 だが次の瞬間、【猛者】が継いだ言葉にティオネたちは愕然とすることになる。

 

「しかし──────やはり42000では、この程度であろうな」

 

 それは失望とも挑発とも取れる発言だった。

 この場に同席する面々に、困惑や苛立ちが浮かぶ。

 が、そんなもの【猛者】が気に留めるはずもなく、オッタルの眼光がクリリンを、そしてデメテルを捉える。

 

【猛者】の物言いは、デメテルの厚意を踏みにじったも同然。傍で見ている者たちの居心地の悪さといったらなかった。

 テーブルの片隅で、アイズはそーーっと上目で女神の表情を窺った。

 しかしデメテルはさほど気分を害した様子もなく、むしろ大らかに微笑んでいた。

 そこへ、オッタルはさらに踏み込んでいく。

 

「さらに()があるのだろう?」

 

「え!?」

 

 オッタルの言葉に、いち早く反応したのはヘスティアだった。

 

「こ、これより上があるっていうのかい、デメテル?」

 

「──────ええ、あるわ」

 

 デメテルは断言し、ヘスティアだけでなくアイズたちも衝撃を受ける。

 ただの農業系派閥と思われた【デメテル・ファミリア】が、懐に忍ばせている切り札はクリリンだけでは無かったのだ。

 

「勘違いしないで頂戴? 決して出し惜しみをしたわけではないの。ただ──────ここから先は芳醇(パワー)があり余り過ぎて、私でもコントロール出来ないのよ」

 

「それ、もう葡萄果汁(グレープジュース)って呼んじゃいけないんじゃないのかい……?」

 

 ヘスティアのツッコミが虚しく響く。

 

()()は、発酵させていない状態でも平然と理性を奪う。とても子どもたちに出せるモノではないわ」

 

「…………参考までにお教えしておきましょう」

 

 デメテルの背後に立つ婦人が口を開く。

 

落札額(戦闘力)は、530000です」

 

「ご、ごじゅうさんまん…………!?」

 

「もちろん、原液(フルパワー)でもてなすつもりはないから安心して頂戴」

 

「いくらか薄めて出してみてはいかがでしょう、デメテル様。少しぐらいは楽しめるかもしれませんよ」

 

「あら! それはいい案ね」

 

「ちょっと待てええええええいッ! ツッコミが追い付かないよ、デメテル!!」

 

 ヘスティアが、そのツインテールを振り乱しながら頭を抱える。

 この分だと発酵させた品は、落札額にしたら100万以上は確実か。

 ここまでくると馬車が何台買えるかという話だ。下手したら家すら買えるかもしれない。

 

「よくそんなもの造ったねえ!?」

 

 ヘスティアからすれば、とても売れそうにないレベルのものを造るのは、狂気の沙汰としか思えなかった。

 

「そうね、うふふ」

 

「否定してくれよ!?」

 

 そんなヘスティアとデメテルのやりとりを見て、アイズは小さく吹き出し、クリリンとティオナは声を上げて笑っていた。

 

 一方で

 

「でも値が付くってことはさ、その値で買う奴がいるってことか」

 

 笑い声の裏に落ちたルノアの呟きを、ティオネやベート、そしてオッタルは聞き逃さず無言で肯定していた。

 

 

 ◆

 

 

 この世界のどこでもない場所にクリリンは立っていた。

 

 風も音も立たぬ。

 地形に起伏も無い。

 寒いとも暑いとも感じない、ただただ単調(モノトーン)の世界。

 

 なんとも形容しがたいが、もしクリリンが()()()()()を知っていたならば、或いはこう思ったかもしれない。

 

 まるで『精神と時の部屋』だと。

 

 ただし、実際のその部屋は生きていくだけでも過酷な環境ではあるが。

 

 そんな静かなはずのこの場所にいるのは、クリリンだけではなかった。

 

 すぐ傍に、別の存在の息遣いを感じ取れる。

 

 

 

 オラリオでも地球でもないこの場所で、クリリンは一匹の『獣』と相対していた。

 

「──────────────!」

 

 声なき咆哮。

 膨れ上がる『気』

 静謐(せいひつ)を破る波乱、崩壊する秩序。

 

 その中心にいるのは、理性の鎖を弾き飛ばし『獣』に成り果てた人間だった。

 

「それがお前の『本気』か──────────オッタル」

 

 クリリンが男の名を呼んだ。

 

【猛者】オッタル『獣化(フルパワー)

 

 

 

 滅多にみられる姿ではなかった。

『獣化』に条件があるというのもそうだが、それだけではない。

 ゼウスとヘラが去ってからクリリンが現れるまで、オッタルは全く『獣化』する必要がないまま、最強の座を勝ち取ってしまった。

 わざわざ『獣化』のために舞台を整えることも無かったのだ。

 

 そのオッタルが見せる、身震いがするほどの真のパワー。

 

 この『一匹の獣』は、もはや都市(オラリオ)にいる全ての()()()の力を結集させたとしても、止まるまい。

 

「よーし、来い」

 

 そんなオッタルを迎え撃つのは、冒険者という範疇(カテゴリー)から外れた男だった。

 

 クリリン

 

 今日までオッタルの挑戦を三度退けた男。

 四度目にしてオッタルはついに『獣化(フルパワー)』を見せる。

 

 両者がにらみ合う時間はそう長くなかった。

 

『オオオオオオオオオオオオオオ!!!』

 

「お───────」

 

【猛者】の猛進に、小柄なクリリンは紙のように吹っ飛んだ。

 

 オッタルは手を緩めない。空中に投げ出されたクリリンに大剣を叩き付ける。

 地に落ちたクリリンをさらなる連撃が襲い、大剣が舞う度にクリリンの体が跳ねた。

 その迫力たるや、上位の精霊ですら目を背けたくなる程だった。

 

 凄惨を(きわ)める剣撃は、オッタルの息が切れるまで続いた。

 オッタルが手を止め一度距離を取るまでに、何十発もの剣閃をクリリンに浴びせた。

 

 再び静寂が戻ってくる。

 

 クリリンは大の字に倒れたまま、ピクリともしない。

 

 

 

 しかし、オッタルが構えを解くことは無かった。

 

「──────さっさと立て。大して効いていないことはわかっている」

 

「なんだ、やっぱりバレてたのかよ」

 

 ゾンビだぞ~~とおどけながら、クリリンはあっさりと立ち上がる。

 目を疑う光景だった。

 先の猛攻は嘘だったとでも言うのか。

 

 だが、クリリンが身に纏う作業着は雄弁だった。

 ビリビリに破けたそれは、如何(いか)な猛威に見舞われたかを克明に語る。

 しかし、オッタルが耳を貸すことは無かった。

 オッタルの注意を引いたのは、ところどころから覗くクリリンの肉体。

 鍛え上げられた肉体の前では最硬金属(オリハルコン)の輝きすら鈍く映る。

 クリリンの体には、当然ながら傷ひとつ見当たらなかった。

 

「では、反撃開始っ!」

 

 むん、と気合いを入れるクリリンはいっそコミカルだ。

 思わず気が抜けるその姿も、まさかオッタルを出し抜ける筈はない。クリリンが一段階ギアを上げたことなぞ無論オッタルは見抜いており、その身を強張らせた。

 

 が─────────

 

【猛者】の最大限の警戒をクリリンは出し抜いた。

 クリリンは一手でオッタルの退路を断ち、受け手を弾き飛ばし、超一級の防具を粉砕した。

 クリリンの拳が脇にめり込み、かつて味わったことのない衝撃がオッタルの全身を駆け巡る。

 

「………………………………ッ!」

 

 ()り上がる苦悶を押しとどめる。

 それがオッタルのせめてもの意地だった。

 

「おまえは本当に戦い方が変わらねえなあ」

 

 クリリンの口調は相変わらず気楽なものだった。恐ろしい一発を打ち込んだ直後とは思えないほど穏やかだった。

 

「…………………………」

 

 クリリンが指摘するのはオッタルの直線的な攻防。

 最初(ハナ)から回避も後退も念頭にないオッタルの流儀(スタイル)は、愚直なまでに直向き(シンプル)だ。

 それも、『獣化』していっそう純粋(シンプル)になった。

 

 己が進むべき道をただ前進する。

 

 それがオッタルという男の在り方だった。

 

「まあ、いいけどよ」

 

 クリリンはそれを咎める気は無い。というより慣れていた。

 戦い方に強いこだわりがある者たちを、他にもクリリンは知っている。付き合いも長い。

 ゆえにクリリンは、オッタルを罠にかけて仕留めるようなことはしなかった。アイズたちと戦った時のように、平面あるいは空間を広く使って戦うことはしなかった。

 オッタルの挑戦に、クリリンは正面から受けて立った。

 

「がっ………………!?」

 

 振り上げた大剣を振り下ろす直前に、オッタルはまたも撃ち抜かれた。

 

 取り立てて技というほどの技は無く

 駆け引きというまでの駆け引きも無く

 

 わずかな緩急と鍛えに鍛えた強靭な肉体で、クリリンは全力(フルパワー)の【猛者(おうじゃ)】を圧倒した。

 

「ぬ…………ぐっ……………………!」

 

 それでもオッタルは前へ進む。

『前進』と胸を張れるようなものでは決して無い。半ば倒れ込むようなそれは足掻(あが)きも同然だった。

 

「…………おまえは『英雄(化物)』では無い」

 

「ん?」

 

 オッタルが声を絞り出す。

 

「……おまえは『人間』だ。最強の、『人間』だ…………!」

 

「…………? まあオレは『英雄』って柄じゃねえけどな……?」

 

 さすがのクリリンもオッタルの真意は計りかねたが、その言葉に異を唱えなかった。

 クリリンにとっての『英雄』は、亡き親友を置いて他にいるはずもなかったのだから。

 

「────────ごッ!?」

 

 戦いは続く。

 クリリンの()()()でオッタルの体は()()跳ねる。自分が何をもらったのか、自分の身に何が起きたのか、オッタルにはまるでわからなかった。

 

 オッタルに突き付けられる『人間の可能性』

 オッタルとクリリンは隔絶した存在では無いはずだった。

 彼我の立つ場所は地続きのはずだった。

 この世に生を受けてから過ぎた歳月も、ほとんど変わらないはずだった。

 

 それがどうだ。

 

 両者の地力の差は歴然。

 

(俺は今まで何をしていた…………!!)

 

 オッタルは自身への怒りで灼き尽くされそうになる。

 前のめる巨躯、立っているのが奇蹟と思えるほどの損傷(ダメージ)

 それでも瞋恚(しんい)の炎が、崩れ落ちるのを赦さなかった。

 惰弱な己を、これ以上クリリンに見せたくは無かった。

 

「お……おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 オッタルが雄叫びを上げる。

 

 クリリンは『英雄』では無い。

『人間』が秘める可能性を極限まで体現した姿。

 

 空より静かに構えるクリリンに限界を超えたオッタルが肉薄する。

 

絶峰(ぜっぽう)』を越えた先の『頂天』の戦い。

 オッタルは今この一瞬、天を轟き渡る『雷霆』となりて【最強】を穿たんとする。

 

 果たして『雷霆の(ほこ)』と化したオッタルは─────────────()()()()()

 

 嘘のようにあっさりと止められた。

 

 難なく跳ね返された力がオッタルを襲う。全身を伝わる激震。骨肉が(きし)み、臓腑は圧し潰される。

 

(これでも尚、届かぬか……………………ッ)

 

 クリリンは『人間』である。

 

 しかし、オッタルが知るどんな『英雄』よりも強かった。

 

 この日この瞬間【歴代最強】の男へ、他ならぬ【猛者】によって異名が贈られることとなる。

 

 

 

 

(此の者、正しく【武天】なり─────────!)

 

 

 

 直後

 

 オッタルは不可視の一撃に捉えられた。

『雷霆』すら寄せ付けぬ速さと鋭さを以て、オッタルごと天を割るかの如き究竟(くきょう)の一発に、とうとう【猛者】の意識が飛び始める。

 

 薄れゆく意識の中でオッタルの視界は青白く染め上がる。

 

(……………………?)

 

 半身(はんみ)に構えたクリリンの陰から『光』が溢れ出していた。

 オッタルは其処にクリリンの力の『源流』を見た。

 人間の『潜在能力(可能性)

 その輝きに息を呑んだ。

 

「─────────!」

 

(…………カ…………メ…………?)

 

 クリリンの体が開き始める。いやに緩慢と流れる光景の中でオッタルが見たのはクリリンの双掌。

 その様相たるや印契(いんげい)を結んだかの如し。

 光に照らし出されるは、果てなき道を往く修行者の姿。

 

(有り難し──────────!)

 

「波ァ─────────────!!」

 

 瞬間、凝縮されたクリリンの潜在エネルギーが一気に放出。目が眩むほどの光がオッタルの瞋恚の炎を、その肉体ごと吹き飛ばす。

 

 突き立った光は天空のさらに向こうへ、宇宙の彼方へと真っ直ぐに飛び去っていった──────────

 

 

 

 

 

「────────────ッ!?」

 

 オッタルが勢いよく目を開ける。

 とめどない冷や汗がオッタルの額を濡らしていた。

 草原で胡座(あぐら)をかくオッタルは、獣から人の姿に戻っていた。

 

 しばし呆然としていたオッタルであるが、深く息を吐き風に吹かれていると人心地も付いてきた。

 

(あれほどの技を、この身で受けることになるとはな…………)

 

 オッタルは感慨に耽る。

 とてつもない大技だった。本当に夢だったのかと思うほどに。

 ならば()()()()()だからこその演出か? 

 虚構(うそ)か? 

 否、とオッタルは断じる。

 

 あれは、現実に起こる。

 あの光は、そう遠くない日に顕現する──────────! 

 

「初めてにしちゃあ、上手く出来たんじゃないか?」

 

 そう声を掛けたのはオッタルと向かい合うクリリンだった。

 

「………………奇妙な発想、だが、有用ではある」

 

 クリリンとオッタルが試みたのは心象訓練(イメージ・トレーニング)

 場所を取らず被害も無く、また、やり方次第では潜在能力を刺激することもできる。

 クリリンもかつて、ナメック星に向かう宇宙船内で取り組んだことがある修業方法だ。

 オッタルは初めて体感する方法だったが、思いの外、得るものは多かった。

 

(やはり『獣性(パワー)』だけでは瓦石(がせき)。『化物』のままでは勝てぬ。力に振り回されるな。『理性』を以て制御(コントロール)するのだ…………!)

 

 先の一戦は実のところパワー勝負では無い。

 積み上げた土台の差。

 位置取り、歩法、体捌き、崩しといった、基本的な動きの差。

 オッタルは今一度、初心に返る。

 己の動きを微細にわたり見直さねばならない。

 

「さてと、そろそろ午前の収穫が始まるからオレは行くぜ。オッタルはどうする?」

 

「我が神の下へ戻る。よい手土産も出来た。クリリンよ、あの御方もお前に大層関心を寄せておられる。光栄に思うのだな」

 

「ふーん。そういやオッタルのトコの神さま、えらく有名なんだってな? まあよろしく言っといてくれよ」

 

 オッタルの主神、即ちフレイヤ。

 

 人も神も怪物すらも虜にする『美の権化』

 女神の関心を惹き寄せる存在は稀有。

 例えフレイヤの眷族に取り立てられる栄誉に浴したとしても、その先に待ち受けるのは想像を絶する苛烈なまでの『試練』

 それを越えた『英雄候補』だけが、ようやく女神の傍に立つことを許される。

 

 そんな女神に目を掛けられるという、至上の誉れ。

 

 だというのにクリリンときたら、反応(リアクション)があまりに軽かった。

 そのような態度で彼女の本拠(ホーム)戦いの野(フォールクヴァング)』に足を踏み入れれば、憤慨した眷族たちにたちまち取り囲まれ、襲われるに違いない。

 

 そして、襲われた(はな)から返り討ちにするだろう。

 

 知らぬが仏、知れば煩悩。

 

 しかし、運命は必ずや二人を引き合わせる。

 

 そのとき、クリリンは美の神に籠絡されるのだろうか。

 正しく魔性というべき『魅了』によって呆気なく陥落されるのだろうか。

 もしクリリンが彼女の手に渡れば、【フレイヤ・ファミリア】の王座は揺るぎないものになる。

 

 だが本当に、クリリンがフレイヤに(なび)くのか。

 

 その化物じみた美に、目は奪われるかもしれない。

 惜しげもなく晒される肢体に、鼻の下は伸びるかもしれない。

 

 それでも、心までは奪われないだろう。なぜならクリリンは──────────

 

 

「あ、そうだ。手土産といえばオッタルに渡すものがあるんだった」

 

「ぬ?」

 

 クリリンはすたこらと少し離れた木陰の向こうに回ったかと思えば、何かが詰まった大きな袋を抱えて戻ってきた。

 

「…………! これは」

 

 中身を見ずともオッタルはその鋭敏な嗅覚で悟る。猪人(ボアズ)の嗅覚は、犬人(シアンスロープ)狼人(ウェアウルフ)にも決して劣らない。

 

同胞(みんな)からオッタルに、ってよ。お前の食べっぷりが気に入られたんじゃないのか?」

 

 袋の中身は筍や蓮根、きのこ類だった。この【デメテル・ファミリア】セレクションは、どれもこれもオッタルの好物だ。

 

「いいのか?」

 

「いいんだろうさ。ありがたく受け取っとけ。それとな、根菜類ってのは足腰を強くするらしいぞ」

 

 じゃあな、とそう言ってクリリンは飛び去っていく。

 その姿を見送ったオッタルは、渡された袋を滑稽なほど丁寧に持ち上げると、肩に担いで歩き出した。

 

「あら、お帰り?」

 

 農道を辿り街道に差し掛かるところで、オッタルを呼び止める声がする。

 

 オッタルが目を向けるそこに、風に流れる髪を手でおさえながら、デメテルがたおやかに佇んでいた。

 

「フレイヤによろしくね」

 

「………………」

 

 デメテルがふわりと笑う。その可憐な姿に、無愛想な【猛者】の心も僅かながら動く。

 

 だからといってはなんだが、オッタルはここで一石を投じることにした。

 

 

 

 

「デメテルよ、何を恐れる?」

 

「──────────────ッ!?」

 

【猛者】の言葉に、デメテルの顔色が変わる。

 オッタルの投じた石が水面に落ち深層(真相)を暴こうとする。

 波紋もまた、広がっていった。

 

「いや、こう言った方がいいか。────────何を恐れる必要がある」

 

「………………それはどういう意味かしら」

 

 何もかも見通しているかのようなオッタルに、デメテルは気丈に振る舞うも、声は(かす)かに震えていた。

 それを知ってか知らずか、いずれにせよオッタルはデメテルの動揺に全く頓着するつもりはなかった。

()()()()()()()()とさえ思っていた。

 

()がここにいる限り、何を恐れる必要があるのかと言っている」

 

「それって、クリリンのこと?」

 

「他に誰がいる。まさかミアの女給(むすめ)とでも思ったか?」

 

 フッ、とオッタルが口角を上げる。

 その瞬間(とき)、既に酒場に戻っていたルノアが謎の苛立ちに襲われ、偶然(たまたま)通りかかったアーニャがちょっとした憂さ晴らしに巻き込まれることとなったが、オッタルの知ったことでは無かった。

 

「オッタル、あなたはクリリンならば、私が恐れる存在にも勝てると思っているの…………?」

 

 デメテルの表情(かお)はもうはっきりと青ざめていた。食卓では決して見せなかった表情だった。

 

「話にならぬ」

 

 一方でオッタルは顔色を変えることなく断言する。

 

「そう、物語(はなし)にならぬのだ。勝つか負けるかという話では無い。如何にして勝つか。見るべき物語(もの)はそれだけだ」

 

 オッタルの力説に、デメテルは圧倒されかける。しかし女神も引かない。

 

「オッタル、あなたやクリリンが素晴らしい武人であることは知っているつもりよ。それでも私は……………………」

 

「我が子の強さが信じられぬのか?」

 

「っ!!」

 

 デメテルは泣きそうな表情で何かを訴えようとする。しかしそれは言葉にならず、そのまま虚空へ消えていった。

 

「デメテルよ、神がそこまで恐れる相手ならば確かに強大な存在なのであろう。だが心に刻んでおくがいい。クリリンが舞台に上がった時点で、騒動(はなし)は終わりだ」

 

【猛者】の言葉は揺るがない。それを聞いて、デメテルは目を伏せる。

 

「嫌でも分かる日が来る。そして、来たるべきその時は近い」

 

 クリリンの放った光は、燃え盛る炎を消し去ってなお進んだ。

 オッタルには、不思議とあれが何かの暗示のように思えた。

 何かが起こる。

 デメテルが恐れる事態。それが起こるより前に、それよりも遥かに絶望的な何かが。

 

 その時、オッタルが心象世界で見た『光』が、現実のものとなるに違いない。

 

 あの光の向かう先は。

()()()()()()()()は────────

 

 

「本当は分かっているはずだ。だからこそ俺達に手掛かりを示した、そうであろう。勝利の為に」

 

「……………………………………」

 

 言うべきことは言ったとばかりに、オッタルはデメテルを背にする。

 

「待って頂戴」

 

「まだ何かあるのか?」

 

 歩み出さんとした足を止めじろりと見やるオッタルに、デメテルは『あるもの』を差し出す。

 

「……これは先の葡萄果汁(グレープジュース)か」

 

「えぇ、持って行って頂戴。フレイヤにも飲ませてあげて?」

 

 デメテルがどういう思いでこれを持たせるのか、オッタルにはおおよそ見当が付く。

 

「………………」

 

 それはともかくとして、オッタルの手土産がまた一つ増えた。

 

 山盛りの土産を抱えて今度こそ畑を後にするオッタルは、道すがら通りがかる人々の好奇の視線を集め続けるのだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 私は……いや農夫(わたし)たちは息()き切って駆けていた。

 光ひとつ無い一面の闇の中を私たちは逃げ惑っていた。

 

 なぜ自分たちが追い詰められているのか、思い当たるものは何もない。

 しかしはっきり分かるのは、捕まれば最期だということ。

 

 

 逃げても逃げても背に粘り付く『何か』からは逃れられない。

 背後から伸びる無数の黒い手が私を抱き寄せようとする。その手付きは、ゾッとする程に優しかった。

 

 振り返ってはいけない。

 

 そう分かってはいても、抗い難い衝動が私の視線を後方へ(いざな)う。

 

「─────────────ッ!!」

 

 そこにはただひたすらに深い闇があった。

 巨大な化物が顎門(あぎと)を開けているようだった。

 飲み込まれれば、その先にあるのは底知れぬ『冥府の闇』のみ。

 

「ううう………………!」

 

 神の恩恵を受けた身も限界が近い。

 闇が囁いてくる。

 身を委ねよ、と。

 何ゆえ(もが)き苦しむのか、と。

 

 涙が溢れる。

 

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……………………! 

 

 恐怖に苛まれながらも、私は走り続ける。

 今にも折れそうな心と体を必死に支えているのは理由(わけ)があった。

 

 逃れる術は無い。わが身はここで朽ち果てよう。

 それでも! 『痕跡』を残さなくてはならない! 

 迫り来る脅威を、その存在を報せなくてはならない! 

 

 ほんの一欠片でいい。

 たった一粒の麦でもいい。

 この世に残さなくてはならない! 

 

 いつの日か、きっといつの日か、闇を晴らす希望(ひかり)が現れることを願って──────────────

 

 そんな意地の潰走も長くは続かなかった。

 両膝がカクカクと笑い出す。力が抜け私は倒れ込んだ。

 

『闇』が矯声を上げ私に覆い被さってくる。

 

 

 もはやこれまで。

 

 

 

 そう観念した時のことだった。

 

 

 

「ハイハイ、そこまでだ」

 

 聞き慣れた声が私の前途を照らす。

 絶望の中に落ちた声調(トーン)は、場違いな程に間延びしていた。

 

 顔を上げる。

 前方から悠然と歩いてきたのは、寺育ちのKさんだ。

 寺育ちということで霊感が強いらしいとウワサのKさんだが、いやいや、霊感が強いとかそういうレベルの話じゃあない。

 まあそれはともかく、私はもう安堵で胸がいっぱいで、滂沱と涙を流していた。

 

 それにしたって速すぎませんかねぇ。

『いつの日か現れる希望』、三分で来たわ。

 ここで終わる覚悟もけっこう決まってたのに。

 

「いや~、こういうピンチに颯爽と現れるの、一度やってみたかったんだ」

 

 そう言って笑う逸般人(いっぱんじん)Kさんは、この状況に物怖じする様子なぞ微塵も感じられない。

 

「じゃあいっちょ、やってやるか」

 

 Kさんが軽い調子で私の背後に視線をやったかと思えば、『闇』に向かって両手を突き出し「波ァ!!」と叫んだ。

 

 するとKさんの両手から青白い光弾が飛び出した。

 あんなに恐ろしいと思った『闇』も、Kさんにかかってはひとたまりもない。

 無数の人ならざる存在(もの)の気配が急速に遠ざかる。Kさんから放たれた光の奔流が、それらをまとめて冥府の底まで送り還した。

 こらぁ、少しは手加減しろォ!? え………………? 半分のパワーも出しちゃいない?? 

 

 やっぱり寺育ちはスゴイ。

 

 私はそう思ったのだった────────

 

 

 

 

「へぇあッ!?」

 

 寝台の上で、夢から覚めた私は跳ね起きる。

 

 周囲を見渡せばなんてことはない、いつも寝起きしている寝室だった。

 

 ホッと息をついていると、隣で寝ていた同室人(ルームメイト)の「うるさい」という至極もっともな抗議を受け、私は何も言い返せるはずがなく、ただ小さくなるばかりだった。

 

 布団を被り直す彼女の背に謝意を込め終えたところで、窓から差し込む月明かりだけを頼りに、私はナイトテーブルの上の水差しを手繰り寄せる。

 

 まず喉を潤した後、手巾を湿らせて首すじと胸元を拭う。全く嫌な汗をかいた。妙に現実的(リアル)な夢だったし。

 それでも、気分はむしろスッキリしているのは、我らがクリリ────────いや、寺育ちのKさんのおかげか。

 

 そんなことを考えていたら不意にカタカタッと窓が小さく揺れた。

 

 私はそれを何の感慨もなくしばし見つめていたのだけれど、不思議と吸い寄せられるようにフラフラと窓の方に足を運んだ。

 

 同室人(ルームメイト)にまた怒られないよう静かに窓を開けると、フッと風が舞い込んでくる。

 

 風に誘われるように外に顔を出してみれば、窓の下の幕板が一部、剥がれ落ちていた。

 

 

 

 

 ふむ

 

 

 

 

 うちの本拠(ホーム)も年季入ってるからこういうこともあるか。

 

 朝になったらドワーフのおじさん達に相談することにして、私はふたたび寝台にもぐるのであった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 アイズの修業は難航していた。

 

 クリリンによって目覚めつつある『気』の感覚。

 あの舞空術は、アイズにとって劇的な体験であったが、だからといって直ちに『気』を引き出せるようになる筈もなかった。

 とはいえ、あと少しのところまで来ている感覚はある。しかし、手が届きそうで届かない。

 それはまるで、睡余(すいよ)(いま)(がた)まで見ていた夢のことをどうしても思い出せないような、そんな感覚に似ているようにアイズには思えた。

 

 当然アイズは暇さえあれば『気』の修業に没頭した。畑作業の合間の小休憩や、本拠(ホーム)に帰ってから寝るまでのほとんどの時間も捧げた。

 それでも今のところ、これといった成果は上げられていない。

 

「どお?」

 

「…………ん」

 

 後ろから覗き込んでくるティオナに、アイズは頭を振る。

 

「そうカンタンにはいかないか~。あれぞ秘技! ってカンジだもんね。きっとクリリンもたくさん修業したんだよ!」

 

「そう、だね」

 

 腕を回してくるティオナにされるがまま、アイズは彼女の胸に頭を預ける。

 

 直後、揺れた。

 

 ティオナの胸が、では無い。

 畑が歓声で揺れた。

 

「わお! クリリンやるぅ」

 

「!」

 

 大量の荷をくくり付けられた馬。

 その馬ごと持ち上げたクリリンは、どこかへ飛び去っていった。

 

 突っ込みどころは満載であるが、アイズもティオナも農夫たちも、すっかり慣れてしまっていた。

 クリリンが異世界生活をする一方で、彼女たちの日常もまた異常化しているのだが、慣れとはおそろしいものである。

 

「どうですか、修業は?」

 

「あ、おねーさん!」

 

 そこへ婦人が通りがかり、ティオナが人懐こい笑顔を向ける。婦人の抱く第一級冒険者の印象(イメージ)をひっくり返した、満面の笑顔だった。

 そんな婦人の内心をよそに、どこまでも友好的で自然体なティオナはしかし、ちょっと困ったような表情になる。

 

「あまり思う様にいってないのでしょうか?」

 

「そうなんだ~。なかなか難しくって──────」

 

 話の終わりは()から聞こえた。見ればティオナは数(メドル)跳躍していた。

 やはり第一級冒険者は第一級冒険者だった。

 一時は明るく無邪気な少女と思いかけたが気の迷いであったと、婦人は脱力した。

 ちなみに、横で一緒に見上げているアイズはどこ吹く風とばかりの無反応(ノーリアクション)彼女(アイズ)もまたそれぐらい跳べるに違いない。婦人はいっそう気が遠くなった。

 

 たっぷり一秒は跳び上がったティオナだったが、両腕の羽ばたきも虚しく、重力に捕まり落ちてくる。

 ダァンッと、ド派手な着地を決めたティオナは、やはり人好きのする表情で「ぜんぜん飛べないや」と笑う。そんなティオナに婦人もつられて微笑んだ。

 

「そろそろ休憩も終わりかな!」

 

「ええ。ですが、残りの作業はそう多くありません。もうひと踏ん張りですね」

 

「クリリン、すごかった」

 

「だねー」

 

 クリリンの仕事量ときたら、流通破壊を起こしかねない凄絶なものだった。おかげで今日の収穫もすこぶる順調だ。

 しかしここで、ティオナたちの脳裏に疑問が浮かぶ。

 

「クリリンって、いつ修業してるのかな?」

 

「私も、気になる」

 

「それともクリリンは、もう修業してないのかな? あれだけ強いんだし」

 

「そう、なのかな……」

 

 クリリンの働きぶりはそれこそ八面六臂と言うべきもの。とても修業などしている暇があるようには思えない。

 不意に、アイズがハッとした顔付きに変わる。

 

「もしかして、あの畑作業に秘訣があるのかも…………?」

 

 アイズの天然が炸裂した。

 これにはさすがのティオナも目をパチクリさせた後、「え~? まさかぁ」と流そうとする。

 

「そうらしいですよ」

「うそぉ!?」

「!」

 

 婦人の爆弾発言にティオナが噴き出す。アイズの表情は心なしか弛んでいる。彼女なりのドヤ顔らしい。およそ無表情と変わらぬソレをティオナは当然のように気付き、「アイズ、すごいすごい!」と賛辞と共に彼女に抱き付いた。お熱いことである。

 

「それじゃあ【デメテル・ファミリア】のみんなって、実はすっごく強かったり!?」

 

「いえ、そんなことはありません。決して」

 

 婦人はいやに強調する。しかしクリリンが来てからというもの、農夫たちの能力値(ステイタス)が地味に向上しているのは、派閥内では公然の秘密だ。

 

「ん~? なんかわかんなくなっちゃった!」

 

「それでしたら──────」

 

 頭を抱え出したティオナを見て、婦人は提案する。

 

「クリリンさんに頼んで、一緒に働い(修業し)てみては?」

 

 

 

 

 翌日未明

 

「おーし、そろったみたいだな」

 

 クリリンのもとにアイズたち四人が集まった。

 

「修業って聞いたが」

 

 ベートは開口一番、クリリンの横に積まれた木箱の山を見る。

 

「なんだその木箱は。野菜でも入ってんのか?」

 

「そうだ。中身は野菜とか麦とか果物だな」

 

「けっ、なんでそんなもんここに持って来やがった」

 

 ベートが訝しげに木箱を睨む横で、ティオナが破顔した。

 

「わかった! この木箱を使って、ウェイトトレーニングするんだね!?」

 

「ばか、そんなわけないでしょ」

 

「鮮度も落ちりゃ、傷みもすんだろーが。足りねえ頭でも、もちっと回せや」

 

「ティオネもベートもひどい!?」

 

「お前ら朝っぱらから元気だな」

 

 ティオナたちの言い合いにクリリンが呆れる一方、アイズはスススと木箱に寄って思案する。

 

「これ、もしかして誰かに届けるの?」

 

「お」

 

 アイズの答えに、我が意を得たりとクリリンはニヤリとする。

 

「アイズの言う通り、ここにある品は配達用のもんさ。高級食材や希少食材の直売だったり、孤児院への寄付だったりな」

 

「そういえば、デメテル様が野菜配達しているのをちょくちょく街で見かけるわね」

 

 ティオネはうんうんと頷く。

 

「ちっ、野菜配達が修業かよ」

 

 ベートは舌打ちしながらも、木箱の一つを抱える。

 

「これが何の修業になるかわからねーが、やるんならさっさとやるぞ。人通りが少ねえ内にな。ジロジロ見られんのはうざってえ」

 

 そう言ってベートはさっさと歩き出す。

 

「おいおいベート。お前、どこへ行くつもりだ」

 

「あぁ? 市内に戻るに決まってんだろ。それともなんだ、都市(オラリオ)じゃなくて港街(メレン)に持っていく(モン)なのか?」

 

「メレンでもオラリオでもねえよ」

 

 クリリンの言葉に、アイズたちは顔を見合わせる。

 

「もしかして」

 

 アイズが目を見開く。

 

「オラリオの外。言っちまえば、世界中さ」

 

「!!」

 

 いったん静まりかえるが、ベートが呆れたように笑い出す。

 

「世界中だと? クリリン、テメー世界がどんだけ広いと思ってんだよ」

 

「はっはっは。オレがその気になりゃ、走って一時間、飛べば十分もかからねえで一周できるな」

 

「!? テメー自分が何言ってんのか分かってんのか!?」

 

 ついベートの語気は荒くなる。信じられないのも無理からぬこととはいえ、しかしクリリンの言っていることは決して誇張では無い。

 

 今のクリリンならば、片道一,〇〇〇,〇〇〇Kmあると云われる【蛇の道】を、往復数時間で駆け抜けることが可能なのだから。

 

「ま、オレが大ボラ吹いてるかどうかは、すぐに分かるさ」

 

「ちっ」

 

 そこまで言うなら、と通常は信じるところかもしれないが、ベートはとてもそんな気にはならなかった。

 

 世界を一周するのにかかる時間は、単純に計算して飛竜でも三〇日以上。

 

 さらに言えば──────────()()()()()()()()()()記録など、世界のどこを探しても見つかった事例(ためし)は無いのだ。

 

「世界中か~~~! アイズっ、ワクワクするね!」

 

「うん、でも…………」

 

 居てもたってもいられないティオナとは違い、アイズは思案顔だ。

 その理由はティオネが代弁した。

 

「クリリン、それはちょっと問題があるわ。私たちは第一級冒険者で、外出を強く制限されるの。本当ならここにいるのだって、例外中の例外的な措置なのよ」

 

「あ、そっか…………」

 

 ティオネの話を聞いて、ティオナは肩を落とす。しかし、クリリンは平然と言い放った。

 

「なーに、ちょっと出かけるぐらいならバレやしないさ。そもそも、取り締まる側のトップって、あのロイマンだろ?」

 

 ロイマン・マルディール

 

 ギルドの長官(トップ)であり、迷宮都市(オラリオ)の表の顔役として知られるエルフの男だ。

 

「万が一バレて文句言ってきたら()()転がしてやるさ。アイツ、締まりのねえ体型(カラダ)してるから、よく転がるんだぜ」

 

 仮にもオラリオのトップ相手に、ずいぶんな物言いである。

 

 連日ギルドに呼び出されていたクリリンは、当然ロイマンとも見知っていた。

 高圧的な態度のロイマンへの第一印象はすこぶる悪く、会えば皮肉の飛ばし合いになるのは常。取っ組み合いになったことも幾度かあり、その度にロイマンは転がされていた。

 

「そんなこと言ってクリリンさん、ギルド長とはとても仲良しだとデメテル様は仰っていましたよ」

 

 クリリンが悪態をついてると、そこへ婦人が現れた。

 

「仲良くなんかありませんよ。アイツは本当にどうしようもねえんだから。腐れ縁ってヤツです」

 

「ふふふ、そういうことにしておきましょう」

 

 婦人の言葉に、クリリンが苦虫を噛み潰したような顔になる。

 ただ、何度か顔を合わせる内にロイマンを見直すことはあった。

 仮にも勤勉なエルフで、ギルド長を任せられる人物だ。深い教養を感じさせる言動はしばしばあった。

 そして、迷宮都市(オラリオ)の治安維持という職務に関しては人一倍の使命感を持っていることも窺わせた。

 

 デメテルの言う『仲良し』というのも、実は一理ある。

 ロイマンという男は保身を大事にする。

 いくら激昂したからとて、通常は取っ組み合いをする愚行は決して冒さない。

 第一、相手は【都市最強の男】クリリンなのだ。取っ組み合いを仕掛けるなぞ愚行中の愚行だ。

 だからこそデメテルから見れば、立場を越えた、ある意味で対等な付き合いをしているように思えたのだ。

 

 とはいえクリリンからすれば、ロイマンと仲良しなどと言われるのは心外である。

 ロイマンはどうにも、【ミスター・サタン】と重なって見えてしまう。あのハッタリばかりの、ハリボテの世界チャンピオンに。

 サタンが宇宙を救う大きな助けとなり、クリリンが彼を『身内』と見なすようになるのは、もう少し未来(さき)の話だ。

 

「ま、話を戻すとだ、ロイマン言いくるめるぐらいならなんとでも────」

「あの(ブタ)のことなんざ、どうでもいい」

 

 ベートがピシャリと吐き捨てる。

 

「おいおいベート、何も豚呼ばわりしなくても」

 

「豚は豚だろうが。他に言い様がねえ」

 

 さっきまでロイマンに文句を言っていたクリリンが、一転して庇い始める図はなかなか滑稽だった。

 

「まあまあ皆さん、こちらで建前(言い訳)は用意してありますから。それとクリリンさん、今日の配達先です」

 

 どうやら根回しは済んでいるようで、それでティオネたちは納得した。

 クリリンは婦人から手渡された地図(マップ)を見ると、ふむふむと頷く。

 

「よし、ルートは決まった。そんじゃ行くぞ」

 

 クリリンはそう言うと、置いてあった木箱を()()持ち上げた。

 

「あ、あれ? あたしたちの分は?」

 

「今のお前らじゃ、箱の中身めちゃくちゃになるだろ?」

 

「え!? そんなことない、かな……?」

 

「ま、なるでしょうね。特にアンタは」

 

 ティオネに追い打ちをかけられ、「がーん」とティオナはショックを受ける。

 

「その代わり、お前たちにはこれを付けてもらう」

 

「これは、鈴?」

 

「そうだ、ただの鈴。でも無くすなよ?」

 

 目を丸くするアイズたちにクリリンは鈴を渡していく。

 各々が胸や腰に付け、ティオナなどはその場でくるりと回っている。

 透き通った鈴の音が、幾重にも重なった。

 

「いい音……」

 

 アイズが珍しく表情に感情をのせる。

 

「だろう? でもな」

 

 クリリンはアイズにニッと笑って、なんでもないことのように言葉を継いだ。

 

「その鈴をできるだけ鳴らさないことが、課題の一つだ」

 

「……………………へ?」

 

「それが出来なきゃ、木箱の一つも任せられないな」

 

 アイズたちは自分が何を言われたのか数瞬、理解出来なかった。

 

「オイ、クリリン、いくらなんでもそりゃあ」

 

 ベートの歯切れも悪い。

 

「ははは。確かに鈴の課題の前にやんなきゃいけねえ修業は山ほどある。だから、今はオマケみたいに考えとけ」

 

「仕事にならねーじゃねえか」

 

「そういうことだな」

 

「ぐっ……」

 

 ベートたちは言い返せない。確かに今の自分たちの力では、クリリンと同じ働きをするのは不可能だと分かっていたからだ。

 

「ほいじゃ、出発するぞ」

 

 どこまでもいつも通りなクリリンに、アイズたちは表情をこわばらせる。

 

 これから始まるのは、ただの野菜配達では無い。

 

 四人の脳裏は言い知れぬ予感でいっぱいだった。

 

「最初の配達先まで二〇(キルロ)か」

 

「二〇K!?」

 

 ティオナたちはある意味、もうこの時点で置き去りにされていた。

 

「あのクリリンさん、やはり馬車や飛竜はお使いにならないのですよね?」

 

「ははは、それでは修業にならないので」

 

 おずおずと婦人がその場を代表して発言するが、やはり状況は覆らなかった。

 

 誰もが絶句した。

 

 自分たちの中の『常識』が崩れ去っていく。アイズたちはそれを前に、ただただ立ち尽くすだけだった。

 

「最初の配達先までは─────────スキップで」

 

「スキップぅ!?」

 

 修業が、始まる────────! 

 

「よーーーい、どんっ」

 

「ふひゃあ!!?」

 

 爆音と共に、クリリンはあっという間に視界の彼方に消えていく。

 

 スキップスキップ、ランランラン。

 などと思っていた者はいないか? 

 

 在りし日の、まだ少年だった頃のクリリンの面影は、もはや無い。

 

 無理矢理オノマトペで表せば、それは今や

 スkkkkkkkkkkkpppppppppppppppppppp……………………!! 

 と化していた。

 

 神々によって後世に伝わる【レベル99のスキップ】とは、即ちこれを指す。

 

「頭の位置も木箱の位置も動いてない。無駄な動きが一切ない…………!」

 

 不思議とアイズの目は、クリリンの動きを正確に捉えていた。

 超スピードで去ったクリリンの動きが見えたのも、体各部の無駄なぶれが無かったからこそ。

 アイズはその事実に寒気がした。

 

「つか、ボーッとしてる場合じゃねえ!? 追いかけんぞ!!」

 

 ベートの叫びでティオナたちは我に返る。

 

「え、え!? えーと、スキップで!?」

 

「寝ぼけてんのかテメーは!? スキップで追い付けるわけねーだろうがぁ! 走るんだよ全力で!!」

 

「!!」

 

「もう! のっけからハチャメチャね!!」

 

 アイズとティオネも硬直から抜け出し、ベートやティオナと共に全力で駆け出す。鈴の音は絶え間なく鳴り続けた。

 地平線の彼方に向かってぐんぐん小さくなる四人の背を見送りながら、婦人は思う。

 

(クリリンさんにも、こういう日があったのかしら)

 

 そうは思ったものの、婦人にはとてもそんな想像はできなかった。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

「ということはオッタル、久しぶりに『変身』したのね」

 

「はい、フレイヤ様」

 

 摩天楼(バベル)最上階

 

 フレイヤの横に控えるオッタルは恭しく口を開く。そんな【猛者】に、フレイヤは嬉しそうに微笑んだ。

 

「どう? 久しぶりに()()()()()()()()

 

 フレイヤならではの独特な言い回しだった。

 まるであの『怪物』こそが【猛者】の真の姿であり、ここにいるオッタルは、魔法にかかった姿であるとでも言うように。

 

 オッタルのあの姿は、ただの『獣化』では無かった。

 正真正銘の切り札だったのだ。

 

 フレイヤの好奇の視線を受けて、オッタルは紛れもない本心を口にする。

 

「パワーに頼った変身では、とてもあの男には及ばぬと再認識致しました」

 

「あはっ」

 

 オッタルの答えに、フレイヤは思わず噴き出してしまう。

 

「いいわね。とても素敵よ、オッタル」

 

「我が身に余る御言葉です。私は未だ何も成し遂げていません」

 

「いいじゃないの。貴方が強くなる過程をもっと見たいわ」

 

「存分に」

 

 女神の願いを必ずや成就する。

 礼をとるオッタルは、決意を新たにしていた。

 

「それにしても【武天】とは。オッタル、貴方にそんな感性(センス)があったなんて、知らなかったわ」

 

「脳裏に浮かんだ異名(ソレ)を吟じてみたのですが、如何でしょうか」

 

「悪くないわ。でも、そうね───────」

 

 フレイヤは頬に指を当てる。思索に耽る時間はそう長く続かなかった。

 

「────────【()()()()】」

 

 天啓を示すように、フレイヤがその名を詠む。

 とてつもない言霊が宿ったその異名()に、【猛者】は思わず身震いする。

 

「【武天老師】というのはどうかしら、オッタル?」

 

「世にこれ以上の異名(もの)などありましょうか」

 

 感銘を受けて震えるオッタルに、フレイヤは満足げに頷く。

 神会(デナトゥス)での諮問を待つ気は無かった。今ここで、他でもない女神(フレイヤ)が決めた。決して覆ることは無い。

 

 後日、オッタルの口からクリリンたちに伝えられた折、クリリンの顔面が目に見えて蒼白になったことは【猛者】の記憶に刻み込まれることになる。そんなクリリンを見たのは、後にも先にもその時だけだった。

 その時のクリリンはたいそう畏れ多い様子で、授かった異名を神棚に上げて拝む勢いであった。

 オッタルはそれを『尤も至極』と取り分け気にしていなかったが、クリリンがビビっていたのは全く別の理由だったことに結局気付くことは無かった。

 

「ああ、とても気分がいいわ」

 

「お注ぎします」

 

 フレイヤが手に取ったグラスに、オッタルがかの葡萄果汁(グレープジュース)を注いでいく。

 

「いいわねえ、これ。もう下手な葡萄酒(ワイン)は飲めないわ」

 

「お望みであれば、流通ルートを割り出しましょう」

 

「お願いするわ」

 

 フレイヤはグラスを傾けて、揺らめく液面を見つめる。

 

「本当に大した(もの)ね。ねぇ、オッタル。この葡萄で作った本気の葡萄酒(ワイン)はどれほどだと思う?」

 

「恐らく『ソーマの神酒』と同等かと」

 

 オッタルは淀みなく答える。それを聞いたフレイヤはフフと笑みをこぼした。

 

「いい線だわ。でもねオッタル、私の考えでは、これの最高級品は『ソーマの神酒(さけ)』をも超えると思うの」

 

「………………それほどですか」

 

 オッタルの目がわずかに開く。

 

「デメテルってば、いつの間にこれほど力を付けたのかしら。欲しいわね。デメテルもクリリンも、そしてヘスティアも、全て」

 

「フレイヤ様…………」

 

「分かっているわよ。私だってそう簡単に手に入るとは思ってないわ」

 

「いえ、そうでは無く…………豊穣神(デメテル)は何を恐れているのでしょう。クリリンという鬼札(ジョーカー)を持ちながら」

 

「相手が余程厄介なのかしらね?」

 

「そういった事情は考えにくいかと」

 

「オッタルってば、クリリンの強さに絶対の信頼があるのね?」

 

「………………」

 

 黙り込んでしまうオッタルに、「少し、からかい過ぎたわね」と呟いてからフレイヤは表情を整える。

 

 その表情から、オッタルは何か不穏なものを読み取る。胸の(なか)を虫が這いずるような、上手く言葉には出来ないがそんな落ち着かない感覚。

 

「心して聞いて頂戴、オッタル」

 

「はい」

 

「クリリンはもう長くない」

 

「───────」

 

 態度にも表情にも、オッタルに動じた様子は見られない。

 それはフレイヤで無ければ気付けない程の、微かなものだったろう。

 しかし、オッタルの内心は確かに動揺していた。

 

「…………病、でしょうか」

 

「どちらかというと、そっちでしょうね。さっきはああ言ったけれど、クリリンが誰かに殺されるなんてことがあれば、まあ世界も一緒に滅びることになると思うわ」

 

 フレイヤはそう断言し、さらに続ける。

 

「肉体に修復された痕がある。意識してじっくり視なければ分からないほど精巧に復元されているわ。まるで一度、粉々に吹き飛んでしまったかのような痕ね」

 

「……………………!」

 

「もう一つ。魂が穢された痕跡もある。これは【悪魔】の仕業かしらね。よく元に戻ったものだわ」

 

 フレイヤの鋭すぎる精察を聞いて、オッタルはその鉄面皮の下で大きな衝撃を受ける。同時に、クリリンの強さの理由を垣間見たような気がした。

 

「はっきり言うと、今生きているのが奇跡に思えるわ」

 

 肉体から魂に至るまで、刻み込まれた死闘の痕跡(あと)

 普通なら生きてはいられない損傷の筈。

 

 女神(フレイヤ)が驚嘆すべき点は幾つもある。

 クリリンに致命傷を与える相手が、恐らくは複数いたこと。

 そして、それほどの戦いがあったにも関わらず、女神(フレイヤ)が全く気付けなかったこと。世界に死闘の爪痕を、全く残していないこと。

 なにより、クリリンが『人間性』を保持できていること────────

 

 過去に何か、とてつもないことがあったのは疑いようがない。

 しかし、今のクリリンはフレイヤから見ても健康体だ。

 それでも女神(フレイヤ)には視えるのだ。クリリンの運命に立ちはだかる、確かな(かげ)りが。

 それは奇跡の代償か。それとも絶望か──────? 

 

「クリリンに残された時間はあと数年。間違いなく、十年はもたない」

 

 女神フレイヤの預言

 

 重い、重い預言(ことば)だ。

 もとよりオッタルは、敬愛する女神の言葉を疑うはずも無く。

 ただただその重みに、必死に堪えるように目を伏せた。

 

 しばしの沈黙のあと、オッタルは重く閉ざされた口をようやく開いた。

 

「クリリンが、私や【剣姫】を鍛えるのはもしや…………」

 

「そうね。何かを遺したいと、そう思ったのかもしれない。それが例え他所(よそ)の派閥の者だったとしても」

 

「…………………………」

 

 オッタルは窓の外に目を向けた。

 曇り一つ無い巨大な窓硝子(ガラス)に映る都市の全景。

 しかし都市全景(そんなもの)は、オッタルの目に入ってなどいなかった。

【猛者】の視線は、都市の遥か向こうの広野にばかり注がれていた。

 

 

 

 

「で、なんで朝から【剣姫】たちはへばってるわけ?」

 

 四人の第一級冒険者が突っ伏して動かない姿を見て、ルノアは戦慄した。

 

「オレが修業しているのを見たいっつーから、野菜配達に付き合わせたんだけど」

 

「どうやったら修業と野菜配達が結び付くのさ!?」

 

 今にも頭を抱えそうなルノアをクリリンはなだめる。

 気持ちは分からないでもない。クリリンの時は牛乳配達だったが、当初はその意図がまるで分からなかったものだ。

 

「結局クリリンさんは、どこまで野菜配達に行ってきたの?」

 

「【ヒャッホイ】ってとこまで」

 

「【最果ての地(ヒャッホイ)】!? 都市(ここ)とまるっきり反対側にあるっていう伝説の地じゃん!? むしろ実在したの!?」

 

「地図には載ってるじゃないか」

 

「地図の端っこに描かれてるものなんて、眉唾だよ!?」

 

 ルノアは狼狽する。

 ヒャッホイの実在を確認し、さらに生還したなど、それだけで表彰ものだ。

 どうせなら地図職人(マッパー)を何人か連れて行って世界地図を完成させてしまえば、それこそ莫大な財を一瞬で築けるんじゃないかと、ルノアは遠い目になる。

 

 しかしルノアはうっかり見落としていた。

 伝説の【最果ての地(ヒャッホイ)】に、クリリンが野菜を届けた何者かが存在するという事実に。

 

「ま、まあそれじゃあ【剣姫】たちもへばって当然だよね……」

 

 今日の修業はあくまでクリリンや派閥の都合に合わせたもので、決してアイズたち四人の力量にカスタマイズしたものでは無い。

 四人は早々に続行不能(リタイア)し、クリリンが復路で回収した。

 

『以上が()()()修業。続いて、()()修業』

 

 畑に戻ってきてからの第一声。

 クリリンがそう宣言した瞬間、四人はバタンと倒れ伏したのだった。

 

 はぁ~~と、ルノアから深いため息が漏れる。とりあえず四人のことはもういい。

 

「あとさ、クリリンさん……」

 

「ん?」

 

後頭部(アタマ)になんか刺さってるよ」

 

「おっと」

 

 きゅぽん、と音を立ててクリリンは『ソレ』を引っこ抜く。

 クリリンの手に握られているのは『矢』だった。

 つまり、今までクリリンは頭に矢が刺さった状態でルノアと会話していたのである。

 ルノアとしても平常なら「アタマどうしたの」と真っ先に聞くところだが、如何せんルノア視点ではあまりに不可思議な情報が多すぎる場面だった。問答の順序が混乱するのも無理はない。

 

「クリリンさんてば、戦場でも突っ切って来たの?」

 

 自分でもとんでもないことを言ってる自覚は、ルノアにもあった。

 しかし、この男はやりかねない。

 

「いや、女神さまの水浴びを覗いちまってよ。たぶん、その時に飛んできた矢だな」

 

「クリリンさんのすけべ~」

 

「わ、わざとじゃないんだって!」

 

 あたふたと、クリリンは弁解する。それがおかしくてアハハとルノアは笑う。故意(わざと)じゃないというのは分かり切っていた。(やま)しいことがあれば馬鹿正直に「覗いてしまった」などと言うはずは無いし、クリリンが本気で覗こうと思えば、誰にも気付かれずに遂行できるに違いないからだ。

 

「でもその矢、この辺じゃ見かけない細工だね」

 

「ああ。帰りによ、けっこうヤバそうな遺跡を見つけたんだ。オラリオからだと一万(キルロ)以上あんじゃねえかな」

 

「…………」

 

 一万(キルロ)云々はもう突っ込まない。それよりルノアが聞きたいのは。

 

「ヤバそうな遺跡……? 強いモンスターがいるってこと?」

 

「それはよく分かんねえけど、とにかくそこらのやつらじゃ手に負えない強さなのは確かだ。遺跡にも厳重な封印みてえなのがされててさ、まずはその辺にいる人に話でも聞いてみようと思ったんだが」

 

「ああ、それで覗いちゃったわけか」

 

「そ、そういうことだな。まさか水浴びしてるとは思わなくてよ──────」

 

 

 

 

 

 迷宮都市(オラリオ)から遥かに遠く、森深き地に彼女たちは佇んでいた。

 

「な、何者だったんでしょうか、さっきの男は」

 

 長身の女が呆然と呟く。

 

「我々の哨戒網を易々とくぐり抜け、あ、あまつさえ我らが神の沐浴を…………!」

 

「言うな」

 

 横にいた女神が眉間を押さえる。

 

「私とて、ああまで接近を許してようやく気が付いた」

 

 遺憾に堪えぬ面持ちで女神は言う。そこへ、些か状況にそぐわぬ能天気な声が響いた。

 

「でも凄いよね。私たちに追われながら、片手間にモンスターを退治していくなんて!」

 

「あれは退治してたというべきだろうか……」

 

 神聖な沐浴の場を侵した農夫の男。

 

 全戦力をあげての追跡は、しかし簡単に振り切られた。

 

 それだけではない。

 騒ぎを聞き付け、興奮したモンスターたちが男の進路に侵入したのだ。

 不測の事態に彼女たちが焦るより先に、モンスターたちは一体残らず消し飛んだ。

 男はただ、何もない真っ平らな道を駆け抜けるかのようだった。

 ただ駆け抜けただけ。その余波に巻き込まれただけで、十体を超えるモンスターたちはこの世から消え失せた。

 とても戦闘とは言えなかった。まともな戦闘になりようがない圧倒的な実力差。怪物(モンスター)たちは骸を晒すことすら許されなかった。

 それを目の当たりにした彼女たちの追跡の足は鈍った。

 追い付けるはずが無い。

 追い付いたところで、何が出来るというのか。

 

 唯一、女神の放った矢だけが文字通り一矢報いた。

 男の、満月を思わせる後頭部に命中させてしまった時には、さすがの女神も『すわ、やり過ぎたか』と焦ったが、そこには元気に走り続ける農夫の姿が。

 女神もこの時ばかりは開いた口が塞がらなかったという。

 

「あの男、去り際に妙なことを口走っていました。『()()()()にいる存在(もの)は何だ』と」

 

「………………」

 

「いかがしましょう、()()()()()()

 

 月の女神・アルテミスは顧みる。

 

 麦と阿片(ケシ)の花を象った団章。男の服の裾に縫い付けられたソレを思い出す。

 

(デメテルの子だったか)

 

 まさかこんな辺境に彼女の子がいるとは思わなかったが、それならああまで苛烈な対応をしなくてもよかったかと、アルテミスは思いつつ。

 

「遺跡の件は私が対処する。おまえたちは手を出すな。()()()()()()決して」

 

「──────────!?」

 

 女神(アルテミス)が厳命を下す。いつにも増して峻厳な気を放つ女神に、眷族たちはただ頷くしかなかった。

 

 遺跡の奥にひそむ悪意は日に日に増大していた。

 

 月が欠け、絶望の夜が下りるまで、残された時間は幾許も無かった。


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