地球人最強の男、オラリオにて農夫となる   作:水戸のオッサン

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其ノ七 人外

 

 広大な丘陵に真新しい(わだち)が引かれていた。

 

 ここは市壁の外、【デメテル・ファミリア】の農地を眼下に見る小高い丘の上である。

 

 レフィーヤ達は轍の先にいるであろうアイズを追って、なだらかな起伏が連なる丘を駆けていく。

 

 アイズの『風』は丘の下にいた時から感じていた。

 レフィーヤは困惑する。

 迷宮の外でアイズが『(エアリアル)』を使うことなど自分が知る限りかつて無かった。

 地上のモンスターや獣程度に使うような技ではないのだ。

 訓練や調整だとしても地上でやる意義は無い。迷宮上層のルームあたりでやるのが普通だ。

 しかも状況をみるに、全力に近いとばし方である。地上でアイズが全力を出すほどの相手はごく限られるが───

 

「そんなのクリリンに決まってるじゃないの」

 

「で、ですよねー」

 

 ティオネは断言し、レフィーヤも同調する。ここは【デメテル・ファミリア】の農地にほど近い。それも含めて、ティオネの言葉を否定できる材料は無かった。

 

 クリリンに関する情報は、一部ではあるがレフィーヤも共有している。

 

 オラリオに彗星のごとく現れた新たな王者

 現・都市最強

【デメテル・ファミリア】農夫クリリン

 

 レベル1が、当時レベル7だったオッタルを倒すという空前絶後の大事件。その立役者たる男がクリリンである。

 

 立ち込める砂ぼこりを振り払いつつ、轍に沿って進む。俊足のベートとは既に離されていた。一方、ティオネとティオナはレフィーヤの足に合わせてくれている。

 

 途中、同じように轍の先に進む馬と【デメテル・ファミリア】の団員らしき女たちに並ぶ。

 丘に向かう折、この巨大な馬の影に驚いてレフィーヤは声を詰まらせたが、ティオネによれば敵意はもう無いとのことだった。

 

「こんにちは!お邪魔してます」

 

 レフィーヤはスピードを緩め二人に声をかける。

 ティオネとティオナもそれぞれ一言声をかけ、三人は再び速度を上げる。

 

「でもさー、レフィーヤがすごい顔で外に出てったときはビックリしたよー」

 

 ティオナは、アイズを追って館を飛び出したときのレフィーヤの表情を思い出してニコッと笑う。

 

「あ、あのときのアイズさん、本当にただならない様子でしたから」

 

 レフィーヤは赤面する。

 それでも自身の行動になんら恥ずべきことはない。

 あのときのアイズは何か様子が変だった。

 ここで引き留めなければ二度と帰って来ないような、そんな不安をレフィーヤは抱いた。

 気が付けば館を出て駆けていた。平常のレフィーヤらしからぬ行動力だった。どうしても勇気が出ずに踏み出せなかった一歩も、一度越えてしまえばなんということもなかった。

 清々しい気分だった。その勢いのままいざ往かんとして前を見れば、アイズの姿はどこにも無かった。

 出だしから途方に暮れて気分は一転、泣きそうになるレフィーヤの後方から飛び出したのが、ベートとティオネ、ティオナだった。

 

 

「あたしもさ、アイズの様子は気になってたんだー。昨日クリリンの話をみんなで聞いてた時からなんかおかしかったし」

 

 今日はずっと見張ってたんだぁ、とティオナは言う。

 

「私もね。アイズが早まらないか見てたのよ。アイズが出ていった時に真っ先に動いたのがレフィーヤだったのは驚いたわ。正直、レフィーヤは普段オドオドあわあわしている印象が強かったから」

 

 ごめんね、とティオネはウィンクしつつ詫びる。

 レフィーヤに不満はない。むしろその通りだとレフィーヤ自身も認めていた。

 

 ここにきてレフィーヤはふと気付く。

【ロキ・ファミリア】の第一線で活躍するティオネやティオナと、レフィーヤはいま並んで走っているのだ。

 夢みたいな気分だった。迷宮最奥への遠征でも、第二線のレフィーヤが彼女たちと肩を並べて戦うことは無い。後方支援に回るレフィーヤは、最前線よりずっと後ろで彼女たちの背中に守られるばかりだった。

 ここは迷宮の奥でも無ければ、レフィーヤの実力がアイズたちに追い付いたわけでもない。

 しかしアイズを追いかけ、二人と並んで走っている事実に気付いて恐縮やら嬉しさやらで、こそばゆい気持ちになるのであった。

 

 レフィーヤたちの視覚が二つの人影を捉えた。手前にアイズ、奥にもう一人。

 

 一見アイズが相手を押し込んでいる。ただ、よく見ればアイズの両肩は激しく上下し、呼吸が荒い。

 レフィーヤからはアイズの表情は窺えない。それでも追い詰められているのはおそらくアイズの方だ。

 

「さてと、アイズを止めなきゃね」

 

 そう言ったティオネの表情が直後に固まる。

 

 前方を走っていたベートがアイズの奥にいる農夫に飛び蹴りを放ったのだ。

 

凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ

 

 その足は【ロキ・ファミリア】最速。

 

 ベートの動きはレフィーヤは当然ながら、ティオネやティオナですら目で追いきれない。

 

「え、あれ、ベートさん、も、もしかして……?」

 

「あー、やっちゃったねー」

 

 レフィーヤが困惑する一方で、ティオナは状況を案じつつも何処か気楽に構えている。

 

 レフィーヤたち三人もようやくアイズに追い付いた。

 

 ティオネは青筋を立てながらも、表面上はにこやかにアイズと、そしてクリリンに声をかけた。

 

 

 ◆

 

 

「今のは」

 

「ヒリュテ姉妹でしたね!」

 

 クリリンたちを追う婦人たちを凄まじい速度で追い抜いていったのは、【ロキ・ファミリア】の若き精鋭たち。

 

 二人に声をかけて先に進んだのは、世界でも有名すぎるアマゾネスの姉妹

 姉の【怒蛇(ヨルムガンド)】に、妹の【大切断(アマゾン)

 

 二つ名からして威圧感のある双子の姉妹は、戦闘種族(アマゾネス)にあってトップクラスの戦闘力を誇り、揃って【ロキ・ファミリア】の幹部に名を連ねる。

 

 ヒューマンである婦人や少女とは住む世界が違いすぎる。オッタルやフィン、そしてアイズもそうだが、二人にとって交わることなど一生無いと思っていた者たちだ。

 

 

「あのエルフの子は?」

 

 そのヒリュテ姉妹を先導していたのは、彼女たちの傍にいるにはあまりに儚い印象の少女だった。

 

「【千の妖精(サウザンド・エルフ)】レフィーヤ・ウィリディスさんですよ。もう少ししたらきっとブレイクする方です」

 

 詳しいのね、と婦人は時流をしっかりと追っている少女に感心する。

 

「……少しことが大きくなってきましたね。団長に報告しておきましょうか。頼めますか」

 

「はい、お姉さま。任されました」

 

 そう言うと少女は手帳を取り出して要旨を書き記し、口笛を吹いて馴染みの鳥を呼び寄せる。

 

 ──これを本拠(ホーム)の団長まで。お願いしますね。

 

 少女は伝言を記したページを破り、鳥の足にくくりつけて送り出す。

 

 婦人たちを庇うように進む馬の歩みがしだいに緩んでいく。

 土煙が晴れた先に見ゆるは、クリリンと【ロキ・ファミリア】の勇士たち。

 

 いずれもこの先、歴史に大きな爪痕を残し、未来永劫語り継がれるであろう存在。

 

 これから起こることは、物語の大きな転換点になる。

 確信に近い印象をもって、婦人はそう思った。

 

 

 ◆◆

 

 

 畑を望む草原にドワーフの男が二人、切り株に腰かけて旧交を温めていた。

 

 それをアキは近くの木陰から見守る。

 傾きかけた日に照らされて、目に映る世界は刻一刻と黄金色に染まっていく。

 

 ドワーフの一人は【デメテル・ファミリア】の農夫。その横顔に謹厳実直な人柄がにじみ出ている。

 きっと長年、【デメテル・ファミリア】を支えてきたのであろう。

 

 そのドワーフの老人と隣り合うのは、【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック

 

【ロキ・ファミリア】の立ち上げメンバーの一人であり、アキが生まれる前から勇壮で知られた戦士である。

 

 

 激動の時代を生き抜いてきた男たち。

【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の崩壊

 血で血を洗う、凄惨な勢力争い

 加えて闇派閥(イヴィルス)の暴走と破滅

 

 アキが知っているだけでもこれだけのことがあった。

 

 年功を積んだ二人の背中は大きい。

 この広大で穏やかな畑を前に、二人の旧人(ふるびと)が静かに語る光景は、アキの心に沁み入るものがあった。

 

 

「おぬしらの畑は、いつ見ても実りが多いの」

 

 ガレスが旧友に問う。

 事実、主要農産物は一年を通してオラリオの市場から絶えることは無い。

 オラリオ周辺には四季があるにも関わらず、だ。

 

「品種改良ですよ。同じ作物であっても、時期によって獲れる品種は違うのです」

 

 粗野で知られるドワーフとしては珍しく、農夫は丁寧な言葉で話す。

 

「ふぅむ、それで夏が旬のものが冬も食べられる、というわけじゃな」

 

「ええ、他国ならば農業系の組合があって、地域ごとにローテーションで出荷するのですが、オラリオではそれなりの規模で農業をするのがうちしかないもので」

 

【デメテル・ファミリア】の事業規模は世界でも随一である。しかしそれは望んで得た立場では無かった。派閥結成当初は趣味としての農業であり自家向けの生産が主であったが、周囲の派閥の撤退、あるいは遊牧民族や騎馬民族の侵略によって農業系派閥が大きく数を減らす中、産業構造が変化した社会は【デメテル・ファミリア】に食糧生産を依存するようになっていく。

 

 農業とは自然界との対話であり、また闘争でもある。

 自然界は厳しい。

 それでも自分たちが破綻すれば派閥だけでなく社会が飢える。

 自然界と社会との板挟みになりながらも【デメテル・ファミリア】はその使命を全うしてきた。

 

 魔石産業で潤うオラリオの人口は増え続け、それに伴い今も【デメテル・ファミリア】の農地と事業規模は拡大し続けている。()変われば品変わる。農産物なら尚のことだ。【デメテル・ファミリア】の模索と知見の集積は終わらない。

 

 ──ホンマ大したもんやで、デメテルんとこは

 

 ロキはあのとき心の底から称賛したのだ。

 

 

「ロキ様は息災で?」

 

「相変わらずじゃよ。全く、少しはそちらの大女神を見ならって慎みを持ってもらいたいもんじゃ」

 

 ロキの姿を心に浮かべ、ガレスは苦い顔になる。

 

神子(おやこ)仲睦まじいようで、何よりです」

 

「まあ、呑み競べの相手としちゃあ悪くないがの」

 

 

 風が畑を吹き渡っていく。

 

「ガレス、多忙な君とこうしてゆっくり話を出来るのも、クリリンさんのおかげかな」

 

「ばれておったか。昨日の今日だからのう、時機からいって隠し通せるとも思わんかったが」

 

「後ろのお嬢さんは【貴猫(アルシャー)】でしょう。あなたがたが市外に出るには根回しが必要でしょうから」

 

 不意に自分の名が出て、アキの肩が揺れる。それを後目(しりめ)に農夫はアキに会釈する。

 

 都市内の派閥である【デメテル・ファミリア】の畑とはいえ、ここは市外である。この畑に辿り着くにはギルドの許可が必要になる。前日は多くの冒険者が畑に駆け付けたが、あれは緊急事態ゆえの例外措置だ。

 

「わはは、根回しなどとそんな大層なものではないわ。なに、ギルドや【ガネーシャ・ファミリア】ばかりが情報を独占するのかと、うちの(もん)が文句を付けただけじゃよ」

 

 オラリオはその保有する戦力の流出を阻止するために、上級冒険者の外出を厳しく制限する。制限は冒険者の実力が高いほど強く、平常なら【重傑】や【貴猫】の外出許可はまず下りない。とはいえそれは公的な許可の話であって、抜け道や裏道のたぐいはあるのだが。

 それにしても文句を言ってどうにかしてしまうあたり、【ロキ・ファミリア】の力も出鱈目だ。

 

「しておぬしから見てどうじゃ、クリリンという男は」

 

 ガレスは直截(ちょくせつ)に問う。

 

「私はクリリンさんとの付き合いはまだ浅いのですが、そうですな……」

 

 少し考えてから農夫は言葉を継ぐ。

 

「神様みたいな人間、といったところですかな」

 

「むう!?」

 

 これにはガレスも、そしてアキも呆気にとられる。

 それを受けて農夫は静かに笑う。

 

「言葉足らずで申し訳ないですな。これでは神なのか人なのかわかりません。しかし私がクリリンさんに抱いた印象はこのようなものです」

 

「う~む、お互い仮初めの姿とはいえ真の神を知る身。それでも彼の男は神に見えたか」

 

「苦労してこられたのでしょう。万物(もの)の捉え方が私のような者とはまるで違う気がします。一度、彼の後ろに立ったことがありますが、背中から見つめ返されたように感じましたよ」

 

 なにそれこわい、とアキは内心そう思う。

 

「ふうむ」

 

 ガレスは考え込みそうになるも、すぐに顔を上げる。

 

「うむ、ついつい話し込んでしまったの。どうじゃ、このあと呑みにでも行かんか」

 

 農夫の返す言葉は、突如丘の方から吹いた風にかき消される。

 驚く農夫の横で、ガレスとアキは遠い目になる。

 

「……ただの風ではありませんね。魔力の気配がします。これは一体……?」

 

「あーすまん、呑みに行くのはまたにしようかの。この風はよう知っとるもんでな」

 

「それは構いませんが」

 

 農夫の言葉が終わらぬ内に、丘の向こうで竜巻が起こる。竜巻は上空まで達し雲をも巻き込んで、猛烈な速度で丘を薙ぐ。およそ天変地異だった。

 

「ニ"ャッ!?」

 

 衝撃のあまり思わず地が出たアキは、ハッとしてコホンと咳払いする。

 あれは自然現象の竜巻ではない。農夫の言う通り魔力によって引き起こされた現象だ。

 アキもガレスも、あの竜巻の中心にいるであろう人物にすごく心当たりがある。

 こんなところで試し打ちもあるまい。彼女があの技を向けるほどの相手も自ずと絞られる、というかアキの中ではほとんど答えは出ていた。

 

「派手にやっとるの。では儂らはあの丘に向かうとするか」

 

 ガレスは農夫に暇を乞い、アキと共にこの場を離れる。

 農夫は二人の背中を見送りながら静かに微笑んだ。

 

「ふふ、これはクリリンさんがまた何かを惹き付けたのですかな」

 

 世界の中心オラリオ

 

 オラリオの熱狂をいつも離れた場所から見てきた農夫は、クリリンが来てから此方(こっち)重心がずれて世界が傾いているような、そんな心象を描くのだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「アーイズッ!」

 

「あう」

 

 ティオナがアイズの背中におぶさる。が、消耗しているアイズは耐えきれず二人して地面に倒れこむ。

 

「ご、ごめんねアイズ。だいじょーぶ?」

 

 ティオナはぴょいっとアイズの背から跳び退いて助け起こす。

 ティオナの手をとって身を起こしたアイズは、背後から怒気を感じて背筋が伸びる。

 アイズは無表情のまま顔色だけがサーッと青白くなる。

 

「アイズ」

 

 そんなアイズの顔を後ろから回り込むようにして覗く彼女は

 

 

 まさしく【怒蛇(ヘビ)】だった。

 

 

 一目ではニコニコしているが目は笑っていない。怒っているときの団長(フィン)にそっくりだ。黒く艶やかな髪があるはずのティオネの頭部に、アイズは無数の蛇を幻視した。

 

 遠い目をしながらフルフル震え始めるアイズを見て、ティオネはため息をつく。

 

(表情が明るくなってるわね)

 

 アイズの目元や口元の微かな弛みからティオネはそう判断する。

 

「こら」

 

「きゃん」

 

 ティオネにこづかれてアイズは小さく悲鳴を上げる。

 

「団長と約束したでしょ?がまんできなかったの?」

 

「ごめん。でもクリリンは戦ってもいいって、落とし物を一緒に探してくれるって言ってくれた」

 

「うん?」

 

 嬉しそうにそう言うアイズに、ティオネは首をかしげる。

 アイズの言葉を斟酌(しんしゃく)して何があったか推し量る。どうやらアイズがクリリンと交わした約束は団長(フィン)の目論みであるクリリンとの友好関係の構築、その先にある技術の協力を受けるという点について決してデメリットではなさそうだ。

 

 ティオネはちらりとクリリンの方を見ると、満面の笑顔をしたティオナがクリリンの手をとってぶんぶんと勢いよく上下に振っている。

 おい、バカ妹。とティオネは内心毒を吐く。あれは笑えない。クリリンじゃなかったら肩ごと腕が引っこ抜ける勢いだ。まあクリリンはさすがというか、びくともしていないが。

 逸れた思考を戻しクリリンを窺う。ティオナの距離の詰め方に多少戸惑っているようではあるが、特にこちらに不快感や不満がある様子はない。

 

(口約束とはいえ、団長を通さず他派閥の大物と約束を交わしてしまったのは問題だけど、手ぶらで帰るよりはマシ、かしら)

 

 ティオネはとりあえずアイズの件に関してはそう結論した。

 残る問題は一つ。

 

 

「おい、クソ狼」

 

 アイズに向けたものとは比較にならないほど冷えきった目で狼人(ウェアウルフ)の青年を睨み付ける。

 

「団長の話聞いてただろ。いきなり蹴り入れやがって。バカかてめえは」

 

 怒りのあまりティオネの口調が素になる。

 

「バカはてめーだ。仲間が戦ってんだ、加勢するに決まってんだろ」

 

 ベートは尊大な態度でティオネを見下ろす。

 

「状況みて行動しろっつってんだよ」

 

「状況だぁ?目ぇ腐ってんのかクソ女」

 

 ベートはわざとらしく辺りを見回す。

 ようやく土煙が晴れて、まるで巨人が引きずられたかのような跡があらわになる。

 凄まじい戦闘の跡だった。地上の猛獣が百体集まって暴れたとしても、こうまでひどくはなるまい。

 

「アイズが『風』全開でぶつかるほどの()()()()()がまだ立ってやがった。予断なんざ許される状況じゃねえ。追撃は当然だろ?」

 

 ベートは自身の行動の合理性を主張する。

 もちろんベートはアイズの相手がクリリンであろうことはおおよそ推測できていた。それでも絶対にそうだと言い切れなかったのは確かであるし、極限の状況では一瞬の躊躇が命取りになるのは間違いない。

 そもそもベートは、ティオネとは違いクリリンと面識が無かった。

 

「ほざくな、クソ狼。畑に足を向けた時点で相手が誰なのかは予測ついただろうが」

 

 何もわからぬ状況ならばベートの言い分も理はある。しかし、それをこの場に持ち出すのは屁理屈であるとティオネは断罪する。

 

「状況だの予測だの、戦闘狂がフィンの真似事かよ?」

 

 その暴言にティオネの目が見開かれる。瞳は既に光を失っていた。

 

「でかいクチ叩いて、やった攻撃があのナマクラか?」

 

 今度はベートが怒りに燃える。鼻にしわが寄り、尾の毛が逆立つ。

 

 二人のレベル5が黙る。

 緊張が高まっていく。

 少し離れた木立から、鳥たちが我先にと飛び立っていく。

 

 

「なんだ、どうしたんだあいつら」

 

 ティオナに両手を握られたまま、クリリンは呟く。

 どうも自分に攻撃した彼をティオネが咎めているようだが、少々行き過ぎではないだろうか。誤解されうる状況であったし、彼の行動はやむを得ないものだったであろう。同胞や畑に被害が出ればまた別の話であるがそんなこともないので、現状クリリンは気にしていなかった。

 

 ちなみにクリリンがティオナを前に昨日ほど驚かなかったのは、ティオネに比べて起伏が控え目であったからだ。賢明なクリリンはもちろん、そんな思いを(おもて)には出さなかったが。

 

「あーごめんね?あいつベートっていうんだけど性格があんなだからさ、あたしやティオネとはよくぶつかるんだ」

 

「別にいいけどよ。ティオネってあんな感じだったか?昨日会った時はしおらしかったけど」

 

「ぶふっ!?」

 

 クリリンの言葉にティオナは吹き出す。

 

「あははっ!クリリン、ティオネは今の方が素だよ。しおらしかったのはクリリンが強くてビックリしたのと、フィンの傍にいたからだと思うよ!」

 

 そう言ってティオナは笑う。クリリンもティオナも、怒れる二人を前にして余裕の振る舞いだった。ティオナの横にいるアイズもオロオロしてはいるものの、ベートらに対して恐怖は無い。

 

 

(こ、怖い……)

 

 一方、ガクガク震えているのはレフィーヤだった。

 レフィーヤがいるのはクリリンたちから数歩下がった位置だ。

 レフィーヤであるが、ここまで来たはいいもののアイズに話しかけるのはティオナに先を越され、だんだん冷静になってくると自分は場違いに思って一人で勝手にいじけ始め、そうこうしている内に雲行きが怪しくなり──

 

 今、レフィーヤの視線の先には、猛り狂う二体の怪物がいた。

 冷や汗ダッラダラである。

 あの怪物たちの至近距離にいる三人は顔色を変えずにおしゃべりしている。一体どういう神経しているのか。ますます自分が場違いに感じるレフィーヤであった。

 

 レフィーヤの傍には【デメテル・ファミリア】の女たちがいる。

 この場で最も安らげるのは彼女たちのところだ。エプロンドレスが可愛いというのもレフィーヤ的にポイントが高い。

 尚、守護神のごとく彼女らの後方に立ち、重厚な存在感を放つ馬については見ないフリをする。

 

「大丈夫ですか?【千の妖精(サウザンド・エルフ)】さん」

 

 三つ編みの少女が遠慮がちにハンカチを差し出してくる。レフィーヤがエルフだからだろう、距離をはかりながら接してくる。それでもこちらを気遣うあたり、少女の人の良さが感じられた。

 

「レフィーヤでいいですよ。ありがとうございます、ハンカチお借りしますね。洗ってお返ししますから」

 

 他の種族を遠ざけがちなエルフであるが、そんなエルフばかりではないと言わんばかりにレフィーヤは笑顔を向ける。

 

(あ……このハンカチ、花の匂いがする)

 

 森の子であるレフィーヤの心が花の香りに安らいでいく。気分も落ち着いてきた。周囲を見渡す余裕が出来たところで、婦人が目に入る。

 

「えーと、そちらの方は大丈夫なんでしょうか」

 

 

 この場にいるもう一人の【デメテル・ファミリア】団員。ベートと同年代であろう婦人は──

 

 

 石化していた。

 

「お姉様ですか。魂が抜けかけていますね」

 

「大丈夫なんですか!?」

 

 レフィーヤはぐるりと首を回して少女に問う。

 

「【凶狼(ヴァナルガンド)】さんと【怒蛇(ヨルムガンド)】さんの気に当てられたのでしょう」

 

「ああ……なんというかすいません」

 

「お姉様は薄幸の美女。これまでに何度も死にかけましたし、逆境に何度も心を折られてきました。臆病ですし突発的なことには弱い。ですが」

 

「……」

 

 芝居がかった口調になる少女だが、レフィーヤはじっと次の言葉を待っていた。

 

「お姉様は何度でも蘇る」

 

 レフィーヤはあらためて婦人を見る。少女が言う通り、だんだんと顔色が戻ってきている。

 

「お姉様は何度も屈します。そしてその度に立ち上がります。そんなしなやかな強さを秘めた人なのです」

 

「すごい人、なんですね」

 

 婦人に魂が戻り始める。復活の時は近い。

 

「それはそうとレフィーヤさん、サインもらえますか」

 

「この状況で!?お姉様の扱いが雑では!?まあいいですけど!私でよければいくらでもサインしますけども!!」

 

 少女の手帳にレフィーヤは豪快にサインする。やけくそである。

 やけくそついでに、レフィーヤは少女に聞いてみた。

 

「……でもなんで私なんですか?ここにはアイズさんや他にもすごい人達がいるのに」

 

「え、あの方たちの凄さは頭おかしいレベルですし」

 

「言い方!?」

 

 レフィーヤが突っ込むも、事実なだけにいまいち切れ味が鈍い。

 

「レフィーヤさんだって私からすればすごい冒険者なんですけど、等身大なんですよね。泣いて笑って悩んで足掻いて。普通の女の子のような感じがして親近感が湧いてしまって」

 

「えぇと、うぅ~そんなこと言われたの初めてですよう」

 

 嬉しいやら照れるやらで、レフィーヤはくねくねと体をよじる。しかし、レフィーヤは気付く。

 

「………あの、泣いて笑ってとおっしゃいましたが」

 

「ええ、よく街中で【剣姫】さんに熱い視線を」「あああああああ……!!」

 

 レフィーヤは羞恥に沈み、四つん這いになって大地に何度も拳を叩きつける。

 

「ああ、そういうところも親近感が湧きますね」

 

「だまらっしゃい!!」

 

 がばっと頭を上げてレフィーヤは叫ぶ。羞恥が振り切って口調がおかしくなっている。

 

「レフィーヤさん、かわいい」

 

「く、くそう」

 

 レフィーヤは少女に振り回されていた。ほぼ自滅であったが。

 少女がレフィーヤに手を差し伸べる。

 

「レフィーヤさん、お願いがあります」

 

「………なんですか?」

 

 レフィーヤはぶすっとしながら、潤んだ目で少女の手を見つめる。

 

「【剣姫】さんと協力してこの場を収めてほしいのです」

 

「え?」

 

「私のようなかよわい農夫には、これ以上ギスギスした空気は耐えられなくて」

 

「あなた!どの口が言いますか!?」

 

 ほうっと悩ましげにため息をつく少女に、レフィーヤは全力で抗議する。

 

「ですから、【剣姫】さんと協力してあのお二人を止めてほしいのです」

 

「な、なぜアイズさんと私が」

 

「私の情報ですと、【凶狼(ヴァナルガンド)】さんは【剣姫】さんに弱いのです。レフィーヤさんも覚えはありませんか?」

 

「あなた、本当に何者なんですか!?」

 

 動物と心を通わせる少女の情報網はなかなかに広い。

 

「この場は【凶狼】さんを引かせれば収まる可能性が高いです。しかし対人能力(コミュニケーション)が絶望的な【剣姫】さん一人ではとても無理です。そこで!出番です、レフィーヤさん!」

 

「あなた、容赦ないですねえ!?」

 

「いいですかレフィーヤさん。事態は一刻を争います。今はクリリン兄さまも他派閥のことだからと様子を見てますが、いざ動き出せば誰にも止められません。この丘が平地になることだって十分ありえますよ」

 

「それは言い過ぎぃ!」

 

 言い過ぎでも無かった。

 

「レフィーヤさんは誰かのためなら勇気を出せる人です。さあ、私たちを助けると思って」

 

「……もうっ。はいはいわかりましたよ、行ってきますよ!」

 

 ずっと差し伸べられていた手をとって、レフィーヤはようやく立ち上がる。レフィーヤは気付いていた。この少女が前に進む「理由」を作ってくれたことを。

 

(ありがとうございます)

 

 心の中で少女に礼を言うと、前方を見据えてズンズンと大股で歩く。

 

「アイズさん!」

 

「!レフィーヤ」

 

 名前覚えててくれた!と有頂天になりそうなのをレフィーヤは必死で堪える。

 

「ティオネさんとベートさんを止めます。手伝ってもらえませんか!?」

 

「うん、わかった」

 

 レフィーヤの勢いに気圧されながらもアイズはしっかりと頷く。

 

「ちょっとーあたしも仲間に入れてよー」

 

 ティオナが慌ててレフィーヤに加勢する。

 

「というわけでクリリンさん、ちょっと行ってきます!あ、私はレフィーヤといいます。以後、お見知りおきを!」

 

「お、おう。まあ頑張ってな」

 

 気合が入ったレフィーヤを前に、さすがのクリリンも少したじろいだ。

 

 アイズとティオナを味方に付け、レフィーヤはベート達の方を向く。

 蛇と狼が凄い形相で睨み合っている。こんな険悪な空気でよく場がもったものだ。

 

「お二人とも!今は喧嘩をやめてください!」

 

 レフィーヤは腹から声を出す。

 

「レフィーヤ?」

 

 ティオネは呆気にとられる。この状況に割って入ってくるのがレフィーヤだとは思わなかった。今日のレフィーヤには驚かされるばかりだ。

 

 一方、ベートは───

 

 

「誰に口きいてんだ、ノロマ」

 

「うっ!?」

 

 ベートは鋭い目でレフィーヤを見下ろす。その眼光を受けただけでレフィーヤは全身がこわばる。言葉に詰まる。

 理由をもらって勇気をふりしぼって前に進んだはずだった。

 

 しかしその先で待ち受けていたのは、()()だった。

 

 レフィーヤは改めて思い知る。次元が違う。目の前の存在を御するなど不可能だ。

 

 一瞬で気勢を()がれ恐怖に震えるレフィーヤをベートは嗤う。

 

「ざまあねえ。ノロマがノロマのまま───雑魚のままこっちに来るんじゃねえ」

 

「────ッ!」

 

 突き付けられた現実に、レフィーヤの表情が歪む。

 場違いだと何度も自分に言い聞かせていた。それでも今日の自分は浮かれていた。身の程を弁えず彼らの領分へ立ち入った結果がこれだ。

 夢から覚めた。レフィーヤは自分がひどく恥ずかしかった。

 

 涙ぐむレフィーヤの傍で怒りに燃えるのはティオナとティオネだ。そして平常、感情の起伏に乏しいアイズまでもが眉をひそめている。

 

 空気は決裂した。

 

 

 これはもうダメかもしれないと、いよいよクリリンが思い始めた時だった。

 

 

 

「そこまでだ、おまえたち」

 

「───!?」

 

 レフィーヤの背後に、エルフの貴人が(そび)え立っていた。

 王の血を継ぎ、種族の、世界の頂点に君臨するその者の名は

 

 

 

 リヴェリア・リヨス・アールヴ

 

 

 

「リヴェリア!?いつからいたのよ!」

「チッ……いたのかババア」

 

 突如現れたリヴェリアにティオネは目を丸くし、ベートは悪態を吐く。

 

(うへえ、()()()すっげえ美人じゃねえか)

 

 誰にも気取られず姿を現したリヴェリアに、唯一クリリンはその存在に気付いていた。

 丘の起伏の影に潜んでいた存在が、しかしこれほどまでに美しいとはクリリンも思わなかった。

 アイズたち【ロキ・ファミリア】、そして【デメテル・ファミリア】の女たち。美女と美少女しかいないこの場にあって、リヴェリアの美しさは際立っていた。その美しさはどんなに言葉を尽くしても、到底語れるものでは無い。

 

 そのリヴェリアを畏れ多くもババア呼ばわりしたベートの脳天に、彼女の杖が振り下ろされる。

 

「痛ってぇ!?」

 

 涙目のベートが鋭く睨むも、さすがにリヴェリア相手では分が悪かった。目が潤んでいるせいで多少は鈍くなっているが、それでもレフィーヤには刺激の強い眼光だ。しかしリヴェリアはそれを軽く受け流すどころか、逆に睥睨する。

 

 

「───ずいぶんと恥を晒してくれたものだ」

 

 リヴェリアの怒気が場を支配する。ベートもティオネもアイズも、【ロキ・ファミリア】全員が押し黙る。

 

「ベート、おまえはただクリリン相手に力を試したかっただけだろう」

 

「けっ」

 

 リヴェリアの言葉に、ベートはそっぽを向くだけだった。

 

 

「なあ、あいつやっぱり偉いやつなのか?」

 

 クリリンは馬の所に行き、少女に尋ねる。

 

「それはもう!【ロキ・ファミリア】の副団長さんですから!ああ、まさかこんなに近くでご尊顔を拝することができるなんて」

 

 うっとりする少女に、クリリンと婦人は苦笑する。次々と現れる大物に、はしゃぎっぱなしの少女である。

 

「えーと、ちょっと見ない間にずいぶんやつれましたね」

 

 クリリンは婦人を気遣う。度重なる心労で婦人はすっかり痩せこけていた。

 

 しかし、婦人の心労はまだ終わらない。

 

「まだ二人、大きめの気配を持った奴らがこっちに来てるんですけど」

 

 とても気の毒そうにクリリンが言うと、婦人はグハッと見えない何かを吐き出したっきり動かなくなった。

 

「大丈夫ですよ。これでお姉様もけっこう楽しんでいますから」

 

「そ、そうなのか?」

 

「こまめに発散するのがストレスを溜めないコツです!」

 

「お、おう」

 

 水を噴いたり石化するといったリアクションは、婦人なりのストレス軽減策らしい。

 もう納得することにしたクリリンである。

 

 

 

「もし、よろしいか」

 

「ん?」

 

 声のした方にクリリンは顔を向ける。少女が目を輝かせ、婦人はごくりと喉を鳴らす。

 

 

 幽玄の美を湛えた女がクリリンに臨む。

 

 おおう、とクリリンは思わず声をもらす。見れば見るほどに惹き付けられる。

 アイズが女神と見紛う美しさというならば、女の美は女神をも超えていた。

 

 容姿だけではない。

 その眼差し、その佇まい

 体幹から指先への流れるような所作

 全てが極まっていた。

 

 

 

「部下たちが失礼をした」

 

 

【ロキ・ファミリア】副団長にしてオラリオ最高の魔道士

九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴがクリリンに名乗る。

 

「へ?あ、いや、別にいいさ」

 

 リヴェリアに見蕩れていたクリリンは、つっかえながら言葉を返す。

 

 リヴェリアは後方のアイズを一瞥する。日に日に不穏さを増すばかりだったアイズから、すっかり憑き物が落ちていた。アイズはきっと歩き始めたのだ。陽の当たる方へ───

 

「アイズのことは───感謝を」

 

 そう言ってリヴェリアは腰を折る。洗練された振る舞いに誰もが言葉を失う。

 その言動に虚飾は無く、その思いは真っ直ぐに届く。

 

(お、重いのです。【ロキ・ファミリア】ナンバー2の感謝は、もの凄く重いのです……)

 

 リヴェリアのような迫力のある美女に礼を尽くされるのは、凡人には心臓に悪い。感謝されたのが自分ならば誇らしさを感じるより畏縮してしまう、そんなことを少女は見ていて思った。

 

「まあ、世界が滅びなくてよかったな?」

 

 通じるかもわからない戯言をクリリンは返す。

 しかしリヴェリアにも思うところがあったのか、ふっと笑って口を開く。

 

「全くだ。そうなるとそちらはこの2日で二度も世界を救ったことになるな」

 

 クリリンもリヴェリアもお互いに遠慮が無くなってくる。ただ、二人の言葉は冗談と笑い飛ばせない真実味があった。

 

 リヴェリアはクリリンの後ろに控える馬を見る。

 その実力はレベル7相当。

 しかし真に恐ろしいのは、射程だった。

 リヴェリアの予想、いや勘に近いが、この馬はおそらく広範囲殲滅型の攻撃手段を持っている。地下迷宮(ダンジョン)でも厳しい相手だが、地上が戦場になれば悪夢にしかならない。まともに対抗しようとするなら高位の魔道士を多数動員しての打ち合いになるだろう。そして辺りは灰塵と化し、(おびただ)しい数の犠牲者が出たはずだ。

 それでも勝てるとは限らない。

 例えば今ここにいる【ロキ・ファミリア】の幹部勢で馬に対抗しようとしても、勝機はほとんど見出だせなかった。

 あるいはフィンやガレスがいれば───

 

 ふとリヴェリアは気付く。クリリンの目線が動いた。それを追ってリヴェリアもそちらを向く。

 

 婦人や少女も気付いた。

 丘の向こうから二十を超える人々がやってきている。

 その集団の先頭に立っているのは男だった。

 目を引くのは男の肩幅や胴回りである。見る者に重厚な印象を抱かせるそれは、凡人とは骨格からして違う。

 隣にいる猫人(キャットピープル)の美女もかなりの達人のようだ。()()う誰かに(なび)く女には見えない。しかし女は当然のように男に付き従っていた。

 男は大地を踏みしめて此方(こちら)へやってくる。

 男の歩く姿は、まるで巨大な岩が音を立てて動いているかのような威圧感(プレッシャー)を周囲に与え続けていた。

 

(ああああ………!クリリン兄さまが言っていたのは、あの方々でしたか!)

 

(それよりも皆さん、何をしているんですの……)

 

 男たちの後ろにいるのは【デメテル・ファミリア】の農夫たちだった。皆が食べ物やら酒瓶やら敷物やら持ち込んでいる。まさかここで客人を巻き込んで宴会でもする気ではなかろうか。

 

 

「そうか、おまえたちは任務でここにいたか」

 

 リヴェリアが男たち二人に声をかける。

 

「ところでガレス、それにアキ。おまえたちはなぜ口をモゴモゴさせているのだ」

 

 リヴェリアはわかっていて二人に問う。

 

 ガレス・ランドロック

 アナキティ・オータム

 

 二人の実力者、その手には野菜や肉が刺さった串が握られていた。

 なんか食べてる、いいなーとアイズやティオナはリヴェリアの後方から二人を覗き見ていた。

 

「んぐッ!?……げほっげほっ」

 

 リヴェリアにじとっとした視線を向けられた女、アキは口の中の物が喉に詰まってむせる。

 

「そこで彼らに会っての、ちょいとつまませてもらったんじゃよ」

 

 のう?と農夫たちを振り返った男はガレス。

 

「すいませんリヴェリア様!つい……」

 

「まあいい。先方の厚意を無下にすることも無いからな」

 

 リヴェリアはため息をつく。そして【ロキ・ファミリア】の面々に言う。

 

「おまえたち、引き上げるぞ」

 

 リヴェリアから指示が下った。

 

「えぇ!?」

 

「……もうちょっと戦いたい」

 

 すぐさま反応したのはティオナとアイズだ。

 

 

 その手には串が握られていた。

 

 

「おまえたち……」

 

 

 いっそう大きなため息がリヴェリアから漏れる。

 アイズとティオナは瞬時にガレスたちの傍に移動、ちゃっかり食べ物に有り付いていた。アイズたちだけでなく農夫たちの視線まで浴びて、さすがのリヴェリアも居心地が悪い。

 

「それを食べたら帰る支度をしろ。それとベート」

 

 リヴェリアはキッと後方のベートを見る。

 

「その殺気を抑えろ」

 

「無理だな。極上の獲物が目の前にいるんだ。抑えられるわけがねぇ」

 

 ベートは舌舐めずりでもしそうな顔貌(かお)で、リヴェリアの言葉をはねのける。

 

「次は無い。下がれ」

 

「どけ()()()()()、俺が通る」

 

 リヴェリアは小さく舌を鳴らす。こうなったら止めるのは骨だと覚悟を決めた。

 

「ベート!いい加減にしなさいよ!それにクリリンが相手じゃ、アンタ死ぬわよ!?」

 

 ティオネが叫ぶ。

 その言葉には重みがあった。

 この場でクリリンとオッタルの戦いを目にしたのは【ロキ・ファミリア】ではティオネだけだ。

 だから言える。ベート一人では絶対に勝てない。

 否、ここにいる全員──あの馬も含めて──でかかってもまず勝ち目は無い。

 まあクリリンのことだ、戦うにしても加減はしてくれるだろう。本当に殺されるとは思っていないが。

 

「くっくくっ……」

 

「なに笑ってんだクソ狼」

 

 リヴェリアが現れたことでいったんは引っ込めたティオネの素性がまた顔を出す。

 

「相手が強ければ強いほど燃えるのが『冒険者』だろうが。テメーの腑抜けっぷりには殺意が湧くぜ。あの野郎の前にテメーをぶっ殺してやろうか!?」

 

「!!」

 

 ベートの眼光にティオネが気圧される。ベートとティオネの戦闘力はほぼ同等だ。ベートがどれほど威勢を張ろうと、ティオネが臆すことなど無い。平常ならば。

 

 リヴェリアは気付く。

 

(そうか、今夜は────)

 

 

 今夜は月が真円を描く時

 

 

 リヴェリアが東の空に目を向ける。

 月が在った。

 月が夜を連れてやって来た。

 地上を照らす太陽を飲み込まんとして。

 

(これは厄介なことになった)

 

 今日何度目になるかわからないため息をリヴェリアはつく。

 

 

『獣化』

 

 身に眠る獣性と力を解放することで能力を格段に向上させる、獣人だけが持つ特性。

 そして月が真円を描く時こそ彼ら狼人(ウェアウルフ)が本領を発揮する時。

 その強さは、平常の比ではない───!

 

 月が頂天に近付くほどベートの獣性は増す。

 

 いったんは怯んだティオネであったが、沸沸(ふつふつ)とベートへの怒りがこみ上げてくる。

 

「上等だぁ犬ッコロ!!(はらわた)引きずり出してやるッ!!」

 

 ついにティオネがキレた。

 

 

 

「キレたの」

 

「キレちゃったね。でもホントここまでよく持ったよ。奇跡だねー」

 

「二人とも食べてる場合!?早くリヴェリア様を援護しないと!」

 

 鷹揚に構えるガレスとティオナに、アキが慌てる。

 

「レフィーヤ、大丈夫かな……」

 

 完全に逃げ遅れたレフィーヤが戦場の真ん中で今にも泣き出しそうになっているのを、アイズだけが気にかけていた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

「クリリンさん、この串そろそろ食べ頃ですよ」

 

「お、頂きまっす」

 

【ロキ・ファミリア】が荒れに荒れているその時、クリリンは網の上の串に手を伸ばしていた。

【デメテル・ファミリア】は手慣れていた。馬の傍に陣取り、目にも止まらぬ早業でバーベキューの準備を終えた。下ごしらえは済ませてあるようで、炙った串はどんどん仕上がる。

 串を頬張りながら敷物の上に腰を下ろし、馬の脚の間からクリリンは先方の様子を窺う。ベートとティオネの争いが再燃したようだ。なんとなく自分をめぐって対立していることはクリリンにもわかる。しかし同胞たちに囲まれて、クリリンの精神(こころ)は既に帰宅していた。

 

「折角ですから、【九魔姫】さんたちにも召し上がって頂きたいところですが」

 

 あっちの四人は今それどころではない。

 

「オレが止めに入ってもいいですかね」

 

 クリリンが婦人を窺う。

 

「クリリンさんにご負担をおかけしてしまいますが、それが一番早いかと」

 

 リヴェリアのところにガレスたちが駆け付けたが、好転する兆しは無い。

 

「オレは別にいいんすよ。あのベートって奴と戦っても」

 

 アイズとの戦いは中断している。アイズはまだやる気みたいであるし、再開ついでにベートたちを参加させても構わないとクリリン自身はそう考えているのだが。

 

「ただこれ以上騒ぎを大きくしちゃって、みんなに迷惑かけちゃうのはどうかなあ、と」

 

(当たり前のようにレベル5を複数相手取るつもりでいらっしゃるのは、流しておきましょうか)

 

 オラリオにあるほとんどの派閥では、トップのレベルは2か3である。そんな中でレベル5とは、あの【ガネーシャ・ファミリア】においても団長クラスだ。

【デメテル・ファミリア】は当然ご多分に漏れず()()()()()()()2が最高になる。

 

(家族(ファミリア)では無く、デメテル様の眷族()としてなら、あの方がいますが)

 

 あの方でもレベル5には届かなかったはず、と婦人は顧みる。

 レベル5とはそれほどなのだ。

 ただし、いま視線の先にいる【ロキ・ファミリア】に関しては、レベル5どころかレベル6が三人もいるという(まこと)に厚い戦力を誇っていたりするのだが、これはトップ派閥の話であるから参考にしてはいけない。

 

 そんなことを頭の片隅で考えながら婦人は口を開く。

 

「実はあの子に頼んで、団長には状況を報告してありますわ」

 

 それで同胞たちがここへ集まってきたんだなとクリリンは理解する。

 婦人たちの視線に気付いた少女はブイッとピースする。婦人とクリリンもブイッとピースで返す。

 

「それで先ほど団長からの返事を受け取ったのですが、クリリンさんにお任せすると」

 

「やりましたね、クリリン兄さま!これでやりたい放題ですよ!」

 

「それでいいならそうするけどよ、昨日からけっこう大変だったろ?」

 

「嵐で耕地が壊滅した時に比べれば」

 

「あの時は大変でしたわね。備蓄を全部使い切りましたわ」

 

 少女と婦人が揃って遠い目をする。

 一見、牧歌的であっても、【デメテル・ファミリア】の歩んできた道は決して平坦では無かった。

 同胞たちと畑が無事なら、多少騒ぎになるぐらい【デメテル・ファミリア】にとってどうということはない。そもそもここはオラリオ(世界の中心)。オラリオの住人にとってお祭り騒ぎは年中行事なのだから。

 

「じゃあちょっと行ってくる」

 

 そう言って腰を上げたクリリンは、靴を履く。

 

「とうっ」

 

 直立の姿勢から、予備動作をほとんど見せずにクリリンは跳び立つ。

 その跳躍は巨身を誇る馬の背を優に越え、雲を突き抜け頂天に達する。

 

「!?全員この場から離れろッ!!!」

 

 地上にいたリヴェリアが異変に気付き鋭く叫ぶ。

【ロキ・ファミリア】の反応は早かった。全員が瞬時に後方に跳び、腕を交差して可能な限り身を縮める。

 

 くるくると回転しながらクリリンが地上に帰ってくる。そして───

 

 

 

 

 盛大に頭から墜落した。

 

 

 

 

 巨大なエネルギーが暴走する。

 轟音が丘じゅうを駆け巡り、衝撃波が全てを押し流した。

 地盤は(めく)り上がり、四方に亀裂が走る。

 

「ぐうぅ……!」

 

「い、いったい何が………」

 

 リヴェリアとアキが(うめ)く。

 何度となく襲いくる衝撃波に【ロキ・ファミリア】の誰もがまともに立っていられなかった。

 

 今までほとんど動きを見せなかった馬も、全身に力を(みなぎ)らせて余波を防いでいる。

 

 

 やがて土煙が収まり、視界が開けていく。

【ロキ・ファミリア】の面々が立っていたその場所は、衝突孔(クレーター)が口を開けていた。

 

 誰もが黙りこむ。

 

「!何かいる……!」

 

 そう言ったティオナが指差す先に、【ロキ・ファミリア】全員が注意を向ける。

 

 

 

 変わり果てた大地の中心に

 

 

 

 

 クリリンが頭から突き刺さっていた。

 

 

 

「うーん、うーん!!!」

 

 クリリンが手足をばたつかせる。

 

「………………」

 

 全員がまたもや黙りこむ。

 コメントに困る状況だった。

 

 

「………アイズ、ティオナ、出してやれ」

 

「うん」

 

「わかったー」

 

 リヴェリアの指示で二人は衝突孔を滑り下り、(あな)の底へ向かう。

 

「アイズは右足持ってー。あたしはこっち」

 

「うん………よいしょ」

 

 アイズとティオナが目を合わせて頷き、せーのでクリリンを引っこ抜いた。

 

 

 

 

 レフィーヤはそーっと孔の底を覗きこむ。

 腰が引けた。

 視線の先には、アイズたちに引き抜かれたクリリンがぺっぺっと土を吐き出していた。

 土にまみれた頭や体を(はた)きながら照れくさそうに笑うクリリンを見てレフィーヤは卒倒しそうになる。

 クリリンはピンピンしていた。

 

 先の衝撃はケタ違いの破壊力だった。レフィーヤはもちろんのこと、第一級冒険者揃いの【ロキ・ファミリア】の幹部たち全員が退避と防御に徹した。

 その光景を演出した張本人は消耗も損傷もしていない。

 つまりクリリンは余力を十分に残した状態で、先の事象を引き起こしたのだ。

 

 レフィーヤは少女の言葉を思い出す。

 

 ───動き出せば、誰にも止められない

 ───この丘が平地になることだってありうる

 

 

 現実だった。

 

 

(これが現実だというのですか?こんな力がこの世に……!)

 

猛者(おうじゃ)】を下し、アイズの全力を止めた力をレフィーヤは目の当たりにする。

 夢であって、欲しかった。

 

 

「うわあーーー!すっごーーーい!」

 

「ッ! ッ!」

 

 レフィーヤの頭の上から嬉しそうなティオナの声が聞こえる。

 

 上を見ると、いつの間にかクリリンがアイズとティオナを両脇に抱えて飛んでいた。

 

 これでもかと言わんばかりに見開いた目からレフィーヤの眼球が零れ落ちそうになる。エルフの例に漏れぬ恵まれた容貌も台無しだ。

 

「ほう、あれがフィンの言っていた術かの」

 

 ガレスが感心する。

 

「に、にに、人間が、空を、ヲヲヲ」

 

「気持ちはわかるけど、落ち着きなさいレフィーヤ。そういえばリヴェリア、クリリンのアレは魔法か何かなの?」

 

「………いや、魔力は感じない。なんなんだろうな、アレは」

 

 そうこうしているうちにクリリンが地上に戻ってくる。

 

「……………」

 

「……………」

 

 アイズとティオナを下ろしたクリリンが【ロキ・ファミリア】の面々と向かい合う。

 

「うちの団員からの伝言なんだが」

 

「何ごとも無かったかのように話し出した!?」

 

「こらこらレフィーヤってば、じゃましちゃだめだよー」

 

「むぐぅ!?」

 

 突っ込まずにはいられなかったレフィーヤの口を、音もなく背後に回り込んだティオナが優しくふさぐ。

 

「こほん、あー伝言なんだが、せっかくだからおまえたちもメシを食っていけと」

 

「へ?」

 

 今度はアキから気の抜けた声が漏れる。

 誰もが返答に躊躇(ためら)う中、最初に食い付いたのはベートだった。

 

「おもしれえ。ならクリリン、テメェを食い尽くしてやるよ」

 

「なっ、ベート口を(つぐ)め!」

 

 ベートはすっかり()()()()()()()()。今のベートを力づくで止めるのはリヴェリアでは無理だ。ガレスが止めに入ろうとするが───

 

「ああ、やれるもんならやってみな?」

 

 煽るようなクリリンの返答に場が凍りつく。クリリンとの関係悪化を避けたかったリヴェリアやティオネ、アキは特に焦っていた。

 それに最悪ベートを失う恐れだってある。問題児ではあってもベートは【ロキ・ファミリア】にとって重要な戦力であることに違いないのだ。

 

【ロキ・ファミリア】の動揺を知ってか知らずか、クリリンは呑気に話を続ける。

 

「さっきの続き、アイズはまだやりたいか?」

 

「! うん、まだ私、クリリンの攻め手を見てない」

 

 アイズもまた、クリリンに食い付く。

 

「アイズ、おまえ何を」

 

 リヴェリアが慌てるもクリリンがフォローする。

 

「ああ別に気にしなくていい。戦うのが息抜きになるならって、誘ったのはオレだから」

 

(見ていたからそれは知っているが)

 

「で、今のおまえらを見ると、とてもメシ食うって感じじゃないから、ま、オレがメシの前の軽い運動に付き合ってやると、そういう話だ」

 

「えーと、ちょっといいですか」

 

 クリリンの話を聞いて、アキがおずおずと手を挙げる。

 

「もしかしてクリリンさん、一人でうちの幹部二人を相手にするつもりですか」

 

「そのつもりだけど?ああ、別にそっちの姉ちゃんもやりたいなら交じってもいいぞ」

 

「え!?い、いや私は遠慮しておこうかな、なんて」

 

 アキのしっぽがへにゃりと垂れる。

 

「はいはーい、あたしもやる!いいでしょ?」

 

 ティオナが元気よく手を挙げる。

 

「おう、いいぜ。じゃあやるのは三人でいいか?他にいないか?」

 

【ロキ・ファミリア】を前に実に強気な発言である。クリリンの言葉で無ければ与太話も度が過ぎている。鼻で笑うところだ。

 

「おい、おまえたち勝手に」

 

「まあいいじゃろう、リヴェリア」

 

 困惑するリヴェリアにガレスが言う。

 

「フィンが心配したことにはならんじゃろうて。あやつらのやりたいようにやらせておけばよかろう。なに、若い者の尻を拭うのが儂らの役目ではないか」

 

「むぅ……」

 

 リヴェリアもわかっていた。こうなってはクリリンに任せるのが一番であると。

 

「ティオネもやろうよー」

 

「えぇ!?私はいいわよ……」

 

「へっ、ほっとけ。どうやら昨日クリリン様が猪野郎をぶっとばすのを見てビビッちまったらしいぜ」

 

 ティオナの誘いを敬遠するティオネを、ベートが嗤う。

 

「……いいだろう、クソ狼。テメエの挑発にノッてやる。囮にしてやるから、せいぜい間抜けに踊ってろ」

 

「……」

 

 ティオネとベートが睨み合って火花を散らす。

 

 これで四人の挑戦者が揃った。

 レフィーヤは、四人の立つ場所がやけに遠く感じた。

 あの四人は、さっきのクリリンのダイナミック着地に対して何とも思っていないのだろうか。

 誰も彼もが、頭のネジが吹っ飛んでいるように見えてしまう。

 

 ふと、レフィーヤはティオナと目が合った。嫌な予感がした時にはもう遅かった。

 

「レフィーヤもこっち来なよー」

 

「いぃッ!?」

 

 ニコニコしたティオナが駆け寄ってきて、レフィーヤを引っ張っていく。

 

「いや、その、私はさすがに、戦力外では!?」

 

「そんなことないって!」

 

 そう言われて、レフィーヤはずるずるとアイズ達のところへ引き摺られていく。

 

「レフィーヤも戦うの?」

 

「アイズさん……わ、私は」

 

 私はどうしたいのだろう、とレフィーヤは悩む。ティオナに連れてこられた時にレフィーヤは本気で抵抗しなかった。

 でもこんな人外の果てで、いったい自分に何ができるというのか。

 

 伏し目のレフィーヤを、下からアイズが覗きこむ。

 

「……一緒にがんばろ?」

 

 ずっきゅーーーん

 

 上目遣いのアイズに、レフィーヤは爆発四散しそうになった。

 

「私たちでも勝てるかどうかわからない。クリリン相手じゃ何もできないかもしれない。………それでもできることをしなくっちゃ」

 

「───!」

 

 レフィーヤはハッとしてアイズを見る。バラバラになりかけた理性はなんとかつなぎ止めた。

 アイズはクリリンを見ていた。どこかずっと遠くを見ているような目で。手が届くかもわからないほどの遠くを見ているような目で。

 

 同じだ、とレフィーヤは思った。立つ場所は違えど、アイズもレフィーヤも目指す頂がある。

 違うのは、手を伸ばそうとするかしないか。憧憬(ゆめ)憧憬(ゆめ)で終わらせるつもりが無いかどうか。

 

 パァン、とレフィーヤは両頬を(はた)く。

 びっくりしているアイズに向かってレフィーヤは言う。

 

「私は私にできることをやってみます。どうぞよろしくお願いします!」

 

 暫しぽかんとしていたアイズが微笑む。

 

「うん、よろしくレフィーヤ」

 

「あたしたちがレフィーヤを守るから、一発大きいのお願いね!」

 

「そう言ってアンタ、いきなり突っ込まないでよね?」

 

 レフィーヤの決意に、アイズ、ティオナ、ティオネが笑顔で応える。

 

「けっ、やっと吠えやがったか」

 

 獰猛に笑ってベートはレフィーヤを見下ろす。

 負けじとレフィーヤはキッと見つめ返す。精一杯の強がりだった。

 

「チンタラやってんなら置いていく。せいぜい食らい付いてくるんだな、ノロマ」

 

 そうしてベートは標的(クリリン)に意識を持っていく。

 

 なーんでそんな言い方しかできないかなーと言いつつ、ティオナは地面に転がしてあった大双刃(ウルガ)をひょいっと持ち上げる。

 

 アイズが、ティオネが、次々と戦闘体勢に入る。

 そしてレフィーヤも、杖をしっかりと握り四人に続く。

 

 

 五人の視線が一人の人間に注がれる。

 レベル5が四体と、レベル3が一体。まともな神経をしていてはこの重圧にはとても耐えられまい。

 ────千人

 この五人が相手に与える圧力(プレッシャー)は、諸国の重装歩兵千人に匹敵する。

 

 そんな五人の戦意を一身に受ける男は

 

「ん、決まったか」

 

 全くびくともしていなかった。

 

「五人だな。よし、じゃあやるか。先手は譲る。おまえらの誰かが動き始めたらオレも動くわ」

 

 クリリンはぼけっと立っている。構えもしない。このままどこか散歩にでも行ってしまいそうだ。

 

「アンタたち、油断するんじゃないわよ?」

 

 ティオネが釘を刺す。

 

 アイズたち四人がガッチリと防御を固める。

 四人のレベル5による密集陣形。

 この隊形を崩せる者など、世界のどこを探してもいないように思える。

 

(そのはずなのに、どうして震えが収まらないの……?)

 

 陣の最奥で守られるレフィーヤの頬を冷や汗がとめどなく流れ落ちる。

 

(とにかく詠唱を……!?)

 

 

 そのとき前にいた四人は、視線の先に捉えていたはずのクリリンが消えていたことに気付いていなかった。

 それはあまりに自然で、目の前の事実に頭が追い付いていなかった。

 

「あ………あぁ…………」

 

 レフィーヤの呻きが聞こえてようやく四人の意識が現実に追い付いた。

 そして、もう遅かった。

 

 四人が一斉に、レフィーヤの方を振り返る。

 

 

 

 

 レフィーヤの喉にクリリンの指が一本突き付けられていた。

 

 

「ば、ばかな………ま、まるで見えなかった………!」

 

 ベートは愕然とする。

 

 クリリンはあっさりと四人の意識の外を潜ってレフィーヤを潰したのだ。

 

 

「ううう………」

 

 レフィーヤに突き付けられているのは、指一本。

 たったの指一本だ。

 しかしレフィーヤは理解していた。自分の喉はこの指一本で潰される、と。

 

「おまえが切り札だったみたいだからな、最初に潰すことにしたんだ」

 

 事も無げにそう言って、笑いながらクリリンは指を引く。

 同時に、へなへなとレフィーヤはその場に崩れ落ちる。

 血の気が引いた。

 心臓が早鐘を打つ。

 呼吸は浅く、荒い。

 吸っても吸っても満たされない。

 

「クソがあぁぁぁーーー!!」

 

 ベートが大地を蹴り飛ばしてクリリンのところに飛び込んでくる。

 ただでさえ速いベートの動きは、獣性が高まったことで手の付けようがなくなっていた。

 孤高の狼は、何人たりとも触れさせる気は無い。

 今のベートならば、あの銀槍を振るう「猫」に届き得た。

 

「ガッ!?」

 

 

 ベートの顔が苦悶に歪む。

 全てを置き去りにするそのスピードを、クリリンは足を止めたまま制す。

 リヴェリアやガレスですら残像でしか捉えられないベートを、クリリンは背を向けたまま裏拳で迎撃した。

 

 その拳は標的の顔面を弾き、吹き飛ばされたベートは地面を抉りに抉ってようやく止まる。

 

「とうりゃああああ!!」

 

 そこへティオナが大双刃をぐるんぐるんと振り回しながら突っ込んでくる。

 

 超硬金属(アダマンタイト)製の第一級武装〈大双刃(ウルガ)〉。

 

 威力は凄まじいが、あまりの重量に誰もが敬遠するその武器は、ティオナのためだけに存在する専用装備(オーダーメイド)

 

 そんな巨剣を軽々と振り回しながら突っ込んでくるティオナの様は、大河の氾濫を思わせる。

 飲み込まれれば、死あるのみ。

 これまで何百何千という怪物が、ティオナという怪物に飲み込まれた。全身が千切れ飛び、血飛沫をあげ、壮絶な最期を遂げた。

 

 激流は既にクリリンの目の前に迫っている。

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 荒れ狂う流れは、たった二本の指に()き止められた。

 

「ええぇーーー!?」

 

 クリリンの指が大双刃を摘まんでいた。

 

「んぎぎぎぎ…………!」

 

 ティオナが両手にありったけの力を込めて、巨剣の主導権を取り戻そうとする。

 

 が、動く気配が全くしない。

 

「ちょい」

 

「うぇ!?」

 

 クリリンが手首をちょっと捻ると、大双刃が跳ねてティオナが上空に投げ出される。

 

「うわあーーーー!?」

 

 ティオナの叫びが丘に響き渡る。

 

「あ、これ返す」

 

 空を見上げたクリリンが、ティオナに向かって大双刃を投げる。

 超重の巨剣が唸りをあげながら真っ直ぐに飛んでいく。

 アイズとティオネがゾッとする。しかし、見ていることしか出来なかった。

 

「────かふっ」

 

 空中で刃の平が直撃し、ティオナの体がぐらりと傾く。

 そして、そのまま墜落していった。

 

 

「……ッ!行くわよ、アイズ!」

 

「うん……!」

 

 

 アイズは再び『風』を纏い、ティオネと双方向からクリリンに襲いかかる。

 

 まず仕掛けたのはアイズだった。

 

『風』を纏った剣をクリリンに振り下ろす。

 天賦の才と気の遠くなる練磨の果てに辿り着いた、身の毛立つ一振り。

 それに『風』が上乗せされる。

 桁違いの威力は、既にレベル5の領域を超えていた。

 

「!!」

 

 そのアイズの剣技が、阻まれた。

 剣の柄を固く握った手が痺れる。

 軽く(かざ)したクリリンの手が、アイズの剣をまたも受け止めた。

 

 

 

 アイズは、しかしこれを想定していた。

 

 

 

 アイズの影から何者かがヌルリとクリリンの背後に滑り込んだ。

 

怒蛇(ヘビ)

 

 ティオネは瞬く間にクリリンの脚から背中、肩、首に絡みつき、さながら蛇のように締め上げる。

 

(お、オッパイが………)

 

 今にも関節を破壊されかねない状況にありながら、ティオネの双丘を背中に感じクリリンは鼻の下が伸びていた。

 そんな時にもアイズの剣は振るわれる。

 慌てて煩悩を退散させ、アイズの剣を捌く。

 

(クソッ!やっぱり全然手応えが無いッ)

 

 並みの手合いならとっくに全身を砕いている。が、やはりクリリンには通用しない。

 この状況でもアイズの剣を弄ぶ余裕ぶりだ。

 逆にこれ以上クリリンにしがみ付いていると此方(こちら)が危ないと、ティオネの戦闘勘が告げていた。

 一度離脱する。

 そうアイズに視線で伝えようとして────

 

 ティオネは衝撃で吹き飛んだ。

 

「かはっ────!?」

 

 

 ティオネは腹部で何かが爆発したかのような衝撃を受けた。

 意識が薄れゆく中で見たのはクリリンの背中。

 

 

 

 体当たり

 

 

 クリリンはティオネの重心を揺らしながら、わずかな体の弛みを利用して肩と背中でティオネを吹き飛ばしたのだ。

 

(ティオネのやつ、なんか慣れてたな)

 

 クリリンはティオネの対人戦闘力の高さが少し気になった。

 デメテルや同胞たちから聞いたところ、冒険者とは迷宮で怪物(モンスター)と戦うのだと教わった。怪物には人型もいないではないが、たいていは獣や鳥など動物のような姿をしているらしい。

 そんな冒険者が、高い対人戦闘力を当然に有しているとはクリリンも考えていない。

 

(まあティオネは戦闘種族(アマゾネス)って言ってたし、軍人とか傭兵の経験があるかもしんねえな)

 

 思考に耽りそうになったクリリンは、意識を戦場に戻す。

 

 

 レフィーヤ

 ベート

 ティオナ

 ティオネ

 

 既に四人が地に伏せた。

 

 戦場に立っているのはもうアイズとクリリンの二人のみ。

 

 仲間を失い攻めあぐねるアイズに向かって、クリリンはゆっくりと手を突き出す。

 

 クリリンの意図が読めないアイズは、『風』を全開にして防御に徹する。

 幾重にも重なる風の刃が、侵入しようとするクリリンの手を切り刻まんとする。

 

 絶対防御

 

 隙が見当たらない、ともすれば無敵にも思えるアイズの『風』

 

 しかしクリリンはそのアイズの『風』に、ほんの僅かな綻びがあることを見抜いていた。

 

「!?」

 

 クリリンはその乱れを突き、絶対の存在であった『風』の障壁を抉じ開ける。

 

 アイズは憮然として、『風』を破り眼前に迫ってくるクリリンの手をただ見つめることしか出来なかった。

 

 クリリンの手の形が変わる。

 親指で抑えつけることによって蓄積した中指のエネルギーを、一気に解き放つ技─────

 

 

 

 通称デコピンが、都市最強の男のデコピンが、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの額に炸裂した。

 

 

 

 直撃を受けたアイズは轟音と共に後方に吹き飛んでいく。

 何十M(メドル)も吹き飛んで、ようやく静止したアイズは目を回していた。

 

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ただひとり戦場に立つクリリンを、リヴェリアとガレスが見つめていた。

 

「ガレス」

 

「なんじゃ」

 

「実を言うとな……私はあの子たちなら、もしかしたらクリリンとも互角以上に戦えるかもしれない。そう思っていたよ」

 

「………」

 

「オッタルを下した男に、勝てる道理など無いのにな。それでもアイズたちなら────そんなことを思ってしまったよ」

 

「気持ちはわからんでもないの……」

 

「だがな、いま思い知ったよ。最強は紛れもなく最強なのだと」

 

 

 ふぅとため息をついて、リヴェリアは視線を移す。

 

 

 

 

「………………ッ!!」

 

 

 レフィーヤはへたり込んだまま、戦いの結末を見つめていた。

 

 あっという間の出来事だった。

 

 

(あんなに………あんなに毎日死に物狂いで戦ってきた人達なのに…………!!!)

 

 

 ベートもティオナもティオネも倒れている。

 アイズの『風』も凪いだ。

 

 

 

 そしてレフィーヤは、何も出来なかった。

 

 

 

 夢は終わり、厳然たる現実がレフィーヤの前に立ちはだかっていた。

 

 


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