岸辺露伴…漫画家。
山中大地…露伴の担当編集。
メグっぺ…バカップルの片割れ(♀)
キンちゃん…バカップルの片割れ(♂)
***
むわっと、鼻を刺すような青臭さが香る。
もうどれだけ放置されているのだろうか。その廃村は、あちこち下生えに覆われていて、それは、大人の膝ほどの高さになっていた。
下生えを靴底で慎重に蹴りたおしながら、大地が言う。
「変わった村ですねェ」
それは奇妙な廃村だった。
四方をぐるりと、背の高い塀が囲んでいるのだ。
「まるで
露伴がなぞらえたのは、人類文化史の曙である。
まだ人類が文明を築いて間もない頃。ひとつの都市は、そのままひとつの国家であり、他国はたやすく敵国になり得た。そうした敵の襲撃から自国を守らんと、国々は壁を備えたのだという。
「外敵から守るための壁ですか。やっぱり熊でも出るんでしょうか……」
「面白い! まるで現代日本じゃあないみたいだ」
さっそくスケッチを始める露伴と、おびえた様子の大地。二人は、頑丈なつくりの塀を見てはあれこれと思索を巡らせた。
対照的に、バカップルの二人は考えるより早くにあちこちべたべた触っていた。
「ねぇ、キンちゃん。この門ってぇ、すっごく重そうね。わたし開けられないかも!」
「だなぁ、メグっぺはお姫様みたいに華奢だからよォ~。それに、さすがの俺でもこれは無理だぜ。あっ、見ろよ。門を動かすスイッチがある。『電動式』なんじゃねぇかなァ」
男は、言うが早いかスイッチを操作する。
しかし、門扉は沈黙を守ったまま。だらしなく、その口をおおきく開いたままだった。
「あっれぇ、動かないぜ。きっと電源が死んでるんだな」
「そっかぁ。廃村だから、電気来てないんだね」
その言葉が、露伴にある気付きを促した。
「電気だって?」
露伴は、あたりを見渡した。
そして、おかしなことに気付く。
この村には、電柱が無いのである。
すっかり人気の絶えた伽藍堂の村は、閑散として見える。それは、ただ人々の姿が見えぬからというだけでなく、あちこちにそびえて嫌でも目に入るはずの電柱が見えず、あまりにあっさりとした印象を見る者にあたえるからであったのだ。
電柱がない。つまり電気は、はるか遠くにある筈の発電所からは送られてこない。であるならば、どうやって電力を賄っていたのか。
露伴は、すぐにその謎を解明した。
「この村には、国から電気が供給されていないようだ。きっと、自給自足してたんだろう。そこにある『発電機』を使ってね」
下生えになかば埋もれている赤色の筐体を、露伴は見つけた。
日本ではまず見かけないような、おおきな発電機である。大の大人が何人もよってたかって、ようやく動かせるような巨体。
注意深く見渡せば、発電機はあちこちにひっそりと点在しているようだった。
木の陰や、下生えのなか。そして――
「ネェ、おかしいことありませんか」
大地が指さす先。
廃屋の崩れかけた外壁から、ちらりと覗く赤い筐体。廃屋に鎮座するそれは、発電機に他ならない。
「どうして発電機が『家の中』にあるんです?」
「おいおい、これは普通じゃあないぞ!」
怯えた様子の大地とは対照的に、露伴は楽しそうである。彼は、優れたネタとの出会いを予感し、喜んでいたのである。
そんな二人のやりとりが耳に入ったと見える。頭の弱そうなカップルも、神妙に顔を見合わせ、
「そう言われてみれば、たしかに変だよなァ~」
「発電機ってすごい音がするんでしょ。そんなの家の中にあったら、騒がしくって寝られないじゃない」
「だよなァ。テレビだって見えねぇしよぉ~」
それでもやはり、気楽な様子で囁き合っている。そのまま廃屋まで行って、発電機をべたべた触りだす始末である。彼らには、よほど緊張感と警戒心がないと見える。
露伴もまた強情であった。彼もまた、なにかおかしいとは思いつつも、この場を離れるつもりがないようであった。
「なにか変ですよ、この村……。ネェ、もう帰りましょうよ。もうすぐ陽も落ちそうですし」
「うるさいなぁ。ぼくは今スケッチで忙しいんだ。そんなに帰りたいなら、ひとりで帰ればいいじゃあないか」
「一人じゃ無理ですよッ。帰ってる間に日が暮れちゃうじゃないですか! ほら、もう日が傾いてる」
黄昏時である。
おおきく傾いた西日が、いつの間にか立ちこめる霧霞に輪郭をけぶらせる。それはまるで、太陽が大気に溶けだしているかのようで、見る者をなんとはなしに不安にさせた。
今から巣へと帰るのか、カラスの声があちこちから木霊する。それは、太陽が支配する生命の時間の、終わりの合図。
太陽と大気がその境目を失い、昼と夜がどろどろに入り混じり。何もかもが曖昧な時間が訪れる。
ふとした拍子に、死者や妖、この世ならざる者が立ち現れる、此世と彼世の接合点。
――人は、それを、逢魔時と呼んだ。
だから、ソレはきっと、人ならざる者であるに違いない。
「露伴先生、あれを見てください」
目をとりこぼさんばかりに見開いて、大地が指さす先。そこにいたのは、一人の大男である。
「なんだ、あいつは。妙にでかいぞ」
身の丈三メートルに届こうかという、大男。
ちょうど西日が逆光となって、その容姿はうがかえない。
けれども、そのシルエットは、明らかに普通の人間のそれではなかった。
背はひょろりと高く、左手が異様に長い。その左手を地面に垂らし、まるでそれが重石かなにかであるかのように、いかにも重そうにずるずる引きずって歩いているのだ。
どこからともなく現れたその異形の人影は、露伴達が入ってきた門へと向かう。
はて、そこでいったい何をするのか。
そう思った露伴と大地、そしていつの間にか傍に寄ってきていたカップルは、思わず驚きの声をあげた。
「門が動いたぞ! あの男、門を閉じてるんだ!」
いったい何百キロあるのだろうかというような巨大な門が、動いたのだ。
それは、驚くべき怪力である。とうてい人の手では動かすことのできない、巨大な金属の塊。それが、悲鳴のようなけたたましい金属音をひきずって、すこしずつ、けれども確実に動く。
いったい何の冗談だろうか――とうとう門は閉じてしまった。
そのとき、ようやく陽が落ちた。塀の向こうへと陽が消えて、すると、男に陰を落としていた逆光もすぅっと消え去り――
男の正体が明らかになった。
「ひぃっ!」
その悲鳴は、いったい誰のものであったのだろう。
四人はいっせいに口を抑えた。その声が、自分の口から出たものだと信じて疑わなかったのだ。
それほどまでに、男の姿は常軌を逸しておぞましかった。
まず、猿のように長く延びた腕と思われたものは、チェインソーを握り込んだ左手だった。そして、そこだけが、かろうじて人間らしい部分を残していた。
顔面の皮は、炎にでもまかれたのか、斜めにひっぱられるように爛れており、薄気味悪い憤怒の表情で固定されている。腕を覆う表皮もまた焼き爛れ、白い脂肪がところどころ覗いていた。
瞳は、白く濁って感情のいっさいを感じさせぬ、亡者の瞳。
いっとう不気味なのは、ソレが出す呼吸音である。猫が喉を鳴らすような、いったい人類が発することが可能なのかと疑うような、奇妙な呼気が喉から漏れていた。白く濁った亡者の眼もあいまって、人語を解する存在にはとうてい見えなかったのである。
ソレは、ひょっとしたら、人の皮を被った獣か、あるいは悪魔そのひとなのかもしれない。そのような直感が四人を捉えた。
だから、女の所感は言葉足らずであると言わざるを得なかった。
「殺人鬼よ。殺人鬼の噂はホントだったのよ!」
「こ、こらっ! 騒ぐのをやめなさいッ」
悲鳴をあげる女を、大地が叱りつける。
それが致命的だった。
殺人鬼が、ゆっくりとこちらを振り向く。
かと思いきや、その左手を振り上げて、雄叫びをあげた。
といっても、殺人鬼はじっさいに何か声を発したわけではない。近くに寄れば、相も変わらず奇妙な呼吸音を聞くことができた筈である。
にも関わらず、そのように思われたのは、彼の左手が唸りをあげたからだ。
左手のチェインソー。
それが、はげしく駆動音を鳴らしたのである。
「逃げろッ! アイツがこっちに来るぞッ」
殺人鬼が駆けてくる。
チェインソーの唸りが増せば増すほど、殺人鬼の足もますます速く回転する。その様は、チェインソーこそが第二の心臓なのだと言わんばかりであった。
殺人鬼がこちらを狙っているのは明らかである。下生えがひざを擦るのを無視して、一直線に廃屋へと飛び込んできたのだ。
そのときには、四人は朽ち果てつつある窓から外へ飛び出すところであった。まっさきに行動に移った露伴に、大地が、そして男女が続く。
「めぐっぺ、早く!」
「キンちゃん、早くひっぱって、早く! ひぃぃっ!」
男の手を借りて、女が窓枠を飛び越えた。
窓枠のあたりにふわりと残った後ろ髪を、唸りをあげるチェインソーが刈り取った。そのまま、けたたましい音を立てて、回転する刃が窓枠に食い込んだ。
あと一秒遅ければ、胴体と泣き別れすることとなったのは首であったにちがいない。
その事実が、四人の足をいっそう急かした。
四人は、霧霞におぼろにかすむ月光の下を、下生えのつくる陰にまぎれながら駆けた。
「おい、こっちだ。建物や木を陰にして、アイツの視線から隠れるように逃げるんだ」
「待ってくださいよ、露伴先生!」
「おいこら、めぐっぺを置いてくんじゃねぇ!」
「ひぃひぃ」
「……もう大丈夫そうだ。どうやら、窓枠に食い込んだチェインソーを引き抜くのに難儀したらしいな」
人は危機に陥ったときこそ道連れを求めるものらしい。自分勝手な四人ではあったけれども、彼らは一団となって新たな廃屋へと駆け込んだ。
もっとも、露伴に関しては、道連れなど不要であると思っているのがありありと見て取れた。彼は、逃げる際も後ろを振り向きもしなかったし、こうしてひとまず安全と思しき場所に駆け込み、お互いの無事を確かめ合うなかにあってすら、自分の関心事しか口にしない徹底ぶりであったのだ。
「それにしても、躊躇なくチェインソーを振ってくるとは、絶対に殺すという『殺意』を感じるね。そこがイイ! あの殺人鬼、いったいどういう人生を歩んできたのか、非常に興味がある。ぜひ『読んで』みたいところだ」
そんな物言いは、当然ながら周囲を逆撫でする。
「おいこらアンタ、ワケの分からねぇこと言ってる場合じゃねぇぞ!」
「落ち着いてください。仲間割れなんかしてる状況じゃないでしょう! 露伴先生も、もっと真面目にしてくださいよ、ネッ!」
殺気立ち、いまにも飛びかかりそうな男を、大地が必死に宥める。
しかし、露伴は、男の怒りも大地の必死の懇願もどこ吹く風で、大上段に言い放つ。
「おいおい、ぼくがいつコイツ等の仲間になったってんだ。ぼくは言ったよなァ。同行は認めるが、邪魔したら承知しないって」
「まさか先生、この期におよんで取材だなんて言うつもりじゃないでしょうネ!」
「もちろん取材が最優先だ。だが、別に協力しないってワケじゃあないぜ。どのみち生きてここを出るには、なるべくたくさん人の手が必要みたいだからな」
「けっ。誰がおまえに協力なんてするか。俺らは俺らで勝手に逃げることにするぜ」
「フン。ぼくは正論を言ってるつもりだぜ。あれを見ても、まだ同じことが言えるかい」
露伴は、廃屋の庭先を指さした。
それは奇妙な柱だった。
大きな釣り針のようなフックがぶら下がっている。それは、マグロやひょっとしたら鮫のような大物の為のものであるように思われた。ごつごつと頑丈で、そのくせ先端はするどく尖っていたのだ。
おぞましいことには、その柱には、血のような赤黒い染みがところどころに浮かんでいる。かつて、なにか獲物を吊していたにちがいない。
では、いったい何を吊していたのか。
その答えは、柱の足下にあった。
「ほら、見てみなよ」
それは、どうやらトーテムであるらしかった。
トーテム。すなわち、宗教的なシンボル。その部族の信仰を象徴するもので、多くは特定の動物や植物などを象る。
件の殺人鬼が信仰する対象は、さぞやおぞましい存在であるに違いない。
なんとなれば――
「きゃあぁぁっ!」
女が悲鳴をあげた。
それも無理からぬ話である。
――トーテムは、人骨でつくられていたのだ。
三つの頭蓋骨と、どこの部位とも知れぬ細い骨が絡みあって、冒涜的な燭台をつくりあげている。髑髏は、足下で煌々とかがやくロウソクに照らされて、眼窩の奥にふかい無念の闇を浮かべていた。
「ちくしょう、なんだよコレ、なんなんだよアイツはよぉぉ~!」
怒声をあげて、男はトーテムを蹴散らした。カラカラと乾いた音とともに、人骨が転がる。
興奮醒めやらぬ男と、おびえる女、そして呆然と立ち尽くす大地に、露伴は冷静に言い放つ。
「とまぁ、今まで何人もの人間が犠牲になったワケだ。さしずめ、邪神への捧げものってヤツかな。けれども、生きて帰ったヤツもいる。噂話が立つってことは、そういうことだ。それじゃあ、どうやって逃げたんだ? 決まってる。アレを開いたのさ」
露伴は、霧霞にかすむ壁を指さした。相も変わらず、門扉はかたく閉ざされている。そして、人の手では、それを開けることはできないのだ。
「壁の扉から逃げたっていうのか? でもよぉ、あんなの人間の力じゃあ開かないぜ。なにせ『電動』だからよォ。どうやってあんなの開けろってんだ……」
「そうか、発電機ですねっ」
大地は膝を叩く。
「あちこちに転がってる発電機。あれがこの村の電気を賄ってるに違いありません。だから、あれを修理すれば、きっと電動の扉も動くはず!」
露伴は頷きを返す。
そして、状況を整理してみせた。
「扉は重い。どれくらいの電力が必要なのか、いくつ修理する必要があるのかも分からない。それに、ここはヤツの庭だ。のんびり修理してる間はないぞ。後ろからブスッてことになりかねないからな。だから、みんなで協力してなるべく早くたくさん修理する必要がある」
「でも、発電機の修理なんてできるの?」
不安げに女が言い募る。
返答は、案の定であった。
「俺、機械いじりなんてしたことないぜ」
「私も、仕事と勉強なら自信があるんですけどネぇ……」
だが、露伴は自信満々に言い放つ。
「それについては問題ないぜ。まったく、ぼくと一緒で運が良かったな」
いつのまにか、露伴の背後に浮かぶ人影。
もしもそれを視認することのできる者がいたなら、それが、帽子を被った奇妙な少年であると知れただろう。
けれども、露伴以外にそれを認めることのできる者は、この場にはいない。
「『ヘブンズ・ドアー』!」
そのように露伴が呼称する存在――
スタンドと呼ばれるそれは、力ある精神のヴィジョンである。
ひょっとしたら、それは、世間で超能力と呼ばれるものの正体であるのかもしれない。
『スタンド使い』にしか視認することのかなわぬそれは、主の新たな目となり腕となって、見えぬはずの景色を主に見せたり、物を動かしたりするのである。
のみならず、スタンドは、一体一体が特別な異能を備えている。露伴のそれは『対象者を本にする』ことであった。
「こいつらを本にしろ」
という命令を受けて、本来不可視であるはずのヘブンズ・ドアーが、その姿を三人の前に現した。
三人が奇妙な少年の姿を認めるのと、その異変が起こったのは、まったくの同時であった。
「あばっ、あばばばば」
「あいえええぇぇ」
「うげぇっ。俺のっ、俺の身体がぁぁぁ」
奇妙な悲鳴をあげて、三人は地面に崩れおちる。足が、身体を支えることができなくなってしまったのだ。
肉と骨とで形作られたはずの足。それが、どういうわけか、本のような幾重もの紙束に変じてしまっている。ちょうど本が背を折って開くように、足はあちこちで折れ曲がり、それは、新たな間接ができたかのようであった。
異変は足だけに留まらない。腕の皮膚は、あちこちが逆剥けのようにめくれ。顔はそれ自体が一冊の本であるかのようパラパラと一枚一枚めくられ、その度に、表皮の下の筋繊維がむき出しになった。そこには、びっしりと、何か日記のようなものが書き連ねられている。
「ぼくのヘブンズ・ドアーは、人を『本』に変える。そして『本』に書かれているのは、肉体に刻まれた、そいつの歩んできた人生だ。だが、ぼくはキミたちの人生に興味なんてないし、何より今は時間が惜しい。さっさと済ますぞ」
露伴は、仕事道具の入ったポーチからペンを取り出すなり、すばやく『本』に走らせた。
――発電機を修理することができる。今起こったことは忘れる。
という二文が、彼らの肉体に刻まれる。
そして『スタンド』が姿を消すと同時。たちまち彼らは元通りの肉体を取り戻し、すべてを忘れ、いつのまにか胸中に芽生えた奇妙な確信を語り合った。
「あっれぇ。どういうワケか、俺、発電機を修理できそうな気がするぞォ~」
「あたしもよ。ひょっとして、あたしって天才?」
「何にせよ、これは都合が良い。はやく作戦を実行しましょうよ!」
三人は一斉に庭先へと飛び出し、発電機に群がった。そこに露伴も加わり、発電機を取り囲む四人は、さながらいっぱしの技術者であった。
「分かる、分かるぜェ~。ここをこうすればいいんだなッ」
「あ~ん、さっすがキンちゃん! でもあたしだって出来るのよッ」
「まァ、いちばん早いのは私ですけどね。露伴先生、もうちょっと急いでくれませんか」
「チッ、うるさいヤツだ。ぼくのお陰だっていうのに、生意気だぜ。無事に帰ったら、すぐにでも文字を修正してやるからな」
露伴のスタンド能力で本職さながらの技術を得た三人の手先がすばやく的確に動くのはもちろんのこと、露伴自身のそれも、なかなかのものだった。
岸辺露伴という漫画家は、作品に魂を吹きこむのは『リアリティ』であると固く信じていたから、様々な知識や体験を得ることに貪欲であった。この技能もまた、そうした信念の賜物である。けだし、芸は身を助けるのである。
とはいえ、その体験の追求のためにかような窮地に陥っているので、収支は赤字に傾くだろう。
それでも露伴本人は「良い体験をした」と喜ぶに違いない。そういうタフな精神をしていなければ、これほどの窮地において平静を保つことなどできはしない。
「いいぞ、順調だ。どうかこのまま、何事もなく直ってください」
大地が、祈るように囁いた。
その祈りに応えるかのように、発電機が息を吹き返す。
おおきな筐体の上部に並ぶ八つのピストン機構。それが、ガシャガシャと動き始めたのだ。はじめはゆっくり、そして、だんだんと激しく。
上下に動く機構が、空気を筐体に送り込んでは圧縮する。空気はますます高温に圧縮され、そこに吹きつけられた灯油が、たちまち燃えて炎の塊と化す。いよいよ筐体は高らかに吠えた。
「やった、直りましたァ!」
と分かったのは、廃屋の天井に電灯がともったからである。廃屋の電灯という電灯が、いっせに光を放ったのだ。
「うぉぉおお! これで助かった、助かったぞ、メグっぺ!」
「やったわね、キンちゃん!」
と喜んだのも束の間のことである。
「どうだ、扉は開いたか」
露伴が冷静に尋ねると、大地は眉毛を八の字に曲げて、泣きそうな声で答える。
「……ダメです。スイッチはオンになってるみたいナンですけど、いっこうに動く気配がありません」
「ふぅん。『電力』が足りないんだな。つまり、他の発電機も復旧する必要があるってワケだ」
「ウソ……だろ……」
喜びを裏切られた男女は、落胆の色もいっそう濃い。彼らは、力なく地面に膝をついて、うなだれた。
悪いことは重なるもので、廃村の奥から、けたたましいチェインソーの駆動音が鳴り響く。
「ねぇ、この音……近づいてきてない?」
「まさか、ここへ殺人鬼がやって来てるんですか!?」
「こんなまっくらな中で、電気が点いたんだ。そりゃあ目立つに決まってるさ」
怯える二人に、露伴は冷静に答えてみせた。
「ちっくしょおぉぉ! やってやる、俺はやってやるぜぇぇえ! あの野郎をブッ殺してやる!」
「キンちゃん、待って、あたしを置いていかないでッ」
「あっ、こらっ、待ちなさいッ。殺されるぞ!」
いったい、心のなかでどういう回路がつながったのか。男は、大地の制止をふりきって、肩をいからせて駆けていく。もちろん、女も追従した。
無謀であると言わざるを得ない。おそるべき怪力の、しかもチェインソーを携えた殺人鬼と相対するのは、徒手空拳の一般人なのだ。
闇の中へと駆けだした男女を、露伴は冷たく見送った。
「放っておけよ。あと一つか二つ直せば、扉も開くはずだ。アイツ等が囮になってくれるなら都合が良いじゃあないか。その間にゆっくり修理できる」
「それは、そうですけど……」
「なに、気にすることはないさ。案外、アイツ等はアイツ等で、うまいこと逃げ隠れしながら発電機を直すんじゃあないかな。つまり、手分けで作業するワケだ」
「手分け、ですか。それなら……」
大地の心に葛藤が生まれる。それは、やがて、保身と欲望とに傾いた。
「そうですよ。ここを上手く切り抜けて町まで帰れば、露伴先生の傑作マンガ、つまり私の成功は約束されたようなもの! 私は、こんなところで死ぬわけにはいかないんだッ」
そんな大地に、露伴は「素直になったじゃあないか」と小馬鹿にした笑みを向けた。
見えすいた野心と自己保身の心を、うすっぺらい偽善で覆い隠そうとする、つまらない男。その無様な仮面を剥いで、醜い本心をあらわにしてやったという優越感が透けて見える。
それは、喫茶店で不作法をたしなめられたことに対する意趣返しである。岸辺露伴という男は、やられたらやり返さなければ気がすまない性質なのだ。
それは、大地の肥え太った自尊心を刺激した。
「……くそぅ」
恥ずかしそうに。悔しそうに。
大地はぐっと拳を握りこむのであった。
そのようなわけで。
露伴と、死に物狂いの大地。ふたりは次の発電機にとりかかった。
その発電機は、廃屋から出てしばらくも歩かない場所、木々の間にひっそりと佇んでいた。
屋外である。木々の陰になるとはいえ、かなり離れている場所からも、夜目さえ利けば視認することができる。
「はぁ、はぁ。早く終わらせなくちゃ……!」
恐怖と緊張のあまり、大地は呼吸が乱れている。きっと心臓も激しく脈打っていることだろう。
さすがの露伴も、緊張に顔をこわばらせ、額には冷や汗をかいている。それでも憎まれ口を軽い調子でたたくことができたのは、彼の強かな精神力の証左であったかもしれない。
「全くの同感だが、焦ってミスをするんじゃあないぞ。それだけ時間を浪費するんだからな。――よし、あと少しだ」
いよいよ復旧なるかと思われたそのとき、
「ぎゃああああああ」
闇夜を引き裂いて、男のけたたましい悲鳴が響きわたった。
「アッ。男が捕まってますよ!」
幸か不幸か、大地は夜目が利く。
暗闇のなかでも危なげなく走ることができ、こうして修理をすることができるのは、幸いであった。
彼にとっての不幸は、男の様子がはっきり見えてしまうことである。
男は、頭から血を流し、地面に伏している。殺人鬼の右手に提げたハンマーで、強打されたに違いない。
殺人鬼は、ハンマーを地面に投げ捨てると、痛みにのたうちまわる男をむんずと捕まえた。
そのまま肩に担ぎ上げて、件の奇妙な柱へと連れて行く。
「おい、何をするつもりだ。止めなさい、止めろッ」
大地は必死に制止の声をあげる。
その声が届こうはずもない。大地は、悪夢にうなされる老爺さながらに、もごもごと、うわごとのように呟いていたのだ。
もちろん、殺人鬼はそのまま柱へと歩を進める。
もしもよく聞こえる耳を持っていたなら、男の必死の命乞いを聞くことができただろう。
「やめろ、やめてくれ! 俺をどうするつもりだ、やめろって、なぁ!」
と叫ぶ男の身体を、フックに押しつける。
鋭利な先端が、徐々に男の胸にめりこんでいき――皮膚を突きやぶり、筋肉をふかぶかと刺し貫いて、身体の反対側へと飛び出した。
「ぎゃあああっ」
絶叫。
再度、闇夜を悲鳴がふるわせた。
男の身体が、だらりと力なく吊り下がる。かと思えば、両の手でフックをつかみ、自身を持ち上げ逃れようともがく。
それは、まるで、針で以て標本台に刺し留められた昆虫のようであった。
「生きてます、男は生きてますよ!」
どういうわけか、男は死んではいない。胸を貫かれているにも関わらず、出血はほとんどなく、じたばたもがく元気すらあった。フックから降ろせば、そのまま走り出すことすらできそうである。
おそらく、重要な器官を避け、筋肉だけを貫いたのだろう。
それがいっそう恐ろしかった。
殺人鬼は、長く生かしたまま、むごたらしく被害者を苦しめる術を心得ているのだ。
その殺人鬼の足下に、よせば良いのに、すがりついて泣き叫ぶ者がいた。女である。
「やめてよッ、キンちゃんを助けてよッ――きゃあ!」
殺人鬼は、女の首ねっこを掴み、そのまま柱の裏側へと回る。
すると、どういうわけか、まるで露伴の『ヘブンズ・ドアー』が姿を現すかのように、すうっと、もうひとつのフックが柱から現れた。
露伴は驚きの声を上げる。
「なんだと、アレはスタンドなのか!?」
この越常現象にことさら驚いたのは大地である。こうした奇妙な現象を目にするのは、少なくとも彼の主観においては、初めてだったのだ。
「ひぃぃぃっ、邪神だ、あれは邪神の仕業にちがいありません! あの噂は本当だったんだ!」
――その廃村では、殺人鬼の幽霊が夜な夜な徘徊し、哀れな犠牲者を捕らえては、邪神に捧げるべく生け贄としている。
その噂を証明するかのように、柱の周りにさらなる異変が姿を現す。
黒く、ところどころ黄色い、蜘蛛の脚のような不気味な触手。四本の触手が、闇から浮かび上がるかのようにすうっと、吊り下げられた二人の周りに姿を現した。
触手は、獲物を狙う蜘蛛さながらにひくひくとその身を動かし、それは、二人の生け贄が力尽きるのを今か今かと待ちかまえているかのようであった。
「うおおおおっ、助けてくれぇぇええ!」
「ねぇっ、漫画家さんと担当さん、近くに居るんでしょおおお!? あたしとキンちゃんを早く助けてよぉぉ!」
という悲鳴が、離れた場所にいる二人にもはっきりと聞こえた。
必死の叫び。
それを無視して、二人は作業を続ける。
葛藤が無かったわけではない。大地は、はじめ、吊られた二人と露伴との間に視線をさまよわせていた。
ところが、
「おい、無駄口たたいてる暇があったら、さっさと手を動かせよ。さっきぼくに”早くしろ”と言ったみたいにな。生きて帰って出世するんだろう?」
と露伴が背を押すと、大地は逡巡して、やがてぐっと拳を握り込む。
それから、一心不乱に発電機をいじりまわす。
「すまない……すまなかったッ。すぐに、すぐに助けてあげますから!」
「おいおい、さっきと言ってることが違うじゃあないか。こんなところで死ぬワケにはいかないって、キミ言ってたぜ。それに、今キミがしてること。見捨てる為の準備みたいじゃあないか」
「うるさいな、黙れよ!」
大地が怒声をあげる。
「私だって、ほんとうは見捨てたくなんてなかったさ! だから、そうしない為に、こうして復旧を頑張ってるんじゃあないですか! 早く直して、退路を確保する。その上で、彼らを助ける。そういう『計画』なんですよッ」
人間というものは、窮地に追い込まれたときにこそ本質が見える。山中大地という人間は、とびきり見栄っ張りであるらしかった。一度は見捨てることを決意し、こうして逃げる算段をつけているにも関わらず、偽善を捨てられない。
だが、当の本人は、それが偽善ではない自身の本心であると信じているのか、それとも信じこもうとしているのか、頑なであった。
「ふぅん。それが単なる言い訳でなければ良いけどね。まぁいいさ。せいぜい見学させてもらうことにするよ」
きみが、自分がチンケなヤツだと認める瞬間が楽しみだよ――
露伴は嘲りの笑みを浮かべる。
それに気付かぬ大地ではない。けれども、大地は何も言い返そうとはせず――もはや言い訳をすることなく、行動で証明するのだとばかりに、黙々と発電機を修理する。
そして、とうとうその時がやってきた。
「直った!」
発電機が完全に息を吹き返した。と同時に、村のあちこちに電灯がともる。今や、村の電力は完全に復旧したのだ。
「扉が開くぞッ」
重々しい音を引きずって、門扉が開く。
それを目にするや、殺人鬼が驚きの声をあげた。
ひょっとしたら、それは、怒りの声だったのかもしれない。
言語にならぬ、暗く濁ったうなり声。獣のそれと選ぶところのない声には、驚きとも怒りともつかぬ”不快”の念がこめられているようだった。
人がいちばん最初に身につける感情は”快”と”不快”のふたつだという。だとすれば、それこそは、怒りや怨み、嫌悪といったありとあらゆる負の感情をどろどろに煮つめた、原初の怒りそのものに違いない。
獣の怒りをあらわにして、殺人鬼が走り出す。
行く先は、ぱっくり開いた門扉である。彼は、生け贄の逃亡をけっして許さぬつもりなのだ。
「私達を待ちかまえようってのか? だがそれがイイんです。きっとそうするだろうと思っていましたよ」
「おい、どこへ行くんだ。出口はそっちじゃあないぜ。早く逃げなきゃ、出口を塞がれるんじゃあないのか」
「だからどうした」
露伴は見た。大地の握り込んだ拳が、ふるふる震えているのを。
恐怖と意地の境目で今にも立ちすくみそうになりながら、それでも、一歩を踏み出すのを。
「露伴先生、言っておきますけどネ。負けず嫌いのあんたは、人をプライドの無いやつみたいに笑ってますけど、私にだってプライドもあれば負けん気だってあるんですよ。ああまで言われて、黙っちゃあいられない。――助けるんですよ、あの二人を!」
大地は吠えた。
一目散に走り出す。
草を蹴り泥をはねて、きれいな靴はあっという間に汚れまみれ、傷だらけになってしまう。
「へぇ、言うじゃあないか」
露伴はぴゅうと口笛を吹いた。
「見栄も張り続ければ本物になる。そういう『まるで劇画』って根性、嫌いじゃあないぜ」
走る大地を、露伴が追う。
向かったのは、殺人鬼とは逆の方向――カップルの男女が吊られている柱である。
柱のある外縁部は、家々の電灯で煌々とした村の中心部とは反対に、不気味なほど暗い。
電灯が無いからということもあるし、なにより、生い茂る下生えと木々とが、中心部からの光をさえぎってあちこちに陰をつくるのだ。それは、村を取り囲む森さながらであった。
そんな場所に吊り下げられた二人は、帰らずの森で首からぶらさがる死体のようにも見えた。二人は、力なくだらりとぶら下がっていたのだ。
「ねぇ、助けてちょうだいよ、ねぇ!」
大地はほっと安堵の息をついた。
大地と露伴に気付くなり、二人が元気に喚きだしたのだ。
「分かってます、もちろん助けますよ。その為に、わざわざ扉とは反対側のこっちに来たんですから」
「おお、ありがてぇ、ありがてぇ……!」
器用なことに、吊られた体勢のまま、二人はほろほろこぼれる涙を拭った。
「なんだ、思ったより元気じゃあないか。やっぱり刺しどころが良かったのかな? これはよく観察しておかないと」
「アナタって人は、ほんっっっとうに人でなしですネ!」
平常運転の露伴を一喝する。もちろんそれが堪える露伴ではないので、大地は、さっさと柱の二人に向き直った。
「もう大丈夫ですよ。いま降ろしてあげますから」
「おい、メグっぺに触るんじゃあねぇぞ。まずは俺を降ろせ。そしたら俺がメグっぺを助ける」
「もうっ、キンちゃんたらぁ~~」
「平常運転なのはアナタ達もですか……」
深いため息をついて、大地は男に向き直る。
両脇に手を入れ、子供を”高い高い”するように、ぐっと持ち上げた。
「ぐぬぬ――!」
ゆっくりと男の身体が持ち上がる。
胸から飛び出ていたフックが、だんだんと引っ込んでいく。
とうとう悪魔の顎から逃れることができたかと思ったその時である。
凛と、鐘の音が鳴った。
高く澄んだ、美しい鐘の音である。じっとり不快な空気を払うような、涼やかな音色。
でありながら、それはいっとう不気味であった。その音を聞いた瞬間、背筋に怖気が走ったのだ。
それが気のせいでないことは、たちどころに明らかとなった。
カメレオンが擬態を解くかのように。あるいは透明の迷彩服を脱ぎ捨てたかのように。
ソレは唐突に現れたのだ。
ボロボロの外套に、逆立つ伸び放題の黒髪は、獣の毛皮のよう。
手には人間の髑髏と背骨とでつくられた、冒涜的な棍棒を提げ。
仮面越しにのぞく瞳は、チェインソーの殺人鬼と同じく、白く濁った亡者の瞳であった。
「こいつは……こいつも殺人鬼ですか!?」
「どうやらそうみたいだな。殺人鬼は『二人』いたッ」
驚いた大地は、手を離してしまう。
「ぐえっ!」
たちまち男は、再度囚われの身となった。
果たして、それがきっかけとなったのか。
更なる変化が柱に現れる。
「ひえぇっ、触手が!」
獲物を絡みとる蜘蛛さながらの動きでもって、触手のひとつが男の喉元へと迫る。それは喉を穿つ断頭の一撃。
男は、命からがら触手をなんとか掴む。そこからは押しつ押されつの、一進一退のつばぜり合いである。
「うおおおぉぉお! 俺を助けてくれぇええ!」
と叫ぶ男に構う余裕などあろうはずもなかった。
夜の静寂が形を得たかのように、唐突に闇に浮かび上がった殺人鬼。ソレが、驚きに固まる大地を掴み上げたのだ。
こちらの殺人鬼も、やはり怪力であるらしい。じたばたもがく大地の抵抗をものともせず、柱へと一歩また一歩と進んでいく。
その頃には、柱には三つ目のフックが出現しており、新たな生け贄が捧げられるのを今か今かと待っていた。
しかし。
それを許す露伴ではない。
「おいおい、ちょっと待てよ。ぼくのことなんて眼中にないってか? だったら教えてやるよ。そういう、何でも思い通りになるって思ってるヤツにNOと言ってやるのが、ぼくは好きなんだ。――くらえ、『ヘブンズ・ドアー』!」
殺人鬼の眼前に、奇妙な少年が姿を現す。
それを見た殺人鬼は、たちどころに『本』になる筈だった。
ところが、である。
殺人鬼は、何事もなかったかのように、悠々と歩を進めるではないか。
「ナニッ。こいつ、ぼくの『ヘブンズ・ドアー』が効かないぞッ。『波長』が合わないのか!?」
露伴の『ヘブンズ・ドアー』は、誰にでも効く能力ではない。
もともとは、自分のマンガをまるまる一本読んで感動した読者を『本』に変える能力だった。それが、彼が漫画家として、あるいは『スタンド使い』として成長するに従って、わずか一頁を見ただけで、わずか一コマ見ただけで、そしてついには空中に描かれたスタンド・ヴィジョンを見ただけで『本』に変えることができるようになった。
けれども、自分のマンガに全く感動することのできない相手――いわゆる『波長』の合わない相手や、そもそもマンガを見ることのできない相手には、通用しない。
この殺人鬼は、そのどちらかであるに違いない。
ひょっとしたら、目は見えてはいるけれども、世界の見え方がまったく違うのかもしれない。無限の妄執に濁った瞳に、この世界は、邪神に捧げるべき生け贄とそれ以外という二色の、白黒模様にしか見えていないのかもしれない。
あるいは、彼らの精神はとっくに人間のそれではなくなっていて、人が楽しいと思うことを楽しいと思えず、また恐ろしい、おぞましいと感じることをそう感じることができず、邪神の哀れな走狗として、せっせと死体を吊り下げているのかもしれない。
とにもかくにも、殺人鬼は『ヘブンズ・ドアー』を無視して、というより目に入っていない様子で、露伴にすら構うことなく、大地をフックに吊り下げた。
「うぎゃああぁぁぁ」
それから、ゆっくりと露伴に振り返る。悠揚迫らぬ様は「今度はお前の番だ」と言わんばかり。
更に悪いことには、遠くからチェインソーの駆動音が、だんだん迫ってくる。もう一人の殺人鬼が、この場所をかぎつけたのだ。
絶体絶命の窮地である。
にも関わらず、露伴は余裕たっぷりに、口の端をつり上げ不敵に言った。
「なるほど、どうやらお前はあの丈助なみに趣味が悪いらしいな。それは不幸なことだ。いっそ哀れみすら覚えるよ。反対に、キミたちはつくづく運が良い。ぼくが一緒で良かったな」
露伴は、柱に吊られた三人に語りかける。
その背後にすっと浮かび上がる人影。
『ヘブンズ・ドアー』である。
たちまち『本』と化した三人の肉体に、『ヘブンズ・ドアー』はふたつの命令を書き込んだ。
――前方斜め上に飛びあがる。筋肉が張って、傷口がふさがる。
露伴の『ヘブンズ・ドアー』は対象の肉体を支配する。
それは、本人が思い出すことの出来ない、肉体に刻まれた記憶を盗み見ることもできるし、肉体に命令を刻みつけることすらできる。
たとえば、『目が見えなくなって時速七十キロで後ろに吹っ飛ぶ』と書きこめば、たちまち脳は視覚情報の処理を止め、全身の筋肉をいわゆる火事場の馬鹿力でもって駆動させ、常識では考えられないような大跳躍を実現させる。
であれば、
「うおぉぉぉおおお!?」
足の指先から首にいたるまで、全身の筋肉を爆ぜさせる。一糸乱れぬ連携でもって、その力を下から上へと伝達させた。
海老が跳ねるかのように、彼らは前方へ、ズキュゥゥゥンと飛び出した。
地面に降り立ったときには、ぽっかり穿たれた筈の穴はすっかりふさがっている。限界を越えて膨張した筋肉が、血流を遮ったのだ。
こうして、何メートルも飛びあがって殺人鬼から距離を稼いだ三人の尻を、露伴の言葉が叩きあげる。
「さぁ走れ。扉はもう開いてるぜ。走れッ」
「はっ、はいぃ」
「ひぃ、ひぃ」
我が身に起こった事態を理解することもできぬまま、彼らは一目散に駆けに駆けた。
理解する暇のあろう筈もなかった。すぐ後ろから、ニ体の殺人鬼が追いすがろうとしていたのだ。
四人は窓枠を飛び越えて、廃屋を通り抜ける。
「良い経験をさせてもらったよ。こいつはお礼だ、受け取ってくれ。――やれ、『ヘブンズ・ドアー』」
露伴はすばやく、男に命令を書き込んだ。
「うばっしゃあぁぁぁ」
たちまち男は飛び上がり、四人がくぐり抜けたばかりの廃屋に体当たりした。
もとより、崩れかけの廃屋である。そこにかまされた、大柄な男の火事場の馬鹿力での一撃。
ガラガラとおおきな音を立てて、廃屋が崩れる。
耳障りな悲鳴をあげて、ニ体の殺人鬼は生き埋めになった。
「や、やった!」
「あぁ~ん、さっすがキンちゃん! ステキッ。今夜はたっくさん『圧迫』してあげちゃうっ」
「マジかよメグっぺ。よっしゃ、今夜は『圧迫祭り』だなぁ」
「おいおい、喜んでる暇はないぜ。見なよ」
露伴が指さす先には、潰れた廃屋がある。ぽきりと折れた柱や、バラバラになった屋根が、山のように積み重なっている。
その山が、かすかに動いたのだ。
重く、とても人には動かすことのできない筈の廃材の山。それを怪力の殺人鬼は動かし、這い出ようとしている。
「さっさと逃げよう。ぼくはもう、コイツ等との鬼ごっこはゴメンだぜ」
「ひぃぃっ」
悲鳴をあげる大地を筆頭に、三人は、すっかり青ざめた顔を激しく上下させるのだった。
**
そうして、四人は廃村を後にした。
巨大な門を抜けた瞬間、どういうわけか、四人は「もうここはすっかり安全だ」と確信し、ほっと安堵の息をついた。
明らかに空気が違っていたのだ。
びょうと、一陣の風が吹く。それがあまりに涼しく清らかな空気だったから、それまで居た場所が、むせかえるように濃厚で、森のなかよりいっそう緑の香る、不自然な場所であったことに気付いたのだ。
と同時に、肌に纏わりつくような、ぬるりとした気味の悪い霧もすっかり晴れ、小鳥のさえずりさえ聞こえだした。
朝である。うっすらと、空が白ばみかけている。いつの間にか、夜が開けようとしていたのだ。
「うわぁぁぁ~ん、怖かったよぉ~、キンちゃん!」
「うおぉぉぉ~ん、助かったなぁ、良かったなぁ、メグっぺ!」
二人は抱き合って、安堵の涙をはらはら流した。
廃村は既に遠く、殺人鬼が追ってくる気配はない。あのけたたましいチェインソーの音も、ぞっとするような鐘の音も、もう聞こえない。
恐怖の夜は終わったのだ。
「今日はほんとうに良いネタが手に入った。この経験をネタにしたら、リアリティのあるマンガが書けそうだ」
露伴は上機嫌である。
彼は、放心して膝から崩れ落ちている大地の肩を馴れ馴れしく叩いて、言った。
「キミ、結構やるじゃあないか。今後も一緒に取材しようぜ」
「じょっ、冗談じゃあありませんッ!」
もちろん、大地は拒否する。
「こんなことしてたら、命がいくらあっても足りない。私はもう、露伴先生の担当なんてこりごりですからネッ」
「そうは言うけどね、キミ。出世の足がかりとして、ぼくの担当をするんだろう? こんなすぐに担当を降りちゃあ、根性なしの能なしだって証明するようなもんだぜ」
「た、たしかに、今すぐに担当を降りることはできません。少なくとも、私の功績が認められるまでは」
大地は、命をかけて意地を張り通すことのできる、極度の見栄っ張りである。
そんな彼が、出世のかかった仕事を投げ出す筈がない。
「それじゃあ、こんな無茶苦茶な人の担当を、これからもずっと? ああ、なんだか頭痛がします。目眩もだ……」
可哀想な大地は顔をまっさおにして、地面に崩れ落ちた。胸の傷が開きはじめたのだ。
そんな目に遭ってなお、仕事を降りようとしない彼の野心には、感心するところがある。
そんなひと皮剥けた大地のことを、露伴はすっかり気に入ってしまったと見える。
「おいおい、しっかりしろよ。町はすぐそこなんだぜ。ぼくにキミを背負って歩けってのか?」
彼なりの励ましの言葉をかけ『ヘブンズ・ドアー』で応急処置を施しながら、時に背を押し時に尻をたたきと、露伴にしては珍しく面倒見が良かった。
そのようなわけで、大地はなんとか無事に入院し、わずかばかりの休暇を享受することとなった。
――再び露伴の取材に引きずり回されるまでは。
「もしもし、ジャンプ編集部ですけどォ」
「大地くんか。すっかり元気そうじゃあないか。ぼくだよ、岸辺露伴だ。これから取材に行くぞ」
「露伴先生っ!? ひぃぃ、退院したばっかりだってのに、あんまりですよぉぉォ~!」
最後までお付き合いくださって、ありがとうございます。
DbyDプレイヤーがもっと増えると嬉しいなと思っています(ステマ)。
<自問自答Q&Aコーナー>
Q「発電機たったの2つで通電ですか(困惑」
A「仕様です。イージーモード(キラーにとってはハードモード)が実装されました」
Q「キラーが二人なのも仕様ですか」
A「仕様です。ハードモート(キラーにとってはイージーモード)が実装されました。実際、ゲームがリリースされた当初は、サバイバー二人とキラー二人がマッチングするという(悪)夢の仕様が実装されていました」
Q「キラーの描写が本物と乖離していませんか(特にレイスくんの容姿)」
A「リンゴの絵を書いてみてください。上手に描ける人は意外と少ないものです。つまり、そういうことです。ですが、再現度の代わりに愛を詰め込んだつもりです」