「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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6月 恋文

 鮎美は帰宅して遅めの夕食を両親と食べ、入浴してから自室のベッドに寝転がった。

「はぁぁ……疲れたぁ…」

 心身の疲労が強いし、どちらかといえば心が疲れている。

「……まだ始まってないのに………こんなんで、うち、やっていけんにゃろか……」

 枕に顔を埋めると、シャンプーの香料と自分の髪の匂いがした。

「…………鷹姫……」

 想い出すつもりはなかったのに、鷹姫の匂いを想い出した。

「………………」

 フラリと立ち上がった鮎美は制服のスカートからハンカチを出して、その匂いを嗅いだ。

「………」

 洗濯洗剤の香りがする。今朝、鷹姫のうなじを拭いたハンカチからは望んだような匂いはしなかった。

「…………病気や………また、この病気に……前の学校でも失敗したのに……」

 高校2年から3年にあがるとき、父から引っ越しすると言われて、あまり反対しなかった。むしろ、内心でほっとしていた。

「……結局、あの子は彼氏つくって……………」

 大阪の学校で、後輩女子から求められて交際していた。けれど、手をつないで校舎や街を歩くことはあっても、それ以上のことは求められなくて、逆に自宅に招いた時、ベッドに押し倒したら、はじめは照れて微笑んでいたのに鮎美が本気で求めると、青ざめて逃げてしまった。その日以降、避けられたし、すぐに彼女は男子と交際を始めてしまった。

「………この子も、どうせ……」

 鮎美はカバンから2通のラブレターを出した。女子からもらった方を読む。

「……憧れ……憧れと現実はちゃうし……」

 文面を読めば、だいたいの気持ちはわかった。

「やっぱり、この子も、お試しの告白ごっこをしてるだけや……女子同士なら安全やって思って……」

 鮎美はラブレターに書いてあった連絡先へスマートフォンで丁寧な断りの返事を送った。

「これで失恋ごっこもできるやろ」

 鮎美はスマートフォンを置いて、もう1通を手に取った。

「こっちは、どうしよ……」

 男子からもらったラブレターを読んでみる。

「一つ年下か……日時指定の呼び出しって……男って勝手やな。連絡先くらい、書いとけちゅーねん。そもそも日曜日は市議選の応援があるし。そのくらい、わからんか? まあ、わからんわな。うちも、そんなんあると思わんかったもん」

 文面は好意を抱いていることと、次の日曜日にデートを申し込んできていたけれど、日曜日は朝から夜まで予定がつまっている。

「朝9時に六角駅か……鈴木先生の事務所から、すぐやな……自分で断るか……静江はんか、鷹姫に……私用に秘書を使うのは、あかんかな……けど、日曜が予定いっぱいなのは公務のせいで……」

 公私の区別がわからなくなってくる。

「……この男子にしても、来年は投票できるし……邪険にするのも……って、うちも、せこいな……どうせ、うちが国民審査を受けるのは6年後やのに。……清き一票か……わざわざ清きを付けるあたり、汚れた一票もあるんやろうなぁ……」

 鮎美はラブレターを放り出して、またハンカチの匂いを嗅いだ。

「………鷹姫…………あかん、忘れよ! 鷹姫のことは考えない! 忘れる!」

 頭の中から彼女のことを追い出して別のことを考え、鐘留のことが頭に浮かんだ。

「カネちゃん、夜が怖いとか……」

 もう夜が更けている。鮎美はスマートフォンで鐘留が起きてるか、メッセージを送ってみた。

「起きてる?」

「まあね。何?」

 即返信があった。鮎美も女子高生らしく即返信する。

「どうしてるかなっと思って」

「心配してくれたの? アユミン超優しい!」

「元気そうやね」

「ううん、超淋しい! 夜は怖いの。今すぐ会いに来て!」

「うちらの間には太平洋より大きな大海があるねん」

 相手がふざけているので鮎美も軽い返事を送る。

「泳いできて!」

「死ぬちゅーねん」

「夏だし、片道30分」

「夜中に遠泳せいてか?」

「愛があれば平気」

「ないから」

 とりとめのない女子高生同士の短文送受信をしているうちに、眠くなってきた。

「もう、寝るわ」

「うん、おやすみ」

「オネショせんときや」

 何気なく送ったメッセージの直後に鐘留から電話がかかってきた。

「もしもし? どないしたん?」

「超ムカつく!」

 怒った低い声は震えていて感情が滲んでいた。

「オネショのことバカにして!」

「そ…そんなつもりやないよ。うちは心配して…」

「ウソ! 超からかってる! 心ん中で笑ってる!!」

 いつも余裕ぶった人を食ったような話し方をする鐘留が今は神経質な金切り声で言ってくるので鮎美は動揺して謝る。

「…ごめん…カネちゃん……ごめんな、怒らせるつもりやなくて…」

「もともと話すつもりなんかなかったのに! あんな変な団体が来るから!! アユミンのせいだ!」

「うん、ごめん、ごめんなさい」

 ともかく謝罪一辺倒で応えていると、だんだん鐘留も落ち着いてくる。それでも震えた声で言ってくる。

「文字記録が残るメッセージなんかでオネショのこと送らないで。誰かに見られるかもしんないじゃん」

「そうやね、ごめん。うちの配慮が足りんかったよ、ごめん」

「電話おわったら、すぐ消してよ。絶対」

「うん、必ず。ごめんな、カネちゃんが、そんな気にしてるって思わんかってん。ごめん、ホンマごめん」

 心から鮎美が謝ると、やっと鐘留の機嫌も直った。

「今回だけ許してあげる。アユミンは友達だし」

「うん、ありがとうな」

「………。ごめん、アタシもヒス起こした……ごめんね」

「ええよ、誰かて気にしてることや触れられとうないことあるもんね。うちが悪かったんよ、ごめんな」

「ありがとう、アユミン。アユミンがいてくれるなら修学旅行も安心だよ」

「修学旅行……って、いつ? 3年生やのにあるの?」

「あ、これも知らないの? 転校してきたんだもんね。受験が終わった三月だよ。ほぼ卒業旅行みたいな感じであるよ」

「三月かぁ……なんで、三月なんかに、もう大学に入る寸前やん」

「詳しく知らないけど、なんか宗教的理由だよ。うちの学校ってキリスト教系じゃん。元シスター系とかなんとかで普通のキリスト教と違って、神のことエホバって呼ぶし」

「うち、転校してから気になってたんやけど、みんな信仰心、どのくらいなん?」

「ぜんぜん♪ 少なくともアタシは。たぶん95%の生徒は、何も信じてないよ、普通に家の仏教とかじゃない。その仏教も信じてないかもね」

「ほな、先生らは?」

「先生たちは半々らしいよ。半分が信仰してて、もう半分は共産党系だって」

「日教組かぁ……」

 もう鮎美も自民党の大人たちから色々な話を聴いているので学校教師に共産主義者が多いことは知っていた。

「とにかく修学旅行は三月って創立の頃から初代の帆場理事長が決めたらしいよ。で、修学旅行から帰ってきた翌日に卒業式」

「それ卒業生を泣かしたろゆー狙いを感じるわ」

「きゃははは、そうかもね」

「それに三月やと、うちは通常国会中やから行かれへんかも」

「えーっ?! 行こうよ! 淋しいよ! アユミンと友達になった真の目的は修学旅行でハミらないためなんだよ!」

「……」

「ね、行こう♪」

「はいはい、考えとくわ。けど、国会やからなぁ……。うわ、もう2時やん。寝るわ」

「うん、おやすみ」

「おやすみ」

 やっと鐘留とのコミュニケーションを終えると、すぐに睡魔が襲ってきて眠る。そして一瞬で朝になったように感じた。

「もう朝か……もっと寝てたいわ……」

 仕方なく起きて学校へ向かう。船着き場で鷹姫に出会った。

「おはようさん」

「おはよう」

「……。今朝も朝稽古したん?」

「ええ。……匂いますか?」

「どうかな」

 鮎美は顔を鷹姫の首筋へ近づける。昨日と違って、時間的余裕をもって行動していたようで鷹姫は流すほど汗をかいていないけれど、夏の朝ということもあって汗ばんでいる。

「………」

「………」

「どうですか?」

「襟の方は大丈夫やけど……腕、あげてみ」

「こうですか?」

 素直に鷹姫は左腕をあげた。その袖口から鮎美が匂いを嗅ぐ。早朝から稽古していた鷹姫の腋から、タンポポの根を抜いたときのような香りがして、鮎美は嗅ぎ続ける。

「…………」

「………。そんなに長く嗅がなければ、わかりませんか?」

「あ、いや……まあ……っていうか…」

 鮎美は一瞬だけ見えた鷹姫の腋が気になったので、ブラウスの袖口を指先で引っぱった。

「ちょっと腋を見せてみ」

「………」

 黙って鷹姫は腕をあげつづける。鮎美は指先で袖口を引いて、奥を覗いた。

「鷹姫……毛を剃ってないの? 夏やのに。忘れてるで」

 鷹姫の腋には毛が伸びていて、毛量は少ないけれど、一度も剃ったことがないような長さに伸びていた。

「剃っていません」

「……。そんな堂々と答えられても……半袖なんやし、剃った方がええよ。剃ると肌荒れする方?」

「どうでしょう。剃ったことが無いのでわかりません」

「なっ……マジで?」

「何か問題でもありますか?」

「……そ……それは、カネちゃんやないけど、女の子として、どうかな……と思うけど……あんたって、どこか無頓着というか、剣道以外は、どうでもいいみたいなとこあるから心配やわ」

「もう、腕をおろしていいですか」

「あ、うん、ごめん」

「船頭さんが待っています、急ぎましょう」

 鷹姫が歩き出したので鮎美も続き、すぐに小舟で学校へ渡る。今朝も鐘留が元気そうに現れた。

「おはよー、アユミン、宮ちゃん」

「おはようさん」

「おはよう」

「カネちゃんの露出も、あいかわらずやな」

 鮎美は短すぎるスカートと袖も無く丈も短い鐘留のブラウスを見て言った。鐘留がクスクスと笑う。

「アユミンってさ、ちょっとエロい目でアタシを見るよね? 男子みたいに」

「っ、ア、アホなこと言わんといて!」

「だって今もモロに胸を見てたじゃん」

「ちゃ、ちゃうよ! いつ見ても腋の処理が完璧やなって! 毎日剃ると荒れん?」

「アタシは元モデルだよ、そんな原始人みたいな方法やるわけないじゃん」

 鐘留が微笑みながら両肘を肩の高さにあげた。真っ白い腋の肌が見えるようになり、毛穴一つ無い。

「えらいキレイやけど、どうやったん?」

「レーザー」

「さすが元モデル」

「そういうアユミンは?」

 鐘留が素早く鮎美の手首を握って腕をあげてくるので、慌てて逃げた。

「こ、このところ忙しかったから!」

 逃げた鮎美は両腕で自分を抱くようにして腋を守る。

「フフ、その様子だと自信ない?」

「ずっと忙しいから疲れてるし! お風呂に入るときには、もうヘトヘトなんやもん!」

「真っ赤になっちゃって、アユミン可愛いなぁ」

 二人が騒いでいると、鷹姫は腕時計を見て歩き出した。

「急ぎなさい。遅刻しますよ」

「「はーい」」

 古堀から道路へ出ると、まるで待ちかまえていたかのように選挙カーが通りかかった。

「茶谷です! 茶谷弘幸です! おはようございます! 茶谷弘幸です!」

 ウグイス嬢の声が大音量で町中に響き、助手席に乗っている茶谷が窓から手を振っている。選挙カーは速度を落とし停車すると、茶谷が飛び出すように降りてきて鮎美に握手を求めてくる。

「おはよう、芹沢さん!」

「あ、は、はい。おはようございます、茶谷先生」

 鮎美は勢いに押されつつも握手に応じる。二人が握手すると、ウグイス嬢が叫ぶような声で告げる。

「茶谷先生を次期参議院議員候補予定者の芹沢鮎美さんも応援してくださっています! 茶谷弘幸です! 茶谷を芹沢さんも応援されています!! 茶谷、茶谷!」

「ありがとう、芹沢さん」

「は、はい…が、頑張ってください」

「芹沢さん、写真を撮るから、あちらを向いて」

 いつの間にか、選挙カーから降りた運動員が二人へカメラを向けている。鮎美と茶谷は握手したまま、レンズへ笑顔をつくって向けた。

 パシャ

「もう一枚いきます!」

 二枚目を撮るときに茶谷が鮎美の肩に触れてきたので、露骨に嫌な顔をしてしまった。撮影していた運動員が、それに気づいて撮り直す。

「もう一枚!」

 鮎美は笑顔をつくる努力をして、肩に触れている茶谷の手から感じる暑苦しさは忘れることにする。握手と撮影を終えた茶谷たちは、また連呼しながら選挙カーで去っていった。

「はぁぁ……」

 鮎美がタメ息をついた瞬間、また次の選挙カーが近づいてくる。

「鈴木です! 鈴木義則でございます!」

 やはり目的は茶谷と同じで、鮎美と握手し、そのことを大音量で響かせ、また撮影もしていく。静江から怪しい業者との撮影は避けるように言われているけれど、自民党候補者は怪しい業者ではないので鮎美は笑顔をつくる努力をつづけた。やっと鈴木が去り、少し歩いて学校に近づくと、西沢が交差点で旗を持って立っていた。他にも何人か、同じ色の旗を持っている運動員がいて、共産党の候補者がマイクで演説していた。

「大塚です! おはようございます!」

「……」

 鮎美は、どんな顔をすべきか迷いながら学校へ行くために交差点を通り過ぎようとするけれど、西沢が鮎美に声をかけてくる。

「おはよう、芹沢さん!」

「お…おはようさんです」

「お手紙、ありがとう!」

 西沢へ鮎美は共産党へ入れなかったことの詫びを手紙で伝えていたので、その返礼を言われ、再び表情に困る。どんな顔をすべきか、わからない。なのに、西沢は握手を求めてくるし、人から握手を求められて拒絶したことがない鮎美は迷いながらも応じた。西沢との握手が終わると、共産党の市議選候補者まで鮎美と握手を求めてくる。また、鮎美は流れに逆らえず握手に応じた。

「ありがとう! 芹沢さん!」

「ど…どうも…」

「若い力をいただきました!」

「は…はい…」

 手を離してくれないので鮎美が困り切っていると、鷹姫が動く。

「もう遅刻しますから急ぎましょう!」

「あ、そ、そやね。ほな、頑張ってください」

 なんとか振り切って、やっと学校に入った。ちょうど西沢たちは学校から100メートル離れた交差点で演説していて、公選法上の病院や学校付近での静謐を守るという条件を満たしているのだと、振り返りながら思ったけれど、とにかく今日も朝から疲れた。

 

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