鮎美と鷹姫は女子更衣室で体育のために着替えていた。
「お腹空いたわぁ」
「まだ二時間目が終わったばかりでしょう」
「成長期やからね!」
やや自慢げに鮎美は胸を張って乳房を鷹姫へ向けた。平均的な女子より大きめの乳房を向けられても、ごく平均的な大きさをしている鷹姫は気づきもせずに着替えを終える。
「くっ……無視しおって」
「? 何がですか? 早く着替えなさい、遅れますよ」
「へいへい。今日の体育はなんやの? 先週までソフトボールやったけど」
「剣道です」
「……剣道か……」
いつも快活で単純な顔をしているのに、やや複雑な表情をした鮎美は体操服に首を通した。体育館に隣接した武道場へ2クラスの女子が集まり、女性の体育教師が授業を始める。
「今日からは剣道になります。この中に経験のある人はいますか?」
「はい」
鷹姫が挙手したけれど、全国大会に出ている彼女に経験があることは全員が知っているので、とくに反応は無い。
「一人だけですか。他には?」
あまり女子が参加する競技ではないので誰も手を挙げない。それでも教師は模範演技をさせるのに二名以上の経験者がいてくれると便利なので重ねて問う。
「少しの経験でもある人はいませんか?」
「………」
鮎美が、わずかに手を挙げて言う。
「……中学で少しだけ……」
「あなたも剣道をしていたのですか」
意外そうに鷹姫が問うと、鮎美は無表情に答える。
「…ちょっとだけや…」
「転校してきた芹沢さんでしたね。では、宮本さんと前へ出てください」
二人が前に出ると教師はソフトビニール製の剣を渡してくれる。
「まだ今日は竹刀や防具は着けず、このスポーツチャンバラ用の剣で型を紹介します。二人は向かい合って構えてみてください」
「……はい」
鷹姫は軟らかい剣を少し不満そうに、鮎美も剣の軟らかさを撫でて確かめながら構える。
「さすがに宮本さんは、さまになっていますね」
「当然です」
「……そ…そうですね…」
「あんたは謙遜という概念を知らんのか?」
鮎美も構えながら、一歩、鷹姫へ踏み込んでみて、すぐにさがった。
「……あかん……正面からでは、とても……」
鮎美は構えを解いてダラりと立つ。やる気の無さそうな様子を見て教師は構えたままの鷹姫をモデルに決めた。
「はい、まずは宮本さんの足元を見てください」
基本の説明が始まり、鮎美は聴いているフリをしながら鷹姫の背後に回ると、後頭部を狙って剣を振った。
「せいや!!」
スパァン!!
次の瞬間、強烈な一刀が鮎美の額を撃っていた。先に打ちかかっていたはずの鮎美の剣は鷹姫の頭に当たることなく避けられ、避けると同時に鷹姫が放った一刀で強かに顔面を打たれている。ソフトビニール製の剣でも目から星が出て、鮎美はフラフラと立ちくらむ。
「ぅうっ…痛ぅぅ…」
「卑怯者」
鷹姫が冷たく言い放つと、鮎美は頭に血が上って打たれた以上に赤くなった。
「くっ! よくも!!」
懲りずに再び打ちかかるけれど、実力差が大きくて易々と剣先で払われ、また額を打たれる。
スパァン!
痛そうな音が武道場に響く。
「くぅぅッ! 痛ァっ、もう許さん!!」
「「「「「……………」」」」」
クラスメートたちも教師も、許すも許さないも先に不意打ちしようとしたのが鮎美であることは見ているので不思議に感じたけれど、とうの鮎美は怒り心頭で打ちかかっていく。その鮎美の動きは三年のブランクがあったけれど、かなりの実力があったことを感じさせるものだった。
「でやぁ!」
「愚かな」
それでも鷹姫にかなうはずもなく、また額を打たれて鮎美は涙を滲ませると防御を無視して突撃する。剣で打たれてもソフトビニール製なので覚悟していれば倒れることはない。鮎美は剣を捨て、そのまま鷹姫に掴みかかって押し倒そうとする。
バッ!
掴みかかられた鷹姫も剣を捨て、鮎美の襟元を両手で捕まえると、右足を鮎美の下腹部にあてながら後方へ倒れ込むように回転して、相手を勢いのままに投げ飛ばした。
ドンッ!
巴投げされた鮎美は受け身を取れず背中を打ったけれど、それでもフラフラと立ち上がり、また鷹姫へ挑もうとするので、ようやく教師が止めに入る。
「芹沢さん、やめなさい!」
「くっ、離しぃや!」
鮎美は教師に押さえられても、なおも挑もうとしている。さすがに鷹姫も不思議に感じて問う。
「あなたは私に何か恨みでもあるのですか?」
「あるわい!! 忘れもせぇへん! 三年前の準々決勝!」
「三年前……」
そう言われても鷹姫は思い出すことができなかった。それが、ますます許せないというように鮎美が吠える。
「よくも忘れおって! 再会したのに! 思い出しもせん!!」
「…………」
やっぱり鷹姫は思い出すことができない。
「よくも、よくも! キレイさっぱり忘れおって! あんたに負けて、うちは剣道を辞めたし! ずっと、ずっと、あんたのことは覚えておったのに!」
「そう言われても……」
かなりの執念を向けられて鷹姫も困っている。鮎美が転校してきてから二ヶ月、たまたま登下校がいっしょなことと、もともと鷹姫もクラスで浮いていたこともあって行動をともにすることが多かったのに、鮎美が心の中で何か抱えていたようで鷹姫は美しい顔を困惑で曇らせている。
「三年前……そのとき、私は何か卑怯な勝ち方でもしたのですか?」
「そんなことやない! 試合のあと、うちは、あんたへ挨拶に行って、優勝まで応援するよって! ほんで、あんた優勝したんや!」
「………」
「やのに、すっかり忘れて! 少しも覚えてへんなんて! ひどいやん!」
「…………それは逆恨みというか……何というか……」
「「「「「……………」」」」」
もうクラスメートたちも、覚えていて欲しかったのに忘れられていた悲しさで怒っているだけという鮎美に気づいている。鮎美は乱暴に涙を払って鷹姫を睨んだ。
「ホンマに、うちのこと少しも覚えてへんの?!」
「……はい、覚えていません」
「くっ……平然と肯定しおって!! あんたの、そういう真っ直ぐなところが………ところが、……腹立つわ!!」
「…………」
一応、鷹姫は記憶を遡ってみる。けれど、やっぱり覚えていなかった。芹沢鮎美という名を認識するようになったのは、転校してきてからで、それ以前に覚えはない。
「やはり覚えていません」
「くっ…ぅぅ…」
これ以上の授業妨害をされたくないので教師は鮎美に指導する。
「芹沢さん、保健室へ行って頭を冷やしてきなさい! 保健委員の人は送ってあげてください」
鮎美は保健室に送られる。しばらくして落ち着いたけれど、すぐに次の事態が起こった。なんとなく教室へ戻りにくくて、保健室で昼休みをむかえると、校内放送で呼ばれた。
「3年生の芹沢鮎美さん、校長室まで来てください。繰り返します、3年の芹沢鮎美さん、校長室まで来てください」
「なんやろ………生徒指導室なら、ともかく、校長室に、呼ばれるほどの乱闘やったかな……」
乱闘を挑んだ認識はある鮎美は不安そうに校長室へ出向いたけれど、そこで待っていたのは見知らぬ大人たちだった。
「民主党の細野太志です」
「自民党の石永隆也です」
「共産党の西沢光一です」
「は…はぁ…芹沢ですけど…うちに何か?」
「「「ぜひ、芹沢さんとお話をしたいのですが…」」」
異口同音され、そして大人たちの微笑みから勧誘の匂いが立ちこめていたので、鮎美も社会経験はなかったけれど、なんとなく用件はわかった。そして、校長まで微笑んでいる。
「芹沢さん、ご当選、おめでとう! 我が校から、日本初の高校生国会議員が誕生すること、私も嬉しく思いますよ」
「は…はぁ…」
「ぜひ、芹沢さんには民主党へ入っていただきたいのです! どうか、お話を聴いてください!」
「まずは自民党の堅実さについて、どうか知って欲しい!」
「新しい世代には新しい思考が必要です。どうか、共産党へ!」
「そ…そんな、いっぺんに言われても……。校長先生、うちは、この人らの話を聴かなあかんの?」
「それぞれの党には候補者に対して面接を求める権利があります。ただし、他党の議員が立ち会うもとでのみ、自らの党への勧誘が許されます。三年生なら習ったでしょう?」
「ちょっとは……けど、受験には出にくい範囲やから……うちは日本史で受験するつもりやったし現代社会は、軽くしか……」
困惑する鮎美を三党の政治家が口々に勧誘してくるので、見かねた校長が一党につき30分ずつ話すということで面談し、その長い90分が終わって、やっと解放されると思ったのに、鮎美が聴いたこともないような党名の政党まで終わるのを待っていて、面接を求めて来ていた。
「芹沢さん、次は我が党について説明させてください!」
「うちは……お昼ご飯も、まだなんやけど……」
そう言って、やっと弁当を食べることができたけれど、食べ終わると、また各党について熱心に説明され、とても疲れた。下校時刻まで次々と勧誘を受け、重い疲労感と明日も会いに来るという煩わしい予定を背負って鮎美が校門を出ると、鷹姫が待っていてくれた。
「……あんた……待っててくれたん……?」
「あなたを待たなければ船頭さんが二度手間になるでしょう」
鷹姫は待ち時間に読んでいた本を閉じ、公衆電話で島へ連絡を取った。すぐに老船頭が迎えに来てくれるはずで、それを二人で待つ。
「…………」
「…………」
体育の授業中にあったことを思い出して鮎美は気まずそうに黙り、鷹姫も黙っている。沈黙に耐えかねたのは鮎美だった。
「政党って知ってる?」
「………その前に、あなたは私に謝るべきことがあるでしょう」
「うっ……うちが悪いの?」
「…………」
沈黙で肯定され、鮎美が負ける。
「ごめん……ついカッとなって……せやけど、まったく覚えてへんなんて……ひどいやん。うちは、あんたとの試合で実力の差ちゅーもんを思い知って……高校に入ってからは剣道せんかったんよ」
「………」
「…………。応援してあげたのに……あんたかて、ありがとう、って笑顔で言ってくれたのに」
「……………」
「大阪で高校に入ってからも、あんたが優勝してるの何度も聴いたし、心の中で応援してたし。まわりの友達にも、あんたと勝負したこと自慢してたのに」
「つまりは私が、あなたを忘れていたことを怒っていたのですね」
「……そうや! ちょっとくらい覚えていてくれてもええやん! うちは父さんの都合で転校が決まって、それが、あんたのいる学校やって思ったら、すごい嬉しかったのに! 引っ越してみたら、あんたと同じ島やったから超嬉しかったのに! あんた再会しても少しも思い出してくれへんやん!」
「………芹沢、一つ、あなたに問います」
「な、なんよ?」
「あなたは私と準々決勝で対戦したと言いましたが、では、その前の試合で対戦した者の名を覚えていますか?」
「え………そんなん、覚えてるわけないやん」
「ということです。人は勝った試合など覚えていないのです」
「ぅっ…………」
言われれてみれば、鮎美も直前の試合相手など覚えていなかった。負けたからこそ、強く記憶していたのだ、と言われてしまうと反論が無い。
「……くっ……また一本取られた……」
悔しいからなのか、恥ずかしいからなのか、鮎美の顔が赤く染まる。それに配慮したのか、鷹姫は話題を変える。
「それで政党が、どうしたというのです?」
「………さっきまで、ずっと勧誘されたんよ。うち、もしも議員になるんやったら、どこかの政党に入った方がええのかな?」
「たしか、無所属の議員もいたでしょう」
「そうなん?」
「ええ、3年前に選出された新制度において第一期となった参議院議員は半数が3年任期、もう半数が6年任期でしたが後者でも30%が、いまだに無所属のはずです」
「そうなんや……ほな、うっとおしいし入らんちゅー手もあるんや」
「急いで決めることでもないでしょうが、入らなければ入らないでデメリットもあるでしょう」
「どんな?」
「自分で方向性を決めなければならず、また情報も限られ、迷うことも多く、付和雷同しやすいでしょう」
「ほな、入った方がええんや」
「入れば、入ったで情報は偏り、方向性は自分だけで決められるものでもなくなるでしょう」
「………どっちも、どっちなんや……」
「急いで決めず、ゆっくり考えなさい」
「そうやね……なんとなく、民主党か、自民党かなって気はするんやけど」
「そうですね。その二つが二大政党ですから」
「あ、お迎えが来てくれはった」
話しているうちに二人を迎えに来た小舟が船着き場に泊まってくれる。
「おおきに!」
「ありがとうございます。遅くなって、すみません」
「ええよ、ええよ」
ニコニコと微笑んで老船頭は二人を乗せてくれ、狭い水路でUターンして島へ向かう。人口は千人に満たない小さな島は大きな湖に浮かび、漁業と観光で生計を立てている。鮎美と鷹姫は、どの政党に、どんな特徴があるか、話し合いながら揺られていたけれど、島へ近づくと、もう選択の余地が無いことを思い知った。
「「「当選おめでとう!!」」」
「「「芹沢先生万歳!!!」」」
小さな港に島の大人全員が出ているのかと思うほど、人が立っている。そして鮎美を祝う横断幕と旗が並び、もう当選辞退などありえないと理解できたし、さらに自民党の議員だけが多数上陸していて、鷹姫は思い出した。
「私たちのような小さな島は伝統的に自民党支持でした………他の選択肢は無いでしょう」
「……そうなんや……世の中、いろいろ……人生いろいろ、とか言うた人も自民やったかな……ははは…」
力なく鮎美は笑い、これからの大変さを予感していた。