「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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10月 畑母神

 翌週の日曜日に、鮎美と鷹姫、陽湖は朝一番の連絡船で本土へ渡り、路線バスで学園前に着くと、鐘留の制服姿を見て鮎美が驚いた。

「カネちゃん、まともな制服もってたんや?!」

「冬服はね」

 鐘留は冬服を着ていたけれど、まったく改造されていなくてスカート丈も袖も購入時のままだった。制服の移行期間である10月は夏冬どちらで登校しても良かったけれど、鮎美にとっては鐘留と知り合ってから初見になるので驚いている。

「あの露出狂みたいなカネちゃんが……なんで?」

「だって、いつもの夏服だと礼拝堂には入れないって月ちゃんが連絡してきたし。そろそろ季節的にもね」

 鮎美が日曜礼拝に参加すると聴いて鷹姫はもちろんのこと、鐘留も興味をもって参加すると言い出し、陽湖はそれを歓迎しているので学園前に集合したのだった。鮎美が鐘留の制服姿を見つめながら言う。

「スカート丈もそのままとか……もしかして、礼拝堂に入るために再購入したん?」

「まさか。そこまで好奇心を覚えるような建物でもないしね。冬服は、ずっと三年間このままだったよ」

「……なんでなん? スカートくらい、ちょっと切るとか折るとかせんの?」

「冬に着るんだよ。そんなことしたら寒いじゃん」

「………それだけの理由なん?」

「なんでアタシが寒いの我慢してまで男子諸君にサービスしないといけないの? 暑いときは脱ぐ、寒いときは着る、人類の知恵だよ。知恵の実、美味しかったのかな? アダムもレビューくらい残せばよかったのに」

「参加する前からケンカ売るようなこと言わんとき」

「きゃはっ♪」

「シスター鐘留の周りだけは一年中、冬だと良いですね」

「来週から気温さがるみたいだし、アタシの夏服姿も男子には気の毒だけど見納めだったかもね」

「そうなんや……」

 鮎美は少し残念に想ったけれど、どちらかといえば露出しすぎの夏服姿より、今の方が好みだった。鐘留が長めのスカートをつまんで腿を見せて言う。

「女子高生としてのアタシの夏も終わったんだねぇ。立てば勃たせて、座ればパンチラ、歩く姿はチラリズムと言われたのに」

「ははは……。けど、改造なしのカネちゃんも逆に新鮮で可愛らしいよ」

「ありがとう、アユミン。でも、真冬には期待しないでね」

「真冬になると、どうなるん?」

「ロシア人♪」

「は?」

「芹沢先生、緑野は単に我慢がないだけです」

「シスター鷹姫の言う通りですね。真冬になるとモスクワのロシア人みたいなカッコで登校してきますよ。スキーウェアのような上下に、分厚いコートと手袋、毛皮の帽子。雪の日なんてゴーグルと防寒マスクまでして。六角市は北極でも南極でもないのに」

「一切の露出がないカネちゃんか……極端やなぁ」

「自宅の部屋だと、裸に近いカッコだよ。パーッと脱いで大解放」

「光熱費とか地球温暖化とか無視やなぁ……」

「シスター鮎美、そろそろ中に入ってください。皆さんも」

 陽湖に促されて鮎美たちは入学して始めて礼拝堂に向かった。学園敷地のやや奥にあり、そばにあるグラウンドには自家用車が百台以上も駐まっているので参列者だと思われる。鮎美は礼拝堂の建物を見上げた。

「意外と平凡というか普通の建物やね。言われんかったら、わからんわ」

「過度の装飾は偶像崇拝と同じです」

「ポリシーやねぇ」

 鮎美は着ている制服に着乱れがないか、さっと触って確認した。鷹姫も剣道場に入るときのように身なりを整える。鐘留は手鏡で制服と顔を見て頷いた。

「じゃあ行こう♪ 学園の伏魔殿へ」

「「「………」」」

「ん? 違った? ちょっと前に自民党の大臣が外務省をそんな風に言ってなかった?」

「言ってはったけど、今の場合はちゃうやろ。つまみ出されるで」

「きゃははは。ラスボスいるかもよ?」

「あの……シスター鐘留、お願いですから礼拝堂の中では、絶対にふざけたりしないでください。お願いします。本当に」

 陽湖が切実に頭を下げて頼んでくるので鐘留も頷いた。

「ごめん、ごめん、そんな泣きそうな顔しないで、もうふざけないから」

「本当に、お願いします」

「鷹姫、カネちゃんがいらんことしたら対応Cで」

「はい」

「アユミン、対応Cって何?」

「取り押さえて警察に通報」

「う~ん……アタシも、そこまで悪いことしないよ?」

「いやいや、さっきの発言だけでも、刑法ギリギリちゅーか、アウトっぽいで。えっと刑法の180条……くらいやったかな…」

「芹沢先生、188条では?」

「うん、そのくらいやったかも。それに、なんかあったよな。神社とか、お寺とか、礼拝堂とか、他人さんが真面目に信仰しとるもんに公然と失礼な行為をしたら懲役か、罰金やったで。説教とか礼拝を妨害したら、もっと重い刑罰やった」

「へぇ……アユミンと宮ちゃん、よく勉強してるね」

「一応これでも立法府に所属する予定やから。ってことでカネちゃん、気をつけいや」

「はーい」

 話ながら鮎美たちが礼拝堂に近づくと、スーツ姿の長身の男性が立っていた。風格のある男性は鋭角のデザインがされた眼鏡をかけていて理知的な雰囲気と、陽湖と通じる潔癖さが感じられた。

「ラスボス登場♪」

「カネちゃん」

「はいはい」

 男性が鮎美を見て、微笑みをつくった。

「ようこそ、シスターたち」

「どうも、おはようございます」

 相手が握手を求めるように手を出してきたので鮎美も慣れた動作で握手する。いつもの握手と違ったのは鮎美だけでなく、そばにいた鷹姫や鐘留へも握手を求められたことで二人はぎこちなく応じた。最後に陽湖と握手して微笑み合い、ここへ鮎美を連れてきた労を誉めるように背中を撫でている。撫でられた陽湖の嬉しそうな表情で鮎美は、彼女の想いに気づいて、少し淋しかった。

「はじめまして。と言っても何度か、学園の全体行事に私も顔を見せていますが、この礼拝堂を総括する屋城愛也です」

「芹沢鮎美です」

「今日は日曜礼拝にようこそ。どうぞ、中へ」

「はい…、どうも…」

 促されて鮎美たちは礼拝堂内部に入った。

「なんや……以外と、普通やね…」

「つまんないね」

 内部は座席が並び、中央に少し高い壇がある程度で、他は文化ホールか、市民コミュニティーセンターと似たような造りだった。外観に装飾が無かったように内部にも装飾がない。

「何にも無いね。月ちゃん、これで終わり? 地下から巨大な神の像とか、出てくる? それとも天井から降りてくるとか」

「……シスター鐘留……一年生から学園にいて偶像礼拝のことを学びませんでしたか?」

「マリア像くらい、あったっていいじゃん」

「…………」

「これで、ええんちゃうか。どこぞのサリン撒いたヤツらは発泡スチロールで像を造ったらしいけど、銅で造って金メッキしようが、木に彫ろうが、コンクリートで造ろうが、所詮は物や。神さんやない。いっそ、何もないほうが清々しいわ」

「はい、シスター鮎美の言われる通りです」

「皆様、どうぞご着席ください」

 さきほどの屋城がマイクで全体に声を響かせている。もう定刻だったので鮎美たちも近くの座席に座ると、礼拝が始まり、聖書の朗読と説教、賛美歌の合唱が何度か繰り返され、そして終わった。また、鐘留が拍子抜けして言う。

「こんだけ? 学校での聖書研究の授業と似たようなもんじゃん」

「そうやね……」

 鮎美も拍子抜けではあった。学校と違うことといえば、参加している教師は多いけれど、誰一人として先生とは呼ばず呼ばれず、みなシスターブラザーで呼び合っていることと、鮎美たち初参加のメンバーに気づくと笑顔で握手を求めてくることくらいだった。

「アタシ、先生たちと握手するとか、卒業式くらいだと思ってた」

「うちも……」

「どうでしたか、シスターたち」

 屋城が壇上から降りて問うてくる。

「はは……どうも……こうも……普通やな、と」

「祈りは日常です。日常であり非日常でもあるのです」

「……禅問答みたいなことを…」

 禅は武士の文化なので、なんとなく期待して鮎美は鷹姫を振り返ったけれど、実に興味なさそうに立っているだけだった。

「これからも、どうか再び参加してください。次第に理解していただけるでしょう」

「………」

 鮎美は迷い、それから屋城を見据えた。

「………」

「……」

 さすが大勢の信徒さんらのリーダーや、そんだけのオーラと風格はある、けど、うちもヒマやないねん、単刀直入に行こか、と鮎美は気圧されずに問う。

「うちが議員になるちゅーことで陽湖ちゃんを使って勧誘してくれはりましたけど、真の狙いは何ですか?」

「神の教えを知っていただくことです」

「それは最終目標として。もっと直近、もっと世間的な目的もあるんやないですか?」

「………。ええ」

 屋城が頷いた。

「それは何ですか?」

「聞いてしまえば、きっと、これも普通のことですよ」

「で?」

「ここの学園には大学がない。その設置には色々としなくてはいけないことも多い。シスター鮎美、あなたが議員に選出されたことは、私たちにとって福音です」

「大学の設置………なるほど……」

「任期が始まれば、お願いしたいことも多くなるでしょう。ご協力ください」

「………」

「………」

 意図的に沈黙した鮎美に対して、屋城も黙って、まっすぐに視線を合わせた。そこに、やましさは一欠片も無くて熱意だけを感じるので、鮎美が微笑んで言う。

「ま、うちにとっても母校になるわけやし、文科省とのパイプ役くらい、やりますわ。信仰をもつか、どうかは、別の話として」

 すっきりとした鮎美は屋城と握手をしてから礼拝堂を出た。鷹姫と鐘留もついてくる。

「アユミン、もう終わり?」

「好奇心は満たされんかった?」

「ぜんぜん」

「ごめんな。うちも拍子抜けやったわ」

「芹沢先生、そろそろ党支部へ向かう時刻です。石永さんのお迎えが来るかと」

「そうやね」

 鮎美と鷹姫が校門へ向かおうとすると、陽湖が走ってくる。

「ハァっ、ハァっ…きょ、今日はありがとう!」

「うん」

「……ま……また…」

「また、明日、学校で。っていうか、ご近所さんやし、また島でね。あと、母さんがシャンプー到着したって、さっきメールくれたわ」

「ありがとう、シスター鮎美」

「ほな、またね」

「失礼します」

 鮎美が手を振り、鷹姫は会釈した。

「アタシは? 置いていく気?」

「カネちゃんが党支部に来てもしゃーないやん」

「党員だよ、一応」

「せやったね。いっしょに勉強する?」

「う~ん……とりあえず、ついていく」

 予定外に鐘留が加わり、静江の車で党支部に着く。鐘留の姿が今までの露出しすぎの夏服から、規定通りの冬服に変わったことは礼拝堂の信徒だけでなく、支部内の党員にも好印象を与え、家柄もあって歓迎され、鮎美の友人として遇される。そして、いつも通りの勉強の後に石永が難しい顔をして週刊紙の表紙を睨んでいたので鮎美が問う。

「どないしはったんですか、石永先生?」

「ああ、いや……ちょっと女子高生に、これは…」

 石永は週刊紙を片付けようとしたけれど思い直して見せることにした。

「不快かもしれないが、知っておかないと情報に遅れていることになるから……一応、知っておいてくれ」

「はい。………ふーん……SMクラブで、ご乱交……E議員の隠された性癖……女性を犬扱い……」

 鮎美は週刊紙の記事を読み、また問う。

「E議員って自民なんですか?」

「でなければ、こんな顔はしていない」

「………総選挙、近いんですよね?」

「だから、こういう顔なんだ」

「お兄ちゃん、白髪が増えるよ」

「うるさい」

「うちは、これを知って、どうするべきなんですか?」

「知るだけでいい。コメントを求められても無視でいい。ただ、知らずにいると驚くかもしれないから教えただけだよ。すまない、不快だったろう」

「いえ。わかりました」

 鮎美は神妙に答えたけれど、鐘留は記事を読んで笑う。

「きゃはっはは、お座り一回1万円、三回まわってワンで3万円だってプライドの無い女。電柱にオシッコするとか、もう人として終わってるじゃん」

「緑野さん、これから来客があるから静かにしていてね」

 静江が注意すると、鐘留は礼儀正しく石永に週刊紙を返した。

「静江はん、その来客って、また陳情系ですか?」

「ええ。今回は、お兄ちゃ…、いえ、石永先生と、芹沢先生の二人に」

「わかりました」

「やれやれ」

 石永は陳情の内容を知っているようで疲れた顔をしていたけれど、アポイントを取っていた団体が訪問してくると、議員らしく誠実な顔で出迎えた。訪れた団体は女性3人で40歳前後と思われた。鮎美も石永と同じように団体を出迎え、テーブルを囲んで面談する。

「石永議員と芹沢議員が春の会に賛同されているというのは本当ですか?」

 開口一番に団体代表の女性が問い、鮎美と詩織たち春の会の幹部が握手している写真を見せてきた。

「これ…あのときの……どこで、これを…」

「春の会のホームページに載っていました。芹沢議員と会談し、理解をえたと」

「…会談はしましたし……理解は……。あと、うちは、まだ正式には議員やないですよ」

 団体の女性たちに責めるような雰囲気があるので鮎美が戸惑っていると、石永は肩を叩いて頷く。

「芹沢さんは、まだ議員ではないから、あまり積極的に発言しなくてもいいよ。私が対応するから」

「は…はい…おおきに、ありがとうございます」

 鮎美は肩に触れられたけれど、茶谷のときのような嫌な感じは受けなかった。その石永に対応を任せて聴いていると、団体が求めているのは売春の禁止と風営法の罰則強化で、女性の人権を踏みにじる売買春を無くすよう訴えに来たのだと、わかった。とくに春の会の活動は敵対視しており、女子高生の鮎美が彼らのホームページに載っていたのは、まことに遺憾だと何度も言い、鮎美は曖昧に頷いて、その場をしのいだ。長い面談が終わり団体が帰ると、鮎美はテーブルに伏したし、石永も疲れた様子でタメ息をついた。

「はぁぁ……やっと帰ってくれたか」

「石永先生、春の会に賛同議員として参加してはったんですね」

 鮎美が言うと、石永は咳払いした。

「言っておくが、そういう店に行ったことは無いよ」

「ふーん……」

 鮎美は今まで気づかなかったけれど、石永が左手の薬指にリングをしているのに目をやった。

「石永先生は結婚してはるんですか?」

「ああ」

「お兄ちゃんは彩先輩と中学からラブラブだから」

「静江、余計なことは言わなくていい」

「余計な賛同なんかしてるから、フェミニスト団体に叱られるんだよ」

「わかっている。だが、売春を合法化し、反社会的勢力の資金源を断つことも重要なんだ。春の会の言い分にも理はある」

「はいはい、あ、その件で畑母神先生が、これから来るって。まだ京都だから時間かかるかもしれないけど、芹沢先生にも会っておきたいらしいよ」

「畑母神先生が。そうか、わかった。芹沢さん、遅くなって申し訳ないが待っていてくれないか」

「はい。畑母神先生って……聴いたことあるような……けど、自民党やないんちゃいます? たしか、少数政党の……」

「日本一心党の代表よ」

「立派な人だから芹沢さんも会っておいた方がいい」

「はい。……党代表……」

「お兄ちゃんは畑母神先生が大好きよね。同じ核武装論者だし」

「日本に核って、また……」

 鮎美は秘書としての鷹姫を盗られそうになったことを思い出して、そばで資料を読んでいる鷹姫の手を握った。

「はい?」

「何でもないよ、こうしたかっただけ」

「そうですか」

「アユミンって、よく宮ちゃんに甘えるよね」

「ええやん、別に。それで、その畑母神先生って、どんな人なんですか?」

「海上自衛隊のトップから衆議院議員になられた人だよ。自民党とは少数ながら共同歩調を取ってくれている。いずれ防衛大臣、いや、総理になっても、おかしくない人だ」

「総理ですか……」

「年齢的に無理でしょ、お兄ちゃんの方が可能性あるよ、あと5期くらい当選して、いい歳になれば時運によっては巡ってくるかもね。にしても、さっきのフェミニスト団体が来てる間、緑野さんが不規則発言するんじゃないかって心配だったけど、よく黙っててくれて助かったわ」

「あの人たち、人の話なんて聴いてないよ。自分が言いたいこと言って帰っただけじゃん」

「それは、その通りね。ちなみに緑野さんは売春って、どう思ってるの?」

「アタシに無関係なことを、アタシが考えてもしょうがないよね。どうでもいいことだよ」

「なるほど。宮本さんは?」

「………。……」

 問われて鷹姫が考え込む。

「た、鷹姫は、そういう話、苦手やもんな」

「はい。よくわかりませんが、暴力団の資金源となるのは、好ましくないでしょう。是非はおいて金の流れを断つか、把握するか努めた方が良いと考えます」

「君は、やっぱり優秀だな」

 石永が感心すると、鮎美は守るように鷹姫を抱いた。

「譲りませんから!」

「わかっているよ、すまなかった」

「緑野さんからいただいた御菓子があるから、コーヒーを淹れますね」

 静江と鷹姫がコーヒーの準備をして、飲み終わる頃に畑母神が秘書と現れた。挨拶と握手を型通りに進め、熱心な国防論者である畑母神と石永の話は危機管理について弾み、鮎美にとって興味のある分野ではなかったけれど、重要な話であることは理解できるので真剣に聴いて2時間あまりが経過した。不意に畑母神が話を春の会のことに移してくる。

「石永くんは春の会に賛同議員として名を連ねているそうだね。芹沢さんを紹介もしたとか」

「はい。それが何か?」

「売春など合法化しては、いかんよ」

「……。清廉な畑母神先生なら、そうお考えになるかもしれませんが、反社会的団体の資金に…」

「そういう問題ではない」

「では、何が?」

「国家百年の計と言うだろう。今現在のことだけでなく百年後の日本を考えてもみなさい」

「百年後ですか…」

 石永も鮎美も百年後を考えてみるけれど、あまり想像できない。売春が合法化されることで生じるリスクは感染症の増大と、利用者の増加だったけれど、前者は合法化時の衛生強化で対応可能と考えているし、後者は実際のところ繰り返し買春を行う愛用者は全男性の4%程度で、パチンコなどの依存症に比べて問題は軽微だと考えていた。

「畑母神先生、我が不明にて計りかねます。どうか、ご教授ください」

 石永の方が国会議員としての年季は長いけれど、海自のトップを務めて定年退官した畑母神に対しては年齢差もあってへりくだっている。畑母神も自然と教え諭すような語り口になっていた。

「売春を合法化するということは、国家が売春に対して不作為でなくなり、作為的に、これを認めたことになる。当初は良いかもしれない。暴力団への資金は激減し、衛生状態も改善、労働問題や搾取も減るかもしれない。だが、数十年後、若い頃に売春を生業としていた者は多くの場合、中年以後は金に困るだろう。そうなると、何を考えるか。人権団体や弁護士にそそのかされ、やはり売春は人権の蹂躙だったと言い出し、合法化した国家に責任があると言って損害賠償を求める訴訟を起こすだろう。我々は従軍慰安婦問題で、この構図を、すでに経験したはずだ。歴史に学ばなくてはいかんよ」

「な……なるほど……先生の、おっしゃる通りだ」

「百年後の日本に負債を残さんようにな。あまり春の会へは、深入りせんように」

「はい、わかりました」

「え…」

 そんな、あっさり立ち位置を変えるのん、なんぼ尊敬する先生の言うことでも、詩織はんらの味方して、女子高生のうちまで紹介したはずやのに5分と経たずに旗色を変えるのん、と鮎美は驚いたけれど、何も言えなかった。畑母神が時刻を見て腰を上げた。

「遅くにすまないね。芹沢さんに会えて、よかった」

「ぃ、いえ! こちらこそ!」

 鮎美も慌てて立ち、握手を交わした。畑母神は鷹姫とも握手をする。

「宮本さんは覚えていないかもしれないけれど、君を見るのは、これで三度目になるよ」

「え……、申し訳ありません。……いつのことでしょうか?」

「今年の9月と、去年の9月、君が個人戦で優勝するところを来賓席から見せてもらった。ますます腕をあげたね。今年は余分な緊張もなく実に堂々としていて剣の切れが冴えていた」

「それは失礼いたしました」

「いやいや来賓席にいるオジサンたちの顔を覚えていないのは仕方ない。それより、石永くんから聴いた宮本さんの考え方、本当に素晴らしい。君は、いつまでも秘書におさまるような人物ではないよ」

「……」

「いっそ、我が党から公認候補で衆議院選に出てみないか? まだ準備も間に合うだろう」

「……」

「…た……鷹姫は、うちの…」

 鮎美が困っていると、石永が言ってくれる。

「畑母神先生、まだ彼女たちは二人で一人前というくらい不可分ですから。何より、引き抜きは、ご遠慮ください」

「そうだな、いや、失礼した」

 畑母神が支部を去り、鮎美は気になっていることを石永に問う。

「あの……石永先生、春の会は、どうしはるんですか?」

「そうだな……いきなり脱退はしないまでも、それとなく距離を置くか。脱退してしまうと、彼らからの票を失うし。もともと売春の合法化は難題でもあった、すぐに進捗しなくとも文句は言わないだろう。芹沢さんは女性だから、迷っている、と答え続ければいい」

「それって応援だけさせて、こっちは応援せんちゅーことですか?」

「露骨な言い方だね。そういう物言いは今後は避けた方がいい」

「………………はい」

「芹沢先生、宮本さん、緑野さん、そろそろ送るわ」

 かなり遅くなったので静江の車で、まずは鐘留を自宅前に降ろし、次に港へ向かう。その車中で静江は運転しながら言う。

「少し前、タカ井に泊まった夜に、鮎美ちゃんと宮本さん、盲導犬の真似事したって?」

「っ?!」

 疲れた頭で詩織のことを考えていた鮎美が目を見開いて驚く。

「な…なんで、それを?!」

「宮本さんから聞いたわ」

「っ…鷹姫……」

 絶望的な顔で鮎美は鷹姫を見たけれど、同じように疲れている鷹姫は、ぼんやりとしたまま答える。

「はい…、言いました…県知事選の後半でしたか…」

「なんでよ?!」

「鮎美ちゃんが演説してるとき、ちょっとした話題の流れで裏で宮本さんから聞いたわ」

「話題の流れって…」

「宮本さんが視覚障碍者からの陳情内容について訊くから、そんな団体じゃないよ、って話から、けど一人は視覚障碍者だったからとか、そんな話の流れよ。思い出すと恥ずかしいことしたって自覚はあるのね?」

「っ………」

 鮎美が顔を伏せて震える。静江は前を見たまま続けた。

「二人が視覚障碍者の体験をしようと思ったのは、えらいかもしれないけど、そのとき裸だったんでしょ。旅館の部屋とはいえ、仲居か誰かに見られたら、どんな誤解を受けるか考えて行動してください」

「…………」

「はい、すみませんでした」

 黙っている鮎美に代わって鷹姫が謝っている。静江は港の駐車場に車を駐めながら言う。

「スクープされた週刊紙の記事と似たような誤解を受けるわよ、最悪の場合。鮎美ちゃんが帯で首輪してて犬歩き。それを連れてる宮本さんが目隠しって、どんなプレイって思われるかもしれないから。実際、プレイとしては、どっちがMか、わかんない状態ね。ご主人様不在のMカップルとかスクープされたら超痛いわね。あ、カップルじゃないか」

「…………」

「Mというのは何ですか?」

「ぅ………う~ん……宮本さん、それ知らないんだ……」

「はい、知りません。すいません」

「う~ん………まあ、そのうち教えるわ」

「はい、お願いします」

「ってことだから、知らずに変な誤解を受けないよう二人とも気をつけてね」

「はい」

「……はい……」

 ぐっしょりと背中全体に汗をかいた鮎美も返事はした。車から降りるときも、足が震えていて、うまく立てずにフラつくほど、まだ動揺している。

「……………………」

 なんで静江はんに言うんよ、鷹姫っ、なんで……、あのときのこと……他人に言うやなんて……二人だけの時間……ちゃう、………鷹姫はホンマに視覚障碍者と盲導犬やって思い込んで……けど、それでも……、と鮎美は脳内で大パニックになっている。額と腋からも噴き出すように汗が流れて、顎や肘に滴っている。

「芹沢先生、迎えの舟が来ましたよ」

「う……うん……」

「大丈夫ですか? 足元がおぼつかないようですが」

「あんたは……」

 泣きそうな顔で鮎美は鷹姫を見たけれど、港が暗いので、鷹姫からは見えない。

「はい?」

「ううん……何でもない……。あの盲導犬ごっこの話、金輪際、誰にも言わんといてな」

「はい、わかりました。そんな足取りでは乗船時に湖へ落ちますから、お手を」

 鷹姫が手を握って腰を支えてくれる。その優しさは嬉しいけれど、あの夜のことを口止めしなかったからといって他人に言う神経は理解できない、鮎美は漁船に乗ると座り込んで丸くなった。

「……………」

 頭の中が、いろいろな出来事と人物、問題でグルグルと回る。犬、目隠し、鷹姫の裸、国防、危機管理、売春、フェミニスト、鐘留の冬服姿、礼拝、宗教、聖書、楽園、大学の設置、陽湖の白ストッキング、マルチ商法、電マ、詩織の指、畑母神、石永、裏切り、静江の土下座、御蘇松の落選、新幹線とダム、自民党、茶谷、セクハラ、週刊紙、総選挙、民主党、共産党、社会保障、障碍者、出生前診断、三島、性同一性障碍、同性愛、鷹姫の身体、鷹姫の気持ち。鮎美は頭痛を覚えて呻く。

「ぅぅ…」

「芹沢先生、どうかされましたか? どこか痛むのですか?」

「……うん………うちは、もう疲れた……いろんなことで頭が、いっぱいや……」

 鷹姫にすがりついた。

「……芹沢先生…」

「もう日本も世界も、どうでもようなってくる……鷹姫……二人で、どっか遠いとこ行きたいわ」

「………。今はお休みください」

 そう言った鷹姫は目を閉じさせるように鮎美の瞼を撫で、身体を支えた。

 

 

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