「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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12月 西村

 本格的な寒さが到来した12月20日、鮎美は求められて病院へ見舞いに来ていた。

「胃ガンやてね……どのくらい悪いんやろ?」

「どうでしょう……」

 問われた鷹姫も困った顔をしている。静江がインフルエンザで寝込んでいるので二人で面会に来たのは西村広松という70歳の男性で、鮎美の前に参議院議員となったものの闘病のために3年の任期を終えると続投を希望せず引退していた。その西村から会いたいと言われて鮎美は、かねやの菓子と花を持って見舞いに来ている。

「4階のE11やね」

「はい」

 鷹姫と二人で病院のエレベーターに乗り、廊下を進む。

「…………お年寄りばっかりやね…」

「そうですね………」

 廊下には車イスに座った高齢者が何人もいて、ぼんやりとしている。鮎美たちが通っても、とくに反応することもなく、ただ座っている。

「「…………」」

 鮎美と鷹姫は病気で入院している高齢者たちの前を静かに通り過ぎ、目的の病室に辿り着いた。そこは個室でネームプレートに西村広松とあったので間違いなかった。鮎美がノックをして入室してみる。

「こんにちは、芹沢です」

「やぁやぁ、よくぞ来てくれやったね」

 病室のベッドに寝ていた西村は声を絞り出して歓迎してくれたけれど、一目見て鮎美にも鷹姫にも病状は思わしくなく、二人とも医学的な知識はなかったけれど、この老人が近いうちに他界するだろうことを感じた。それほど西村は痩せていたし、もともとは農業に従事していたのか、日焼けした褐色の肌をしてるのに、それが血色の悪さでドス黒く見える。声も必死に絞り出しているという、しゃがれた声だった。

「すまんね、年寄りのワガママで呼び出して」

「いえ…、お身体、大事にしてください」

 鮎美がもってきた花を渡そうと思うものの、西村はベッドから起き上がる力も無いようなので迷っていると、西村は微笑みをつくってテーブルに置いてくれるよう頼んだので、鷹姫も菓子をおいた。

「どうぞ…」

「ありがとう」

 そう言って咳き込んだ西村は話す体力も少ないことを悟っていて、すぐに本題に入る。

「いきなり頼み事をして、すまんけんど、話を聞いてくれるかい?」

「はい」

「ワシが議員となって手がけておった町内の風景保存会のことでな」

「風景保存会ですか…」

「……」

 鮎美は聞いたことが無かったし、鷹姫は後のために無言でメモを取る。

「阪本に阪本城があったのは、知っておるかい?」

「……いえ」

「はい、知っております」

 県民となって一年と経たない鮎美は知らなかったけれど、鷹姫が肯定した。

「あの城の遺構を保存しての、観光資源として人の集まるようなキレイな場所にしておるところなんじゃ。けど、ワシがおらんようになったら行政が振り向いてくれんかもしれん。頼むわ、どうか、風景保存会のことを覚えておって、予算をつけちゃってほしいんじゃ。阪本の城下町を人々が訪れるようなええとこにしたい。琵琶湖の中にまで続く石垣の痕跡も利用してな。六角市に古い堀があって琵琶湖から市街地まで水路が続いておるのは、知ってくれてるかい?」

「「はい」」

 その水路は登下校に利用しているので毎日のように見ている。

「ああいう風情あるところにしてな、京都まで通じる疎水を観光舟で行き来できるようにしたいんじゃ。頼むわ」

「わかりました。覚えておきます」

「すまんな、ワシは無所属やったから、あとを頼めるもんが、たまたま後任になる芹沢さんしか思いつかなんだ。3年やてきて経験から思うたが、無所属でやれることは、ほとんどない。芹沢さんは自民じゃったね」

「はい」

「煩わしいことも多いじゃろし、屏風と商人は直ぐでは立たぬというようなこともあるじゃろけど、短気は損気やと思うて頑張ってくださいや」

「はい、ありがとうございます」

 そこまで話した西村の咳き込みが止まらなくなったので看護師を呼び、容態が悪化した様子だったので心配だったけれど、駆けつけた看護師に病室から出るように言われたので廊下で待つ。

「…………」

「…………」

 鮎美と鷹姫が静かに立っているそばを看護師たちは慌ただしく出入りしている。二人が帰るべきか、待つべきか、決断できずに時間を過ごしていると、看護師から連絡を受けた西村の息子が会社から直行してきた。少しばかり挨拶を交わすと、あとは家族に任せることにして鮎美と鷹姫は病院を出る。

「……寒いわ…」

「そうですね」

 外は寒かった。

「贅沢やけど帰りもタクシー使う?」

「芹沢先生が風邪をめされると困りますから、そうしましょう」

 病院から駅までは遠いし、港までは歩ける距離ではない。二人はタクシーで港へ向かった。その途中で鷹姫の携帯電話に連絡が入った。

「はい、もしもし。芹沢鮎美の秘書、宮本です」

 少し話した後、鷹姫は携帯電話を鮎美に向けた。

「東京で新たに秘書となる牧田さんから、ご挨拶したいと連絡が入っています」

「あの人か…」

 詩織を秘書とする方向で話が進んでいたので鮎美は驚かなかったものの、少し戸惑いつつ鷹姫の携帯電話を耳にあてた。

「もしもし、うちです」

「牧田詩織です。この度は私を秘書にしていただき、ありがとうございます」

「……久野先生に推薦されたら断れんよ」

 思わず本音が出た。

「東京での業務はお任せください。まずは着任のご挨拶をさせていただきたいと連絡をさしあげたのですが、芹沢先生の方から秘書業務にあたって注意すべき点や心構えなどありましたら、ご教授願いたく存じます」

「注意すべき点か………やっぱり、お金の管理かな。とくに変な団体から献金とかもらわんように。あと、経費の使い方も恣意的にならんように」

「はい。変な団体の基準ですが、春の会や春風会は変な団体に入りますか?」

「ぅっ……微妙に、あれがギリギリのラインやと思うて」

「はい」

「ほな、あとは東京で、よろしゅうお願いしますわ」

「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。芹沢、鮎美先生」

 詩織は姓と名の間に、わずかな間をおいて呼んだ後、電話を切った。

「はぁ…」

 鮎美がタメ息をついていると、タクシーが港に止まったので連絡船で島に戻る。

「これから島の忘年会やったね」

「はい」

「……お酒も入るし……わずらわしいわぁ……西村先生が無所属やったん、わかるわ」

「飲酒を禁じましょうか?」

「それは不評を買うからやめておこ」

「はい。………飲酒とは、それほど大切なことなのでしょうか……理性を失い、愚行に走るだけのように見えますが……」

「うちも呑める年齢やないから、わからんけど、まあ呑みたい人にとっては、そのための忘年会みたいなもんやろ」

 連絡船が島の港につくと、すでに桟橋で顔を赤くした役員たちが待っていた。

「おー! おかえり! もう始めておるで!」

「もう呑んでるんかい」

 騒がしい酔っぱらった役員たちと公民館に入り、鮎美は挨拶をさせられる。マイクを渡され、上座に立った。

「こういうときは長い挨拶もいらんでしょうから、一つだけ。たまたま、ご縁があって、うちは、この島に来ましたし、さらに、たまたま議員に選ばれてしまいました。けど、どっちの、ご縁も大切にしたいと思います。ほな、乾杯!」

 見知った人ばかりなので短めの挨拶にした鮎美がウーロン茶のグラスを掲げると、拍手と乾杯が始まり、もともと騒がしかった公民館がさらに賑やかになる。茶谷も来ていて鮎美のグラスにウーロン茶を足してくれた。

「あ、おおきに。茶谷先生も、どうぞ」

 女子高生にして、すでに宴席での基本的な立ち振る舞いを静江から教えてもらっている鮎美は瓶ビールを茶谷のグラスに注いだ。

「いよいよ新年から任期が始まるね。頑張ってくださいよ、芹沢先生」

「はい、せめて欠席だけはせんように体調には気をつけます」

「そういえば静江さんは、まだインフルエンザが?」

「そろそろ熱は引いたみたいですけど、まだ出てくると逆に周囲に感染させますさかい」

「たしかに、それは危ないな」

「お話中、すみません」

 急に鷹姫が深刻そうな顔で割って入ってきた。

「鷹姫、どないしたん?」

「緊急でお伝えしたいことがあります」

「緊急……。茶谷先生、すんません、また今度」

「お忙しいようで。ご苦労さん」

 茶谷と離れると鷹姫が耳打ちしてくる。いつも鷹姫の耳へ口をよせるのは鮎美なのに今は、その逆なのがくすぐったいけれど、嬉しい。そんな甘い喜びは報告内容で吹き飛んだ。

「西村先生が……」

「はい、さきほど息を引き取られたとのことです」

「………」

 さっき見舞いに行ったばかりの人間が死んだということが鮎美の気持ちを複雑にさせる。深い悲しみを覚えるような人間関係ではないけれど、それでも一人の死は重い。

「70歳……胃ガンか……」

「西村先生が亡くなったことで緊急に支部へ戻ってほしいとのことです。喪服…いえ、制服も用意して」

「そう………黒っぽいコートも要るね」

 鮎美たちは盛り上がっている忘年会に水を差さないように公民館を出ると、自宅で葬儀に参列する用意をしてから、また港に出た。もう連絡船の無い時間なので鷹姫が頼んだ下戸で飲酒していない漁師の漁船に乗せてもらい、本土に渡った。

「若いのに、大変だね。風邪ひかんとな」

「「ありがとうございました」」

 舟を出してくれた礼を言い、タクシーで党支部に行った。支部内には石永と名目上は鮎美の秘書であり実質的には石永の秘書である3人の中年男性がいて、いろいろと資料や法律の条文を読んでいる。石永たちが鮎美と鷹姫が入ってきたのに気づいた。

「二人とも、遅くにご苦労様」

「いえ。お通夜は、明日ですか?」

「あ、ああ…そういう話より、もっと困ったことが…いや、困ったことではないが、前例のないことに直面しなければ、ならない」

「前例のない?」

「まあ、どのみち数日ではあるが、芹沢先生は、すでに議員予定者ではなく議員として擬制される。と言えば、わかるかな?」

「あ……任期前就任ですか?」

「そうだ。本来は来年1月からの任期だけれど、西村先生が亡くなったことで参議院に空席ができる。衆議院であれば補欠選挙を行うところだし、現在の参議院制度でも任期が6ヶ月以上残っていれば、再選挙のクジ引きがされるわけだが、すでに6ヶ月どころか、あと11日だ。このような場合、次の参議院議員をもって任期を繰り上げ、その任にあてるという規定になっている」

「はい……そうでした……一回だけは読みましたけど……まさか……自分が……すんません。不勉強で詳しくは覚えておりません…」

「いや、我々も今、確認しているところだし、どういう手続きになるか前例もないので選挙管理委員会と相談しながら進めることになる」

「そうですか…」

「呼び出すだけ呼び出して本当に、すまないが今すぐ何かということは無さそうで二人には向かいのホテルを取ったから、そこで待機していてくれ」

 石永は支部の向かいにあるビジネスホテルを指した。

「「はい」」

 いざ緊急というとき鬼々島にいては市街に出てくるだけでも一時間近くかかることもあり、とりあえず呼び出されたというのは理解できる。

「それと、もう芹沢先生は議員となっているから、つい私も年下の女性ということで口の利き方を間違ってしまうが、今後は気をつけていく。君たちも注意するよう」

「「「「はい」」」」

 鷹姫と3人の男性秘書が返事をした。

「芹沢先生も、えらぶる必要はないが、地位に相応しい振る舞いをしてください」

「うっ……難しいことを……えらそうでなく、立派そうって……」

「これまでも、うまくやっていますよ。これからも、少しずつ気をつけてください」

「努力します」

 鮎美と鷹姫は資料をもらって向かいにあるビジネスホテルに入った。ビジネスホテルと言っても実体はビジネス旅館といった方が適切なくらいの粗末な建物で一泊3980円、連泊すれば2980円にまでさがるタイプの宿で、これまでも選挙活動で一部のスタッフは使っていたけれど、議員たる鮎美や石永、そして女性である鷹姫や静江が泊まるには少し抵抗のあるところだった。それだけ今は緊急事態なのだろうと感じたし、石永たちは支部で雑魚寝するのかもしれない。そのための毛布などもあるけれど、さすがに若い異性である鮎美と鷹姫には宿を確保してくれたのだと思った。

「とりあえず、休憩しながら資料を読もか」

「はい、そうしましょう」

 鮎美と鷹姫は畳の上で資料を読んだ。

「そっか、参議院は半数を維持してんと、あかんのや」

「衆議院が解散された場合の緊急集会に応じる必要がありますから」

「国に緊急の必要があるときは……か。大災害か戦争ってとこかな」

「石永先生が、この憲法54条の参議院の緊急集会だけしか緊急事態条項がないのは憲法の不備だと言っておられましたが、私も同意見です」

「うーーん……」

 鮎美が畳の上を寝転がる。戸がノックされて宿の女将が言ってくる。

「お布団を敷かせていただきます」

「あ、はい。お願いします」

 寝転がっていた鮎美は鷹姫と同じように正座して女将を迎える。女将は慣れた手つきで布団を敷きながら教えてくれる。

「大浴場は12時に閉鎖します。部屋にはシャワーしかありませんので、ご了承ください」

「「はい」」

「では、ごゆっくりお休みください」

 女将が出て行き、鷹姫は資料を置いた。

「あと30分でお風呂が閉まります。いっしょに入りましょう」

「え……あ…、うん、そ、そやね」

 言われるまで鮎美は今夜、鷹姫と二人きりで泊まることを意識していなかった。いつもなら内心で葛藤しているはずなのに、今は西村の死があったからなのか、その死が重責を繰り上げてきたからなのか、性欲が無い。

「そういえば、うちら夕ご飯も食べてへんかったね」

「……すみません、私は少しいただいております」

 島の忘年会で鮎美は挨拶をしたり酌をしたりと忙しかったけれど、鷹姫は婦人部の方に呼ばれ手巻き寿司や揚げ物を食べている時間があった。他の忘年会やパーティーなら常に鮎美のそばにいるけれど、島に戻ると安心もあってバラバラに行動していた。

「クスっ、そんな申し訳なさそうな顔せんでええよ。秘書も体力が大事や」

「何か買ってきます」

「ええよ、食欲ないし。お風呂に入って寝よ」

 浴衣とタオルをもって二人で大浴場へ行く。大浴場といっても湯船は一つ、その湯船も一般家庭の4倍くらいの広さで、温泉でもなかった。鷹姫が衣服を脱いで裸になっていく背中を見ていると、さすがに鮎美は心臓が反応するのを自覚して目をそらして、自分も裸になる。

「……」

 人が亡くなった、こんな時まで、うちは何を考えてるねん、と鮎美が自戒すると性欲もおさまった。二人バラバラに身体と髪を洗い、湯船に浸かる。

「………70歳まで生きたんやったら長生きかな」

「男性の平均寿命にはおよびませんが、長生きと言ってよいかと思います」

「うちらなんか、まだ18や………あと52年………半世紀もある。2060年頃って日本は、どないなってるやろ」

「…………わかりません」

「そやね、統計の数値も予想にすぎんし………逆に半世紀前は戦争やった。西村先生は戦争を体験したんやろか」

「お見舞いに行く前に読んだ資料で、西村先生の戦争体験が書かれていて、4歳の頃、飛来した米軍戦闘機の機銃掃射に遭い、わき腹にカスリ傷を受けたそうです。田んぼに逃げ込み助かったそうですが、危なかったと」

「4歳って……あの時期やと、戦闘機ってプロペラやんな」

「はい、おそらく」

「低空飛行やったら4歳児やって、わかるやろに、それでも撃ったんか………鬼畜やな」

「はい、まさに鬼畜の所業です」

 鷹姫が頷いたとき、鮎美のスマートフォンが鳴った。防水仕様なので風呂場に持ち込んでいたのを手に取り、相手が予想通り石永だったので受話する。

「はい、もしもし」

「すまない、もう寝ていたかな?」

「いえ、大丈夫です」

 見られているはずはないけれど、鮎美は片手で胸を隠しながら石永との会話を続ける。

「明日、東京へ行ってもらうことになりそうだ」

「はい。東京で何を?」

「議員バッチを受け取ってほしい。本来、初登庁のさいに国会事務局から受け取るものだが、もしも万が一、緊急集会が開かれるような事態が生じたとき、議員バッチが無いと議員であっても議場に入れない。混乱している状態でバッチが手に入らず出席できないとなれば問題だから、くだらないとは思うが、形式も必要だから受け取っておいてほしい。ちなみに衆議院議員のバッチより一回り大きく金張りだよ。雄琴は、あまり着けなかったが議場以外でも、なるべく着けているべきだと私は考えている。それが議員としての自覚をもたらすものでもあるから」

「はい、わかりました。明日の朝一番で東京へ向かいます」

「そして、忙しくて悪いが、トンボ帰りして西村先生のお通夜と翌日の告別式に顔を出してほしい」

「わかりました」

 電話を終えると鮎美は鷹姫に同じことを話した。それから、もう12時の5分前で誰もお湯を使うことがないと思ったので湯船に潜った。

「……………」

 お湯に身を任せて、しばらく漂う。

「ぷはっ!」

 息苦しくなって飛び出した。

「ハァ……ハァ……」

「芹沢先生、子供のようなことはおやめください。どうか、議員としての自覚をもってください」

「ごめん、ごめん。………っていうか、二人っきりのときは鮎美って呼んで言うたやん」

「………」

 鷹姫が迷った顔をしている。そして鷹姫の唇が、それはもうやめませんか、と言い出す前に鮎美は頼む。

「うちは議員やけど、一人の人間よ。気の休まるときがほしい。鷹姫と二人っきりのときくらい、そうさせて? な? 二人のときは上下関係なしに接してよ」

「………はい」

 返事をした鷹姫は厳しく睨んできた。

「な……なによ? 鷹姫…」

「お湯に潜るのはやめなさい! このバカもの!」

「ううっ……容赦ないなぁ……」

「行儀の悪いことをするからです!」

「はい…」

 結局は叱られた鮎美は鷹姫と休み、早朝にタクシーで井伊駅へ向かい、新幹線で東京駅に着いた。ホームに降り立つと詩織が待っていた。

「おはようございます、芹沢先生」

「おはようさん」

「おはようございます、牧田さん。これから、よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ、よろしくお願いしますね」

 詩織と鷹姫が握手しているのを、鮎美は複雑な気持ちで見てしまい、すぐに目をそらした。

「牧田はん、話は伝わってるやんね?」

「はい。すぐに国会事務局へ向かいましょう」

「東京のこと、わかるん?」

「ジェトロに勤めていたとき、霞ヶ関がらみの仕事もありましたから」

「そうなんや……ふーん…」

「芹沢先生、今夜はお泊まりですか? まだ議員宿舎は間に合いませんから夜景がキレイなホテルを予約しますよ?」

 そう言った詩織が荷物を持っている鮎美の手を握ってきた。

「ぅ、うちらは日帰りなんよ! お葬式があるさかい!」

「そうですか、それは残念」

 詩織は荷物を受け取って、三人で東京駅から国会へと移動し、鷹姫が石永たちが用意してくれた書類を提出すると、係官から鮎美へ議員バッチが渡された。

「これが議員バッチなんや……」

 鮎美はバッチを冬制服の胸に着けてみる。

「………」

 それほど重くないのに、ずいぶんと重く感じたし、やたら大きくも感じる。

「………」

「よくお似合いですよ、芹沢先生」

 詩織が誉めてくれた。

「おおきに。鷹姫、どう? どう見える?」

「はい……普通だと思います」

「「………」」

「あ、……すいません……よく、わかりません。他の議員先生方と同じバッチですから、普通にそれでよいと思いますが……」

「ええよ、ええよ、鷹姫のそういうところ好きやし」

 そう言った鮎美が地元へとトンボ返りするために国会の敷地を出ると、マスコミのカメラに囲まれた。しまった、油断した、と鮎美が思っているうちに鷹姫が前へと回り込んでくれるし、詩織もガードに入ってくれる。

「取材をさせてください!」

「もう議員ですよね?!」

 今までは議員予定者ということで、よほどの事件を起こすか、選挙活動などの公の場に顔を出さない限りは取材を自粛するということになっていたけれど、前任者の西村が亡くなったことで議員擬制された鮎美は取材可能対象になるようだった。カメラとマイク、フラッシュに囲まれ、鮎美は数秒ほど混乱したけれど、守ってくれている鷹姫の肩に手をおいて平静を取り戻した。

「取材をお受けします。ですが、地元で西村先生のお通夜がありますので10分だけ」

 鮎美が答えると、鷹姫と詩織は秘書らしく左右に立った。女性レポーターが質問してくる。

「今のお気持ちを一言お願いします」

「……。覚悟はしていましたが、思ったより議員バッチを重く感じます。そして、これを受け取るのが早まった原因を考えると、………西村先生の想いというものも……少しはわかるつもりです」

「西村議員と親交があったのですか?」

「親交と言えるほどのものは、正直、昨日、会ったばかりです。最期の時間に、私へ、これまでの活動のことを頼むと言われて」

「どのような活動ですか?」

「県南部にあった阪本城を含めた風景の保存についてです」

「18歳で議員となられたこと、どう思われますか?」

 レポーターたちは田舎の城跡など、まったく興味が無い様子だった。鮎美は追悼の想いを踏みにじられた気がしたけれど、平静を保って答える。

「重い責任を感じます。まさかとは思いますが、緊急事態があるときは参議院が緊急集会を開くわけですから。そのとき参議院が半数であれば、およそ百人で日本のことを決める、その責任の重さを考えると怖いくらいです」

「緊急集会は衆議院の解散時に緊急の必要があるときですが、次の解散はいつだと思われますか?」

「………。4年以内にあると思いますから、私の任期中に一度は来ると思います」

 ややズレた質問にも丁寧に答えていると、約束した10分が過ぎたことを詩織が告げてくれる。

「10分が過ぎました。芹沢先生は葬儀のため地元へ戻られます。道をあけてください」

「道をあけてください!」

 詩織と鷹姫が協力して歩道をあけてくれ、鮎美は東京駅へ移動できた。

「はぁぁ……ビビったわ」

「「すみません、予想すべきでした」」

 詩織と鷹姫が謝ってくれるけれど、鮎美は微笑む。

「ええよ、うちも失念してた。きっと石永先生らも慌ててたから思い至って忠告してくれることもできんかったんやろ。にしても、マスコミってすごいな」

「ええ、まったく。けれど、いきなりの取材攻勢だったのに芹沢先生の落ち着いた対応は立派で、私は惚れ直しましたよ」

「っ、…」

「お通夜に私も同伴してもいいですか? 石永さんは、まだ病み上がりですよね」

「鷹姫だけで大丈夫やし、新幹線がタダなのは、うちだけやから牧田さんは東京におって。これから東京事務所の準備もあるやろ?」

「はい。ですが、石永先生の東京事務所をそのまま流用するので、やることは少ないのです」

「そやったね」

「ご許可いただければ、少しは女性議員らしい内装に変えるよう指示いたしますが、どうされます? 実際、落選された石永先生の経費負担を軽くするのに貢献しているのですから、少しは芹沢先生の色を出しても文句は出ないはずですよ」

「……う~ん……ほな、石永先生の元秘書らと相談しながら進めてみたって」

 話ながら東京駅に戻り、また新幹線に乗った。クリスマス前だったので自由席は混雑していて、通常の指定席もいっぱいだったのでグリーン車を初めて利用する。もともと男性でもゆったりと座れるシートなので鮎美の身体だと、持て余すくらいだった。

「…………」

「…………」

 もともと鉄道に興味をもっている方ではないので鮎美も鷹姫もグリーン車に少しも感動せず黙って座っていると、通路の向こう側に座っていた男性が声をかけてきた。

「芹沢鮎美先生ですか?」

「え、はい、そうですけど……あなたは……うわっ、路上チューの…」

「…。あははっ、そういうアダ名で呼ばれると痛いなぁ……ははは…」

「す、すんません、つい……えっと……細い……太い……」

 鮎美が相手の名前を思い出せずにいると、鷹姫が耳打ちしてくれる。

「民主党の細野太志先生です」

「あ、そやった。失礼しました。細野先生」

「いえ、こちらこそ急に声をかけて」

 細野の視線が鮎美の胸に落ちてくる。それが乳房ではなくて胸にある議員バッチを見ているとわかるので睨みつけたりはしない。

「芹沢先生、少し早く任期が始まったそうですね」

「もう聞いてはりますか」

「永田町は情報が勝負ですから」

「………」

 情報勝負やのに不倫とか路上チューとか痛いやろなぁ、あかん、この人の顔を見てると路上チューのことしか思い出せん、この人かって衆議院議員なんや、うちみたいなクジ運と違て、立派なところもあって人物で選ばれて当選してるやろに、イメージが不倫しか無い、どんな人やったっけ、っていうか、うちに話しかけた目的は何やろ、と鮎美が不倫報道のことばかり考えていると細野も悟った。

「そんな顔をしないでください。自分も反省しています」

「そ…そうですか…」

 だいたい男って、どういう風に女を好きでいるんやろ、うちが鷹姫を好きなんと同じ感覚なんかな、おっぱい揉みたいとか、キスしたいって思うんかな、それとも子作りしたいって感じなんかな、男は女と性交できるわけやし、それがメインなんかな、と鮎美は政治家同士で話しているのに、政治のことに思考がいかない。不倫という行動をした男を間近に見て、男が女を、どう想っているのか、そればかりに気がいってしまう。

「やはり自分は嫌われていますかね」

「いえ……そういうわけでは……うちは男に興味ないし」

 思わず言ってしまったけれど、細野は浅い意味にしかとらなかった。まだ女子高生でしかない鮎美が男性に興味が無いというのはありえることで、そこを深く詮索する気はなかった。むしろ、単に一人の与党政治家として参議院の一席を占める鮎美と少しでも近づいておきたいという政治的に純粋な動機が働いているだけだった。

「芹沢先生の通っておられる学園に、自分も中学の頃は通っていましたよ」

「そ…そうなんですか……え? ってことは、信仰も?」

「いえ、それは。ただ近所の私立中学というだけで選び、高校は井伊東に行っています」

「井伊東? ……」

 そこって賢いんかな、アホなんかな、どっちやろ、と鮎美は悩む。鮎美たちが在籍している学園は中学高校がエスカレーター式の中高一貫教育で、学園中学に在籍していると、ほぼ無試験で高校に入れるものの、あまりに成績の悪い生徒は高校へあがれないし、かなり成績の良い生徒は公立の高校を受験したりするので、学園外の高校へ行ったということは成績が中程度ではなかったことを示している。ただ鮎美は大阪出身なので県内の高校を名前だけでレベルを判断することができなかった。そっと鷹姫に訊いてみる。

「井伊東って、どんな学校なん?」

「県北部で一番の進学校です。剣道部もそこそこに強い、文武両道の優良校です」

「へぇ…」

「たいしたことは無いですよ」

 ありきたりな謙遜をした細野は確認するように訊いてくる。

「芹沢先生は、あの学園の信仰をもっていらっしゃる?」

「いえ。あれは、ちょっと……。普通に神社とお寺です」

「そうですか。せっかく隣席になった偶然へ感謝して、もう少しお話しさせていただいてもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

 地元へ戻ってからの仕事は、お通夜への出席だけなので鮎美は細野へ頷いた。

「加賀田知事のお誘いを蹴られたそうですね。民主党のどのあたりがお気に召しませんでしたか?」

「気に入らないということではなく、自民党で頑張ると決めたので初志貫徹ということと、自民党の人たちに恩義もありますから、それを守りたかったという仁義です」

「なるほど、そう言われると説得の糸口が無い」

「どうせ、うちを口説く気で話しかけてきたんやろ? …あ、失礼、つい本音を、すんません」

 鮎美が思わず本音で突っ込み、それを恥じて赤面した。

「ははは、面白い人だ」

「……すんません。年上相手に失礼でした」

「いいですよ。本当のことではありますから。あなたの存在は喉から手が出るほど欲しい」

「……」

 鮎美は夏子が、触手が出るほど、と言っていたことを思い出した。夏子に言われると少しは心が揺らぐけれど、男性である細野に言われても何とも思わない。嫌悪感も無い。男という生き物が女を口説くということも、よくわからないし、男に口説かれるというのも、よくわからない、その先にイエスが無いので、まったく無意味な行動に思える。鮎美は、また政治のことではなく色恋のことを考えていたので頭を振って雑念を追い出そうとする。それを見て細野が言ってくる。

「芹沢先生は、お疲れですか?」

「いえ、大丈夫です。……細野先生が、うちと隣席になった偶然を感謝してくれはるんやったら、このさい、うちも細野先生に訊いてみたいことがあります」

「どうぞ、なんなりと」

 細野は余裕をもって頷いた。その胸には議員バッチがあり、スーツも決まっている。与党政治家の幹部議員としての貫禄があった。

「…………」

 鮎美は前後の座席を見回した。グリーン車なので他の政治家が乗っている可能性は高いけれど、近くには見えない。そして細野が座っている席の奥は空席だった。

「そっちに座ってええですか?」

「…、どうぞ」

 瞬時に細野は密談だと悟った。鮎美が秘書の鷹姫にも聴かせたくない話をするのだと期待して奥の席へ移動する。鮎美は細野が座っていたシートに移った。これで小声で話せば誰にも聴かれずにすむ。

「……」

 鮎美が切り出し方を迷っている目をすると、細野は待ちかねて促した。

「お話というのは?」

「……とても失礼な質問ですが……」

「かまいませんよ」

「………不倫されるというのは、どういう気持ちでされるのですか?」

「っ……は…はは……」

 細野は癖になっている笑って誤魔化す笑顔になったけれど、鮎美は真剣に訊いてみたかった。

「好きになって結婚した奥さんがいて、それでも不倫するって、どういう気持ちでしはるんですか?」

「……うっ……うーん……」

 笑って誤魔化すのでは鮎美が納得してくれない目をしているので細野は困る。鮎美は重ねて問う。

「議員という立場も危うくなるやないですか。総選挙でも民主党への風が無かったら危うかったと……大変失礼ですが思います」

「………」

 苦笑する細野の頬が少し震える。

「そこまでして、どうして不倫しはったんですか?」

「……………本当のところを訊かせろと?」

「はい、お願いします」

「それを訊いたところで自民党に有利に働くことは何もないよ。あの件は完全に利用され尽くした。それでも自民は負けた。今さら何も出てこないぞ」

「うちは、ただ男の人が、どういう風に女を好きになって、それで結婚までしたのに、また他の女を抱くっていうことの動機が知りたいんです。動機というか、気持ちというか、結婚した女性のことかって好きでいるわけでしょ? せやから離婚もしてない。ほな、なんで不倫されたんです? どういう心で?」

「…………」

「教えてもらえませんか? 政治抜きに」

「……わかったよ………君は、まだ女子高生なんだね、純粋な……。男と付き合ったことは?」

「ありません」

「だろうね」

「それと関係が?」

「あるよ。男っていうのはさ。………これ、ホントに政治抜きでオフレコで語るからね。そこ守ってよ。ここだけの話で頼むよ。どうせ、どこの男も同じような話をするけど、よそで細野が言ってたとか、漏らさないでくれよ?」

「はい、誓って」

 つい鮎美は陽湖のように真剣に頷いた。そういう雰囲気に細野も中学の頃には接したことがあるので信じることにした。

「男っていうのはさ、好きになった女性以外にも欲望を覚えるんだよ。ついつい、よそに目移りする。だからって、好きになった女性は、そのまま好きでいるし、そりゃ離婚する男もいるけど、離婚したくなくても、まだ奥さんを好きでいて、これからも奥さんと人生のパートナーでありたいと想っているくせに、ついつい、ちょっと若いキレイな子に惹かれたりするんだよ。それは、もう本能というか、どうしょうもない衝動というか、それは抑えるべきなんだけど、つい! つい! 気がついたら手を出してしまっているんだ! ものすごく後悔するくせに! そのときは欲望に突き動かされて止まらない! ただ……ただ、それだけだよ……」

「…………」

 なんや、それやったら、うちと同じやん、うちは鷹姫を好きやのに、つい陽湖ちゃんのお尻に触るし、カネちゃんにもスキンシップしてしまう、あかんとは想うのに、ついつい、やってまう、うちも男も同じなんや、と鮎美は拍子抜けしつつも納得した。

「そうですか……ありがとうございます。変な質問して、すんません」

「いや……いいよ……別に………」

 細野は話を戻して鮎美を民主党へ勧誘する流れを作りたかったけれど、鷹姫が突然に立ち上がると、通路を歩いてきた男性の前に立ちはだかり詰問する。

「芹沢先生へ何か用ですかっ?!」

「っ…い、いや…何も! 何でもない!」

 男は慌てて否定したけれど、鷹姫が続ける。

「さきほども芹沢先生へ何か向けていましたね! 見せなさい!」

「何でもないって言ってるだろ! やめろよ! ぐっ、うわっ?!」

 男は抵抗しようしたけれど、鷹姫が柔道技で組み伏せると、ポケットから小型のカメラが出てきた。

「盗撮……、痴漢、鉄道警察に連絡します!」

「ち、違う! 違うぞ! オレは取材していただけだ!」

 組み伏せられながらも男が自分の財布から名刺と身分証明書を出した。それを細野と鮎美に見せつける。

「オレは記者だ! 痴漢じゃない! 取材の自由を制限すると許さないぞ!」

「「………」」

 細野と鮎美は名刺を見た。よくある週刊紙の名があった。鷹姫が迷う。

「芹沢先生……どのように処置するのが良いでしょう?」

「うっ…う~ん……取材の自由と、列車内での盗撮って、どっちの法理が優先され……。というか、うちを撮ってたん?」

「ああ! お前、もう公人だろ!」

「………失礼な、ヤツやな…」

「もう上から目線か!」

「なんやて!」

「芹沢先生」

 細野が興奮しかけている鮎美の肩に手をおいた。

「こういう連中を相手に怒っても仕方ないよ。失礼も非礼もない。こういう生き物なんだ」

「細野先生……」

「不倫野郎が何を気取ってやがる」

「だとしても、総選挙で私は国民から信託をいただいた。この期待に全力で応えることをもって禊ぎとする」

「ちっ……くそ! 離せよ! 暴力だぞ!」

 舌打ちした記者は自分を組み伏せている鷹姫を睨んだ。

「…………」

 鷹姫は迷っているけれど、手の力は抜かない。細野が決めた。

「秘書さん、もう離してやりなさい」

「……。芹沢先生、どうされますか?」

「う~ん……細野先生が、そう言わはるんやったら、それでええんちゃうかな」

「わかりました」

 鷹姫が手を離した。

「くそっ、覚えてろよ!」

 凡庸な悪態をつきながら記者はグリーン車を出て行った。

「芹沢先生の秘書さんは見かけによらず強いなぁ」

「鷹姫は剣道日本一ですよ。きっと柔道でも、かなり強いはずです」

「いいボディガードだ。それにしても……」

 細野が言葉の途中で考え込むと、鮎美は言葉を引き継いだ。

「それにしても、覚えてろよ、ってリアルに言う人間がいるとは思わんかったわ」

「ははは……そこじゃなくてさ。秘書さんは、さきほども何か向けていた、と言ったよね。そのときもカメラだった?」

「おそらくは、そうだと思います。不審な動きをしていて、さらに、再び通りかかったので不審者と断定しましたが、記者だったとは……」

「そうか。撮られていたか……。けど、お互い、やましいことはない。芹沢先生と隣り合って座っていたのは、話があったからで、話の内容は民主党への勧誘だったと、もし何かあれば正直に答えてほしい。それで、お互い問題ないはずだから」

「わかりました」

「オフレコの方は言わないでよ」

「はい、わかってますって」

 鮎美は元の指定席に戻って座り、その後は国政や県政について、細野の見解を聴いて時間を過ごしたし、年齢差が大きいので、だんだんと教師と生徒のような会話になり、民主党が目指している新しい政治について鮎美は多少なりと好感をもった。井伊駅で細野は降りたけれど、鮎美と鷹姫は県南部の阪本市で行われる通夜に出席するので京都駅まで新幹線に乗り、在来線で少し戻って阪本駅で降りた。

 

 

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