「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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12月29日 風邪

 

 翌日の12月29日、鮎美は発熱して東京の休日診療所へ受診していた。医師が検査結果を伝えてくる。

「インフルエンザではありませんね。ただの風邪です」

「よかっ…ゴホッ…ゴホッ」

「「よかった」」

 そばにいた鷹姫と詩織も安堵した。

「お薬を出しておきますから、しばらく寝ていてください」

「はい、ゴホッ…1月1日までには治りますか?」

「ええ、おそらく」

 東京に来た最重要スケジュールである新年祝賀の儀への出席は果たせそうだった。三人で待合室に戻ると、詩織が謝る。

「ごめんなさい、私のせいです」

「いや…ゴホッ…うちが…不注意で…」

「あなたのせいです。反省なさい!」

 容赦なく鷹姫が言うと、素直に謝っていた詩織が黙って鷹姫を睨む。

「……」

「鷹姫…今日の予定は? ゴホッ…」

「健康であれば、改装された東京事務所へ行き、2、3の訪問客を迎え、雑誌社が取材を願い出ていましたが、もともと年末ということもあり予定は少なく、どれもキャンセルしても問題ありません。どうか、お休みください」

「お休みされるにしても、さきほどからホテルを探しておりますが、どこも年末で満室です。ですから、私のマンションに来ていただけませんか? 客間もあります。看病するにしても、ホテルでは何もありませんし」

「「………」」

「少しでも早く横になられた方が良いです」

「…そやね……ほな……お願いするわ…」

 タクシーを呼び、世田谷にある詩織のマンションへ三人で移動した。マンションは大きな玄関にコンセルジュが待機している高級マンションで、詩織が住んでいるのは39階の8LDKだった。高速エレベーターであがり、個別の玄関をカードキーで開けると、中に案内してくれる。中は24時間の冷暖房がされているようで暖かかったし、詩織は鮎美のために、さらに2度ほど気温設定をあげた。

「こちらです。どうぞ」

 詩織が自分の部屋の向かいにあるドアを開けた。部屋のドアには、AYUMIというプレートがかけられていたので鮎美は計画めいたものを感じる。

「…あんた……うちを、ここに……」

「いずれ泊まっていただく日もあるかと思い、準備していました。こんなに早くそうなるとは思いませんでしたけれど。それが役に立ちそうで良かったです」

 準備していたと言うとおり、ベッドも家具もそろっていて看病するにも十分だったので今は有り難い。ふらふらと鮎美は二人に支えられてベッドへ横になった。

「…ハァ…ハァ…」

「また熱があがってきているようです。牧田さん、体温計はありますか?」

「はい、すぐに」

 詩織は自分の部屋から体温計をとってくると、鷹姫には渡さず、鮎美の胸元のボタンを外すと腋の下へ入れた。すぐに電子体温計が反応する。

「39.9度……」

「芹沢先生……ご気分は?」

「…そんくらい……平気や……心配せんでええ……ハァ……寝るわ」

 ぐったりと鮎美は目を閉じた。今は制服ではなく詩織が変装のために持ってきたカジュアルな服を着ているけれど、このまま寝かせるのは身体に良くない。

「鮎美先生、パジャマがありますから着替えてください」

「…ハァ…」

 鮎美は返事をしないけれど、拒否でもない。詩織はタンスからパジャマを出してきた。ちょうど鮎美の身体に合うサイズだった。

「脱がせますね」

「…自分で…」

 自分で着替えようとしたけれど、指に力が入らない。もう判断力も無くなってきたので鮎美は身体を任せた。衣服と下着も脱がされて、新しい下着とパジャマを詩織と鷹姫が着せてくれた。

「ゆっくり、お休みください。何かあれば内線電話で呼んでください」

「早く良くなってください。何か欲しいものはありますか?」

「ううん……今は何も…」

 そう言って目を閉じているので、詩織と鷹姫は部屋を出た。

「…………」

「…………」

 詩織が黙ってリビングへ行くので、鷹姫も続いてリビングへ入った。部屋にいる鮎美へ声が聞こえないくらい離れてから詩織が言う。

「鮎美先生は私が看ていますから、宮本さんは東京事務所へ行って今後の準備などしていてもらえますか? 訪問客もキャンセルになったことですし、大掃除などしていてください」

「いえ、私は芹沢先生のそばにいます」

「……。私一人で十分ですから」

「こうなったのは、あなたが原因です」

「だから、私が責任を持って看病します」

「信用できないと言っています」

「………。では、勝手にしてください。言っておきますけど、宮本さんの部屋はありませんよ。泊まるなら、そこの床にでも寝てください。毛布一枚くらい貸してあげます」

「わかりました。ありがとうございます」

「え……?」

 この子、今、本気でお礼を言ったの……いくつも部屋がある一人暮らしなのは見てわかるはずなのに……、ソファもあるのに床へ寝ろなんて言ったのに、と詩織は驚くけれど、道場の床で寝てきた鷹姫は違和感をもっていないし、あまり詩織からの悪意も感じていない様子だった。

「………」

「………」

「私は雑誌社に電話しますから、宮本さんは訪問してくださる予定だった石永先生の支援者へ謝りの電話を入れてくれますか?」

「はい」

 二人で分担して予定がキャンセルになることを謝り、それが終わると、また沈黙になる。

「………」

「………」

「………」

「………」

 しばらく沈黙が続いた後に鷹姫が鮎美のカバンを開けると、陽湖から渡された大学資料を取り出し、それを静かに読み始めた。

「………」

「……それは何の資料ですか?」

「芹沢先生が、ご友人から陳情を受けた大学新設に関する資料です。文科省への申請を手伝って欲しいとのことです」

「大学新設……そのお友達は、どんな人ですか?」

「同級生の生徒会長です。良い人なのですが、私には理解できない神を強く信仰されています。この大学も、その信仰を是とする大学です。芹沢先生とは半年前から同居されていて仲が良いのですが、あまり信仰の影響は受けて欲しくないと懸念しています」

「同居っ?! いっしょに住んでるんですかっ?!」

「はい」

「どうして、いっしょに住んでるの?!」

「……話すと長いですよ?」

「鮎美先生の生活は私も秘書として知っておくべきです! 教えてください!」

「それもそうですね。では、もともと私と芹沢先生が通っている高校そのものが、幸福のエホバというキリスト教系の学校なのです」

「幸福のエホバ……あの…」

「ご存じですか?」

「ええ、ドイツでも見かけましたし、フランスとロシアではカルト指定されていたと思います。どうして、そんな学校に鮎美先生が? あなたも」

「私の家から近くて便利だったのです。芹沢先生も同じ理由です」

「そんな理由で宗教学校に……私は大学からドイツで暮らしていたのですが、日本人の宗教感覚は、いい加減すぎますよ。普通、信仰していない宗教の学校に通わないものですし、親も通わせないものです。そんなことをしたら大問題になります」

「そうなのですか。それはともかく、私たちの学校では9割の生徒は、その宗教を信仰していません。けれど、ごく少数の生徒は強く信じています。その代表が月谷陽湖です。生徒会長……生徒信仰なにがし…総括…会長という正式名称もありますが、忘れてしまいました。ともかく代表です」

「その月谷さんが鮎美先生と同居を?」

「はい。学園の理事や校長からの手引きで芹沢先生が議員となることが判明してから、クラスも移籍し、強制的隣席となり、私たちの島に引っ越しまでして接近してきたのです。それで近くに借家を借りていたのですが、あまり立派とは言えない借家で、お優しい芹沢先生は見かねて、いっそ同居するように言われたのです」

「そんな怪しい人と同居するなんて!」

「………身元は……、身元調査はされていません。ですが、悪い人ではないと感じます。強い信仰心をもっておられ、やや発言が意味不明であることもありますが、芹沢先生も仲良くされています」

「そんなことで、あなたはいいんですかっ?!」

「…………」

 鷹姫が深く考え込む表情になった。

「…………やはり、芹沢先生が宗教の影響を受けるのは好ましくないです」

「そっちじゃなくて!」

 ああもう! この子ノンケな上に、鈍すぎる! と詩織は苛立ったけれど、情報を得るために冷静になる。

「その月谷さんは鮎美先生と暮らしていて、怪しいことはされませんか?」

「されます」

「っ、どんなことを?!」

「島内すべての家に、怪しげなパンフレットを毎週のように投函されています」

「それは、あの人たち全員がやってることでしょ?! うちのポストにも入ってるから! そうじゃなくて! スキンシップとかいって、やたら鮎美先生の身体に触ったり髪を撫でたりしてませんか?!」

「………。そういったことは、どちらかといえば、芹沢先生が月谷へされ、彼女に迷惑がられています」

「それを先に言ってくださいよ」

 詩織は興奮して喉が渇いたので紅茶を淹れる。鷹姫の分を淹れずに一人だけで飲もうかと迷ったけれど、それも大人げないので鷹姫にも淹れた。

「どうぞ」

「いただきます」

 二人で紅茶を飲み終わると、また沈黙になった。

「…………」

「…………」

 詩織が茶器を洗うために片付け始めると、鷹姫も手伝う。それから詩織は鮎美のために粥を作ることにした。弱火で米を炊きながら、鮎美のことが気になったので部屋の前まで行ってみる。

「…………」

 寝ている様子で静かだったので、すぐにキッチンへ戻る。

「芹沢先生のご様子は?」

「眠ってくれているみたいです」

「何か手伝いましょうか?」

「いえ」

 手伝いを断られた鷹姫は静かに資料を読んだり、予定を確かめたりして過ごし、夜になると毛布一枚を借りてリビングの床に横になった。

「………」

「………」

 本当に床で寝る気なの、そこにソファもあるのに、部屋だって鮎美先生のために用意した部屋以外にも客間があるのに、一言お願いすれば私だって折れるのに、何なのこの子、意地になってるの、それともバカなの、と詩織は寝る体勢になっている鷹姫を見つめて思った。

「………」

「………牧田さん」

「何ですか?」

「あなたは眠らないのですか?」

「もう寝ます! おやすみなさい」

 詩織は床暖房を切ってやろうかと迷ったけれど、それをすると意地悪すぎて自己嫌悪に陥りそうなので24時間暖房はそのままにした。

 

 

 

 12月30日の早朝、真冬の遅い日の出前に鮎美は目を覚ました。

「……ちょっとマシかな…」

 熱で疼いていた身体が落ち着いている。手を伸ばすとスマートフォンがあり、その明かりで体温計を探すと検温してみた。

「…37.5か………うちの勝ちやな」

 自分の身体を侵したウィルスたちに勝ちつつある実感を持ち、トイレに行きたくなったので起き上がった。

「みんなに迷惑かけてしもて……情けないわぁ…」

 一人言を漏らしながら廊下に出る。足音を立てないように歩いてトイレを見つけて用を済ませ、今度は喉が渇いたのでキッチンへ行ってみる。詩織が冷蔵庫も勝手に開けてくれていいと言ってくれていたので、お茶をもらって部屋に戻ろうとしてリビングの床で眠っている鷹姫に気づいた。

「……鷹姫?」

「…ぁ……もう立ち上がって大丈夫なのですか?」

 鷹姫も目を覚まして、鮎美の姿を見て問うてきた。

「うん、だいたい元気になったよ。7度5分やったし」

「そうですか、よかった」

「鷹姫、なんで、そんなところで寝てるの?」

「牧田さんに泊めてもらいました」

「……泊めてって……せめてソファに寝るとか……他にも部屋とか無かったん?」

「部屋はないと言われました」

「…………こんな大きなマンションに一人暮らしっぽいのに……」

「私のことは、どうかお気になさらず。まだ完全に熱が引いたわけではないのですから、休んでください」

「……うん………ごめんな…」

 まだ熱がある自覚はあり、これ以上の迷惑はかけたくないので素直に部屋へ戻って、日が昇るまで眠った。昼前になって詩織と鷹姫が粥をもってきてくれた。

「おおきに。迷惑かけて、ごめんな」

「気にしないでください。私が悪いのですから」

「うちの不注意よ。……せやけど、世話になっておいて、こんなこと言いたくないんやけど、なんで鷹姫を床に毛布一枚で寝かせてたん?」

「っ…それは……」

 知られていないつもりだったのに、知られていたので詩織が動揺する。その動揺で鮎美は不信感を強くした。

「ソファもあるのに、ひどいやん」

「………宮本さんが床でよいと言われたので…」

「他に部屋はなかったん?」

「……あります…」

「………」

 鮎美が悲しい目で詩織を見た。

「っ…」

 詩織が息を飲むほど後悔した。会話の流れで鷹姫を床へ寝かせたけれど、マンションの広さを考えれば、ひどい仕打ちで白眼視されかねない。一昨日にビアンバー巡りをした直後は、いい雰囲気にもっていけるかもしれないと感じていたのに、今は外の寒気のように鮎美の気持ちが冷え切っているのがわかる。詩織が嫉妬で鷹姫を冷遇したのだと、鮎美にはわかるし、それが悲しくもある様子で肩を落としている。とうの鷹姫は冷遇されたとは感じていないので医師からもらった薬を用意した。

「食後に飲んでください」

「…鷹姫……」

「はい?」

「夕べは床で寝てて寒くなかったん?」

「はい、床が高価なホテルのように温かい床でしたから」

「せ、設定も2度くらい、いつもよりあげたんですよ! お二人のために!」

「牧田はん……」

 鮎美が時計を見る。

「今日の予定も人と会うのは感染させたら迷惑やしキャンセルやとして、ホテルも予約がとれんなら、また泊めてもらうかもしれんけど……鷹姫の寝るとこ、もう少し考えてやってな。頼むわ」

「は、はい。今から準備しておきますね!」

 そう言って詩織は部屋を出て行った。

「………」

「食欲はありますか?」

「うん……おおきに」

 作ってもらった粥を食べて薬を飲むと、鷹姫に訊いてみる。

「うちが倒れてる間、牧田はんに嫌なことされんかった?」

「はい。何も」

「ホンマに?」

「はい」

「……鷹姫は人間関係で妙に鈍いとこあるから、気づいてないだけかも……ささいなことでも言うてよ?」

「はい、あえて言えば、私にとって嫌なことではありませんが…」

 鷹姫が昨日を思い出しながら答える。

「芹沢先生と月谷が同居していることを話したら、強く警戒しておられました」

「ああ……陽湖ちゃんのな」

「慣れてしまったので私も不覚でしたが、やはり特定の宗教の影響を芹沢先生が受けるべきではないと考えます。その点、牧田さんと同意見です」

「うん、わかったよ」

 絶対に宗教やなくて同居の件やね、と鮎美は想いながら鷹姫の頬を撫でた。

「芹沢先生、やはり、まだ体温が高いようです。横になっていてください」

「おおきに」

 その求めに素直に応じた鮎美はベッドに戻り、天井を見上げて不思議な想いを感じた。

「きっと、ここで年明けを迎えるんやろね。去年は大阪やったのに、今年は鬼々島でもなくて、東京の牧田はんのマンションで、二人と」

 好きでいる鷹姫と、好きでいてくれる詩織の二人と年越しを迎えるのが、不思議だった。

「鬼々島の家では、うちの代わりに陽湖ちゃんがいて、年末年始まで実家に帰らんと、うちの父さん母さんと過ごすらしいし。ホンマに娘が替わったみたいやろな」

「その件と関わりがあるのですが、最近、芹沢先生のお母様が月谷に誘われて日曜日の朝には礼拝へ参加しているようです」

「あ~……父さんが言うてたわ」

「警戒した方がよいかと思います」

「別に、そこまで……母さんも好奇心かもしれんし、信仰の自由も……って言うても、陽湖ちゃんも着実に侵略してくるなぁ……さすがキリスト教徒。昔やったら打ち首か島流しもんやな」

「打ち首はともかく現状で島流しといえば島流しです」

「そうなん? 鬼々島って、別に過酷でもないやん。昔の島流しって佐渡とか、八丈島ちゃうん?」

「鬼々島も流刑地として対象になっていました。室町期には今参局などが流されています」

「いままいりのつぼね?」

「将軍義政の乳母です。将軍への影響力が強く、義政の正室だった日野富子が産んだ子が早世したのは今参局による呪詛だとの疑いをかけられ、鬼々島へ流されることとなりました。その途中で富子の意を受けた者に暗殺されたか、自害されたそうですから、厳密には鬼々島に到着していませんが」

「日野富子かぁ、北条政子と並んで幕府にかかわった有名な人やね。クスっ…鷹姫は普段は無口やのに歴史のことになると語るね」

「………」

 鷹姫が返答に窮していると、詩織が戻ってきた。

「玄関を入って、右の和室へ宮本さんに泊まってもらえるよう準備しました。今、ロボット掃除機が埃を片付けているので40分くらいで入れますよ」

「「ロボット掃除機……」」

 鮎美と鷹姫が何か想像しているので詩織は言っておく。

「念のため言っておきますが、人型じゃないですよ。丸い円盤型の売ってるやつです」

「あれか……。あれって役に立つん? オモチャみたいに見えるけど」

「とても役に立ちますよ。あれがなかったら、家政婦を入れないと床掃除が大変です」

「さらっとカネちゃんみたいに家政婦って言うたなぁ……このマンションといい、なんとなく、牧田はんの階級がわかったわ」

「私と結婚しませんか?」

「「……」」

 短い沈黙の後に鮎美が答える。

「うちは、お金に釣られて結婚したりせんし」

「冗談ですよ。でも結婚といえば、石永さんから聴いたのですが、宮本さんは許嫁がおられるんですよね?」

「はい」

「どんな人ですか?」

「……。……」

 鷹姫が悩む。子供の頃から知っているだけに、逆に問われると答えにくい。そして平凡な答えを選んだ。

「ごく普通の人です」

「普通って……ここで話していても、鮎美先生に迷惑ですから出ませんか?」

「はい。芹沢先生、しっかりお休みください」

「うん……おおきに」

 鮎美は二人の会話の続きが気になったけれど、今は熱があるので自重する。詩織は鷹姫とリビングに戻った。

「それで宮本さんの許嫁って、どんな方なのですか?」

「ですから、普通の人です」

「もしかして話したくない?」

「いえ、別に」

「率直に言って、その人と結婚するの嫌ですか?」

「いいえ、嫌ではありません」

「では、好きなのですか?」

「……。嫌ってはいません。他の男性と同じです」

「他と同じって……、特定の男の人を好きになったことありますか?」

「いえ、ありません」

「………。……もし、……もしかして、……男より女性が好きだったりします?」

 詩織が緊張しながら問うと、鷹姫は首を傾げた。

「その好きというのは友人としてではなくですか?」

「え、ええ。そう。恋人として女性を好きになったりしますか?」

「いいえ、なりません」

「……」

 詩織は勘が外れていなかったので安心すると同時に、鷹姫を理解できずにもいる。

「じゃあ、初恋の相手は?」

「そもそも恋をしたことがありません。あの…、この会話に何か意味があるのですか? 芹沢先生がお休みとはいえ、私たちは何か仕事をした方が良いのではないでしょうか?」

「女子高生なのに、仕事人間ですね……」

「あなたは少し秘書としての自覚に欠けませんか? 蒸し返しになりますが、夜中に芹沢先生を連れ出したりして。自分の役割を心得ていますか?」

「……」

「いくら久野先生からの推薦があったとはいえ、業務に専念する気がないのであれば、お辞めになった方がよいです」

「ぅっ……そこまで言う………一応、私の方が年上だって、覚えてます?」

「長幼の序を持ち出すならば、それに相応しい態度をなさい。かつ秘書としては私が先達です」

「…………わかりました」

 わかりましたよ、あなたは企業に入ったら男には目もくれず課長部長と出世していくタイプですね、コンパ合コン無関係、いくつになっても処女で恥じない、気がついたら役員だけど未婚、あ、そっか、親御さんは見抜いたんだ、それで許嫁を決めたのね、賢明な判断かも、決められたら決められたで逆らいもしない、結婚相手なんて誰でもいい、そんな生き方をする人、バイの私とは対極にいる人、剣道しなさいと言われたら日本一になるまで剣道、きっと勉強しなさいと言われたら東大に入るまで勉強、出世しなさいと言われたら仕事一筋、だから秘書としても全力で秘書、あくまで秘書、鮎美のことを好きだから、そばにいるわけじゃない、鮎美のことを守るのも秘書の役割だから守ってるだけ、そっか、そういうことか、と詩織は心の中で納得した。

「わかればよいです」

「はい、すみません」

 しかも素直で単純、他人の悪意に鈍いし、根に持たないタイプね、と詩織は理解する。

「では、ここにいて可能な仕事をします。ここに印刷機はありますか?」

「はい、あります」

「貸していただけますか。経費は請求してください」

「少々の量なら、かまいませんよ」

「些細であっても会計処理はすべきです」

「はい」

「石永さんから芹沢先生の演説会などで配る団扇のデザインが届いています」

 鷹姫が小型のノートパソコンを開いて、メールに添付されていたファイルを見せる。

「これらのデザインの中から、三つを選び印刷会社に依頼するのですが、その絞り込み作業を最終決定は芹沢先生がされるとしても、私たちで前段階まで絞り込もうと思います」

「わぁぁ♪ 可愛い! これ、すごく可愛いですよ!」

 デザインは元となる写真も豊富で可愛らしいアイドルのようなものから、勇ましく拳を握って若い男性政治家のようにガッツポーズするものまであった。詩織が嬉しそうに見ている。

「これ欲しいです。これも可愛い。こっちのはカッコいいし」

「………。さしあたって、すべて一枚ずつ印刷してみてもらえますか?」

「はい」

 思ったより楽しい作業だったので詩織も意気揚々と進め、すべてを印刷すると壁一面に貼り付けた。

「たしかに、そうしていただく方が一望にできて選びやすいですが、壁紙が傷みませんか?」

「気にしないでください」

 リビングの壁一面が鮎美の写真で埋め尽くされる。プロのカメラマンが撮影しただけあって写りも良く、メイクもプロに頼んでいるので濃すぎない範囲で美しいし、さらに一部の写真は加工修正されているので、もうアイドルと比肩しても見劣りしない見栄えだった。

「水着写真まで………これ、やり過ぎでは? ……とても、いい写真ですけど、演説会で水着写真は一部の人にはウケても…」

 ごく少数ではあるけれど、学校指定の水着姿で写っている鮎美や、ビキニ水着で写っているものまであった。

「私もそう思います。撮影に立ち会ったとき、カメラマンが言い出して撮ることになったのですが……」

「鮎美先生は水着撮影OKしたのですか……。カメラマンが、どう言って撮ることになったのです?」

「たしか……18歳のスタイルで撮れるのは今だけだから、撮っておいた方がいいよ、などと言っていた気がします」

「…なるほど……さすが…」

 うまく女心をくすぐったわけね、と詩織は水着姿の鮎美を見て頷き、この写真が本気で欲しくなった。

「これ団扇にデザインされる前の元データは、もっと沢山あるのですよね?」

「そう思います。かなりの枚数を撮影していましたから」

「女性の目で見て、よりよい写真があるかもしれませんから、元データを私のメアドに送ってもらえませんか?」

「はい、そうします。私はデザインだとか、センスといった感覚に欠けるところがあって善し悪しがわからないので助かります」

 すぐに鷹姫はデザイン会社へメールを打ってくれている。その間に詩織は写真を鑑賞しながら団扇のデザインを絞り込んでみた。

「水着も捨てがたいですが、今回は秘蔵するとして、やはりフレッシュなイメージと若さ、情熱、清廉さを感じさせる、このあたりのデザインがよいかと思いますよ。けれど、たしか、団扇を配るのは自民と民主の間で論争になっていませんでしたか?」

「そうです。もっと早くに用意するはずだったのですが、団扇が財物にあたるのではないかという論争が起こり、結局は骨組みのない厚紙性の団扇であれば政策メッセージを伝えるための印刷物という扱いになり問題ないという結論に落ち着いたので着手しています」

「くだらない論争……」

「同感ですが、公選法上の解釈は重要です。よりくだらない上に芹沢先生の負担が増すのですが、可能であれば一枚一枚にサインしていくようにと」

「サイン…………どのくらい印刷されるのですか?」

「まず2万枚です」

「一枚あたり10秒かかるとして……一時間で360枚、一日かけても3600枚、三日目には腱鞘炎になると思いますが……」

 詩織は団扇の山を前にしてタメ息をつく鮎美の姿を想像した。

「もう完全にアイドル扱いですね」

「…………」

「政治家としては戦略的に間違った方向ではないでしょうか?」

「同感です。ですが、石永先生の秘書たちが言い出したことですから……」

「あのオジサンたち………わかりました。この件は私から彼らに言ってみます」

 そう言って、すぐに詩織は男性秘書らに電話をかけ、サインは求めてくる支持者にのみ、その場で可能な枚数だけということで話をまとめ、鮎美の負担を軽くした。それが終わると絞り込んだデザインに印をつけて鮎美が回復するのを待つ。夜になって、ほぼ平熱にまでさがった鮎美が最終的な三つのデザインを、静江や石永もネット上のテレビ電話会議でまじえて決めた。

「ほな、これと、これと、これな」

 一つは通学カバンを両手で股間の前に持ち、まっすぐ前を向いて少しだけ首を傾げた女の子らしい立ちポーズで、二つめは両足を肩幅に開いて立ち真剣勝負というロゴ文字を背景にした男性的なポーズ、三つめは琵琶湖を背景にして振り返りながら広げた片手をさしのべている上半身カットのポーズで、どれも制服姿で露出は顔と手だけにしている。街中に貼りだしているポスターに比べると、少しだけ個性を出したものの、やはり無難なものとなり水着姿は候補にものぼらなかった。静江がPC画面越しに問うてくる。

「それで、もう体調は完全なんですか?」

「うーん……学校で言うたら普通の授業なら明日は出席、プールとか体育祭なら欠席しておこかなくらいに回復してるよ。けど、明後日には完全やろ」

「明日も、どこにも出歩かないでください。東京は人が多いからインフルエンザも流行ってますよ」

「了解しました。経験者は語るやね」

「私は地元でもらったんです」

「どこにいても危ないわけやし、もう油断しませんわ」

 石永もPC画面越しに言ってくる。

「国会は会期中に体調を崩す議員もいるけれど、新年祝賀の儀は一日限りだから気をつけてくれよ」

「はい、おとなしくしてます」

 静江と石永との通信を終えると、鮎美は念のためにベッドへ戻り、鷹姫は壁に貼り付けられている写真を片付け始めたけれど、詩織が止める。

「その写真、どうされるのですか?」

「廃案になったものは廃棄します」

「もったいない……もったいないので、もらってもいいですか?」

「はい。どうぞ」

 鷹姫は剥がした分を詩織に渡し、他の仕事を始めた。詩織はすべて丁寧に剥がすと自室に持ち込み、自室の壁に貼ってみた。リビングほど壁面が広くないので一面で終わらず部屋の四方に貼ることになった。

「…………」

 どちらを向いても鮎美のポスターがある。さらに気になっていた水着姿が手に入っていないか、PCで確認してみると年末なのにデザイン会社は上得意からの求めに応じてくれたようで何百枚ものデータが送られてきていた。

「………これをデスクトップの背景に……あ、これも、すごい……」

 もともとモデルやアイドルとしての警戒心をもっていたわけではない鮎美がカメラマンにのせられて撮られた写真は水着姿とはいえ、かなり刺激的だった。立ち会ったらしい鷹姫と静江も芸能事務所のマネージャーとしての警戒心を学んでいたわけでもないので、どんな写真に仕上がるか、深く考えなかったのかもしれない。

「これなんか裸よりエッチ……」

 四つん這いになった鮎美を後方から撮ったり、足を開いて立っているところをローアングルから撮っていたりした。

「…ハァ……」

 見ているうちに興奮してきた詩織は迷ったけれど、その場で欲求不満を解消してから、デザイン会社へ警告メールを送り、これらのデータを絶対に流出させないよう強く抗議しておいた。

 

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