「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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1月4日 記者会見

 お昼過ぎ、陽湖は鬼々島の借家で鮎美の母親である芹沢美恋(みこ)と心配そうにテレビを見ていた。

「……アユちゃん……」

「シスター鮎美は、きっと大丈夫ですよ」

 お正月も4日目になるとテレビの番組内容は退屈きわまりない初詣客数やグルメ紹介になるものなのに、今朝は娘のことが何度も何度も報道されるので心配でたまらなかった。今もテレビで司会者とコメンテーターが鮎美のことを話している。

「今日発売の週刊紙に掲載された最年少議員芹沢鮎美さんと細野議員の不倫疑惑ですが、さきほどのぶら下がり取材では細野議員は全面的に否定されましたが、芹沢議員は記者会見を開くようです。どう思われますか?」

「男性側と女性側で受け取り方が大きく変わることもありますからね」

「というと?」

「細野議員としては自民党から民主党へ移って欲しいがために、いろいろと彼女を口説くでしょう。現に、そのことについて話したということは細野議員も認めている」

「ですね」

「ただ、彼女の方では口説かれて、どう受け止めたか、というのは認識が変わってくるかもしれない。口説き方として、君が必要だ、とか、君にきてほしい、くらいのことは当然に言うでしょう。それを言われて18歳の女の子が、どう受け止めたかというのは、また話が変わってくるかもしれない」

 週刊紙の記事を詳しく読めば不倫疑惑の根拠は新幹線で相席したことしかないのに、視聴率を伸ばしたいがため、疑惑が判明するまでは引っ張れるだけ話を引っ張ろうと憶測でコメントしているのを見て母親として悲嘆に暮れているので、陽湖が慰めるように肩を抱いた。

「大丈夫ですよ、お母さん。シスター鮎美は、しっかりした人です」

「…そうね…」

「はい、きっと大丈夫」

 陽湖は本人から告白されて鮎美が同性愛者であることを知っている。それゆえ、男性との不倫など無いと確信しつつも、逆に男性へ興味をもつことができたなら、それはそれで幸いなこととも思うけれど、こんな形では避けてほしい。二人がテレビの前から離れられずにいるのに、鮎美の父親である芹沢玄次郎はスーツ姿で玄関へ向かっていった。

「あなた、こんな時なのに新年会へ行くの?」

「鮎美からは直接連絡があって不倫も誤解、抱かれたのも落ちそうになったからと言ってくれたろう」

「でも…」

「鮎美なら大丈夫、大丈夫」

「新年会と娘、どっちが大切なのよ?!」

「娘。けど、ここでテレビを見ていても何もできない。そして、新年会は遊びじゃなくて、湖東地区建設業組合の懇親なんだ。オレは新参者なうえに、娘が有名人だから顔を出さないと何か言われる。ちゃんと新年会の場でも疑惑を否定しておくよ」

 玄次郎は男性らしい理屈を言って出かけていった。テレビが新しい情報を伝えてくる。

「あ、今、雄琴議員の映像が入りました!」

 画面に民主党の近畿地区国会対策会議を終えて、会議室から廊下に出てきた直樹が映る。

「雄琴議員! 鮎美さんと京都駅であったことは事実ですかっ?!」

 直樹のことは議員と呼びつつも、鮎美のことはアイドルのように下の名で呼んだレポーターの質問に直樹は冷静に微笑して答える。

「質問の仕方が悪質だねぇ。事実は芹沢先生がホームから落ちかけたから慌ててとめた。それだけだよ。あと、あの時期は本来、候補予定者だったのだから取材は自粛すべき時期のはずだ。いくら最年少で話題性があるといっても、節操が無いね」

「鮎美さんとは親しくされていますかっ?!」

「ははは。ボクが民主に移ったからね。裏切り者といって嫌われたよ」

「雄琴議員に抱かれたときの鮎美さんの反応は、どうでしたかっ?!」

「ホントに悪質な質問をするねぇ。抱いたのではなくて、落ちかけたから助けた。それだけだよ。ま、助けてくれて、ありがとうくらいの反応だったんじゃないかな。もう半年も前のことだから、政治家らしく言っておこう、記憶にございません」

 そう言って立ち去ろうとするのに、レポーターは追いかける。

「雄琴議員は鮎美さんのことを、どう想っておられますかっ?!」

「立派な人だよ。ぜひ、民主党へ来てほしい」

 直樹がエレベーターへ乗り込んで移動するのに、レポーターはエレベーターの中まで追いかけ、さらに質問する。

「雄琴議員が自民党を捨て、民主党へ移られた理由は何ですか?」

「捨てたという表現はともかく、いい質問だね。これ、生放送?」

「はい」

「ボクはクジ引きで選ばれた議員だ。だから、国民の総意に従う。総選挙前の世論調査でも民主党に支持が大きかった。今も少し下がったけど、それでも鳩山内閣は支持されてる。だから、ボクは民主にいる」

「では、もし、自民党や他の政党が与党になったときは、また党を捨てるということですか?」

「ボクは常に国民の総意に従う。それをコウモリという人がいてもね。せっかく生放送なんだから、言わせてもらうよ。幼女を誘拐して殺すような性犯罪者には絞首刑では足りない。もっと過酷な刑を用意すべきだ。そのためにならボクは何度だって党を移籍するさ。常に与党にいるつもりだ」

 ザッ…

 そこまででエレベーターに乗ったためなのか、電波が途切れたようで映像が切れた。司会者が政治評論家に話を振る。

「ずいぶんと雄琴議員は歯に衣を着せないというか、言いたいことを言いますね?」

「彼も自分で言っていたようにクジ引きで選出された議員ですから有権者への意識の仕方が、おのずと従来の議員とは変わってくるでしょう。ある意味で特定支持層のためではなく全体の奉仕者たらんとする意志の表れであると同時に、彼個人の強い志向も感じますね。井伊市連続誘拐殺人事件をご記憶の方も多いかと思いますが、その事件で彼の妹は犠牲になっている。性犯罪者に対して強い懲罰感情をもつのは当然かもしれません」

「ナオくん……」

 美恋が悲しそうに直樹のことも心配している。一時は手土産をもって頻繁に訪ねてくれたので美恋とも親しく話していたこともあったものの、今は党が変わったことで見かけなくなっていた。

「まだ芹沢議員の記者会見は始まらないようです」

「……アユちゃん……」

「大丈夫です、お母さん」

「でも、あんなにマイクもカメラもたくさん。まるで、アユちゃんが何か悪いことをしたみたいに。あの子が当選したときから、こんなことになるんじゃないかって、私……なのに、お父さんは他人事みたいに……」

「…………」

 陽湖が美恋の背中を撫でて聖書の一節を暗唱する。

「冷静さを保ち、油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回ってむさぼり食おうとしています。しかし、堅い信仰をもって彼に立ち向かいなさい。苦しみを忍ぶ点での同じことが、世にいるあなた方の仲間の兄弟全体の中で成し遂げられているのを、あなた方は知っているからです」

 ペトロ第一の聖句を諳んじて陽湖は励ますように微笑む。

「きっと大丈夫です」

「……ありがとう、ヨウちゃんがいてくれて良かった」

「今! 芹沢議員が出てきました!」

 テレビの中で、支部の駐車場に用意された記者会見場へ鮎美が静江と鷹姫とともに現れた。即席に置かれた机の上には何十本というマイクと録音機が並び、椅子は置いておらず鮎美たち三人は立ったまま会見する。

「新年よりお騒がせしており、また寒い中、長くお待たせして申し訳ありません」

 鮎美が頭を下げると、静江と鷹姫も一礼する。

「本題に入ります」

 頭を上げた鮎美は堂々と前置き無しに細野と直樹との関係は誤解に過ぎないと話し始めた。

「アユちゃん……」

「シスター鮎美、立派です」

 美恋と陽湖は凛とした鮎美の姿に感動さえ覚える。鮎美が説明を終えた。

「以上が事実経過です」

 静江が報道陣に告げる。

「では、ご質問を受けさせていただきます」

「細野議員とは、どういった関係ですか?」

「とくに何もありません。細野先生としても、民主党という立場から、うちを誘いたいのやとは思いますけど、それだけです」

「細野議員とは何回くらい会っておられますか?」

「回数を訊かれると、うちも正確には覚えておりませんが、当初に議員候補予定者であった頃にも民主党への勧誘活動として何度か。うちが自民党に入ってからは他党ということもあり、ほとんど接触の機会が無く、あの新幹線で出会ったのが、かなり久しぶりになります」

「細野議員を男性として、どう見ておられますか?」

「……。どう見たこともありません」

「民主党への勧誘には、どのような言葉で誘われましたか? 条件は?」

「条件は、とくに無かったと記憶しています。言葉としては、ぜひ来てほしい、新しい政治を自分たちで、といったものです。いくつか、うちからも高速道路の無料化や社会保障、外交などで質問させていただき、自民党とは違う解決策を説明していただき勉強になっています。さきほど男性として、どう見て、という質問がありましたが、教師と生徒ほど歳も離れていますので、話していると教えをいただくような雰囲気です」

「芹沢議員は雄琴議員からの勧誘で自民党に入っておられますよね?」

「はい」

「雄琴議員を、どう思っておられますか?」

「………。裏切りもん」

 率直すぎる物言いに報道陣から失笑のざわつきが起こり、隣にいる静江が背後で鮎美の腰をつついているのも映ってしまい、また笑われる。そして、余計な質問まで喚起してしまう。

「裏切り者というのは、どういう意味ですか? 一人の男性として?」

「一人の自民党議員として、かつて一人の自民党議員やったものに対する感情です」

「雄琴議員が自民党であったときは仲良くされていましたか?」

「……。はい」

「どの程度、仲が良かったのですか?」

「…………そこそこに」

「いっしょに出かけたりしたことは?」

「ありません。私用では、一切」

「仕事では、いっしょだったのですか?」

「この支部にも、よく出入りされていましたし、選挙の応援活動なんかも、いっしょにやっています」

「仕事で同じホテルに外泊されたことは?」

「一切ありません」

「雄琴議員は常に与党に在籍すると言っておられますが、もしも自民党が再び与党に返り咲くことがあったとして、そのとき雄琴議員が戻って来られれば、受け入れますか?」

「………党の総意で受け入れると決めたのならば、受け入れます。冷ややかに」

「雄琴議員を一人の人間として、どう想っておられますか?」

「あのとき線路に落ちないように助けてくれた命の恩人ではありますから、そこは感謝していますし、今回の件では彼に迷惑をかけていますから、申し訳なくも思います。そして、裏切りもんと言ってしまいましたが、一人の人間として見たとき、彼の妹さんのことも含めて考えれば、その行動を応援したい気持ちもあります」

「雄琴議員のことを好きですか、嫌いですか?」

「人としてなら、プラスマイナスゼロです。男の人としてなら、まったく一切興味はなく、ただの同僚もしくは他党の人です」

 何度も予行演習をした鮎美は記者たちの質問に動じずに答えている。だんだんと事実関係が明らかになり、ただの盗撮写真を膨らませただけの捏造疑惑だったとわかってくると、それでも話題性を保ちたい記者たちの質問傾向が変化してきた。

「現在、交際されている男性はいますか?」

「いません」

 これも演習問答の中にあったので鮎美は話題性を与えないように、冷静かつ簡潔に答えて話を膨らまされるのを予防する。

「今までに交際されていた男性は?」

「いません」

「どのような男性が好みですか?」

「優しく抱擁力のある人です」

「雄琴議員の抱擁は、どうでしたか?」

 ゴシップ誌の記者が挑発的な質問をしてきた。冗談としても悪質な言動だったけれど、鮎美は動じなかった。

「あのときは眠かったので覚えていません」

「もう一度、機会があれば?」

「そのとき、お答えします」

 隙のない応答に記者たちが諦めつつあるけれど、今回は時間を区切らず、すべてに回答するという方針で鎮火を狙っているので、より質問の質が落ちてきた。

「県知事選で応援に行かれた写真も掲載されていましたが、ご覧になっていかがでしたか?」

 またゴシップ誌の記者が袋とじページのパンチラ写真のことまで遠回しに訊いてきた。

「袋とじ記事の内容についてはお答えできません、っ…」

 鮎美は決めていた答えを口にしたけれど、言い終わった途端に涙が溢れてきて、頬を流れたので慌てて指先で拭いた。

 パシャッ! パシャッ!

 シャッターチャンスを逃さずにカメラマンたちがフラッシュを連発してくる。その光りが目に痛いのと、何より今まで怒りと対応策への集中で自覚していなかっただけで、深く心が傷ついていて、もう限界だった。

「うっ…うくっ…」

 泣けてくる。

 パシャッ! パシャッ!

 泣き出してしまったのを、また撮られると、もう冷静さを保てない。全国に発売された週刊紙に自分のパンチラ写真が載って、しかも記者から、ご覧になっていかがでしたか、と訊かれた。それはもう、お前のパンチラ写真が全国に出回った気分はどうだ、と訊かれているのと同じだった。

「うあああ! うわあああん! うわああああん!」

 つらいのと苦しい、そして悔しい気持ちで胸が引き裂かれるように痛くて、とうとう声をあげて号泣してしまう。その顔を撮られる前に静江が抱きしめて隠してくれたけれど、もう嗚咽は止まらない。泣き続けるので静江は支部内へと鮎美を匿っていく。そして、鷹姫は鮎美の代わりのようにマイクの前に立った。

「…………」

 鷹姫はマイクの前に立ったけれど、何も言わない。

「…………」

「記者会見は、もう終わりですか?」

「……………」

 質問されても答えない。ただ黙って鷹姫はまっすぐに記者たちを見据えている。

「………………」

「何とか言ってくれませんか? あなた誰? 芹沢議員の秘書?」

「……………」

「その制服、鮎美さんと同じですよね? 同じ学校ですか?」

「……………」

 鷹姫は怯みもしないし、答えもしない。ただ黙ってマイクの前に立って見据えている。何を考えているのか、まったく記者たちにもわからないし、記者会見が終わりになるのか、続くのかも不明なので困る。とくに生放送している放送局は終わりなら終わりで画面を切り替えたいのに、まだ何かあるかもしれないので終えられずに困る。ずっと黙って対峙してくる鷹姫への対応に困り果て、司会者が番組運営のためにフォローする。

「今、映っているのは芹沢議員の秘書か、お友達なのでしょうかね」

「おそらく秘書でしょう。同級生を秘書にしたという情報がありますから」

「彼女、何も言いませんね。あ、情報が入りました。秘書で宮本鷹姫さん、剣道の全国大会で優勝しているそうです。そういわれると堂々としていますね」

 テレビの中にいる鷹姫は相変わらず何も言わない。いろいろと訊いてくる記者に対して、困った様子もなく黙って見据えている。その何を考えているかわからない顔を見て陽湖は短い付き合いだけれど、少しは感じた。

「………シスター鷹姫………あなたは盾に…………シスター鮎美を守ろうと……でも……ずっと、そのままでは……」

 陽湖も胸が痛かったけれど、隣にいる美恋は娘の可哀想な姿を見て泣き出していた。

「うっ…うううっ…ううっ…」

 泣き方が、やっぱり親子なのだと感じるほど、よく似ている。

「……お母さん…」

「アユちゃんが、どうして……あんな目に……もうやめて……」

「…………。祈りましょう。シスター鮎美のことを、泣くよりも祈ってあげてください」

 陽湖は静江が鮎美を抱いていたように美恋を抱いた。そのおかげで美恋は泣き止み、陽湖は聖書を諳んじる。

「しかし、あなた方がしばらくのあいだ苦しみに遭った後、キリストとの結びつきにおいてあなた方をご自分の永遠の栄光に召された、あらゆる過分のご親切の神は、自らあなた方の訓練を終え、あなた方を確固とした者、強い者としてくださるでしょう。その神に偉力が永久にありますように。アーメン」

「………アーメン…」

 美恋も娘のために祈った。そして祈り終わると、真剣な顔つきで陽湖に言ってくる。

「私は……誰に相談していいのか、わからないことがあるの……聞いてくれる? そして、絶対に誰にも言わないでくれる?」

「はい、誓って」

 陽子の目を見て美恋は信じた。

「アユちゃんは……鮎美は……少し変なの……あの子、……今回、テレビで騒がれてるけど……実は一度も男の子を好きになった気配が無いの」

「……。そう…なのですか…」

 その理由を陽湖は知っているけれど、悟られないように表情をつくろった。美恋は相談を続ける。

「だって普通、あの年頃になったら一人や二人、好きになっているものでしょう? 誰かと付き合ったりして当然の年齢……もし、好みの男の子がいなくても、それなら、それでスポーツ選手とか、歌手なんかのポスターを貼ったり、少しでも興味をもつはずの時期よ」

「………人それぞれ……なのかも…」

「ヨウちゃんは、いっしょに暮らしてくれていて、おかしいなって感じない? あの子、あなたの身体に、やたら触るでしょ? 何度も、うっかりのフリしてヨウちゃんが入浴中に入っていくでしょ?」

「……」

「あの子も、わきまえて一線を越えないようにしてるのかもしれないけど、前にいた高校では後輩を部屋に連れ込んで裸にしていたの」

「………」

「宮本さんを連れ込んで野球拳だなんて言って裸にしていたこともあったわ」

「…………」

「ヨウちゃんのことは傷つけないようにして、いっしょに長く暮らしたいのかもしれないけど、いつか、あなたにまで、ひどいことをしそうで心配なの。こう言えば、あの子が、どういう趣味の人間か、わかるでしょ?」

「……はい……」

「あの子、議員だなんて目立つ立場になって、もしも、このことが世間に知れたら破滅よ。週刊紙にだって、女性知事さんの胸を触った写真が載ってる……今は、みんな気づかなくても、そのうちバレるわ! 私、どうしてあげたらいいのか、わからないの! そんな風に育てた覚えはないのに! あの子は女の子なのに、女の子ばかり好きになるのよ?! おかしいわ! 変態よ! 狂ってる!」

「落ち着いて、落ち着いてください、お母さん」

「普通じゃないのよ! あの子! あなたは男の人を好きになるでしょ?! 教会にいるブラザー愛也を好きでしょ?!」

「っ…」

 陽湖は大人の女性の洞察力を思い知ったけれど、あまり自分でも隠せていないのだと反省もする。

「それが普通なのよ! ちょっと歳の差があっても! それでいいの! なのに! あの子は……っ……あの子は…っ………ぅっ…うくっ………うううっ…」

「………」

 また泣き出した美恋へ、どう言えばいいか、わからない。陽湖は自分の言葉で慰めることができなくて、再び聖書に頼った。

「また、古代の世を罰することを差し控えず、不敬虔な人々の世に大洪水をもたらした時に義の伝道者ノアをほかの七人と共に安全に守られたのであれば、またソドムとゴモラの都市を灰に帰せて罪に定め、来るべき事の型を不敬虔な者たちに示されたのであれば、また、無法な人々の放縦でみだらな行いに大いに苦しんでいた義人ロトを救い出されたのであれば、この義人は日々彼らの間に住んで見聞きする事柄により、その不法な行いのゆえに、自分の義なる魂は堪えがたい苦痛を味わっていたのですが、当然エホバは、敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか、一方、不義の人々、わけても、肉を汚そうとの欲望を抱いてそれに従い、主たる者の地位を見下す者を、切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです」

「……ソドム……みだらな行い………堪えがたい苦痛………肉を汚そうとの欲望……」

「お母さん、神が指し示す道は明確です。それを知って、そしてシスター鮎美にも知ってもらうのです」

「……鮎美にも……」

「正しい行いが何であるか、答えは明白です」

 迷いのない陽湖の目を見ていると、美恋も信じたくなった。

 

 

 

 支部内へ静江に匿ってもらった鮎美は号泣していたけれど、その嗚咽は10分で鎮まっていた。

「……ぐすっ……っ……はぁぁ…」

 これまでも自分の性的指向のために号泣したことが何度もある。死にたいと思うほど、つらかった。けれど、その経験のおかげなのか、もう気持ちが落ち着き、嗚咽は消え、冷静になっていく。

「鷹姫………」

 支部内にあるテレビにも外の様子が映っていて、鷹姫が黙って報道陣と対峙している。

「……鷹姫、うちの代わりに……」

「………宮本さん……何を考えているの……どうする気……余計なことは……」

 静江には、わからなかったけれど、鮎美にはわかった。

「動かざること山の如し、静かなること林の如く……そして、沈黙は金なりやね………うちの代わりに場をつないでくれてる」

 鮎美はトイレへ駆け込んで顔を洗うと、すっきりとした表情で再び外に出て行く。報道陣が騒いだ。

「あ! 芹沢議員が再び出てきました!」

「芹沢議員が出てきています!」

 騒がれても鮎美は冷静に鷹姫の隣りに立ち、その手を握った。

「おおきにな」

「いえ、私は何もしていません」

「十分よ」

 鮎美が深呼吸してから、報道陣へ頭を下げる。

「先ほどは取り乱して、すんませんでした。あんまりにも配慮を欠く質問でしたので思わず泣けました」

 そう言ってゴシップ誌の記者を睨む。もともと、さきほどの質問が無神経だったのは誰の目にも明らかだったので記者は居心地悪そうに身じろぎした。

「うちは、もう大丈夫です。ご質問があれば、続けてください」

 もう記者会見は終わるものと考えつつあった記者たちは挙手しない。今のタイミングで性的な質問はしにくいし、さきほど子供のように泣いたはずの鮎美は、もう堂々としていて立ち直っている様子だった。記者の一人が手をあげた。

「どうぞ」

「芹沢議員、立ち直りが早いですね。なぜですか?」

「それが、うちの取り柄ですもん」

 回答の仕方も予行演習で決めた型にハマったものでなく自然体で答えている。

「そのメンタルの強さは、どこから?」

「生まれもったもんやと思います」

「そちらの方は秘書ですか? お友達ですか?」

「大親友兼秘書ですわ。な?」

「はい」

 記者たちは初めて鷹姫の声を聴いた。

「彼女は無口ですね。いつも、そうですか?」

「沈黙は金、うちはしゃべりすぎるんで銀ですわ」

 報道陣から笑いが起こる。

「さて、もうさすがに寒空の下、記者会見も終わりにさせてもろて、よろしいですやろか。みなさんには熱いお茶のペットボトルのみ用意しております。公選法に触れんように」

 もう疑惑は明らかになっていて、しかも鮎美がペースをつかんだので、あとは静江の作戦で用意していたペットボトルを配って終わりになった。

「ありがとうな、鷹姫」

「いえ、私は何もしていません」

「動かざること山の如し、静かなること林の如く。そんなこと考えてたやろ?」

「お見通しですか」

「毎日いっしょにおるもん。わかるわ」

 二人が談笑していると、テレビで観戦していた詩織が電話をかけてきた。

「もしもし、うちよ」

「一時は、どうなることかと思いましたけれど、お疲れ様です」

「鷹姫のおかげよ」

「それは良かったですね。ところで鮎美先生、一難去ってまた一難で申し訳ないのですけれど、次の案件があります」

「うっ……マジか……何よ?」

「無所属の都議、朝槍那由梨先生が昨日、東京事務所の方へアポイントを求めるメールを送ってきていました」

「朝槍………」

「あのビアンをカミングアウトしている都議ですよ。さすがに、さきほどは言えなかったので黙っていましたが、もう対応できますよね?」

「…………」

 仕組んだな、と鮎美は疑ったけれど、詩織が言ってくる。

「仕組んでませんよ。偶然です。いえ、必然でしょう。彼女は同性婚を法整備する議員連盟を募っていますから、自民共産を問わず声をかけていますし、その関係で女性の権利に関する団体とも共同歩調を取っています。つまり、最年少の女性議員に声をかけるのは時間の問題だったと思いませんか?」

「そら……まあ、そやな…」

「あの店で会ったことには、気づいていない風なメールでしたよ」

「………」

「アポイント、どうしますか?」

「………普通の自民党議員やったら、どうしてるとこ?」

「とりあえずは会うでしょう」

「そう……調整しといて。会う方向で」

「わかりました。本当にお疲れ様です。よく休んでください。では」

 詩織との電話を終えると、また鮎美は苦悩しながら鷹姫に抱きついた。

「疲れたわぁぁ…」

「お疲れ様です」

 鷹姫に労ってもらうと、疲れていても元気になれた。

 

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