懇親会が終わって鮎美が鷹姫と議員宿舎の自室へ戻ると、すぐに翔子が訪ねてきた。鷹姫が中へ入れる。
「どうぞ、お入りください」
「同級生が秘書なんて、まるで子供の遊びね」
言いながら翔子は勧められていないうちにソファへ座った。横柄な態度でドサッと、お尻をおろしたのに、もっていた古いリュックサックは丁寧な動作で隣のソファへ置いた。そのリュックサックのチャックは開いたままなので、鮎美と鷹姫は事前に相談した静江が言っていたことが当たり、何かの機器で会話を録音しようとしているのだと気づいた。そして、逆に鮎美も室内に録音機を隠している。翔子が座ったソファの前にあるコーヒーテーブルの下段と、鮎美の執務机の筆立てに仕掛けていて、お互い様のようだったし、実はネット回線で地元へ帰った石永もリアルタイムで聴いているし、必要とあれば助言をくれる予定だった。翔子は鷹姫を足元から頭の先まで見て言う。
「たしか秘書の給料って上限50万円くらいだったはずよね。いくら、もらってるの?」
「はい、50万円です」
「鷹姫……そういうこと素直に答えんでええよ。まあ、隠すことでもないけど。それで、ご用件は?」
鮎美は執務机の前に座ったまま問うた。今まで習った接客態度としては相手へ近づいてソファに腰かけるところだったけれど、もう翔子の対決姿勢は明らかで、できれば関係を修復するよう静江からは言われているものの、不可能であればダメージを受けないようにとも忠告してもらったので、注意して対決することにした。翔子が座り直して足を組み、背もたれに上半身を預けて問う。
「お茶くらい出さないの?」
「招かれざる客に出す茶は無いねん」
録音されていることは、わかっているけれど、つい挑発に挑発で応じてしまい、鮎美は内心で自分の軽率さへ舌打ちしたけれど、表情には出さなかった。翔子が冷たい目で鮎美を睨む。
「………。ふーん、そういう態度なわけね」
翔子は組んでいた足を組み直して、腕組みもして鮎美を見据える。
「あなたは私のこと、いろんな党の担当に奢らせてケチな女だと思ってるんでしょうね」
「……ケチというか…」
さもしいというか、あさましいというか、同じ女でいるのが嫌なんやけどね、と鮎美は考えたけれど、口には出さない。できれば翔子とは仲直りしたいという党としての目標はあるものの、どうにも彼女を好きになれないし、頭を下げてまで関係を修復したいとは思えない。そこまで自分を曲げたくなかった。
「けど、あなただって当選してから、何度も誰かに奢ってもらったでしょ?」
「…それは、まあ……そういうこともありましたけど……面談として、定められた金額の範囲で…」
「私も金額の範囲よ」
「………。やとしても、ほとんど毎日というのは、どうなんですか? それは単に食費を浮かしてるだけやん」
「何も違法なことはしてないわ」
「………」
「なのに、あなた、他の議員を扇動して、私を除名するよう影でコソコソ働きかけてるでしょう」
「別にコソコソなんてしてませんし。そういう声が起こるのは、あんたの態度に問題あると、みんなが思うからちゃいますか?」
「そう言う、あなたは今日までに、どれだけ経費を使ったの? 党に所属すると去年のうちでも経費が出るはずよね。いくら使ったの?」
「………別に、そんなん、あんたに答えることちゃうし」
「開示できないわけ? 政治資金の収支開示、決算報告は議員の義務で、何人も閲覧を妨げられないはずなのを知らないのね」
「知ってるし!」
「なら、言ってみなさい。いくら? 去年の経費、全部で、いくらなの?」
「…………」
鮎美は答えるべきか判断に迷ったので、気づかれないようにPC画面を見ると、開示してよし、と石永がメッセージを打ってくれていたので言う。
「たしか…1千……4…、……鷹姫、正確には、いくらやった? 開示したって」
「はい、今調べます」
鷹姫が大きなロッカーからファイルを出して、必要なページを開き、答える。
「1千486万9165円です」
「ぃ……ぃッ?! いっせん400万っ?!」
驚いて翔子が立ち上がった。
「どれだけ使い込んでるのよ?! 当選がわかったの五月でしょ?! すぐに党に入ったとしても、そこから半年で! 家が一軒買えるじゃない!!」
「……ぃ……家は無理やと……」
「1500万もあれば中古で買えるわよ! 恐ろしい子!! 党からのお金って、もとは政党交付金だから税金なのよ?! みんなの!! それを1500万も半年で使い込むなんて、どんな神経してるの?!」
「……使い込んだとか……うちが着服したみたいに言うのやめてもらえます?」
「じゃあ、あなたの資産は?! 政治家には資産の開示義務もあるよね?! 当選する前と今で、どのくらい増やしたの?!」
「資産って……うちには、資産らしいもんは、預貯金くらいしか……」
「いくら増やしたの?!」
「……鷹姫、うちの通帳ある?」
「はい」
鷹姫が通帳を出してきてくれる。鮎美は受け取って自分で見る。あまり翔子には見せたくない金額に残高が大きく膨らんでいた。支部での勉強への出席や各種行事への参加手当、選挙応援で、しっかりと振り込まれていて、それを使う機会が少ないまま、普通預金においていた。
「……うちは普通の高校生やったから、当選する前はお年玉を貯めておいた分とかで15万くらいしか無かったんよ」
「見せなさい!」
「………」
「開示は義務よ!!」
「わかってるし!」
鮎美は通帳を翔子へ渡した。受け取った翔子が、また驚いた。
「539万?!」
「「…………」」
「よくも貯め込んだものね!! たった半年で!! 1400万のうち540万も盗るなんて!!」
「それは勘違いや。うちへの手当は党から出る。党支部の経費にはなるけど、うちの政治資金としての収支には入ってこん。そんなことも知らんの?」
「ということは合計で2050万も手にしたの?!」
「手にしてへん! 1400万の方は右から左に払ってる! 東京事務所の内装を変えたり! 秘書への給与は、ここにあがるし! みんなの交通費もあるし! 宿泊費もある! 接待かてあるし! あんたに奢ったカレー代かて月末には帳簿にあげるし!」
「私は一回1000円以下ばかりよ! 300回でも30万円にしかならない! 2050万円も手にした人が30万円の接待を受けた私を除名?! 笑わせないで! あなたの方が、よっぽど悪質よ!!」
「誰が悪質やねんっ?!」
「芹沢先生!」
鷹姫に呼ばれて、鮎美は冷静に対応するはずだったことを思い出した。すでに石永からも何度も、落ち着いて、落ち着いて、とメッセージが来ている。鮎美は深呼吸してから言う。
「政治活動には何かとお金が要んのよ」
「何それ? どこかの腹黒な政治家が言いそうなセリフ」
「……」
うっ……指摘されると、うちも自分で言ってて、その通りやと思うけど、会計も、この通りで不正はない、年末に鷹姫とチェックしたし、と鮎美は座り直して横髪をかきあげ、耳にかけた。
「ポスター一つ作るにしても30万60万と要るし。うちも鷹姫も運転免許はないから、もったいないと思ってもタクシーに乗るし」
「バスで移動すればいいでしょ」
「あんたの地元の京都と違って、うちらのところは平日昼間は2時間に1本や。ローカル電車も。大阪で育ったうちも最初は、めちゃ驚いたわ。乗り逃したら2時間待ちやで? 接続が悪いと、うちらの住んでる島から最寄り駅まで3時間や。新幹線やったら東京名古屋間ほどかかる。そんなんで仕事が進むわけないやん」
「……。免許、取りなさいよ。高校3年生でしょ」
「校則で3年生の3学期までは禁止なんよ。それに今月から鷹姫は教習所いくけど、政治家本人は運転も避けるねん。知らんの? 無過失責任いうて交通事故を起こしたとき問答無用で運転手が…」
「無過失責任くらい知ってるわ。バカにしないでちょうだい。私、法科大学院生よ」
「やったら、わかるやろ。運転は危険なんよ」
「なら免許のある秘書を雇いなさい。役に立たないお友達を連れてないで」
バンっ!
鮎美が机を掌で叩いた。
「鷹姫は記憶力もええし! そこらの男より体力もある! あんたは知らんでも、うちにとっては最高の秘書や!」
「フン、この子が月給50万ももらう価値があるっていうの?」
「忙しい日は早朝から深夜までや。今夜かて、あんたのせいで勤務中なんよ」
「人のせいにして残業代を稼いでるのね」
「やかましわ! あんた何が言いたいねん?! 用件は何や?!」
「経費の領収書を見せなさい。1400万も何に使ったのか、ちゃんと領収書はあるんでしょうね?」
「あるし! 鷹姫、領収書の冊子を出したって」
「はい」
また、すぐに鷹姫は領収書を糊付けしたものを束にした冊子をロッカーから出してくる。翔子は受け取ると一枚一枚、目を通していった。
「……一日に何回もタクシーを使って……」
「言うたやろ、免許ないし田舎なんや。秘書の自家用車を使って送迎してもらった場合もガソリン代と車両代を案分してるし」
「…………タカ井……って、なに、この旅館? 二人で泊まって10万円以上とか」
翔子が高額の宿泊費に目をつけたけれど、鮎美は落ち着いて答える。
「それは一人1万円までしか経費化してない。残りは、うちのポケットから出してる。なにも不正はないよ。選挙応援活動中の外泊でもあるし」
「だとしても高校生が、こんな高級旅館に泊まる必要があるとは思えないわ」
「県内の観光資源を知るのも勉強や。ここはグルメサイトランキングでも上位やし、知っておいて損は無いし、何より経費として計上したんは二人で2万円だけや」
「もっと安いビジネスホテルに泊まればいいでしょ。ネットで探せば2980円でもある」
「だいたいの日は、ビジネスホテルがメインや。けど、あんまり安いと女だけで泊まるんは不安あるし、部屋の中で事務仕事したりパソコン開けたりするスペースも欲しいんや」
「あ、この日も高いホテルに泊まってる」
翔子が西村の通夜後に泊まった高級ホテルの領収書を見つけた。琵琶湖が一望にできる高層ホテルで県内でも名高い。
「そこも県内の有名どころやし、その夜は通夜で遅くなったから、もともと選択肢は少なかったんや」
「うわっ……香典まで経費にしてる、どこまで、がめついの。どんな神経してるの?」
「っ……」
鮎美は頭に血が上るのを、はっきりと自覚した。経費にしたのは事実でも、西村の死を悼む気持ちを侮辱された気がする。そして一枚一枚の領収書や金銭の流れをチェックされること自体も、腹の中を探られるような不快感が本当に腹部に湧いてくる。怒鳴りつけて部屋から蹴り出したい衝動を覚えた。けれど、鷹姫とPC画面内の石永からの視線で、自制心を発揮して深呼吸した。
「はぁぁ……うちが普通の女子高生やったら、阪本市に住んではった西村先生の葬儀に参加することは100%ありえんのよ。私的な付き合いやなくて、完全に仕事、うちが死んで他の議員さんが来てくれはっても、きっと、みんな経費にしはる。そういうもんや」
「しかも、この香典の金額、自分で書き込んでるじゃない。ちゃんとした領収書ではないわ」
「どこの世界に香典の領収書もらう人間がおんねん! こっちで書証を作成してもよいことになったるし、いっしょに貼り付けたる西村家からの弔問感謝の書状があるやろ。それで十分なんや!」
「タクシー使いまくって香典まで経費にして、その夜は高級ホテルに泊まって。あなたって人として最低ね」
「…………」
「顔に冷や汗を浮かべて。さすがに、自分の立場が危ないって気づいたの? でも、もう遅いわ。ここまでの会話、録音させてもらってるから」
「……これは冷や汗やない……」
鮎美が額に浮いていた汗を指先で拭いた。
「あまりに怒りすぎて、どつき倒したいのを我慢する苦痛の汗や」
「脅迫?」
「芹沢先生、私も我慢の限界です。もう許せません」
「鷹姫……」
鮎美は頬を赤く怒りで染めてる鷹姫の顔を見て、逆に冷静になった。
「やめよ、うちらを怒らして、失言なり暴言なりを狙うんが、こいつの狙いやろ。うちの会計は党の指導も受けて、経験豊富な秘書がまとめてる。何も不正はない。一つ一つに、ちゃんと理由と必要性がある」
「ふーん……お茶菓子も塵も積もれば山で、すごい金額ね……かねや? あの有名なお店……そんな高級なお茶菓子が必要なのかしら……自分たちで食べたいだけじゃないの」
「いろんなお客さんが次々くるさかい、党支部でも用意してるし、うち名義でも用意するんよ。何も不正はないよ。かねやさんは東京でも有名やから、こっちでの接待にも使うし。……」
とは言うても、うちのポイントカードは、とんでもない勢いで貯まっていくんやけど、それは不正にならんって話やし黙っておこ、と鮎美は考える余裕も生まれた。痛くもない腹を探られる不快感にも慣れてきた。
「どうぞ好きなだけチェックしたって。何も出てこんから」
「……あ! 制服! 学生服まで経費にしてる! これは完全に私的利用!」
領収書の中には学生服3着も含まれていた。
「選挙応援で汗かいたりするから予備もいるし、新年祝賀の儀に参加するのに新調したりで必要やったんや」
「だとしても制服なんて私服と同じよ!」
「女性議員のドレスに比べたら、はるかに安いし、男性議員の燕尾服に比べても安価や」
「学校に着ていくことがあるから私的利用よ!」
「普通の高校生としての分は転校してきたときに買ったし。普通の高校生やないから、冬服だけで5着もあるねん。私的な必要性の分は父さんが出してくれてる。追加で買ったんは、すべて政治活動に必要やからよ」
「……この制服、ずいぶん凝ったデザインね。私立?」
「そや」
「議員になる前から、恵まれた家庭だったわけ」
「……別に、ごく普通の家庭やし」
「父親は何の仕事をしているの?」
「………答える義務ないけど……建築家や」
「ああ、なるほど、それで自民党なわけ。ゼネコンと自民党、べったりね」
「勘違いせんといて、うちの父さんは建築業やけど、公費での建設事業に入札するような仕事はしてへん。主に個人宅の設計や。ちょっとは有名やから、お金持ちとか、医者さんからの注文が多いけど、公費にからむことは無い」
「父親の年収は?」
「それこそ開示義務ないし、そもそも知らんし。あんたのオヤジは何の仕事してるねん? 年収は? 気分ええか? こんなこと訊かれて!」
「公務員よ。役場の、つまらない仕事」
「………悪くないやん。あんたも恵まれた家庭やん」
「…………」
「そろそろ用件に入るか、帰るかしてくれへん? 明日もお互い朝から研修やん。それとも、きっちり領収書、全部に目を通すん? ほんなら別に時間を取って他の秘書に立ち会わすさかい、日を改めてくれん。というか開示義務はあるけど、それは手続きを踏んでの話なんを、うちの善意で見せてあげてるんやし。まだ見たいなら、手続きとってや」
「これだけあれば、もう十分よ」
翔子がバサッと冊子をコーヒーテーブルに投げ置いた。
「2050万円も好きに動かして、そのうち550万も貯め込んだ。この事実があれば、私の30万円なんて消し飛ぶ。あなた議員になって調子に乗りすぎよ、庶民感覚とっくに無くしてるわ」
「「…………」」
そう言われると反論に困った。不正はないけれど、とっくに庶民感覚は無くなってきている気がする。タクシーで移動すれば一回で高校生のお小遣い1ヶ月分が飛んでいくのに、もう何とも思っていない。さきほどもホテルでの夕食代として鷹姫へ13000円も渡した。これは経費にしないけれど、500万円超も預貯金があるゆえの振る舞いで、高校生のすることではないと言われれば反論はない。翔子は微妙に四捨五入して金額をあげて言ってくるけれど、実は受け取った手当関連の報酬は総額700万円を超えていて150万円ほどは高めの宿泊費や個人的な飲食に費やしている。とくに東京に出ると、お金が湯水のように消えるし、そんな使い方は女子高生のすることではないとも、頭の片隅ではわかっている。
「あなたこそ懲罰を受けるべきよ」
「………」
不安になってPC画面を見ると石永から、大丈夫だ、とメッセージが来る。
「…………」
ホンマに大丈夫なんやろか、総額2200万円くらい、うち一人の存在で動いてるし、すべて元は税金や、家一軒中古やったら買えるし、国民から批難されたら、うちの方が懲罰を受けるんちゃうやろか、と鮎美は少し不安になり腋の下に汗が浮かぶのを感じたものの、表情は変えずに翔子を見据える。
「…………」
「…………」
やや重い沈黙が場を支配したとき、直樹が訪ねてきた。鷹姫が対応して室内へ入れた。
「やぁ。いい雰囲気では無さそうだね」
「……当たり前やん、何の用よ? 民主党への勧誘やったらホンマに蹴り出すで」
「嵐川翔子の件については参議院の民主と自民で共同歩調を取ることになったよ。二党だけじゃない、共産も活力も賛同してくれた。ここに署名がある」
直樹が数枚の紙片をコーヒーテーブルに置いた。
「参議院議員203名のうち、嵐川翔子を除いて202名、その中で181名もが懲罰に賛同の署名をしてくれた」
「「っ…百8じゅう……そんなに…」」
期せずして鮎美と翔子が異口同音した。
「わかるよね。除名に必要な3分の2を軽く超えてる」
「ヒッ……」
翔子が息を飲んでから喚く。
「卑怯よ!! 罠にかけたわね!!」
「「「………」」」
「どんな手を使ったの?! 訴えてやる!!」
「おいおい」
直樹が肩をすくめて言う。
「立法府がその権限で行った懲罰を司法が覆せると思うのかい?」
「っ…、ぅ…ぐっ…罠よ! 私をハメるための罠!!」
「いいや、君への評価だよ。みんな、君の態度にかなり怒っている。とくにボクら一期目6年任期の議員たちは強い危機感を持ってる」
「危機感……なんでやの?」
「ボクらの任期が、あと3年だからさ」
「「「………」」」
「ああ、まだ、この感覚は君たちにはわからないかな。いわゆる、そろそろ選挙が近いって気分さ。正確には国民審査だけどね。実はボクらの中にも楽観していた人が多くてね。一期目3年任期だった議員で続投を望んだ人たちも、ほとんどは落ちないだろうと思っていた。最高裁判所の裁判官が、かつて誰も罷免されなかったように。けれど、蓋を開けてみたら無所属が19人、所属政党ありでも6人が落ちてしまった」
直樹が大袈裟に両手をあげた。
「正直、ビックリだったよ。けど、考えてみれば落ちた人は、落ちて当然の人ばかりだった。嵐川さんみたいな無所属で一切仕事をせず国会にだけ顔を出した人や、実は認知症なのに家族がお金ほしさに出席させられていた人、仕事をしようとはするけれど変な法案を提出しようと頑張ったりする人もいたし、所属政党があっても、お金にばかり目をやって党内での評判が悪かった人や、単純に偉そうにしまくった人なんかが、軒並み落ちた。いやはや国民の目は厳しいし、正確だったよ。天網恢々疎にして漏らさずとは、このことだね。落ちた人の中には任期中にボクらも懲罰動議をかけようかと思うほど素行の悪い人もいたけれど、なかなか前例のないことには、みんなも及び腰になってしまい3年を徒過してしまった」
直樹が紙片をコーヒーテーブルに並べた。そこには嵐川翔子への懲罰を動議する表題で議員たちの署名が集まっていて181名の名があった。直樹が鋭く翔子を見据える。
「けれど、今回は違う。早期に芹沢先生が大声で言い出してくれたし、とくに怒っているのは嵐川先生の担当を半年間、各党から指令されていた議員たちだ。ボクは幸いにして芹沢先生が早めに入党してくれたから勧誘業務から開放されたけれど、嵐川さんに半年も付き合わされた議員は、たまったものじゃない。昼か夜、必ず食事時に拘束されて時間を無為に過ごすわけだ。君は面談と言いつつ、一切の会話を拒否して食べるだけだったよね?」
「……少しは話したわ……」
「挨拶くらいにね。それは面談だと言い張るための口実だろう。いっそ君へ、お金を渡して無駄な時間から解放されたいと提案する議員もいたけれど、君は贈収賄にあたるといって拒否したよね?」
「不明朗な金銭の授受は禁止されているはずよ」
「どこまでも合法的に君は、たかりまくった。付き合わされた方の怒りがわかる? けど、なんとか勧誘したいし、入党してくれないまでも奢った回数を君は閻魔帳のようにつけて、賛否きわどい採決のさいに義理を果たすと言ってくる。こうなると、怒鳴りつけて投げ出すことも党の指令を受けているから、やりにくい。悪い女だね、君は。女性に向かって言いたくはないけれど…、いやいや、言ってしまいたいから言うけれど、クソみたいな女だな、本当に」
「……………私以外にも所属政党を決めずに引っ張っている人はいるわ!」
「あ~、いるね。一年は様子見するとか、そういう人も。けど、その気持ちはわからなくもない。かくいうボクもコウモリだし。支持政党の無い人間がクジ引きで、いきなり当てられたんだ様子見するということに、どの党の担当も一定の理解するさ。党の上層部も同じくね。そして、ときどき勧誘に行って面談のさいには飲食接待もあるだろうけど、君ほど露骨で悪質な者はいなかった」
「………」
「はっきり言えば、君のような者を、のうのうと議員たらしめていると3年後、ボクらが受ける国民審査は実に辛いものになるだろう。辛口はカレーだけにしてほしいし、君の担当は、みんなカレーが嫌いになったそうだよ」
「っ…自分たちが落ちないために私を除名する気っ?!」
「ああ、君を除名するという義務を怠るより、いいという結論だ。そのくらい、みんな怒ってる。いっしょにされたくないとね」
「っ…っ…」
翔子は二度続けて息を飲み、それからコーヒーテーブルにある帳簿と領収書の冊子を取り上げた。
「これを見なさい!!!」
「これは?」
「私より、ずっと欲深い女が2500万円も公金を使い込んだ証拠よ!!」
「ふーん……見てもいい? 芹沢先生」
「あ、うん、まあ、どうぞ」
鮎美が許可したので暫く直樹は帳簿と冊子をめくっていたけれど、タメ息をついた。
「はぁぁ…これは普通の経費じゃないか。たまに、やたら高いところに泊まってるけど、私費で埋めてるし。何も使い込みはないよ」
「2500万よ! 全部で! たった半年で! しかも600万近く私腹を肥やしてる!」
「たまたま選挙が重なったからね。それでなくても、ボクら新制度の参議院議員の歳費は660万円と少ない。選挙資金が要らないからというのが理由だけれど、本当は政党に所属して議員らしく活動してくれる人には以前と同程度の歳費になるよう制度設計して党からお金が出るのさ。ちゃんと活動すれば、かなり経費もいるし、報酬も国会議員らしくなる。芹沢先生は、これで他の議員と比べれば控え目な方だよ。ちょいワルな議員になると女性秘書との宿泊費を経費にしたりする。のちのち、その秘書と結婚したりするし、その議員は、たぶん国民審査で落ちたかな」
「………」
鮎美は少し背筋に寒いものを覚えたけれど、顔には出さない。背筋が凍っているのは翔子だった。
「っ…っ…」
もう自分を守る理屈が無くなり、唇を震わせて涙を滲ませている。
「あとは発起人として芹沢先生が署名してくれれば、除名にむけて動き出すよ。問題なのは日程かな、すぐに除名するか、国会の開会式後にするか」
「っ…まっ…待って…ちょっと待って…」
すがりつくように翔子が直樹へ言う。
「わ、私、まだ……1円だって報酬をもらってないわ…」
「ああ、そうだろうね。月末にならないと入らないから。だからこそ、君なんかに1円の税金も投入せず除名したいって先生方が多くてね」
「ヒッ……」
「旧来の懲罰による除名は、国民からの信託を得た議員を弾くわけだから、少数者の意見も大切にするって原則を鑑みれば、おいそれと行うことはできなかった。けど、ボクらはクジ引きだ。あまりに質の低いものが混じっていたら、弾いて、もう一度、クジ引きをすればいい。誰かの一票が死票になるわけじゃない。きっと、高確率で君よりマシな人間に当たるだろう。それが一日でも早ければ、次の人が勉強する時間も早まるし、次の人に満額の歳費がいく方が合理的だ。だから、みんな、今夜のうちに署名を集めることに賛同してくれた。署名しなかった人も、だいたいの主旨には賛同しているよ、単に慎重だったり様子見だったり、議長だから一歩引いて見るという理由だったりするだけだよ」
「…っ……嫌よ! イヤ! そんなこと私は同意しない!」
「……。芹沢先生、この一番上、ここにサインして、今夜中に竹村議長へもっていくから」
「雄琴はん……」
みんな本気なんや……うちが言い出したこと………どないしよ……ホンマに除名してしもてええんやろか……石永先生も除名ってメッセージをくれてるけど……うちが発起人で……一人の議員さんを切る……、と鮎美が悩みつつもペンを持ったときだった。
「させないから!!」
そう叫んだ翔子が紙片を奪うと、破いた。何度も破いて紙くずにしてしまう。
「ハァっ…ハァっ…ハァっ…」
「「「………」」」
「こ、これでも、もう…」
「終わりだね。つくづくバカな女だ」
直樹が深いタメ息をついた。
「君は法科大学院生だったよね。なら、紙切れとはいえ、これが器物破損だってわかるだろう。まして、良識の府に属する議員181名が手ずから署名したものだ。最高裁判所の判決文にだって比肩するだろう。それを破り捨ててしまった。さっきまでなら、除名までいかず陳謝で済んだかもしれない。竹村先生は優しいからね、みんなの勇み足を止めてくれたかも。芹沢先生だって迷った目をしていた。けど、もう終わりだ。さようなら、嵐川翔子」
直樹が冷たく微笑すると、翔子は顔を真っ赤にして涙を零した。
「っ…こ、こんな私でも! 私も死ぬ思いで! もう死ぬ思いでもう! あれよ! 一生懸命! 苦痛に苦労に重ねて! やっと選出された代表者たる議員になったからこそ!」
翔子が金切り声をあげ、号泣しながら叫びだした。
「こうやって法律機関のみんながイジメるのが! 本当にツラくって! 情けなくって! 子供にだって本当に情けないのよ! だから! ………法律のイジメを受けて! 議員という大きな! くっ…カテゴリーに比べたらァ! 経費の! 接待費の! 政務調査費のォ! セィッイッム活動費の! 報告ノォォ! ウェエっ! ぐすっ! 折り合いをつけるっていうーっ! ことで、もう一生懸命ホントに! 子供の頃から! 保証ゥゥ人のハァアアアアァ! 連帯保証人問題はァァ!! 我が国のウワッハッハーーン!! 我が国のッハァアアァァ!」
「「「……………」」」
「我が国ノミナラズ! 世界みんなの! 日本中の問題なのよ!! そういう問題ッヒョオッホーーーっ!! 解決ジダイガダメニ! 私ワネェ!」
「………」
え……何、……この人……泣いてんの……何を言うてはるんやろ……意味がわからんわ……泣きながら喋ったら舌を噛むで……、と鮎美が困惑して思考停止になり、直樹と鷹姫も似たようなものだったけれど、翔子は号泣しながら演説を続ける。
「ブフッフンハアァア!! ッウーン! ずっと苦労してきたのよ! だけど! 変わらないから! 変わって! ワダヂが! 当選して! 文字通り! アハハーンッ! 命がけでイェーヒッフアーーー! ……ッウ、くっ…芹沢鮎美! あなたには分からないでしょうけどね! 平々凡々とした人生を終了して! 本当に、誰が苦労しても一緒なのよ! 誰がなっても! なのに私があああ! 苦痛して!!! この世の中を! ウグッブーン! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーーッフウンン! ウゥ……ウゥ……。アーーーアッア!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! アーーー世の中を! ゥ変エダイ! その一心でええ!! ィヒーフーッハゥ。一生懸命生きて、私に運もない、私がクジに選出されて! やっと! 議員に! なったんですぅうう!! だから、こんなイジメを、みんなに指摘されて! 受け止めデーーヒィッフウ!! アーハーアッァッハアァーーン!! 運命が、受け止めて! 一人の大人として社会人として! 折り合いをつけましょうよ! そういう意味合いで! 自分としては30万円でキッチリ遠慮してるのに! どうして私が除名されないといけないの?! と思いながらも! もっと大きな、目標ォ! すなわち! 本当に、連帯保証人を、自分の力で、議員一人のわずかな力ではありますけれども、解決したいと思っているからこそォォ!! ご指摘の通り、平成22年度には395回食べました。30万1010円支出させて、いただきました。ごちそうさまでございました! そのご指摘を真摯に真剣に受け止めようとするから! 一人の大人として、何とか折り合いのつくところで折り合いをつけさせて…議員として活動させていただきたいからこそ! たえに、たえて! 何とか折り合いのつくように! これは議会全体の問題に関わることかもしれないという、恐れもあるから! 他の先生方のご意見も真摯に受け止めなければいけない、そういうスタンスに立って、もうお腹の中では、たえに、たえて! たえに…うっ?!」
号泣しながら演説していた翔子が突然に両手で口元を押さえた。
「うっ?! ううっ…ウエエエっ!」
翔子が嘔吐した。カレーピラフだった嘔吐物が翔子の指の間から噴き出してきて、ボタボタとコーヒーテーブルの上に拡がる。
「おい、大丈夫か?!」
「無理に泣きながら喋るからやよ……」
鮎美が近寄って翔子の背中を撫でる。
「とりあえず気の済むまで泣きぃよ。それから話があんにゃったら、ちゃんと聴くし」
「うっ…うぐっ…うわあああ! うわあああん!」
泣き出した翔子の背中を鮎美が優しく撫でているのを見て直樹が言う。
「芹沢さんは優しいというか、女の子というか……」
直樹は鷹姫といっしょに嘔吐物を片付け、バケツに集める。破られた紙片と嘔吐物が混ざっていて、すぐにトイレに流すべきか、判断に迷う物体になった。そのうちに翔子が泣き止み、シャワーと鮎美の体操服を借りて着替えた。
「……ありがとう……ごめんなさい……」
再びソファに座った翔子は顔を伏せて下を向いている。鮎美が水を向けた。
「それで? さっき話したかったことは何なん?」
「………私の……私の父は公務員だったの」
「らしいね、ほんで?」
「母も公務員だった。二人とも役場勤務で知り合ったのよ」
「へぇ……」
恵まれた家庭やん、と鮎美は思ったけれど、翔子は続ける。
「人並みの幸せを手にしていたのは、私が小学校5年生までのこと」
「「「………」」」
「私の祖父、父の父は小さな会社を経営していたわ。けれど、台風の強風で作業場が倒壊して祖母と圧死してしまった」
「……それは気の毒に……」
「祖父には事業での借金もあったけれど、生命保険とか会社の土地とか、いろいろで父には相続で260万円が入ってきた。……もっとも葬儀で215万円も使っていたから、実際に手元に残ったのは微々たるものよ」
「「「……………」」」
三人とも相槌の打ちようがないので黙って聴く。
「なのに、祖父が亡くなって三ヶ月を過ぎた頃、銀行から通知が来たわ。祖父は地元の商工会の社長仲間と相互に借金の連帯保証人になっていて、300万円が焦げついてるから支払えということだったの。ここまでの法律関係、わかりますか?」
「えっと……相続放棄ができる三ヶ月を過ぎた後になって、連帯保証人やったことがわかったから、問答無用で嵐川さんのお父さんに継承された。しかも、主たる債務者が支払えなくなったから、代わりに払えと?」
「そうです。芹沢さん高校生なのに、本当によく勉強されていますね……すごい……。それで、父と母は、お金を工面して、なんとか支払った」
「それは……不幸中の幸いというか……」
「でもね、祖父が連帯保証人になっていたのは、その会社の件だけじゃなかった。銀行は相互に連帯保証人を頼ませることで、融資しやすく、融資を回収しやすくしていたのよ。結局、祖父は5件、合計3600万円の保証債務を負っていた。これが次から次へと、父へ請求が来たの」
「「「…………」」」
「中学へ入るとき、制服を買ってもらえなかった。近所を頼み歩いて、譲ってもらった制服と靴で入学式へ行った………お小遣いをもらったことは小学校を卒業してから一度も無いわ。芹沢さんは、当選する前、いくらお小遣いをもらっていましたか?」
「……うちは3万円…」
「………。年に?」
「……月に…」
「月にかよ?! 多いな!」
直樹も驚いて言うと、鮎美は言い加える。
「大阪から不便な島に移住するさかい、バイトもできんやろしって父さんが配慮してくれたんよ。結局、たいして使う店もないし、すぐ当選したし」
「にしても3万か。大阪にいたときは?」
「1万円」
「まあ、普通だな」
「……。その普通が私も欲しかった」
「「………」」
直樹も妹を亡くしたこと以外は、ごく平均的な中流家庭で育ったので翔子が少し哀れになる。
「公務員の共働きでも3600万円は、きついな」
「……それで、終わりじゃなかった」
「「………」」
「他の金融機関からも請求が来て……家は差し押さえられた。………母さんは別の男の子供を妊娠して、出て行った。……父に100万円だけ、慰謝料を払って。私を置いて」
「「「…………」」」
「自己破産すればいいって思いますか?」
「ま…まあ、その道もあるし、任意整理とかさ」
「銀行が父の職業が公務員であることに目をつけていないと思います? 自己破産してもクビにはならないけれど、カッコは悪い。それに自己破産するほどの巨額の請求をせず、払えそうな額を、ゆっくりジワジワ回収してくるの。母さんが出て行ってから、父もやる気を失って無気力な仕事ぶりになったそうよ。かわいそうだからってヒマな部署に回されて出勤だけして。そのうち、お給料も差し押さえられるようになった。給料の差し押さえって全額じゃないんですよ。法定控除額を引いた4分の1。法定控除額とは国に納める税金や社会保険料なんかよ。フフ……国は、それでも税金は取るって言うの。それで、残った額が20万円なら5万円が差し押さえられる。残りで生活しろ、生活保護は受けるな、ってわけ」
「「「………」」」
「公務員だと年功序列で昇給するけれど、給与から法定控除額を引いた額が33万円以上になった場合、その全額が差し押さえられるのよ。だから、どんなに頑張って働いても月給33万円が天井、天井以下でも常に4分の1が引かれる……父さんがお酒に溺れるのに十分な理由だと思わない? 私はアルバイトと奨学金で大学に入った。私のバイト代は差し押さえられないの。でも、奨学金は、まだ返済してない」
「……大学院への資金は?」
直樹の問いに、翔子は力なく笑った。
「フフ……父へ借金を肩代わりさせた人たちは、ほとんど逃げた。会社を倒産させたから関係ないとか、自己破産したとか。法人って解散させれば、それで終わり。社長個人を連帯債務者にしていても、社長の愛人の財産には手が出せない。子にも。彼らが個人的に貯め込んだ財産には手が出せない。だから同じように、グレーゾーン金利の過払い金請求でも、うまく計画的に倒産させれば、追えない。法律の壁が邪魔する。あ……私の大学院への資金の話だったわね……借りたわ。たった一人、父を破滅させたことを申し訳なく思ってる年寄りと、その息子を連帯保証人にしてね」
「「「…………」」」
「連帯保証人が危険なことは勉強しないとわからない。しかも、知っていても相続で罠にハマる。単純承認だと、被相続人のプラスの財産もマイナスの借金も、そして保証債務もすべて負う。プラスの財産の範囲でのみマイナスも弁済する限定承認は手続きが煩雑なうえに、相続放棄と同じで死亡日から三ヶ月でおしまい。後から知ったマイナスでも、知った日から三ヶ月で放棄できなくなるし要件が厳しい! ……何よりね! 何より!」
また翔子が大きな声を出して言う。
「何より、ひどいのは連帯保証人制度よ!! しかも! 死んだ人が、何件、いくらの保証債務を負ってるか、はっきりわからない!! 土地みたいに登記されない! 預貯金みたいに検索できない!! 信用情報機関に登録されてない連帯保証人になってる借用書まで有効なのよ!! マイナスがどれだけあるか、わからないのに、たった三ヶ月の熟慮期間で終わり!! 自己破産する人の10人に一人が連帯保証人になっていたことで破滅してるの!! 世の中、間違ってる! だから、やっと、やっと私に幸運が来たの! ずっとずっと苦しかった私に! やっとクジが当たって!」
「「「………」」」
翔子が鮎美にすがりついた。
「お願いだから、私を殺さないで!」
「っ…殺すって…」
「死ぬわ! 除名されたら死んでやる!!」
「………そんな……」
「小学校から何もいいことなかった! 今まで! やっと、やっと! なのに、ほんの少し! ほんの少し幸せだったのよ! 何も法律に触れてない! 奢ってくれるっていうから食べたのに! どうして今さら?!」
「…………」
「死ぬから! 除名されたら絶対死んでやる!」
「…………………」
鮎美が困って黙ると、直樹が怒鳴った。
「なら死ねよ!!」
「っ…」
「君が、どれだけ不幸だったかは知らない。けれど、だからといって君の態度が間違っていることに変わりはない! 死ぬ死ぬというのならば死ぬといい!」
「っ…っ……せ…芹沢さん……助けて…」
「たすけ……いや……あんた……都合良すぎ……今うちを脅迫しといて……」
「っ…助けて、おねがい……お願いします」
翔子が土下座してきた。一瞬、鮎美は既視感を覚えて静江の土下座を思い出したけれど、翔子はより切羽詰まった顔で泣きながら足にすがってくる。もうプライドも意地も捨てて、しかも見捨てると本当に死にそうな顔で助けを求めてくる。
「あんたなぁ……、雄琴はんが、雄琴先生が怒るのも無理ないわ。せこすぎるねん、やることも、根性も」
「お願いします、お願いします、助けてください、お願いします」
「その土下座は660万、3960万のための土下座やろ」
「お願いです、助けて、死んじゃうから、もう限界なの、お願いします」
「………。なんで、あんたは自分を不幸にした制度を変えてやろうと思わんの? 連帯保証人制度、法律の壁? 全部、うちら立法府が変えられることやん」
「変えられるわけがない! この悪法は明治以来、ずっとあるの! 変えようとしても絶対に銀行が邪魔する! 国債を買ってる銀行が邪魔するのよ?! 変えられるわけがない!」
「ぅっ………たしかに経団連が……」
「自民党と経団連が君臨していた政権なら、変えられなかったろうね」
直樹が得意げに微笑して言う。
「今現在、民主、共産、活力の3党で合同して、親しい友人や親族などの第三者に保証人を求めることを禁止する法案が国会に提出される見通しで可決されるはずだ。加えて金融庁と協議して、夏までには中小企業、自営業者への第三者連帯保証の原則禁止という指針を各金融機関へ通達する予定だし、あと数年かけて民法を大きく改正し、連帯保証人制度そのものを見直す予定なんだ。知らなかった?」
「……うそ?」
「まあ、法案の段階だからね。それを専門に研究している教授なら語るかもしれないけれど、法科大学院の授業には出てこないかもしれない。けど、君が面談で各党の担当と真剣に政治について語っていれば、きっと、知り得た情報だ。本当に君はバカだ」
「………」
「芹沢先生の言うとおりだよ。なぜ、変えようとしない? まして、その権限の一部を与えられたのに。見向きもしないで、目前の小さな利益と、手間無く歳費を得ることしか考えなかった。フ、除名されて死んだ方がマシかもな」
「っ……」
「けど、君の経験は素晴らしい観点を生んでいる。相続については、まだ具体的な改正案があがっていない。たしかに、被相続人が、どんな保証債務を負っているか、相続人は調べようがない。これを金融機関に土地登記のような制度で登録させ、登録していないものは無効、もしくは相続されないと決めれば、大きく問題は改善するし、誰しもマイナスの財産なんて相続したくないし、しないわけだから限定承認も今少し使いやすい制度にすることも重要だ。今までの自民党政権では、これは銀行や経団連が邪魔してできなかったかもしれない。けど、ボクら民主党なら可能だ」
そこまで言った直樹が急に優しく翔子の肩に手をおいた。
「ボクたち、民主党といっしょに頑張ってみないか?」
「……雄琴さん……」
翔子の顔に希望が浮かび、直樹が男らしく優しく微笑みかける。
「民主党に入ってくれるなら、君への懲罰はボクが何とかしてみる」
「え~……雄琴はん、めちゃ我田引水やん……」
げんなりした顔で言った鮎美へ、鷹姫が携帯電話の画面を静かに見せてきた。そこには石永からのメールが表示されていて、PC画面を見てくれ、とあったので鮎美は執務机の前に座った。すでに石永からのメッセージが届いていて、彼女を自民に抱き込め、とある。リアルタイムで石永の顔も映っていてゴーサインを出している。
「…………」
さっきまで除名いうてたやん、コロッと態度が変わるなぁぁ……どう言うて抱き込むねん、好きですとでも言うんか……この手、雄琴はんなら使えるけど、うちやとダメダメや……抱き込め言われても無理や……、と鮎美が微妙な顔をしていると、ネット回線で鮎美の顔もウェブカメラを通じて見えている石永が再びメッセージを打ってきて、懲罰動議の発起人は私です。その私から議長へとりなしますから自民党に入りなさいと言ってくれ、と来た。
「…………」
卑怯や、ゲスや、脅して入党させんのかいな、まあ雄琴はんも同レベルやけど、と鮎美が迷っていると、どんどんメッセージが来て、早く言ってくれ何とかする、とある。
「……あーっ…えっと! うちが懲罰動議を言い出したんやから、うちから議長に話す方がええよ。うちから話してあげるから、嵐川はん、安心して、うちに任せい。……」
鮎美は勧誘の文言が恥ずかしくて言えなかった。どうしても人としての羞恥心が騒いで政党政治家に徹しきれない。それでも翔子は振り返った。
「芹沢さん……助けてくれるの?」
「女の子の泣き顔は見とうないからね。あんた除名されたらホンマに困るんやろ?」
「はい、お願いします!」
「民主党は参議院で90議席を占めている。現在、最大だ。君が民主党に入ってくれるなら、他の民主党議員も懲罰には賛同しないはずだよ」
「…………」
翔子が直樹を振り返り、それから再び鮎美を見る。完全に迷っている顔で、どちらの党に入るのが自分にとって最大に有利なのか、不安そうに考えている。石永からメッセージが来て、自民党も59議席ある。何より私が発起人だ。君が一から自民党で勉強し直すと反省したから許したと言えば無所属の議員も賛同しやすい。民主党では雄琴のスタンドプレーにしかならないぞ、と長文だったので、それを読む鮎美の目の動きで直樹が気づいた。
「芹沢先生、何か見てるね?」
「ぅっ…」
「なるほど、石永先生が生きたカンペだったわけか。お久しぶり。見えてますか?」
直樹が近づいてきて画面に向かって手を振ると、石永は音声送信をオンに変えて言ってくる。
「元気そうだな」
「おかげさまで」
「……。お前と話すのは、どうでもいい。いずれ自民が盛り返せば、こちらに来る気だろうからな。芹沢先生、画面とカメラを嵐川さんへ向けてくれ」
「はい」
鮎美がPCを動かした。翔子と石永がネットを通じて対面する。
「嵐川翔子さん、失礼ながらお話は聴いていた。私は石永隆也、自民党の2世議員で父は大臣も務めていた。悔しくも今は議席を失っているが、衆議院議員を2期務めている」
「…は……はじめまして…」
「率直に言おう。自民党に所属してほしい。総選挙では負けたが、参議院では自民党も59議席ある。何より懲罰動議の発起人は芹沢先生だ。嵐川さんが反省して一から自民党で勉強し直すと言ったから許したとなれば、無所属の議員も賛同しやすい。民主党では雄琴のスタンドプレーにしかならない」
「そうかな? 民主党は90議席、過半数はないけれど3分の1は軽く超えてる。懲罰での除名には3分の2が必要だよ」
「この男は民主党内でも、それほど信頼されているわけではない。いったん懲罰動議がなされれば、今までのことは世間の知るところとなる。そうなれば、はたして除名しないという民主党の態度が国民に、どう映る?」
「彼女は今日まで不幸に耐えてきた。そのために小さな失敗をしたけれど、それは不法行為じゃない。過去に自民党で、もっと大きな金額を誤魔化した人もいれば、民主でも自民でも不倫もあった。何より彼女を卑屈にさせた連帯保証人制度は民主が改革する。彼女を旗印にしてね。そして参議院の議長は民主党の竹村先生だ。芹沢先生は駆け出しの一年生にすぎない」
「芹沢先生は評判がいい。歯切れもいい。何より女性議員同士、男の出る幕はない。彼女たちが和解したというストーリーの方が説得力がある。発起人が取りやめたとなれば、懲罰動議そのものが無くなり、世間にも知れずに済む」
「「「………」」」
男同士の熱い討論を鮎美たちは静かに見守る。
「それは、どうかな。ここまで燃え上がった火だよ。芹沢先生が尻込みしても、誰かが発起人になるさ。そして、彼女が自民に入るなら民主党の90議席は確実に敵対する」
「それは自民も同じことだ。彼女が民主に入るなら全力で戦う」
「っ…」
わずかな希望を抱いていた翔子の顔が、また絶望の淵に沈み、小刻みに震えている。どちらへ所属しても対立陣営が攻撃してくるなら、もう望みは無いように思えた。鮎美は可哀想になって背中を撫でた。そして二人の男に言う。
「二人ともひどいやん! ぜんぜん嵐川はんのこと考えてない! 利用することしか頭にないやん! そんなんやったらカレー奢らせてメモってたのと同じや!!」
「「…………」」
「許すなら許すで、気持ち良う、さっぱりしよ!」
「「だが…」」
異口同音しかけて、ネットを通じている石永が直樹に譲った。
「二つ問題があるよ。一つは、どの党に所属するか。このまま無所属では通らない。もう一つは、さっき署名が集まった書類を破いてしまったことだ」
「あれは………」
鮎美は少し考え、閃いた。
「あれは破ったんやない。ちょっと体調が悪くて吐いてしもて、そのとき汚れて、どうにもグチャグチャになってしもただけや。って、ここにいた全員が記憶すればええやん。証拠もあるし、事実の一面や」
「なるほど……けど、所属政党は、どうする?」
「ジャンケンで決めよ。うちと雄琴はんでジャンケンして勝った方の党へ入る」
「「ジャンケンって……」」
「もともとクジ引きで選ばれたもんやん。恨みっこ無し、勝っても負けても、気持ちよく許す。悪いのは連帯保証人制度、嵐川はんは、うちと雄琴はんの二人で協力してフォローする。明日の朝にでも、みんなに詫び入れて話てみよ」
「……うーん……」
直樹が悩み、画面に映る石永を見る。石永も迷っていた。
「ジャンケンか……」
「参議院の一議席を……」
「うちの懲罰動議の話、できれば無い方が参議院のみんなも国民の手前、ええんとちゃうの? 今なら議事録も無し、全部丸くおさまる!」
「「そうだな……」」
「よし、決まりや! いくで、ジャンケン!」
鮎美が大きく振りかぶり、勢いに流され直樹も構える。
「ポンっ!」
「…くっ…」
直樹はグーを出し、鮎美のパーを見て呻いた。
「うちの勝ちよ♪」
「……わかったよ」
直樹が諦め、竹村へ説明に行き、まだ震えが止まらない翔子は鮎美と鷹姫が部屋まで送った。途中ですれ違った他の議員にも二人が和解したことがわかるように肩を抱いて廊下を進んだので、明日の朝までにはかなり知れ渡るはずだった。
「芹沢さん、本当に、ありがとうございます」
「もう、ええんよ。うちも同じ立場やったら世の中全部嫌いになりそうやもん」
「ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」
涙ながらに礼を言う翔子を休ませて、鮎美は鷹姫と自室に戻った。鷹姫が問うてくる。
「芹沢先…、鮎美、さきほどのジャンケン、勝つつもりで挑んだのでしょう?」
「あ、わかる?」
「わかります。牧田さんに習ったことを応用して、雄琴先生に考える時間を与えず、とっさの防御心理を利用してグーを出させた」
「何でも勉強したことは使わんとね」
鮎美は得意げに微笑んで、翔子が書いてくれた入党届を執務机の引き出しに片付けた。