通知をもらってから10日目、鮎美は両親と六角市の市役所へ来ていた。自民党議員の秘書が案内と送り迎えをしてくれると言ってきたけれど、それは断っている。鮎美は父親の車から降りると市役所の建物を見上げた。
「ふーん……これが、ここの市役所なんや、ボロいなぁ」
「そうね、大阪の区役所に比べると、ずいぶんと……」
母親が続きを飲み込んだのは市長とおぼしき男性が近づいてきたからだった。
「ようこそ、芹沢さん。お父さん、お母さんも。はじめまして。六角市の市長をつとめております。田井中重雄です」
「ど…どうも…」
鮎美は名刺をもらったけれど、女子高生なので返すべき名刺はもっていない。代わりに父親が礼儀上、名刺を出した。
「どうも、父です」
「お父さんは建築家だそうですね。しかも、鬼々島への移住事業にご参加いただいて、まことにありがとうございます」
「いえいえ、ああいう島に暮らしてみたかったんですよ」
「それは、それは、どうですかな、住み心地は?」
「いいですね。風雅というか、エキゾチックというか、何より島内に1台も車が無いのが、またいい! 建物の建て方も、刺激的で最高です!」
「不便やちゅーねん。コンビニも無いし」
鮎美の文句は大人たちに聞こえなかったことにされて選挙管理委員会がある3階まで案内された。
「当選証書授与! 芹沢鮎美殿! 貴君が第二回参議院議員候補予定者として決定したことを、ここに証します」
「……どうも…おおきに」
鮎美は頭を下げて、証書を受け取った。
「「「「「……………」」」」」
大人たちが待っているので、期待された答えを口にする。
「謹んで、お受けします」
「「おお! おめでとうございます!」」
絶対に辞退してほしくなかった大人たちが喜んでいるけれど、両親は少し心配そうにしている。
「アユちゃん、頑張ってね」
「鮎美、これからは下手なことはするな」
「我が市からの参議院議員誕生! しかも最年少とは、喜ばしいですな!」
「まだ、正式には議員やないんですよね?」
鮎美の質問に市長が答えてくれる。
「ええ、任期は来年の1月1日からです。それまでは、あくまで候補予定者」
「高3の三学期だけ重なる感じなんや……」
女子高生議員といっても、実質的には3ヶ月程度になりそうだったので、受任している。学校の出席日数にしても、もともと受験シーズンなので出席しなくても卒業できるし、議員となることが進路となるので進学も就職も当面はしない予定だった。今日は証書を受け取り、受任の意思を表示するだけのつもりだったけれど、市長が声をかけてくる。
「これから、いっしょに昼食など、いかがですか?」
「……それ、二人っきりやないよね?」
「はっはは! もちろん、ご両親も、いっしょに。今後のことなど知っておいていただきたいですからね」
そう言われると断りにくく、鮎美と両親は市長室の隣にある貴賓室で昼食に、鰻重を出された。もともと昼食に誘うことを予定していたようで、タイミング良く運ばれてくる。鮎美は箸を持つ前に、市長に訊いた。
「あの…、これって饗応とか、接待にならんのですか? それともワリカンなん?」
「よく勉強されていますね。素晴らしい! 大丈夫ですよ、一食5000円未満であれば問題になりません」
「ほんで、これは4980円やったり?」
「はははは! 4500円です。もちろん、私の個人的な接待であり、市の予算から出しているわけではないですから、安心して、お召し上がりください」
「………。ほな、いただきます」
美味しそうな鰻重だったけれど、あまり美味しく感じなかったし、市長と父親の会話は弾み、いろいろな方向へ進んだものの、結局は最終的に鮎美を自身が所属する民主党へ誘うのが目的だったので、鮎美は鰻重でなくコンビニで食べれば良かったと後悔した。それでも、気を取り直して市長に問う。
「民主党と自民党の違いって何なんですか?」
「いい質問ですね」
そう前置きして語り出した市長の話は長かったけれど、鮎美は真剣に聴いた。会談は長引き、4時頃になって、さすがにお互い疲労したので終わった。
「しんど……一日仕事やった……」
「そうね……疲れたわ……」
娘と母が、ぐったりとしているので、父が車を回した。
「どうする? もう島に帰るか? それとも予定通り、ショッピングしていくか?」
「「していく!」」
コンビニはおろか商店らしい商店のない島に住んでいるので、鮎美と母は駅前のショッピングセンターを回り、夕食もファミレスで食べた。
「あ~美味し。お昼は、なんか落ち着いて食べられんかったわ」
「そうね。ああいう食事は慣れないわね」
4500円の鰻重より1260円のチキンステーキセットの方が美味しかった。父が時計を見て言う。
「もう戻ろう。最後の舟が出る」
「はーい。もう帰らなあかんのやね……早いなぁ…大阪やったら、まだまだこれからやのに」
「あなたが不便なところに移住させるから」
「すまん、すまん。けれど、いいところだろう?」
「………」
母は不満そうに黙り、鮎美は紅茶を飲み干して答える。
「いいところも多いけど、不便なことは確かやん」
鮎美の言葉通り、駅前のショッピングセンターから車で20分かけて港まで移動し、そこに自家用車を駐車して、連絡船の最終便に乗ると、10分ほど船に揺られて島に着く。島の桟橋からは徒歩5分で自宅だった。鮎美たちが当選証書を受け取って帰宅するのを今か今かと待っていた島民たちは宴会を始めて、鮎美にまで飲酒を勧めてくるので断固として拒否する。
「あかんて! こういうのバレたら不信任されるちゅーねん!」
「この島に、んなことバラす奴はおらん!」
「そーゆー問題やない! うちは、もう寝る! 勝手にせい!」
啖呵を切って鮎美は自室に引き籠もった。
「なんや、あの態度は! ワシらが祝いに来てやったのに!」
「ちょっと図にのっとるんちゃうか」
鮎美に酒を勧めていた中年の男性二人が怒っているのを見かねた鷹姫が口を開いた。
「今のは、お二人が悪いのではないですか。芹沢は、まだ二十歳ではないのですから」
「なんやと子供のくせに!」
「その子供にお酒を勧めたのは誰ですか」
「こざかしいこと言うと、許さんど!」
「………。是非に及ばず」
鷹姫が古風な言い方で決着をつけるなら試合で、と言い返した。島内での喧嘩沙汰は剣道試合で決着をつける風習があり、鷹姫は大人を含めて島内屈指の実力者なので怒っていた男性は舌打ちした。
「ちっ…」
「如何?」
「もうええ!」
口論で終わり、お開きになった。