「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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1月27日 介式

 

 同日、昼12時過ぎ、午前中の国会が終わり、お昼休みとなったので車イスに乗った鮎美と、それを押す鷹姫、主治医の桧田川、SPである介式に加えて、同僚議員である翔子と音羽の6人は国会議事堂の廊下を移動して食堂へ行く前に、多目的トイレまで来たけれど、先客が入っていたので扉の前で待っている。

「アユちゃん、お昼ご飯、何にする?」

「う~ん……あんまり食欲ないし……うどんか、カレーかな…」

「私はカレーにします」

 翔子が嬉しそうに言った。音羽が肩をすくめて両手をあげる。

「翔ちゃんはカレーばっかりね」

「私はカレーで育ったから」

「「「「「……」」」」」

 家が貧しかった翔子の発言に短い沈黙があり、鮎美が話をふる。

「そう言うキョウちゃんは何にするん?」

「バランス良く、肉じゃが定食にしようかなと思ってるよ。気分的にはハンバーガーだから、ミックにでも行きたいけど、食べて午後までに戻ってくるの大変だし」

「ミクドもええね。っていうか、関東の人、ミック言うよね」

「こっちはミクドって聴く方が違和感あるよ。ドーナツ屋さんかと思う」

「それはミスドやん。桧田川先生はお昼、何にしはります?」

「私は広東麺」

「そんなん、ここの食堂にあったっけ? ……」

 鮎美が尿意を覚えて、車イスの上で座り直した。まだ先客は多目的トイレから出て来てくれない。

「あるよ。昨日から狙ってた。国会の食堂って、けっこうメニュー多いね。しかも、そんなに高くない。それほど安くもないけど」

「女医さんなら、どんな高いものでも平気ではないですか?」

 翔子の問いに桧田川は同じような質問に慣れた口調で答える。

「医師って、そんな貴族みたいなものじゃないよ。イギリスとかインドだと階級で入るレストランまで違うけど、日本って、だいたい同じなの。そりゃあ、高級料亭やフレンチにだって行くけど、吉野屋にもミクドにも行くし。仕事で忙しいとコンビニ弁当連続ってこともある」

「国会議員と似たようなもんやね。鷹姫は、何にする?」

「……。まだ決めかねています」

「ゆっくり迷いぃ。…はぁ…」

 鮎美がつらそうにタメ息をついて両膝を擦り寄せた。少しずつ括約筋が痛くなってくる。ある程度は回復してくれたようで昨夜のように刺すような痛みは無いけれど、筋肉痛の脚で階段を登るような疼きが強くなってきた。

「…まだ、なんかな、前の人……ぅぅ…」

「長いね。アユちゃんが待ってるのに……大丈夫?」

「……。桧田川先生、オシッコだけでも女子トイレでしてええですか?」

「そうね。まだ空きそうにないし。立てる?」

 桧田川と鷹姫が左右に回ってくれたので鮎美は立とうとした。

「……っ…ぅくっ…」

 車イスから腰を上げると急に尿意が強くなって冷や汗がでる。

「ぅぅ…痛い、痛い……」

 鮎美は腰を下ろして呻いた。桧田川が心配して耳元に囁きかける。

「無理に我慢しないで、いっそ漏らした方がいいよ。ナプキンあててるし」

「…イヤよ…そんなん……ぅぅ…」

 拒否したけれど、急に限界が来る。建設中のダムに土石流が襲って来たように鮎美は漏らした。じわりと股間が温かく濡れて、あてていたナプキンが吸収してくれるけれど、その容量を超えて溢れてしまい、下着やスカートが濡れる。

「っ……っ…」

 鮎美は、せめて周りには気づかれたくなかったけれど、車イスの座面前からも零れて滴ってしまい、桧田川と鷹姫だけでなく音羽や翔子も気づいた。

「アユちゃん……」

「芹沢先生……」

 音羽と翔子は周囲から見えないように車イスを囲んで立ちつつ、肩を震わせて泣きそうになっている鮎美の背中や頭を撫でた。鮎美は泣くと余計にみじめで恥ずかしいので、涙を我慢するけれど、どうにも泣けてきて、両手で涙を拭い、鼻を真っ赤にして顔を伏せる。自室で漏らすのと違って、よりによって国会議事堂で、しかも鷹姫たちに見られてしまい、恥ずかしくて顔をあげられない。ここから逃げ出したいのに動くこともできず、生温かいお尻が冷たくなる頃、やっと、多目的トイレの先客が出て来てくれた。

「あら、ごめんなさい」

 先客は五十代の女性議員で大腸癌を克服した人だった。

「ストーマの処理に手間取ったの。ごめんなさいね」

 自分のせいで鮎美が間に合わず失禁してしまったことを謝ってくれる。

「…ぅっ…ぐすっ…いえ……」

 鮎美は顔を伏せたまま答え、桧田川が車イスを押しながら言う。

「宮本さん、床を拭いて、替えのスカートを取ってきてくれる? もう乾いてると思うし」

「はい」

 床に滴ったのは、それほど大量ではなかったので鷹姫と翔子のポケットティッシュで拭ききれた。桧田川は車イスを押して多目的トイレに入る。介式が先行していて、室内とゴミ箱をチェックした。

「異常なし」

 それだけ言って冷たい表情で立っている。

「芹沢さん、仕方ないことだから泣かなくていいよ」

「…ぐすっ…はい…」

「無様だな」

 介式が言った。

「宮本くんを辱めた罰だ。因果応報と知れ」

「…ぅうぅっ…うぅぅうっ…」

 泣き止みかけていた鮎美が泣き出したので、桧田川が怒る。

「介式警部! いい加減にしてください! たかだか18歳の女の子をイジメて楽しい?!」

「楽しくなどない。実に不快だ」

「だったら黙って任務だけしてなさい!」

「……」

 介式が黙り、桧田川は濡れたスカートと下着を脱がしてやり、お尻や脚を優しく拭いた。

「靴と靴下は濡れてない?」

「はい…大丈夫です…ぐすっ…」

「じゃあ、嫌だと思うけど、あと少しの我慢だから、お尻を向けて」

 桧田川がゴム手袋をするので鮎美も両手を多目的トイレ内にあった簡易ベッドについて、お尻を桧田川へ向ける。この処置には慣れてきたので鮎美は受けながら申し訳なく思った。

「食事の前に、すんません」

「あ、そんなの気にしないでいいよ。医師って、こんなの慣れてるし」

 桧田川が優しく続ける。

「ぜんぜん平気。もっと食欲無くすようなのも慣れたし」

「……もっと、って、どんな?」

「バイクに二人乗りして湖岸道路をすっ飛ばしてたカップルがスピードの出し過ぎでカーブを曲がりきれず、ガードレールと樹にぶつかって男の方は指が3本ちぎれて、あとチンチンもちぎれて、女の方は首が飛んでたけど、それでも死亡診断書は必要だから、運ばれてきたのを診た後に、ソーセージと骨付きカルビを食べたり」

「…………」

「建設現場でクレーンから3トンの積み荷が落ちてきて右腕がペシャンコに潰れた男の人が、来月結婚するんだ、頼む、治してくれ、って泣くのを、ごめんなさい、無理です、切断しかありません、って説得して切断手術した後、大学の同期との忘年会で高級ラウンジに行って、テーブルサイドで生ハムを豚の前足から直接切り取ってもらう演出を楽しんで赤ワインを美味しく呑んだりできるから」

「「…………」」

「だから、あと数日で完全に健康になる女の子のウンチなんか、なんでもないよ。お昼ご飯がカレーでも平気。ま、広東麺が希望だけど」

「………………ぐすっ……っ……ぅっ…っ…」

 鮎美が前屈みになったままポタポタと涙を簡易ベッドへ落とし始めたので桧田川は処置する手を止めて言う。

「そんなに泣かないでよ。あと数日の我慢だよ」

「……いえ……ぐすっ……むしろ……嬉しくて…」

「えっ……やっぱり癖になっちゃった? 言っておくけど治療が終了したら、やらないよ。誰か他の相手を見つけてしてもらって。これは医療行為ではあるけど、衛生的にやれば大きな問題はないから」

「そうやないですよ……夕べ、うちは自分が障碍者になる思て、すごい絶望してて、けど今は目の前に希望があって……それが嬉しいて、嬉しいて。……」

「ああ、そういうこと」

 桧田川は処置を再開した。

「…ぐすっ……ぅぅっ…」

「泣き虫さん、そんなに泣いて、涙が枯れるよ」

「……うち、なんもわかってへんかった……今まで、自分が同性愛者やから、社会の中でマイノリティやし、障碍者の気持ちもわかってるつもりでいたけど……ぜんぜん、わかってへんかった」

「そう。……それに気づいたのも成長だね。はい、終了」

 桧田川は処置を終え、ゴム手袋を外した。鮎美も涙とお尻を拭いて立つ。

「ぐすっ……多目的トイレかって、数が無かったら困る人いっぱいいるんや……それも自分が漏らして初めてわかる……」

「そうね。トランスジェンダーだと、五体満足だから、ここを使うのに気が引けるって人もいるし。パンツは替えがあるけど、スカートは、もう少し待って」

 桧田川が予備のショーツを渡したとき、ドアがノックされ鷹姫の声が響いてくる。

「スカートをお持ちしました。ハァハァ!」

 かなり息を切らして走ってきてくれたようだった。

「鷹姫、そんなに急いでくれたんや」

 体力のある鷹姫が息があがるほど走ってくれたことで鮎美は感動した。桧田川はドアへ近づき、鮎美に断る。

「開けていい? 受け取ったら、すぐ閉めるし」

「はい」

 桧田川がスカートを受け取り、鮎美は着替えた。脚の震えは止まっている。あまり介式の方を見ないようにしてドアに向かった。

「歩けそうです」

「よかった。じゃ、お昼ご飯にしよう」

 トイレの外に出ると、鮎美は鷹姫に礼を言い、翔子と音羽にも礼を言った。鮎美は歩いて議員食堂に行く。少し食欲が回復していたので鮎美はカレーライスを、翔子も迷わずカレーライスで、音羽は肉じゃが定食、桧田川は広東麺、鷹姫はカツカレーと焼肉ライスにした。鷹姫が、いただきます、を言う前に介式へ頭を下げる。

「お先に失礼します、介式師範」

「気にするな。私は任務だ」

 警護中のSPは食事はおろか水分さえ最低限しか採らないので、五人がテーブルについていても、介式だけは立って周囲を警戒している。音羽や翔子は介式と人間関係がないので平気だったけれど、鷹姫はいまだに慣れないので、申し訳なさそうに食べ始める。五人が食べ終わった頃、鐘留から連絡が入り、鷹姫はカバンからタブレットを出してネット回線を通じて、対面会話できるようにして四人に向けた。鐘留は地元の六角支部にいて、何もない壁を背景にしているけれど、タバコの色合いがついた壁紙に鮎美は見覚えがある。タブレット画面の中の鐘留が手を振ってくる。

「ハーイ♪」

「誰このテロリスト?」

 初対面の音羽が完全防寒の鐘留を怪しがる。ゴーグルに防寒マスク、毛皮の帽子で、まったく顔が見えないのでテロリストという表現は同じく初対面の翔子も頷くところだった。言われた鐘留が調子に乗る。

「フフフ、国会議事堂に爆弾を仕掛けた」

「カネちゃん、周りにも響いてるから、ふざけんといて」

「しかも核爆弾だ♪」

「どっから持ってきてん!」

「ロシアから98円で買った♪」

「どんだけ安いねん!」

「昭和9年頃の98円換算で」

「それなら買えそうやな。って、その頃は核ないやんけ!」

「きゃはははは! 元気そうだね。陰険警部にイジメられてシクシク泣いてるって聴いたけど?」

「べ、別に泣いてへんし! 早う本題に入ってよ! お昼休み終わるやん! 何なん用件は?」

 学校の友達と話すと鮎美は萎えていた元気が戻ってくるのを実感しつつ、恥ずかしいので捲し立てた。鐘留は可愛らしい舌先で自分の親指を舐めてから語る。

「OK、ではアタシの調査結果を語ろう。宮ちゃん、タブレットを陰険警部に向けて」

「はい。……介式師範は陰険ではありません」

 鷹姫は一言いってからタブレットを介式に向ける。鐘留はいい加減暑いので完全防寒を投げ捨てて、素顔で語る。お互い面識は鮎美が入院中の特別病室前で形成されている。

「ハーイ♪ 番犬警部さん。番犬が飼い主を噛んじゃいけないね」

「……」

 介式は表情を変えなかったけれど、鐘留は続ける。

「介式あいか」

「っ…」

「フフ、表情が変わったね。ビンゴ? アタシって大ビンゴ? 超ビンゴ? ミラクルビンゴ?」

「………」

「珍しい名字だから、調べるのはアタシなら苦労しなかったよ」

「………」

「介式いつか警部には4つ年上の姉がいた。名は介式あいか」

「………」

「どうしてアユミンをイジメたか。ごく簡単な話。介式あいかは政治家にイジメられて自殺した。だから、その復讐」

「………」

 介式は表情を変えないけれど、返答もしないし、否定もしない。それで鐘留の指摘が事実なのだと鮎美たちも感じていく。鐘留は調査結果が当たった歓びで楽しそうに語る。

「少し前に小さな政党が産まれて潰れた。与党の左派と野党の右派が集まって産まれた、くだらないアホ党。そのアホ党が職員を募集したのに応募したのが、あいかちゃんの運の尽き。よくある話、セクハラを受けて月ちゃんみたいに拒否れなかった。しかも、政党支部の仕事は夜遅いことも多い。で、ざっくり議員に襲われた。もちろん、議員は事実を否定。ゴタゴタがあって200万円で示談。けど、お金が欲しかったんだろ、って支持者に罵られて、あいかちゃんはプラーンと照る照る坊主になりました。きゃはっは! プラーン、プラーンと、おうちの二階で首吊り自殺。おかげで議員は次の選挙で落選、再挑戦した市長選でも落選、なんとアホ男も首吊り自殺、地元の神社でプラーンプラーンと樹にぶらさがって照る照る坊主。二人仲良く天国でエッチしてるよ、きっと」

「っ……」

 介式の黒いスーツが似合う色白な顔が怒りで赤くなった。

「さてさて幹部議員のエロスキャンダルで、アホ政党もヘロヘロ、一人抜け二人抜け一人落ち二人落ち、あっという間に消滅。すごいね、たった一晩の過ちが政党一つ潰しちゃったとさ、おしまい、ちゃんちゃん」

「………」

 介式が拳を握りつつも冷静さを保つ、鐘留は憎らしく微笑む。

「さて第二話のスタートで~す♪ あいかちゃんにはバカな妹がいました。名を、いつか、五月五日生まれだから、いつか、子がバカなら親もバカだったんだねぇ、ネーミングセンスを疑うよ。第二話のヒロインは、このバカ妹です。体力バカの妹は復讐を誓います。お姉ちゃんを殺したのは政治家だ、政治家はみんな敵だ、だから芹沢鮎美も敵だ、悪いヤツだ、懲らしめてやる。なんて単純でバカなんでしょう、脳みそ筋肉です」

「………」

「バーカ、バーカ! お前のネェーチャンでべそ。きゃはっは! 姉妹そろってアホバカだねぇ。あいかちゃんは首吊ったあたり、やっぱりバージンだったのかな? バージン奪われたのかな? で、シクシク泣いて照る照る坊主、明日天気なりますように。でもでも、バージンってことは、あの一晩が人生で最初で最後のエッチ。きゃははは! かわいそー、ちゃんと好きな人とするエッチって、すごく気持ちいいのに。それ知らないで死んじゃった。まるで一回限りの使い捨てオナホみたいに! 介式あいかはオナホとして産まれてきました。定価200万円♪ けど、使うと呪われます、呪いのオナホ。使ったら、さっさと燃やさないとね。ね、どうだった? 火葬場に行く前の、お姉ちゃんの顔。安らかな死に顔だった? お買い上げありがとうございます、ご使用は一回限りです、いっしょに昇天しましょう、天国でラブラブ? 地獄でエロエロ? 自殺したあたり実は妊娠してたりしてね? エロ議員との受精卵も、火葬場でメラメラ。いつかちゃんの甥っ子もメラメラ。オナホお姉ちゃん、さようなら、私も、いつか立派なオナホをつとめて後を追います、いつかだけに、いつかきっと、オナホになり…痛っ?!」

 可能な限り憎らしくカメラに顔を近づけて話していた鐘留へ、公職選挙法の冊子が飛んできて頭に当たった。

「痛い! 月ちゃんのバカ!」

「黙って聴いてろというから、黙っていたら、亡くなった人になんてこと言うんですかっ?!」

 陽湖の声がして、鐘留に迫っていくのが画面の端で見える。迫られても鐘留は反省しないで言い返す。

「あ、怒鳴った。戒律違反だ。しかも暴行だ。本ぶつけた。痛いよ、痛いよ、アタシの美貌に傷が残ったら3億円! 傷が残らなくても300万円。さ、示談してあげるよ、お金ちょうだい」

「人が思い悩んで自死したんですよ?! セクハラを受けるのが、どれだけつらいか! 妹さんだって、どれだけ傷ついてるか! なのに! なのに、死んだ人に対して、どこまでひどいことが言えるの?!」

「え? だって、月ちゃんの宗教も死んだ人にひどいこと言うよね? 我々と同じ信仰をもたぬ者は死んだら楽園に行けない、永遠の闇だ、あいかちゃんも、きっと闇の中、ほらほら、ひどいこと言う宗教だね。そんなの信じてるんだね? ひどい人だね、月ちゃんは」

「っ…そ、…それは……ま、まぜっかえさないでください!」

「鷹姫、もう通信、切って」

「はい」

 鷹姫がタブレットをオフにした。鮎美が介式を見る。

「介式はん、今の話は…」

 それ以上言う前に定刻となってしまい、昼休みが終わった鮎美たちは議場に戻らねばならなかった。鮎美は自分の脚で議席につくと、考え込む。しばらくして隣席の翔子に問うた。

「翔子はんってセクハラ受けたことある?」

「え? はい、まあ、生きれば、それなりにアルバイト先とか、大学で何度か」

「そんとき、どうしたん?」

「もともとバイトは時給が安かったので、もう少し高いところを見つけて辞めてます。大学ではコンパだったし、どっちかというと私が食べるだけ食べて男子に奢らせるパターンの女だったから、ちょっと触られるくらい仕方ないかなぁと」

「……たかってたんやね。若干、どっちもどっち感あるなぁ……けど、バイト先では何されたん?」

「ジッと見るとか、そんな感じです。コンビニだったんですけど、店長がお尻ばっかり見てくるんですよね。しかも、背後からだから、こっちが気づいてないと思って顔を近づけて見てたり。危ないなぁ、と思ったからバイト中はトイレも行かないようにして、すぐ別のバイト見つけて、しばらくしたら、トイレ内にカメラを仕掛けて盗撮してたのが発覚して捕まってました。お店は閉店。たぶん、私は一度もトイレを使ってないから被害を受けてないと思うけど、もしかしたら一回くらいはトイレを使ったかもしれないし、そのときの映像があるなら、嫌だなぁって気持ちが、ずっと続いてます」

「盗撮か……盗撮は証拠があるもんな、けど、ジッと見るのは、見ただけやもん、立証が難しいなぁ」

「嫌じゃないですけど、芹沢先生もときどき私のおっぱいジッと見てますよ」

「うっ…すんません、気ぃつけます」

「あとは居酒屋でのバイトでお客さんからのセクハラがうざかったなぁ。腕とか肩に触ってくるのは当たり前。ときどき、お尻や胸まで触ってくるし」

「そんとき、どうしたん?」

「どうせ2時間もすれば帰るわけですし、注文コールされても、なるべく男子バイトに行ってもらってました。セクハラ問題に興味をもたれたんですか?」

「うん、まあ…」

「今、ひどいのは医療と介護現場らしいですよ」

「医者が患者に?」

「それも少しはあると思うけど、多いのはボケたお爺さんか、ボケたフリしたお爺さんがナースや介護士さんに触るのが、日常茶飯事らしいです」

「ボケたフリかぁ……。歳いっても元気やなぁ。けど、立場的に職員は言いにくいもんななぁ」

 また鮎美は考え込み、それから振り返って後席にいる三十代男性の松尾に問う。

「ちょっと、いいですか?」

「ん? 何かな?」

 まじめに審議を聴いていたものの退屈していた松尾も私語に応じてくれる。

「松尾先生はセクハラされたり、セクハラしたことありますか?」

「………。率直すぎる質問だね。セクハラかぁ……」

 松尾は腕組みして記憶を振り返る。

「どうだろうな、こっちはセクハラと思ってなくても、今だって芹沢先生の顔を見てるわけだ。視界に胸だって入ってる。それを、あとでセクハラだと言われたら男としては困るな。逆に、社会人から見ると君たち女子高生のスカートは、逆セクハラかと思うな。とくに短く改造してる子は」

「つい見てしまいますもんね」

「あ、そうか、芹沢先生は同性愛者だったか。ってことは、スカートをめくりたいとか、脚に触りたいって思う?」

「思う思う! そりゃもう、駅の階段で見上げてパンツ見えたときなんか、誘ってんのか、思いますもん」

「ああいうのも、逆セクハラかもなぁ。嬉しいような、見せられるだけで、うっとおしいような。たとえて言うならさ、めちゃ腹が減ってるときに、目の前に美味そうな肉まんを見せられて、けど食べるな、って言われたら、じゃあ見せるんじゃねぇよ、って思うのが人間だから」

「たしかに……」

「その点、イスラム教徒なんかは厳しく女性に隠せと強要するね。あれも一種の道徳ではるし、彼らの価値観だ。前に嫁と中東へ遊びに行ったら、飛行機を降りる前にスカーフを買って屋外では常につけているよう注意されたな。短いスカートもノースリーブも禁止でさ。宗教警察っていう別の警察が存在して、イスラムの道徳に反すると国民だと逮捕、観光客だと国外追放だった」

「うちのスカートやったら、つまみ出されるんや」

「たぶんね。けど、開会式のときはロングスカートだったからか、中東の友人に聴いた話、向こうでも芹沢先生の姿がテレビで流れたらしい。たった18歳の少女が皇帝の前で弔辞を述べた、と。あと、ここだけの話、オレも痴漢被害に遭ったことがある。2回」

「女の人から?」

「いや、あれはホモだな」

「……。ホモっていう言い方は差別的なんですよ。ゲイが現在は適切な表現です」

「そうなのか。じゃあ、ゲイ。一回目はコスプレ会場で、二回目は満員電車だったな」

「コスプレ会場って何ですの?」

「オレは趣味でコスプレイヤーやってるからな。男装も女装もする」

「どんなコスプレを?」

「こんな感じ」

 松尾はスマートフォンに入っている写真を数枚見せてくれた。剣士や女学生に扮した松尾の写真で、どれもカッコ良かったり美しかったりする。鮎美が本人の顔と見比べて驚く。

「なっ……これが松尾先生なん?」

「メイクと撮影技術で誤魔化しまくっているからね」

「めちゃ可愛い。なんていうキャラなん?」

「まどマギのまどかだよ」

「ふ~ん……知らんわ」

「今月から放送が始まったばかりだからね」

「松尾先生ってトランスジェンダー?」

「いや、ぜんぜん。嫁いるし。女装するからってトランスジェンダーって発想は短絡的だよ。コスプレが趣味で、その中に女装が含まれるだけだ。趣味での女装はしない」

「趣味かぁ……けど、こんだけ可愛かったら痴漢されるんかも。何されたんです?」

「ケツ触られた」

 松尾が思い出したく無さそうに語る。

「TFTで、と言ってもわからないか。有名な大勢あつまる会場でミクドナルドのマスコットキャラのコスプレをしてたんだ」

「ああ、あの可愛いのかキモいのか、よくわからんキャラの。かなりミニスカートですよね、あの子、肩も丸出しでアームカバーやし。腋の処理とか、どうするんです? 先生、男やのに」

「そりゃ、ちゃんと剃るよ。マナーだろ。っていうか学生時代にコスプレを始めてから常に剃ってるし」

「え? 男やのに、ずっと腋キレイにしてるんですか?」

「剃るのに慣れると、逆に伸びてくるとモジャモジャした感覚がうっとおしいから」

「たしかに、伸びてくると、ちょっと最初は…」

 言いかけて鮎美は自分が伸ばしていることは黙っておくことにして、話の先を促す。

「そんで、どんな痴漢被害に?」

「会場でカメラに囲まれてるとき、誰かがケツに触ってきて、最初、まさか、と思ったんだ。いくらメイクしてても肩幅とか身長で男ってわかるだろうに、ケツに触って楽しいわけないだろ、って」

「そんで、どうしたんです?」

「たまたま手があたっただけだろう、ここでオレが騒いだら自意識過剰って思われてカッコ悪りぃ、と考えて黙ってたんだ。そしたら、二度目はスカートの中まで手を入れられて遠慮無く思いっきりケツを揉まれて、ゾッとした。男でも痴漢されてゾッとするものかと思い知ったよ」

「それで泣き寝入りに?」

「いや、次の瞬間、怒りが湧いてきて、気がついたら背後へ回し蹴りしてた。けど、蹴った瞬間、ヤバイって思った」

「なんで?」

「しっかり相手を見てから蹴ったわけじゃなくて、振り向きざまに蹴ったし、何より暴行罪になるかもしれない、って蹴ってから焦ってさ。相手がケツなんか触ってない、いきなり蹴られた、って言い出したら困るし。周りにいた人たちも、めちゃ注目してきたし、何があって、あのレイヤーは背後のカメラマンを蹴ったんだ、みたいな空気になったけど、蹴られた側は罪の自覚があったみたいで、オレが蹴った腹を痛そうに抱えながら、すみません、ごめんなさい、とか言って逃げていったから助かったものの、開き直ってケツなんか触ってないと言い張られたら、オレの方がやばかった。女子なら泣けばいいかもしれないけど、ケツ触られたくらいでオレは泣けないし」

「男らしい反撃方法ですね。なかなか回し蹴り入れられる女子はおらんかも。満員電車での痴漢は、どんな感じに?」

「それもケツだった」

「またミニスカートやったんですか?」

「コスプレして電車には乗らない。ごく普通にスーツで通勤中、もちろん男物のスーツだ。なのに、ゲイなんだろうな、ケツ撫でてくるから、睨んだら、それで終わった」

「松尾先生、ハンサムやから面食いのゲイがよってくるんかも」

「嬉しくないね」

「……。痴漢する同性愛者をどう思います?」

「死ね」

「………。ですよね」

「急に変なことを訊くね。もしかして、痴漢にでも遭った? それとも上層部からセクハラでも受けてる? だったら、相談にのるよ」

「……女の子が、つねに被害者とは限らないですよ」

「は? まあ、ハニートラップや美人局もあるからね」

「松尾先生は今まで一回も悪いことしたことないですか?」

「……。無いと言えるほど、オレは聖人君子じゃないよ。生きてれば友人や家族、会社の同僚、いろいろあったさ」

「法律に反したことは?」

「それは……交通違反くらいかな。駐車禁止とスピード違反、一旦停止違反で、捕まった」

「……」

「三回で懲りて、今はゴールド免許だよ」

「……そっか……刑事罰やなくて行政罰があった……」

 長く私語していたので鮎美は背中に議長からの視線を感じて前を向き、審議中の資料を手にして読んでいるフリをしつつ考え込む。それからペンで色々と試案し、本日の国会を終えて外に出た。再び介式がSPとして横についてくるけれど、もう脚は震えない。五体満足で歩行できるのに多目的トイレを使うのは気が引け、女子トイレに入ると、介式は先に個室をチェックしてから一人にしてくれた。

「……ぅ~……あと、少し痛いかな…」

 排尿時の痛みは減ってきている。個室を出ると、鷹姫と桧田川も個室から出て来た。桧田川が手を洗いながら言う。

「じゃあ、議員宿舎に帰ろうか」

「はい。鷹姫もついてきて」

「はい」

「介式はんも、ついてきてください」

「言われずとも警護する」

 四人で鮎美の部屋前まで行くと、再び鮎美は介式に声をかける。

「介式はん、部屋の中までついてきてください」

「…。了解した」

 警護対象の部屋前や玄関前までしか警護しないのが基本であるので、一瞬、意外そうな顔をした介式は鷹姫が入室することもあって、むしろ見守りたいと想い、入ってくる。四人が部屋の中にそろうと、鮎美は鷹姫を見つめた。

「宮本鷹姫さん、私はひどいことを、あなたにしました。お詫びします」

 そう言って鮎美が床へ膝を着き、両手も着いて土下座する。

「本当に、ごめんなさい」

 途中で涙声になりかけたけれど、弔辞を読んだときのように気を張って、はっきりとした声で謝った。

「っ、芹沢先生、やめてください。もう、いいのですから」

 慌てて鷹姫も膝を着き、鮎美の肩に触れ、頭を上げさせる。

「頭を上げてください。もういいのですから」

「ごめんな、鷹姫、ごめん」

「総理大臣を志すお方が、このように軽々土下座などしないでください。その方が悲しいです」

「鷹姫……」

「さ、お立ちください」

「うん…」

 鮎美は立ち上がったけれど、再び頭を下げる。次は桧田川と介式に向かってだった。

「桧田川先生、介式はん、うちの間違った行為を叱っていただき、ありがとうございます」

「うん、うん、わかればよろしい」

「………」

 桧田川は頷いたけれど、介式は黙っている。鮎美は再び介式に向かって頭を下げなおす。

「お昼は、うちの秘書補佐が失礼いたしました。お詫びします」

「………」

「あの子は少し発達障害でもないけど、ちょっと性格が間違った風に育ってしもて、ああいう曲がったことを言いますけど、今回は狙いがあってのことで、おそらく、うちを庇うために、わざと介式はんを怒らせようと挑発したんやと思います。怒らせてタブレットでも殴らせて器物破損にもっていこうみたいな狙いで。とはいえ、あまりにも、ひどいことを亡くなったお姉さんに言うたこと、代わってお詫びします。ごめんなさい、すみませんでした」

「………」

「介式師範、私からもお詫びします。当事務所の愚かな秘書補佐が申し上げたこと、あまりに申し訳なく、お許しいただけるはずもありませんが、どうか、お怒りは私に向けてください」

 鷹姫が土下座しようとするので、介式は止めた。

「もういい。子猫の遠吠えなど気にしていない」

「「すみませんでした」」

「………」

 介式が居心地悪そうな顔をしているので桧田川が仲介する。

「まあまあ、たまには介式警部も、いっしょにお茶でもいかが?」

「勤務中ですからお断りする」

「お堅いことで」

「介式はん、うちは今回のことで多くを学びました」

「………」

「セクハラする側の気持ち、セクハラされる側の気持ち、うちは女性同性愛者やったおかげで、どちらの気持ちも体験しました」

「「「………」」」

「選挙戦や宴会で何度も、うちもセクハラを受けました。逆に、鷹姫だけでなく地元の友人へも何度も痴漢まがいのことをしています」

「「「………」」」

「セクハラされる側は、この上なく嫌な気持ちです。けれど、なかなか文句を言えない、注意できない。なぜなら、セクハラする側が狡猾やからです。文句を言わせないよう、言われない範囲で、相手が本気で怒らない範囲で、ジワジワと攻めていく。攻め方を変え、言い方を変え、ずる賢く、セクハラされる側に我慢させる、受け入れさせる、手を握り、肩を撫で、胸に触れる、このくらいはいいじゃないか、挨拶だ、スキンシップだ、と誤魔化して痴漢でしかないことを我慢させる。拒否されなければ犯罪にならない。だから、どんどんエスカレートして最期は、お互いの破滅を招くことさえある。セクハラした側は、それが露見すると、地位も名誉も職も何もかも失うから、必死に揉み消そうとする、それこそ全力で、お金や権力を動員して、押さえつけようとする。同時に、セクハラされた側も苦しむ。我慢していたときも苦痛やったのに、勇気を出して告発しても、お金がほしいからかと言われたり、そもそもセクハラされたことを知られるのも苦痛で、そして加害者が破滅していくのも、けして気持ちのいいものでもない。むしろ、加害者が雇い先やったり、なにか関係がある場合は、その関係も終わってしまって苦しむ。こんな起こってはならないセクハラが日本中で毎日、起こりまくってる。死者さえ出る」

「「「………」」」

「こんなことを繰り返さないためにこそ、国会は法整備すべきやと、うちは考えました。まだ半日考えただけで、稚拙で穴だらけかもしれませんけど、聴いてください」

「「「……」」」

「まず強姦や強制わいせつと交通事故を比較して考えます。交通事故も示談しますが、その示談と刑事罰、行政罰はさほど連動しません。むしろ発達した自動車保険による示談が予定されているため、無保険である場合を除き、裁判所は運転の悪質さに着目し、示談の有無を重視しません。対して、性犯罪は示談すれば告訴されず、そこで終わります。これが大きな間違いです。この結果、お金持ちは女性を蹂躙しても何千万と積むことで、罪を免れるからです。そして逆に女性は不当に示談金をつり上げることもできる。強姦された心の傷の深さというのは、まったく目に見えないものです。交通事故の負傷であれば、かなり相場が形成され、自賠責基準、任意保険基準、弁護士基準、裁判所基準と、いくつか基準はあるものの、基準があるだけマシです。強姦や強制わいせつには、まったく基準が無く言い値です。これによって、もたらされる利益は、ほぼありません。せいぜい、犯人がお金持ちやった場合、被害者が潤うこともあるかもしれない、という程度で、世の中全体の強姦事件を見たとき、ほぼ保護法益はないと私は考えます。こんなことを許しているのは、たとえば飲酒運転で人を死傷させても、何億と積めば無罪、としているのと同じです。人を死傷させた民事賠償は民事賠償として別、刑事責任は刑事責任として追及すべき事柄です」

「「「………」」」

「そこで私は性犯罪においても交通事故と同じく示談とは別個に刑事責任を追及するよう法改正すべきであると考えます。具体的には一度、警察へ届け出られた性犯罪については示談による告訴の取り下げを認めず、その悪質さ、えん罪の可能性など、他の犯罪と同じく検証すべきで、また被害者が受け取るべき慰謝料は客観的に裁判官が判断すべき事柄であると考えます。どのみち、大金をもらっても心の傷が癒えない女性もいますし、逆に不当につり上げる女性もいるのですから、交通事故のように相場が形成されていくのが誰のためにもなると考えます。また、これは性犯罪による民事賠償に限ったことではなく、あらゆる賠償金について言えることですが、現在の法体系では、確定判決であっても、加害者が逃げることで、十分に賠償されないことが多々あります。これがために、性犯罪では示談との引き替えで賠償金が得られることもありますが、このケースは性犯罪全体の、ごく少数、つまりは加害者が金持ちであった場合に限られます。本来的には加害者が刑事責任を償った後、働いて支払うべきですが、出所後、どこへ就職したかもわからず、被害者は追求のしようがありません。これに対して、現在運用されている住民基本台帳システムと連動させ、日本全国どこに居ようが、被害者は正当な賠償金を簡単な手続きで加害者から得られるべきですし、加害者の両親が死亡した場合など、ただちに遺産相続手続きに先んじて保障されるべきで、これには国税徴収より強い権限が与えられるべきと考えます」

「「「………」」」

「ここまでは強姦や強制わいせつ等、いわゆるセクハラを超えた重い性犯罪への対処ですが、より多くの女性を苦しめているのは、軽い性犯罪、軽いセクハラです。そして、軽いセクハラはエスカレートして性犯罪になります。これを防ぐにも交通事故と同じく、私は行政罰のシステムが有効だと考えます。以前に、うちが介式はんの手を握ったことを覚えていますか?」

「……覚えている」

「不快でしたか?」

「不快だった」

「ごめんなさい」

「………」

「とくに、うちが同性愛者やと知った後、より不快になりましたか?」

「……。なった」

「同性愛者だったということを含めれば、あれはセクハラだったと思いますか?」

「………そう思う」

「では、上司に相談したり、私に注意したりしなかったのはなぜですか?」

「……………そんなことで、いちいち言えるものか」

「では、何度、手を握ったら、上司に相談されますか? 警護対象がセクハラしてくると」

「………」

「肩に触ったら?」

「………」

「胸に触ったとき?」

「その場で逮捕する」

「現行犯ですから可能ですが、本当にできるでしょうか? 18歳の女性が、剣道も柔道も強い女性警部の胸に触った。国会議員でなくても、ただの高校生だとしても、たまたま警護対象になっているとき、たまたま女性同性愛者で、警部を好きになって、わがままにも胸に触れてきたとき、逮捕しました、と上司に報告できますか?」

「………お前は何が言いたい?」

「お互いの立場や関係もあって、いきなり逮捕では、なかなか難しいでしょう。でも、もし、それまでに30回、手を握っていて、10回肩に触っていて、その度に女性警部は相手にやめるよう言い、上司に相談していたら、胸に触ったから逮捕した、というのも通ると思います。たとえ、相手が女性同性愛者でも。そして、相手が、うっかり触れただけ、たまたま手があたった、と言い訳しても、その言い訳に真実味がないことは裁判官も頷くところです」

「……」

「けれど、手を握られた時点で上司に報告することはできない。そんな報告をすれば、よほど神経質か、自意識過剰か、もしかしたら仕事が嫌なのか、そんな風に思われるかもしれない」

「……」

「他の職場で働く女性でも同じです。職場だけでなく、自動車教習所や学校、部活、あらゆるところでのセクハラは、いきなり決定的なことはしない、じわじわと始まる。まるで運転免許を取ってから、じわじわと運転が荒くなって事故を起こすみたいに」

「……」

「もし、行政罰が無くて、いきなり前科がつくような刑事罰しか、自動車運転に法整備されていなかったら? 一旦停止違反では捕まらない、信号無視も、シートベルト不着用も、駐車禁止も罰が無い、スピード違反も50キロまでは罰がない、としたら、世の中の交通事故は増えますか? 減りますか?」

「答えるまでもない。激増する」

「もしも、セクハラに対して行政罰が整備され、現在の迷惑防止条例のように痴漢で逮捕されると一回で懲戒免職になるような大ダメージが違反者にあるのではなく、相手が嫌がっているのに肩に触れることが3回あったら罰金8000円、そんな法律ができたら、世の中は、どう変わると思いますか?」

「………。女性には有り難いが、立証が難しいだろう。被害者の証言だけでは、えん罪の可能性もある。嘘の証言で他人をおとしめることもできる」

「コンビニでのアルバイトのように監視カメラが整備されていたら、どうですか?」

「それなら……。いや、だが、わざと男性をおとしめようと、3回触らせてから実は嫌だった、嫌だと言っていた、と言い出すこともできる。言った言わないの水掛け論となるだろう」

「言うと同時に、労働基準監督署などに言ったことを通報し記録され、男性側にも相手が嫌がっていることが通知されるとしたら?」

「それなら抑止力になる。悪くない。だが、行政上の手間は膨大になる。いったい毎日、何万件の通報があることか」

「それらがネットやスマートフォンのアプリを通じて行われ、ネット等の情報手段を持たない者は郵送で有料で受付てもらえるとしたら、どうですか?」

「………。良いかもしれない……。だが、それでも通報をためらう女性もいるだろう」

「そういった女性には、匿名での通報を行ってもらい、匿名であっても同一の通報者からの通報は情報が累積して記録され、もしも、大きな性犯罪に遭ったとき、証拠として情報公開されるというのは? また、通報したことが男性に通知されないことも選択でき、その場合でも通報が累積すれば、いきなり罰金ではなく、単なる警告文が通知されるとしたら?」

「…………。かなり世の中のセクハラは減るだろう」

「どこにでも監視カメラがあるわけでもなく、また目撃者がいても協力してくれるとは限らないとしても、それはすべての駐車違反、すべてのスピード違反が捕まるわけではないとしても、交通事故を減らせるように、かなりの抑止力になり、また違反者も大きな罪を犯す前に、相手が本気で嫌がっているのだと知ることができます。なおかつ、このような通報システムが整備されれば、よく違反する人物、会社を特定していくことも可能です。そして、何より現在は労働基準監督署などの相談は平日の昼間に限られていますが、電子システムなら24時間、受付可能です。これは、セクハラされている人に大きく勇気と機会を与え、セクハラしている人に悪いことをしているのだと知らせることができると考えます」

「………」

「今後、この考えを詰め、うちの仕事の一つにしたいと思います。少しでも、犠牲者を減らせるように。不幸な女性が減り、同じくスピード違反で調子に乗って死ぬ人が減るように、うちみたいに調子に乗ってセクハラして破滅する者が少なくなるように」

「………」

「長い話を聴いていただき、ありがとうございました」

 鮎美が一礼した。介式は一呼吸おいて問う。

「芹沢議員は、これを昼から考えたのか?」

「はい。審議中に」

「………」

「もっとも、今までの色んな経験があってのことですけど」

「………」

「やはり芹沢先生は総理大臣たるに相応しい方です」

「ちょっ、鷹姫、それ恥ずかしいから」

 鮎美が尊敬の眼差しを受けて恥ずかしくなるけれど、鷹姫は本気だった。

「いずれ総理大臣となってください。私も奉公する甲斐があります」

「そうなん?」

「本懐です」

「…………。そうやね、目標は大きい方がええかも。よし! 鷹姫と約束するわ。うちは総理大臣になってみせる!」

「はい!」

「「…………」」

 介式と桧田川が黙って見守っていると、誰かがチャイムを鳴らした。鳴らしたのは男性SPで介式と交替に来たのに部屋前に居なかったからだった。介式が少し話して交替確認をしたので、鷹姫が誘う。

「介式師範、お茶を飲んでいってください。夕食もごちそうします」

「フ…忘れたか? 公務員への饗応は禁止だ」

「あ、そうでした。すみません」

「しっかり勉強しろよ。総理大臣秘書官殿」

 そう言って介式は部屋を出ると、交替した男性SPと敬礼を交わし、エレベーターに乗って一人になったので、つぶやいた。

「……芹沢鮎美………なんと立ち直りの早い女だ。………精神的に殺すつもりで脅したものを……朝に泣いて、夕に笑うか」

 勤務が終わり緊張が解けたので、強い空腹と喉の渇きを覚える。近くの食堂で焼肉ライスと広東麺とカレーを食べてから、インターネットカフェに寄った。

「私には謀略など性に合わないから、お前たちが使えるなら使え」

 ネット上に保存してあったデータを介式は新しく作ったヤフーIDで芹沢鮎美の事務所へ送りつけた。それはSPとして政治家を警護しているうちに得た情報で、SPにある守秘義務をあてにして油断して政治家が口にしたことなどのうち、彼らの弱みになりそうなことで、いつか復讐に使えないかと貯めていたものだった。

「お前たちの性にも合わないかもしれないが、役立つ場面もあるかもしれんからな」

 用事が済んだので外に出ると、コンビニでファミチキ三つとビールを買った。公園で飲食していると、匂いにつられて猫がよってきたのでファミチキ一つを諦めた。猫といっしょに食べ終わる頃、電話がかかってきた。

「もしもし。誰だ?」

 見知らぬ番号からだったので堅い声で問うた。

「きゃははは!」

 甲高い鐘留の笑い声だった。

「………」

「このタイミングで政治家の弱みをタレ込むとかさ。誰の仕業か、特定されないとでも思うの? しかも、IDがsengoku39とか、笑える! どうせ、どっかのネカフェに自分の身分証明書で入場したのに、送信したでしょ。苦手なことは、やんない方がいいよ」

「………」

「ま、いいよ。クビになったら、かわいそうだし、アユミンの味方になるなら黙っていてあげる」

「………」

「これからも、アユミンを守ってね」

「任務だからな」

「ずっと噛みつく機会を狙ってた番犬って怖いね。弱み握られた人たち、かわいそぉ」

「……。お前の性格なら、うまく使えるだろう」

「誉められたと、思っておくよ。忠犬警部くん」

「話は終わりか?」

「う~ん………あと少し」

「何だ?」

「………お昼、ひどいこと言って、ごめんね。怒らせて画面を殴ってもらうつもりだったから……ごめん。そんだけ! じゃ」

 鐘留が電話を切った。

「フ……人徳か、いい友人が多いな」

 介式は猫を撫でた。

「……姉さんにも、相談できる友人がいたなら……」

 それだけ言って、次の交替に備えて休むことにした。

 

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