梅雨の日曜日、鮎美は憂鬱そうに自宅にいた。もともと孤立した島なのに、雨が降ると、より孤立感が増す。連絡船は台風でもない限り定時運行するけれど、観光客も減るし、島民もあえて島を出ようとしなくなる。自家用の漁船がある島民なら、雨に濡れるのを覚悟すれば、わずか10分で本土へ渡れるけれど、移住者である鮎美たち一家には自家用漁船は無い。それでも、頼めば引き受けてくれる島民もいるかもしれないものの、よほどの用事でない限り、それをする意味を感じない。結局、雨の日曜日は外出できないことになる。
「家も狭苦しいし」
格安の家賃で借りている自宅は三人暮らしにしては、部屋数は多いけれど、建築の規格そのものが小さくて狭く感じる。鮎美の部屋は二階の六畳間だったけれど、一畳そのものが小さい。窓を開けても隣家が間近で声さえ聞こえそうだった。島には平地が少なく、その少ない平地に民家が密集して建っている。一件一件の間は狭いと人が一人通るのが精一杯ということもあり、道路らしい道路はない。自転車も要らないくらい狭い島だったし、自動車は1台も無く、自転車も20台くらいだった。
「こっちの方向だけは開放感あるけど……開放的すぎるというか……」
別の窓からは大きな湖が見える。
「ホンマ、アホみたいデカいなぁ……雨やと霞んで対岸が見えへんし」
借家は港から徒歩5分だったけれど、六角市側ではなく、より遠くまで対岸が見えない側なので湖は海かと思うほど大きく見える。雨で風もあるので波も大きかった。
「……淋しい島やなぁ……」
せめて鷹姫に会いたいけれど、しっかりと剣道の稽古中なので会いに行っても邪魔をするだけだった。
「アユちゃん、お客さんよ!」
一階から母親の声がした。
「……どうせ、どっかの政党やろ……っていうか、島やし、自民党かな……」
「アユちゃん! いるんでしょ?」
「はいはい! おりまっせ!」
仕方なく鮎美が狭くて急な階段を降りると、玄関に直樹がいた。
「やあ」
「……ようこんな雨の日に来るわ」
「やっぱり風情のある島だね。雨だと、また雰囲気が変わる」
「そう思うのは住んでないからやよ。退屈なだけや。そういえば、雄琴はん、どこに住んでるの?」
「井伊市だよ」
「ふーん……どのへん?」
「県の北部。有名な井伊城があるだろ。知らないのかい?」
「大阪城なら知ってるで」
「ははは。大阪城には、かなわないな。でも、参議院議員を務めるんだから県内の地名くらい把握してないと、6年後、確実に落ちるよ」
「たしか、最高裁判所の裁判官と同じように×を半数以上もらうと2期目は無しやったっけ?」
「そう。そして2期12年で終わり、現状では、それ以上の延長は無く、政治家を続けたいなら衆議院に鞍替えして立候補するしかない」
「まあ、立ち話もなんやし、あがりぃや。母さん、お茶を」
もう直樹が訪ねてくることに慣れていた鮎美は居間へ迎えた。直樹は手土産として有名店のケーキを持ってきてくれているし、それは鮎美も母も楽しみにしている。
「うちも餌づけされてきたなぁ」
ケーキを食べながら、つぶやくと直樹が笑った。
「はははは。自分を客観視するのは、いいことだね」
「このケーキ代って経費で落ちるの?」
「どこかの政党に所属していればね。無所属だと、ちょっと難しいかな。いや、ギリギリで活動費に入れられるかもしれない。れっきとした面談だからね。常識的な範囲内の茶菓子代は落ちるだろう。アルコールはダメだけど」
「面談いうても、だらだら喋ってるだけやのに?」
「大阪城を落とすには時間がかかったらしいからね」
「うちは城かいな。やとしたら、外堀を渡るだけで船で10分やから手間やね。便数も少ないし」
「今日は本題もあるんだ。芹沢さんに、会ってもらいたい人がいる」
「どうせ、自民党の議員さんやろ?」
「ご名答」
「誰と、どこで?」
「久野統一朗、衆議院議長と京都で」
「衆議院……議長……えらい、大物を……うちなんかに……民主党の方も、うちに…」
「民主党からも、何かアポイントが?」
「………まあ…」
「どんな?」
「……隠しても、しゃーないから言うけど、竹村正義さんと六角市の料亭で」
「参議院議長……奇跡の竹村か…」
「奇跡の?」
「知らないのかい?」
「フン、どうせ女子高生やからね! 知らんことばっかりや!」
「ごめん、ごめん。ほら、少し前に国民年金を議員が納めていないって問題になったろ?」
「あ~…そんな話もあったかな」
「あれで自民党からも民主党からも数人が辞任したけれど、竹村さんも潔く辞めたんだ。けど、奇跡的に復活した。なんと参議院議員として」
「クジ運で?」
「そう。それで、まあ国会議員としての経験もあるわけだから、その実績から議長に選ばれた。ある意味、まったくの素人が議長になるより良かったけど、確率的には、ほぼ奇跡だから」
「たしかに女子高生は全国に何万人といるけど、辞職した議員は、そんなにおらんやろし」
「民主党は彼を芹沢さんに会わせるのか……本気だなぁ……こっちも、うかうかしていられない」
「……ちょっと訊きたいんやけど」
「いいよ、どうぞ」
「うちなんかを相手に、そんな大物のスケジュールをあける意味あるの? 候補予定者なら、他にも全国におるやろ。そこへも自分の党に所属してくれって、言いに行かんの?」
「行ってるさ。もともとの支持政党があった人は別として、たいていの人は、どこかの党員ではないし、党員だったとしても、なんとなく入っていた、いつのまにか名簿に入れられてた、くらいの感覚だから候補予定者の名簿が公表されて、すぐ各党が争うように勧誘してる。ボクだって芹沢さんと選挙区が同じで歳が近いから専属担当にされた」
「27歳と歳が近いんや……」
「全体で言えばね。あと、この地区で歳が近いのは衆議院議員の石永先生が39歳だけど」
「うちより21歳も上やん。あの人とは学校でも会ったわ」
「政治の世界の主な年齢階層は50歳から70歳の男性だから」
「せやね。それだけに、うちなんかを大物が相手にしても、しゃーないやん。まして議長て」
「君は特別だよ」
「………最年少やから?」
「そう。君が、どの党に所属するのかはニュースになる。必ずね」
「うちはパンダか」
「そんなところだね」
「はぁぁぁ…」
鮎美は大袈裟にタメ息をついて話を続ける。
「雄琴はんも、うちと同じにクジ引きで選ばれたんやろ? ある日、突然」
「3年前にね」
「前から自民党やったん?」
「いや、3年前に入党したよ」
「なんで自民にしたん?」
「政権与党だったからさ」
「なるほど……長いものには巻かれろ的な?」
「それもあるけれど目標もあるからね」
「どんな?」
「実現したい法案がある」
「どんな法案なん?」
「………」
直樹は鮎美がケーキを食べ終わっているのを確認してから口を開く。
「お茶の間にふさわしい話題ではないし、食欲を無くすかもしれないけれど、凶悪な性犯罪者に、犯した罪に相当する残虐な目に遭ってから死んでもらう死刑制度の創設だよ」
「………残虐な……死刑……」
鮎美が戸惑っていると、直樹は付け加えてくる。そこには今までの勧誘を目的とした抑制された雰囲気は無く、静かだけれど強い信念を感じさせる気配があった。
「幼い女の子を何人も殺したようなヤツを、ただの絞首刑で終わらせていいと思うかい?」
「………そういうこと……考えたこと……ないし…」
「今までは、それでいいさ。けれど、ボクは国政議員だし、君もそうなる。ボクら一人一人が賛否することで法案がつくられていく」
「……………けど………たしか、憲法で拷問と残虐な刑罰って禁止されてなかった?」
「憲法第36条、公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」
「そう、それ」
もう鮎美も、どうせ大学受験しないので日本史の学習よりも現代社会を復習していて、憲法も読み直していた。直樹が真顔で言ってくる。
「この国は憲法に対する解釈の余地が大きい。9条で武力を永久に放棄し、戦力を保持しないと明言しても、自衛のためなら持っていいらしい。36条を、よく読めば、公務員による、と書いてあるよね。ってことは、被害者の家族が刑の執行人となることは十分に可能だと解釈できる。絶対に、なんて書いてあるけれど、本当に完全な絶対なら条文は、何人も、で始まるはずだ」
「…………」
鮎美は湿度の高い空気を吸って、少し息苦しく感じながら問う。
「そんな具体的に……考えるって……雄琴はんは……なにか、そういう………被害に……近しい人が遭った……とか?」
「ボクの妹は10歳で殺された。他に被害者が2人。犯人は捕まった。井伊市連続誘拐殺人事件でネットをみれば、詳しくわかるよ」
感情を抑えた声だったので、これ以上は冷静に話せないということが伝わってきて鮎美も自重する。
「……。話を変えさせてもらってもええ?」
「どうぞ」
「うちの前、第一期で3年任期やった人は、なんで続投せんかったん? それとも×を半分以上くらったん?」
「当選したとき67歳だったからね。そして胃ガンも見つかって、もう6年というのは、つらいということで自主的に辞められたんだ」
「そっか……ちなみに、どのくらい続投してはるの?」
「およそ8割の議員が続投を志望したけれど、国民審査で3割に×が過半数ついた」
「3割も……たしか、似たような審査方法の最高裁判所の裁判官には一度も罷免がくだったことはないよね?」
「無かったと思うよ。まあ、司法試験に合格して出世していった人や長年にわたって他省庁で実績ある勤務をつんだ人たちと、たまたまクジ引きで選ばれた人は違うからね。そこは国民の目が光るってことだろう。さっきの憲法解釈の話でも、ギリギリの制度だからね。選挙について憲法は普通選挙を求めている。この普通選挙の反対は制限選挙、いわゆる身分や門地、納税額に応じて権利を与えたり与えなかったりすることを厳に禁じている」
「ある意味、クジ引きは最高に平等やね」
「ある意味はね。けど、もう一つの秘密選挙であること、という要件を満たす必要があった。秘密選挙が何かは知ってるね?」
「誰が誰に投票したかを秘密にする選挙や」
「そう。つまり憲法は議員たる者への投票を求めていた。そこで一度目はクジ引き、その任期後に続投を望むなら国民審査を受けよ、となるわけさ。これで普通選挙と秘密選挙という要件を満たしてクジ引き議員が誕生するわけさ」
「解釈か………普通に考えて9条あったら、自衛隊は無理やろ」
「だね」
「………憲法を変えたらええのに。侵略のための戦力はダメ、自衛のためならアリって」
「9条の話も、クジ引き議員が国民の感覚を持ち込めば、次第に変わるかもね。そうなるなら、それは、いいことだし」
「やね」
「ちなみに芹沢さんは6年後、続投を望むのかい?」
「そんな先の話……まあ、でも、せっかくやし望むんちゃうかな8割の人らみたいに」
「だとしたら、やっぱり所属政党はあった方がいいよ」
「そっちに話が進むんやね。……う~ん……まあ、どこかには入ろうと思ってるし……でもって、島の大人らが自民ガチ押しやから、逆らいにくいし……けど、他の政党の話も聴いておきたいんよ。いつまでに決めなあかんとかある?」
「無いよ。今日でもいいし、任期がスタートしてからでもいい、けれど、勉強することも多いわけだから早い方がいい。あと、決めてしまえば勧誘活動は止まるだろうね」
「なるほど……」
「さて、そろそろ、帰らせてもらうよ。船の出る時間だ。これを逃すと次は2時間待ちだからね」
直樹が腰を上げると、鮎美も立った。
「せめて桟橋まで見送るわ」
「ありがとう。けど、雨が激しいから、ここでいいよ」
「ええんよ。このままやと一日、一歩も家から出んことになるし」
「それは不健康だね」
話ながら二人で港まで出る。別々の傘をさして桟橋に立つと、連絡船が出港の準備をしている。朝夕に鮎美と鷹姫を送ってくれる小舟と違い、ダイヤの決まった連絡船は最大で50名が乗れる船だったし、屋根もある。
「じゃあ、京都で久野先生と会ってくれるね?」
「念押しせんでも会わせていただきます」
軽く手を振って直樹を見送った。