翌2月4日の金曜、国会議事堂の議員食堂にて鮎美は昼食を摂りながら、介式からの報告を聴いていた。他の議員たちも鮎美が襲われた理由や状況に強く興味をもっているので議員食堂は会議室のように静まりかえっている。
「氏名は平井功一、年齢24歳、無職、所持していた凶器は大工作業用の金槌ならびに直径2ミリ長さ約2メートルの針金で、いずれも犯行の直前にホームセンターで購入している」
「どういうつもりで、そんな凶器やったんですか?」
「本人の供述によると、金槌で頭を殴りつけ、針金で首を絞めるつもりだったそうだ」
「うちにはSPついてくれてはるのに、そんな悠長な方法で殺せるわけないやん」
「それも供述によれば、前日に脅迫犯が逮捕されたことで、もう警護されていないだろうと考え、犯行におよんだそうだ」
「アホや……けど、うちも脅迫犯が逮捕されたし、警護は終わりやと思ったから、同じか……介式はんらの判断のおかげやね。おおきに、ありがとうございます」
鮎美は広東麺を食べるのを中断して、頭をさげて礼を言った。未遂とはいえ殺人事件の報告は食事時に相応しい話題ではないとわかっているけれど、忙しい上、他の議員や秘書たちも興味津々なので誰も怒らない。多くの議員は夕方から地元へ帰るので、今もっとも話題となっている鮎美についての情報を知って帰るのは土産話として最高なので皆静聴している。
「うちを殺そうとした動機は何なん?」
「就職がうまくいかず国会議員なら誰でもいいから殺そうと思い、たまたま芹沢議員の報道を見て、選んだそうだ。若い女性で一対一なら殺せるとも考えている」
「……………………………」
鮎美が麺を食べる箸を止め、左手を額にあて深く嘆いた。
「………なんやの……それ……」
「アユちゃん……」
「芹沢先生……」
音羽と翔子が心配してくれる。これで三度目の事件の被害者となり鮎美が傷ついているだろうと、背中を撫でようとしたけれど、鮎美は昼食を再開した。
「ホンマに男ってアホやな」
「「………」」
音羽と翔子が驚き、直樹が言ってくる。
「君は太いというか、タフな女性だね」
「今回は介式はんらが守ってくれはったし、前回のも逮捕されてるし、一回目のは、さすがに、つらかったけど、いつまでもウジウジしてられんもん」
「たしかに、ボクら国会議員は、大なり小なり脅しも受けるからね。うちの事務所にも、たまにカミソリが届くし。自民から民主に鞍替えしてから、ひどかった」
「あ、私にも来るよ! とくに共産党に入った直後は多かった! お前を赤く染めてやる、とか脅迫状つきで!」
「私にも来てます。ラブレターも来るけど、無視すると脅迫文に変わるし、かといって相手する気になれませんし」
音羽と翔子が言い、鮎美が介式に問う。
「みんなにもSPつかはらへんの? 危ないやん」
「芹沢議員が脅迫状を、脅しにすぎないと考えたように、大半は脅しにすぎず、いちいち警察も取り合わない」
「ほな、うちにだけSPついてるのはなんで?」
「最初の事件が実行されたからだ」
「……あれは危なかったもんなぁ……」
鮎美は食べ終えて下腹部を撫でた。もう痛くも痒くもないけれど、激痛の記憶は残っている。
「アユちゃんは強いよね。私だったらガクガクブルブルで、もう家から出ないよ」
「キョウちゃんかてカミソリ届いたのに頑張ってるやん」
「あんな脅しに負けてたまるか、って思うから」
「ほな、うちも、いっしょよ。アホな男の脅しなんかに、負けてたまるかや!」
松尾が言ってくる。
「男全部が、そうだと思わないでくれよ。あれは一部だ」
「それはわかってますけど……けど、やっぱり男ってアホなことする人、多くないですか? 極端な話、幼女を連続誘拐して殺すのも男やし、サリン撒いた集団も主要メンバーは男ですやん」
鮎美の発言に音羽が同調する。
「たしかに、女が幼い男の子を誘拐して殺したとか、あんまり聴かないね」
「強姦もセクハラも、ほとんど男の仕業ですし。女性の逆セクハラって言っても、それって見せるだけですから」
翔子も追加したので太田が2杯目のカツ丼を食べながら怒鳴ってくる。
「カレーにヒ素を入れたババァは男か?!」
「「「………」」」
女性陣が黙り直樹が言う。
「なぞの白装束集団、正式名称は忘れたけど、あの集団のトップは女性じゃなかったかな。まあ、サリンは撒かず、電磁波も意味不明で、それほど害はなかったけど。あと、ボクにも女性からラブレターは来るよ。そして、ごく稀だけど、自分の髪の毛とか、血を送ってくる。あれは何がしたいんだろう、って首を傾げるよ。君たちは同じ女性として、どうだい? 理解できる? 男に髪や血を送って楽しいのかい?」
「うちは同性愛者やし」
「私にも理解できないよ。一部の男性がバカなように一部の女性もバカなんじゃない」
音羽が両手を挙げ、翔子が問う。
「雄琴先生、それが送ってきたとき、その女性は自殺をほのめかしたりしてませんでした?」
「あ、…ああ、そんな内容の手紙だったかも。交際してくれないなら、死ぬ、みたいな」
「女って自傷行為に走りますから。私も家が貧しいのが嫌で何度か手首に刃物をあてたことありますよ。結局、そんなことに負けるのが嫌で、切ったりしませんでしたけど、切っていたら、その血を銀行にでも送ってやったかも。切ってしまうか、思い止まるか、その差って紙一重だと思います」
「嵐川先生のは同情するけど、交際してくれなきゃ死ぬ、ってのは、じゃあ死ね、としか思えないよ」
「それは、たしかにそうですね」
何の結論もえることなく昼休みが終わり、議員たちはそれぞれの委員会に出席し、夕方になると東京駅の新幹線ホームや空港に向かう。鮎美は2時間ほど、畑母神の選挙事務所でミーティングをしてから新幹線に乗ったので遅い方だった。
「こんだけ忙しいと、いっそ新幹線に寝台車つくってほしいわ」
そう言って貴重な睡眠時間を得て井伊駅で降りる。数台の党の車が迎えに来てくれていて、うち一台は陽湖が運転してきたようで初心者マークがついている。
「陽湖ちゃん、免許取れたんや?」
「はい」
「せっかくやし、陽湖ちゃんの運転する車に乗ろうかな」
「反対する」
「私も反対です」
介式と鷹姫が異議を唱えた。陽湖も疲れた顔で頷く。
「行きだけ私の運転で、帰りは石永さんにお願いする予定なんです。はじめて隣りに教官無しで運転して、もう緊張しっぱなしでしたし、みなさんを乗せて運転するのは万一の時申し訳ないので」
「よっぽど緊張したんやね。この寒いのに、汗かいてるやん」
鮎美は陽湖へ近づいて襟元に触れた。制服のブラウスが汗で湿っているし、陽湖は肌が弱いので制汗スプレーを使わないため、汗の匂いが少しして鮎美は顔を近づける。
「…」
陽湖が身を引いて防御した。
「何する気だったんですか?」
「ちょっとしたスキンシップやよ」
「そういうところからセクハラが始まるんですよ」
「ごめん、ごめん」
鮎美は謝りつつ党の防弾車に乗った。運転手は熟練した男性で、鷹姫は助手席に座り、介式と知念に挟まれて鮎美は後席に座った。すでに島へ戻るには遅い時間なので六角駅前のビジネスホテルをSPの分も含めて予約しているけれど、鮎美は運転手に頼む。
「ホテルに行く前に、かねやさんの本店に寄ってもらえますか。友達のお見舞いに行きたいので」
「わかりました」
運転手が返事をして発車したけれど、鷹姫が振り返って問う。
「緑野の見舞いへ行かれるのですか?」
「うん」
「………。やめておかれた方が良いと思います」
「なんでよ?」
「緑野はインフルエンザだったのです。芹沢先生へ感染するおそれもあります」
「もう熱も引いてるらしいし、平気よ」
「だとしても、わざわざ芹沢先生が行かれなくても、すでに月谷が花を贈る注文をしたはずですし、十分かと思います」
「顔も見たいんよ」
「それは次の機会でよいのではないですか?」
「次っていうても明日も予定がいっぱいな上、日曜から東京で選挙応援やから明日の夜には東京へ行かなあかんし。その次の土日も、次の次の土日も選挙応援でつぶれるやん。今夜、カネちゃんに会わんかったら月末まで会へんやん。その月末かって、どんな予定が入るかわからんねんし」
「芹沢先生がお優しいのは立派なことですが、私が緑野の立場であれば、これほどに忙しい中、お見舞いに来ていただくなど申し訳なくて顔向けできません。まして、わずかとはいえ感染の可能性もあるのですよ。もしも芹沢先生が大切な時期に寝込むようなことがあれば、緑野も責任を感じてしまいます。何より、動き出した大事業の黎明期ではないですか、どうか、ご自重ください」
「………。鷹姫とカネちゃんは違うやん」
鮎美は苛立って前髪を払った。
「カネちゃんは、そういうことで責任を感じるタイプちゃうし。むしろ、笑う方やし」
「あれは愚か者なのです」
「っ…なんで鷹姫は、いっつもカネちゃんの悪口言うん?!」
「………」
鷹姫は怒鳴られて黙った。運転手と介式、知念は無関係とばかりに黙っているので沈黙が重い。
「とにかくお見舞いに行くし」
「…………。どうか、お考え直しください」
「うちが行くいうたら、行くんよ。もうカネちゃんにも行くてメールしてあるし」
「たかが秘書補佐の見舞いなど不要です」
「っ、なんそれ?! 自分の方が秘書やし上とか思ってるん?!」
「そういうことでは…」
「ほな、いっそカネちゃんを首席秘書にするで?!」
「…………。どうして、急に人が変わったように……。芹沢先生は世界を救う方です。救世主となられるお方です」
「勝手な偶像を押しつけんといてよ! うちは、ただの人間やし!!」
「……………」
「…………」
沈黙が続き、運転手が耐えかねて問う。
「ラジオニュースをかけてもよいですか?」
「……どうぞ」
誰に向けられた問いだったのか、不明確だったけれど、この場の上位者として鮎美が返答した。沈黙が重い車内にニュースが流れる。
「ロシアのセルジュコフ国防相が択捉島と国後島を訪問し、各施設を視察したことを受けて、日本政府は遺憾の意を表すとともに領土問題の平和的解決を…」
「ちっ!」
鮎美が大きく舌打ちして言う。
「何が遺憾の意やねん。鳩山直人そのものが遺憾の塊やんけ! 遺憾総理が!」
「「「「………」」」」
「うちが総理大臣やったら、四島に攻め込んで取り返したるわ! 千島列島全部な!」
「……それではロシアと戦争になります」
鷹姫が指摘したけれど、知念と運転手は言わなければいいのに、という顔をしたものの黙って、とばっちりを避ける。男として険悪な雰囲気の女子に何か言うのは本能的に避けたし、介式も仲裁する気は無かった。
「今もロシアとは戦争中やん! サンフランシスコ講和条約にあいつら入ってへんし!」
「実質的には戦争が終結していることは誰の目にも明らかです。ここで攻め込んでは我々に大義名分がありません」
「日ソ不可侵条約を無視したんは、あいつらやん!」
「だとしても、我らの同盟国であったドイツが独ソ不可侵条約を無視していますし、何より現在の彼我戦力差は核の保有を考えれば明らかです」
「くっ…」
単に鮎美は思いつき言い出したことが引っ込みがつかなくなって勢いで言っているだけなのに、鷹姫から正論を言われて悔しかった。その気配を隣にいる知念は感じたので、もう黙っていられず平和的解決を模索する。
「お、お二人とも、よく勉強してるっすね! 高校生なのに、ホントすごいっすよ!」
「SPは黙っとれ!」
「はい、すいません」
「核ならアメリカにあるやん! 今は同盟国やし! 思いやり予算で飴ねぶらせてるだけやのうて、たまにはあてにしたらええねん! 一気に千島列島を攻め取って制空権、制海権を守っておったら在日米軍も無視できん! 朝鮮戦争で韓国が米軍あてにしたみたいに後ろ盾に使たらええねん! どうせ核なんて簡単に使えん! アメリカもベトナムで使わんかったし! ソ連もアフガンで使わんかった! きっとロシアも千島列島では使わんはずや!」
「そんな希望的観測で戦端を開くおつもりですかっ! まして朝鮮戦争では半島全体が焦土と化したのですよ!」
「反ロシアの国々は多い! ウクライナもフィンランドもそや! ロシア軍かて極東に全戦力を向けられんのは日露戦争のころといっしょや! 地続きの朝鮮半島と日本列島はちゃう! ロシア軍に日本海を渡って上陸作戦やるノウハウと根性は無い! しかも在日米軍おってのことや! 大戦終了の火事場泥棒やっても千島列島しか盗れんと北海道に至れんかった連中にできることは少ない!」
「なればこそ核使用の可能性があがります!」
「制空権とってたら空爆はできん!」
「弾道弾による攻撃があります!」
「イージスでの防衛網がある!」
「あてになりません!」
「……くっ……あんたは、うちの秘書やろ! うちの理屈を補完するのが仕事であって反論するのは仕事やない!」
「……。そんな論法は卑怯です…」
「っ…うちを卑怯やて言うんなら、もう辞めてや! もうカネちゃんに秘書になってもらうし! あんたは秘書補佐か……もうクビや! もう、うちのそばにおらんでええわ!」
「っ………本気でおっしゃっているのですか?」
「ああ、本気や! うちの目の前から消えて! あんた見てると……見てると……うっといねん! クビや!」
本当は、いつも抱きしめたくて、その衝動を抑えるのに苦労するので、いっそ存在しない方が楽かもしれない、と勢いに任せて鮎美が言った。
「……………」
「……………」
再び重苦しい沈黙が車内を支配する。数分間の沈黙があって車内に泣き出した鷹姫の嗚咽が響くので、鮎美は居心地の悪さが数倍になった。
「…ぅっ………ぅぅっ……」
鷹姫は泣き声をあげないように両手で口を押さえているけれど、それが余計に痛々しくて、知念も運転手も可哀想になった。秘書と議員の雇用契約は法律上とても曖昧で脆い。一度の口論や議員の気まぐれで解雇された事例は少なくない。
「……ぅぅっ……ひっく……」
気の強い鷹姫が泣き声をあげないように泣いている姿は見ていて男として慰めたくなるけれど、今は鮎美が怖いので何も言えない。介式が背後から助手席にいる鷹姫の肩を撫でてて言う。
「宮本くん、こんな横暴な議員に使われているより、もっと良い仕事はいくらでもある。警察学校だって入れば給料をもらえる。君が泣くことはない」
「……ぐすっ……ありがとうございます。介式師範」
鷹姫は泣くのをやめた。すると、逆に鮎美が焦れてくる。
「……………さっきのは本気やないし…」
「「「「…………」」」」
「つい、勢いで言うたんよ。ごめんな、鷹姫」
「………はい…」
「宮本くん、いっそ君から辞めてしまえ」
「…介式師範………」
「辞めた方がいい。君が深く傷つく前に」
「……………」
「鷹姫、ごめん! ホンマごめん!」
鮎美が身を乗り出して助手席にいる鷹姫の肩をつかんだ。
「うちが悪かった! うちが間違ってたよ! ごめん! 鷹姫の存在は、うちにとって何より大切なんよ! だから辞めんといて! うちはアホやから勢いで、いらんこと言うてしまうけど! そやから、鷹姫がいてくれんと困るのよ! 鷹姫がしっかり反論してくれるから、うちは間違えずに済むの! もう二度とクビなんて言わんから! うちの任期中、鷹姫のクビを斬ることは絶対にない! そやから、うちが間違ってるときは遠慮のう反論して! そういう鷹姫が必要なん! お願いよ!」
「……芹沢先生……はい、これからも、私はあなたにお仕えします」
「おおきに、ありがとう!」
「よかったすね! 仲直りして! ね、介式警部!」
「………。知念、お前は喋りすぎだ。SPは、なるべく静かにしていろ」
「はい、すいません」
やっと車内の空気が少し改善し、運転手は分岐点にさしかかったので問う。
「かねやさんへ向かいますか? 駅前ホテルへ向かいますか?」
「……ホテルに行ってください」
鮎美が言い、鷹姫が喜ぶ。
「自重してくださるのですね。ありがとうございます」
「………。カネちゃんには……お見舞いしたいし……けど、……私的なお見舞いに党の車を使うわけにいかへんし……運転手さんも、みんなも疲れてはるやろ……うち、タクシーで行くわ。一人で」
「芹沢先生……」
鷹姫は遺憾の意を表情に浮かべた。鮎美は肩身が狭そうにスマートフォンで地元タクシー会社に電話をかけ、駅前のビジネスホテルに10分後に来るよう頼んだ。また重い沈黙が10分間続き、車列はビジネスホテルに到着した。静江や党の職員は帰宅する予定で、もう島には帰れない鮎美と鷹姫、陽湖、そしてSPたちが宿泊するはずだったけれど、鮎美は呼んでおいたタクシーに向かう。
「もう地元やし…、安全やし…、うち一人で行かせてもらうわ」
「危険です!」
鷹姫が回り込んで道を塞ぎ、介式と知念は警護を続けるのが当然という顔で鮎美についてくる。
「介式はんらも疲れてるやろ」
鮎美は介式の背中を撫でようとして、セクハラと言われないよう思い止まり、知念の背中を撫でる。
「知念はんも、お疲れさんです」
「い、いえ。任務っすから!」
知念が少し赤面した。知念はスポーツ刈りの童顔なので30代なのに、鮎美たちと歳の差が少ないように見える。鮎美は笑顔をつくって言う。
「ほな、うち一人で大丈夫やし。ちょっとカネちゃんち行くだけやし一人にして」
「現在24時間体制で警護している。例外はない」
「………」
鮎美が左手で自分の前髪をクシャリと握った。強い苛立ちを抑えている表情なのが一目瞭然だった。不穏な様子を見て、静江と陽湖も近づいてくる。
「どうかしましたか?」
「シスター鮎美、何かありましたか?」
「別に、なんもあらへんよ」
鮎美は説明しないけれど、鷹姫が説明する。
「芹沢先生が緑野へお見舞いに行かれるというのですが、私は反対しています。大事の前の小事ですし、すでに見舞いにも非常識な時間です。何より警護をつけないなど、ありえません」
もう午後11時を過ぎている。鷹姫の言い分は正しかったけれど、鮎美はタクシーに乗ろうとする。
「おやめください!」
鷹姫が鮎美の手首を握った。
「……離してよ」
「いいえ、離しません!」
「………。………くっ! うちにはプライベートは無いん?! ちょっと、友達に会いに行くだけやん!!」
「何も今でなくてもよいではないですか!」
「今やなかったら、いつなんよ?!」
「さきほど私に反論すべきは反論せよと言われました! 今がそのときです!」
「っ……。……行かせて…」
「ダメです」
「………行かせてよ! お願いやし!」
叫んだ鮎美が涙ぐむので鷹姫が驚く。
「……泣くほど……それほど……行きたいことなのですか……」
「ぐすっ……」
鮎美と鷹姫が感情的になってしまったので静江が間に入る。
「まあまあ、二人とも冷静になってください」
「「………」」
鮎美は深呼吸してタメ息をついたし、鷹姫も強く握っていた鮎美の手を離した。
「ご無礼、ご容赦ください」
「……うちこそ、また怒鳴ってごめん」
「それでケンカの原因は何ですか?」
「別にケンカなんかしてへんし。うちはカネちゃんのお見舞いに行くだけやし」
「緑野さんのお見舞いに、それほど執着されて………、そんなに行きたいことですか?」
「……」
静江の穏やかな問いに、鮎美が黙って頷いた。
「では行ってください。けれど、せめてSPはつけてください。彼らは党から要請して警護についてもらっている国の人員です」
「…………」
「石永さん、ですが必要性とリスクを考えれば…」
鷹姫の発言を静江は途中で遮った。
「議員だって人間なんです。私たち秘書は大なり小なり、気を抜く時間があっても、今みたいに注目されているときの議員は気の休まるヒマもない。私のお兄ちゃんだって似たような時期があって見ていて心配でしたから。どうしても会いに行きたいなら、行ってください」
「………静江はん、……おおきに…」
「ですけど」
静江は鮎美にしか聞こえない小声で言う。
「明日朝9時からの近畿剣道連盟少年大会には遅刻したり、寝不足ということがないようにしてください。芹沢先生が経験者で大阪代表であったことと、秘書の宮本さんが全国優勝者であることで、連盟の方も来賓として他のスポーツ大会とは比較にならない期待をしています。まして、うなじにキスマークがあるなんてこと、やめてください」
「……はい…」
鮎美は素直に頷いてタクシーに乗った。介式と知念も乗ってくる。
「私も行きます」
「鷹姫は、こんといてよ」
「心配なのです。同伴をお許しください」
「………。鷹姫は明日、剣道指南と演武もするやろ。子供らにちゃんとサービスできるよう、よう休んでおき」
「ですが…」
「介式はんがいてくれはるのに、万一のことがあると思うの?」
「……。わかりました。介式師範、どうか、芹沢先生をお願いします」
「ああ、心配するな」
タクシーが走り出すと、知念が問う。
「芹沢議員と緑野さんって、どういう関係なんすか?」
「………ノーコメント」
「知念」
「すいません」
すぐにタクシーは鐘留の家に到着した。夜中だったけれど訪問することは伝えてあったので鐘留の母親が出迎えてくれる。
「わざわざ来てくれてありがとう」
「いえ、こんな時間になって、すみません」
「あの子は、部屋にいるの。あがってください」
「お邪魔します」
「お邪魔する」
「お邪魔するっす」
鮎美と介式、知念が鐘留の部屋を訪ねる。かなり広い部屋なので三人が入っても余裕がある。
「カネちゃん、調子はどう? ……あ、……まだ…寝込んでるんや…」
「…ハァ……ハァ……アユミン? ……ハァ…」
鐘留はベッドの上で布団をかぶり顔だけ出している。熱のせいなのか、つらそうな呼吸をしていた。鮎美が心配して近寄るのを介式と知念は止めない。暴漢やテロから鮎美を守るのが任務であり、風邪のウイルスから守るのは、任務に含まれていなかった。
「カネちゃん……熱さがったってメールくれたのに……また悪化したん?」
「うん…ハァ……今朝、また……急に……それで病院に行ったら…ハァ……肺炎性…なんとか…かんとか…症候群とか、言われて……ハァ…」
弱々しく鐘留は布団から手を出して鮎美へ向けるので思わず手を握った。
「熱っ…めちゃ熱あるやん」
鮎美は握った鐘留の手が熱すぎて驚く。
「…ハァ…アユミンと過ごした一年…ハァ…楽しかったよ…ハァ…」
「ちょっ…何を死ぬみたいなこと言うてるのん?」
「ごめんね…ハァ…アタシの分まで…ハァ…頑張って…ハァ…アユミンは…ハァ…生きて…ハァ…」
「うっ…嘘やろ? カネちゃん………そ、そや、桧田川先生に……あかん、あの人は内科やのうて外科や……」
「最後に…ハァ…アユミンに…ハァ…会えて…ハァ…よかった…ハァ…」
それだけ言った鐘留は目を閉じ、呼吸を止めた。握っていた手からも力が抜ける。
「ちょっ?! カネちゃん?! カネちゃん! しっかりしてよ! カネちゃん!」
「医者を呼んでくるっす! いや、救急車を! まず、親御さんに報告を!」
知念も慌てているけれど、介式は冷静に近づくと、鐘留の首筋に触れた。
「脈はある。生きている。気絶しただけか、もしくは…」
「………ハァ! ハァ! ハァ! ハァ…」
長く息を止めていた鐘留は限界が来て呼吸している。
「……カネちゃん?」
「きゃはっは、アタシが死んだと思った?」
元気で張りのある声だった。布団の中で手を温めていたカイロを見せてくる。
「…うちを騙したん?」
鮎美が悔しそうに涙の滲んだ目尻を手の甲で拭きつつ問い、だんだん怒れてくる。
「本気で心配したんよ、ひどいやん」
「ごめん、ごめん。でも、アタシだってアユミンが刺されたとき、かなり心配したんだしさ、30秒くらいいいじゃん」
「う~…」
「それに、さっき部屋に入ってきたとき、アタシが寝込んでるの見て、露骨に残念そうだったよね。せっかく忙しい中、エッチなことしようと来たのに、まだ体調が悪いんだ、って感じに」
「ぅ、うちはお見舞いに…」
「ウソウソ、アユミンの行動パターン、男子だと思えば、けっこう読めるよ。一回ヤらせてくれたし、もう一回ってことでしょ?」
「………」
「どうなの? したいの? したくないの?」
「………」
「黙ってるなら、させてあげないよ」
「…したい」
「ふーん♪ そこの体温計を取って。たぶん治ってるけど確認するから」
「これ?」
鮎美はベッドサイドのテーブルにあった体温計を鐘留へ渡した。鐘留はパジャマの胸元をはだけると体温計を腋に挟み込む。電子体温計は、すぐに鐘留の体温を計測した。
「36.1、うん、平熱。いいよ、エッチしても」
鐘留が了承した途端、もう待ちかねたように鮎美がベッドへあがり、はだけていた鐘留の胸元に吸いついた。
「ちょっ、そんなガツかないでよ。せめてシャワー浴びてからにして。あと、君! そこの君! こっち見ないで背中向けて!」
根本的には異性愛者である鐘留は男性である知念に注意した。
「すいません!」
すぐに知念は背中を向けてくれる。その間も鮎美は鐘留の肌を舐めていた。
「くすぐったい。きゃはは、だから、せめてシャワーしてからにしようよ。アタシ何日もお風呂入ってないから」
「ハァ…ハァ…カネちゃんの匂い、好きよ」
「とか言いつつ、腋を舐めるとか、マジで腋フェチだね。あと5分だけだよ。アタシ、自分で自分の匂い、嫌だし」
いつも鐘留は女子らしく清潔にして匂いも気づかっているので、はっきりと鐘留の匂いを感じたのは初めてだった。寝込んでいた鐘留の身体からはランとユリの花弁のような香りがして、鮎美は夢中で舌を這わせた。
「きゃはは、く、くすぐったい、きゃははは! 腋ばっかやめてよ、きゃはっは! あん、パンツの中に手を入れるのは、さすがにお風呂の後にしてよ。ヤダ、ヤダ、ヤダって。もお、強引! アユミン、やめて!! その手、外から入ってきて洗ったわけじゃないよね?! お風呂に入らせて! それからアユミンもキレイにして!! でないと、もう拒否るから。お巡りさん、ヘンタイがいます、助けてください。アタシ襲われてます」
「「………」」
介式と知念は黙ったまま動かないけれど、冗談めかしていても本気で嫌がられつつあるので鮎美もやめた。鐘留はパジャマの胸元をなおしてベッドから立ち上がった。
「アタシ、お風呂に入ってくる!」
「いっしょに入ろぉ」
「ヤダ! 待ってて!」
「……ごめんなぁ…」
鮎美は仕方なく待つ。ただ待っていると、興奮は残っているのに疲労感で眠くなってしまい、眠ってしまうと朝まで起きられない気がするので、ベッドから立ち上がった。介式とは目を合わさないように、待ち遠しい30分を耐え、日付を超えた。
翌2月5日土曜、午前2時過ぎ、鮎美が深く眠ってしまったので鐘留は抱きつかれていた腕をどけてベッドから立ち上がった。
「やりたいことやったら寝ちゃうとか、まさに勝手な男といっしょだね、アユミン」
「「………」」
介式と知念はコメントせず、鐘留は唾液の匂いがする自分の身体を気持ち悪そうに触った。
「あ~キモかった。気持ち悪っ。指とか舌を使ってくれるのは気持ちいいんだけど、やっぱ根本的に無理あるよね、同性愛」
「「………」」
「アタシは、やっぱり男がいいよ。アユミンに、おチンチンがあったら、よかったのに。えっと、君、男だよね。名前は?」
ずっと背中を向けていた知念が問われ、まだ鐘留も鮎美も裸のはずなので背中を向けたまま答える。
「知念っす」
「チンネ?」
「チネン!」
「きゃはっはは!」
「………」
「アタシ、もう一回、お風呂に入るよ。チンネも来る?」
「い、いえ! 任務中っすから!」
「クスクス、ずっと真面目に背中を向けてたけどさ、チンチンガチガチにしてたでしょ。アタシとアユミンがからんでる間さ」
「っ…そ、そんなことは…」
「部下へのセクハラはやめろ」
「はいはい」
鐘留は裸のまま部屋を出て行く。
「「……………」」
介式と知念は午前1時で交代する予定だったけれど、女性SPは介式しかおらず、状況的に危険度は少ないので、このまま交代せずに連続勤務するとビジネスホテルで休んでいるチームに伝えている。しばらくして鐘留がバスルームから裸で揚がってきた。ポタポタと水滴が床に滴っている。外は真冬で零度以下だったけれど、鐘留の家は全館暖房されていて、設定温度は高かった。
「アタシ、裸だから、引き続き、こっち見ないでね」
「は、はい!」
「服を着ろ」
「アタシの部屋だしぃ」
鐘留は椅子に座ると机に向かい、パソコンを開いた。昼間十分に眠ったので、まったく眠くない。
「ずっと寝込んでたから、いくつか依頼が入ってる」
殺さない正しい子供の捨て方と親の捨て方、という個人サイトを副業で運営し始めている鐘留は代金の振込が確認できた案件から、手を着けていく。かなりの速さでキーボードを叩き、3件の仕事を終えると、両肩をグルグルと回した。
「はぁぁ……お仕事、終了」
午前4時なっているけれど、まだ外は暗い。鐘留は裸で眠っている鮎美に布団をかけてやり、自分はTバックのショーツを穿いた。
「ずっと背中を向けてるのも可哀想だし、アタシも服を着たから、こっち向いていいよ、チンネ」
「知念っす。うおっ…」
振り返った知念は鐘留の乳首を見て驚く。
「ふ、服、着てないじゃないっすか!」
「きゃはは、パンツは穿いたよ。そのうち見慣れるって。慣れといえば同性愛も3度目になればキモさも減るかなぁ。キスしたそうな顔されたけど、やっぱ無理だったし」
「「…………」」
「チンネは、どう? 男とキスできる?」
「無理っす」
「だよね」
「「………………」」
「君たちヒマそうだね。ずっとアユミンを見守ってるんだから、仕方ないかな。そうだ、アタシがやりだした副業の話、お巡りさんにしてあげるよ。保護責任者遺棄等の罪って知ってる? チンネ」
「当然知ってるっすよ! あと、知念っす!」
「じゃあ、条文を暗唱して」
「うっ、たしか…老人、子供、病人を保護する者が、これらを遺棄したとき……五年以下の懲役…」
曖昧なのが警察の恥なので介式が、はっきりと言う。
「第218条、老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する」
「さすが、狼警部。でも、世の中、子供を捨てたい、親を捨てたい、って人、多いよね?」
「「………」」
「ボケ老人になった親もいらないし、障害のある赤ちゃんとかさ、いらないゴミは、ちゃんと分別して正しい捨て方をしたいよね?」
「ひどい言い方っすね。緑野さん、どういう人格してんすか?」
「ひどい人格だよ」
「………す…」
「どんなゴミでも間違った捨て方は罰されるよね。不法投棄は罪。冷蔵庫でも生ゴミでも、ちゃんと正しい出し方がある。それは市役所が教えてくれる。なのに、ゴミのような人の正しい出し方は秘密にされてる。そこにアタシは目をつけて、代金を取って教えてあげてるの。刑法218条に触れない、人の捨て方」
「んなものあるっすか?」
「一番、みんなが知ってる捨て場、ほら、熊本県にあるじゃん、赤ちゃんダストポスト」
「赤ちゃんポストっすよ」
「コウノトリのゆりかごだ」
「あれ便利だよね。赤ちゃんに障害があって捨てたいとき、超便利」
「「………」」
「けど、全国にない。あんな不便な田舎、捨てに行くだけで、ここからだと往復かなり大変」
「「………」」
「あと、あれの年寄りバージョン無いよね。爺ちゃんポストとか、ババァのゆりかごが無い」
「そんなのあったら、すぐいっぱいっすよ。でなくても、老人施設は順番待ちなんすから」
「みんな捨てたいんだね。けど、捨て方を間違うと逮捕。どこに、どう捨てると逮捕されないのか、そういうノウハウって売れそうでしょ?」
「……たしかに……」
「今夜は特別にタダで教えてあげよう。君たちお巡りさんの忌憚ない意見も聴きたいしね」
「「………」」
「でも、蓋を開ければ簡単だよ。捨てたいお爺ちゃんといっしょに市役所なんかに行くの。で、介護課とか福祉課のカウンターで職員に相談するの」
「……それじゃあ、結局、施設の順番待ちになるんじゃないっすか?」
「ううん、ならない。その場にポイするから」
「…その場に…」
「いろいろ相談して、どうして面倒を見られないのか、このあたりの訴え方にもコツはあるけど、だいたい相談が終わったら、あとは私ちょっとトイレに行きます、って言って離れる。お爺ちゃんは置いてね」
「「………」」
「で、自分はオシッコした後、カウンターには戻らない。そのまま市役所の外に出て、はい、さようなら。ちょっと親切心があるなら市役所に電話して、もう介護無理です、私は旅に出ます、と言ってあげればいいよ。あとは市役所がなんとかするから。ほら、これなら刑法218条に触れない。捨てられた人が保護される高い蓋然性を期待して行動しているから、大丈夫」
「「…………」」
「ダメな捨て方としては遠くの高速道路サービスエリアに捨てるとか、山に捨てるとか、そういうの。危険があるからね。事故に遭うかもしれないし、凍え死ぬかもしれない。アタシが教える捨て方は、あくまで次の保護者を見つけるやり方だよ。それを、それぞれの依頼者の情報を判断して、教えてあげて、お金をもらうの。どう?」
「……どうもこうも……」
げんなりとした知念に替わり、介式が狼のように鋭く鐘留を睨む。
「たしかに実行者が刑法218条に触れる可能性は低いだろう。だが、お前は行政書士法違反もしくは弁護士法違反に問われる」
「その程度のこと、アタシが考えなかったと思う? 行政書士は官公庁への書類作成の助言や代理、法律相談が業務だよね。弁護士は法律相談と法廷代理人になることとか、けど、アタシがしてるのは、あくまで人生相談、その範疇で終わるように気をつけてる。それに、そのうち行政書士なら取得してもいいし。けど、テストは難しくないんだけど、登録すると会費を取られるのが、うざいよね。あと、この捨て方、そのうち広まって価値が無くなりそうだし、やっぱり片手間の副業かな」
「………勝手にするがいい」
「きゃはっはは!」
「介式警部! オレは、こいつに一言いいたいっす! 警護対象の友人を罵倒するのはSP失格でも!」
「言いたければ言え」
「言ってみなよ、チンネ君」
「お前は絶対ロクな死に方をしないっ!!」
「きゃは♪ それ、よく言われる。で、いつも言い返すんだけどさ、あまりに失礼じゃない?」
「お前にはちょうどいいくらいだ!」
「ちゃうちゃう。今現在までのロクな死に方をしなかった人たちに失礼すぎるよ、ってこと。ほら、たとえば広島長崎で被爆して焼かれて藻掻き苦しんで死んだ人たちは、ロクな死に方をしないような人生を送ったからなの? シベリアに抑留されて餓死した人は? 北朝鮮に拉致られて拷問とかで死んだ人は? 富山県で痛い痛いって泣きながら死んだイタイイタイ病の人は? 熊本県で水銀入りのお魚定食で水俣病になった人は? 沖縄で米兵に強姦殺人された女の子は? 米兵だって中東で地雷ふんで、おチンチン吹っ飛んで大量出血で死んだら? まあ、その米兵が強姦殺人したのに日米地位協定のおかげで無罪になってたなら、地雷グッジョブ♪ 神さま、いい仕事してるね、ってなるけど、どうよ、お巡りさん? 今までひどい殺され方した被害者は? ひどい轢かれ方だった交通事故で死んだ人は? ロクな死に方しないようなヤツらだ、って、お巡りさんは思ってるの? だから、アタシに言ったの?」
「「…………」」
「あ、こいつには何を言っても無駄だって、思った? きゃはは!」
「…ん~……うるさい……静かにしてよぉ……ん~……」
寝惚けた鮎美が、つらそうに呻ったので鐘留は静かに美容と健康のためにストレッチを始めた。なるべく知念の視界に入る位置でストレッチを続けて遊び、朝食前になって鮎美を起こす。
「かわいそうだけど、起きて。アユミン、お仕事の時間だよ」
「う~……う~……チューしてくれたら起きるぅ」
「そのまま永眠してる?」
「……。……チューしたい」
「脳が幼児化してるね。アタシの足にならチューしていいよ、ほら」
ふざけて鐘留は足を前へ出したのに、鮎美はキスをしてから舐めてきた。
「きゃは、くすぐったい」
鐘留は毎日のようにテレビへ出ている鮎美が今は足元にいて言いなりになることに背筋がゾクゾクするような快感を覚えた。元モデルとして少しは芸能界にいたので、口に出さないものの衆目を浴びている鮎美へ対抗心もあった。
「コラコラ、誰が、そこまで舐めていいって言ったの?」
「…ハァ…」
鮎美は足から股間まで舐めあげて鐘留の下腹部にあるタトゥーにキスをしている。金色の鐘を描いたタトゥーが鮎美の唾液で湿った。
「あんっ、またクリまで吸う……ぅっ…ぅぅ…ハァ…キモちいい…」
「ハァ…ハァ…」
鮎美は鐘留をベッドに押し倒して身体を合わせた。
「もう時間だよ」
「ずっとカネちゃんといたい」
「このエロ魔神め」
「カネちゃんも東京に、いっしょに来てよ」
「う~ん……それ、エロ要員として?」
「……。秘書補佐から秘書に昇格で。時給から月給制で」
「どうしようかなぁ……アタシの経歴、すでにゲスい週刊紙が調べてるし。チンネ、そこの本棚から、噂の真実、っていう週刊紙を取って」
知念は背中を向けたまま、本棚から週刊紙を取って、鐘留に差し出した。受け取った鐘留は可愛らしく礼を言う。
「ありがとう」
「……いえ…」
「ほら、これ見てよ、アユミン。芹沢鮎美嬢王が囲う6人の恋人候補か?! 美人秘書軍団とレズ都議ってタイトルの記事でさ、アタシが元モデルだったこととか、宮ちゃんの剣道経歴とかアユミンとの中学での対戦とか、月ちゃんの宗教が同性愛厳禁なこととか、シズちゃんが未婚でお兄ちゃんがホモなこととか、シオちゃんがドイツで女性とも付き合ってたこととか、朝ヤル先生が彼女とうまくいってないこととかアユミンのコスプレで秋葉にいたこととか、いろいろ書いてあるよ。で、誰がアユミンの恋人なのか、探ってる。すごいよね、この週刊紙、訴えられるかもしれないのにさ、根性あるよ」
「……………。これ、借りていっていい? 買うのシャクやし」
「どうぞ」
「朝ご飯、せっかくやけど、時間無いし、もう行くわ」
鮎美は興奮が冷めた顔で制服を着ると、部屋を出て鐘留の母親に謝る。
「昨夜は急に泊まって、すみません。せっかく朝食まで用意していただきましたけれど、もう時間がないので失礼します」
「どうぞ、また来てください」
「じゃあね、アユミン」
玄関で鐘留と別れて扉を閉めた。扉を閉めてから歩きだそうとして背後から鐘留の怒鳴り声が響いてきた。
「アタシが誰と何しようが自由でしょ?!」
「あなただけは、まともに育ってほしいの! お願いよ!」
「じゃあ、アタシも殺せよ、殺害ババァ!」
「「「……」」」
親子ゲンカしているようで声が外まで響いていることに気づいていない。鮎美は歩き出した。介式と知念も黙ってついていく。道路に出ると、党の車とSP6名が待っていて、介式と知念は長い勤務を終えて交代した。鮎美は男性SPと車に乗り、三上市にある県立体育館に向かった。途中のコンビニで牛乳とパンを買って車内で食べながら、週刊紙を読んだ。
「はぁぁ…………うちは、ともかく、陽湖ちゃんなんかが可哀想やん。さすがに顔写真は目元を隠して、美少女Yやけど、カネちゃんは元モデルやから、容赦なく顔出しして芸名やったKANENEで載せてるし……」
鮎美は5分ほど悩んだけれど、県立体育館が近づいたので両手で頬を叩いて気分を入れ替えた。体育館前に車が到着すると、剣道連盟の役員たちがスーツ姿で、鷹姫が剣道着姿で出迎えてくれた。
「「「「「おはようございます。お越しいただき、ありがとうございます」」」」」
「こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます。少し遅くなって、すみません」
遅刻したのは2分ほどだったので問題なく予定は進み、鮎美は来賓席に座り、鷹姫も今日は来賓の一人として剣道着姿で着座している。大会が始まると、鮎美からの挨拶もあり、もう原稿も無しで、ごく無難な挨拶をして拍手をもらい、次に鷹姫が見事な演武を披露し、それからトーナメント形式で小学中学の子供たちが試合を行い、鮎美は入賞者へトロフィーを渡す役割を果たした。さらに、鷹姫が子供たちへの剣道指南を行う。ずっと試合中にそれぞれの子供たちの悪癖や弱点を観察していた鷹姫は良い助言をして名声を高めた。大会が終わると、鮎美も鷹姫もすがすがしい気分で連盟役員たちと握手を交わした。たいていの政治家来賓は挨拶や表彰を終えれば試合の一部だけ観戦して引き上げるし、今まで鮎美も他のスポーツ大会では例にならって一部しか列席してこなかったけれど、今回は朝から終わりまでいたので役員たちや保護者、子供たちの好感度も高い。
「ほな、これで失礼いたします」
「ありがとうございました。芹沢先生のご活躍、期待しています。宮本さんも頑張ってください」
「はい、ありがとうございます。精進いたします」
制服に着替えた鷹姫も笑顔で応え、党の車に乗った。発車して役員や子供たちが見えなくなるまで手を振り、見えなくなると鮎美が真顔になって問う。
「鷹姫、次の予定は、あの事件のご両親との面談やったよね?」
「はい」
すがすがしい気分だった二人は重い心持ちに変わり、六角市の支部に戻った。二人がSPたちと支部に入ると、すでに大津田の両親が待っていた。母親は青白いやつれた顔をしていて50代なのに70歳くらいの老婆のような女性で、父親も60代だったけれど年齢以上に老けて見えた。息子が鮎美を刺傷したことを謝罪に来たのだった。もともと、すぐにも鮎美の両親へは詫びに来ているけれど、鮎美本人への謝罪は傷の回復を待ってからと言っておいたので今日になったのだった。しかも、それほど時間があるわけではなく新幹線で東京へ行くことを考えると、両親との面談は30分以下になると伝えてある。
「この度は息子が、とんでもないことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
「申し訳ありません! ごめんなさい!」
大津田の両親は鮎美の顔を見ると、すぐに頭をさげ、母親が土下座し、父親も続いて土下座してくる。
「…………」
鮎美は困った顔で両親を見下ろし、それから答えを求めるように支部内にいる仲間を見た。石永と静江、陽湖、鮎美の両親である玄次郎と美恋、党の職員たち、誰もが判断するのは鮎美だという顔をしていて、どこにも答えはない。鷹姫も同じだった。そして明らかにトラブルを起こす可能性が高い鐘留へは謝罪訪問のスケジュール自体を静江の判断で伝えていない。鮎美は判断に迷い、困る。
「………」
まだ両親は土下座を続けている。母親の方は嗚咽していて小さい背中が震えていた。
「……………」
加害者の両親って、どんな気持ちなんやろ……自分が直接に悪いことしたわけやないのに、世間からも責められて……こんな風に土下座に来るって……うちが悪いことしたら、うちの父さん母さんが謝るんかな……うちが鷹姫を襲ってたら、鷹姫の家に、うちの父さん母さんが、こんな可哀想な姿で謝りに行くんかも……罪は、本人だけでええのに……、と鮎美は悲しく考え、これ以上の土下座をやめさせる。
「顔をあげてください。陽湖ちゃん、二人に椅子を」
「はい」
陽湖が用意した椅子に両親は頭をさげながら座った。鮎美も向かい合って座り、自然と鷹姫も隣りに座した。SPたちは、いつでも鮎美を守れるように間近の背後に立っている。まだ、母親は嗚咽していて、鮎美も胸が痛かった。あまり長く面談していたくないので、鮎美から切り出す。
「まず、すでに記者会見でも言うてましたように、私個人の大津田くん本人への懲罰感情は強いわけではありません。それは、この通り、傷が完治したこともありますし。けど、あのとき、この鷹姫が守ってくれんかったら、うちは殺されてたと思うし、一時は死ぬんやないかと思うほど痛くもありました」
言っているうちに、鮎美は鷹姫の手を握っていた。鷹姫も握りかえしてくれる。
「私どもの息子が……、本当に申し訳ありません」
「ぅ、ぅぅ、申し訳ありません…ぅぅ…」
「………。一部の報道で、大津田くんが発達障碍やったと言われてますけど、それは本当ですか?」
鮎美の問いに、母親が答えようとして泣き崩れたので、父親が答える。
「事実です」
「そうですか………その発達障碍と、今回の事件との因果関係は?」
「申し訳ありません。わかりかねます。正直、私たちも知りたいくらいです。ただ、息子の知能が低いことは確かです。それが善悪の判断にも、大きく関わってるとは感じます」
「ううっ…うううっ…」
泣き続ける母親の背中を父親が撫でながら語る。
「すべて私たちの責任です。末っ子で障碍があり、甘やかしすぎた」
「………」
「責めるなら、どうか父親である私を責めてください」
「……………責めたところで……どうにも……。………うちが同性愛者なのを知ってはりますか?」
「…はい。……報道で…」
「うちが同性愛者になったんは、両親のせいやと思います?」
「……。いえ」
「ほな、発達障碍も、お二人のせいやないでしょう」
「「………」」
「お二人の謝罪の気持ちは、よく伝わってきました。大津田くん本人については家裁の判断に任せます。うちへの慰謝料と治療費については弁護士をたてますんで、その弁護士と話し合ってください。傷も治ったし、多くを請求するつもりはありませんけど、治療費は高くつきました。……鷹姫、桧田川先生から、いくら請求されてた?」
「441万1980円です」
「だそうです。大丈夫ですか?」
問いながら鮎美は、この父親が関西便利電力の株主であり、電気技術者でもあることを思い出した。上の息子たちも頭が良く、同じく電気技術者を勤めているらしい。末っ子が障碍をもって生まれるということさえなければ、どれほど幸せな一家だったろうかと想う。まだ嗚咽している母親も、やつれ老いることなく子育ての終わりが近づいたことで、元気に夫と旅行へ出かけたりしたかもしれない。なのに、全国的に注目されている鮎美を息子が刺してしまったことで、まるで大逆罪を犯した者の両親のように扱われていた。それでも父親は、ハッキリとした口調で答える。
「はい、すぐに振込みます」
「では、うちは、もう東京へ発ちますんで、失礼します」
まだ時間に余裕はあったけれど、鮎美は事務所を出る。鷹姫とSPがついてきた。鷹姫に言う。
「とても言えんかった……うちは生きてるけど、殴られた傷が原因で自殺した女の子のこと、どう思ってる、どう償う、って………訊きたかったけど、とても言えんかった」
「芹沢先生……………社会の問題、すべてを背負おうと、考えようとするのは、いっそ、お諦めください。あまりに、すべてを考えては、お心が疲れ果ててしまいます」
「…………うん……ありがとう……。ちょっとだけ……抱きついていい?」
「はい」
駐車場で抱き合う二人の姿をSP6名は完全に包囲して隠した。
この物語に登場する人物は架空の人物です。
とくに犯人の名前などは、よくある名前を組み合わせただけです。
実在の人物と一致しても、それは偶然の一致です。
念のため。
あしからず、よろしくお願いします。