「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

58 / 91
2月12日 チョコ

 

 翌2月12日の土曜朝、鮎美は眠気と疲労感と戦いつつ起床したけれど、キッチンで朝食を準備してくれているエプロン姿の鷹姫を見ると、元気になれた。

「おはよう、鷹姫」

「おはようございます、鮎美」

 制服の上からエプロンをしている鷹姫は可愛かった。つい、見惚れるし、抱きしめたくなるし、スカートの中に手を入れたくなる。それを我慢して洗顔した。朝食前に新聞3紙へ軽く目を通した。

「「いただきます」」

 二人で朝食をとり再び新聞を読む鮎美の髪を鷹姫がといてくれる。

「お疲れではないですか?」

「大丈夫よ。鷹姫がご飯つくってくれるし、コンビニ弁当とは、ぜんぜんちゃうわ」

「お役に立てて幸いです」

「鷹姫も無理せんといてな」

「はい」

「ほな、いってきます」

「いってらっしゃいませ」

 鷹姫はSPたちと出発した鮎美の背中を見送ると、部屋の中を片付け、ビジネスホテルに戻った。もう9時前で食べ放題の朝食は終わりかけだったけれど、朝食チケットがもったいないのと、この時間になると皿に残っているハンパな料理は捨てられるのだと聞いているので、なるべく廃棄が少なくなるように、あと一切れ、二切れといった残っている料理を食べて早めの昼食として2時間ほど眠る。連泊しているのでチェックアウトの時間は気にしなくていい。お昼になって議員宿舎で鮎美のためにオニギリを中心とした弁当をつくる。

「石永さんが、わざわざお米を送ってくださいましたし」

 人間は食べ慣れた食材の方が頑張れるという理屈で静江は地元米を送ってくれたけれど、鮎美は大阪出身なので、はたして食べ慣れているだろうか、という疑問はあったけれど、オニギリをつくっていく。海苔を使って歯に残ってしまうと街頭演説に見場が悪いので海苔無しのオニギリと卵焼きだった。その弁当をもって鮎美を探しに行くけれど、選挙カーで移動する鮎美に必ず渡せるわけでもなく、そして渡しても食べる時間がとれるとは限らなかったものの、今日は午後3時過ぎに食べてもらう時間ができた。鷹姫が介式に弁当を渡しておき、選挙カーで移動する間にカーテンを閉めて鮎美が食べた。

「ああ、美味しかった。ごちそうさま」

 鷹姫にお礼のメールを打っておき、歯磨きの替わりにガムを噛んでから、再びマイクを握ったけれど30分くらいで大便をしたくなった。さすがに大はオムツの中にしたくないし、すでに一回濡らしたので、そろそろ交換したい。夕方になると、さらに多忙になるので今のうちにトイレへ行っておきたかった。ちょうど午後5時で介式たちSPが交替する都合もあり、休憩として選挙事務所に戻った。

「……う~……一時間も我慢したし、もう出えへん」

 トイレに入ったけれど、便意がおさまり排便できなかった。オムツだけ交換して鷹姫が用意してくれたお茶とお菓子を少し食べて、また選挙カーに乗った。

「芹沢先生、お顔の色がすぐれないですが、どうかされましたか?」

 鷹姫に問われ、鮎美は微笑む。

「ううん、なんでもない、平気よ」

「そうですか、では、いってらっしゃいませ」

 鷹姫は鮎美を見送ると、しばらくは街頭演説の旗持ち要員として選挙カーの後続車で移動し、午後8時を過ぎて拡声器の使用が終わり、鮎美と畑母神が聴衆と握手を始めると、先に議員宿舎へ帰って夕食の用意をする。食事の用意が終わって1時間ほど待っていると鮎美が帰ってきた。

「…ただいま…」

「お帰りなさいませ」

「…先、…お風呂…入るわ…」

 一日中声を出していた鮎美が小声でしか話さないのは、今までの選挙応援でもあったことなので鷹姫は気にしない。鮎美はバスルームに入ると、お尻をよく洗ってから湯船につかった。

「……凹むわぁ……」

 誰にもバレなかったけれどオムツを大便で汚したのは嫌な記憶だった。その記憶も鷹姫がつくってくれた夕食を前にすると消えた。

「美味しかったよ、ごちそうさん」

「お粗末様です。どうぞ、早くお休みください」

「うん、おおきにな」

 寝るのも仕事のうちと鮎美はベッドに入る。鷹姫は夕食の後片付けをすると、明日鮎美が着る制服などの準備をしてから議員宿舎を出て、ビジネスホテルで眠った。

 

 

 

 翌2月13日、日曜日の早朝、鷹姫は目を覚ますと、すぐに制服に着替え、議員宿舎に向かう。まだ眠っている鮎美を起こさないようにエプロンをして朝食の準備をする。もう起こしてもよい時間になると音を控えるのをやめ、朝食の仕上げをしていると鮎美がつらそうに起きてきた。

「…おはよう…鷹姫…」

「おはようございます、鮎美」

「……鷹姫かわいいなぁ……お嫁さんにしたいわ…」

 ぼんやりとしたまま鮎美が洗顔しに行き、二人で朝食を食べる。食べ終わった鮎美はしばらくトイレにこもり身支度が終わると、畑母神の選挙事務所へ駆けつけ、朝から応援演説を続ける。乾燥した冬の空気で喉を荒らさないよう、ときどきはお茶を飲むけれど、あまり飲むと小便をしたくなるし、うまくトイレ休憩のタイミングが取れれば、オムツを濡らさなくて済むものの、本当に都内はトイレが少なくて苦労した。そして、せっかく鷹姫が届けてくれた弁当を食べる間もなく夕方になり、日が暮れてから昼食を口にした。それもテレビ局の楽屋でだったし、これから畑母神といっしょにニュース番組に出演することになっている。食べ終わった鮎美に鷹姫が歯磨きセットを渡してくれた。

「おおきに」

 歯を磨いて時計を見る。

「5分だけ寝させて」

「はい。どうぞ、お休みください」

 鷹姫は楽屋内の照明を可能な範囲で暗くしたし、鮎美のスマートフォンも預かって廊下に出る。テレビ局のスタッフが駆けてきた。

「鮎美ちゃん、スタンバイOKっすか?」

「はい」

「じゃ、もうスタジオ入って」

「あと3分だけ、お待ちください」

「了解っす。急いでね」

 次にスタッフは畑母神が入室している楽屋をノックしている。鷹姫は時刻を確認しつつ、ギリギリになって鮎美を起こした。

「おおきに」

 鮎美は両頬を手で叩くと気合いを入れている。堂々と畑母神とならびスタジオに入っていく背中を見守った。番組が始まり、対立候補の元宮崎県知事と討論になっても、落ち着いて応える鮎美の姿をスタジオの隅からSPたちと見ていると、鷹姫は尊敬と喜びで胸が熱くなるのを感じた。

「……素晴らしい方……」

 鷹姫のつぶやきが聴こえていた知念も頷く。 

「あれで18歳っすからね……末恐ろしいっすよ」

 番組が終わり、議員宿舎に戻ると、鷹姫は作り置きしておいた夕食を温めて用意した。

「どうぞ」

「おおきに、いただきます」

「さきほどの情報では、フィンランドも参加を表明してくれました」

 鷹姫が告げると、鮎美は肉じゃがを頬張った頬をほころばせた。

「財政的に手堅い国ほど、タックスヘブンの弊害、わかってるんやろ」

「はい、そう思われます」

「けど、スイス、シンガポールあたりは、タックスヘブン的な性質があるから、参加は遅れるか、参加せんかもなぁ…」

「参加しなければ自国通貨高と外貨建て対外債権の実質的減少にみまわれますが、どう手を打つでしょう?」

「結局のとこ、自国通貨高の解消のため、うちらを後追いして軽いインフレにもっていくか、対外債権の保全のため相手国内で実体資産に変えるかやね。けど、実体資産には、それぞれの国で課税がしやすい。世界中どこにも逃げ場はないよ」

「………逃げ場を無くしたとき、思わぬ反撃をしてくるやもしれません」

「どんな?」

「それは………わかりません」

 夕食を終えると、鮎美は急激な眠気を覚えた。

「うち、もう寝るわ」

「お風呂に入ってください」

「もう疲れたし」

「入浴してお休みになる方が疲れがとれます。お背中流しますから、入ってください」

「……。ほな、そうしよかな」

 二人で脱衣所に入り、服を脱ぐ、鮎美はテレビ出演中も念のために穿いていたオムツを見られて、ふざけて言う。

「鷹姫お姉ちゃん、鮎美のオムツ脱がせてくだちゃい」

「………。……」

「お願いでちゅ」

「……そんな赤ん坊みたいに……。これが、さっきほどまでテレビに………。全世界が注目する人の……」

 鷹姫は目まいを覚えたけれど、鮎美が疲れているので入浴を済ませるため、優しく脱がせた。

 

 

 

 翌2月14日の月曜、陽湖と鐘留は六角市の支部でお昼休みを過ごしていた。議員たる鮎美が不在でも集団訴訟についての弁護士との調整や連絡雑務があり、それなりに忙しい。それでも都知事選ほどではなく、お昼休みは穏やかに過ごせている。

「アユミンのママの妊娠、どうなの? 男の子か、女の子か、わかりそう?」

「まだ小さいからわからないみたいですよ。ただ、つわりは強くなってきて、お母さん苦しそうです」

「月ちゃんが代わりに料理もしてあげてるんでしょ。えらいね」

「料理するときの匂いが、とくに気持ち悪いそうですから」

「つわりかぁ……アタシたちも、いつか妊娠するのかなぁ」

「…………」

 明け透けな鐘留の物言いに、陽湖は恥ずかしくなって少し頬を赤くした。鐘留は大声で言ったわけではないけれど、支部内の他の職員にも聞こえている。陽湖はテレビの音量をあげてニュースを見る。ちょうど昨日の鮎美が映り、渋谷区で選挙カーから演説している。

「東京都から日本を変える! 日本から世界を変える! 東京都知事には…」

 候補者である畑母神の名は報道の公平性から流されず、画面が切り替わりニュースキャスターが述べる。

「都知事選は後半戦に入り、芹沢鮎美議員の提唱するいわゆる連合インフレ税もからめた様相を呈しております。これを受けて世論調査を行い、連合インフレ税に対する国民の意識を調べました」

「「………」」

 陽湖と鐘留が黙って注目し、他の職員たちもテレビに視線を送る。自分のためにコンビニ弁当を買って戻ってきた静江も音を立てないように弁当を開いた。

「連合インフレ税に対する賛否は賛成39%、反対20%、わからない41%となっております。賛成する人の理由は、社会が平等になる、脱税手段のない課税で評価できる、鮎美ちゃんのファンだから賛成する等です」

「アホだねぇ、きゃはっは」

「反対する人の理由は、金持ちだけでなく貧乏人のお金まで半分の価値になる、結局は税金だ、悪しき平等主義で考えが足りない等です。わからないと答えた人の理由は、そもそもインフレの意味がわからない、わからないけどEUみたいになりそう、わからないが芹沢さんには頑張ってほしい等です」

 静江が梅干しの種を弁当の蓋に箸で置きつつ言う。

「理屈がわからないまま、芹沢先生の人気で盛り上がっている部分もあるわね」

「続いて、売春行為の合法化についての世論調査では、合法化に賛成が33%、反対が29%、わからないが38%です。芹沢議員らが提唱した性関連風俗産業に従事する人に対する不確定拠出年金制度の創設については、賛成62%、反対3%、わからない35%と賛成が多数を占めています」

「アユミンやるね。っていうか、これはシオちゃんの案だっけ」

「同性愛者同士の結婚を法整備することについては、賛成25%、反対56%、わからない19%と反対が多数を占めています」

「まあ、キモいから。きゃははは」

「シスター鐘留! あなたは当事者の立場に立って物事を考えられないのですかっ?!」

「うん、無理」

「っ……」

「っていうかさ、アユミンも当事者の立場に立って連合インフレ税のこと考えたのかなぁ。お金持ちからしたらさ、せっかく貯めたお金が半分の値打ちになるんだよ。アタシの家も何十億円あるか知らないけど、30億円だとしたら、それが15億円分の値打ちになる。えげつい増税だよ」

「シスター鐘留は貧しい人の気持ちがわかりますか?」

「わかんない」

「そうやって、わかろうともしない」

「月ちゃんは、お金持ちの気持ちがわかる?」

「え………。……何でも買えるとか……幸せ……でも、自分の家だけ豊かというのは……」

「なってみないと、わからないもんだよ。あ、ちなみアタシは同性愛は経験したから、ちょっと気持ちわかる。気持ちいいけど、キモい。キモちいい感じ」

「……まさか……シスター鮎美と…」

「月ちゃんも当事者の気持ち、経験してみたら? それから考えようよ」

 もうニュースが終わり、鐘留と陽湖の話が変な方向に行っているので静江が食べ終えて修正する。

「連合インフレ税に反対が20%というのは、思ったより少なかったというのが私の感想です」

「アタシも」

「私は、反対なんて5%以下だと思ってました。お金持ちって3%か、5%くらいだと。20%の人は単なる増税だと勘違いしているのでは…」

「月谷さんの言うとおり、富裕層は上位3%程度でも、中間層は30%くらいいますよ。この中間層にとっても5000万円あった資産が2500万円になるとしたら、それは苦い増税です。けれど、芹沢先生が、うまく言葉を選んで発信しているから、そこに目がいかず、赤ちゃん手当てに目がいっている。けれど、有権者の多数を占める高齢者にとっても連合インフレ税は歓迎できない。とくに年金生活者にとっては死活問題です。支給額は変わらないのに物価は2倍になる。ここにベーシック・インカムのような救済措置をするとしても、結果、厚生年金などの高額年金受給者や付加年金をしていた人のメリットが半減もしくはゼロになる。これから子供を産める人、これから働ける人は新しい通貨価値での収入を得られるけれど、過去の積み立てで生きる人にとっては、過酷な政策です」

「アユミン、年寄りから巻き上げる気なんだ?」

「日本の金融資産の大半は65歳以上が持っていますから、そうなります」

「でもさ、日本の借金が1000兆円超えそうなのは、その年寄り世代のせいじゃん」

「ええ、その借金、国債もまた預貯金を原資に金融機関が買っているものですから、豊かな個人が国へお金を貸し付けている状況です。その値打ちを半分にして、借金も半分を一気に解消しようという狙いで、いわば税金を取りはぐれて個人が貯め込んだ財産を貯金箱の底から抜き取るような手段です」

「アユミン、えぐ……さすが、堺の商人。琵琶商人より、えぐいじゃん」

「これに気づいた人は、もう金地金を買っています。今日、とうとう1g6000円を突破し、歴史的高値になっている」

「アタシんちにも金あるよ。仏壇の仏像とか、おりん、純度の高い金だから、あまり強く叩くなって怒られたことある」

「それは相続税も逃れるためのオーソドックスな手段です。富裕層の仏具は、たいていそうです。ひどいと墓石の下に10キロの金塊がある、なんてことも」

「アーメン」

 陽湖が手を組んで神に祈っている。

「「………」」

 静江と鐘留が黙ってみていると、支部の玄関に宅配業者が大きなカーゴを持ってきた。

「お届け物です」

 カーゴの中には多数の包装されたバレンタインチョコが入っていて、ほとんどが芹沢鮎美宛だった。党の職員が静江の前に運んでくる。大きなテーブルいっぱいになるほど送られてきていた。

「アユミン、すごい!」

「シスター鮎美の人気、これほど……でも、女性なのにバレンタインに…」

「お兄ちゃんにも、こんなに来たことないのに……」

 静江は兄宛のチョコを探して分けていく。石永にも50個ほど来ていた。既婚者なので少ないのは理解できるとして、議員であった頃より5つほど増えたので落選中の慰めという感じがした。一部に雄琴直樹宛のチョコが混ざっていて、送った女性は自民党から民主党へ直樹が鞍替えしたことさえ意識していないのかと思ってしまう。

「これ食べてみよ」

 鐘留が鮎美宛の箱を開けたので陽湖が驚く。

「え?! それ、シスター鮎美宛ですよ! 勝手に開けちゃダメですよ!」

「いいじゃん。うん、美味しい」

「そんな……勝手に食べるなんて……送った人の気持ちを……」

「どうせ、アユミン一人で食べきれないし。きっと、東京事務所にも来てるよ、かなり」

「だからって……」

「月谷さん、驚くかもしれないけど、私たちで賞味期限の短いものは、いただいてしまいますから、開封しつつ名簿をつくり、お礼状を送る準備作業をします。今日明日は、この作業で潰れそうですね。まだ郵便でも来るでしょうし。とにかく生チョコなんかの賞味期限が短いものは、送った人の気持ちを無駄にしないためにも、せめて誰かが食べましょう。芹沢先生は今週末も東京ですから」

「……。はい……たしかに食べきれない量……」

「きゃはは、そういうこと。うーん、美味しい」

「緑野さん、食べる前にデジカメで写真を撮って名簿を作成してください。どんなチョコが送られたのかは、芹沢先生にレポートにして見てもらいますから」

「うあぁ……面倒臭っ……そんなレポートに目を通すアユミンも大変」

「それが議員です」

「はいはい」

 党の職員も加わり、手分けして名簿の作成作業をしながら、生チョコなどは食べ始める。しばらく、その作業を続けていたとき、女性職員の一人が突然に立ち上がり、トイレに駆け込もうとして途中で吐いた。

「斉藤さん、大丈夫?! どうしたの?!」

 静江が問いかけても嘔吐を続け苦しんでる。その顔色は真っ青で、床に吐き出したチョコレートからは塩素系の化学薬品の匂いがしたので静江も顔色が青くなった。

「外に出て!! 全員!! すぐに! 誰か斉藤さんを担いであげて!」

 男性職員が苦しむ斉藤を担ぎ、全員が外へ駆け出た。そこへ石永が挨拶回りから帰ってきて静江から話を聴くと、すぐに110番通報した。静江は119番にかける。救急車とパトカー、県警の化学防護班が駆けつけるまでに、鐘留も青ざめた顔色をしていたかと思うと吐いた。

「ううええ! ハァ…ハァ…うえっ!」

「シスター鐘留っ?!」

 陽湖が鐘留の背中を撫でる。斉藤ほど藻掻き苦しんではいないけれど、顔色は青いしガタガタと震えている。静江が追加で119番した。石永は鮎美へ電話をかけたけれど、国会で審議中なのか応答してくれないので介式と鷹姫にかけ、送られてきたチョコレートは食べないように告げ、詩織にも電話して同じことを言った。ずっと外にいると寒くて凍えそうなので車の中にでも避難したいけれど、キーやコートも支部内なので近所のコンビニへ避難させてもらった。鐘留と斉藤は救急車で搬送されていき、石永は苦々しく言った。

「考えるべき可能性だった……くっ……銃弾だって送られてきたんだ。チョコに何か入れるくらいの可能性……くそっ!」

「ごめんなさい、お兄ちゃん、私がいながら」

「静江……泣くな。お前は悪くない」

「お兄ちゃん……」

「シスター鮎美を、どうして、こうも狙うの……。シスター鮎美が何か悪いことをしましたか?!」

「「…………」」

 石永も静江も何も言えなかった。

 

 

 

 翌2月15日火曜の午前0時過ぎ、鮎美は新幹線で東京から井伊駅まで走り、鷹姫とSPたちに囲まれながら党の車で六角市内の病院に見舞いへ来ていた。

「カネちゃんが無事でよかったわ」

「まあね……ありがと、夜中に」

 鐘留は病室のベッドに寝ているけれど、医師による検査で異常は出なかった。陽湖が説明してくれる。

「お医者さんによると、別のチョコを食べていたものの、先に吐いて苦しむ人を見て、強く不安になって嘔吐しただけだろう、とのことです」

「そうなんや。その斉藤さんは? 失礼やけど、うち記憶に無いねんけど、そんな人おらはった?」

「ここ最近、集団訴訟の件で忙しくなり新たに雇われた人ですから、シスター鮎美が知らないのも無理ありません。病室にご案内します」

「お願いするわ。カネちゃん、またあとでね」

 陽湖をともない、鷹姫を鐘留のそばにおいてSPたちと斉藤の病室を訪ねる。陽湖がノックすると母親が開けてくれた。

「シスター鮎…、芹沢先生が一言、お見舞いしたいと来られたのですが、お会いできますか?」

「はい…どうぞ…」

 母親は疲れた声で中に導いてくれる。鮎美たちが入ると、斉藤はベッドの上にいて意識があった。顔色も悪くない。

「芹沢です。……この度は、うちのせいで申し訳ありません」

 自分に送られたチョコに異物が入っていて入院することになった女性に対して、鮎美はどう言っていいかわからず頭をさげた。

「…………」

 斉藤は無言のまま手を振ってくれ、陽湖が説明する。

「斉藤さんは口の中を化学的な火傷をされているそうです。ですが一週間もしないうちに、ほぼ治るそうです。ただ、今は話せません」

「…一週間……うちのために、ホンマすみません!」

 また頭をさげた鮎美は恐る恐るポケットから20万円を入れた見舞い袋を出した。最初、鮎美は100万円でもと言ったけれど、静江が負傷の程度と公選法、社会通念に照らして最大限で20万円と言ったので、それに従っているし、治療費などは労災保険で出す予定だった。斉藤も母親も遠慮したけれど、強引に受け取ってもらい、あまり長居しても双方困惑するので鐘留の病室に戻った。そして、気になることを鐘留に問う。

「カネちゃんのお母さんは?」

「あの人はアタシが病院に運ばれたニュースを見て、その場に倒れて入院してる。一つ下の階にいるけど、会わない方がいいよ。またキーってなって倒れるかもしんないし。だいたい、あの人は口先と外面ばっかで精神的には超脆いから」

「………」

 それは、あんたもやん! という突っ込みは飲み込んで謝る。

「うちのせいで、ホンマごめんな」

「いいよ、アタシは平気だし。っていうか、月ちゃんからの報告が聴きたい。警察の人なんて?」

「はい、斉藤さんが食べたチョコレートは中にお酒が入っているタイプだったのですが、これを注射器か何かで抜き出し、かわりに洗剤のようなものを入れたのだろうと、今のところ判明しています。送り主の氏名は鳩山直人でしたが、もちろん、偽名というか悪質なカタリと思われます」

「一国の総理が、うちをそんな姑息な方法で殺すわけないやん。犯行の動機とか、まだ、わからんよね?」

「動機につながりそうな手紙が箱の底に入っていました」

「なんて?」

「売春婦の年金をやめろ、さもなくば、次は殺す」

「………。そっちの話でなんや……うちは、連合インフレ税か、うちへのストーカー行為の一種かと思ったけど………」

 鮎美が左手を額にあて考え込むので鷹姫が言う。

「今夜は、ここまでにて、もうお休みください。健康を害されます」

「……うん、おおきに、忠告に従うわ」

 鮎美は井伊市内の深夜でもチェックインできるビジネスホテルで休み、朝になると東京に行き、国会に出席したけれど、選挙応援は休んだ。介式たちにも引き続く警護任務で疲れさせたくないので議員宿舎で夕方の時間を過ごしている。

「………」

「………」

 鮎美も鷹姫も口数が少ない。鷹姫が淹れてくれたミルクティーを飲みながら、鮎美は考え込んでいる。そこへ詩織と介式が訪ねてきた。

「鮎美先生、お久しぶりです。同じ東京にいるのに、なかなか会えなくて淋しいです」

「頑張って海外へのアプローチしてくれはってホンマおおきに。それで、報告というのは?」

「ベルギーとフランスも近いうちに、いい返事があるかもしれません。あと、東京事務所へ届いたバレンタインチョコですが、総計3965個、うち石永先生へが15個、雄琴直樹宛に送ってきたバカな女が2人、鮎美先生宛のうち2554個が女性からです。イタズラや好意をこじらせた脅迫まがいの手紙がついていたのは7件、すでに警視庁へ届出ましたが、毒物、危険物は発見できていませんが、念のため全て捜査機関に預けています」

「そう……いっぱい、くれはったのに……悪いなぁ…」

「こちらだけはお受け取りください」

 詩織がリボンの着いた小箱を差し出すので、隣にいる介式が検めたそうな視線を注ぐ。なんとなく鮎美はわかったけれど、問う。

「それは?」

「私からです。ヨーロッパから航空便で取り寄せました」

「おおきに」

 鮎美が開けようとするので介式が止める。

「警察の方で検めさせていただきたい」

「それを言い出したら、うちは飢え死にするやん。せめて秘書が出してくれたもんくらい信用せな」

「………」

「変な物は入れてませんよ、入れたのは私の愛だけです」

「いただきます」

 鮎美は小箱から丸い板チョコを摘んだ。クッキーくらいの大きさで、ブラックとホワイトが半々に混ざっている。

「ロイズのやん。一回、食べてみたかったんよ。おおきに」

 有名なブランドのチョコレートで食べてみると、美味しかった。とくに異物もなく三つ食べて小箱を置いた。

「介式はんからの報告は?」

「劇物入りのチョコレートを送った犯人はいまだ不明。福岡市内から発送されており宅配センター周囲の監視カメラにそれらしき人物は映っていたが、防寒具をもちいて顔を隠しており人物の特定はできない。指紋も検出されたのは宅配業者やチョコレートそのものを製造している店の従業員のものだった」

「そうですか………。今回は捜査情報を教えてくれはるんですね?」

「度重なる事件で上層部は芹沢議員の心理状態を心配しているようだ。支障のない範囲で安心させるよう言われた」

「それは谷柿総裁の指示で?」

「私にはわからない。私は上司から言われただけだ。安心させる材料になるかは、不明だが劇物は一般家庭でも使用する洗剤と同じような成分で、致死量を飲み込むことはできず口に含めば、ただちに吐き出すもので、犯人もそれを知って脅しに使った可能性は高く、殺意は感じられない」

「わかりました。おおきに」

 介式と詩織が去り、また鷹姫と二人になった。

「………うちの心理状態か………どうなんやろ……。最初の刺傷事件以外は、あんまり実感が無いんよ。介式はんらが守ってくれはるのも大きいかもしれんし……。鷹姫から見て、うちは、どう見えてる?」

「……………。大きな目標を前にして、脅しに動じておられないのだと思います」

「そう………おおきに」

 鮎美は座っていたソファから立ち上がった。そして前を見て、手のひらを柔道で構えるように挙げた。

「誰か知らんけど、うちは負けん。前に進む、鮎美の名はな、歩みを止めんちゅー意味もあるて父さんがつけてくれたんや。前に進んで、なんぼなんよ」

 手のひらを握って拳にした。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。