「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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6月 許婚

 

 雨の中、直樹を乗せた連絡船が小さくなっていく。

「……軽い感じの男やと思ったけど………抱えたものがあったんや……」

 鮎美はポケットから買い換えてもらったばかりのスマートフォンを出すと、井伊市連続誘拐殺人事件と入力して検索した。

「……10歳と……9歳、7歳か……」

 犠牲になった少女たちのことを知ることができたし、殺害方法や犯人についてもわかった。小児性愛者による快楽殺人で計画的に誘拐し、性的暴行の後にバラバラにして山中に捨てていた。

「たしかに、ただの死刑ではあきたらん……こんなヤツ……」

 胸が悪くなるような事件で、それ以上は調べたくなかった。雨が降り続いている。小さな島は360度が淡水の湖に囲まれ、雨まで降っていると鮎美は真水の惑星にいるような錯覚さえ感じた。海と違い、潮の香りがしないし、波も小さい。高波の心配もないので民家と岸が接してさえいる。家によっては玄関の前に専用の桟橋を手作りして、すぐに船へ乗れるようにしているところもある。

「……世界で、ここと、あと一つだけらしいね……湖の島に住んでるのは……」

 淋しくて独り言を言った。

「……鷹姫は……稽古……まだしてるんか……ようも飽きんと……」

 ずっと港に立っていても仕方ないので鮎美は家と家の間を進み、小山の中腹にある道場へ通じる階段を登り、他の門下生が帰っても、まだ鷹姫が一人で何かしている気配なのを感じると、一旦は階段を降りて港近くの自動販売機で清涼飲料のペットボトルを買い、再び階段を登り、道場へ入った。

「たのもー」

「あなたですか」

 一人で素振りしていた鷹姫が竹刀を止めた。高温多湿の中、汗だくになっている。鮎美は清涼飲料を差し出した。

「さしいれや。経費で落としておくわ」

「くだらないことを言うのはやめなさい」

「ま、自動販売機は領収書をくれんけどね」

「………」

「いらんこと言うて、ごめん。うちのお小遣いから、おごるから飲んで。半分ずつしよ」

「……。いただきます」

 礼を言って鷹姫はペットボトルに口をつけた。美味しそうに飲む喉元に汗が流れている。道着も汗で濡れていた。二人で道場の隅に並んで座った。

「えらい頑張るね」

 鮎美も同じペットボトルから少し飲むと、また鷹姫に差し出す。

「あなたは、もう剣道はしないのですか?」

「また誘ってくれるんや」

「……。この島にいて退屈しませんか?」

「そうやね。議員の話がなかったら、退屈極まりなかったやろね」

「たしかに、そちらで忙しくなるでしょうから無理かもしれませんね。けれど、運動をするのは良いことですよ」

「そういえば、体育のとき、うちをキレイに投げたよね。あれって柔道?」

「はい」

「あんた柔道までしてるん?」

「この島で育つ者は剣道、柔道、弓道を必ず習得します」

「まさに鬼々島やな。いや武士の島か」

 そう言って鮎美は鷹姫の襟を握った。

「うちも柔道なら体育で少しだけやったよ」

「そうですか」

「もう一回、あのキレイな投げ方、やってみてよ」

「そんな服なのに?」

 鮎美が着ているのはブラウスとスカートなので動くのにも、強く引っ張られるのにも不向きだった。

「ほな、寝技してみるのは?」

「私はかまいませんが、やっぱり、あなたの服が…」

「気にせんでええよ。えい!」

 鮎美が座っている鷹姫を組み敷こうと体重をかけて押し倒そうとすると、ごく簡単に転がされ、すぐに鷹姫が上、鮎美が下になっていた。鷹姫は型通りに袈裟固めをかけるため、鮎美の首の後ろへ腕を回し、反対の腕で鮎美の袖をつかむと、身体を斜めに交差させて押さえつける。完全に技が決まり、抜け出すことができない状態になった。

「お見事」

「あなたは本気を出していないでしょう」

「そう言われても柔道は少ししか知らんし。ちょっと教えてよ、ここから反撃する方法とか」

「ここまで決まると抵抗は難しいですが……たとえば、私の手を振り切ったとして」

 鷹姫が袖をつかんでいた手を離した。

「あなたは逃げるために背筋をそらして、右側へ私を押しのけようとしてみなさい」

「こう?」

 鮎美は大きく背筋をそらして鷹姫の身体を持ち上げた。

「そうそう。それで私が逃がすまいと左へ重心を移したとき、一気に左側へ私を投げるように転がしてみなさい」

「ううっ! うりゃあ!」

 言われたとおりに背筋と腕力で鷹姫の身体を横へ投げるように押しのけた。

「そう、そのまま今度は素早く私の上にのりなさい」

 指示をくれるので従い、鮎美が上になって鷹姫へ覆い被さる。

「…ハァ……ハァ……」

「……。何ですか、これは?」

 鷹姫は真っ直ぐに上から押さえられ問うた。寝技というよりベッドの上で男女がするような身体の正面と正面を合わせる形になっていて不思議に思っている。

「と…とりあえず、押さえればいいかなって」

 鮎美は両手で鷹姫の両肩を押さえている。お腹に体重をかけて鷹姫のお腹も押さえていた。

「まったく基本を知らないようですね。このような状態では…ほら」

 鷹姫は両脚を大きく開くと、鮎美の腰へ左右から巻きつけた。

「これで押さえ込みは解けたとみなされます」

「そ、そうなんや……なんか、余計に……」

「余計に?」

「む……無防備やない? うちが男やったら、こんなポーズ、危険でしゃーない気がするけど」

「…………。反撃します」

 鷹姫は右肩を押さえてきている鮎美の左手首を左手で握ると、大きく左側へ引きつつ、右手で鮎美の腰を持ち、右側へ引く。それで鮎美はバランスを崩され、右側へ転げた。その転がりに合わせて、すぐに鷹姫が上になる。

「ほら、これで逆転です」

「ハァ…ハァ……あっという間もなく…やね…」

「さっきのような押さえ方をするなら、せめて脚をからめられないようにしなければなりませんよ。こんな風に」

 鷹姫はお尻を鮎美の腹部へ押しあて馬乗りになって体重をかけている。そして、両手で鮎美の両肩を押さえてみせる。

「一応は相手の背中をつけさせ、脚もからめられていませんから押さえ込みの要件は満たすでしょう」

「…ハァ…ハァ…ほな、抵抗するから、押さえててみてよ」

「いいでしょう、やってみなさい」

「ううっ! ううくっ!」

 どんなに鮎美が逃げようとしても、しっかりと腹部と両肩を押さえられているので、ろくに動けない。

「ハァ…ハァ…」

 息が上がってきた鮎美は抵抗を諦め、鷹姫を見上げた。

「ハァ…」

「もう降参ですか?」

「ハァ…ハァ…息が…ちょっと待って…」

「この程度で息があがるとは運動不足な証拠ですよ」

 そう言う鷹姫は息を乱していないけれど、汗はかいている。その汗が額から顎先まで流れ落ち、滴になって鮎美の頬に落ちた。

「ハァ…もう一回しよ」

 再び鮎美が動こうとしたときだった。誰かが道場内に入ってきた。

「鷹さん、何やってるんですか?」

 男子の声だったので鮎美は慌てて乱れていたスカートを直そうとするけれど、鷹姫が邪魔で遅れてしまう。そんな慌てた様子を見て鷹姫も身体をあげて、スカートの裾を直すのを手伝った。二人から目をそらしていた男子が鍋を差し出してくる。

「母ちゃんがエビマメを炊いたから、鷹さんちに持っていきって」

「そうですか、ありがとうございます。健一郎さん」

 礼を言って鷹姫は鍋を受け取った。鍋には湖で獲れた小さなエビと六角市の畑で取れた豆がいっしょに炊かれていて、甘い香りがした。

「鷹さん、あの人と何をしてたんですか?」

「柔道です」

「あんな服で?」

「戯れに始めて、つい熱くなってしまいました。お見苦しいところをお見せしました。どうか忘れてください」

「……」

 健一郎さんと呼ばれた男子は中学生くらいで、つい鮎美の丸見えになっていた太腿と下着を思い出してしまい、赤面して黙った。鷹姫は落ち着いて健一郎を誘う。

「せっかくですから、ご夕食をいっしょにいかがですか」

「い、いえ。オレは、いいっす。もう帰るっすから」

 そう言って、すぐに帰ってしまった。鮎美が引っ越してきてから、ずっと不思議に感じていたことを問う。

「あんたって誰にでも素っ気ない感じやのに、あの子にだけ、ちょっと優しいよね。なんでなん?」

「私の許嫁ですから」

「……。…い…許嫁っ?! 許嫁って何?!」

 弾かれたように鮎美が迫って問うけれど、鷹姫は平静に答える。

「知らないのですか、許嫁とは親の合意で結婚の約束をした男女のことです」

「いや知ってるし! そういうことやなくて! 許嫁って何よ?!」

「………あなたの日本語はわかりにくいですね。何を問いたいのですか?」

「せやから! なんで許嫁なんかいるの?!」

「十年ほど前に双方の両親が決めました」

「なっ…、そんなことでええの?!」

「とくに問題は感じません」

「いやいやいや! 結婚やで?! 生涯の伴侶やで?! そんなサラっとしてて、ええの?! だいたい、あの子は、いくつよ?! 何年なん?! 中坊やろ?!」

「中学2年生です」

「四つも年下やん!」

「私が24になったら20ですよ」

「そらそうかもしれんけど! 何より二人の気持ちは?!」

「私は、とくにかまいません。彼は……どうなのでしょう……健一郎さんにお気持ちを訊いたことはないですし、まだ中学生ですから」

「とくにかまいませんって……好きなん? あいつのこと? えっと、名前は岡…」

「岡崎健一郎さんです」

「岡崎姓も、この島に多いよな。もしかして島の風習で許嫁やったりするの?」

「風習とまではいかないでしょうが、3割くらいは、それとなく許嫁が決まっていたりします。でなければ、今まで島の人口を維持できなかったでしょう」

「3割も……それでええの? 好きなん、あいつのこと?」

「嫌いではありません」

「……好きでもないの?」

「…………まだ、私には恋というものの経験がありませんし、嫌いでなければ大丈夫でしょう」

「え~…………ほな、もし他の人を好きになったら、どうするの?」

「諦めるか、恋が冷めるのを待つか……」

「諦められんかったら? 相手も鷹姫を好きやって言ってくれたら?」

「それは……大変失礼な話ですが、平身低頭で岡崎家へ謝りに行って許嫁を御破算にしていただくかでしょう」

「キャンセル可なんや?」

「はい」

「なんや……ビビったァァ……」

 鮎美は座り込み、それから、まだ言う。

「にしてもや、平然と受け入れてる、あんたもあんたやで」

「……。そう言う、あなたには好きな男性はいるのですか?」

「え………いや……別に、おらんけど」

「許嫁も?」

「おらんよ! 普通おらんし!」

「あなたの普通と私の普通は、ずいぶん違うようですね」

「……そうやね……疲れたわ……岡崎くんは島の中学校?」

「はい、鬼々中です」

「剣道もしてはるの?」

「当然」

「強いの?」

「……。今少し努力が必要でしょう」

「なるほど、満足してないんや。ま、あんたの水準やと、相当かもしれんけど」

 鮎美がそう言っているうちに、鷹姫のお腹が鳴った。ずっと稽古していた身体が煮物の匂いを嗅いでしまい、胃が鳴っている。少し赤面した鷹姫が誘う。

「あなたも、食べていきますか? 鬼々島のエビマメ、もう食べましたか?」

「おおきに。引っ越し初日から、いただいております」

 ケーキを間食した鮎美の空腹は強くなかったけれど、鷹姫の誘いに甘えた。

 

 

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