翌3月7日月曜早朝、鷹姫は介式と剣道場で起床し短時間の朝稽古をすると、制服姿で始発の連絡船に乗るため港へ向かう。民宿に泊まっていた男性SPたちと、さらに鮎美と夜間当番だったSPたちも港で合流する。
「鷹姫、おはようさん」
「おはようございます、芹沢先生」
連絡船で本土の港に渡ると、鮎美とSPたちは党の車両と警察車両で新幹線に乗るため井伊駅に向かっていくけれど、それを見送った鷹姫は一人でバスに乗り、学園前を過ぎて、六角駅から在来線で三上駅まで行くと、またバスに乗って琵琶湖岸にある運転免許センターまで来た。
「………必ず一度で合格しないと…」
東京についていかなかったのは運転免許取得のためだった。陽湖や鐘留に少し遅れること、いよいよ筆記試験を残すのみになっている。鮎美の秘書として忙しい中、落ちて再試験というわけにはいかない。剣道試合前と同じく気持ちを落ち着けて挑むと、午後には運転免許証を手にしていた。制服で写真撮影されたので、いかにも高校新卒の取得者という免許証になった。
「……これで今から運転できる……」
あまり実感なく、さほど嬉しいとも思わなかった。またバスに乗って東京へ向かうため移動していると、携帯電話が鳴った。バス内なので遠慮して会話する。
「もしもし、芹沢鮎美の秘書、宮本です」
「同じく秘書補佐の月谷です」
「ご用件をどうぞ」
「シスター鮎美の家に、ちょっと困った感じの郵便が届きました」
「また、毒物ですか?」
「ただの手紙ではありますけど、恨みの手紙なんです。石永さんにも写メを送って相談しましたけど、あまりシスター鮎美に見せたくない内容ではあるものの、朝槍先生の恋人からなので見せないわけにもいかない、という判断になりましたので、シスター鷹姫へも送信するので見ていただいて、夕方にでもシスター鮎美に見てもらってください。手紙の原本は、一応、指紋鑑定などのために警察へ送ります」
「わかりました」
電話を終えた鷹姫はタブレット端末でメールをチェックすると、陽湖からメールが来ていて、手紙の内容を読む。
私の那由梨を殺した芹沢鮎美へ
那由梨が殺されたのは、あなたのせい。
呪う。呪う。呪う。
ずっと呪う。
あなたに不幸が訪れますように。
人の不幸のあとに結婚したあなたに罰がくだりますように。
世界で一番あなたを憎む小山田清美より
読み終わった鷹姫は眉をひそめた。そしてバスが三上駅に着くと、電車待ちの時間に陽湖へ電話をかける。
「これを芹沢先生に見せるのですか? 反対です。私たちで処分した方がよいです。それでなくても御心労が重なっているのですから、このような手紙があったこと自体、伏せておくのが最良です。知ったところで、どうにもならないことです。もし、この者が危害を加えようと企てるなら、それは警察の手にゆだねるべきことですし、他の不埒な手紙と同様に芹沢先生を煩わせること無く捨て置くべきです」
普段は口数の少ない鷹姫が一気に話した。陽湖は予想された内容だったので、予定していた答えを言う。
「私と石永さんも同じことを考えました。けれど、他のイタズラ手紙と違って、朝槍先生の同性愛者としての恋人だった人ですし、私たちで隠してしまってシスター鮎美に知らせなかったと、あとで知れば、シスター鮎美は怒るか悲しむかする性格の人です」
「それは……そうかも……しれませんが……この手紙の内容は……実に不快で……気持ちの悪い……」
「牧田さんに…いえ、芹沢詩織さんには伝えない方がいいとは思います。彼女は現場にいたわけですし、けれど、シスター鮎美は自分が知っておくべきだった、と考える人です。私たちで伏せることは簡単ですけれど、それをすると秘書と議員の間での信頼関係が崩れることにもなると石永さんが言われるのです」
「………」
「私も石永さんの意見に反論がありません。ただ、オブラートに包んで説明しておく手もあるそうです。いきなり手紙の写真を見せるのでなく、ぼやかした内容で、そういう手紙が来ていることだけ伝えるという手も。それでシスター鮎美が、どうしても手紙を確かめたいと言うのであれば、ショックを受けないように、気にしないように、と前置きしてから見てもらう、という手段です。これは電話では難しいのでシスター鮎美の表情を見ながらシスター鷹姫にやってほしいのですが、できますか?」
「……わかりました。善処します」
「あと、いただいたお電話に別件で恐縮ですが、一ついいですか?」
「はい、どうぞ」
「シスター鷹姫も、おもらしすべきです」
「………は?」
「私は一週間のオムツを着けての生活に耐えました。それでシスター鮎美と同じ体験をして多くの新しいことに気づきました」
「……」
「あなたも逃げてないで同じ体験をすべきです」
「………」
「これから一週間、オムツを着けて生活してください」
「…………しゅ…修学旅行もありますから…」
「オムツなら、おもらししても見た目には、まずわかりませんし、もしバレて、からかう生徒がいたら私が守ります。校則の特別事項で修学旅行中、生徒の信仰を代表する私の権限は飛躍的に高まります。場合によっては他の生徒を退学にもできるほど」
「……それほど…」
鷹姫は日本国憲法や民法刑法、行政法などは、鮎美といっしょに勉強したけれど、在学している学校の校則は詳しく読んだことがなかった。
「今、オムツはもっていますか?」
「……はい…」
もし鮎美に長時間トイレに行けないような事態が急に生じた場合にそなえて鷹姫はカバンにオムツを入れていた。
「では、それを今から穿いてください」
「っ……こ、ここは駅のホームなので…」
「トイレに入れば済むことです。あ、トイレでオシッコをしてはダメですよ。今から一週間、シスター鷹姫はオシッコは必ず我慢してください。我慢して我慢して、どうにも漏らしてしまうときだけ、出していいです、オムツに」
「…………」
「では、電話を切りますから、オムツを着けたら、また電話してください」
「……………」
鷹姫は返事をしなかったけれど、陽湖は電話を切った。もともと幼い頃から宗教の勧誘活動に参加していたので、穏やかそうな性格に見えて押しの強さもあり、自分が正しいと信じる道を他人にも歩かせようとすることに迷いは無い。
「…………」
ずっと無言で携帯電話を握っていた鷹姫は言われた通りにトイレへ行くこともなく、まして駅のホームでオムツを着けることもなく、電話でもたらされた二つの案件について悩んでいたけれど5分して、陽湖から電話がかかってきた。
「オムツを着けましたか?」
「……いえ…」
「どうして着けないんですか?」
「……………嫌です…」
「その嫌なことを、シスター鮎美も私も耐えて成長しました。あなたも成長するときです」
「…………。も……もう電車が来ました。切ります」
動揺気味に鷹姫は嘘をついて電話を切った。けれど、すぐに陽湖から電話がかかってくる。
「…………………」
かなり迷ってから、別の緊急案件だと困ると思い、受話した。
「嘘をつきましたね。井伊方面行きは、あと10分は来ません」
「っ…」
都会と違って平日昼間はJRでも本数が少ない。ダイヤは誰でもネットで見られる。陽湖の口ぶりはネットで調べた感じだった。
「シスター鷹姫、自分の胸に手をあてて、よく考えてください。何が正しいのか、何が罪なのか」
「…………」
「嘘をついて逃げることは罪です」
「………」
「まだ時間はあります。トイレに行ってオムツを着けてください」
「………………せ……芹沢先生に相談してから…」
「そうやって逃げる気ですね。シスター鮎美が自分にだけ甘いのを知っていて。あなたは卑怯です」
「っ………私は……」
「さ、オムツを着けなさい」
「……嫌です!」
「嫌でも着けなさい」
「嫌です嫌です!」
「………。少し落ち着いて考え直しましょう」
相手が強く拒否したときは一旦は引いて切り口を変えるというのは宗教勧誘でも常套手段だった。
「シスター鮎美を尊敬していますか?」
「……はい……尊敬しています」
「では、彼女と同じことをするのに、どうしてためらうのです?」
「………わ……私と芹沢先生は違う人間です。すべて同じにはできません。私には女性を性欲の対象とすることはできません。あなたも、そのはずです」
「……。だとしても、おもらしについては同じはずです。シスター鮎美も本心では、私たちにオムツを着けることを望んでおられます。私は彼女の導きを受けました。そして新しい喜びを見つけました」
「…喜び?」
「はい、喜びです。おもらしすることで人は解放され、幸福になります」
「…………私には月谷の頭がおかしくなったようにしか聞こえません」
「導きの声は、ときとして耳に届かないものです。けれど、確かに真実なのです。シスター鷹姫も、シスター鐘留も、この真実に気づき、喜びに目覚めてください」
「私も緑野も嫌なものは嫌です。とくに緑野は、あの歳で、いまだ夜尿が治らないことを気にしていますから余計に嫌でしょう」
「……。え? シスター鐘留はオネショするのですか?」
「あ……月谷は、このことを知らなかったのですか? ……他言無用に願います」
鷹姫は初めて三島が陳情に来たとき同席していたけれど、陽湖がいたか、いなかったかを明白に覚えていなかったし、鐘留から鮎美のように重ねて他言しないよう警告されたわけではないので、うっかり話してしまった。
「…シスター鐘留……、でも、どうしてですか? 普通、私たちの歳ならオネショしないと思いますけど」
「………。心理的な問題というか、ご家族のトラブルというか、……親子関係の問題のようなものです。詳しくは言えません。とても深刻な問題を抱えています。それも解決はしない類のもので、変えようのない過去の出来事に悩んでいるのです」
「……そう……ですか……」
「本当に電車が来ますので、失礼します」
鷹姫は電話を切って3分ほどして来た列車に乗り、井伊駅に着き、新幹線に乗り換える間に駅弁を選んでいたけれど、また電話が鳴った。あまり着信表示を見る習慣は無かったけれど、今回は見てから受話した。
「もしもし、芹沢鮎美の秘書、宮本です」
着信表示は党支部の固定電話からだったのに、響いてきたのは陽湖の声だった。
「月谷です」
「………。ご用件をどうぞ」
「あなたは責任を取るべきだと思います」
「……何の責任ですか?」
「シスター鮎美が都知事選初日に個室で、おもらししたのはシスター鷹姫に大きな責任があります」
「……」
「しかも盗撮されてしまって、そのときの動画はいまだにネットに流れています。シスター鮎美は精神の強い人ですから耐えておられますが、もともとの原因をつくったシスター鷹姫が何の責任も取らないのは罪です」
「………私に、どうしろと…」
「今日、これから、ずっとオシッコを我慢して東京へ行き、シスター鮎美の前で、おもらししながら謝るべきです」
「…………」
「勇気があるならオムツは着けず、そのまま下着で漏らしてください」
「………」
「いいですね。今からトイレに行ってはいけませんよ。これは償いなのですから」
「……償い……」
電話を終えた鷹姫は食欲が無くなったので、三つ買うつもりだった駅弁を一つにして新幹線に乗った。お茶は買わなかった。昼食を終えた頃に名古屋を通り過ぎたけれど、ときおり陽湖からの確認メールが届いてくる。東京に着くと、また陽湖から電話で咎を受け、夕方になって自民党本部である連続した会議に出席する鮎美をサポートするはずだったけれど、動き回ると漏らしそうだったので鮎美へはメールと電話で案内をしてビジネスホテルの部屋で我慢を続けた。夜になって、いよいよ昼から我慢していた鷹姫は青白い顔で議員宿舎に向かう。部屋の前で介式が鷹姫の顔色を見て、懸念を抱いて問う。
「宮本くん、顔色が悪いぞ。どうかしたのか?」
「……いえ……何も…」
「……。こんな夜に芹沢議員へ何の用だ?」
「……報告事項が……あります…」
「身体検査をする」
「っ………やめてください…」
鷹姫が身を固くして両脚を閉じ、腹部を守るように両手で防御すると、介式は疑いを強くした。すでに2度も鮎美にとって身近な人間が狙われ、暗殺の道具に仕立て上げられている。鷹姫の父親は剣道の達人で拉致が容易とは思えないし、ずっと島に居るので家族の拉致も難しいはずだけれど、別のことで脅されているのかもしれない。何より鷹姫の顔色の蒼白さは明らかに普通ではなかった。まるで呪いでもかけられているような、うつろな表情で、いつもポニーテールにしている髪もおろし、顔を隠すようにしている。
「宮本くん、誰かに脅されているのか?」
「……いえ……」
「ともかく身体検査をする。拒否するなら芹沢議員には会わせられない」
「…………」
介式は鷹姫の身体に触れて刃物や毒物、爆発物などを持っていないか調べる。他の男性SPは鷹姫のカバンを調べるし、さらに別のSPは静かに離れて鷹姫の家に電話をかけ家族の安否を確認した。鷹姫は危険物はもっていなかったけれど、一つだけ不審な点があった。おろした髪で隠すように携帯電話に接続したハンズフリーマイクを着けていて、イヤホンを片耳に入れていた。通話しながら自動車運転もできるので忙しい政治家秘書が持つ物としては珍しくない事務用品だったけれど、今現在も通話中だった。
「誰と通話している?」
「……月谷…です…」
「秘書補佐の子か……なぜ、通話しながら芹沢議員を訪ねようとした?」
「………」
「私が話してみるぞ」
「……はい…」
鷹姫はハンズフリーマイクを抜いて携帯電話を介式に渡した。
「警護中の介式警部だ」
「こんばんは。月谷です。いつも、お勤めありがとうございます」
陽湖は穏やかに挨拶した。
「宮本くんの顔色が悪い。何か事情を知らないか? そして、なぜ、通話しながら芹沢議員に会おうとしていた? いかに同級生とはいえ、非礼に過ぎるし不自然だ」
「シスター鷹姫はシスター鮎美に対して償うべきことがあります。なのに、シスター鷹姫が逃げようとするので私が導いていたのです」
「…償う? 宮本くんが何かしたのか?」
「はい。そのためにシスター鮎美はつらい思いをしました。その責任を取らせるべきなのです」
「…そうか……それで顔色が……、わかった。そういう事情なら、私は立ち入らない」
事務所内部のことだと判断したので介式は介入をやめた。携帯電話を返してもらった鷹姫は暗い顔でハンズフリーマイクを接続し直し、イヤホンを片耳に入れた。そしてカードキーで入室する。鮎美は入浴直後のようで裸で髪を拭いていた。
「あ、鷹姫。報告って何? 髪おろしてるんや。……顔色、悪いよ? どうしたん?」
「……まずは……亡き朝槍先生の恋人から、不穏な手紙が来ておりました」
「朝槍先生の……」
そう言われると鮎美の顔色も悪くなる。
「恨み言を書いた手紙で…、脅迫とまでは言えないものですが…、ともかく、報告だけ…いたします…」
「どんな手紙? 中身は?」
「…手紙は、すでに警察へ送ったそうです…」
「コピーか、写真くらいあるやろ」
「……ありますが…ご覧になっても心労を…重ねるだけかと…」
「うちには、それを見る責任があると思うわ。見せて」
「…………では……これを…」
鷹姫はカバンからタブレットを出して画像を表示すると鮎美へ渡した。読んだ鮎美は表情を暗くして、左手の薬指にしている指輪を重く感じた。
「…うちの……せいで…」
「芹沢先生のせいではありません」
「……。とにかく、返事は書くわ。忘れんうちに」
鮎美はパジャマを着ると、便箋を前に考え込む。忙しいので、すぐに書いておかないと大津田のラブレターを忘れたように大切なことなのに忘れそうだった。とはいえ、さらさらと書けるような種類ものでもなく文面を悩む。悩んでいるうちに鷹姫の様子がおかしいことに気づいた。
「……ハァ……ぅ………」
「鷹姫、オシッコでも我慢してるん?」
「………はい…」
「身体に悪いよ。トイレへ行き」
「…………」
鷹姫の目がトイレの方を見て迷い、それから何か言われたように暗く曇ると、震える声で言う。
「……このまま……漏らします……罪を償います…」
「………。誰かに操られたみたいな目ぇして……」
鮎美は鷹姫を見て、おろしている髪から見えるハンズフリーマイクのコードに気づいた。
「その線なに?」
「……」
「ケータイにつながってるやん。誰と話してるん?」
「………月谷です…」
「陽湖ちゃんか……ってことは、おもらし勧誘されたんやね。うちと陽湖ちゃんで話すし、あんたはトイレへ行き」
「……」
「病気になるよ! 身体も心も!」
「…ですが……罪の…償いを…」
「ええから、行き」
鮎美は鷹姫をトイレに押し込むと、ショーツをさげて便座に座らせた。お昼から我慢していた鷹姫は遭難していた登山者が救助隊の担架に載せてもらったときのような脱力感に包まれる。鮎美はイヤホンを自分の耳に挿入した。
「もしもし、陽湖ちゃん?」
「はい。あと少しで、おもらしだったのに……トイレでしてしまうと、わからない快感なのですよ」
「あんたは宗教といい、変な趣味といい、人に無理に勧めるのやめい!」
「シスター鮎美なら、わかってくれると思いましたのに残念です」
「二度と鷹姫に、おもらし強制せんといて!」
「私は導いただけで強制してませんよ。我慢していたのも漏らそうとしたのもシスター鷹姫の意志です」
「そんな風に宗教勧誘のマニュアル流用せんとき! あと、うちの家でも漏らさんといてよ! あんまり何回も漏らしたら母さんも対処を考える言うてはったからね!」
鮎美は電話を切り、鷹姫にも言っておく。
「もう陽湖ちゃんの言うこと聞いて、おもらししようとせんでええよ」
「……ですが……あのとき……私がトイレを塞いでいなければ……あれは、私の罪…」
「妙な罪悪感も持たんでええから」
しばらく時間をかけて説得すると、鷹姫も陽湖による言葉の呪縛から解放された。鷹姫の目が新興宗教のセミナーにまかり間違って参加してしまい真っ直ぐな性格につけ込まれて入会しかけていた若年者のような目から、誠実な政治家秘書の目に戻った。鮎美は昼食の駅弁以後、何も食べていないという鷹姫にチャーハンを作って食べさせる。
「ごちそうさまでした」
食べ終わった鷹姫が食器を片付けているうちに、鮎美は呪いの手紙への返信を書いていた。
「これで静江はんに見てもらってOKやったら送っておいて」
「わかりました。……読ませていだたいて、よろしいですか?」
「うん、どうぞ」
鷹姫は返信を読んでみる。
小山田清美様へ
前略 小山田様よりいただいたお手紙を拝見いたしました。
たしかに私が居なければ、朝槍先生がヤクザに殺されることもなく、今でも生きてご活躍であったと思えば、お恨みを受けることは当然と思います。
また、人の幸せを壊しておきながら、結婚した私のことを軽蔑されるのも当然です。
朝槍先生のことも、そして小山田様に恨まれていることも一生忘れません。
申し訳ありませんでした。ごめんなさい。
どうか、今回の出来事から、あなたが立ち直ってくださいますようにお祈りいたします。早々 芹沢鮎美
読み終わった鷹姫が言う。
「二つ言わせてください」
「うん」
「一つ、やはり朝槍先生を害したのは反社会勢力の仕業です。これをもっと強調され、芹沢先生を恨むのはお門違いだと主張しておくべきです」
「……二つめは?」
「今回の手紙は不問とするが、より脅迫めいたメッセージを送ってきたり、何か害のあることをする場合は、即時警察が対応することを知らせておくべきです」
「うん、うちも同じことは考えたけど、文面には入れんかったんよ」
「なぜですか?」
「うちが直接に朝槍先生を殺したわけやないことなんて小山田さんも重々承知やろ。そんなん言うても責任逃れにしか聞こえんよ。あと、警察って言葉を出して相手の動きを封じるんも脅迫というか警告というか、脅迫と警告は似たようなベクトルやしね。実力行使をちらつかせて相手を黙らせるんは、今回の場合、しとうないよ」
「ですが、言っておかなければ短慮に出て、介式師範らがおられますから危険は少ないにしても何かあるかもしれません」
「そこまでアホな人なら仕方ないよ。……言っておいてあげる方が、未然に犯罪を防げるかもしれんけど……うちの心情的にも、こっちから警察のこと言うて黙らせるのは、しとうない。あと何回か恨みの手紙が来ることくらい受けるべきやと思うわ。この点、静江はんにも伝えておいて。それをふまえての文面やと」
「……わかりました」
「遅くまで、おおきにな。もう休んで」
「はい、私こそ、夕食までごちそうになり申し訳ありません」
「ええんよ。鷹姫が食べてるとこ可愛いし」
「……」
少し頬を赤らめた鷹姫は一礼して退室する。部屋の外で介式に声をかけられた。
「芹沢議員は許してくれたか?」
「はい、寛大な方ですから」
「そうか。よかったな」
介式も鷹姫の顔色が良くなったので安心し、鷹姫が去ってから延長していた勤務を終え深夜番と交替した。
翌3月8日火曜朝5時、詩織は議員宿舎の鮎美の部屋へカードキーで入った。鮎美は15分前に起きてシャワーを浴びて剃毛した後だった。二人とも性行為のために出会ったので挨拶代わりにキスをして、鮎美は匂いを嗅ぎながら詩織を脱がせていく。
「うちのお願いした通り、ずっとお風呂に入らんといてくれたんやね」
「金曜に出会って以来ですから、もう五日目です」
詩織は脱がされながら鮎美が腋の匂いを嗅いでくるので顔を背けて頬を赤くした。
「私は温暖なハワイに行って帰ってきたんですよ。週に2回、ジムでトレーニングもするのに、その後もシャワーを浴びてないなんて、帰りの飛行機で隣になった人に嫌な顔をされました」
「ごめんな、でも、詩織はんの匂い最高よ」
「匂いフェチに応えるのも、ここまでくると軽くSMですね。私はMって苦手です」
自分でも不快と思っている体臭を嗅がれるのは詩織の羞恥心に響くようで赤面しながら舐められている。とくに決めたわけではないけれど、鮎美が前半は攻めという雰囲気になった。脱がせた詩織の全身を舐めて楽しみ、二人でシャワーを浴びると受け攻め交替する。
「詩織はんにも、お好みのプレイとか性癖ってあるよね。うちに言うてないようなこと、まだあるんちゃうの?」
何度かの絶頂の後に鮎美が甘えながら問うと、詩織は怪しく微笑んだ。
「そのうち求めますよ」
「なんか怖いわぁ、もうテレビカメラの前にバイブ入れられて出演するのは嫌よ。どうしても、って言うなら応じるけど、手加減してほしいわ。せめて連合インフレ税がうまくいくまでは、うちを失脚させんといてね」
「ええ、鮎美には歴史に残る人になってほしいですから。信長よりもガンジーよりも女性でいえばジャンヌダルクより」
「そこまで立派な人と並べられると恥ずかしいわ。けど、三人とも途中で亡くなってはるなぁ……あの三人、生きてたら、もっとビックになったんちゃうかな」
「それは、どうでしょうね。ある意味、あの絶頂期に殺されたがゆえ、より人々の記憶に強く、そして美化されて残ったのかもしれませんよ。ガンジーをしてインドパキスタンの分裂を止めることはできず、ジャンヌをして英仏の争いに決着はつけられなかったでしょう」
「信長が生きてたら、全国統一は20年早かったんちゃうかな。朝鮮出兵は……あったかな……島津氏の琉球進出も……。世界史は、もっと大きく変わったかも」
「いい方に変わるとは限りません。彼はキリスト教の布教を許していましたし、それが続けば次第に日本が日本でなくなったかもしれません」
「詩織はんもキリスト教、嫌い?」
「どうでもいい存在ですが、押しつけがましいところが嫌いです」
「そやね……詩織はんは神様っていると思う?」
「いたら会ってみたいものです。キリストを刺したロンギヌスが羨ましいくらいです」
「神様を刺すん?」
「ええ、神様なら痛くも痒くも無いはずです。どんな顔をするのか見てみたいです」
「……神様はともかく人の身で刺されると、めちゃ痛いよ」
鮎美がそう言うと詩織は舌を出して、鮎美の下腹部の斬られた傷跡を舐めた。もう跡は残っていないけれど、どこだったのかは覚えている。
「刺されたとき、どんな感じでしたか?」
興味津々という顔で詩織が問うた。
「う~ん……最初は、そんなに痛くなかってん。もちろん、痛かったけど、あとから来た激痛に比べたら、ぜんぜん。で、じわじわ痛くなってきて立ってられんようになって、血まみれやし、身体も冷たくなってくるし、うちは、もう死ぬんや……そう思ったわ」
「ということは、鮎美は、いずれ二度目の死の体験をすることになりますね」
「そやね……90年くらい先であってほしいけど」
「けっこう長生きするつもりなんですね。フフ」
「うちが言い出した連合インフレ税を世界各国が受け入れてくれるなら、そのあと、どうなるか、見届けたいやん。できるだけ長く。きっとケインズもマルクスも、長生きしたかったと思うよ」
「もうそんな話よりプレイに集中してください。次に会えるのは修学旅行からの帰国が3月11日金曜で関空ですし、土曜が卒業式、そのまま地元で……。私とは、また火曜朝まで、一週間は会えませんね」
「一週間、お風呂やめてほしいって頼んだら?」
「このヘンタイ」
「やっぱり、あかんよね……」
「ま、考えておいてあげます。我慢できなくなったらやめますけど、忙しくて入浴の時間が無い日もありますから。それに卒業証書を手にする前の正真正銘の高校生としての鮎美と抱き合えるのは今が最後、その鮎美が願うことですから、耐えてみてあげます」
「やった。おおきに」
「でも、夏場は絶対嫌ですよ」
「夏になったら、詩織はんと新婚旅行に行きたいわ。国会も休みあるやろし」
鮎美が左手で詩織の左手を握った。それで二つの指輪が触れ合う。
「詩織はんに出会えて、うちホンマ幸せよ」
「ええ、私もです」
そう言ってキスをすると、また燃え上がって抱き合う。鷹姫にはギリギリまで顔を出さないように言っておいたので本当に遅刻ギリギリになって部屋を出る。その寸前にもキスをした。やっと自分の性的指向と合う相手に出会えて結婚した喜びで一秒でも長く、いっしょにいたかった。国会に出席すると、直樹が言ってくる。
「おはよう。キスマークがついてるよ」
「っ、どこ?!」
鮎美が慌てて首筋に触れるのを直樹と音羽が可笑しそうに笑った。
「ぅう……カマかけおって…」
「アユちゃんの新婚生活、どうなの?」
「……うん…まあ…まあ…」
多忙で時間が無く夜より早朝に抱き合っているとは言えないし、自分の趣味嗜好で何日も入浴しないでいてもらっているとも言えない。鮎美がお茶を濁していると音羽が言ってくる。
「一応言っておくし、アユちゃんに横取りされるとは思わないけど、アユちゃんと直樹はもともと仲が良かったし地元いっしょだから黙っておくのもなんだからさ」
そう前置きして音羽が鮎美の耳に囁いてくる。
「私と直樹、付き合うことにしたから、よろしくね」
「え?! 民主党と共産党やのに?!」
大きな声は出さなかったけれど、かなり驚いた。
「恋愛に党は関係ないじゃん。性別まで関係ない人が今さら驚くこと?」
「意外というか……何の前触れもなかったというか……いきなりやん」
「アユちゃんが見てないとこで、いろいろあったの♪」
「そらま、そやね。ついクラスメート気分やったけど、学校とちゃうからね。で、いつ結婚すんの?」
「そんなアユちゃんみたいに電撃ではやんないよ。まだ付き合い始めただけ」
「ま、ボクの3年後の国民審査次第かな」
仲良くなった男女を鮎美は微笑ましく見て国会スケジュールを終え、鷹姫と修学旅行のために夜の羽田空港に来た。最終便で関空へ飛ぶつもりだったけれど、搭乗口で2社のマスコミにカメラを向けられた。
「芹沢議員、明日から国会を欠席して修学旅行に出られるのは本当ですか?」
「はい」
想定していた事態だったので冷静に答えた。
「国会議員として、本会議もある中で欠席されることについて、どうお考えですか?」
「できるだけ欠席したくないと思っていましたし、寸前まで迷っていたのですが、私の高校は修学旅行に出席しないと、大きく単位を落としてしまう教科があり、結果として高卒資格を得られないか、かなりの多数回にわたって行われる補講に出る必要があり、やむなく修学旅行だけは行かせてもらうことにしました。あと土曜の卒業式をふくめて4日、国会議員としての活動をお休みさせていただきます」
「それで国民への責務を果たしたことになると、お考えですか?」
「はい。今後、クジ引きで選出される議員にしても、衆議院議員にしても、どこまで私生活を犠牲にして議員活動を行うか、という問題に直面することと思います。この問題が今まで、産休や育休の問題を含めた女性議員の増加を阻んできた側面もおおいにあると考えますし、また男性議員の家庭生活での不在化ということも出てきます。結果として、おおむね子育ての終わった時期である50歳以上の男性ばかりという議員社会が出来上がるわけです。多くの社会経験を積んできた50歳以上の男性の国政参加は、きわめて重要ですが、彼らばかりというのは、どうでしょうか? そう考えたからこそ、無作為に選出される参議院制度が始まったわけで、幅広い年齢層と男女半々で構成される参議院においては、大学生大学院生は当然、私と同じくギリギリ高校生で当選ということもでてきます。そのとき、卒業式や修学旅行など大きな行事と国会出席が重なったときどうするか、と迷う局面も出てくる中で、最初の一歩になる自分の歩みを、非常に迷いましたが、のちのち広く開かれた国会と持続可能な議員活動ということを考えたとき、修学旅行と卒業式への参加を決めました」
考えていた長いセリフを言い、一礼して飛行機に向かった。国内線なので身体検査だけでパスポートなどは出すことなく座席に座った。隣に鷹姫、そして周囲にSPという形になり、周りに聴かれない声で鷹姫に言う。
「思ったよりマスコミ少なかったね」
「内閣が外務大臣が抜けたことで不安定ですから、そちらへの批判と取材が多く、芹沢先生の欠席はニュースにならないかもしれません」
「微妙なとこやもんなぁ……国会と卒業式、修学旅行、どっちが大切やねん、となったとき、どっちにも理由はあるし。ま、鳩山内閣がガタガタのときでなくて、他に大きなニュースも無い時期やったら、もっと集まってたかもしれんけど、ある意味、鳩山総理さまさまやね」
「この分では関空では取材は無いかもしれません」
「そやね。とりあえず着くまで寝ておこか」
「はい」
そう言ったものの、鷹姫は初めてのフライトだったし、鮎美も飛行機に乗ったのは家族旅行をふくめて数えるほどしか無かったので眠くなる前に大阪の関西国際空港へ着陸していた。すでに時刻は23時前だったけれど、まだ合流するはずの他の生徒たちを乗せた修学旅行バスは来ない。陽湖からメールが来ていて名神高速道路の事故渋滞のために予定より遅くなるようだった。
「渋滞なんや、しゃーないな。ま、最悪でも飛行機が待ってくれる飛行機やし大丈夫やね。学校が飛行機を所有してるとか、すごいな。どんだけ寄付金あってんろ」
「正確には、教団の世界本部が所有している飛行機で、それを一年を通じて世界各国にある教団所属の学校に貸し出し、聖地エルサレムへの巡礼に使っているそうです。いわば、うみのこの世界版のようなものです」
「……うみのこ、って何? どこかで聴いたことあるけど……」
「あ……芹沢先生は小学校を大阪で過ごされましたから、うみのこの印象が薄いのですね。琵琶湖を周遊している大きな船です。県の事業で小学校5年生を乗せ、船内宿泊もできる設備があり、琵琶湖の環境などを修学旅行として学ぶのです。県内すべての5年生に体験してもらうため、一年を通じて運行されています」
「ああ、そんなんもあったね。うみのこの世界版か。どんな飛行機なんやろ」
鮎美は修学旅行のしおりをめくった。
「ふーん……エアバスのA321……最大乗客220人……けっこう大きいなぁ。学年全員と先生ら、それに、うちのSPを乗せてもらっても余裕あるやん。めちゃ手荷物を制限されてるから、ボロい飛行機やったら怖いと思ったけど、まともそうやね」
「分類としては中型ジェット機のようです」
鮎美と鷹姫が話ながら空港玄関あたりを歩いていても取材は無く、日付が変わる頃に修学旅行バスの列が到着した。
翌3月9日水曜の午前0時、やっと到着した修学旅行バスから陽湖と鐘留が降りてきたけれど、顔を隠して泣きじゃくる鐘留を支えるようにして陽湖が抱いていて、何があったのだろうと鮎美と鷹姫が見ると、鐘留の冬制服のスカートが座ったまま小水を漏らしたように後ろだけ濡れていた。
「陽湖ちゃん……あんた、まさか……こんな学年全員がそろってる中で……カネちゃんに……おもらし強制……。ありえんやろ、かわいそうすぎるわ」
「緑野……。月谷! あまりに非道です!」
「ち、違いますよ! 私は何もしてません」
「ほな、なんでよ?!」
「シスター鐘留はバスの中で寝てしまって……寝たのは渋滞もあって、みなさん眠っていたのですけれど、さっき空港に着くということで起きたのです。そうしたら、シスター鐘留は眠っているうちに漏らしてしまったようで……泣き出されて……。本当に私は何もしていませんよ。私は嘘をつきません」
「「………」」
陽湖が嘘をつかないことは信用できるし、鐘留に夜尿症があることは鮎美も鷹姫も知っていた。
「カネちゃん……こんなときに…」
「ひくっ…ううぅ…」
鐘留は顔を隠して泣き続けている。そして、同じバスだった他の生徒たちは鐘留が泣いている理由を知っているし、それが他のバスに乗っていた生徒たちにも広まってしまう。
「あいつ、なんで泣いてんだ?」
「緑野さん、おもらししたらしいよ」
「違う。オネショだって」
「うそ、マジで?!」
「この歳で死にたくなるだろ」
「ザマないよね、笑える」
「あの子、調子に乗りすぎだし」
「神様っているんだよ、天罰天罰」
大きな声ではないけれど、からかいの声が飛んでいて、とくに女子からのいたぶりが酷かった。鐘留の家が裕福で本人もモデルになるほど可愛らしく、しかも謙遜せずに自慢していたので同性からの鬱屈した感情は強く、それがあざけりになって投げつけられている。このさい鮎美の秘書補佐という立場になっているのも注目を集めてしまっていた。
「カネちゃん……とにかく着替えよ。着替えある?」
「…ぐすっ…ぅうっ…無いよぉ…持ち物、ぜんぜん無いもん…」
「そやった。普通、体操服くらい修学旅行に持たせるやろに」
鮎美も貸してやろうにも、自分が着ている制服と下着、そしてカバンには替えの下着1組しか無い。極端に持ち物がない旅行だった。
「ううっ…ううっ…ひうぅうっ…」
泣き続ける鐘留がかわいそうで、鮎美と陽湖が同時に言う。
「「スカートを貸してあげるから」」「泣くことないよ」「泣きやんでください」
鮎美と陽湖が目を合わせた。
「うちが貸してあげるわ。陽湖ちゃん、生徒会長として、これから色々あるやろ」
「ですが、シスター鮎美は議員で…」
「修学旅行中は、ただの生徒よ。カネちゃん、おいで」
ずっと顔を隠している鐘留を女子トイレに連れて行き、スカートと下着も交換してやった。鐘留はお礼を言う気も回らず泣き続けている。鮎美は濡れたスカートのお尻を鏡に映してみた。だんだん乾いてきて、あまり目立たなくなりつつある。平気な顔で立っていれば、とくに問題なさそうだった。
「…ううっ…ひううっ…」
「カネちゃん……」
泣き止むまで抱きしめていようとしたけれど、出発の時刻も近づいてくるので鷹姫が呼びに来た。
「芹沢先生、そろそろ出国手続きなどを始める都合もありますから」
「そやね……カネちゃん、行こ」
嫌がって帰宅すると言い出すかと心配したけれど、その気力も無いのか、泣きながら手を引かれるまま鐘留はついてくる。空港ロビーでは修学旅行らしく生徒たちが整列して点呼を受け、人数確認が済むと教頭が注意事項などを話し、次に屋城が短い礼拝を行い、そして陽湖が前に立って話し始めた。
「この修学旅行は私たちの学園生活の締めくくりとして執り行われます」
「緑野が漏らしたらしいよ」
「あはは、やっぱ、それマジ」
「だって泣いてるじゃん」
「ホントだ。笑える」
「あいつムカつくから、いいきみ」
陽湖が話し続けているのに私語がやまない。ほとんどの生徒は大学受験などの進路も決まり開放感もあって規律が無い。
「静かに私の話を聴いてください!」
「バスの中でオネショだって」
「普通しないよね」
いつまでも私語を続けているし、鐘留への揶揄が大半だった。だんだん腹が立ってきた鮎美が怒鳴ろうとする直前、陽湖が叫んだ。
「そんなに人の失敗が可笑しいですかっ!」
「「「「「……………」」」」」
静かになったけれど、まだ一部の女子たちはクスクスと笑っているし、鐘留は泣き続けている。
「わかりました。笑いたいなら、私を笑ってください! 私も漏らしますから」
そう言い放った陽湖は立った姿勢のまま、深めの呼吸をして下腹部の力を抜いた。長いバス移動で、それなりに貯まっていたのでビチャビチャと音を立てて漏れ出てくる。少し湯気があがり、陽湖の足元に水たまりができた。陽湖の故意によるおもらしで水を打ったように生徒たちが静かになる。
「さあ、笑ってください」
誰も笑わないし、もともと他人に親切で、嘘もつかず、信仰心厚い陽湖の人望は高かったので、泣いている鐘留のために自分まで濡れて見せたことに賞賛さえあがる。
「月谷さんって優しいよね」
「あの人、完璧だよな」
「普通できないよ」
「わざとでも漏らして、あんな堂々としてるとか、すごいな」
「あいつが議員だったら、どうだろう」
「うーん……いいような……オレらの学校の宗教、ちょい変だから微妙なような」
陽湖が時間が無いので言う。
「私からの話は飛行機へ搭乗してからとします。みなさん順番に手続きしてください!」
ぞろぞろと生徒たちが動き出し、陽湖は汚してしまった床をハンカチやティッシュで拭くけれど漏らした量が多いので足りない。鮎美と鷹姫も手伝い、床を掃除してから、まだ泣き続けている鐘留を連れて搭乗手続きを終え、ターミナルの一番端だった教団専用機に乗った。細長い機内は中央に通路があり、左右に3列ずつシートが並んでいる。トイレは前方と後方の二カ所だった。
「うちの席は………一番後方に介式はんらとやね」
鮎美の席は最後部だった。鷹姫と鐘留は中央部で、陽湖は最前列だった。
「カネちゃんの隣がよかったけど……席、変わってもらおかな……」
泣いている鐘留が心配なので離れたくなかった。中央部に指定されている鐘留と鷹姫の席も離れている。
「どういう席割りやねん。うちがSPと、ひとまとまりなんは、わかるけど……。鷹姫、誰かと変わってもらってカネちゃんの左右を空けてもらって!」
「はい」
鷹姫が席替えを交渉しようとすると、陽湖が言ってくる。
「今は、その席割りで我慢してください。すぐに離陸しますから」
「けど、陽湖ちゃん…」
「これ以上、シスター鐘留をからかう人がいたら、私が許しません!」
かなり強い口調で陽湖が言ったので機内に響き、泣きながらも鐘留は一人で座り、あまり仲が良いわけではない男子に挟まれた。その男子たちも無用な叱責は受けたくないので黙って座る。全員が着席すると、わかりやすい発音の英語でシートベルトを着用するよう案内された。鮎美は湿っているスカートで座席を汚さないようクルリと回転させて濡れたところを前にしてから座り、シートベルトを締めながら隣になった知念に言う。
「日本語の案内が無かったけど、パイロットは外国人なんかな?」
「そんな感じっすね」
「話を変えるけど、桧田川先生と結婚しそう?」
「プライベートなことには答えないっす。あと、こういう出発のタイミングで、この仕事から帰ったら結婚するんだ、とか言うと、途中で撃たれたりして死ぬのパターンっすから。まだ結婚しないっす」
「それは賢明かもね。うちも自分のせいで人が亡くなるのはイヤやわ」
そう言いながら鮎美が知念の胸に触れ、スーツの中に手を入れてカッターシャツの上から撫でてくるので知念は赤面した。
「ちょっ、ど、どういうつもりっすか?」
「ちゃんと防弾チョッキ着てるんやなぁ、と」
鮎美はカッターシャツの下に着込んでいる防弾チョッキの感触を確認しただけだった。
「これ重いん?」
「そんな重くないっすよ。気候によっては暑苦しいっすけど。というか、前から思ってたんすけど、男の身体に平然と触るの、よくないっすよ。芹沢議員に、そのつもりがなくても、触られた方は気があるのかと変に思うっすから」
「あ~、すんません。気をつけます。さて、鷹姫の席も遠いし、寝るしかないかな」
「イスラエルまで長いフライトっすからね」
話しているうちにA321の巨体は動き始め、滑走路に出ると加速し離陸する。つい先刻も羽田から関空まで飛んで来た鮎美は飛行機が珍しくなくなったので今度こそ寝ようと目を閉じたけれど、京都上空を飛んでいるうちに陽湖がマイクで全体に放送を始めた。
「神に仕えているシスター、ブラザーのみなさんは前方の会議室に集まってください。他の生徒たちは眠らずに待っていてください」
「……なにか始める気なんや……」
最後部にいる鮎美からは見えにくいけれど十数人の洗礼を受けている生徒たちが機体前方にある小さな会議室に入っていく。中型ジェット機の設計としてはエコノミーより高価なシートを並べる部分半分を犠牲にして部屋にしていた。屋城と聖書研究科の教師も入っていく。
「寝んと待てて、この時間に…」
もう深夜だったけれど、多くの生徒にとっては飛行機が珍しいし、修学旅行気分なので、まだ眠気は襲ってこない。陽湖たちが会議室に入って30分、もう日本の領空を離れた頃になって出て来た。出て来た陽湖たちの姿が機内天井に設置されているモニターに映るので最後部の鮎美にも、よく見えた。
「……なんや……あのカッコ……」
陽湖は制服から司祭のような紫色のローブに着替えていて、他の信仰心厚い生徒たちも黄色のローブを着ている。
「これから、この修学旅行の意味を説明します」
穏やかなのに確かな声で陽湖が全体に向かって言った。
「神を信じていない生徒のみなさん、あなた方にとって、この修学旅行が最後のチャンスになるかもしれません」
「「「「「……………」」」」」
生徒の9割は陽湖たちが信じる神を信じていないし、神道や仏教に影響されているわけでもない生徒たちなので、この3年、長い生徒では中学から6年、何度もあった説教なのだと思いつつも、いつもより雰囲気が重いので、やや圧倒される。
「今、この飛行機が墜落して全員が死んでも、私たち神に仕えるシスターブラザーは永遠の楽園に復活しますが、神を信じていない人は救われません」
「陽湖ちゃん……イヤなこと言うなぁ……フライト中に墜落なんて単語、結婚式で離婚の話するくらいタブーやん…」
鮎美と同じことを感じた男子生徒が陽湖へ野次を飛ばす。
「感じ悪いぞ! 墜落とか言うな! だいたい、お前らウザいんだ!」
「すべて真実です」
「お前の脳内だけでな!!」
「……」
ナイスつっこみ、と鮎美は思ったけれど、陽湖とはさんざんに論議したので、もう話すことはなく穏やかな人間関係を続けたいと思っているので黙って聴く。
「これから最後の指導を行います。この導きに逆らう場合、卒業に必要な聖書研究科の単位は与えられません」
「なっ?! それ横暴だろ!!」
「信仰の自由とかあるだろ! おい!」
他の男子生徒も野次を始めたけれど、陽湖は微塵も動じない。
「この学園に入学するさい、神の導きの声に耳を傾け、正しく生きようと努めることを誓約する文書に全員が署名したはずです」
「……あれか……」
多くの生徒にとっては3年6年前のことだったけれど、鮎美にとっては編入した1年前のことなので、よく覚えている。今でこそ法律を勉強したので、そこにあった文言が信仰の自由を侵さない範囲で、聖書研究科の授業などに耳を傾け、従う努力をし、それに逆らい学園の秩序を乱すとき、単位が与えられないことや退学になることに同意する巧妙な文書だったとわかる。
「しかも日本の領空を出てから言い出すとか……っ! 陽湖ちゃん!! この飛行機の登録国は?!」
この一年、演説で鍛えてきた鮎美の声は最後部から最前部にいる陽湖まで届いた。陽湖の声は小型マイクを着けているので、おごそかなエコーがかかって響いている。
「イスラエル国です、シスター鮎美。そして私のことはシスターをつけ、シスター陽湖と呼んでください」
「………やられた……」
鮎美が額に手をあて空で天を仰いだ。知念が問う。
「それが、まずいっすか?」
「知念はん、警察官やろ。身体ばっかり鍛えてんと、法律も勉強しぃ。機上での犯罪は、その飛行機の登録国で裁判されるんよ」
「そ、それくらい知ってるっすよ! オレ、要人SPですから!」
「そやったら意味わかるやろ」
「………別に、悪いことしなきゃいいんじゃないっすか」
「うちもイスラエルの法律を知ってるわけやないけど、宗教学校に同意書も出して入学してるもんが、その指導に逆らって秩序を乱したとき、日本の刑法188条の礼拝所不敬及び説教等妨害の罪なんか比較にならんくらい厳しく裁かれると思わん? ユダヤ、イスラム、キリスト、その三つの宗教が聖地にひしめきあって、人口の大半はユダヤ教の国の法律が、日本ほど甘いと思う?」
「ぅ…………なんかヤバそうっすね……オレらは関係ないっすよね。SPだし、同意書は出してないし」
「たしか、機長には警察権まであったよね?」
「はい、あるっす」
「…………もう、あかんわ、逆らわんとこ…」
鮎美は無難に修学旅行を終えるため、陽湖に逆らわないことにした。同じことは鷹姫も思い至ったようで黙って考え込んでいる。他の生徒たちも細かい理屈はわからないけれど、何より卒業できないと高卒資格を得られず、せっかく決まった大学などに入学できない可能性は、卒業できなくても議員や秘書たる立場を失わない鮎美たちより深刻なので野次が止まった。陽湖がおごそかに続ける。
「これから洗礼を受けていない生徒全員に信仰告白を行います」
そう言った陽湖は英語で機長と内線電話で会話し、天候が安定していることを確認してから生徒たちに命じる。
「生徒は全員、姿勢をただし、座席番号5Aから13Fに座っている生徒は起立して順に通路に並んでください。13Fの生徒が最後尾です」
言われたとおりに生徒たちが動く。座席は横にABCDEFと6席あり、5から13列までなので、およそ48人が並ぶと最後尾は鮎美のそばまで伸びてきた。さらに、学園生活中もよく聴いた賛美歌のような音楽が流れ、陽湖は一番前にいる女子生徒に問う。
「シスター理恵、あなたは神を信じますか?」
「はい! 信じます!」
一番前に並んでいた生徒は、すでに実の姉が洗礼を受けていて本人も高校2年生頃から日曜礼拝にも参加するようになり、近々洗礼を受けようと考えていた生徒だったので、この機会に決断する。
「私は神に仕えるため、洗礼を受けたいと思います!」
「素晴らしいことです。私はシスター理恵を祝福します」
そう言った陽湖は理恵と抱き合い、それから理恵を会議室に送る。理恵には洗礼を受けている黄色のローブを着ている女子生徒が2名つき、会議室に入っていった。次に陽湖は二番目に並んでいる男子生徒に問う。
「ブラザー康文、あなたは神を信じますか?」
「はい、信じます」
その男子生徒も3年生の一学期から日曜礼拝に参加するようになり、それなりの信仰を持ちつつある生徒だった。
「では、ブラザー康文は洗礼を受けますか?」
「………はい! 受洗を望みます!」
最後の迷いが無くなり宣言した。陽湖が右手を出し、男子生徒と固く握手をする。そして康文は会議室の前に導かれ、少し待って先に入っていた理恵がオレンジ色のローブを着て出て来たのと交替に2名の洗礼済み男子生徒と入っていった。理恵は元の席に座る。
「ブラザー良樹、あなたは神を信じますか?」
「はい、信じます」
同じようなことが繰り返され、6人の生徒が受洗を宣言してオレンジ色のローブに着替えていったけれど、7人目の生徒は迷った。
「シスター桜、あなたは神を信じますか?」
「……はい……信じていると……思います…」
「では、シスター桜は洗礼を受けますか?」
「………まだ……ときが来ていないと思います……ごめんなさい………ああ! ごめんなさい! ごめんなさい! シスター陽湖、どうか許してください! ごめんなさい!」
桜が両膝をついて陽湖に謝り泣き出した。陽湖は優しく桜を抱いて言う。
「いずれ、シスター桜にも導きがあります。そのときまで聖書の教えを大切にしてください」
「はい! はい!」
泣きながら頷いた桜もまた会議室に導かれ、しばらくして青銅色のローブに着替えて出て来た。鮎美がつぶやく。
「色で分けていくんや……うち、何色にされるんやろ……信じてへんと黒かな………あ、この席順……もしかして…」
鮎美は飛行機の前から後ろまでの席順の理由に見当がついた。陽湖が最前列で、最初に会議室へ集まった洗礼を受けている生徒たちも教師たちと並ぶ前列だった。そして、信仰を告白し、洗礼も受けたいと言った生徒たちも前の方にいる。逆に在学中に素行の悪かった生徒、ありがちな喫煙や飲酒で停学処分を受けたり、万引きで補導された生徒などは後部に座っていた。そして鮎美の予想を裏付けるように桜の後だった5人の生徒は神を信じつつあると言うものの洗礼を受けるのは保留し、青銅色のローブになった。その次の女子生徒は思いきって受洗を宣言し、オレンジ色のローブになった。さらに次の男子生徒に陽湖が問う前に全体に言う。
「座席番号14Aから順に起立して並んでいってください。座っている生徒も姿勢をただすように!」
「………」
16Eだった鷹姫が無言で立ち上がり、行列の最後尾に並び、鮎美のそばになった。
「このような茶番、いつまで続ける気なのでしょう?」
「最低でも全員に質問するやろね。せめて着陸したら終わってほしいわ。帰国するまでやと、ぞっとする」
「はい、まったく」
鷹姫と鮎美の他にも私語を始めた生徒がいたので陽湖が警告してくる。
「私語は慎んでください! 神聖な信仰告白を妨げることは許されません!」
「「……」」
鮎美は軽く肩をすくめ、鷹姫はタメ息を飲み込んだ。
「シスター愛花、あなたは神を信じますか?」
「……信じたいとは思いますが、信じ切れていません」
「正直は美徳です。シスター愛花に祝福のあらんことを」
愛花はオリーブ色のローブになった。
「ブラザー貴久、あなたは神を信じますか?」
「いいや、信じない」
はっきりと貴久が言った。その断言に後ろに並んでいる生徒の何人かが静かな賞賛を送っている。陽湖は動じずに受け止める。
「神はいつも私たちを見ておいでです」
「……戦争ばっか続くのにか?」
以前に鮎美も問うたことだった。そして答えも予想される。
「この世が間違った道に進むのは、アダムが原罪を犯し、サタンに隙を与えたからです。私たちと、いっしょに聖書を学びましょう」
「………で、オレは何色だ? 赤レンジャーがいいな、リーダーがよ」
貴久は素行も成績も良い生徒だったけれど、在学中の聖書教育には不満をもっていたようで悪態をついている。会議室に入るとローブではなく白い長袖のシャツとズボンで出て来た。そして変身ポーズを取る。
「ホワイトレンジャー参上!」
「ブラザー貴久、ふざけるのはやめてください」
「やめなきゃ退学か?」
「その可能性もあります」
「怖ぇ……オレ、一応は同志社大学に受かったからさ、頼むぜ、卒業単位。っていうか、オレ、単位はもらえるのか? 聖書研究科の。もらえないなら、オレ、神を信じるぞ」
「この修学旅行中の態度と課題に取り組む姿勢によります」
「……あ~あ……やっぱ、信じてると答えておけば、よかったか……」
「嘘は罪です。その罪を犯していないブラザー貴久を神はよく見ておいでです」
「…………はぁ…」
貴久はタメ息をついて元の席に座った。その後は白いシャツで出てくる生徒が多くなり、だんだんと多数派になっていく。
「ブラザー義隆、あなたは神を信じますか?」
「正直に言っていいのか?」
「はい」
「クソムカつくんだよ、この神ボケ女!」
そう言って義隆は陽湖の顔を叩いた。叩かれた陽湖は軽い身体なので倒れそうになるけれど、背後にいた黄色のローブを着ている生徒たちが支えた。そして暴力行為なので教師たちが義隆を捕まえる。
「離せやコラ! もう付き合ってられるか! オレは帰る! おろせ! 卒業なんか、どうでもいいぜ!」
喚いている義隆へ恐れず陽湖が言う。
「ブラザー義隆、あなたは手加減してくれました。許します」
「くっ……うぜぇ! 誰が女の顔面、思いっきり殴るか!」
学園そのものが、それなりに偏差値の高い学校なので素行の悪い生徒でも程度は低すぎない。しばらく悪態をついた義隆がおとなしくなったので再び陽湖が問う。
「ブラザー義隆、あなたは神を信じますか?」
「……信じない…」
義隆も白いシャツになった。次が鷹姫の番だった。
「シスター鷹姫、あなたは神を信じますか?」
「わかりません」
「……。わからないとは、どういうことですか?」
「まったく、わからないということです」
「………神を信じていないのですか?」
「そもそも、神というものが、どういう存在で、それを人が見聞きできうるのか、そもそも世界を創った存在が、世界に内在するのか、そんな禅問答になります。そんな問いへの答えは、まったくわからないというのが正答です」
「……お考えはわかりました」
鷹姫はオリーブ色のローブで出て来たけれど、陽湖に不満を言う。
「白のシャツとズボンにしてください」
「なぜですか?」
「不相当です。そしてローブのようなこの服は、とっさのときに動きがとれず、万一にも芹沢先生を守れないことがあっては悔やみきれないからです」
「………」
判定を覆すことが可能なのか、陽湖は屋城と相談した後、鷹姫に着替えさせた。また、しばらく白のシャツが続き、鐘留の番になった。まだ泣いていた。
「…ひっく…うぅっ…」
「シスター鐘留、あなたは神を信じますか?」
「ううっ…うっ…」
泣きながら鐘留が頷いた。意外だったので陽湖が問う。
「シスター鐘留、神を身近に感じますか?」
「…ううっ…うああっ…ぐすっ…ひぐうぅ…」
もう何も考えていない様子で、とりあえず頷いている。陽湖はオリーブ色のローブを選ぶ動作をして配下の黄色ローブたちに会議室へ鐘留を案内させたけれど、しばらくして困った顔をした黄色ローブに相談され、自ら会議室に入って鐘留と話した。
「シスター鐘留、聖書以外の一切の私物は預けてください」
現金、携帯端末はもちろん、すでに手荷物は機内下部の貨物室で、さらに学園が貸し与える衣服に着替える前には下着も靴も髪飾りも預かり、革のサンダルと月経中の女子には木綿の綿と腰布を与えていた。鐘留は月経で使うナプキンを握りしめて離さないでいる。
「ぐすっ…ナプキンだけ…ぅうっ…でないと、またオネショするから…ぅぅっ…寝ると必ず……ううっ…怖い夢みて……ぅぅ……誰にも言わないで…」
告白したくないことを涙ながらに告白して頼んでくるので、陽湖も可哀想になったけれど、規則には従わせる。
「今夜も明日の夜も課題が多く、眠る時間は無いかもしれません。シスター鐘留には後でトイレに近い席に移動してもらいますから、よく注意して頻繁にトイレへ行ってください。生理で使ってもらう木綿の綿も多めに渡します」
「ぅぅ……ヤダよ……もう帰りたい…ひぅぅ…」
「飛行機は引き返すことはできません。従ってください」
やや強い口調で陽湖が言うと、鐘留はビクリとして従うことを選んだ。握っていたナプキンを渡して、制服を脱ぎ、下着も靴も預けて全裸となり、木綿の綿を股間にあてると腰布で巻いてからオリーブ色のローブをかぶった。
「…ぐすっ…」
「何も怖いことはありません。私たちの導きに従ってくだされば、きっと希望を見いだせます」
「…ホントに?」
「はい、信じてください」
「…ぐすっ…」
それでも泣きながら鐘留は席に戻り、陽湖も信仰告白を続けた。白いシャツが続き、次の男子生徒へ陽湖が問う。
「ブラザー泰治、あなたは神を信じますか?」
「ボクはプロテスタントだから信じている」
「宗派の違いを超え、神の導きはあります。お互い、よく聖書を研究いたしましょう」
陽湖はオリーブ色のローブを選ぼうとしたけれど、泰治は続けて言う。
「けどさ、……一つ、言っておきたい」
「はい、どうぞ」
「……ボクは………」
よほど言いにくいことなのか、泰治は何度も深呼吸した後、陽湖よりも機内全体に向かって叫んだ。
「ボクはゲイだ! そして義隆が好きだ!」
「「「「「えええーーっ?!?!」」」」」
機内が騒然となる。男子も女子も騒ぎ出して陽湖たちが注意して静粛にさせるのに、かなりの時間を要した。そして疲れを隠して陽湖が告げる。
「ブラザー泰治、あなたは列の最後尾、シスター鮎美の後ろに並び直してください」
「え……それ、って、どういう?」
「あなたへの説諭は長くなります。少し待っていてください」
「わかったよ……」
泰治は踵を返して最後尾を目指した。その途中で義隆と目があった。この3年、バレー部で切磋琢磨した仲だった。
「義隆……いきなりで、ごめん、あと、隠してて」
「いや………けど…オレは……仁美と付き合ってるから………それに男に興味ない……ごめん」
「うん、知ってるよ。ごめん。言いたかったから、言った。卒業したら、もう会わないしさ」
「そうか……」
短い別れがあり、泰治は最後尾に行く。もう鮎美も残りの人数が少ないので起立して並んでいて、その後ろにつく。
「芹沢さん、ありがとう。君のおかげで勇気をもらえた」
「タイジはん……」
学年は百人を超えているので確率的に同性愛者が鮎美の他に一人二人いて自然だったけれど、カミングアウトが容易でないことはお互い身にしみている。ずっと隠して苦悩してきた経験は二人に固い握手をさせたし、握手だけで足りず、思わず抱き合ったので周りが言ってくる。
「おいおい、お前ら、そのまま付き合えよ」
「「…ははは…」」
抱き合っていた状態から離れて異性愛者たちに語る。
「うちは男には感じんのよ。あんたらが男同士で抱き合ったとき、何も興奮せんやろ?」
「ボクもだよ。女の子は、よくわからない」
そう言った泰治へ、スカートを短く改造することでは鐘留と1、2を争っていた女子が言ってくる。
「だから私が誘ってもスルーしたのね………あ~あ! 好きになって損した!」
「ごめん」
「ゲイってさ、見た目でわかんないの? 見分け方とか無いの?」
「一応、ボクは左耳だけにピアスをしてるだろ。これはオシャレじゃなくて、そういうシグナルらしい。通じないことが多いけど」
「覚えとくわ」
「私語は慎んでください」
また陽湖が信仰告白を続けるけれど、後部の生徒になるほど素行が悪くなるので罵倒も受ける。
「シスター由香里、あなたは神を信じますか?」
「人のことキモい呼び方しないでよ!」
そう言って由香里は陽湖の顔面に唾を吐きかけた。今まで同じことをしようかと考えた男子もいたけれど、実際に陽湖を前にして、女子の顔面に唾を吐くのは難しくて白シャツになっている。唾を吐かれた陽湖は拭いもせず、悲しそうに由香里を見て再び問う。
「あなたは神を信じますか?」
「アーメン♪ ザーメン♪ クリトリス♪ ハレルヤ♪ チンチン腫れてきた♪」
由香里が賛美歌を替え歌にして唄った。由香里の両親は離婚していて進学もできなくなり、母親のスナックを手伝っているので高卒資格もどうでもよくなっていて、この修学旅行に参加したのも単に安価に海外旅行へ出られそうだったからで、単位のために陽湖に従う気はサラサラ無かった。そして、同級生との最後の思い出になりそうだったから参加したのに内容が面白くないので実に不満に感じている。下品な歌で侮辱されると、陽湖の顔色も冷たくなった。
「神を侮辱する気ですか?」
「気ですわ、きゃははは!」
「わかりました」
陽湖が会議室に連れて行くよう仕草で示したけれど、由香里は従わない。
「そんなダサい服、着せられる気もないし」
「指導を受けない場合、単位は認定されません」
「パワハラ楽しそうね」
いくら陽湖が言っても由香里は従わず制服のまま、女性教師と後部席に戻った。次は男子生徒だった。
「ブラザー孝文、あなたは神を信じますか?」
「はい、信じません♪ ついでに侮辱もしてやろうと、思うけど、侮辱した後、素直に着替えると何色の服になるんだ?」
「灰色です」
「灰色かぁ……まあ、そんな感じだろうな。ちなみ、課題って、どんな課題なんだ? 色別に違うのか?」
「全員、写聖です」
「……全員射精かぁ……お前、可愛い口で、すごいこと言うなぁ。半分は女子なのに。ははは!」
すでに聖書研究科の宿題などで聖書の一部を書き写すことは課されてきたし、それを写聖ということも生徒みんなが知っていることだったけれど、いまだに音の響きから神聖さよりも卑近さを感じている。
「オレは陽湖ちゃんに射精したいぜ」
「……。まじめに指導を受ける気はないのですか?」
「微妙。こうなったら、その灰色の服を着てみてやろう。ザーメン」
「わかりました」
孝文が会議室から、どんな風に出てくるのか、生徒たちの注目が集まったけれど、白いシャツとズボンが灰色に変わっただけで、大きな変化は無かった。その後は灰色と白が半々になり、とうとう鮎美の番が来た。
「シスター鮎美、あなたは神を信じますか?」
「いいえ」
短く答え、それから言う。
「お疲れさん。こんだけの人数を相手にするの、めちゃ疲れたやろ」
今まで最年少議員として握手とサインをこなしてきただけに、気を張って他人の相手を繰り返すのが、どれだけ疲れるか知っているので労った。
「ありがとうございます。ですが、大丈夫です。神に仕える仕事は喜びですから」
陽湖が微笑した。けれど、その微笑が消え、質問する。
「シスター鮎美、あなたは悔い改め、同性愛から遠ざかりますか?」
「………そういう質問なんや……それに正直に、いいえ、と答えると、どうなるん?」
「とても過酷な指導があります」
陽湖の目が心配してくれている。
「過酷なんや……ほな、嘘をつくと、どうなるん?」
「……。とても過酷な指導があります」
「つっこみどころ満載やね」
「シスター鮎美、あなたは悔い改め、同性愛から遠ざかりますか? どうか、今だけでも神を感じ、悔い改めてみる気持ちをもってみてください」
「………………。いいえ」
「もう一度、問います。シスター鮎美、あなたは悔い改め、同性愛から遠ざか…」
「いいえ!!」
丁寧に二度も問われて、さすがに腹立たしかった。逆らわず無難に流すつもりだったけれど、曲げられない部分もあった。
「……わかりました。会議室で待っていてください。私が直接、指導します」
陽湖は会議室へ鮎美を送る。着替えがあるのがわかっているのでSPとしては介式だけがついていく。陽湖は最後の一人になった泰治に問う。
「ブラザー泰治、あなたは悔い改め、同性愛から遠ざかりますか?」
「いいえ」
「……。指導は、とても過酷です。あなたは神を信じているはずです。なぜ、明白に罪であると聖書が示す同性愛から身を遠ざけないのですか?」
「信仰と同性愛は矛盾しない。そして、はっきり言えば、君たちの信仰は異端だ。近所にあるキリスト教系の学校だから入学したけど、大失敗だった。けど、卒業はしたい。でも、嘘はつかない。相手が異端者でもね」
「……」
「もっとも、プロテスタントもカトリックから見れば、異端の一種だろうし、ユダヤ教から見れば、キリスト教そのものが異端だろうけどさ。どっちにしても、ボクの答えは芹沢さんと同じ、いいえだ」
「わかりました。会議室へ入ってください。他のみなさんは写聖を始めてもらいます」
もう日本時間では深夜なのに、聖書を書き写す作業を指導した。黄色のローブを着ている生徒たちが席替えと課題を配り始める。席替えも事前に錬られたもので信仰の厚い生徒が信仰のない生徒の隣席になっていたり、とくに素行の悪い生徒の隣には教師となったり、在学中の相性を考えた男女という組み合わせもあったりして、鐘留も黄色のローブを着た男子生徒の隣席でトイレ近くになっている。陽湖は会議室に入った。
「シスター鮎美、ブラザー泰治、今一度、問います」
「「………」」
「この修学旅行の間だけで、かまいません。少しだけでもいいです。正直に心から、同性愛から離れてみる試みをしてください。試みでよいのです」
「「………」」
「問います。シスター鮎美、ブラザー泰治、あなた方は同性愛から遠ざかりますか?」
「「いいえ」」
「……。シスター鮎美、あなたは神を信じていません。あなたへの指導はブラザー泰治への指導より過酷になります」
「殺したりせんよね? 卒業できる?」
「そんなことはしませんし、卒業はできます」
「ほな、自分に嘘をつくのは、もうイヤよ」
「ボクもだ!」
「………わかりました。これに着替えてください。……お二人は同性愛者ですから、背中を向け合って着替えることに抵抗はありますか?」
「「ぜんぜん」」
異性の身体に興味がない二人は背中を向けて裸になる。陽湖は泰治の身体を見ないように背中を向けた。鮎美と泰治は渡された茶色の麻製の服を着た。シャツとズボンではなく上半身は長袖、下半身は長いスカート状のワンピースで麻製なのでチクチクとして着心地が悪いし歩きにくい。しかも胸と背中に何か文字が書かれていた。
「これ文字なん?」
「たぶんヘブライ語だろう」
「そうです」
「どういう意味なん? どうせ、ろくな意味やなさそうやけど」
「……はい、前はヘブライ語でメルフラフ、汚い、という意味です。後ろはマスリアフ、臭い、という意味です」
「つまり同性愛者は汚くて臭い、と?」
「………。悔い改めると言えば、今すぐ脱いでいただけます」
「踏み絵させたろか?」
「っ………。指導を続けます。お二人とも両手を出してください」
「「……」」
素直に出した二人の手首へ、陽湖は鎖を巻きつけ、南京錠で鍵をかけた。両手が30センチほどの幅しか動かせなくなる。見ている介式は既視感を覚えたし、鮎美も同じだったけれど、本物の手錠に比べると軽く感じた。介式が言っておく。
「芹沢議員の生命に危害のあるようなことは指導でも認められない」
「介式さんには相談してから行います。これから、この鎖でシスター鮎美の足首をつなぎます」
「……」
介式は許可も不許可も出さず黙っているので陽湖は鎖で鮎美の両足首を30センチほどの幅でつないだ。さらに手と足の鎖を別の鎖で30センチほどでつないだので鮎美は常に前屈みの姿勢を強いられる状態にされた。腰がつらいので鮎美は両膝に手をやり上半身を支える。その手にある結婚指輪に陽湖が気づいた。
「指輪を……シスター鮎美、私物の一切は預けてください」
「これだけはイヤよ」
「規則です。シスター鐘留や他の女子にも生理用品さえ預けてもらっています。外してください」
「これを外させるような指導を、これからするんちゃうの? 同性愛から遠ざかろうと自主的に思うとき、外すわ」
「……わかりました」
陽湖が諦め、泰治は手にしか鎖をされなかったので問う。
「ボクの足には?」
「ブラザー泰治には手の鎖だけです。神を信じておられますから」
「……。芹沢さんと同じにしてくれ」
「できません」
「いいから、してくれ!」
「マゾやないんやったら、やめとき。これ、腰がつらいわ」
つらいので鮎美は床に座った。手足の自由が無く奴隷のような服を着せられていると、さすがに不満が漏れる。
「うちは、たしか学園に多大の貢献をしたと思うけど? お忘れなんかな」
「もちろん覚えています。その節はありがとうございました」
陽湖は大学の設置に協力してくれた礼をあらためて言い、そして自分が着ている絹製の紫のローブと同じ物を出して見せる。
「これはシスター鮎美のために新調していたものです。この修学旅行の間だけでも、同性愛から離れてみると試みられるなら、学園への貢献を評価され、信仰が無く受洗されていなくても、私と同じ物を着ていただけます」
「極端やな……天か地か……そんなに同性愛って、あかんことなん?」
「殺人と同じほどの罪です」
「………殺人犯あつかいなんや……」
「正直なところ、この指導をした前例は無いのです。ここから先は本当に過酷です」
「「………」」
「いつでも、あなた方の悔い改めを受けます」
陽湖の目が、やりたくない、と語っているけれど、鮎美も泰治も自分を曲げたくなかった。今まで、さんざんに隠して曲げてきたし、異性を好きになれないか試したこともあるけれど、それが不可能なのは思い知っている。陽湖は気の進まない顔で会議室の壁にあったイチジクの枝を手にする。木刀ほどの枝で、人を叩くのに手頃だった。
「介式さん、これから、この枝でシスター鮎美のお尻を打ちます」
「………」
今でも厳しい道場では似たようなことがあるので、介式は教育的指導の範囲だと判断した。陽湖は鮎美と泰治に言う。
「これから、この会議室にある監視カメラの映像は写聖中の生徒たちにも見えるようメインモニターに映されます。いわば公開で二人を叩きます。とても屈辱的でつらい指導になります。その前に問います。少しでいいですから、同性愛から遠ざかる気持ちをもってみませんか? その一言で許します」
「陽湖ちゃん、やりたくないことは、やらんとき」
「っ…、……今はシスター陽湖と呼んでください。悔い改めますか、シスター鮎美?」
「悔い改めるべきは、聖書の作者やろ。二千年ぶりに書き加えて、同性愛を認めたら、どや?」
「はははは! それはいい!」
「そやろ。なんなら、うちが書いたろ。アユミ第一、一章一節、同性愛を禁止したのは間違いでした。主は、それもありかと思い直し、ソドムのみなさんも復活することにしました。めでたし、めでたし」
「はははは!」
二人が鎖を揺らして笑った。
「………聖書への侮辱は、神への侮辱とみなします」
「ほな、どうぞ、叩きぃや」
「……」
陽湖が迷いつつも壁にあるコントロールパネルを操作して会議室内の監視カメラ映像を機内のモニターに映した。会議室の外から生徒たちのざわめきが聞こえてくる。同性愛をやめないと言った鮎美と泰治への処遇がどうなるのか、どの生徒も注目していたし、見せられた映像の中で鮎美と泰治は奴隷のような茶色の服で鎖によって拘束されていたのでインパクトは大きかった。陽湖は音声も送信されていることを確認してから言う。
「これから神の教えに背き、同性愛に身を置く二人に反省させるため、イチジクの枝で二人に改悛を促します。つらい映像ですが、目を背けず見てください」
陽湖が枝を構えると泰治が言う。
「男のボクから叩けよ」
「こんなんに男も女もないやろに」
「男ってのは、そういうもんだ」
堂々としたゲイの態度に女子生徒の一部は惹かれた。
「わかりました。では、ブラザー泰治、そこに両膝をつき頭をさげなさい」
「こうかよ」
言われたとおりに泰治は床に膝をついて頭をさげた。
「ぃ、…いきますよ」
「どうぞ」
「………………えい!」
陽湖は枝を振り上げると、泰治の背中を打った。
「…つっ…」
「ぃ、痛いですか?」
「それなりに」
「悔い改めますか?」
「ぜんぜん」
「……また、叩きます」
再び陽湖は叩いたけれど、もともと腕力が弱い上に他人へ暴力をふるったことなど無く、しかも遠慮がちに叩いているので合計10回打たれても泰治は平然としていた。
「……ハァ……ハァ……次はシスター鮎美です」
「どうぞ」
「…で…では、そこへ獣と同じように四つん這いになってください」
「ぇ~………うちの場合、より屈辱的なんや……」
信仰が無い鮎美は諦めつつ、もともと鎖の長さのせいで背筋を伸ばすこともできないので両手をついて獣と同じに立った。陽湖が叩く前に問う。
「悔い改めますか?」
「いいえ。何回も言うたけど、悔い改めて同性愛指向は変わるもんちゃうしな。そこ忘れんといて」
「……叩きます」
陽湖が枝を振り、鮎美のお尻を打った。
「イタっ…」
「悔い改めますか?」
「もう早く10回、叩いて。この姿勢、しんどいわ」
「………」
陽湖が連続して叩き始めると、会議室の外が騒がしくなり、鷹姫がドアを叩いてきた。
「ここを開けなさい! 月谷!」
「邪魔をしないでください。これは指導です」
「開けぬなら蹴破ります!」
鷹姫になら可能そうな気がして鮎美が叫ぶ。
「鷹姫! すぐ終わるし、おとなしくしてて!」
「見ておれません!」
「ちょっと道場のガラス割って竹刀でお仕置きされてるくらいに思ってみ!」
「……それ…なら……」
鷹姫の勢いが弱くなった。
「ですが……芹沢先生は……国会議員……あまりに失礼で…」
「今は、ただの生徒やし。ちょっと価値観が違うけど、まあ我慢してみるわ。おまけに現代の治外法権、利用されてるし、逆らわんとこ」
「……そう言われるのであれば……」
鷹姫が席に戻っていく気配がして、陽湖は残り3回を叩いた。
「終わりです」
「ありがとうございました、とか言うた方がええ?」
「それは悔い改めるということですか?」
「ううん、こういうときの、とりあえずの挨拶。道場でも、よくあるよ。竹刀でバシバシ気合い入れるの」
中学時代、それなりに竹刀で叩かれたことのある鮎美は四つん這いをやめて座った。陽湖は心外そうに言う。
「そういう野蛮なものといっしょにしないでください」
「神聖でございました、ごちそうさまです。で、次は何? いつまで、この鎖、されてるの?」
「次は……少し待っていてください」
陽湖は教師や屋城たちと相談してから、気の毒そうに告げにきた。
「このまま悔い改めないのであれば、生徒全員に打ってもらいます。一人3回」
「百叩き超えるやん……」
「悔い改めてください」
「「………」」
鮎美と泰治は目を合わせ、口先だけでも応えようかと迷いもしたけれど、やっぱり意地があった。
「うちは負けんし」
「ボクもだ」
「………では、順に叩きます」
陽湖は黄色のローブを着ている生徒から呼び、鮎美と泰治を叩かせる。受洗している生徒は同じ罰を子供の頃に受けたことがあるのか、それなりに強く叩くけれど呻くほどの痛さではなかった。むしろ、信仰のない生徒が面白半分に強く叩いたり、お尻を向けている鮎美に性的な言葉を投げかけたり、イチジクの枝先でお尻を撫でてきたりしたのが苦痛だった。とくに鮎美が当選してからサインや記念撮影を求めて応援すると言ったはずの女子生徒の一部が楽しそうに叩いてきたのは傷ついた。そして鷹姫の番が来た。陽湖から枝を渡されると、強度を確かめるように宙で振り、静かに陽湖へ問う。
「あなたは、これで叩かれたことがありますか?」
「……あります」
「今一度、その痛みを知り、どれだけひどいことをしているか、思い知らせてやりたいので、あなたを叩かせてください。代わりに私を打ってもよいです」
「…わかりました。どうぞ」
陽湖が覚悟して鷹姫へ背中を向けようとすると、鮎美が注意する。
「やめとき! 鷹姫に叩かれたら骨が折れるよ! 鷹姫も! めちゃ力一杯本気で叩く目してるやん! やめてやり!」
「ですが……」
「ええから、さっさと3回、叩いて」
「………失礼します」
鷹姫は遠慮がちに干してある布団を叩くようにパンパンパンと素早く済ませたけれど、涙を滲ませながら、弁慶と義経の、といった言葉を漏らしていた。そして鐘留の番がきても、まだ鐘留は泣いていて黄色のローブを着た男子生徒に背中を撫でられながら鮎美のそばに立った。
「…ごめん……アユミン……ぐすっ……叩くよ…」
「うん、どうぞ」
鐘留は形だけは黄色のローブを着ている生徒たちの真似をして大きく振ったけれど、弱々しく叩いて席に戻っていった。それからも強く叩く生徒はいたけれど、座席に戻るとき周囲から白眼視されるし、とくに鷹姫が睨みつけてくるので、そのうち誰も強くは叩かなくなり全員の番が終わった。それでも、ぐったりと鮎美は床に崩れて女子らしく涙を流したし、泰治も背中が痛いので、うつ伏せに倒れた。
「……みんなが手加減してくれて、この痛さ……うち、この時代の、日本の同性愛者に産まれてよかったわ……中世やったら、今頃は血まみれでピクピクしてるんやろなぁ……」
「中世でも日本なら、よかったさ」
「あ、タイジはんも戦国時代の男色、知ってる?」
「ゲイだしね、そういうアンテナは高いさ」
「シスター鮎美……ブラザー泰治……悔い改める気はないのですか?」
「「………」」
もう答えるのも面倒そうに鮎美と泰治は床に倒れたまま、恨みのこもった目で陽湖を見上げた。
「ご、ごめんなさ…ぃ、いえ! わ……私は……正しい指導をしているだけです。間違っているのは、お二人です!」
「「………」」
「つ、次! 写聖してもらいます!」
「ちょっと寝させて。もう朝やん」
「ダメです。眠らずに聖書を書き写してください」
「………。今度は、そういうリンチなんや…」
「リンチではありません。写聖は他の生徒も既に取り組んでいます。全員、眠らずに」
「……それって判断力を奪う常套手段やん……」
「ボクは腹がへった」
「うちも………。機内食ってあるん? 羽田関空間は、飲み物だけやったけど、さすがに日本イスラエル間やし、あるよね」
「食事はありません」
「……フライト14時間やんね……奴隷階級には、ご飯も無しなんや。神様、平等やな」
「神は真に平等な存在です。お二人には悔い改める機会があります。そして奴隷階級などではありませんし、食事は私たちにもありません」
「……不眠不休で、ご飯も無しって……空飛ぶサティアンなんや……ハメられた……しかも治外法権や……上九一色村の方がマシやん……」
「せめて、水をくれよ。喉が渇いた」
「うちも」
「…………」
陽湖は500ミリリットルのペットボトルを2本もってきて渡してくれた。
「おおきに」
「それが着陸までに与えられるすべてですから大切に飲んでください」
「……鬼や…」
鮎美はペットボトルを開けたけれど、手足をつながれているので飲みにくい。口元まで手をよせると足も引っ張られるので横になったまま苦労して不格好な姿勢で飲んだ。半分まで飲んで残りは置いた。そして仕方なく床に這うような姿勢のまま指定されたペテロ第一の一部を書き写しつづけるけれど、聖句もまったくありがたくない。しばらくしてトイレに行きたくなった。
「うち、オシッコしたい。まさか垂れ流せとか言わんよね? シスター陽湖様」
「様は要りません。あなた方は後部のトイレを使ってください。遠いですが転ばないよう注意して」
陽湖が会議室のドアを開けてくれた。密室でのリンチから解放された気分で歩み出るけれど、鎖のせいでペンギンのようにしか歩けないし、前屈みのままなのでバランスも悪くて、おまけに飛行機が揺れるので歩くのが危なくて獣のように這うしかなかった。通路を這う姿を他の生徒に見られると、密室で責められていたときとは違う苦痛を感じる。気の毒そうに見おろす生徒やクスクスと笑う生徒がいて、心が痛い。中央部まで進むと、鷹姫が気づいて寄ってきた。
「芹沢先生、何をさせられているのですか?」
「ちょっとトイレに行くだけよ。バランス悪いし這うしかないねん」
恥ずかしくて鷹姫から目をそらして答えた。
「つかまってください。いえ、抱き上げます」
鷹姫が助けてくれようとすると、背後で見ていた陽湖が言ってくる。
「罪人の手助けをしてはなりません」
「くっ…」
刀を持っていたなら今すぐ斬りかかりそうな目で鷹姫が陽湖を睨んだ。
「鷹姫、おおきに。いちいち怒らんでええよ。今、あの人の中には神様がきてはるねん。うちらの友達やったと思うと腹も立つけど、神様の言いなりやと思えばええよ」
「……芹沢先生…」
「それに……うちが、こういう目に遭うのは因果応報かもね。小山田さんからの呪い、よう効果が出てるわ」
自分が悪いという風に考えると涙が溢れてきた。泣きながら最後部まで這うと、知念が心配して鮎美の背後にいる介式に問う。
「介式警部、これ助けなくていいんすか?」
「……。学校教育だそうだ」
「いや、どう見ても虐待っすよ」
「………、生命に危険があることをすれば止める」
「知念はん、おおきに。気にせんといて。ぐすっ…神様ごっこに付き合ってるだけやし」
「……そうっすか…」
「ハァ…やっと着いた」
鮎美はトイレに入ると麻製のロングスカートをめくり上げようとするけれど、またしても鎖のせいで膝上までがせいぜいで、うまく上げられない。チクチクとする生地が肌に引っかかって痛いし摩擦が高い。そのうちに、どうでもよくなり便座に座って力を抜いた。スカートの中に放尿しているけれど、気にする気力がない。下着は着けていないし麻なので保水せず、あっさりと便器に流れ落ちてくれた。
「……いっそ、このままビデしよ…」
あとで匂うと嫌なので濡れたスカートをビデで洗い、トイレットペーパーで股間を拭くのも鎖のせいで不格好に両膝をあげて大股を開かないと拭けなかった。
「……はぁ……疲れた…」
トイレを出ると、もう床に崩れてしまい、そのまま寝たかったのに陽湖が言ってくる。
「会議室に戻ってください」
「……牢屋へ、戻れと……はいはい…」
また這って戻ると、濡らしたお尻を生徒たちに見られながらになった。そして眠たいのを我慢させられ、聖書を書き写す作業を、どのくらいしていたのか、わからなくなった頃、座席へ戻るよう言われ、戻ると鎖を外してもらえた。
「やっと外してくれるんやね」
「離着陸のときだけです」
「…もう着いたん? 時間の経過がわからんけど…」
鮎美は窓から外を見たけれど暗い。夜は明けていなかった。
「着いていません。燃料補給です。シートベルトをしてください。私も席に戻ります」
陽湖が最前列に行ったので知念に問う。
「今、どのへん?」
「中国の西部、ウルムチ地窩堡国際空港へ着陸するはずっすよ。ちょっと迂回ルートっすけど、イスラエルそばのシリアやイランイラク上空を避けるとなるとトルコ寄りに飛ぶことになるっすから」
「今、何時なん? 日本時間と中国現地時間で」
「日本時間で、午前8時過ぎ、現地は3時間遅れだったかな……午前5時だと思うっすよ。この飛行機で一気にイスラエルは航続距離的に無理なんっすね」
「……着陸したら逃げたろかな」
鮎美が冗談半分で言うと介式が注意する。
「やめておけ。中国ウイグル自治区に日本人が許可なく降りて無事に済むわけがない」
「ウイグル自治区なんや……そら、こんな虐待ごっこで済まんよね」
鮎美は中国のウイグル自治区が漢民族と他の民族が争い、虐殺も行われていることを静江から学んでいた。二年前にもウイグル騒乱が起きたばかりで宗教的民族的な対立が今も燻っている。飛行機は着陸態勢に入り、ごく無難に着陸するとターミナルの一角に駐機したけれど、搭乗口が開くことはなく、徹夜して眠りそうな生徒がいるので陽湖が号令した。
「生徒は全員、起立して賛美歌を謳います!」
「……一睡もさせん気や……」
フラフラと鮎美も立って謳った。そのうちに翼の下に燃料補給するトラックが走ってきて、パイプを翼と地下燃料庫につなぎ、補給を始めた。
「…お腹空いたわ……。そういえば、知念はんらは? ご飯、どうされた?」
「学校側から機内食が無いことは説明されてたっすから。カロリーメイトとか、持ち込んだっす。すいません、目立たないよう交替でトイレで食べました」
「体力落とされても困るもんな。気にせんと、堂々と食べたらええねん」
「いや、なんか、生徒たちが食べてないのに自分らだけってのも」
「いつもの逆やね」
鮎美が私語してると、巡回していた黄色のローブの生徒が陽湖に報告し、賛美歌の最中に私語していた5人とともに反省のために大声で賛美歌を謳わされた。謳っているうちに二人の女子生徒と鮎美は朦朧としてきて涙を流した。
「……あかん……これヤバイ……マジで洗脳されていくかも…」
心の片隅で今すぐ陽湖の足元に土下座して許しを乞いたい感情が湧いてきて、人間の精神の弱さに気づいた。不眠と絶食、ゆるやかでも強圧的な課題の実行で、脳が溶けるように意地やプライドが、どうでもよくなってくる。革のサンダルを履いている陽湖の足指を舐めたくて仕方ない。指導の総指揮を執ってる陽湖も引き続く緊張で汗をかいていて、その匂いが恋しかった。
「…抱きついてチューしたら……異端審問うけるやろな……ちゃうか、強制わいせつか……いや、イスラエル国法やし、同性愛やとめちゃキツイかも……」
自分を保つために一人言を漏らさないと維持できないのに、私語を禁止され、破ると課題を与えられる。燃料補給が終わって離陸すると、鎖をもった陽湖が近づいてきて心が縮んだ。もう謝って口先だけでも改悛したくなる。
「シスター鮎美、悔い改め同性愛から遠ざかる気持ちが少しでもありますか?」
「………………」
「私も、あなたを責め続けたくないのです。ご覧ください。あなたのために新調したローブです」
しかも陽湖は右手には紫のローブを持っていて、左手には鎖だった。絹のローブは麻と違って、肌触りがよさそうで触れたくなる。生まれた頃から衣食住のうちの衣にも困ったことは無く、産着から先進国日本の良質な物を着慣れてきている鮎美にとって粗末な麻の服は8時間ばかり着ただけでも苦痛だった。チクチクと肌触りが悪くて座ればお尻が痛いし、動けば乳首や腋が痛い、歩けば足がもつれる。なぜ、わざわざ危険を冒してまで昔の人々がシルクロードを造って絹を運んだのか、生糸から布を造る紡績業が産業革命を押し進めたのか、そこには強い渇望があったからだと頭の片隅で実感した。そして、もう鎖は嫌だった。
「一言だけ、悔います、と言ってください。それで終わりです」
「……………」
ぼんやりと従った後、自分がどう感じるか考えてみて、それこそ悔いそうだったので自分を保った。そして、もう陽湖には一言も答えまいと決意して、両手首を自首する犯人のように差し出した。鎖の苦痛を身体が覚えていて手が震えたし、涙が溢れた。それを見て、陽湖の方が戸惑う。
「……シスター鮎美………どうして、そこまで……」
陽湖まで泣きそうになったとき、機長が放送を入れ、英語で日本から鮎美に無線通信が入っていて、それが日本の最高責任者ハトヤマからだと伝えた。
「…最高責任者……鳩山総理?」
鮎美の問いに答えられる者はなく、とにかく操縦席に行った。まだ鎖でつながれていなかったので、すぐに着く。副操縦士のイスラエル人が鮎美へマイクの付いたヘッドセットを渡してくれるので装着してみた。
「もしもし、うち、いえ、芹沢鮎美です」
「鳩山直人です」
「総理……」
「修学旅行中に失礼します。何度でも、あなたを誘いたい。私の内閣に入ってほしい」
「……」
「外務大臣として」
「が……外務大臣?!」
予想より、はるかに重要なポストだったので驚いた。財務と外務の両大臣は次期総理候補が担うようなポストで、いくら先日から空席となったとはいえ、18歳の鮎美には異例中の異例で考えられない提案だった。
「どうか、良い返事をください」
「………。ま………前向きに考えたいのですが、相談したい人がいます」
「どなたに?」
「………谷柿先生に」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
鮎美は沈黙に耐え、鳩山が折れてくれた。
「わかりました。良い返事を期待していますよ」
「ありがとうございます」
「では」
通信が終わり、鮎美は英語で日本にいる自民党総裁に連絡を取ってくれるよう副操縦士に頼んだ。時刻を確認すると、日本では午前9時前で連絡するに悪くない時間だった。航空通信からなので、すぐに直通とはいかず自民党本部や谷柿の秘書などを介してしまい、かなり時間がかかったけれど、なんとかつながった。
「もしもし、谷柿です」
「芹沢です」
「なに大臣でした?」
すでに予想されていたので、話が早い。
「が、外務大臣に、と」
「ほぉ……思い切ったことを。あ、失礼」
「いえ、思い切り過ぎです」
「一晩飛んでいた芹沢先生はご存じないでしょうが、鳩山総理には在日韓国人から104万円の献金があったことが明らかになり、それもパチンコ店に関係する者からとのことで、もはや内閣の命脈は尽きているのです。しかも、竹島を放棄する密約に土肥隆一議員が署名していたことも発覚してね、民主党政権はグダグダです」
「……もう、やぶれかぶれで、うちを外務大臣に?」
「そのようですね。あの男は、なんとか内閣を延命することだけを考えている」
「そ…それで、うちは、どうしたら?」
「受けてください」
「……外務大臣を?」
「はい」
「…………、い、…いっしょに死ねと、鳩山総理と……」
「いいえ、私たちがバックアップします」
「え? ど、どういうことですか?」
「たしかに連続したスキャンダルで鳩山直人の内閣は、もう終わりです。けれど、衆議院議員の任期は、まだまだ3年以上も残っている。つまり、鳩山内閣は終わっても民主党政権は続くわけです」
「それは、……そうですね」
「そこで、あなたには自民党所属のまま、外務大臣になってほしい」
「………民主党に入らず? ……連立政権に…」
「そうです。我々も一人も大臣がいないのは官僚とのやり取りに、実に困っている。かといって、がっちりと連立政権を組めば失政の責任まで私たちに来る。けれど、たった一人だけ、しかも18歳の大臣を送れば、どんな失敗があっても、あなたなら泣けば国民は許してくれる。私は、ひどいことを言っているのを承知で言いますが、失敗しても低リスク、けれど大臣は大臣、しかも外務大臣とは有り難い。おおいに利用できます」
「…………どうせ、失敗してもいい……しかも、鳩山内閣を終わらせると、また次の内閣は、それなりに一時的にでも支持率がアップして、また切り崩すのに苦労する。なら、いっそ、小さく組み合って利用できるだけ利用する、と? うちも鳩山総理も」
「そういうことです」
「…………」
「すみません。あなたには賞賛と、やっかみの嵐が襲ってきます。期待と希望の最年少大臣として賞賛され、たかが18歳で外務大臣になった小娘とそしられます。自民党内部からも民主党内部からも、笑顔で歓迎され、陰口を叩かれます。けれど、頑張ってほしい。鳩山内閣とともに倒れるまで、その後も、きちんとバックアップします。だから、受けると返答してください。ただし、自民党所属のまま、と」
「……条件を出すわけですか……」
「それを飲んだ後は、私が彼と話します」
「………わかりました。やってみます」
鮎美は通信を終え、しばらく考え込む。喉がカラカラだったので、そばで見守っていた陽湖に頼む。
「陽湖ちゃん、何か飲むものちょうだい」
「はい、すぐに」
陽湖がダッシュで飲みかけだったペットボトルを持ってきてくれた。それを少し飲み、さらに2分間、考え込んだ鮎美は副操縦士に鳩山総理と通信してくれるよう頼んだ。二度目だったので、すぐにつながる。
「もしもし、鳩山です」
「芹沢です」
「受けてくれますか?」
「はい。ただ、二つだけ、お願いがあります」
条件だったけれど、お願い、と鮎美は言い直した。若すぎる女性からのお願いに鳩山は悪くない反応をしてくれる。
「どんなことですか? 私にできることなら何でも」
「一つは、うちが自民党所属のまま、内閣に入ることです」
「……うむ…」
「もう一つは、連合インフレ税に参加してほしいことです」
「…………なるほど…」
「お願いします!」
「……………。わかりました! いっしょにやりましょう!」
「っ、ありがとうございます!!」
鮎美は両手をガッツポーズで握りしめながら日本人らしく頭をさげていた。入閣が決まり、谷柿へ通信しておく。これも二度目なのでスムーズだった。
「もしもし谷柿です」
「芹沢です」
「どうでした?」
「うちが自民党所属のまま入閣すること、そして、連合インフレ税に参加していただくことを承知してもらいました」
「……………。ふっ……あははっははは! 君は抜け目がないね! ふっはははは! 尻に火がついた男に自分の馬車を引かせようというわけか! あっはははは! それも、自分を目くらましの花火に使おうとした男を逆に利用して! ははは! 愉快、愉快! これは愉快だよ! そして君は外務大臣をこなせそうだ!」
大いに笑った谷柿との通信を終えると、鮎美は陽湖へ告げる。
「ごめん、陽湖ちゃん、うちと鷹姫、イスラエルに着いたら速攻で帰国せなあかんし、もう寝させて。あと、制服とか私物、全部返して」
「…は…はい…わかりました。……では、あの会議室でシスター鷹姫と休んでください」
「おおきにな」
礼を言った鮎美は鷹姫と会議室で制服に着替えてから、床に横になって休んだ。ベッドやシートは無かったけれど、若さのおかげで仮眠くらいならカバンを枕に平気だったし、二人で使う広さとしてはファーストクラス以上の待遇になった。