2011年3月11日正午過ぎ、夏子は京都市中京区丸太町にある京都地方裁判所の地下一階食堂で20歳前後の若者たち5人と、その親数名、そして弁護士3人と安価な定食を食べながら、話し合っていた。
「加賀田知事、やっぱりボクらのお金は返ってこないんでしょうか」
問いかけた青年は京都衛生専門学校の元学生だったけれど、学校そのものが2009年4月に39億円の負債を抱え、学校の土地建物が強制執行によって差し押さえられたため、授業を受けることができず、授業料や入学金の返還を求めていた。他の若者たちも同様で、とくに入学を予定していた者は入学金を含めて150万円前後の支払いをしたのに一度も授業を受けることができず2年が過ぎているし、お金は返ってこないのに奨学金や奨学ローンは返済せねばならず社会問題になっている。その問題に夏子は大学時代の恩師であった法学教授との人間関係と、立候補予定だった県の若者も被害者の中に多く、当初から関わっていたので県知事となった今も時間を割いている。今日は午前中から被告証人尋問で、それを傍聴した後の昼食時間だった。
「学校に、どれだけ財産が残っているかによりますよ」
「京都府の学校教育課の責任は追及できないんすかね?」
「行政は許認可しているだけで、経営の中身まで保証しているわけではないですから難しいでしょうね。吉田先生」
夏子は弁護士に話を振った。弁護士も手弁当で参加している。
「うん。提訴時にも説明したけれど、京都府を被告に加えるのはしていないからね」
「加賀田知事が仲いい、あの芹沢議員が出版社も印刷所も全部を被告にするみたいな手法はダメなんすか?」
「あれはねぇ……かなり、きわどいというか、無茶というか、道義的にはセクハラ写真を頒布した作業過程に加わっているから、請求したくなる気持ちもわかるけれど、普通の法感覚ではやらない。ちょっと法律をかじった女子高生が考えそうなことだよ。けど、加賀田知事も原告に入られているのでしたね?」
「私は10万円だけ請求してみています。お金の問題というよりは、腹が立つというのが正直なところかな。私が選挙活動中に鼻かんでるときの変な顔を撮って出版されたから」
どんな美人でも瞬間的には不細工な顔になるのを撮られてゴシップ誌に載せられていたので夏子の怒りも強い。嫌がらせ的な言論の自由行使に対して、嫌がらせ的な訴訟をしている気分だった。
「その雑誌の編集者、行方不明になってるらしいっすね。熱烈な芹沢鮎美ファンにポアされたって噂あるけど」
「君たちの世代でもポアって言葉、使うのね。私が女子高生だった頃の事件だよ、オウムは」
「オレ、もっと頭がよかったら宇宙開発やってるジャクサに入りたかったんすよ。オウムの上祐も一時期、その前身組織に所属してたらしいけど」
「彼は早稲田卒じゃなかったかな。ああ言えばジョウユウ、いまだに忘れないわ。オウムの残りも、うちの県にもいて対応に困ってるのよ。紫香楽村あたりにいて追い出してくれって住民から陳情があるけど、具体的に悪いことしてるわけじゃないから、なかなかね」
「紫香楽村って昔、都があったらしいっすね。なんで、あんな山ん中に都を造ったんすかね。そこの京都御所でいいのに」
青年が北を指した。ちょうど裁判所の前が京都御所で、道路の向かいにある。
「そうね、740年の藤原広嗣の乱に聖武天皇が衝撃を受けたからって説と、一説では当時、勢いのあった中国王朝の唐が西域諸国や朝鮮まで版図を広げていたから、もしや日本まで攻めてくるのでは、という恐れもあり移したのかもしれないって大学の歴史学の教授が言ってたなぁ」
「それビビり過ぎじゃないっすかね」
「それから数百年して元寇があったよね。幸い九州で止めたけど、危機管理としては正解といえば、正解よ。危機管理はね、過剰なくらいで、ちょうどいいの。なのに、過剰反応だって言われる。まあ、すべてのリスクに完全に備えるのは無理なんだけどさ」
夏子は食べ終えたので席を立った。午後からも証人尋問があるけれど、他に用件もあるので若者たちに謝ってから別れる。地下一階からエレベーターで地上一階へあがると裁判所の駐車場に駐めてある公用車で仕事をしている秘書に言う。
「石永先生と会う約束してるから、京都御所をブラブラしてるね」
「はい。京都衛生専門学校の裁判は、どうですか?」
「勝つには勝つでしょ。問題は、お金が残って無さそうなことね」
「そうですか、学生たちが気の毒です…」
「うん。私の選挙応援もしてくれて50票くらいにはつながってそうだから、その義理は果たさないとねぇ……けど、他の仕事も忙しいし、被害者の会とはいっても水俣病みたいに、深刻な生き死にが関わってるわけじゃなくて、一人50万から150万円の訴訟だし、そろそろ社会も忘れてきてるね。今日、証人尋問なのにマスコミも来てないし。とりあえず石永先生と密談してくるわ」
そう言った夏子は道路を渡って京都御所に入る。御所の南側は公園のように出入りが自由で平日昼なので、人が少ない。庭園になっているものの、観光客が来るほどの人気スポットではないし、かなり広い。夏子の胸ポケットに入っているプライベート用のスマートフォンが振動した。
「また会いたい。って言われてもエッチ目的かぁ」
仲良くなったIMFのドミニクから私的なメールが来ていた。
「一回限りの、いい想い出にしようよ。不倫とか、ヤダし」
連合インフレ税での協力関係があるので、当たり障りのない返事をしておく。返信した頃、約束していた13時30分になって石永が静江と現れた。
「二人きりじゃないのね」
「変に写真を撮られても、うざいからな。静江がいれば、仕事っぽいだろ」
「実際、仕事だしね」
石永と夏子は今日にも外務大臣となる鮎美が内閣に入った後の自民党と民主党の県内での協力関係を模索するため会っていた。わずか一人とはいえ大臣が自民党から入り、連立内閣となるので地方行政に与える影響もあり、その事前調整だった。場所を京都にしたのは夏子の都合と、県内で二人が会うのは目立つからで、その狙い通り、通りかかる京都市民は、二人の顔を見ても反応しない。長く話し込み、落着点が見えてきた。
「じゃあ、凍結した新幹線新駅は工事費を半額になるよう見直すってことで再開を視野に」
「どうせ、無理でジワジワ上がるでしょうけど、当初の予算よりは押さえてよね」
「ホームと改札だけの、しょぼい設計にすれば、なんとかなるだろ。それで三上市民が納得すればの話だが、とりあえず造って何十年か後に、建て直す手もある」
「その頃にはリニアも動いてるから、黒字化は難しいよ」
「リニアは、うちの県を通りそうにないからなぁ」
「ギリギリ県南部をかすめるんじゃない?」
「ギリギリな。あんなとこに駅をつくっても、しょうがない。長野県や山梨県も、しょぼい駅になりそうで怒ってる」
「県最南部って、私は開発のねらい目だと思うなぁ。京都府と三重県とも接するあたり」
「紫香楽? あんなとこがか? バブルの頃、ゴルフ場を造りまくったけど」
「あそこにリニアが通るでしょ。山の中とか、大深度地下に。その上を空港にするの。山を潰して」
「空港に?」
「そう。海外からも人が来る国際的なハブ空港に。で、飛行機から降りたら、すぐに地下のリニアに乗れる。大阪、名古屋まで15分、東京にも70分。車でのアクセスもいいよ。第二名神ができる予定だし、名神高速道路にも遠くない。名神で東西、北の北陸自動車道にも行きやすいし、京名和自動車道で南へも」
「なるほど、リニアと空路の接続かぁ。日本は空港と他の交通インフラの接続が悪いからなぁ……狭い国土のくせに」
「狭い国土だから、接続が悪くても、なんとか移動できちゃうのよ」
「だな。それぞれの利権もあるし。たしかに県南部にリニアと接続できる空港ができるのは、日本全体のためになるだろう。ストロー効果で地元が潤いそうにないのと、あの山地を開発する自然環境破壊を無視すれば」
「絶対、誰か反対するよね」
「それが民主主義なんだろ。できれば、強権的に、だーっと大きな空港を造りたいな。横風対策のV字滑走路のある」
「大きなダムも造りたい?」
「ダムは全面中止なんだろ。知事選の公約通りに。その方向で調整する。けど、もしも何十年に一度の大雨が降れば、下流域で死者が出るかもしれないぞ。それは今年かもしれない」
「すべてのリスクに備える予算は無いし、費用対効果もあるよ。けど、それが起こったときは、私が、その人たちを殺したのね」
「予算を浮かせたことは評価されず、恨まれるだけ。損な役回りだな」
二人の話を黙って聴いているだけの静江は自動販売機を探して缶コーヒーを3本買って二人に渡した。礼を言って、それを飲んだ夏子が空を見上げた。よく晴れている。
「それが政治家かぁ……なってみたけど、大変。でも、予算が浮くならともかく、借金するつもりだったから止めないと」
「今度は借金して空港でも計画しようか? あの山の中に」
「土地の買収に困って海の中に造るよりいいよ。関空なんか、大きめの津波が来たら一発アウトだよ」
「紀伊水道の奥だから大丈夫だろ。そんなに大きなのは、こないさ」
「そんなこと言ってると、そろそろ大きな地震、来るよ。阪神淡路から、だいぶ経つし」
「そうだな。それは、そろそろだなぁ。うちの県に関係ないといいな」
「よそごとで済んでくれれば…、っ?! って、言ってるそばから来るし!!」
三人がもっているスマートフォンがJアラートの警告音を響かせてきた。三人とも仕事用とプライベート用をもっているので6台の大合唱になる。
「地震か、ミサイルか? 地震だな」
「地震ね」
「お兄ちゃん、どこかに逃げる?」
「う~ん……」
石永は周りを見る。広い庭園で石畳の上、周りには何もない。上を見ると空だった。
「ミサイルだったら、急いで地下にでも逃げるところだけど、地震なら、ここにいるのがベストだろう」
「そうね。加賀田知事は、どうされますか?」
「私も、ここで…っ! 来た!」
「デカいぞ! 静江、伏せろ!」
大きな揺れを感じて石永は他人でしかない夏子より妹を守るために、静江を抱く。揺れは大きく、まるで反復横跳びを強引に繰り返させられるような揺れから始まり、もう立っていられないほどになった。三人とも地面に伏せる。その地面が激しく揺れているので、石畳で手や膝を擦り剥く。
「震度5か、6だな。くっ…」
「っ…お兄ちゃん…」
石永と静江は阪神淡路大震災で震度4を経験していたけれど、明らかに今回は、それを超えている。立っていられない揺れを経験して、静江は本能的な恐怖から兄に強く抱きついた。石永は冷静に再び上を見る。広い庭園にいて、上は空のみ。落ちてくる可能性がある物は幸いにして無い。石永は地面を背にして妹を胸の上に抱き上げると、両脚を開いて揺れに耐える。
「お兄ちゃん……」
「揺れが長い……まだ、続くのか…」
背中が痛いけれど、平気そうに言った。
「やっと、おさまったか」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「静江、怪我は無いか?」
「うん、平気。お兄ちゃんは?」
「大丈夫だ。スーツはダメだな。買い直さないと」
膝や背中が破れている。夏子は擦り剥いた膝を痛そうに撫でた。
「痛ぁ……誰も私のことは守ってくれなかった。独り身のつらさね」
文句を言いつつも現職の知事なので、やるべきことをやる。県の防災センターに連絡して被害状況の確認に入った。石永は周囲の安全を確かめ、静江はスマートフォンを操作して情報を得る。周囲は安全そうで京都地裁のビルも健在だったし、ここからは見えないけれど京都御所の建物も無事に思える。
「お兄ちゃん! これ見て!」
静江がスマートフォンを石永に向けた。
「なっ?! 震源地が、いくつもあるぞ!」
「そうなの! 東北、東海道、近畿の沖合が震源地!」
「しかも一つ一つがマグニチュード8、9。…10まであるぞ!」
「県内は震度5強程度ですね。すぐに戻ります!」
電話で県職員と話した夏子は地裁に駐めてある公用車へ痛む膝で駆けるし、石永と静江も続くけれど、京都御所から歩道に出たところで倒れている高齢女性を見かけた。胸を押さえて苦しんでいる。石永が問う。
「大丈夫ですか?!」
「ううっ! うーっ!」
顔色も悪くて大丈夫そうに見えない。夏子が言う。
「ごめん、任せる! 私、県庁へ行くし!」
「わかった。大丈夫ですか?! しっかりしてください! 静江! 救急車を!」
「はい!」
「持病はありますか?! 心臓は?!」
「ううーっ!」
呻いていた女性は、どんどん顔色が悪化している。素人目に見ても心臓発作に見えた。石永は10秒ほど迷ったけれど、女性に胸骨圧迫式心臓マッサージをすることにした。地元の消防団活動などで経験しているので手つきは確かだった。
「地震で驚いたショックか……静江! 救急車を呼んだら裁判所からAEDを借りてきてくれ! たぶん、あるだろう! ハァ…ハァ…」
「はい!」
「ハァ…しっかり! 頑張れ! ハァ!」
運動不足ではないけれど、圧迫式マッサージを続けるのは、かなり疲れる。息を乱して汗をかきながら続けていると静江がAEDをもってきた。それも手順通りに使ったけれど、女性は回復しない。
「くっ……オレは医者じゃないからな、これ以上の処置は………静江、救急車は、まだか?」
「うん、かなり混んでるみたい」
救急車のサイレンは聴こえるけれど、他にも要請されているようで西からも東からも聴こえるのに、ここへは来ない。無情にも一台の救急車が目前を通り過ぎていった。そのうちに女性は冷たくなり、どう見ても死んでいるようにしか思えなくなった。
「…ハァ……ハァ……」
「お兄ちゃん……」
「ハァ……もう無駄か…ハァ…」
まだマッサージは続けているけれど、無駄な気がしてくる。救急救命処置のやめどきがわからない。講習では、やめるという選択肢は習わない。救急車に引き渡すまで続けるのが基本で、死亡診断は法律上医師しかできない。疲れた兄に替わって静江もマッサージを続ける。またスマートフォンがJアラートを発して津波警報を知らせてくるけれど、二人とも京都市にいるので注意を払わなかった。
「…ハァ…もう、やめるか…」
「でも…ハァ…」
救急車は来ないし、女性は蘇生しない。それでもやめないのは二つ理由があった。もし、この老婦人が自分の家族だったら、ここで投げ出しただろうか、という気持ちと、落選中とはいえ衆議院議員で父親も大臣まで勤めた家系の人間が、疲れたから蘇生をやめたとマスコミに報道されるのは苦しい。大災害の後には様々な美談と醜聞が流れる。もし、うまく蘇生して人命を救えたなら石永にとってこの上ない加点になるけれど、逆に見捨てたという評判が流れれば落選中の自分にとっては致命傷になりかねない。そんな考えもあって、やめるという選択肢が取りにくい。やめる決断ができないままマッサージを続けているうちに、二人の前に津波が来た。
「え? お兄ちゃん、あれ? なに?」
「ん……なんだ? 地下水? 液状化でも起こったか…」
京都市まで押し寄せてきた津波は道路に拡がり、またたく間に二人を包んだ。けれど、その高さは3センチ程度で京都御所敷地の手前で止まった。
「……海の匂い……海水なのか、これ……」
「海水って……ここ京都なのに…」
老婦人の遺体は海水に浸っているけれど、二人とも疲れていて抱き上げようという気力はない。勢いを失った津波は排水溝へ流れていき、二人の靴を濡らしただけで終わった。
「やっぱり、津波なのか……これ…」
「そうみたい……大阪が沈んだって……」
今になって青ざめた顔で静江がスマートフォンを見ている。石永も鼻白む。
「大阪を襲って京都まで……」
「ここまで来るなんて……」
「…………昔の人間が……ここを選んだ理由……当初は奈良盆地を都にした理由……大津波を警戒して……だったのかもな……それが海運と商業を優先して大阪や名古屋……江戸に……」
「ここは……もう、大丈夫なのかな? これ以上は来ないかな?」
恐ろしそうに静江が兄の腕をつかんだ。
「一応、山の方へ逃げよう。この分だと高速道路も国道1号も大渋滞か、通行止めだろう。途中峠越えで六角市に戻るぞ」
「うん………この人は、どうする?」
「……………。……ここに……置いていこう。……すまない」
石永が手を合わせて頭をさげたので静江もならった。
2011年3月11日14時44分、畑母神は海上保安庁の巡視船しきしまに乗って太平洋上の八丈島付近にいた。しきしまは7000トンを超える大型の巡視船で2機のヘリコブターも搭載している。東京都知事という立場で中国漁船の出没が盛んな小笠原諸島と尖閣諸島を視察する予定の航海で百色も都の特命職員として、そばにいる。二人は後部甲板のヘリコブター発着場から太平洋を眺めていた。
「海はいいなぁ。百色くん」
「まったくですな。閣下」
以前の職が自衛官と海上保安官なので海に出ると、心が安らいだ。
「わずらわしいテレビも無いし、陳情もない。都知事にはなってみたが、やれ保育園が足りない、特養も足りないだのと。なかなかに疲れるよ」
「あのお嬢さんたちの言う赤ちゃん手当てが実現すりゃ、保育園不足は解消しそうですな」
「そうだな。子供を保育園に入れると受け取れない制度設計だから、一気に待機児はゼロになるかもしれんな。それはそれで保育園が定員を満たせず経営で困るかもしれないが、若い保育士さんたちが結婚して子供を産めば、それでいいわけだから」
「それにしても、やっぱり海はいいですなぁ」
「ああ、最高だ。このままの日本ではいかんと使命感で政治家になったが、わずらわしいこと、この上ない。陳情に耳を傾けるのは当然としても、金銭の管理がグレーゾーンが多すぎて困る。いっそ、会計検査院の外郭団体でもつくって、そこに政治家の財布を預けるとか、そこへ領収書を送れば通るものは通してくれる、ダメなものはダメと返戻されるようなシステムにしてほしいな。あとで、ごちゃごちゃ言われるのは、かなわん」
「ですな」
「自衛官の頃は、よかった。経費とプライベートなど、すっぱり分かれていたからな。政治家になると、ちょいと気前よく人に飯をおごるのさえ、公選法上、大丈夫かと気にせねばならんからな」
「海にいれば三食、いただけますな」
「本当に海はいいな」
勝利に終わった都知事選の疲労もとれた畑母神は穏やかな海を眺めていたけれど、浮遊感を覚える。
「「ん?」」
二人とも、まるでヘリコブターの離陸時のような持ち上げられる加速度を感じて経験の長い畑母神が気づいた。
「地震による津波発生か……このあたりが震源なのだろう」
「へぇ、こんな感じですか」
「一度、経験したことがある。たまたま洋上の震源地にいて………だが、あの時より、ずいぶんと浮遊感が大きく……艦橋へ行こう。下手をすれば視察は取りやめくらいの地震かもしれん」
「また、あの大都会東京に戻るんすかねぇ。オリャ海がいいなぁ」
「私もだよ」
二人とも急いで船長のもとに行き、ともに情報を得る。地震の規模と衛星写真で確認できた津波の大きさを知ると、戦慄した。
「…まさか……こんな地震が起きるとは……」
「こりゃあ、死人が一万二万じゃ済まないんじゃ」
「ああ………死者数は大戦時を上回るだろう……都民1000万……名古屋…大阪……加えて海上自衛隊が受けるダメージも……」
畑母神は脳内で基地のある場所と海岸線を正確に思い出し、東北から東京、東海道、近畿にかけて100メートル以上、最大で200メートルを超える高さの津波が襲った場合の被害を、波の物理的性質も考慮して予想する。
「横須賀は全滅だ………だが大湊は残る。……舞鶴はもちろん、佐世保も。あとは呉だ……呉もギリギリ残る……かの地に鎮守府を置いた先人に感謝せねば」
「横須賀が中心で、その中心が無くなった場合、海自は、どうなるんです?」
「呉を中心にする」
「空自と陸自は?」
「三沢、浜松、厚木は確実にダメだ。横田がどうなるか……南の新田原と那覇だが、新田原は、そこそこの標高にあったはず……問題は那覇だ。震源地から遠いが、ほとんど海面と高さは変わらない。10メートルの津波でも全滅するだろう。揺れは無く津波の到達までに時間があるから飛ばせるだけ飛ばせればいいが……。陸自は7割が残るものの、海自と空自は整備も考えれば戦力は5割、半分以下になった」
「在日米軍も?」
「明らかに半分以下になる。三沢と東京、沖縄に集中しているのが痛い。残るのは岩国と佐世保くらいだ。……そうか、アメリカ人は、津波のことを、ほぼ考えずに基地を置いているのだな……こうなって、わかるか……」
「オレらは、どうします?」
「この船で救援に向かいたいところだが、津波の引き戻しには大量の瓦礫もあるだろう。何より貴重となる艦船を傷つけぬよう、不甲斐ないが正確な情報の収集にあたるしかあるまい」
「……東京壊滅か……八王子の山手くらいは残るか……何にしても、閣下が、ここにいたのは天啓ってヤツですな。国会が消えちまったなら、東京都知事で自衛隊のトップだった閣下が日本の大将だ。……だが、今は何も……オレも…」
百色は空手で熊のように鍛えた手が今は何もできないことを悔しく思った。