2011年3月12日土曜15時、鮎美は小松基地の広報室でネット配信のためにカメラの前に立っていた。マスコミはいない。
「日本全国のみなさん、とてつもなく大変な地震に遭い、その被害と、これからのこと、すべてに不安でおられることと思います。また、すでにご存じの方もおられることでしょうが、国会議員のうちで生存が確認されているのは私、芹沢鮎美ただ一人です。さらに行政の中央である霞ヶ関も水没しており、行政の処理能力は著しく低下しています。けれど、幸いなことに自衛隊は基地が全国に分散していたこともあり、その大半が残存しており今も救助にあたっています」
鮎美の言葉を聴いて、背後に立っていた鶴田空将補は自衛隊の戦力は実質的には半減したと説明したはずなのに、国民を安心させるために大半という言葉を鮎美が選んだことに複雑な思いを感じたけれど、顔には出さなかった。同じく鮎美の背後にいる三島も同じだった。
「また、ほぼ被害の無かった県もあります。秋田県、山形県、新潟県、群馬県、長野県、山梨県、岐阜県、富山県、石川県、福井県、鳥取県、島根県、山口県、福岡県、佐賀県などには目立った被害はありません。これらの県が被害に遭った県を助けるという体制を組みます。具体的にはネット上でも公開しますが、北海道は自衛隊の救援のみで行政においては自立的に運営してください。青森県、岩手県へは秋田県の県と市町村職員が応援する体制をとってください。宮城県、福島県へは山形県が応援してください。栃木県、茨城県、埼玉県へは群馬県にお願いします。千葉県、東京都、神奈川県へは山梨県が応援してあげてください。静岡県、愛知県へは長野県がお願いします」
鮎美は北から南まで被害県への支援を割り当て、さらに告げる。
「他県への応援をお願いしなかった新潟県、富山県、石川県、福井県へは霞ヶ関の代理をお願いします。具体的には金沢市に臨時の霞ヶ関を置きます。できるだけ国家行政に通じた職員を派遣するよう人選してください。また、中央行政を担う人が北陸の方だけに集中する弊害をさけるため、各県在住で省庁勤務経験があり、転職または定年退職されている方で志のある方は集まってください。そういった方で、ご家族の介護等、不安のある場合は別途メールにて、ご相談ください。もちろん、各省庁所属の人で幸運にも出張や休暇で生き残っていた方は引き続き同一省庁で働いていただきたいので金沢市を目指してください。また、すでに取りかかっている救援活動で、これまでに述べた各県協力体制と相容れないものも、そのまま続けてください。その有効性と必要性を感じているうちは継続してください。次に自衛隊については小松基地を中央とします。小松にすべての情報が集まるようにしてください」
鮎美は一呼吸おき、おそらくはこの放送を視聴するはずの畑母神が、すぐに連絡してくるだろうことを想定しつつ、次の話に移る。
「都道府県知事および市町村長が欠け、その代行者まで欠けているとき、かりに職務を代行する人を選任する方法ですが、市町村長においては知事が、知事においては総理大臣臨時代理の私が選任し承認します。目下、宮崎県知事は南国原先生としますが、他の知事で代行者まで欠けているときは小松基地まで連絡してください。また、必要な量を超えての食料品や物資の買い占め、平時の1.5倍を超えての値上げは厳に慎んでください。買い占めについては法人、個人を問わずですし、法人においては通常の過去三ヶ月の平均仕入れ額を超えての購入を控えてください。個人においては食料品は3日分の消費量を超えての買い込みを控えてください。米、ティッシュペーパー等のまとめ買いについても一袋もしくは一括りまでとし、同一世帯で二度並んで購入するなど、せこいことはせんといてください。この遵守について、皆様方の道徳心に強く期待すると同時に、違反について各地の警察および市町村職員に行政指導の権限を与え、なお違反する者について法人名および個人氏名ならびに住民票コード等の個人を特定しうる情報の公表を予定します。法人については登記上の代表者および実質的運営者の個人情報を含めます。この物価統制は今後30日間継続します」
「「……」」
三島も鶴田も顔色を変えなかったけれど、鮎美が戦時中のようなことを言い出したのも意外だった。さらに鮎美は強い口調で続ける。
「最後に、被害に遭った地域で必要とされているのは医師、看護師、その他の医療従事者です。各県の医師会は医療ボランティアを募り、派遣してください。そのさいは、さきほど申し上げた各県の連携体制に準じてください。くわえて、美容整形外科等の不要不急の医療行為は控えてください。消費者として、これを利用することも慎み、また今の私の発言によって美容整形外科医院の売上は激減することと思いますが、各医院の医師が被災地において救助活動にあたる場合、個々の医院の固定経費を最低限倒産しない範囲で国が補填する制度をつくります。また、当該医師および各医院に勤務していた医療従事者には被災地において活動した場合、国家公務員に準じた給与と、活動中の事故による負傷について公務災害が補償されることとします。以上です。大変な困難ですが、いっしょに乗り越えていきましょう」
鮎美は頭をさげ、さげたまま録画を終えてもらうと、再生してもらいチェックすると、問題が無かったので配信してもらった。配信して、お茶を一杯飲みきる前に畑母神から通信が入ってきた。
「もしもし、芹沢です。畑母神先生もご無事でよかったです」
「ああ。君も無事でよかった」
「今は、どちらに?」
「巡視船に乗って東京湾付近にいるのだが、漂流物の数が多くて陸には近づけない」
「そうですか。それで、ご用件は?」
「自衛隊の指揮を小松に集めるという件だが、どういう風に決まったのかな?」
「私が決めました」
「…そうか。……」
「畑母神先生は東京の状態を把握しておられますか?」
「ああ、ヘリから視察した。ひどいものだ。標高の高い八王子あたり以外は壊滅している」
「畑母神先生は東京都知事ですが、お願いしたいことがあります」
「どんなことかな?」
「東京都知事としての業務は八王子市の市長か、山梨県知事に任せ、自衛隊全体の指揮をとる防衛大臣臨時代理人をやってもらえませんか?」
「………わかった。引き受けよう」
「助かります。つきましては小松に来ていただけると頼もしいですが、他の場所で指揮をとるのが最適だと判断されるなら、そうしてください」
「うむ…………まずは小松に行こう。ヘリで行く」
「ありがとうございます」
鮎美が通信を終えると、三島のそばにいた田守が言ってくる。
「防衛大臣の任は三島先生こそ最適であると考えます! 地震発生直後から、もっとも救助に活躍したのは陸自であります! その陸自をまとめたのが三島先生です! あの男は船の上にいたのみ!」
「三島はんには法務大臣をお願いします」
「「法務……?」」
田守も三島も意外だった。
「芹沢殿、なにゆえ我が法務大臣なのか? 実務経験でいえば、陸自の指揮が最適である。我は佐官であったゆえ、将であった畑母神氏の下風にたつも当然、彼の指揮下でも異存なく働きたい!」
「なぜ、三島はんが法務大臣なのかは、あとで説明します。陸自の指揮は現役の自衛隊員が畑母神先生のもとで十分にやってくれることと思います。むしろ、三島はんには、あなたにしか頼めない仕事を頼みたいのです。お願いします」
「……我にしか、か。わかった。総理代理の任命に異存はない」
「ありがとうございます」
鮎美は次の仕事に取りかかろうとしたけれど、複数の通信が入っていた。そのうちから鮎美は石川県の知事との通信から受話する。
「もしもし芹沢です」
「さきほどの放送は、どういうことなんだ?!」
「全国の被害状況からみて、金沢市を仮の首都とするのが最適と考えた次第です。残っている交通とインフラ、日本の南北の中央あたりであること、立て直すべき東京、名古屋、大阪の3都市への距離とアクセスなどが理由です」
「む……そ、そうだとしてもだ! そう決める前に知事である私に連絡するなり相談するなりあるだろう?!」
「すみません。その根回しの時間を惜しみました。意志決定の速度を優先した結果です。どうにも受け入れていただけない場合、福井県知事か、富山県知事へお願いしてみます」
「…………。今さら………」
「なにとぞ、よろしくお願いします」
「わかった。尽力する」
通信を終えると鮎美は向こうが、小娘が、と悪態をついている気がしたけれど、いちいち歯牙にかけない。
「はぁぁ…」
どうせ事前に根回ししたら、ごちゃごちゃ条件つけたり、検討したりに何時間もかかるやん、結局おらが街さ首都なるならヨシと食いつくくせに、決定プロセスに知事として何の手柄もないとグチグチ言うて、よそに頼む言うたら慌てて取りにくる、まあ自分のせいで首都になりそこなったとなれば県史永遠の禍根やもんな、と思いながら鮎美は基地の給食班が用意してくれたオニギリを一つだけ食べて、お茶を飲み、次の通信を受ける。茨城県知事が行方不明で代行者もおらず生き残った30代の県議が知事を代行することに承認を求めてきた。南国原と違い、まったく知らない人物で実績も人柄もわからず、簡単に承認してよいものか迷い、また無所属ということもあって政治信条など色々と問い、ともかくは任せようと判断したので言う。
「わかりました。不破島明雄(ふわじまあきお)県議を茨城県知事臨時代行として承認します」
「ありがとうございます。承認されたから言うのですが、実は私も同性愛者です」
「え? そうですか、カミングアウトして当選しはったんですね?」
気がゆるんで思わず関西弁で問うたけれど、不破島は軽く笑って言う。
「いや、今、カミングアウトしました。総理代理に言った今が初めてです」
「それは……どうも……無線ですから、誰か傍受してるかもしれませんよ…」
「ははは! 吹っ切れましてね。津波が何もかももっていった。とりあえずは結婚してみた妻も、それなりに可愛かった2歳の娘もね。残ったのは県議としての責任くらいのもんです」
「……それは……ご愁傷様です…。同性愛者と、はじめに言うてくれはったら、よかったのに……」
「それを始めに言っては、まるで同類だから承認してくれと、ねだっているようなものじゃないですか。嘘をつくことだってできる。総理代理が行政指導を便利につかったように。あの物価統制は、効果的ですよ。少々の罰金より、ずっと残るかもしれない個人情報の公開の方がきつい。とはいえ、公表は予定にすぎず、行政処分には法的根拠がいっても、行政指導にはいらない。二重三重に法のうまいところだけを使った。それに今頃、無事な県の美容整形外科医は真っ青でしょうな。お客の方も、被災地は死ぬか生きるかの瀬戸際で、日本海側は平穏で羨ましいが、さすがに、のんびり脱毛や二重まぶたの手術をしようって気にはならんでしょう。だから本当は総理代理の発案は美容整形外科医を救ってやることになるのに、ヤツらの一部は激しく逆恨みするでしょうな。何にしても医師は医師だ、医師団の到着、期待してますよ。では!」
不破島が無線を切った。
「フフ……言いたいことを言う男やな。顔を見てみたいわ」
人として好感を覚えたし、いつか会ってみたいと思った。さらに何件もの通信に対応した後、夏子にも連絡を取る。夏子へは鮎美のスマートフォンから電話通信網でかけた。
「加賀田知事にお願いがあるんですけど」
「着信を見た瞬間に何かお願いされるとは、思ったよ。で、何?」
「財務大臣臨時代理人をやってほしいんです」
「臨時……代理人?」
自衛隊出身の畑母神と違い、学者畑から政治家になった夏子は、あえて代理人という言葉を使うところにひかかって問い直した。完全な任命による就任でなく、代理人であれば、いつでも代理権を解除することができる。そういう鮎美の狙いを感じた。
「はい、代理人です」
「………完全な就任じゃないのは、いいとして……。それって県知事と兼務することの抜け穴も狙って?」
「はい」
「お~ま~え~はァ! うちの県職員に三重県と京都府のフォローまで押しつけておいて、知事の私を出向させようっていうの?!」
「地震発生は日本時間で15時前、マーケットが閉まるまで2時間やったし、東京市場は市場そのものが水没しましたけど、ヨーロッパは動いたし、ニューヨーク市場は西海岸の被害と相場の激変を恐れて、ヨーロッパが閉まると同時に閉めてはる。そやけど一気にユーロ高、円安ドル安に振れてますやん。ニュージーランドドルなんて、もう一段、さがってるし」
「不幸中の幸い、地震発生は金曜午後で、この土日はマーケットは動かない。今、ドミニクがIMFとして世界全体に月曜から大規模災害時の相場固定マニュアルを発動しようとしてくれてる。まさか、この前、ハワイで作ったマニュアルが、1ヶ月と経たないうちに使われるなんて……」
「相場の激変は誰もが避けたいはずです。それで儲かるのは、ごく一部、大半は大損する。そのマニュアルを理解してて財務の舵取りができる人間で、うちが頼める人間は一人しかいてくれはりません」
「だからって……県知事に財務大臣を……実質兼務させるのは……」
「日銀も大阪造幣局も東京市場も大阪市場も各都市銀行も水没。そろそろ海水が引いて証券やら債券証書、手形、国債、紙ベースでも電子化されてても、ともかくは復旧させんとあきません。こんなこと18歳の実務経験が無いもんに指揮がとれると思います?」
「……手伝っては、あげたいけど……」
「各地方自治体に財務省から出向してる人や定年退職した人らを集めて、水が引いた東京で回収するもん回収して、金沢市で日本の財布を立て直してください。お願いします」
「………私の身体は二つは無いのよ。県内だって少しは被害あるし、三重京都のフォローも」
「副知事以外にも県知事の代理人を立てて、三重か京都方面だけでも指揮してもらうとか」
「そんなに都合良く代理人なんて見つからないし。それなりの経験のある人材でないと」
「御蘇松先生では、あきませんか?」
「…………あなたねぇ、選挙の結果を何だと思ってるの?」
「それなりの接戦でしたやん。ある程度の信任はあるし。何より県職員を指揮する経験は1年未満の女性知事より8年ある人の方が。たとえ引退してはっても、健康なんやし頑張ってくれはりますよ」
「老骨に鞭打つ18歳かぁ……。けど、県知事と大臣の兼務……県民国民が納得するかな? こんなときに、お金の話もなんだけど、っていうか、財務はお金だけど、私は知事としての報酬と大臣代理人としての報酬、ダブル取り?」
「大臣代理人の報酬を丸ごと、もらってください。県知事としての報酬は、右から左に御蘇松先生へ代理人報酬として。どちらも実質業務があっての報酬ですから、公選法上いけますやん」
「ギリギリね……かなり、いろいろ言われそうだけど、いろいろ言うマスコミも大半は水没したし」
「財務省が復活せんかったら、ダブル取りどころか、県知事報酬も止まりますよ」
「たしかにね。わかった。じゃあ、御蘇松先生がOKしてくれたら、私もOKするよ」
「ありがとうございます!!」
「知事選で負けた相手の代理人をするって、男性のプライドとしては、けっこう微妙だよ。引き受けてくれない可能性の方が高いと思って」
「頑張ってお願いしてみます!」
すぐに鮎美は御蘇松へも電話をかける。選挙応援した仲なので番号は知っていた。鮎美が依頼内容を話すと、笑われる。
「ははは、あなたには選挙を応援してもらったのに苦杯を舐めさせた借りがありますからね。それを死ぬまでに返せるなら本懐ですよ。引き受けましょう」
「ありがとうございます!! お身体には気をつけてください!」
「むしろ、あなたこそ、気をつけてください。ちゃんと食事を摂り、十分に休んで」
「はい、ありがとうございます! 気をつけます!」
電話を終えると、さすがに疲労を感じた。まだまだ、やるべきことはあるのに頭と身体が疲れている。不意に知念と長瀬を見ると、やはり二人からも疲労を感じる。長いフライトと交代要員の無いことから、かなり疲れているはずなのに、ずっと鮎美についてくれている。
「三島はん、うちが今、暗殺されると日本は、どうなると思う?」
「……極めて混乱する。さしあたって防衛大臣、法務大臣、財務大臣と指名してはいるが、すべて臨時の臨時。法的根拠たる芹沢殿を失えば、もはや那須御用邸におられる陛下のみが国家の代表となる」
「たった15歳で国の象徴か………しかも、ずっと……。三島はん、うちと陛下の警護を自衛隊に頼める?」
「すでに陛下は陸自が警護している。芹沢殿についても今は基地内ゆえ、取り立てて要員をあてていないが、そのつもりである」
「ほな、できたら、女性自衛官か、男性同性愛者の自衛官とか、あてられへん?」
「同性がよいのはわかるが、なぜゲイを望む?」
「お互いにセクハラせんやん。女性自衛官やと、うちが我慢すれば済むけど、ゲイやと、お互いに気楽やなって」
「かっかっか! あい、わかった。その手の人脈には、よく通じておる。用意いたそう」
「え? オレらお払い箱っすか? こんな急に? 警視庁に戻っても……」
知念が淋しそうに言うと、鮎美は知念の背中を叩いた。
「知念はんと長瀬はんも、おって。逮捕権のある警察官がいてくれんと、ややこしいときあるやん。けど、今から二人体制で警護せんと、一人ずつ交替にして片方は休憩してて」
「「わかりました」」
二人が話し合い、まず知念が休憩に入った。鮎美も目を閉じて考え事をする。太平洋岸にあった原子力発電所の被害状況も認識しなくてはいけないし、避難を促すべきか、さきほどの放送で触れなかったように、まだ黙っておくべきかも判断しなくてはいけない。太平洋ベルト地帯の工業の復活も、残った人口把握も住民票の整備も、何もかも問題だらけで急に鷹姫が憎らしくなってきた。
「こんなときに秘書の一人もおらんなんて……」
鷹姫と鐘留は帰ってしまうし、陽湖は台湾、静江は地元にいるはずだった。司令室の窓から外を見ると、鷹姫たちは通用門そばの庭に集まっている。そのうちには迎えのバスが来て帰ってしまう。ずっと鬱ぎ込んでいる鷹姫は他の生徒たちから離れた位置で地面に座って膝を抱いている。そんな様子を見かねたのか、一部の女子たちが優しく声をかけて背中を撫でたりしているし、給食されたオニギリを食べさせたりしている。鷹姫はビクビクと怯えながらも周りが優しくしてくれるので、礼を言ってオニギリを食べている。
「……鷹姫……」
ずっとクラスメートたちを見下した風にしていたのに、今は自分が一番下という認識に変わったのか、恐る恐る接している。逆に女子たちの方も今まで明らかに見下した目で見てきた鷹姫がへりくだってくれるので、仲間の輪に入れようとしていた。
「………そんなん……タカキちゃうやん……低い……ヒクキやん……」
見ていたくなかった。誇り高かった者が挫折して卑屈になっている姿は痛々しい。鮎美のスマートフォンが鳴り、静江から電話が入っていた。
「もしもし、うちです」
「生きておられたのですね」
「おかげさまで」
「でも、いきなり、なんて勝手な発表するんですか!」
「ベストやと思ったんやけど?」
「どうせ首都を移転するなら六角市か三上市、新幹線がとまる井伊市にしてくださればよかったのに!」
「地元根性丸出しやな。現在、新幹線は運行してないし。安土城を日本の中心にした時期は京都に近くて、湖上交通も盛ん。敦賀への便も、東海道を押さえる意味でもよかったけど、現代では空港もないとこに首都機能はおけんよ。敦賀の原発も問題やし」
「……それにしても……。もう済んだ話ですね……たしかに金沢がベストです……。これから、どうされるつもりですか?」
「情報収集と内閣の再編よ」
「本気で総理大臣になるつもりなの?」
「うち以外に誰もおらんやん」
「お兄ちゃんの方が、うまくやれるはずです」
「…………落選中やったやん」
「2期も衆議院をつとめてます! お父さんは大臣だったし! 芹沢先生は三ヶ月と任期を過ごしてないじゃないですか。どう考えても無理ですよ!」
「それを言い出したら全国各地に落選中の自民党議員がいはって誰が総理になるか収拾がつかんようになるよ。5期6期の人もいはるやろ?」
「それは………。じゃあ、芹沢先生が総理だとして、内閣の他のポストは、どうするんですか?」
「防衛、法務、財務は決めたし、本人もOKしてくれたよ」
「誰に?」
「畑母神先生と三島はん、加賀田知事」
「加賀田知事は民主党ですよ?!」
「そういう場合でもないやん。任せられそうな人に頼まな」
「畑母神先生はともかく……三島さんも元自衛官で法務畑は……。お兄ちゃんを官房長官にしてください! もしくは国土交通大臣! いいえ、お父さんに国土交通大臣をやってもらいます! まだ元気だし! あと応野先生に経産大臣! それから…」
「って、思いっきり地元で固める気なん?! 薩長藩閥みたいに言われるで!」
「このチャンスを逃す手はないですから!」
「チャンスって……人が、どれだけ死んだと……。地元の被害は、たいしたことなかったん?」
「はい、ほとんど被害はありません。京都にいたので、あやうく津波に飲まれるところでしたけど。お兄ちゃんも元気です。父も母も」
「自分の周りが無事やと感覚がちゃうんやね……」
鮎美は考えないようにしているけれど詩織のことを想い出してしまい、胸にさげている結婚指輪を押さえた。
「官房長官をお兄ちゃんでお願いします! 他にあてはあるんですか?」
「……無いけど…」
他に鮎美が頼めそうで国政の知見がある人間といえば、直樹くらいで、その直樹たちが元気なら、そもそも鮎美が総理にならなくて済む。
「わかったよ。石永先生を官房長官でお願いします。本人に伝えて、小松に来てもらえます? あ、もう少ししたら、こっちからバスが出て、それで生徒をみんな帰すさかい、戻りのバスに乗ってきてくれてもええよ。他に支部のスタッフとかで来てもらえる人には来てもらって。こっちは自衛隊の人ばっかりやし事務作業を頼める人がほしいんよ。できれば、顔見知りで」
「やっぱり芹沢先生だって使い慣れた人を使いたいんじゃないですか」
「うっ……まあ」
「わかりました。バスの件は宮本さんと調整します」
「あ…鷹姫は、もう秘書を辞めるって言うてるからカネちゃんにしてみて」
「はァ? なんで辞めるんですか? またケンカでもしたの?」
「ケンカちゃうけど……本人が、もう嫌やって……家に帰りたいって」
「こんなときに、そんなことを言い出すなんて!」
「………」
「しょせん高校生ですね。この大切なときに……さんざん色々教えてあげたのに……肝心なときに役に立たないなんて」
「そんな風に鷹姫を言わんといてあげてよ」
「言いたくもなりますよ! あの子、あれで月に50万ももらって、さんざん手間かけて勉強させたのに! これじゃ公費で海外留学して大学院を出したのに辞める官僚みたいですよ! 50万っていえば、高卒公務員の初任給3倍近い額ですよ!」
「……修学旅行中、いろいろ可哀想なこともあったんよ。着陸前には大阪が沈むのを見たし」
「でも、五体満足なんですよね?」
「まあ、怪我はしてないよ」
「ちょっと私、電話してみます。ふざけすぎ! 仕事なめすぎ!」
静江が電話を切った。心配なので鮎美は窓から外を見る。すぐに静江は鷹姫の携帯電話にかけたようで、鷹姫は着信表示を見つめて受話するか悩んでいる。かなり長時間、コールが続き、諦めて鷹姫が電話に出ると、何か言われている。しばらく見てると鷹姫が泣き出した。さらに静江から何か言われているようで泣きながら答えている。
「静江はん……きついこと言うてるんやろなぁ……鷹姫……」
泣きながら電話を受けている鷹姫をクラスメートの女子たちは心配して囲んでいる。囲んでもらった鷹姫が、おもらしをしている。小さな水たまりが鷹姫の足元にできて、見かねた留香が電話を替わり静江と話し始め、鷹姫は他の女子にハンカチやティッシュで脚を拭いてもらい、慰められながら泣いていて、見ていた鮎美は嫌悪感で胸がいっぱいになった。
「……な……なんちゅー………情けない生き方なんよ、それ……女の腐ったみたいな……困ったことがあったら、泣いて漏らして周りに助けてもらうって……そら発達障害いわれるわ……鷹姫、そういう生き方、卒業したんちゃうの? 島に帰っても、そんな鷹姫では……恥さらしなだけ……」
どうにも我慢できなくなって鮎美は鶴田に問う。
「この基地って道場ありますか?」
「ええ」
「少し貸してもらえますか? 根性叩き直してやりたいヤツがおるんで」
「はい……どうぞ」
鶴田はテレビで紹介されていた鮎美のイメージとは違うなぁ、と思いつつも、いっそ総理としては、可憐で知的な同性愛少女よりも、自分たちと似たような方法で根性をなんとかしようとする関西弁少女の方が頼もしいとは感じた。
「田守はんも、いっしょに来て」
「はっ!」
日本刀をもった田守と鮎美、三島、長瀬も司令室を出て、通用門そばにいる鷹姫のところへ行った。鮎美が近づくと女子たちは道を開けたけれど、鷹姫は鮎美の表情を見て怯えたように目をそらした。何を言われても秘書を辞めて家に帰りたい、と震える。
「あんた、島に帰って、どうする気なん?」
「……ぐすっ……お家で……お手伝いをします…」
「そんで岡崎はんの嫁になると?」
「…はい……」
「いくら見た目が美人でも、発達障害に甘えて、困ったことがあったら小便垂れて泣くような女が、まともな嫁になると思うん?」
「っ…」
「自分の姿、お母さんに誇れるん?」
「………ぅぅ……ぅぅ…」
鷹姫が座り込んで膝を抱えて丸くなった。まるで赤ん坊に戻りたいというような姿勢だった。
「どうなん?! 島に帰っても恥さらしなだけちゃうの?!」
「……ぅぅ………もう……私は……消えたい……消えてしまいたい…」
死にたいとは言わないのは、かろうじで亡き母と同じところに逝くのは、まだ先であるべきだと鷹姫自身がわかっているからだと想い、鮎美は田守が持っている日本刀を指した。
「そこまで恥さらして生きるんやったら、いっそ死に! 自分で腹裂いて死んでみせい!」
「っ…」
「田守はん」
「はっ」
まだ短い付き合いだったけれど、話の流れから田守は察して日本刀を鷹姫の前に置いた。
「言うとくけど、腹を斬るのは、めちゃめちゃ痛いよ」
「……ぅぅ……ぐすっ………」
「早う死に」
「っ……」
「おい、芹沢!」
義隆が言ってくる。
「やめてやれよ!」
「あんたは関係ないし黙ってて」
「なっ……お前さ! 今のお前、月谷が暴走したときと同じ感じだぞ!」
「…………」
言われた鮎美は問うように鐘留を見た。
「……アユミン……なんか怖いよ」
泰治も言ってくる。
「別人みたいだよ」
「………」
鮎美は自分の頬を撫でる。期せずして一国の最高権力者になっていて、今や思いつくままに首都を移し、県の知事代行を指名し、仮とはいえ組閣している。その自覚と自負が鮎美の気持ちを騒がせている。正直、人を人と思わぬほど、意のままに人を動かす気でいた。それを指摘されて、あの穏やかな陽湖でさえ、権力に酔ったことを思い出し、自戒する。
「おおきに。ちょっとは冷静になったよ。鷹姫」
鮎美は震えている鷹姫のそばに膝をついた。
「あんたは、よく役に立ってくれた。今のうちがあるのは、あんたのおかげよ。うちを三回も助けてくれた」
「………」
「うちが市議選のときビビって立てんかったのを叱ってくれたし。パンチラ写真が悲しいて記者会見中に泣き出したうちの代わりに場をもたせてくれたし。何より、あんたがおらんかったら、うちはお腹裂かれて、今頃は墓の下。そして日本は国会議員が一人もおらん状態で大混乱やった。あんたは日本を救ったんよ」
「……私は……日本の恥です……」
「立って。こっち来て」
鮎美は立たせた鷹姫を基地内の道場に連れ込む。心配なので生徒たちも見に来た。気が利く鶴田が、すでに二人のサイズに合う防具と竹刀を用意していてくれた。二人とも制服の上から防具を身につけると、竹刀を握って向かい合った。
「根性叩き直したる」
「…………鮎美では……無理です…」
「言うたな、小便垂れ!」
まっすぐに打ち込んだ鮎美の竹刀は払われて瞬時に打ち返されていた。面をくらい、防具越しでも痛いけれど、すぐに再び打ちかかる。けれど、結果は何度仕掛けても同じだった。
「…ハァ…ハァ…くそっ…一回も…」
「…………」
「…一回くらい…ハァ…勝てても……ハァ…よさそうなもんやのに…ハァ…」
「………ろくに稽古もしていないのに、私に勝てるはずがありません」
「はは、そうそう、そういう高飛ぃな感じ、ええよ」
「……」
「たぁっ! …と見せかけて!」
真っ直ぐな打ち込みと見せかけて、タイミングをずらして胴を狙ったけれど、鷹姫は難なくかわして打ち込んできた。また負ける。
「ハァ…痛ぁぁ……ハァ…」
「いつまで続ける気ですか? あなたは忙しいはずです」
「あんたが、うちの秘書を続けると言うまでよ」
「…………」
「発達障害がなんやねん!」
また打ち込むけれど、また負ける。それでも続ける。
「人間にはな! 強力な牙も爪も無いねん!」
「………」
「走っても馬におよばん!」
「…………だから?」
「多様な個性と才能があってこそ人間やねん!」
「………」
「そして人間は死を理解する! 仲間の死、家族の死! 限りある命やと、知ってるねん!」
「……………」
「しかも理不尽に終わることもある! 明日死ぬかもしれん! 昨日死んだ人が、どれだけいたか!! 今も誰か死んでる! あんたが手伝ってくれたら、うちは2倍も3倍も頑張れる!」
「………」
「あんたがおらんかったら、うちは判断を間違うかもしれん! うちかて疲れて何もかも投げ出しとうもなる! うちを支えい! 日本を支えいや!! たかが何度か自分らしいない自分、理想の自分やない自分を晒したくらいで! 島に戻ってフジツボみたいに引き籠もって生きるんか?! 生きたかったのに何千万何億と他の人らは死んで逝ったのに!!」
「………」
また鷹姫が勝つ。
「ハァハァ、こんなに元気で! どんだけ打っても負けんくせに! お家に帰ってシクシク泣いて過ごすんかい?! この弱虫! 死んだ気で立ち直れや!! ぁ…」
鷹姫が防御しなかったので鮎美の一撃が通り、面が入った。
「…ハァ…ハァ…わざと…ハァ…」
「わかりました。私は死んだのです」
そう言った鷹姫は防具を外すと、田守がもっていた日本刀を抜き、一息に長い髪を切った。もうポニーテールを結えないほど短くなる。
「鷹姫……」
「死んだ気で、お仕えします。もう一度、死ぬときまで」
「…鷹姫!」
「「「おおっ!」」」
三島と田守、長瀬が感動しているし、他に見ていた生徒たちと、非番だったので見物に来ていた隊員たちも詳しく事情はわからないものの、うまく二人が和解したようなので拍手を送った。そのタイミングで迎えのバスが数台、基地に入ってきた。点呼しながら生徒たちがバスに乗る。鮎美と鷹姫は乗らず、鐘留は申し訳なさそうな顔で言ってくる。
「……アタシ、秘書補佐は続けるけど……一回、家に帰りたい。ごめん、アユミン」
「うん、ええよ。ネット関係のことやったら、どこにいてもできるやろし。静江はんも、こっちに来るとなると、地元に一人いてくれるのも助かるし」
「ごめんね」
鐘留がバスに乗り、乗る予定だった泰治が言ってくる。
「なぁ、芹沢さん、いや、芹沢総理」
「さんでええよ。なに?」
「ボクにも何か手伝えないか?」
「え?」
「ボクも日本のために何かしたい。どうせ、帰っても四月からボクが行くはずだった大学も名古屋だったから無くなってるだろうし。雑用でも護衛でもやるよ。ボクなら芹沢さんといても、セクハラしないし、したくもならないだろ」
「そやね。ちょっと頼みたいこともあるし」
「どんなこと?」
「大きな災害の後って必ずデマが流れるねん。そして少数者への差別が燃え上がる。関東大震災の後も、朝鮮人が井戸へ毒を入れたとか、結果、自警団が組織されて、その暴走で少数者へのリンチがあったり。現代の阪神淡路大震災の後でさえ、外国人が放火したとか流れたんやけど、ホンマは停電が回復した後の漏電による出火やってん。そやから、少数者の気持ちがわかる人間に、差別やデマを許さないという自警団をやって欲しかったんよ。ネット情報ならカネちゃんが得意やけど、あの性格やから差別抑止どころか、差別助長して楽しみそうやし。タイジはんやったらゲイを隠してきた過去もあって、少数者の立場で物事を考えられるやろ?」
「ああ、やらせてほしい」
「ほな、決まりやね」
鮎美と泰治が握手をしていると、義隆も言ってくる。
「オレも役に立てないか? 軍事関連の話なら得意だぞ」
「う~ん……それは、本職の隊員さんがいるし」
「空気読まないのも得意だ」
「はいはい。あんた異性愛者やし、うちや鷹姫をエロい目で見るよね。さっきも道場で倒れたときとか、もろに、うちのパンツ見てきたし」
「あんな制服のまま剣道するとか、パンツ見てくださいって空気だったぞ。オレは、ちゃんと空気を読んだ」
「わかったよ。あんた観点が違うから貴重な意見をくれるかもね。とりあえず残って」
残るメンバーが決まりバスが出る。鐘留は鮎美たちが見えなくなるまで手を振ってから仁美に問う。
「ヒトちゃん、いいの? あいつと付き合ってたのに」
「家には帰りたいし」
「だよね。でも、誰かに盗られるかもよ?」
「芹沢さんレズだし、宮本さんも男に興味ない感じだし許嫁いるらしいし……あ、でも……国友くんゲイで……ま、大丈夫でしょ。ずっとバレー部で、いっしょでも問題なかったわけだから。気持ち悪い想像させないで」
「ごめん、ごめん」
鐘留は流れで鮎美に身体を許したことは言わないでおこうと思いつつ、バスの車窓を眺めた。北陸自動車道を使っているので、すぐに福井県に入り、直線ばかりなので眠ってしまい、敦賀地方の山道で曲がりくねる頃には熟睡していて六角市最寄りのインターで高速道路をおりる頃になって起きた。
「っ……」
起きてから、どうしてナプキンを着けず、乗車前にトイレにも行かずに眠ってしまったのか、ひどく後悔して泣きそうになる。また親に殺される悪夢を見て、下着とスカートを濡らしていた。
「緑野さん、どうしたの?」
同じく寝ていた仁美が気づく。
「ぐすっ…ぅぅ…」
「………。あ~……また、しちゃったの?」
「っ…ぅうっ…」
「はいはい、声あげて泣かない。黙ってれば、わかんないよ。私たち何日、お風呂に入ってないと思う? 鼻が慣れてるからわかりにくいけど、超臭いし。バスの運転手さん可哀想ってくらい匂ってるよ。今さらオシッコ一回分くらい誰も気づかないって」
仁美の言葉通り、鐘留が声をあげて泣かないようにしていると、誰も気づかずバスは学園に到着した。鐘留はスカートの後ろが濡れているので一番最後におりた。保護者たちが迎えにきていて、親子が抱き合っている。あと少し早く関空に着陸していたら、この再会は無かった、我が子が生きていてくれて嬉しくて泣いている。抱かれた生徒の方も泣き出していた。
「緑野さん、鮎美は?」
「「マザー陽湖は?」」
他の保護者同様、迎えにきていた玄次郎と陽湖の両親が問うてきた。教師からの連絡体制が万全ではなく抜けがあるようで、陽湖がマザーの称号をえたことは伝わっていても、陽湖が帰国していないことは伝わっていないようだった。
「自分の娘をマザーって……。えっと、アユミンは小松に残って総理大臣になるって」
「そうか。………あの放送……本気か……」
玄次郎は娘が帰ってこない可能性もわかっていたらしく落ち着いている。
「「マザー陽湖は?」」
「月ちゃんは………えっと……いろいろあって……もう少し帰るのが遅れるかも」
とても両親に向かって台湾に置いてきたとは言えなかった。
「宮ちゃんも残ったし……宮ちゃんのパパと義理ママは?」
「宮本さんのところは、下の妹さんが亡くなられたので家におられるよ」
「そう……」
ほとんどすべての生徒に保護者が迎えにきているのに、鷹姫にだけ迎えがないのは可哀想だと感じた。泰治と義隆の両親がいないのは本人が連絡したからかもしれない。鐘留は玄次郎を見ていて違和感を覚えた。ほとんどの保護者は両親で来ているし、片親の場合でも母親が来ている感じなのに、主婦で近所にいるはずの鮎美の母親がいないのには違和感がある。
「アユミンのママは?」
「……。……」
玄次郎が答えにつまり、陽梅もつらそうにしている。鐘留は空気が読めないわけではないので、察した。
「もしかして……アユミンのママ……死んだの?」
「……ああ」
「琵琶湖の津波で?」
「そうだ」
「…………あ……あの……アユミンは結婚した女の人も東京で……大事な人の情報については……いいニュースしか聞きたくないって……ショックで仕事できなくなるから……朗報しか教えるなって……言って……ました」
「そうか………あいつは……賢いな。では、黙っていてくれ。オレも言わない」
「うん………」
急に鐘留は不安になった。どうして、まだ自分の両親が顔を見せないのか、とても不安になり、自宅の方へ走る。学園と自宅は、ほとんど離れていない。校門を出て、少し進み、街の光景を見て愕然とした。
「……アタシの……家が………無い………」
あったはずの場所に自宅がない。
何もない。
「………アタシの家は? ………ママ……パパは?」
自宅は消えていて、基礎しか残っていない。むしろ基礎も消えていてくれたら、ここは自宅のあった場所ではないと思い込むこともできたのに、基礎があるおかげで思い知るしかない。庭にあった2本の樹、早世した二人の弟を想って母が植えた樹も、根っこごとさらわれている。
「………………」
鐘留は腰が抜けて歩道に座り込んだ。
「……ハァ……………ハァ………うそだ……………これは………違う………こんなことは………アタシの人生じゃ……ない……」
泣いたら受け入れてしまう気がして、鐘留は泣かなかった。なんとか、否定する方法を考える。
「………アタシの……家………アタシの………」
歩いて追ってきた玄次郎が気の毒そうに言う。
「緑野さんのご両親は…」
「聞きたくない!! アタシも朗報しか聞かない!! いいニュースしか聞かない!!」
「………」
そう叫ばれると玄次郎に言葉はなかった。この付近で亡くなった人たちの遺体は、ひとまずは学園の体育館に安置されている。そこに美恋も、鐘留の両親も横たわっている。
「……ハァ………ハァ……」
「…………」
玄次郎も立ちつくすしかない。陽梅と啓治が教師から陽湖のことを聞いてから、鐘留を心配して来た。台湾にいると聞いて、娘のことも心配でならないけれど、生きてはいてくれる。死という情報とは天地の差がある。陽梅が鐘留の背中を撫でた。
「シスター鐘留、私たちの家に来てください」
「ああ、おいで。これも神の導き、ボクたちの娘だと思って迎えるから」
「っ、うっさい!! アタシはアタシ!! 導きなんかない!! どっか行け!! クソ宗教!!!」
「「…………」」
「さっさと消えろ!! この!!!」
鐘留が自宅跡の土をつかんで投げつけると、陽梅と啓治は退散した。
「ハァ……ハァ……」
「…………」
玄次郎は鮎美が産まれた日にやめたタバコを吸いたくなった。このまま鐘留が落ち着くまで眺めているしかない。三月なので、まだ寒いし、もう暗い。玄次郎は意図して話題を変える。
「鮎美は修学旅行中、どうだった?」
「……………最悪だった……」
「鮎美が何かしたのか?」
「……宗教が……最悪……」
「そうか」
玄次郎と鐘留のそばにタクシーが停まった。静江と石永がおりてくる。
「ここ、かねやさんがあった場所ですよね?」
「…」
玄次郎は厳しい顔で人指し指を唇にあてた。それで静江も石永も言ってはいけないことなのだと悟る。石永が問う。
「自分たちは、これから小松へバスで向かいます。芹沢総理代理へ伝えることや、渡す物はありますか?」
その口調で石永らが湖水による津波の犠牲者を氏名までは把握していないのだとわかった。
「いえ。むしろ、あまり色々なことを伝えない方がいいでしょう。それでなくても、あいつが結婚したと想っていた人は東京にいたし。あいつ自身も仕事に集中するため、個人的な不幸なニュースは知りたくない、と言っているそうです。小松でも、そういうニュースに触れないよう配慮してやってもらえますか?」
「わかりました。では」
「娘さんの体調にも、お気持ちにも、気をつけます」
石永と静江は学園まで歩き、先についていた党の職員たちとバスに乗る。石永らの一行は少人数なのでバスは淋しいくらいガラガラになった。
「お兄ちゃん、これから日本は、どうなるの?」
「そういう不安そうな顔はするな。オレたちが不安になれば、国民はパニックになる」
「……はい」
「眠れるときに寝ておけ。小松についたら徹夜かもしれない」
そう言って石永は目を閉じ、これからのことを考えつつ眠った。