「女子高生総理・芹沢鮎美の苦悩」   作:高尾のり子

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3月25日 核報復

 

 復和元年3月25日金曜朝、鐘留は鬼々島にある芹沢家の2階で玄次郎と同時に目を覚ますと、鮎美の私服を着て1階におりる。台所では陽梅とワンコが朝食を作っていた。

「あ、おはよう、ワンちゃん」

「おはようです」

 ワンコは現役アイドルらしい鈴が鳴るような可愛らしい声と、同性愛者ではない鐘留でも抱きしめたくなるような子供っぽい仕草で挨拶してくれた。茶色く染髪した髪を短く切りそろえ、まるで犬の耳のようなツインテールにしているし、目も大きくて唇もふっくらとした美少女だった。玄次郎もおりてきて4人で朝食をとる。メニューは近所の漁師が獲ってくれた小魚と、生協が配達してくれる卵を目玉焼きにしたものと、白米と味噌汁だった。昨日から鬼々島の島民は燃料節約のために今までのように各自で漁船と自動車を使って本土のスーパーに出かけたりするのは自主的に控えることになって生協に島までもらっているし、連絡船もダイヤが、もともと少なかったのに半減となっていた。

「「いただきます」」

 鐘留と玄次郎は食べ始める。陽梅は食前の祈りを始めた。ワンコは少し戸惑いつつも昨夜も見た光景なので食べ始める。

「………いただきます」

「ワンちゃんの動画、狙い通り韓国で閲覧数めちゃ伸びてるよ。夕べのうちに300万ヒット超えたし」

「それは良かったです。……」

 ワンコは歌と演説で韓国男子を奮い立たせるための動画を鐘留の協力をえて作成し、配信も韓国語が理解できるワンコとインターネット技術をもつ鐘留が協力しておこなっている。プロの映像技術者が作るより、いかにも緊急の手作りという方があざとくないだろうという鮎美のあざとさで、鐘留とワンコの二人体制での制作配信だったし、北陸にある日本政府とは無関係を装うためにも地理的に離れているのは都合良かった。ただ、日本で在日韓国人による義勇軍を組織して応援に向かわせると宣伝しているけれど、実際には日本国内では何一つ動き出していないことも知っていてワンコは同胞に罪悪感を覚えつつあった。鐘留は屈託無く言う。

「今日は、あと5人、本場韓国の子が来て、いっしょに収録する予定だったけど、3人がキャンセルになって2人が来るから、ワンちゃんと合わせて3人グループで、また収録して流してほしいってアユミンから連絡があったよ」

「そうですか……仲良くできるといいなぁ」

「だよね。芸能界って女同士の争い熾烈だから、嫌になるよね」

「カネルンもモデルだったんですよね。そういうの、ありました?」

「あった、あった。アタシは美人なうえに家がお金持ちだからさ。妬まれて妬まれて大変だったよ。それも辞めた理由の一つかなぁ」

「大変ですよね。芸能界………まあ、ただのユーチューバーと、あんまり変わらない状況に落ちてきましたけど」

「アユミンも、ひどいよね。娯楽番組もエネルギーの節約のために、あんまり造るな、古いDVDで映画でも見とけってさ。しかも、できればテレビも控えて、畑でも耕しておけって国民に言い出してるし」

「豊かだった日本も………」

「あ、そういえばさ。韓国の人たちに祝い返ししないといけないよね?」

「祝い返し?」

「だって、日本の大震災をお祝いしてくれたしさ。韓国の戦災をお祝いしてあげないと♪」

「………あの……私が在日韓国人だってことを覚えてます?」

「うん、まあ」

「…………いっしょにいてカネルンの性格、だいたいわかってきたけど、今日これから来る2人の前で似たようなこと言うのは絶対に控えてくださいね。怒る人は、めちゃめちゃ怒りますから。私は、どっちかというと日本文化で育って、ハングルを習ったのは日韓両方で活躍できるアイドルになりたいって理由だったけど、これから来る2人が生粋の韓国人だったなら、そういう発言はデブにデブって言うようなものだと思ってください」

「そりゃキレるねぇ……まあ、もしアユミンの好みで選んだんだったら、デブってことは、ないと思うよ。腋もチェックしただろうし」

「ワキ?」

「アユミンは超腋フェチだよ。あと、玄次郎も」

「そういうことを食卓で言うな。というか、どこでも言うな」

「きゃははは♪」

「まったく」

 ろくな会話をしないので玄次郎は節電を要請されているけれど、テレビをつけた。ニュースキャスターがニュースを読んでいるもののスタジオの照明も控え目なのか、影がある。

「日本政府は小学生5人を強姦のうえ殺害した田熊衛士被告に対し、新制度による即決裁判を行うと発表しました。この制度は国民の中から無作為に選出された人を裁判員として任命し裁判を行うものです。また、田熊被告へは従来の死刑を超えた過酷な死刑が適応されると見込まれており、これに対して京都弁護士会、山梨県弁護士会内東京第二弁護士会が連名で芹沢鮎美総理大臣宛に抗議文を送付したとのことです」

 映像が切り替わり死刑反対論で有名な弁護士が映った。

「まったくもってね、けしからん制度ですよ、これは! 制度といえるものではない! ただのリンチです! そもそも人を死刑にするということは、あってはならんわけです。どんな人にも立ち直りの機会、反省の機会を与えるべきで、ここを丁寧にやっていかんとね、人権の根幹が失われるわけです!」

 目玉焼きを食べながら鐘留が言う。

「にしてもさ、このタクマくんさ、すごい逞しいね、一気に5人も強姦ってさ、ちゃんと全員に射精したのかな?」

「ゴホッ! ゴホッ!」

 味噌汁を飲んでいた陽梅が盛大に噎せた。ワンコがティッシュを差し出す。

「あと、すごいロリだね。あえて小学生ってとこがさ。ロリって病気なのか、障害なのか、とりあえず死刑しかないね。この弁護士、アホだね。お前の娘が殺されればいいのに、って、みんな思ってるよ」

「国民感情としては、おおむね鮎美に賛成してくれているんだろうな。街角インタビューも、そんな感じだし。むしろ、抗議した弁護士会が、たった二つというのが少なくて驚く。まあ、これだけ日本中がざわついてるときだ、弁護士もヒマじゃないだろう」

「次のニュースです。同じく日本政府は津波で死亡した人の身分証明書を拾い、これを悪用して3重に戸籍を取得しようとした在日外国人へも死刑を求める即決裁判を行うと発表しております。この在日外国人は取り調べに対して黙秘しており、本当の国籍もわかっていませんがDNA鑑定の結果、日本人ではないことは確からしいと…あ、臨時ニュースが入りました。北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の金正陽の長男で後継者と目されている朝鮮陸軍大将の金正雄(キムジョンユウ)による映像がライブで配信されるそうです」

 画面が切り替わり、軍服姿をした恰幅のいい39歳の金正雄が映った。

「あ、マサオだ」

「カネルン、あの人はジョンユウだよ」

「ネット上では、みんなマサオって呼んで意外と人気あるよ。マサオは日本のディズニーランドにも、ちょくちょく遊びに来てたらしいし、偽造パスポートで。日本のアニメとかも好きみたい。じゃあ、攻撃するなよって話だけど、パパが撃つって決めたら仕方ないかなぁ。逆らったら死刑な国だし」

 金正雄が演説を始めた。

「我が忠勇なる朝鮮人民軍兵士たちよ! 今やアメリカ軍艦隊の半数が海に消えた! この津波こそ、我ら朝鮮の正義の証である」

「マサオ、元気そう。マカオに飛ばされたって話もあったけど、ちゃんと後継者になれてたんだ」

「決定的打撃を受けた南朝鮮軍に、いかほどの戦力が残っていようと、それはすでに形骸である」

「痩せたらハンサムかもねぇ」

「敢えて言おう!! カスであると!!」

「頑張るねぇ、本音では日本のディズニーランドが消えて残念、こんな震災が無きゃパパが余計な野心をもたないで、また日本へ遊びに行けたのに、とか思ってそう」

「それら軟弱の集団が、我ら朝鮮人民軍に抗うことは出来ないと私は断言する」

「軍服が似合って無くてコスプレっぽい。なんか、こういうデブ、コミケとかに出没してそう。でっかいカメラもって、アタシたちのスカートとか狙ってきそうな感じの」

「人類は!! 我ら選ばれた優良種たる朝鮮国、国民に管理運営されて、はじめて永久に生き延びることができる」

「人類は朝鮮が起源だもんね」

「これ以上戦い続けては人類そのものの存亡に関わるのだ」

「っていうか、これ日本語じゃん?! マサオ、日本語うますぎ! 日本語なんかで演説して大丈夫なの?! もしかして自棄?! パパへのあてつけ?!」

「明日の未来のために、我が朝鮮国国民は起たねばならんのである!! ジーク・ジ…」

 演説の途中で画面が、パァっ! と明るくなり、真っ白になった次の瞬間、真っ暗になる。

 ザァ…

「映像が途切れました。……しばらく、お待ちください」

 日本のニュースキャスターが言っている。

「マサオ……ポアされたのかも。命かけて何か言いたかったのかも…」

 鐘留たちが待っていると、ニュースキャスターがスタジオスタッフから紙片を受け取り、かなり驚いた顔をしてから読み上げる。

「アメリカから北朝鮮へ核攻撃があった模様です!」

「「「「っ……」」」」

 鐘留たちも驚き、ニュースキャスターが続ける。

「この核攻撃について、声明を発表するとして、アメリカのミクドナルド・トランプ氏が映像を配信するそうです。ミクドナルド氏は現在、アメリカ合衆国大統領を名乗っていますが、正式にはオパマ氏が大統領です。映像を流します」

 画面が切り替わり、星条旗を背景にした若い白人女性が映る。いつも通りの長いツインテールをしていて、ノースリーブで肩や腋の見える上着にネクタイをしめ、アームカバーを着けている。

「Let`s work for peace, brothers.」

 英語だったので、同時通訳が追ってくる。

「みなさん、平和のために努力しよう。日本と韓国へ10発の核ミサイルを北朝鮮が撃ち込み、うち5発が核爆発を起こして、多くの人々が犠牲になりました。悲しいことです。同時に強い怒りを覚えます。これを放置しておくことはできない。と、私は考えます。けれど、オパマ氏は決断しませんでした。だから、私が合衆国大統領として決断しました。核には核を! ごく単純なことです。私は1発のミサイルを発射するよう命令しました。これは大西洋から発射され、狙い通りに命中し、少なくとも演説中だった金日雄へ報復の鉄槌をくだしました」

「…マサオ……アメリカにポアされたんだ……」

「ポアって言うなよ。なんか、軽いことに感じる」

 玄次郎が冷めてしまった味噌汁を、もったいないので飲みきりながら言った。

「発射したミサイルの威力はソウル市を攻撃したものと同じ程度です。あと4発、私は決断をくだすかもしれません。5発には5発、当然のことです」

「じゃあ、日本もアメリカに2発、撃たないと♪」

「それは時効なんだろう」

「アメリカ軍は半世紀以上にわたって極東地域の平和と安定に貢献してきました。けれど、私たちはアメリカ人兵士が犠牲になることに大きな疑問を感じています。なぜ、アメリカ人の兵士が家族と離れ、遠く太平洋、大西洋を越えて赴任しなければならないのか」

「じゃあ、来んなよ、バカ♪」

「帰った途端に、攻め込まれたけどな」

「もし、再び朝鮮半島へアメリカ軍兵士を派遣すれば、多くの犠牲が出るでしょう。そんなことはしません。けれど、核攻撃だけは放置しておけない。私は合衆国大統領として、核には核を、この単純なルールを世界に敷きます。先制的に核を使った国へは、どんな理由があろうと、同程度の核攻撃を行います」

「…ふーん……」

「わかりやすいルールではあるな」

「日本と韓国の指導者へ告げます。あと4発、北朝鮮へ報復する権利があなた達にはあります。どこへ撃って欲しいか、考えておいてください」

「「「「………」」」」

「1発につき10億ドルを求めます。最初の1発は5億ドルとします。日本と韓国が支払うべきものです。私たちが防衛を肩代わりしたのですから当然です」

「「売るのかよ……アメリカ人らしい……」」

「また、核を保有しないすべての国へ告げます。あなた方が核攻撃を受けたとき、私たちが報復を肩代わりすることができます。ただし、対価は求めます。1発15キロトン級で10億ドルです。けれど、お得なプランも用意します。事前に入会していただくと、1発1億ドルとなりますし、月額会費は1000万ドルとします。また経済規模の小さい国へは10万ドルを月額会費とし、報復時の核ミサイル代は実費プラスアルファで交渉に応じます」

「「マジで売る気だ……」」

「この核クラブの名称を、N友の会、とします。さらに核を保有する国と、核兵器を保有していると疑われる国へも告げます。いまだ相互確証破壊の能力に至らない核は北朝鮮を見ても明らかなように脆弱です。けれど、N友の会に入会されると、自国が先制攻撃を受け、発射基地等を失っても報復可能です。これにより大量の核兵器をもつコストを抑えられます。核保有国がN友の会に入る場合、報復時の核ミサイル代は無料、月額会費は300万ドルとします。これをバリュープランと呼称します。このバリュープランに加入後、所有する核兵器を放棄した場合は、さらに50%引きで月額会費は150万ドルになります」

「ホント、アメリカ人の中のアメリカ人だね、ミクドちゃん……お得なのはバリューセットだけにしときなよ。あれ、ポテトで大儲けできるし」

「逆にバーガーだけだと、きついらしいな」

「私が提唱するプランの素晴らしいところは、このプランが広まれば、世界の核保有国が次第に減っていくということです。完全にゼロにはならなくとも、最終的に二カ国となる可能性もあります。そのときは、当然に相互確証破壊の能力のある二カ国となりますから、今回の北朝鮮による核使用のようなことは起こらなくなります。これは素晴らしいプランです」

「あ、なるほど」

「理屈の上では、そうなるかもな。鮎美の連合インフレ税と同じで。面白い女だな」

「ご入会をお待ちしています。また、日本のアユミ・セリザワ総理大臣にインターネット回線での公開の面談を申し込みます。12時間後に私と話し合いをもってください。第45代アメリカ合衆国大統領ミクドナルド・トランプより」

「アユミン、また仕事が増えたね……」

「わざわざ公開でか。派手なことが好きそうな女だな」

「アユミンにだけ申し込みして、韓国の指導者はいいのかな? ワンちゃん、そういえば韓国の指導者って、どうなってるの?」

「最初の核攻撃以後、ずっと現れませんし、他の政治家も顔を見せないので……たぶん……日本の前の指導者たちが津波で全員行方不明になったように……ただ、昨夜は韓国軍が攻め込んできた北朝鮮軍に対して大きな勝利をしたという情報がハングルでは流れました……いろいろなデマが流れているし、欺瞞しようとする情報もあって、両方が勝利したと、いつも言ってますが、今回は本当っぽい感じに」

「ふーん……どんな感じに?」

「趙舜臣(チョスンシン)中領の作戦で北朝鮮軍の二個師団を壊滅させたそうです」

「中領?」

「あ、中領というのは韓国軍の階級で、中佐にあたるのかな。たぶん。今は2佐? けど、日本軍に戻って階級も古いのに戻すって話もあるらしいから……とりあえず中領は中佐なはず」

「へぇ」

「昨夜の勝利で彼は李舜臣(イスンシン)の再来と言われているそうです」

「イスンシン?」

「えっと、日本人だとリシュンシンと言った方がわかりますか?」

「なんか聴いたことあるかも」

「文禄慶長の役っていえば、わかるかな?」

「ああ、あの秀吉が調子にのってやらかしたやつ?」

「そう、それ!」

 ワンコが嬉しそうにツインテールをヒョコヒョコと揺らした。日本文化で育っていても、やはり秀吉には悪感情があるようで鐘留の中でも秀吉の扱いが軽そうなのは嬉しいようだった。

「あの侵略があったときに日本軍の撃退に貢献したのが李舜臣なの! 亀甲船を改良して日本の水軍を撃破してる。韓国では知らない人がいないほどの英雄!」

「へぇ……じゃあ、趙舜臣は李舜臣の子孫かなにか?」

「いえ、姓が違いますし、おそらく彼の父親か祖父が李舜臣にあやかって命名しただけかな」

「ああ、自分の子供に信長とか信玄って名付ける感じね。こういう話は宮ちゃんが詳しいから訊いてみよ」

 鐘留は鷹姫に電話をかけてみた。

「はい、芹沢鮎美総理大臣の首席秘書官、宮本鷹姫です」

「もしもし、アタシ」

「あなたですか。何の用ですか?」

「急に上から目線になるね。まあ、いいや。李舜臣って知ってる?」

「ええ」

「ちょっと教えてよ」

 そう言った鐘留が後悔するほど鷹姫は閣議前の忙しい時間なのに李舜臣について語ってくれた。おかげで、李舜臣が何度も不遇から脱し、温存した朝鮮水軍で日本軍の後方を攻めたことや、それによって補給線を混乱させて撤退に追い込んだ説と、そもそも陸上での日本軍が戦国時代だったこともあり強すぎて予定より早く進軍しすぎたことが補給線が伸びきった原因という説があることや、せっかく李舜臣は功績をおさめたのに、後に攻撃命令を受けても機ではないと判断して動かず、命令不服従として死罪を求刑されたものの、代わりに攻め込んだ将軍たちが全滅してしまい、再び将たる立場に戻り、最期は秀吉の死によって双方の上層部で日本軍の無血撤退が決まっていたところ、約束を破って小西行長の軍を包囲しようとし、これを石田三成は見捨てて軍を引こうとしたところ、そんなことは武士の恥だからと、立花宗茂が頑として反対し、これに共感した島津義弘たちも救援に向かい、夜間の戦闘で小西軍の撤退を成功させたこと、この戦いで李舜臣は島津軍の銃弾により討ち死にしたことを教えてくれた。

「ふーん……じゃあ、結局は日本軍の勝ち?」

「朝鮮と明側も自分たちの勝ちだと主張していますが、朝鮮明の連合軍は、およそ2万、対する日本軍は1万弱、しかも困難な撤退戦で日本軍は主だった武将が一人も討たれていないのに比べて、朝鮮軍は主将だった李舜臣の他、李英男、方徳龍、高得蒋、李彦良らの将官が戦死、明軍も副将だった鄧子龍が討たれています」

「約束違反で余計なチャチャ入れて死んだんだ。きゃはは♪ じゃあ、李舜臣って、たいしたことない?」

「いえ、もともと日本軍の武将たちは戦国時代を経験した百戦錬磨の猛者ばかりです。たいして朝鮮軍は平和な時代が続いていましたから、あまり実戦経験がないという状態です。それで兵を率いて勇戦したのですから、かなりの人物のはずです。朝鮮側にとって英雄というのは間違いないでしょう」

「ふーん……」

「わざわざ朝から李舜臣について訊くということは、緑野も趙舜臣が北朝鮮軍に勝利した情報をつかんだのですね。どのくらい広まっている情報ですか?」

「ワンちゃん、どうなの?」

 ここまでの通話も、そばで聴いていたワンコが答える。

「韓国語圏では、ものすごい速さで拡がってますからデマじゃないと思います」

「デマではありません。こちらでも衛星写真と無線傍受で確認しています」

「やった!」

「デマでないことと、趙舜臣の勝利を盛り立てる動画を、まもなく到着するはずのヨンソンミョと作成して、早く配信しておいてください。情報戦の撃ち出す速度も、鉄砲玉を撃つのと同じく速さが求められます」

「はいっ!」

「はいはい」

 ワンコと鐘留が返事をして電話を終える。そろそろ連絡船が着く頃なので二人で港に出てみると、今泉らゲイツ3名に護衛されたヨンソンミョら2名の韓国人女性が不安そうな顔で到着する。もともと鮎美が従軍慰安婦にされるかもしれないという雰囲気を与えておけ、と命令した後、それは国際問題になると面倒なので中止し、今度は韓国軍を応援するアイドルとして売り出すと決めて、本人たちにも説明し同意をえようとしたけれど5名のうち3名は話を信じなかったか、もしくは単に気持ちが乗らなかったからか、同意せず2名に減っている。本国から逃げては来たけれど、残っている韓国軍と、戻された父兄たちを応援できるならとヨンソンミョたちは勇気を出して来たけれど、小松基地から車で3時間かけて運ばれ、琵琶湖の港から連絡船に乗せられると、行き先が鬼々島と表記されていたので怖くてたまらない。それでなくても日本鬼子と学習してきたのに、まさか鬼々島などという日本で一番ダメそうなところあるとは思わなかった。連絡船からおりようとしないヨンソンミョたちに今泉が言う。

「はい、おりて。わかる? おりて」

「………」

 ヨンソンミョは日本語がわかるものの、おりようとしない。今泉らはゲイである上、彼女たちの身体に触れないように静江から念押しされているので、口頭で促すにとどめている。ヨンソンミョらは自分たちが日本海を船で渡ってきた難民だと言ってはいけないと日本政府に求められているし、それを破ると恩を感じている迪子の処遇が極端に厳しくなりそうなので破るつもりはないし、鐘留とワンコには難民ではなく、たまたま震災の日に日本へ観光に来ていて帰国にまごついているうちに本国で戦争が起こってしまい、帰るに帰れなくなった二人と鮎美から説明されている。不安そうな二人の同胞を見てワンコが韓国語で声をかけた。

「アンニョハシムニカ」

「「………」」

「チャルチネヨセ?」

 こんにちは、元気ですか、程度の韓国語だったので今泉でも手にしている韓国語ブックにあって理解できる。それでもワンコの発音が正確だったのでヨンソンミョたちも次第に安心していき、ワンコとは打ち解けた。鐘留は韓国語など一切理解できないのでヒマそうに待ち、演説と歌の内容もワンコたちが決めるのに任せた。

「アタシは漁協の倉庫で撮影の準備しとくよ」

「はい、お願いしまーす」

 ワンコだけが返事してくれる。鐘留は、すぐそこにある倉庫まで行くと、撮影の準備に入る。もともとモデルの経験もあるので少しは太陽光の利用の仕方や撮影現場を構築する知識もある。あまりプロっぽくなくていいので楽だった。ただ、撮影現場が鬼々島であると視聴者に悟らせてはならないと言われているので地名を特定できそうなものは厳重にチェックして取り除いた。

「まあ、倉庫のシャッター前なら、どこも似たようなもんだしね」

 結局、倉庫のシャッターをおろして、その前で撮影する。ワンコら3名が演説の内容と歌も決めてきた。作成し配信する前に静江と外務省のスタッフがチェックすることになっているので、まずは鐘留が日本語訳された原稿を見る。

 

 辛くとも、苦しくとも、国のために立ち上がろう。

 昨夜の勝利は夜明けの光明なり!

 再び舞い降りた舜臣の前に、どんな軍も敵ではない。

 大韓人よ、立ち上がろう!

 我が国万歳。

 

 直訳なので鐘留には、あまり良いのか、悪いのか、わからない。演説の後には国歌と軍歌が入り、さらにオリジナルの曲は、もともとワンコが自分のために温めていたものを一部の歌詞をより愛国的にして、さらにヨンソンミョらにも少し変えてもらい、共同作業ということで仕上げて収録した。収録が終わると鐘留が外務省に送信してみる。

「OKだって。じゃ、ポチッとな」

 問題ないと判断されたので発信元が日本だと特定されないようにアフリカのサーバーを経由してから韓国語圏のネットへ広めた。

「ワンちゃんは、けっこう短い演説にするね、毎回さ。アユミンの演説はクドクド長いことが多いのに」

「あまり長くすると、意見の違いも出てくるので、簡単な方がいいの。私は韓国人ではあるけれど、在日だから韓国のことを本当に詳しく知ってるとは言えないし、日本だって右派と左派で意見が違うように、韓国内にも色々あるから」

「なるほどねぇ。ワンちゃん、賢いね、よしよし」

 鐘留がワンコの頭を撫でるとヨンソンミョが不快そうに韓国語で何か言った。それにワンコが韓国語で答えているので、終わってから鐘留が問う。

「なにか言われてたの? 悪い感じだったけど」

「えっと……私が日本人から犬扱いされてるようだって怒ってくれたの。けど、私は犬山市のローカルアイドルっていうのが出発点だから、犬っぽい感じを売りにしてるから気にしないで。カネルンにも悪意はないよ、って答えたの」

「ふーん……お手♪」

「噛みつこうか?」

「きゃははは♪」

「まったく」

 ワンコは自分たちが配信した動画がどうなるか見るためにスマートフォンでチェックする。動画の再生数は伸びていたけれど、もう一つ、伸びている動画があった。

「趙舜臣本人も出してる。カネルン、PCで映して」

「はいはい」

 鐘留がノートパソコンの画面で表示して再生した。当然、趙舜臣は韓国語で話しているのでヨンソンミョたちは聞き入るけれど、鐘留には理解できない。終わってからワンコが説明してくれる。

「えっと、我々の反撃が始まる。最前線にいた北朝鮮の主力部隊は我が軍が撃滅した。北朝鮮の中枢部にはアメリカの核が落ちた。もはや残っているのはカスばかりだ。攻め込め、攻め込め、反撃のときは来たのだ。北朝鮮の兵士よ、民衆よ、武器を捨てて投降せよ。我々は同胞を厚く遇する。我らに銃口を向けるならば銃口で応じ、手をあげるなら握手で応じよう。独裁者ではなく自分たちが決めよ! って感じだったかな。たぶん、北朝鮮の人たちは情報端末は、ほとんど持ってないからラジオでも流してるんじゃないかな。余裕があれば飛行機からチラシを撒くかもしれないけど、たぶん、飛行機とかヘリは、あんまり残ってないかも」

「けっこうハンサムな感じの人だったね。チョスンくん」

「「「………」」」

 鐘留がつけたアダ名が気に入らないような顔でワンコたちが見てくる。とくにヨンソンミョは露骨に睨んできた。

「ん? なに? 何か文句があるなら日本語で言ってみなよ。聴いてあげる。ヨンミョん」

「………。私たち………の………名前を……汚すな。……日本……野郎」

「あ~……最後をビッチに変えると正解だよ。女の子に野郎だと、アホな日本語にしか聴こえないから。きゃはは♪」

「カネルン、やめて」

 ワンコは鐘留とヨンソンミョの間に入って仲裁する。鐘留へは日本語で本国が戦乱に陥ってヨンソンミョたちは気が立っているからと説明し、ヨンソンミョへは日本人の中でも鐘留は特別に口が悪いので本気で相手をしないように頼んだ。それでもヨンソンミョは言わずにはいられないようで鐘留を罵った。

「……私たちの……不幸を利用した……お前たちは………呪われる……」

 日本語で言わないとワンコが正確に伝えず、穏やかな内容に変更すると感じて恨みを込めて言った。言われた鐘留はサラリと言い返す。

「じゃあ、もう国へ帰りなよ。泳げる? きゃははは♪」

「………帰る」

 怒ったヨンソンミョが港の方へ歩いて向かうので、もう一人もついていくし、今泉らゲイツも護衛のために追いかける。ワンコも追って、帰ろうにも連絡船は3時間後にしかないので、なんとかなだめた。なだめるうちに、ワンコへも日本人に利用されて恥ずかしくないのか、と怒ってきた。日本は戦火が自分たちにおよばないようにと、韓国人に戦わせて、自分たちは安全なところにいると指摘されたので、ワンコは諦め気味に答えた。利用されても利用し返して、自分たちが有名になって国を支えられるようになれば、という考えを語って納得してもらい。明日も状況に合わせた演説や歌を収録し配信するつもりなので、前向きに語り合うことに専念し、夕方になると玄次郎が和牛2頭をつぶした肉を島へ運び込ませてきた。鐘留が相続した会社の和牛だったけれど、飼料の調達見込みが悪いので早めにつぶしている。さらに牛肉だけでなく犬の肉も持ってきていた。

「犬の肉もあるぞ。バーベキューにしよう」

「パパさん、犬の肉なんて、どうしたんですか? 日本では手に入りにくいはず」

 ワンコが問い、玄次郎は得意げに答える。

「ペットショップから大きくなりすぎたのを買って、殺してみた」

「え~……かわいそう…」

「いや、もうペットショップは、この御時世だから閉店するらしくてな。エサの供給も危ういらしいから処分されるらしい。で、オレと同じ考えの在日も来てて、みんな、その場で殺して持って帰ってたぞ。その場で殺さないと余計な情が移るからな」

「玄次郎って合理主義だねぇ。犬なんて食べられるの?」

「韓国や中国では普通に食べるし、大阪だと探せば提供する店もあったんだぞ。。ワンコさんも食べるだろ? 在日だし」

「私は食べませんよぉ……キャラ的に共食いなんで、絶対に食べないって決めてます」

「そうなのか。君らは?」

 玄次郎がヨンソンミョらに問うた。

「………歓迎……ありがとう………でも………犬は………食べたことが……ない……最近……あまり……韓国でも………若い者は……犬を……食べない……」

「そうか……いらなかったか……」

 玄次郎が残念そうにすると、ヨンソンミョは笑顔をつくった。

「私は……今日……食べてみる……ありがとう…」

「おお、そうか、そうか!」

「…ぐすっ……ありがとう、ご主人…」

 感情が動かされてヨンソンミョは泣いた。玄次郎からは日本に着いて初めての歓迎を感じる。排他的経済水域の境では、きわめて排他的に扱われ、怖い思いを何度もした。日本の艦船から鼓膜が破れるかと思うような大音量の汽笛を何度も鳴らされたし、韓国語で日本国内は放射能で危険だから来てはいけないと嘘なのか本当なのか気持ちを折ろうとするアナウンスも流していたし、難民船の進路を塞ぐように艦列を並べていて、海上保安庁の巡視船からは放水を受けたし、それで諦めて韓国へ帰る難民船もあった。さらに諦めずに進もうとすると威嚇射撃までされたし、並走していた難民船は被弾さえしていた。それでもヨンソンミョたちが乗ってきた船は諦めず、母親たちが赤子を掲げて泣き叫び、とうとう迪子の同情を引くことができて受け入れてもらえた。なのに、金沢港に到着すると吹きさらしの突堤に何時間も武装した日本兵に囲まれて過ごさねばならなかったし、与えられたのは冷たい水とオニギリ、粉ミルクだけだった。それでも迪子が戻ってきて、なんとか日本政府に受け入れてもらえるよう頼むと言ってくれたときは握手した手のぬくもりに涙が出たのに、直後に迪子が逮捕されて大柄な筋骨逞しい日本兵から足蹴にされているのを目の当たりにしたときは胸がわれるほど嘆き悲しんだ。さらに、日本側は石永が官房長官だと名乗った後、モニター越しでもわかる実に迷惑そうな目で受け入れ拒否を通告してきたし、それでヨンソンミョたちが北朝鮮軍がどんどん迫っていて、とても帰れないと泣いて頼むと、鮎美が総理大臣だと名乗り、鮎美のことは国際的にも先月あたりから有名だったので知っていて、迪子と同じく温情をくれるかと思ったのに、赤子と母親のみ受け入れると言うだけだった。どうにか全員受け入れて欲しいと、みなで泣いて頼むと、狡猾な多数決で父や兄たちを追い出すように仕向けられた。わざわざ韓国の国歌や軍歌まで流して、戦ってこい、と冷酷な圧力をかけてきた。それで泣く泣く父や兄たちと別れた。もう会えないかもしれないと、軍艦に曳航されていく避難船を見えなくなるまで泣きながら見送った。

「…ぅぅ…」

 そうして男たちを追い出した後、今度はヨンソンミョたちのような若くて美しい女を選ぶように連行しにきた。銃を持った日本兵と日本警察に囲まれていて逆らうことなどできなかったし、ヨンソンミョたちと引き替えのようにテントや毛布、最低限の追加の食料が用意されていて、赤子の母親や被爆者たちのために自分の身を諦めて連行された。連行された先は日本軍の基地で、まず女医が身体検査をしてきた。この女医も被爆者を診るときは親身になっている様子だったのに、ヨンソンミョたちを身体検査するのは面倒そうにタメ息をつきながら、まるでドブさらいでもするような顔でやられた。それでも、やっと18歳でありながら総理大臣という鮎美に面会する機会があると言われたのに、直前になってキャンセルされ、何日も入浴していなかった身体を深夜になって基地の女湯で洗うよう言われ、日本の女性兵士たちが使った後の湯に浸かった。入浴するときでさえ、銃をもった女性兵士に見張られていたし、それから外務省の職員が来てアイドルのように韓国軍を応援するような演説と歌を収録するよう言われた。報酬は一時金10万円で、ワンコという在日韓国人と協力するよう言われて、くたくたに疲れた身体で指示された車に乗ると、冷たい缶詰とパンを与えられ、食べると泥のように眠った。

「…はぅぅ…」

 起きるとき、海のように広い湖のほとりで貧相な港から船に乗せられた。行き先と思われる漢字表記は、鬼々島と書いてあったので、もう騙されたのだと深く後悔した。アイドル扱いではなく、たった10万円で売春婦にされるのだと思った。思い返せば、鮎美も売春に肯定的で、年金制度なども謳っているらしかったし、同性愛者ということは男と同じ目で女の身体を見ているのだと、今さら気づいた。そうして到着した鬼々島では地獄が待っていると思ったけれど、迎えてくれたワンコには悲愴な雰囲気がなくて、約束通りアイドルとして収録された。ただ、やたらとワンコは日本人に媚びているし、鐘留の目は明らかにヨンソンミョたちを見下している。鬼々島の島民も遠巻きに様子を見てくる保守的な目だったし、ずっと銃をもった今泉たちはそばにいるし、男性同性愛者だから安心しろ、という説明はあったけれど、単純に気持ちが悪い。

「…ぐすっ…」

 それでも利用されていると、わかりながら、韓国軍に持ちこたえてほしいのは確かだったので心を込めて歌ったし演説してみた。その演説内容を考える時点で、趙舜臣の勝利を知り、またアメリカによる核報復を知った。やっと光りが見えてきた。そんなとき玄次郎が現れて、せっかく来たのだから、とりあえず肉でも喰え、という裏表のない軽い気持ちでの歓迎が、身にしみた。お前らは犬の肉も喰うよな、いっしょに喰おう、という軽々しい好奇心と、利用する気もない、ただ単純な歓迎が人間として嬉しくて泣けた。

「そんなに泣かれると……すまん。もしかして、犬を殺したの、悲しいか?」

「いいえ! いいえ、です。食べて……みる……食べたい!」

「……そうか。じゃあ、準備しよう」

 玄次郎は運んできた肉を町内会の役員たちと協力して分ける。この頃は淡水魚ばかりを食べていた島民たち全戸に分けると、とても喜ばれた。一応、いまだに公職選挙法は気にしているので、無料でバラまくわけにはいかず、町内会に処分価格で買い取ってもらい、運搬に協力してくれたので運搬料を支払い、どちらにも領収書を書いて、結局は無料になるけれど、公選法上の問題がないようにした。バーベキューは公民館で始める。今夜は鮎美とミクドナルドが公開の面談をするはずなので町内会所有のプロジェクターを出してきてテレビを投影しながら肉を食べる。娯楽番組が無くなりつつある中で、かっこうの人々の楽しみになるし、政府も記者会見を行うことが少なく、あまり質問を受け付けず一方的に動画配信することが多いので、総理大臣となった鮎美が米大統領と、どんな対談をするのかは日本中が注目していた。テレビ局も何時間も前から特集を組み、今も時事ニュースなどを流している。

「議会が消失した中、議会を再建しようという動きも見られますね?」

「はい。富山県に有志が集まり、近日中にも議会が行われるようです」

「震災から今日まで、臨時政府は非常に乱暴なやり方で政治を行っていますが、どうでしょう?」

「とうとう芹沢はね、大切な憲法まで捨てると言っておってね。もう、はちゃめちゃですよ」

「これらは彼女の意志なのでしょうか? 裏で糸を引いているのは石永氏だとの話もありますが?」

「大いにありえることですね」

「彼もホモ疑惑があって、そういう意味では芹沢と通じるところがあるよ。これはね、極秘につかんだ話なのですが、再建している霞ヶ関の中でも、同性愛者のグループができあがって、幅をきかせているようで懸念されるよ」

「同性愛者とは、そんなに多いものでしたか?」

「人口の3%から5%と言われていて、さらに他の性的な特殊者を含めると10%に届くかもしれない。こういう連中を集めて親衛隊のようなことをやられるとね、非常に危険なわけです」

「法務大臣の三島氏も、同性愛であると公言されていますね」

「彼は…いや、彼女……いや、まあ、あの人はね、一番危険な人物ですよ。なにしろ自衛隊にいたころクーデターを画策して懲戒免職になっている。今回の震災にさいして、機は熟したとばかり小松基地へ一番乗りして政権奪取を行ったし、全国の基地へ勝手に指令を出している」

「今は畑母神氏が防衛大臣ですが、どうでしょう?」

「そもそもね、彼は都知事なわけで、知事と大臣を兼務するというのは、ありえんことですよ。その点、加賀田氏も同じで県知事でありながら財務大臣という形で、本来の職務は御蘇松氏に丸投げしたまま県を放りだしている。選挙を愚弄するにも、ほどがある」

 鐘留が和牛の串焼きを食べながらつぶやく。

「アメリカが核報復した途端に、マスコミが元気になってない? 急にアユミンの批判とか始めてる」

「そうだな……やや流れが変わるのか……」

 玄次郎は犬肉の串焼きを囓ってみる。売れ残りの子犬が大きくなった若い犬なので柔らかかったし、和牛ほど油でギトギトしていない。

「イノシシともシカとも違うなぁ……ウサギは不味かったけど」

「玄次郎、ウサギとかも食べたことあるの?」

「フランス料理とかスペイン料理に普通にあるぞ。ハトも」

「あ、そういえば、あったかも」

 島民がワンコとヨンソンミョらへ追加の肉を持ってくる。

「お客さんたちも食べたってや」

「はい、ありがとうございます」

「ありがとう……ございます」

「あんたら日本語うまいね」

「私は在日ですから。私のこと、テレビで見たことないですか?」

「おお、そういや、最近みるのぉ。ほな、こっちのお嬢さん二人も?」

「いえ、彼女たちは観光中に震災に遭って戦争まで起こっちゃって帰れなくなった韓国人さんですよ。ちょっと政府にとって大切なお客さんなんで護衛がついてますし、ここに彼女たちがいることはシーっですよ。鮎美総理が困りますから。写真もNGです」

「そうか、そうか、ゆっくりしていき」

「…ありがとう…ございます」

 ヨンソンミョが礼を言って、初めて犬を食べてみる。

「……おいし…い?」

「私は食べませんよ。ワンコですから」

 再びテレビが鮎美を痛烈に批判する。

「彼女の命令なのか、本当に信じがたいですが、刑務所では罪の重い者に食事が出されなくなっています。そればかりか、自分で死ね、とばかりに自殺の予防措置がとられず、急に支給されたズボン紐で首をくくった受刑者が立て続けに出ています。さらに、ひどいのは老人や病人を見捨てると罪に問う刑法も適応しないと発表したことです! 法律無視の無茶苦茶ですよ!」

 吐き捨てるようにコメンテーターが言い、別のゲスト出演である法学者が言う。

「一応、芹沢さんは法律を無視してはいないようで、期待可能性という、ほとんど適応しない法理を使っていますね」

「期待可能性とは?」

 司会の問いに、法学者が頷いて説明する。

「期待可能性というのは、適法行為の期待可能性という意味です。刑法で人が罰されるとき、その責任を問うのに、故意に人を殺せば、殺人罪、うっかりミスたとえばクレーンの操作を失敗したとか、そういうのは過失として過失致死で罰しているのは、みなさん、ご存じかと思います。あとは心神喪失で責任能力がなかった、というので罰されないのも、馴染みはあるでしょう。他に馴染みがあるのは正当防衛ですね。刺されそうだったからナイフを奪って刺した、これで殺人罪といわれてはたまらないから、相手を殺しても罰されない、こういうのを専門用語で違法性阻却事由というのですが、期待可能性は非常にレアな違法性阻却事由の一種です。今まで、ほとんど適応されていません。たとえ話で言うなら、とてもお腹が空いているときパンを店から盗んだとします、普通に考えれば万引き、窃盗ですね?」

「はい」

「ところが、もしパンを盗まなければ、そのとき餓死していたかもしれないほど空腹だったとしたら、この場合ですとパンを盗まなければ死ぬわけですから、盗まないという適法行為をする期待可能性はなかったわけです。もうやむをえず盗んでしまったといった場合に、例外的に適法行為の期待可能性がなかったから故意犯不成立ということに理論的にはなりうるということです。ただ、あくまで理論的にであって、この論理で無罪というのは、ほとんどなかった。ところが、芹沢さんは、震災後の窮乏が今後も続くから、家族や施設が病人や老人を見捨てるのは、自分が生き残れるかも危うい状況なので、一年先二年先を考えたとき介護や保護を続けていくことは自分のクビをしめるので、もう無理だと思って見捨てた、これで今までだと保護責任遺棄を問われたのに、現在の状況を鑑みれば、広く被災地域でない場所でも罪を問わないと発表してしまい、警察にも通達を出してしまった。おかげで事故を起こした原発に近い地域では要介護者を置いたまま施設職員が立ち去ったり、家族への介護をやめる例が散見されています。この状況でできない、というのは仕方ないかもしれないが、それをおおっぴらに許すと発表までしてしまう。そうしておいて他方で国民へは食料には余裕があり、来年再来年と続けて凶作にならない限り、また輸入が一切ない場合でもギリギリは、やっていけるから安心するよう言っています。そして政府の立場も見殺しを推奨しているのではなく黙認するという立場です」

「一種の虐殺ですよ! しかも政府は手を汚さずにやっている! 不作為の虐殺だ!」

「究極の自己責任社会とでも言うような状況ですね。家族を助けたければ助ければいいし、助けたくなければ見捨ててもいい。どちらでも、ご自由にというわけだ。この件以前から、私は芹沢さんを見て感じていたのですがね、彼女は人間をヒト、生物の一種でしかない、と見る傾向が強いようです。神も仏もいない、人道も倫理も、すべてヒトの集団が生き残るための道具でしかなく、最高の価値は人類の存続、民族の繁栄、群れとしてのヒトの安定的生存といった観点で物事を判断しているように感じますよ」

「次に韓国から入ってきている情報ですが、ご存じの通り韓国は同時に5カ所も核攻撃を受け、まさに大混乱で今朝方は一部で韓国軍が北朝鮮軍を押し返したという情報も入ってきましたが、命からがら日本へ渡ろうと難民となって漁船などに乗ってくる人々がいるそうです。この件を日本政府は、ずっと発表せずにいましたが、韓国側から漁船に乗って助けを求める人々が日本の船によって放水などを受けている映像が入ってきています」

 映像が切り替わり、漁船に乗っていて防水のスマートフォンなどで撮られた動画が流れる。立錐の余地もないほど人々が乗った漁船へ海上保安庁の巡視船が放水したり、警告を無視して排他的経済水域へ侵入した船へ威嚇射撃がおこなわれている動画を、諦めて引き返した避難民がインターネットへ流したものだった。韓国側へ帰港してから船体に銃弾が当たり穴が開いている部分があることなどもカメラに向かって訴えている。転覆して沈没した船もあると主張していた。

「…ぐすっ…」

 見ていてヨンソンミョらは泣けてきた。動画に入っている叫び声などは、すべて韓国語なので意味はわかるし、何より自分も同じ境遇に昨日までいた。避難船に乗って日本へ来るまでも大変だったけれど、避難船に乗るまでも苦難と恐怖の連続だった。あの核ミサイルによる攻撃があった夜、もともと鮎美に利用されなくてもユーチューブでのアイドルとして注目されたかったので風呂上がりにメイク動画を作っていた。つけまつげによるメイクのコツをカメラに向かって紹介しているとき、遠くで爆発音がして窓ガラスが揺れた。ガス爆発か交通事故でもあったのかと思い、日本の津波同様に自分には関係ないことだと、ベッドへ寝転がってスマートフォンで情報を見ていたら、北朝鮮からの核ミサイル攻撃だと知り、ゾッとした。こういうときに、どうするべきかは学校でも習ったので必要な物が入っているリュックをもって、とにかく南へ逃げた。道路は大渋滞で、徒歩しか手段がなかった。徒歩でさえ人が道路に溢れ、ガソリンが切れた車が邪魔をするので、なかなか進めず、一部では橋などが爆破により落ちていて、大きく迂回したり引き返しをしなければならず、ときには人々が争い、ケンカをしたり、ひどいと殺し合いをしていた。

「…ぅぅ…」

 日本語のサイトをスマートフォンで見ていた者が横から覗いた者に日本人だと疑われて殴り殺されるのも見た。殺した後で持ち物を奪うと、たしかに日本のパスポートが出てきたけれど、観光で韓国にきていた在日韓国人だった。同胞を殺してしまったという後悔よりも、今度は、そのパスポートを巡って奪い合いが起きた。なんとなく日本が受け入れてくれない予感は、すでにあったので、日本のパスポートを持っていれば入国できるかもしれないという期待は、奪い合いをするのに十分な理由だった。ヨンソンミョは奪い合いには加わらず先を急いだけれど、だんだんとリュックに入れていた食料や水も無くなってくるし、道路には持病で倒れた人が踏み潰されていたり、人々の糞尿が落ちていた。最初のうちはコンビニのトイレも機能したけれど、すぐに限界がくるし、行列に並ぶより早く逃げようと、歩きながら小便を垂らしている人もいた。けれど、ヨンソンミョは女子として最低でも周囲から見えないところを探して用を足した。逃げる途中、急に道路が歩きやすくなる地域があった。ガソリンの切れた車が放置されずに撤去されていて避難しやすかったし、軍の秩序もとれていて反撃の準備をしているようで頼もしかった。指揮していた男性士官の横を歩いて通り過ぎたとき、チラリと見た階級章は中領のもので、顔を見たはずなのに記憶は曖昧になってきているけれど、もしかしたら趙舜臣だったかもしれない。彼は避難民の誘導もしてくれたし、一人につき1本の飲料水もくれた。その水がなければ釜山までに何万人という人が倒れていたかもしれない。ようやく到着した釜山で、そこに留まる人と日本へ渡る人に分かれ、ヨンソンミョは渡れたけれど、沈没していたら泳げないので死んでいたと思う。映像を見ると、記憶が蘇ってきて胸が痛かった。ワンコも同情して泣いてくれる。

「ひどい……こんな風に追い返して……せっかく逃げてきたのに…」

 テレビの司会者が言う。

「この件について日本政府は質問を受け付けていませんでしたが、これらの映像によって石永官房長官が渋々、そういった避難船があることは認識しているが、尖閣諸島での爆破テロの件もあり、確実に安全と確かめられるような船でない限り、入国させることは無い、避難民に見えても武装している可能性はある。これからも排他的経済水域に入ってくる船は原則的に受け付けない。と答えていますが、どうでしょう?」

「人道的には大きな問題がありますね。どう見ても避難民ですし、確実に安全という証明を難民にしろ、というのは無理です。無理を承知で言っているのでしょう。尖閣諸島の件を口実に利用している感さえあります。難民は保護し、受け入れていくべきでしょう」

 コメンテーターの発言に、視聴していた島民の一人がスクリーンに向かって焼酎を呑みながら野次を飛ばす。

「そんな余裕が今の日本にあるか! 追い返しで正解じゃ! 沈没させたれ!」

「「「………」」」

 ワンコたちが黙っていると、島民は失言に気づいた。今は身内だけでなく韓国人が島を訪れていることを思い出して謝る。

「いや、あんたらは、ええんじゃぞ。いてくれての。すまんの、あんたらに言うたんとちゃうしの」

 訛りが強くてヨンソンミョには理解できなかったけれど雰囲気は伝わったし、ワンコは意味も理解できているので日本的な曖昧さで答える。

「いえ、どうも…」

 とりあえず、こう言うと、その場はおさまるという便利な日本語なので言っておいた。周りにいる日本人たちから、すでに入国している外国人は笑顔で受け入れるけれど、これ以上は来るな、という空気を感じる。和をもって尊しとする、とは近くにいる人間のことだけなのだろうと思う。テレビは難民の様子を紹介した次には、趙舜臣を紹介する。まだ、断片的な情報しか入ってきていないけれど、やはり父親が李舜臣にあやかって名付けたことや、優秀な士官であること、中領が中佐にあたること等を彼が配信した映像とともに流した。見ていてヨンソンミョは違和感を覚えて、ワンコに韓国語で問う、まるで自国の英雄のように趙舜臣が紹介されていて、いくら韓国軍が勝ってくれる方が日本にもありがたいとしても、難民を追い返していたときと、態度が違いすぎる、日本人は何を考えているのか、と問うた。ワンコは少し考えて答え、政府と国民の大半は韓国人に冷たいけれど、マスコミの大半と国民の一部は韓国人に好意的だ、と教えておいた。テレビが次にミクドナルド・トランプを紹介し始めた。彼女が14歳の頃からアイドルと経営学を両立して進め、世界的なファーストフード店の後継者であることや、米国人の支持を集めていることを報道したけれど、白人中心主義的であることなどは報道されなかった。

「アユミンVSミクドなのに、なんで、こういう感じに紹介するかなぁ……」

 鐘留も不満を感じたし、玄次郎も同様だった。

「前からマスコミは自虐的だからな。外国を持ち上げるんだ。NHKでさえ、その傾向があるし、民放になると、もっと、ひどい。どこの国のテレビ局かと思うほど」

「いっそアユミンが粛清しちゃえばいいのにね」

「それをすると、引き返すことができなくなるからなぁ……」

 再びテレビが憲法の話をする。

「芹沢が言ってるのか、石永がやらせてるのか、平和憲法が無効だ、なんていうのは、まったくの空論ですよ。いいですか、国民のみなさん、憲法は、たしかに、あります! 平和憲法は日本の宝、しっかりと存在しているんですよ! 政府に騙されてはいけません、平和憲法は有効です! ずっと存在しつづけます!」

 鐘留が一口だけ犬の肉を食べてみてから言う。

「なんか法律と宗教って、どっか似てるね? なんていうか……う~ん……」

「物理的には存在していないのに、あると信じれば、あるような感じなのが、だろ。神も憲法も物理的存在ではないからな。神は死んだ、といえば存在しないし、憲法は無効、といってしまえば存在しなくなってしまう」

「あ、そうそう、そんな感じ! やっぱ、玄次郎はアユミンのパパだねぇ」

「オレは建築家だからな、物理学と法学の両方に縛られるから感じるんだ。建築法規は、ちょいちょい変わるけど、物理法則は不変だし。どんなに多数決をやっても自然の法則は変えられない」

「ふ~ん…」

「あとイスラム圏では、法律と宗教は不可分だからなぁ。政教分離は人類の課題だ」

 まだテレビが鮎美と石永への誹謗を続ける。

「これは未確認情報なんですがね、芹沢の秘書で結婚相手だった牧田という女はドイツで殺人犯として手配されているんですよ。それどころか、国内でも殺人を犯している可能性がある。彼女を逮捕しようとした刑事が何人も犠牲になったという話もあって、保育園か、幼稚園を占拠して子供たちを惨殺したと言われてる。証言する少女も、いるんですよ」

「…アユミン……」

 鐘留も、その情報はネット上でつかんでいた。東京へ巨大地震が襲いかかる直前、詩織のマンションで爆発があり、現場が騒然となっているのが、ツイッターなどであげられていたし、列車内で赤ん坊を人質にして刑事に向けている動画なども流れている。当時の関係者は、ほぼ全員が津波で亡くなっているけれど、唯一の生き残りである幼女がいて、彼女の下の名は笑美(えみ)といい、詩織に解放された直後、身体的な傷は無かったけれど、PTSDなどを懸念され、すぐさまドクターヘリに乗せられていたので助かっている。その子が証言している動画も流れていたし、鐘留も見た。詩織からの最期のメールでは冤罪を訴えていたけれど、前後の状況と動画を総合すると、白とは思えず黒に感じる。それを調べはしたけれど、まだ鮎美には伝えていない。

「快楽殺人などを厳罰に処すると主張する本人の配偶者が、こういうわけですし、本人も同性愛者だ」

「だから、なんだッ!」

 珍しく玄次郎が感情的に吐き捨てた。見ていたヨンソンミョは玄次郎が怒っている理由がわからないのでワンコに問うと、玄次郎が日本の女性総理の父親だと教えてもらった。かなり驚く。貧しそうでもないけれど、金持ちそうでもないし、島民に対しても丁寧に接していて、偉ぶった感じがしないので総理大臣の父親と言われると、かなり驚きだった。テレビが石永のことについて報じる。

「これも未確認情報ですが、北朝鮮からの核ミサイル攻撃を受けて、石永が秘かにロケットと核物質を用意しているという話もあるんです。もうアメリカからの報復あったのに、それでも用意するという大義名分は無いはずで、なにより国民への説明もなくやっていいことではない。お昼にも沖縄沖で再び中国軍と交戦したのではないかと言われていますが、どのくらいの被害があったのか、公表しないし、基地に戻ってきた戦闘機の状態を撮影しようと勇気あるカメラマンが滑走路に入ろうとしたところ、警備していた陸自の隊員に射殺されるという事件がありましたが、これについて政府はテキスト情報で公表したのみです」

「アホね、アホが一匹死んだ」

「ああ、この状況下で基地に侵入するとか、アホとしか言い様がないな。戦場カメラマンのつもりだったのか……撃った隊員は後味が悪くて気の毒にな……」

 その後も鮎美と石永への中傷報道が続き、逆に趙舜臣とミクドナルドを持ち上げているので、ヨンソンミョも見ていて不思議だった。そうして、いよいよ鮎美とミクドナルドの公開対談が始まる15分前になって、急なニュースが入ってくる。

「あ、今、アメリカ政府より緊急の情報配信がありましたので映像を出します」

 映像が切り替わると、ホワイトハウスにいるオパマ大統領が映った。通訳の声も入り、事前に用意していた映像のようで訳も正確だった。

「世界のみなさん、とくに日本の人々に伝えます。現在、ミクドナルド・トランプという女性が自分こそがアメリカ大統領であると喧伝しております。ですが、真実、アメリカの大統領であるのは私フセイン・オパマ2世です。ミクドナルドは、いくつかの州で不正な選挙を行い、大統領に選出されたとしていますが、まったく法的根拠もなく、また投票したのも人種差別意識をもつ人々だけです。非常に残念なことに、アメリカ軍のごく一部が彼女を支持しており、彼女は大統領権限もないまま、弾道弾を発射し、北朝鮮の人々を大量虐殺しています。たしかに、先制的に核兵器を使ったのは北朝鮮の指導者ですし、これは許されざる暴挙です。けれど、アメリカ軍の一部が私の指揮下を離れ、核兵器を所持して動いていることは非常に危険なことです。このままでは彼らはテロリストと変わらなくなってしまう。アメリカ軍同士が砲火を交えることのないよう、これからも根気よく説得していきますが、日本と韓国の人々、アユミさんと趙舜臣中佐たちに伝えておきます。ミクドナルドはアメリカの代表ではありません。彼女と交渉することはテロリストと交渉するのと同義ですし、まったくもって無効であり、アメリカ政府とは何の関係もありません。どうか、テロリストを利するようなことがないよう正しく行動してください」

 映像が終わると、テレビの司会者たちも、玄次郎たちも考え込む。そもそも日本の状況でも正確には把握していない状況なのでアメリカ国内で何が起こっているのか、よく知らない。日本のように原発事故が起こり、津波での被害も大きく、さらに人種差別意識と銃社会であったために騒乱が起こっているらしいとはインターネットの英語情報で得られるけれど、なにが正確な情報で、なにがデマなのか、誇張されているのか、まったくの嘘なのか、無数の情報があってわからない。それは、きっと鮎美たち日本政府も同じだろうと思っているうちに定刻になった。テレビ画面が切り替わり、右半分に鮎美、左半分にミクドナルドが映る。

「鮎美……」

「アユミン……なんか暗い感じ……」

 右半分の鮎美は薄暗い地下室にいるようでライトも一つだけ、服装は普段通りの制服で一応は今でも議員バッチを着けているし、レインボーブリッジとブルーリボンのバッチも着けていた。ただ、顔に影ができるほど室内が暗い。国民全体へ節電も呼びかけているので、自分たちが多くの照明を使うわけにもいかないというのは理解できるけれど、それにしても暗かった。それでもメイクは美しく仕上げていて髪も整えているし、椅子に座って机に向かい、上半身だけを映している。

「ミクドちゃんは、あいかわず派手だねぇ」

 たいしてミクドナルドは大量の照明を使い、自分を明るく照らしているし、丸い椅子に腰かけた姿を足元から全身を撮している。美しい脚のラインやミニスカートが照明で輝いているし、肩や腋の出た鮎美好みのノースリーブも、いつも通りでツインテールも完璧に決まっている。見事に二人は暗明にわかれていて日本の視聴者は不安になった。

「Hello! Ayumi」

「はい、ミクドナルドさん、こんにちは」

 二人とも平凡な挨拶から始めた。どちらも母語を話し、鮎美には静江がついて同時通訳しているし、ミクドナルドにも日本語に堪能なスタッフがついている様子だった。ミクドナルドがアメリカ人らしい大袈裟なジェスチャーで両手をあげながら言う。

「オパマが私をテロリストだなんて言ったけれど、まったくの嘘よ。私は正当な選挙で7つの州からアメリカ大統領として支持されているわ。そして、アメリカ軍の核兵器を所持している部隊は大半が私の指揮下にあるの。真実、私がアメリカ大統領になっているわ。彼は自分が罷免されたのを認めたくないだけよ」

「そうですか……」

 鮎美も玄次郎たちと同じで、何が真実か計りかねている。ミクドナルドが追加して言ってくる。

「北朝鮮へ正義の鉄槌をくだしたのも私よ。それが証拠になると思わない?」

「……はい……そういう面もあるかと……感じます」

 鮎美は歯切れが悪い。何しろ、オパマが大統領なのか、ミクドナルドが大統領なのか、どうにも判然としないので答えに困っている。ミクドナルドは、もう自分が大統領という前提で話を進める。

「アユミ、日本の様子はどうかしら?」

「なんとか立ち直るよう努力しているところです」

「そう。私のおかげで北朝鮮の脅威も取り除かれたわよね?」

「はい、かなり…」

 アメリカによる核報復後、演説中だった金正雄は顔を見せないし、金正陽は開戦直後の演説以来、顔を見せておらず70歳という年齢から死亡説と体調不良説があるし、多少とも健在であるなら、今頃は顔を見せているはずだった。

「それで、どうかしら? 私が提案したN友の会へ、アユミが一番に入ってくれると信じてるのよ。もちろん、アユミが考えた連合インフレ税プランへも私たちは参加するわ。だから、N友の会へ入会してくれるわよね、国として」

「……検討中です」

 鮎美は日本人らしく答え、ミクドナルドはアメリカ人らしく迫る。

「日本と韓国は最低でも、あと4発、報復する権利があると思うわ。撃たれた合計は10発で迎撃した2発はともかく札幌と那須でも死傷者はいるのよね?」

「はい。正確な数は、まだ報告待ちですが山間部とはいえ、人は住んでいましたから」

「なら、あと6発と考えても不当じゃないわ」

「………6発もですか……」

「次のターゲットは、どこにする? 北部にある発射基地でもいいし、軍港でもいいわ。どこにするか考えてくれている?」

「いえ……日本が市街地で、くらったんは1発ですし……北朝鮮の指導者が亡くなっているなら、今後の情勢をみて考える必要もでてきますし。また、韓国の指導者とは連絡が取れず、意志決定も難しいようですから」

「韓国は、もう趙舜臣が指導者になっていくと私は見ているわ」

「……軍事政権ですか……」

「民衆の人気をえて、正当に就任するという推測よ」

「まあ……そんな気配はありますね…」

 鐘留がコーラを飲みつつ、つぶやく。

「なんとなくアユミン押されてる?」

「いや、ここで、じゃあ、次のターゲットは、あそこと、あそこで、よろしく頼みますわ、とか言い出す娘であっては欲しくないな」

「だよね、ミクドちゃん、核兵器による報復を売り込みたいだけって感じ。ごいっしょに、ポテトはどうですか? って感じで核ミサイルのバリューセット盛りそう」

 雑談しているうちにもミクドナルドは鮎美へ答えを求める。

「2発目は、どこにする?」

「……しばらく検討します」

「そう、決まったら、すぐ連絡ちょうだいね。じゃあ、N友の会の話をしましょう。もちろん、入会してくれるわよね?」

「………その前に日米同盟がありましたやん。あれは、どうなっていくんですか?」

「アユミンが切り返した♪ ちょい関西弁で」

「そうね、その話も大切ね。私はオパマが撤退させた決断を支持してるわ。そして私の政権では、もうアメリカ兵を遠く海の向こうへ派遣することはしません。そもそも、どうして私たちのパパやボーイフレンドが、あなたたちの平和を守らなければならないの? あなたたちの平和は、あなたたち自身で守るべきものじゃないの?」

「……はい、そう思います」

「なら、答えは簡単よね。もうアメリカ兵に血を流させない、これは私の公約でもあるのよ。みんな、もう、うんざり。だから私が支持された。でも、核兵器だけは別。どんな国も先制的に核を使ったときアメリカによる報復を受けるわ。もうアメリカ兵を海の向こうへ出すことはしないけれど、ミサイルは地球のどこへでも届ける。きっと、こう宣言しておけば、もう北朝鮮みたいなことはしないと思うし、私のN友の会が拡がれば、だんだん核軍縮にもなるはず、だから入会して。ね?」

「………前向きに検討します」

「う~ん……せっかく、私たちが顔を合わせて話し合いをしているのを世界中に見せているのは、どういう効果を狙ったものなのか、考えてくれないかしら?」

「それは、わかりますが、正直……オパマ大統領の任期中ですよね、まだ?」

「私は7つの州で大統領として認められているし、軍の支持も強く集めているわ」

「…………」

「私のことより、あなたは日本の核の傘について考えるべきじゃないの?」

「それは……まあ、そうですが……」

「こうしている間にも、日本へミサイルが飛んでくるかもしれないのよ」

「………」

「私たちも慈善事業としてやっているわけではないし、核兵器を開発し維持するにも、大きな予算を必要とするわ。その一部を、恩恵を受ける国が支払うのは当然ではないの?」

「……ミクドナルドさんの、おっしゃるN友の会という提案は、とても興味深いものです」

「ありがとう」

「ただ、今夜、今すぐ決めるというのは、やはり難しい部分がありますので、しばらく様子を見たいと考えます」

「……。それは、私が大統領であるということを信用していないから?」

「…………そういう部分も……あります」

「いいわ。今すぐ北朝鮮のどこへでも核ミサイルを撃ち込んで証明してあげます」

「いえ! それは、ちょっと待ってください!」

「じゃあ、信じてくれるのね?」

「……ええ…まあ……では、信じた上で、今少し時間をいただけますか? せめて数日」

「………。いいわ。けれど、すでに撃ち込んだ1発目の代金を日本は私たちに支払うべきです。これは、すぐに」

「すぐに……」

「すでに商品を受け取っているのですから、当然です」

「商品て……」

「もし、この支払いが行われない場合、アメリカは日本への核の傘の提供を永遠にしません」

「………」

「明日、5億ドルが支払われることを求めます」

「明日て………5億ドル……360億円……」

「日本の財政規模を考えれば、簡単なはずです」

「まあ、そうですが、まだ東京で金庫の発掘が進んでない段階なんですよ。これが開けば、それくらい払えると思いますが、今は、ちょっと」

「では、明日中に支払えるのは、いくら?」

「………財務省も、いっぱい、いっぱいで、ギリギリなんですわ」

「日本は、いつも答えを先延ばしにしますが、そういう態度が福岡の悲劇を生んだと思いませんか? まだ、北朝鮮に発射基地は残っていますよ」

「…………」

「もう一度、言いますが、支払いがない場合、アメリカは日本へ核の傘を永遠に提供しなくなります。これが、何を意味するか18歳のお嬢さんにもわかるはずです」

「……」

 ずっと背筋を伸ばして話していた鮎美が椅子の背もたれへと少し身体を傾けて言う。

「同盟を組む相手というのは、やはり、しっかりと吟味したいもんです。オパマ氏のこともそうですし、実はロシアからは対等な同盟を持ちかけられていますから」

「っ……ロシアから?」

 一瞬、明らかに驚いたという感じでミクドナルドの眉が動いたけれど、すぐに平静を装う。鮎美は一応は日米同盟は対等という名目だったので、フーチンが持ちかけたアメリカと同じ条件でと言った同盟も、そうであるはず、と落ち着いて言う。きっと、この対談はフーチンも胡錦燈も見ていると感じる。そう感じると、彼らに比べて、まだ39歳の女性であるミクドナルドは、それほど圧迫感を覚えない相手だった。

「はい、ロシアから日本を核の脅威から守るという提案がありました。返答を待っていてくださる状態です」

「……ロシアが、どういう国か、アユミは若いから知らないだけよ」

「いいところも多い国だと聴いています」

「だとしても、今までのアメリカとの関係を考えると、ありえない選択じゃない?」

「困ったときに、さっと引き上げていく友人との関係は考え直す時期かもしれません」

「…………あなたは世界を独裁者の王国にする気なのかしら?」

「いいえ。平和で豊かな世界を望みます。自由な競争がありつつ、公正公平で、過度な格差のない社会を」

「ここで経済思想を論じても始まらないわねッ。私も同じ考えよ。けれど、今は1発目の代金について話し合うべきよ」

「……」

 鮎美の瞳が少し動いた。その動き方が同性の腋を見ているときだと鐘留は、よく知っているし、左半分に映るミクドナルドの両腋が汗で濡れて、その滴が垂れている。照明が明るいので着目すると、よくわかった。鮎美が唇を舌先で舐めてから言う。

「支払うとしても韓国と折半で2億5000万ドルが妥当やと思いますわ」

「……ええ、そうね。それでいいから、明日、必ず支払うように」

「…………」

 鮎美が左手をあげ、横髪を耳にかけた。そうするときが娘が考え事をするときだと玄次郎は10年前から知っているし、玄次郎の目から見てもミクドナルドが財政的に逼迫しているのだとわかった。思い返してみるとファーストフード事業は数年前から赤字に転落したままだし、その赤字を解消しようと手を出した不動産事業では失敗を続けている。それを挽回しようとアイドルとしての知名度と白人中心主義的な政治信条を活かして大統領選挙に挑戦するはずだったのに、突然の巨大地震で大きく前倒しして強引に大統領を名乗っている彼女が連邦準備銀行などには手が出せないでいるのは想像がつくし、アメリカ軍の支持を集めているとしても、兵士への給料を支払うのは正当な政府の財務部門のはずで、ミクドナルドの指揮下にある兵士の給与をオパマが支払い認可するとは思えない。鮎美も先日、金銭に困った経験があるので、もう嗅ぎ取っていた。いくら白人の支持を集めていても銀行は、よりシビアに貸し付け相手のことを見てくる。法的に唯一正統だった芹沢政権に対してさえ、協力する銀行と協力しない銀行があった。きっとミクドナルドの台所事情も明日明後日が山なのだと、腋汗の量で悟っている。

「ミクドナルドさん、5分ほど考えさせてください」

「……ええ、どうぞ」

 数日は待てなくても数分ならミクドナルドも待てる。また鮎美は横髪を耳にかける動作をした。そうして、ミクドナルドに協力した場合と、しない場合の結果を考える。おそらく法的な正当性はオパマ大統領にあり、ミクドナルドは白人の支持を武器に、軍の半分程度を指揮下においていると感じる。それが財政的に破綻すると、次第にミクドナルド政権が萎んでいくのは予想できる。逆にミクドナルドへ協力すると、アメリカは二つ以上に割れたままかもしれない。そう思いつき、鮎美は決めた。

「やはり北朝鮮の核の脅威は感じます。これ以上の核報復は今のところ望みませんが、おっしゃる通り1発目の恩義には相応の返礼をしたいと思います。ただ、私の政権も現金が不足しておりましてギリギリの状態なので、ミクドナルド政権が銀行から借金をするのに日本が保証人になるという形は、どうでしょうか? 金利5%まで、上限3億ドル。これで米国内の銀行と話をつけてもらえませんか? 少なくとも東京の金庫が開けば、債務不履行には絶対になりません」

「…………」

 今度はミクドナルドが考え込む。経営者として銀行の反応を予想し、そして笑顔になった。

「いいわ、それで」

 思わず握手をしようと手を出したけれど、お互い、画面の向こうだと気づいて肩をすくめるだけだった。対談が終わり、鐘留が玄次郎へ問う。

「……日本が借金の保証人になって……アユミンの負け? ミサイル押し売りされた?」

「いいや、あいつ………」

 韓国と北朝鮮、中国と台湾みたいにアメリカを割り続ける気だ、と玄次郎は娘の真意に気づいていたけれど、口にはしなかった。

 

 

 


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