寝不足だった鮎美が抱きついたまま寝てしまったので鷹姫は船頭に頭を下げて、到着してからも、しばらく泊まっていてもらったけれど、見知ったクラスメートに声をかけられて鮎美が起きてしまったので、少し睨んだ。
「おはよー、アユミン、タカちゃん」
「んーっ……おはようさん。あんたは元気そうやな」
「ちっちち。アタシのことは可愛らしくカネちゃんと呼んでくれたまえよ、アユミン」
緑野鐘留(みどりのかねる)は意図して可愛らしく立てた人指し指を振りながら微笑んだ。ショートカットが似合っている鐘留は学校からの制服改造への指導がゆるいのをいいことにスカート丈を極端に短くしているだけでなく、ブラウスまで改造して袖を切り落としてノースリーブにして丈も短くしてしまい臍が見えているので、白い肌がまぶしいくらいだった。
「うちがアユミンなのはええけど、タカちゃんは気に入らんみたいやで」
「……」
鷹姫は黙って不快そうな顔をしているけれど、鐘留は気にしていない。
「舟に揺られて、のんびり膝枕で、うたた寝しながら登校なんて最高だね」
「そうやね。おおきに、鷹姫」
「……別に…」
素っ気なく言って鷹姫が船を下りる。鮎美も船頭へ礼を言って続いた。すぐそこに学校は見えている。三人で通学路を歩いていると、後輩女子が何人か駆け寄ってきた。
「芹沢先輩! サインください!」
「私も! お願いします!」
鮎美の当選は学校でも、じわじわと話題になっていてサインを求められることもあった。鮎美は笑顔をつくって応じる。
「ええよ、うちのサインなんかでよければね」
「「ありがとうございます!」」
サインをもらって喜ぶ後輩たちは次の要求をしてくる。
「いっしょに写ってもらって、いいですか?」
「ええよ」
携帯電話やスマートフォンでの撮影もこころよく受けた。それらが終わって後輩たちが去ると、鐘留は肩をすくめて言う。
「調子いいよね、アユミンが議員になるってわかったら近づいてきてさ」
「あなたが、それを言うのですか」
鷹姫が呆れている。
「芹沢の当選がわかってから急に接近してきた緑野が、それを言うとは滑稽ですよ」
「アタシは純粋にアユミンとタカちゃんの友達になりたかったの。クラスの女子とは、もう疎遠だし」
「それは、あなたの服装や言動に問題があるからです」
「ちょっと可愛く生まれたから、それを鼻にかけただけだよ? アタシって学校で一番かわいいでしょ」
「「…………」」
「もう辞めたけどモデルだったし」
「あんたが可愛いのは否定せんけど…」
「ちっちち、カネちゃんだよ、アユミン」
「……。カネちゃんの見た目がええのは認めるけど」
鮎美が足元から頭まで鐘留を眺める。ほっそりとした脚、形のいい腕、くびれたウエスト、憎らしいほど突き出た胸、そして目鼻立ちのあざやかさ、どれもモデルだったということが嘘でないと思えるほど魅力的ではあった。そして制服の改造は、それを際立たせるためだと一目瞭然なのでクラスの女子たちは辟易としている。
「その制服も、これでもかって露出したら、そら、みんな引くわ」
「まあ、同性の反応なんて、どうでもいいよ、って思っていたのに、かわいそうなアタシは彼氏にフタマタかけられた挙げ句、捨てられたんだよ。二つ下の子に彼氏盗られた。なのにクラスで友達もいないし、浮きまくりだから同じ浮いてるアユミンとタカちゃんたちと上層同士、友達になろうって思ったわけ。アユミンの当選を聴いたのは、その後だから、アタシは純粋だよ」
「はいはい。浮いてるもん同士は否定せんけど、それで上層とか思えるカネちゃんの脳は痛いわ」
「痛いの痛いの飛んでいけぇ~♪」
鐘留が自分の頭に手をあててから鮎美の頭に触ってきたので、その手を払う。
「やかましわ! 頭痛が来るからやめい!」
「きゃははは。ナイスつっこみ! ギャグ入りつっこみなのが本場だよね!」
「ったく…」
おかげで遅刻ギリギリになって登校したのに、すぐに鮎美は校長室へ呼ばれた。校長室には直樹が申し訳なさそうな顔で待っていた。
「ごめん、早速で悪いけど党員になってくれる書類を書いてほしいんだ。ごめん」
「……雄琴はん……上から言われて仕方なくって顔やね……」
「すまない。その通りだよ、ごめん。君の気が変わらないうちに、すぐ書いてもらえってさ。ホントごめん」
いつも調子の軽い直樹が本気で申し訳ないと思っているようで両手を合わせて頭を下げてくるので鮎美は笑顔でペンを握った。
「ええよ、ええよ。もう決めたことやし。あ、でも、一つ条件があるねん」
「島の自治会なら、もう連絡したよ」
「仕事早いなぁ……けど、それじゃなくて秘書についてやねん」
「秘書について?」
「うちの友達を秘書にしたい。本人もOKしてくれたから」
「友達かぁ……いくつ?」
「18」
「………まあ、そうだろうね……それを若すぎるとは言えないか……。素行調査はあると思うよ」
「品行方正威風堂々やから心配ないって」
鮎美は書類を書き終えると、すぐに教室へ戻れると思っていたけれど午前中いっぱい直樹からの基本事項や注意事項の説明を受けることになった。ようやく昼休みになって解放され、フラフラと教室に戻った。
「あ、アユミン、おかえりーっ」
「おかえりなさい。また疲れた顔に……」
鐘留と鷹姫が迎えてくれた。
「ただいま……はぁぁ…」
タメ息をつきながら、ぐったりと机に突っ伏した。鐘留が頭を撫でてくる。
「よしよし、お疲れさんだね。何があったの?」
「ん~……入会…、もとい入党の書類を書いた後、いろいろ注意講習やった」
「どんな?」
「怪しい人とツーショット写真を撮ったり握手するのは、あとで利用されるから危ないとか、ネットで、つぶやくのも危ないとか、彼氏がいないなら、このままいない方がいいとか、まだ運転免許は取るなとか、親にも派手な車を買わせるなとか、何から何まで、ごちゃごちゃと……はぁぁ……ダルいわ……ようするに普通にせいちゅーことやけど、制約が多すぎんねん」
「あー、わかる、わかるよ、その気持ち」
「………ホンマにか?」
鮎美が伏せていた顔を少しあげて片目だけで鐘留を睨んだ。
「アタシがモデルやってたときも、似たようなもんだったよ。つぶやき禁止、自撮りアップ禁止、日焼け禁止、髪の毛を切るのさえ事務所に要相談、はては彼氏とは穏便に別れろ、デート禁止、いちゃいちゃ禁止、キス禁止、外泊禁止、エッチ禁止、そのくせ社長はアタシの身体にベタベタ触ってくるし、超キレたよ」
「………モデルも大変なんや……」
「だから辞めた♪ キレイさっぱり、社長の目の前で髪の毛を切り落としてやったよ。で、ほら」
鐘留は短いスカートをめくって少しだけ下着をずらして見せた。鐘留の下腹部あたりにタトゥーが彫ってあり、金色の鐘が見える。鮎美と鷹姫にだけ瞬間的に見せたので、教室にいる他のクラスメートたちは気づいていない。
「あんた……高校生やのに……そんなとこに…」
「これで、もう水着撮影はNG、下着広告も無理、はい、さようなら」
「そんなことして違約金とか大丈夫なん? 聴いた話やけど、賠償請求されたりするんちゃう?」
「アタシが、アタシの身体に何しようと自由だよね。取れるもんなら取ってみなって、現在は裁判中だよ。一審はアタシの勝ち。セクハラで反訴もしてる」
「ちゃらそうなわりに、やること、すごいなぁ」
「けど、せっかくフリーになったのに彼氏にはフタマタかけられてた……ぐすんっ…」
鐘留が悲しそうな顔をすると、鮎美は迷う。
「あんた、それ泣き真似なん? マジなん?」
「カネちゃんだってば」
「はいはい、カネちゃんに訊きたいことがあんねん」
鮎美が真面目な声で言ったのに、鐘留は両手を後頭部で組み、胸を強調するようなポーズをとってふざける。
「スリーサイズなら秘密だよ」
「誰が訊くかっ!!」
「きゃははは、で? なーにぃ?」
「フタマタかけられて捨てられる側って、どんな気分になるもんなん?」
「えーぇーっ…………」
鐘留が軽い声を少しずつ落として低くし、後頭部で組んでいた両手を胸の前で腕組みして真顔になった。
「そーゆーこと訊くの? なんで?」
「……ちょっと興味あって…」
「興味ねぇ……思いっきり心の傷をえぐるとこ、興味で訊いてくるわけなんだ。まだ、アタシたち、そんな親しくないのに」
「ぅっ……そう言われると、そうやけど……ごめん」
「さて、訊かれたことだし親友としては答えなくちゃね」
鐘留は腕組みを解いて右手の親指を少し舐めた。
「どんな気分かと言いますとねぇ。悲しみかな、怒りかな、うーん……まあ、今までの人生で経験したことのないような、喪失感かな。ああ、そうなんだ、無くしたんだ、失敗したんだ、どこで失敗したのかな、もう少しうまくやれれば、アタシの勝ちだったのかな、ここで泣くと余計にミジメになるから、笑って別れてやろう……うん! こんな感じ!」
「……そうなんや……おおきに…」
「あ、あと、もう一つ!」
「もう一つ?」
「アタシの時間を返せ! って思った」
「そう……そうやろな、やっぱり……」
鮎美が思い込むと、鐘留は腕を回して鮎美の首を捕まえてきた。
「さてさて、アタシは話したんだから、アユミンも話なよ、いったい何の参考にするつもりで、アタシの傷をえぐったの?」
「……………」
鮎美が答えないでいると、首に巻きつけている腕の力を強めてくる。
「言わないとアタシみたいなショートカットにしてやろうかな」
「言う言う! 言うから! 暑苦しいし離してよ!」
鮎美が顔を赤くして鐘留から離れた。
「で?」
「参考にちゅーか……恋愛沙汰やないけど、うちもフタマタ、サンマタかけたようなもんなんかな、って」
鮎美が視線を落とした。脳裏に民主党の竹村や共産党の西沢の笑顔が浮かぶ。
「うち、所属政党を決めるまでに、いろんな政党の人に会って話を聴いて、みんな心安い人らで……うち、どの党にも入ってあげたくなったねん」
「絵に描いたような優柔不断だね。超八方美人」
「………」
鮎美が暗い顔で黙ると、ずっと黙って聴いていた鷹姫が猛禽類のような鋭い目つき鐘留を睨んだ。
「うわっ……怖い♪ 殺気を感じたよ」
「口を慎まなければ、手痛い思いをすると覚悟なさい」
「はいはい。で?」
「で、結局は自民党を選んだんやけど………せっかく誘ってくれた民主とか共産の人らに……何か言っておくべきか……それとも謝罪の手紙でも書こうかなって。カネちゃんは彼氏から謝罪の手紙もらったら、どう感じる?」
「読まずに捨てる」
「「………」」
「今さら、って感じ」
「……そうやんな…………」
沈み込む鮎美へ、鷹姫が言う。
「政治と恋愛は別でしょう。そもそもフタマタをかけていたわけではありません。決断までに迷いがあるのは当然のことですし、相手もそれは承知しているでしょう。ですから、あながち手紙が無駄ということもなく、後日の親交に活きるかもしれません。書いておいて損はないと考えます」
「うん……そうやね……書いてみるわ」
そう言って鮎美は午後からの授業中にノートへ手紙の下書きをして過ごした。放課後になり、昼休みに鷹姫へ伝えるのを忘れていた秘書の件を話して、いっしょに校門を出たところで直樹が待っていた。
「雄琴はん……あんたストーカーみたいやで」
「すまない。今週の日曜日も、また予定を開けてもらえないかな? それと、これからほぼ毎日、放課後の時間も」
「……。まあ……それが国民への義務やろね……何も知らん女子高生が、あと半年で国会議員やもん、そら叩き込めるだけ叩き込んでやる、ちゅーのが当然やろね。で、日曜は何があるの?」
「六角市の市議会議員選挙が始まる。その応援演説に立ってほしい」
「市議会……って、市のことを決める機関やんな? なんで国会へ行く、うちが?」
「そういうものなんだよ。ボクらは選挙を経験していないけれど、政党に所属する以上は、市議会、県議会、首長選挙、どれも応援に駆けつける。まして、芹沢さんは…」
直樹の言葉を遮って鮎美が続ける。
「客寄せパンダに最高やもんね」
「……否定はしないよ。けれど、君だって、いつまでもパンダでなく自分の道を見つけられるかもしれない。そうして、行きたい道ができれば、お互いの協力も大切だって、わかるさ」
直樹が真面目に言うので鮎美も理解した。
「それも仕事、いや勉強のうちかな」
「放課後に勉強へ来てもらうのも日当が出るからアルバイトだと思えるし、応援演説は直接ではないけれど5万円がもらえるから」
「5万………。直接やないって、どういうこと?」
「ボクらクジ引き議員は選挙で相互援助する動機が働きにくいから、党から特別勉強会への参加という名目で支給される」
「そうなんや……ってか、なんで名目を変えんとあかんの、応援代でええんちゃう?」
「すべての選挙には選挙資金の上限額が定まってる。六角市の市議選なら200万円。ここには選挙カーやらポスターやら、いろいろ含みだから、応援弁士への手当なんか計上したら、どの党もオーバーしてしまう。だから、暗黙の了解で特別勉強会への手当で合法化してるのさ。一応、形だけ資料なんかも配られるから」
「………そういう誤魔化しのない政治になるよう、うちらクジ引き議員が動けたらええのに……いちいち自衛隊は合憲です、みたいな、誤魔化しを……解釈やなくてルールを変えたらええのに……」
「いずれ、そうできる日が来るとしても、一朝一夕には難しいんだよ」
「そういうことも勉強していけと……」
鮎美がタメ息を飲み込んでいると直樹は5センチ程ある分厚い本を鷹姫へ差し出した。
「秘書になるって、君だよね?」
「はい」
「高校での内申点もいいし、素行も問題ないらしいね。島での評判も上々だって」
「………。この本は何ですか?」
「とりあえず公職選挙法についての冊子だよ、必ず読んでおいて。一週間以内に」
「わかりました」
かなり分厚い本だったけれど、鷹姫は顔色を変えずに受け取ってカバンに入れた。
「あと、これから君も来るかい? 芹沢さんと同じことを学んでおいてもらうのも大切だし、バイト代も出るよ」
「アタシも行こうかな」
鐘留が言うと、直樹は改造された制服を見て、首を横に振った。
「高校生秘書は一人までにしておいて。上限3人まで公費でまかなえるから、宮本さんだっけ? 君の他は党が用意するプロの秘書を東京と地元に一人ずつ置かせてもらうよ」
「うちが決められることは、わずかなもんなんやね………」
「だんだん慣れるさ。ボクも慣れた」
そう言って励ましてくれる直樹に導かれ、鮎美と鷹姫はタクシーで自民党六角支部へ連れて行かれ、みっちりと国会制度や行政法、社会常識、政治家同士の常識などを教え込まれ、とっくに連絡船の最終便が出た後になって港へ送ってもらった。港では連絡船が特別便として二人を待っていて、もう帰島時刻を気にする必要がない代わりに、遅くなるのが当たり前になったのだと悟った。