高校生活も約一ヶ月が経ち、教室内の最初の騒がしさはいつもの騒がしさへと変わっていた。部活のことだったり、放課後のことだったり、勉強のことだったり、最近のニュースサイトの情報や芸能関係の話題で花を咲かす会話。或いは色恋沙汰のようなものもあるのかもしれない。その全てに興味もなく、一匹狼が如く窓際で空を眺める俺はいまだクラスに馴染めずにいた。
言い訳をするならば、人と話すのは苦手だしなんならゲームをしている方が有意義で群れるのは疲れるだけだし、別にそこまでして群れたいわけでもない。つまり、寂しくなんかない。根暗なんて最低評価が下ったが気にすることはなかれ、自分は自分で他人は他人だ。それ以上でもそれ以下でもない。
高校生活を灰色に染めたところで、別に気にするようなことでもない。
「–––ねぇ、ねぇってば春陽君」
そんな灰色の世界にわざわざ突っ込むクラスメイトなんてそうそういるはずもない。
たとえどれだけ俺の名前を呼んでようが空耳だ。しかも可愛らしい少女の声で、耳元に囁くようなそんな声は誰がどう考えたっておかしいだろう。なんで耳元で聞こえるんでしょうね?まったく。
振り向いてみれば、首に白い包帯を巻いた美少女が顔を寄せていた。
その金糸のような長髪で包帯をさらに隠すような仕草を見せる彼女は学園一の美少女こと、倉科さんだ。
中学からの同級生でたまに話しかけて来る優しい女子といったところか。
そんな関係、それだけの関係で高校もたまたま一緒になったこと以外は特筆すべきようなこともない。窓際族でクラスに馴染めないようなこんなクズに何か御用だろうか。
「……倉科。何か用か?」
クラスメイトの視線を一気に奪ったのは倉科で俺は関係ないと思いたい。男子は先程から倉科に視線を送っていた人数だけではなく、彼女が俺に話しかけたことで話を中断してまで会話を盗み聞きする始末、女子に至っては先程まで一緒だった倉科グループがジロジロとこちらを見ていた。
やめて。俺をそんな目で見ないで。
なんて思いも叶うはずもなく、なれば要件を済ませればいいだけのことだ。
「もー、またぼーっとしてた。校庭に好きな女の子でもいたの?」
「残念ながら初恋も一切ございません。で、なんだ?」
早くしないと俺の羞恥心が天元突破して葬られそうなんだが、胃が痛いかもしれん。こういうプレッシャーって俺には毒なのだ。視線で殺せるってこういうことだろう。
頬杖をつきながら、不遜な態度で対応すると何やら男子生徒の視線がものすごい事になる。「倉科さん相手にあんな態度をよくも」とか聞こえはしない。断じて、空耳だ。だからこそ倉科の話を聞く事にする。もうこれ以上は処理限界を超えていた。
「放課後、屋上に来て欲しいの」
「はぁ……。まぁ、いいが」
外野が色めき立つのを聴きながら、早く帰れる用事ならいいな、と学園一の美少女に対して失礼にもそんなことを考えていた。
放課後。何故か倉科から呼び出された事が校内中に知れ渡り、知らない先輩連中に追っかけ回されたりして帰りたいのに約束の為に帰れないというなんとも理不尽な学校生活を送り、ようやく時間が過ぎ去ってくれた。
屋上へと続く階段を昇り、いざ扉を開けると倉科が夕陽を見ながら黄昏れる姿が。彼女のプロポーションは飛び抜けて高く、顔も体型も全て総じて美少女と呼ばれるものだった。そんな少女の欠点といえば首筋に巻かれた包帯くらいのものだろう。ただそれすらも彼女の魅力の一つとされているが、まぁ確かにキャラ付けとしては悪くはない。
その後ろ姿に見惚れる俺といえば、絶対領域が物理的に眩しい太ももへと視線が吸い寄せられていた。風に捲れれば中が見えてしまいそうなスカートが揺れる度にドキドキする始末、別にこれはこれで見えなくてもお得な光景である。
屋上に来てから数秒、声を掛けずに後ろ姿を見ていた俺に気づいた倉科が振り返った。
「来てくれたんだ」
「早く帰りたいんだがな。此処は俺にとって居心地が悪い」
馬鹿騒ぎする生徒達の声が廊下には響いていた。屋上にはそんな声の一つも訊こえてはこないが俺としてはその空気を横切るだけで神経を磨耗する。
「春陽君も楽しめばいいのに」
「はぁ? 何で俺が。俺は一人が好きなんだ」
「毎回遊びに誘ってるのに来ないもんね。私なんて何回振られたか」
「行けるか。女子高生に混じって遊びに行くとか死ぬわ。精神的に」
想像してみよう、ほとんど喋ったこともない女子高生の集団の中に何で呼ばれて借りて来た猫のように大人しくしているのだ。何故気まずい思いをしなくてはいけないのか。放課後を無駄にしなきゃいけないのか。俺にはハードルが高過ぎて死ねる。遊ぶではなく遊ばれて終わりだ。
「こんな話しに来たんじゃないんだろ。遊びの誘いなら断るぞ。違うと思うが」
わざわざこんなところに呼び出してまで「放課後あそぼー」なんて言いに来たわけではあるまい。じゃあ、いったいなんだと聞かれたら俺は答えに窮する。皆目見当がつかなかった。
あくまで帰りたがる様子を見せる俺を前に倉科は深呼吸をする。
倉科が口を開いた瞬間、まるでそれは世界から愛され恩恵を受けているかのように、彼女の言葉をそよ風に乗せて–––
「春陽君。私と付き合ってください」
–––右耳から左耳を通り過ぎて行った。
おっかしいな俺の耳。ギャルゲーのやり過ぎでバグったか?まさか同中で慈悲で気に掛けてくれる美少女に幻想を抱くとか、じゃなきゃこれは何の罰ゲームだ?
「あー……女子の間だけじゃなく国民的に学生の間では流行ってるよな。ジャンケンで負けた奴が根暗オタクに告ってくるとかいう罰ゲーム。……というか現実に存在したんだ」
「ち、違うよ。罰ゲームでもイジメられてるわけでもないからね。あくまで自主的だから!」
自主的……。弄んで何が楽しいですかね?
自慢じゃないが金はないぞ。ステータスも高校生最弱だ。
ダメだ、目的が見えてこない。
そもそも何か勘違いをしてるのでは?
時点の疑いを向けてみる。
「で、何処に行くんだ? 校舎裏に呼び出して男連中でリンチ?」
「私は春陽君の中でどんな女の子なのかな?」
「見目麗しく学園一の美少女と噂されている同中出身の人」
Q.愛想の良い彼女がそんな酷いことをするか?
A.裏では腹黒いこと考えているかもしれないが表向きは美少女である。
これが俺の答え。悪い噂は一つもない。
やはり彼女は知り合いでただのクラスメイトだ。
「私は友達と思ってたのに!」
「いやー、その告白を間に受けるなら友達とか思ってないよな」
「それは…そうかも…だけど…少なくとも私は友達と思ってたんだよ。まさか友達にすらなれてないなんて思ってなかったよ」
友達を定義するのなら、いったい何処から何処までが友達だろうか。曖昧な物差しであるが俺はかなり厳しめなラインを引いている。つまり彼女は友達などではなく、ただの知り合いの女子生徒なのだ。俺が倉科は友達と言ってみよう。多分他の男子は発狂するに違いない。
自称友達と言っている倉科はちょっと怒った風に頬を膨らませて、自分の気持ちを事細かに説明してくれた。
「私は好きなの、桜木春陽君が。likeじゃなくてlove」
「おぉ。愛されてるな、桜木春陽って男は。俺と同姓同名の人がこの学園にいるとは……さぞ優秀で倉科に見合うくらいの人間なんだろうな」
「あのね、そう言うと思って一応調べておいたけど、この学校に桜木春陽って男子生徒は君以外にいないからね?」
「じゃああれだ。コンタクト落としたんじゃないか。見えてるか、倉科?」
「コンタクトなんて生まれてこの方したことないよ。同中出身の君に言ってるんだけど!」
「じゃああれだ。俺と同姓同名の女子と間違えちゃってるんだ」
「その線もないから! 私はいたって普通に男の子に恋をして告白してるの! まさか、私の初恋と初告白がこんな扱いされるなんて思ってなかったけど。……これでも、結構緊張してたんだよ。なのに……」
膝から崩れて泣き始める倉科に俺は掛ける言葉がなかった。
人間、ここまで卑屈になれば女子を傷つけるのだ。
言葉のナイフは時に本物のナイフよりも深く人を傷つけると言うが、それは今を置いて他にいい例なんて存在しないだろう。これ以上のことなんてあってはいけないのだ。
「ごめん。ごめんって。冗談だ。いやだっておまえが俺を好きになる理由なんて想像つかないだろ。中学の時だって倉科と話した回数なんて両手で数えても事足りるほどで……」
そんな回数しか話していないのに謎は深まるばかりだ。
困惑している俺を見上げて涙を拭いながら、倉科は涙声で言った。
「……本当に反省してる?」
「してます。してるって。なんなら俺の持っているゲームのデータ全部消してもいい」
明日から学校で後ろ指を刺されて学校生活を送るなど、俺には耐えられない。学園一の美少女を泣かしたレッテル張られておそらく平穏な日々は遠のくだけだろう。
「なら許す」
「……いや本当に悪い。全部俺が悪かった」
「じゃあ、改めて聞いてもいい? 私と付き合ってくれますか?」
–––だが断る。
そう言おうと思っていた。言おうとしていた。
倉科が手を差し出し、頭を下げて必死な姿を晒し、揺れる金糸のような髪が茜色の光を反射した時、ゴトリという鈍く重い音と少女の「ぎゅむ」という悲鳴が聞こえた。
俺は差し出されている手と–––
「……倉科?」
–––転がっている倉科の頭を見た。
気が動転するより先に首筋の切り口からピンク色の生肉が見えた。その首から転がり落ちた頭は、イタタなんて可愛い声を出しながら生首を晒している。
ゆっくりと解ける包帯が、風に揺れる。
彼女の首には、まるで断頭台で首を切り落としたような痣が浮かび上がって……。
生首だけが、何かを察したように、絶望を表情に明確に写し。
異質で異様な彼女は、苦笑いを一つ浮かべて言った。
「……やっぱりこういうの気持ち悪いよね?」
夕焼けに生首一つ。日が暮れて太陽が沈むまで、俺はその瞬間を永遠に眺めていたように思う。