六月。鬱陶しい梅雨の時期。グラウンドにできた水溜まり、窓を叩く雨の音、憂鬱になる昼食の時間に俺は早々に購買に向かって走り出すクラスメイト達を見送りながら、やはり外の雨が気になって意識はすぐに雨へ。
雨は好きだ。あの音。たまに体を打たれて悪くないと思えてしまう。憂鬱に浸れる、あれは中毒性の塊だ。
まぁ、だからなんだという話、嫌いでもあるが。突然の雨に鬱陶しいと思うこともある。でも、無性に打たれたくなる、なんてことが誰でもあるだろう。
「–––おーい、ハル」
そして、俺が憂鬱になっている理由はもう一つ。
拍車を掛けた理由は、幼馴染の桃香の手にある一人にしては大きな弁当箱。
–––否、重箱だ。
一人用?–––否、桃香は大食感ではない。
じゃあ、何故か?
「ほら、お昼。こっち来な」
–––何故なら、その重箱が二人分だからだ。
「早くー、こっちこっち」
「……往生際が悪いと、幼馴染に愛想尽かされるわよ」
視線を向ければ、机を四つくっつけて男子一人に女子二人が集まっていた。普段は羨ましいと思う光景だが、今回ばかりは話が違う。俺はあそこにお呼ばれされてるのだ。女子三人によって。桃香と倉科さん。それと、一組のカップル。白雪のような美少女『鈴白冬菜』と、サッカー部の次期キャプテン『宮内大輝』である。二人はまったく面識がない上、幼馴染と重箱をつつくという現状、昼飯抜きでいいから逃亡を考えるまである。
「やっぱ俺、購買に……」
「お金がもったいないし、あたし一人じゃ食べきれないから却下。それに、購買に行ったとしても同じ席に着くのは確定だからね? じゃないと、あんたのゲーム全部叩き割るし、ネット回線も切るよ」
「はぁ……」
殺生な。俺からネットを取ったら何も残らないぞ。オタクから二次元取ったらただの役立たずだぞ。そこまで俺を殺したいか。
死よりも、生かして殺すのは酷過ぎる。
諦めて、どこに座ればいいのか戸惑っていると、左右から挟まれて二つ並んだ机の真ん中に座らされた。右には桃香、左には倉科さんである。向かい側にはカップル。カップルが机一つずつに着いているのにこっちは幾分か狭かった。くっつくなら、あの二人だと思うのだが。
「さてと、揃ったけど自己紹介いる?」
「そうね。私達はしておいたほうがいいんじゃないかしら」
桃香の音頭に則って、鈴白が申告する。
じゃあ、という流れでそのまま自己紹介を始めてしまった。
「私は鈴白冬菜。よろしくね、春陽君」
「どうも……。俺は桜木春陽。まぁ、知っての通りだ」
「僕は宮内大輝。よろしくな」
よろしくとは言っているがそれほどよろしくもしないだろう、とは今の見解。いわば、今のはただの社交辞令のようなものだ。義務的に接しているに過ぎない。もっとも、友好的に鈴白は接してくれているようだが。子供が新しいおもちゃを買ってもらった一歩手前の表情、涼やかな微笑みだ。
「それで、あなた達はどういう関係なのかしら?」
黙々と重箱の中身を突いていたら、鈴白から突然吹っ掛けられた質問。もぐもぐと咀嚼しながら顔を上げると、明らかにこちらを見て変わらぬ微笑を湛えている。
「別にただの幼馴染だって。そういう質問しない約束でしょ!」
「そ、そうだよ。関係なんて、ねぇ?」
応答したのはこの二人。左右の美少女達。だが、如何にも俺から聞き出したいというような意図が込められている。誰でもわかる。
「別に幼馴染だよ」
「じゃあ、秋穂はどうなの?随分と仲良さげだけど」
「……と、言われてもなぁ」
言葉には表せない。一番にしっくりくる表現は“クラスメイト”だが、どうしたものかと考える。女友達というのは関係性が曖昧だ。ここで友達と公言していいものか。はて、さて、と悩んでも答えは見つからない。
「クラスメイト以上恋人未満ってやつかな」
「最底辺は友達以下なのね……」
「知人だとか顔見知りだとか、それよりは上だな」
「じゃあ、私はどうかしら?」
「うーん? 桃香の友達ってところかな」
他人には、そういう線引きもある。クラスメイトであり、彼女の名前は桃香からよく聴いていたのだ。
「じゃあ、秋穂はどうしてそう表現しなかったのかしら?」
「桃香の友達以上に、関わりがあるからな」
「そう。らしいわよ、秋穂」
「えへへー。そうなんだー♪」
この評価に倉科はご満悦である。
しかし、まだ引っ掻き回したりないのか、鈴白は次なる矛先を決めた。
「それで、桃香とはどういう関係なのかしら?」
「それさっき答えたよな」
「とてもつまらない回答なんだもの。幼馴染にも形はあるでしょう?」
「……確かに。一理ある」
アニメで幼馴染の関係性はよく多用されがちだ。作品の数、付き合い方があるというものだ。
「家族以上恋人未満かな」
「それは女としても見ていると捉えてもいいのかしら?」
「そりゃあまぁ、家族同然に過ごしてきたが意識しないわけがないしなぁ」
「あなた割と正直なのね」
「取り繕ったって意味がないだろ」
根掘り葉掘り訊かれたが、別に大した情報じゃない。
今度は反撃とばかりに、二人を弄ることにする。
「おまえらはどういう関係なんだ?」
おまえらとは鈴白と宮内である。より大きく反応したのは宮内だけだ。
「恋人同士だ」
「俺が聴きたいのはそういう意味じゃねぇんだよなぁ。さっきの質問の件からわかるだろ」
「なぁに?私達がどこまでいったか知りたいの?」
突然、ギランと輝いた左右の狼達の瞳。非難されたのがもう視線だけでわかる。しかし、俺は鈴白の手のひらで転がされているだけなのだ。誤解だ。
「どうやって付き合い始めたとか、あるだろ」
「ふふっ、冗談よ。そうねぇ……」
目を細めて、回想する。
一通り纏まったのか、鈴白は動揺した様子もなく告げる。
「元々の始まりは彼の告白から。私は彼に興味なかったのだけど、ちょっとした気まぐれの条件付きの交際よ。プラトニックっていうのかしら。キスも、エッチもなし、手を繋ぐのもなし。私を好きにさせたら勝ち。私に飽きられるまでか、彼が私を嫌うまで。そういう契約よ」
「まぁ、好きでもないなら妥当だわな……」
雇用契約書を書かされたような顔を宮内はしていた。まぁ、実際、好きでもない奴にキスとか許す理由はないだろう。つまり彼は付き合わせてもらっている立場なのだ。
「……まさか、校内一のカップルにそんな秘密があったとはな」
「潔くフラれる可能性もあったけど、それに縋り付いたのは僕だ。理解はしてるよ」
顔があまり納得していないようだが?
イケメンの面目丸潰れ。同情しようにもそれは御門違いというものだろう。それでも羨ましいと思うのが、校内のモテない組の当然の末路なのだろう。こんなのモテない奴らが聞いたら、じゃあ自分がってなるだろうが。
「……まぁ、俺には関係ない話かな。面白い話は聞けたけど」
「……何か、言うことはないのかい?」
「はぁ?何が?」
「実際にはフラれたようなものだよ。僕は縋り付いている状況だ。それについて、何か思わないのかと思ったんだ」
「いや、別に……そんなの人の勝手だろ。もしかしたら諦めなければ好きになってもらえるかもしれないし、惨めともみっともないとも思わないぞ」
もしそんなことをしたら、倉科を否定することになる。それは何故だか憚られた。恋愛について不出来な自分には笑う資格そのものがないだろう。
「……そう。あなたの人格っていうものがよくわかったわ」
何故かご満悦の様子でご機嫌なお嬢様。鈴白様は上機嫌なままに箸で自分の弁当から玉子焼きを選ぶと宮内の顔前に持っていく。
「えっと……?」
「ご褒美よ。間接キスの権利をあげるわ」
まるで女王様と下僕だが、宮内は戸惑いながらも玉子焼きにパクついた。しかし、それで終了と言わんばかりに自分は食事を終えていて間接キスをしたのは宮内だけだ。鈴白は澄まし顔で弁当箱を片付けていた。
胸焼けのする光景に目を逸らすと、視界に自分の箸を見つめて何やら思考している様子の倉科が自分の弁当箱から玉子焼きを一切れ掴むと並々ならぬ意思を持った目で、ちょうど視線が合った俺に訴えかける。
「ねぇ、私の玉子焼き食べてみない?美味しいよ」
「ちょっ、秋穂……!」
一番に反応したのは桃香だった。頰を赤らめて親友の愚行を咎める。俺とて何をしたいのか多分に理由は想像がつくが、こういうのは突っ込んでも問い詰めてもいけないのだろう。差し出された玉子焼きを無言で食べた。何やら桃香が壮絶な顔をしていたような気がしたがそれも素知らぬふりである。
「ん。美味いな。倉科って料理上手なんだな」
「えへへ、得意なんだ」
わーぎゃー喚いている桃香を放置して、独特の世界に逃げ込む。何やら倉科も自分の弁当を突いて食べていたが、どうも箸を咥える時間が妙に長い気がした。頰が赤いのもきっと褒められて嬉しいからだろう。
「あ、あんたらバッカじゃないの!?」
「何がバカだ。俺は否定しないが」
流石に無視し過ぎるのも可哀想なので、喚いている幼馴染の相手をしてやると凄い剣幕で詰め寄ってくる。女の子と間接キスして喜ぶ変態とか、俺よりも宮内に飛び火している言葉のナイフを放っていく。
「おーい。桃香、宮内のライフはもうゼロだからやめてやれ」
「あんたに言ってるのよ、あんたに! ハルったら信じらんない。最低っ」
「おいおい。俺が女子のリコーダーに間接的マウストゥして喜ぶ変態みたいに言うなよ。俺はそんな奴らとはちょっと違う」
できるものなら直接キスしたいし?と言えば、火に油を注ぐのは目に見えていたので断念。その代わりに、こちらも同じく重箱からソーセージを摘み、桃香の前に差し出した。
「おーい。口開けろ、桃香」
「な、なんでよ。絶対に嫌」
「昔はよくやっただろ。食べさせあいっこ。ほれ」
閉じられた蕾のような唇にぐいっとソーセージを無理やり押し付ける。最初は抵抗していたものの、桃香もおとなしく受け入れてそれをおとなしく咀嚼し始める。
「で、間接キスの味はどうだ?」
「……最低。バカ」
涙目で縮こまってしまった幼馴染は普通に可愛かった。
夕方、降り止まない雨、耳朶を打つその音に耳を傾けて、生徒玄関先でそれを見る。降り頻る雨を見つめていると自然と心が安らぐというものだ。雨の中を動くのは少し憂鬱になりそうだが、気持ちを入れ替えるとどうということはない。しかし、こんな雨の日には雨の日の風情がある。今日の俺は雨が好きな自分のようだ。
そうして、足を踏み出すのを遅らせていると、隣に誰かが立った。気にすることもないので、気にしないようにしていると、彼女はそんな俺の気遣いを無視して声を掛けてきた。
「今帰るところかしら?」
「まぁ、な」
「桃香と秋穂は?」
「知らん。それこそお前の方が知ってそうだけど」
色素の薄い水色の髪。誰の目から見てもスレンダーな美人ともいえるその女子生徒、鈴白冬菜。彼女だった。
「宮内は?」
「どうして私に聞くのよ?」
「そりゃ、カップル……なんだから一緒に帰ったりするものなのかと思って」
「生憎と私はプライベートは自由に生きたいの」
「……」
本格的にカップル契約が仕事じみてきたようだ。元々そういうものであるらしいし、本人達にとやかく言う気はないのだが、こうまで来るとカップルという概念が、存在が、どういうものか再定義しなくてはいけないような気がした。そんな俺の心情を察してか静かに口を開くのが鈴白である。
「一応、言っておくけど。あなたたち幼馴染も似たようなものだと思うけど」
「セットじゃねぇんだけどな」
「カップルが四六時中一緒っていうのも、大間違いよ」
夢物語は夢でしかなかったらしい。
まぁ鈴白と宮内の関係性が歪なのだろう。
そう思うことにして、さっさと傘を広げて家路につこうとすると、足を踏み出した俺の制服の袖が引っ張られた。なんだと思って振り返ると鈴白がぎゅっと俺の制服の袖を握って引き止めていたのだ。
「どうした、鈴白?」
「傘がないの。私も一緒に行っていいかしら」
……それは相合傘をするということだろうか。
硬直していると傘の下に鈴白も入って来る。有無を言わせないというよりも、こちらも吃驚し過ぎて声が出なかったのだが、それでも問わなければならないことはある。
「それこそ宮内に頼めばいいだろう」
「残念ながら、彼の家と私の家はあまり近くないの」
「そうでなくとも、他の男に頼むか、普通」
「言ったでしょ。彼のことは好きでも嫌いでもないって。ただ、恋人なだけ。恋をしていない私が言うのも変な話だけど」
「……まぁ、そういうスタンスなら、別に俺も構わないけどさ」
恋人というより友達だとは口が裂けても言えない。恋人なら好きな人が他の男と歩いて、しかもその上で相合傘している現場など見たくはないだろうが、関係性があれ故、本人さえ良ければ問題はないだろう。もっとも知らない相手ではこんな現状には死んでもならなかったが。だから恨むなよ、宮内。と保険に祈っておく。
そうして、鈴白と相合傘をして帰るという奇妙な現状が出来上がった。
傘を中心に二人並ぶ。その距離、10cm。肩の触れ合わない距離。無言で足並み揃えて進む様はまさに異様、気不味い雰囲気にストレスは溜まりっぱなしだ。
雨のせいか、肌寒い日が続く。今日は特に、冷える。
「……梅雨とはいえ、少し寒いよな」
「そうかしら。私は寒いの平気だから、まったくわからないわ」
話題を振ってみたら、鈴白は目もくれずそう答えた。
「むしろ、今から暑くなると思うと気が滅入ってしまうわね。私、暑いの苦手だから」
「俺はどっちも苦手だな」
どうやら鈴白は暑い方が嫌らしい。ガキだった子供の頃は半袖で常時活動できた自分は劣化していくばかりで羨ましい限りである。
「本当、溶けるんじゃないかって思うわよ」
「教室にはエアコンついてないからなぁ」
適当な話、相槌を打ちながらの帰路。
そんな、たわいない会話の折り目に鈴白はふと気付いた。
「–––あなた、肩が濡れてるじゃない」
俺の肩が雨で濡れていたのだ。本当に目敏い奴だ。わざわざ反対側の見え難い場所の変化に気づきやがった。
「私が濡れないようにって気を遣わないでもいいのよ」
「別に気遣ってねぇよ。……でも、まぁ、なんだ、女子は濡れるとすぐシャツが透けるだろ」
とっても際どい格好になってしまうのだ。本音を言うと見たいが、生憎と他人の女に興味はないので、あと更に理由をつけるとしたらあの幼馴染が何を言うかわからない。男としても看過出来ない。とくれば、あとはご想像の通りだろう。
「それに俺は雨が嫌いじゃないしな。これくらいの雨なら、気持ちいいだろ」
「……」
不可思議なものを見る目で鈴白は見上げてくる。立ち止まり、なお見つめてくる。そんな時、かなりの速度で徐行する様子のない車が一台脇を通り過ぎようとしていた。
無言で鈴白の腕を掴み壁際に寄せると、自分の体を盾にする。跳ねた水溜まりがまるでスローモーションのように目に映った。芸術的な光景の直後、びしゃりと水が盛大に掛かった。
……今日は、厄日だ。
「大丈夫か、鈴白。水かかってないか?」
「……」
傍の少女に声をかけてみると、彼女は顔面蒼白で黙り込んでいた。直後、掴まれた腕を振り払い距離を取る。それに合わせて俺は傘の位置を移動する。もはや濡れ鼠の俺には無用の長物。
様子のおかしい彼女は、突如ハッとしてこちらを見上げてきた。
「……ご、めんなさい。私、人に触れられるのダメなの」
「……そりゃ悪かった」
明らかに異常な反応を見せる彼女に思うところがあり、怪訝に思いながらも素直に謝る。それでも染み付いているであろう彼女の性質そのものはその程度で払拭できるものではない。
しかし、なんだ。奇妙な違和感がある。
またお互いに無言のまま鈴白を家まで送ろうとしたが、とある公園で別れを告げられる。もう、ここでいいから。そう言うと走り出そうとした鈴白に傘を押し付ける。そして、走り去っていく彼女の後ろ姿を見ながら、奇妙な違和感がなんだかよくわかった。彼女の腕は冷たかったのだ。雨にも濡れていないのに、人肌とは思えないほど、底冷えとしていて、まるで彼女の内面に隠した冷たい心を浮き彫りにしているようで、とある憶測が飛び交っていく。
「ただいま」
「お帰り。って、あんた、なんでびしょ濡れなのよ。傘持ってたでしょ」
ちょうどお風呂から上がった桃香と出会す。まだ濡れている髪と、シャンプーの香り、潤っている肌がなんとも艶かしい。もっともそれを見つめていられるほど今は余裕なんてなかったが。
「お風呂沸いてるから、入って来なよ」
「あぁ、悪いな」
この日、俺は風邪を引いた。