当時の私が病魔に侵されていると知ったのは視覚に異常が発生したからだった。普通は見えるはずのない景色に違和感を覚えて相談するとすぐさま病院に連れて行かれて、そこで入念な検査が行われた。しかしまぁ残念な事ながら医者にとって病魔とは科学的よりもオカルトじみていて症例のようなものがなく、詳細なデータを計測すると言ってもどんな病魔かを知ることのみだった。
医者に何かできるわけでもないし、治すことができるわけでもない、結局のところ把握する事だけが仕事で他は何もしてくれないのだ。
その時は壁の向こうや服が透けて見えるというだけで実害はなかった……と思うのだけど、楽観的に便利だなと思うだけで本当にその時の私は病魔の事を軽く見ていたのだ。風潮こそ悪かったものの、首に徐々に浮き出る痣の事すらも私は特に悪いことではないと思っていた私は特別な人間になれた気がしていた。
……それが後に自分を悩ますことになるとは露程も知らず。
異変を感じたのはその先の事。首の痣が徐々に浮き出て女の子として悩みのタネになってきた頃、包帯で首を隠すようにしていた私は首の痣が濃くなったのと同時に透視が制御することが出来ず、服が透けるどころか人間の皮の下、筋繊維の奥、内臓まで見えるようになってしまった。症状が酷くなった私はすぐに病院に通ったがどうすることもできないと医者には匙を投げられた。
それから地獄の日々が続いた。人の内臓を見ては吐く毎日だった。食べたものは喉を通っても、胃で消化されようとも、人の臓器が透けて見えて気分が悪くなってしまい嘔吐して……いつしか食べ物を胃が受け付ける事すらなくなってしまった。また病院に通えば、医者もどうすることもできないとまた匙を投げた。
私はそれから痩せて、窶れて、心身共に疲れ切って、このままでは生命の危機だと診断された。このまま拒食が続けば死ぬだろうと断言されて事態の深刻さに初めて気づいた。
両親は無我夢中で病魔の専門家に連絡して、相談した。しかし病魔の専門家とやらは金を取るだけ取ってまともな相談をしてくれやしない。それどころか当時中学生だった私を性的な目で見ていた。科学的にもオカルト的にも解明されていない病魔の専門家なんて怪しい者に頼ったのがそもそもの間違い。一縷の希望も、結局のところ希望は希望であって特効薬になることはなく解決には至らなかった。もう、その時には「消えたい」と願っていた。希望も何も失くした私が願ったのはそんな絶望的な願いだった。
辛い毎日を繰り返すたび、いつしか学校に行っても保健室に通うことが多くなった私。授業ですら教師の顔もまともに見れず、机にしがみついていた。友達からも出来るだけ距離を取って生活した。右も左も前も後ろも見ては吐き気を催す私が唯一、対抗できるとしたらそうやって人と距離を取って生活することだった。
そんな時だ。……彼が病魔を宿しているという噂を耳にしたのは。
桜木春陽。同じ小学校出身の同級生の間では有名な話らしい。なんでも彼は病魔を幼い頃から患っており、もう何年と病魔と共存しているという噂が広まっていた。その噂は噂に留まっていて、事実かどうかは確認できていない。それでも私は一縷の希望を持って彼に接触してみることにした。もしかしたら、私の悩みを解決してくれる気がして、私は中学三年の春、偶然にも同じクラスになった桜木春陽の元へ足を運ぶことになる。この時の私は桃香ちゃんと彼が幼馴染だという事を知らなくて、桃香ちゃんとは友達だったけど、あまり彼と話したことのない私は勇気を振り絞って話しかけようとしたけど、どう話しかけていいか、病魔の話を切り出していいものか悩んだ挙句、結局は話しかけられなかったのだけど、結果的にはそれが良かったのだと思う。
授業中、欠伸をする彼の噂が気になってふと視線を向けた時、思わず内臓を見ることになってしまった。けれど、不思議と見えた内臓が他の人の臓器と比べて綺麗だったのだ。いや、綺麗過ぎた。他の人の臓器を見た時は込み上げてくる吐き気がないどころか、私はどこか彼の臓器の色に魅入られてしまった。気持ち悪くない。気持ち悪くないのだ。赤じゃなくて、紅でもなくて、真紅で、深紅、緋色、茜色の言い表せない美しい色だった。
思わず、私は見惚れてしまった。不覚にも、彼の臓器は見ていて気持ち悪くないものだったのだ。
それから私は眺めた。眺めて眺めて眺め続けた。彼の臓器を見ていれば、他の人の臓器を見ることはなくなった。視線だけで彼の姿を追う日々が始まった時、私は……。「このまま彼の臓器を眺めていられるならもうそれでいい」と、心の何処かでそう思っていた。
◇
「……あれ?」
そうやって桜木春陽、彼の臓器を眺めるだけの日々が続いたある日の事。いつも通り起きた私はやけに肌寒いことに気づいた。それもそのはず、寝間着のパジャマが寝ている間に脱げていて、裸になった私がいた。もちろん寝ている間にも夜の間にも脱いだ覚えはないし、まして裸で寝た記憶もない。取り敢えず、服を着て学校に行く準備をしようと思って下着と制服に手を伸ばした時、今朝起きた時の違和感をはっきりと感じることになってしまった。
「……なんで?なんでなの?」
いくら手を伸ばせど、指先は空を切り衣服を掠めるだけで通り抜けて行く。衣服に触れなかったのだ。
「え、え、なんで?どうして?」
動揺してしまった私はあと数回繰り返してから、諦めてベッドにへたり込んだ。このままじゃ遅刻するなんてそんな小さな問題でもないのに私はそんな小さなことばかりを考えていた。だからまぁ、あまり遅いと母親が起こしに来るはずでそれも時間の問題だと落ち着いた思考を取り戻した時、ふと時計に向けた視線で気づいてしまう。
時計の針はもう既に遅刻寸前、家から走っても間に合わないほどの時間になっていたのだ。流石の私も焦り過ぎて今の時間を気にしている余裕はなかったのだ。
次に気づいた違和感はこの時間になっても母親が起こしに来ないことで、それが不安になった私はどうにか何も触れない手で身体の局部を隠して階下に降りた。
「お、お母さん」
リビングにはいつも通り食欲を唆るいい匂い。覗き込むようにしてリビングへ顔を出した私は、また言いようのない違和感に気づいてしまった。
いつも通り、両親の姿はそこにあった。食卓を二人で囲んでいて楽しげな雰囲気だった。それはいい。でも、それだけには止まらず、私はいつも用意されている食事が二人分しかないことに気づいてしまった。
……嫌な、予感がした。
「ちょっとこっちに来て欲しいんだけど」
この際、テーブルの上に両親の分しか食事が用意されていないことには目を瞑るとして、私は母親を呼んでみたが聞こえていないのか母親は私を無視した。
「ねぇ、ちょっと!」
今度は声を荒げてみた。
それでも、二人はこっちを見向きもしなかった。
「……悪い冗談はやめてよ。私が病魔を発症したのが悪いの?それなら頑張って治すから、だから私のこと無視しないでよ。ねぇ、お母さん!お父さん!」
もう、裸を父に見られても構うものかと自棄になってリビングの中へと入る。二人の前に全裸で登場した私は二人を振り向かせようと躍起になって肩に手を置こうとした時、手は肩を透かして空を切った。
私は人にすら触れなくなってしまったのだ。そう、理解したのはすぐのこと。
「……誰かの声が聞こえなかったか?」
「もう、朝から変なことを言うのはやめてよあなた」
「そうだな。少し意地悪をした」
それが父の謝罪の言葉だと私は思った。そう思いたかった。
「ごめんな、ママ」
「あなたったら私が今日一日この家で夜まで一人のことを知ってて言うんだから」
「子供がいればいいのになー」
「そうね。もうそろそろ子供欲しいわよね」
私がいるのに。私は二人の子供なのに。
どうして二人は私のことをいなかったことにするの?
どうして二人は二人だけで幸せそうなの?
私の居場所はどこだっけ……?
「じゃあ、そろそろ行って来る」
「気をつけてね、あなた」
食事が終わって父が席を立つ。隣に裸でいた娘の私に目もくれず、私の身体を擦り抜けて存在にすら気づくことはなかった。
この世界で孤独に泣いて、泣いて、泣いて。泣き疲れて心を擦り切らしてしまった私は、衣服を諦めてまずは私のことが見える人を探した。出来るだけ物陰に隠れるという本末転倒を繰り返して、人気のない場所を歩いた。友達を頼ろうにも携帯を操作することすら叶わず、ひたすら裸足で歩いているといつの間にか下校時刻になっており、帰路につく学生が増え始めた。
その頃には羞恥心がなくなっていて、なりふり構っていられなかった私は出来るだけ人目につこうとした。でも、結果は誰も見向きもしてくれなくて、吐き気に悩まされるだけとなった。
繰り返し、繰り返し、誰かに声を掛けて無視される。もう誰とも話すことも、会うことも、ダメなんだと知った私は偶然にも見つけた友達の桃香ちゃんの跡をつけることにした。
そうやって家に着いた時、これまた偶然にも私は彼を目にすることになる。とある部屋へと入った桃香ちゃんが会いに来たのは、同じ屋根の下に暮らす、あの臓器と噂の彼。そういえば、中学生にもなって幼馴染と風呂に入っているという話を咎めたことがあったが、それがまさか桜木春陽だとは知らなくて私は少し吃驚してしまった。
「あんた勉強は?」
「あとでやる」
「あんた受験生って自覚あるの?」
「……おう」
「あたしが勉強見てあげるから今やりなさい」
「げっ」
至って普通の会話。世話を焼く、幼馴染のようなそれ。
嫌がる彼に無理やり勉強をさせること数時間、夕食までノンストップで桃香ちゃんは彼の部屋に居座った。
夕食が終わると彼は好き勝手にゲームや漫画、アニメ鑑賞を楽しみ始め、桃香ちゃんは自室で勉強を再開したらしく私は彼と二人きりになった。
なんで桃香ちゃんの部屋に戻らなかったのか。結局見えていないのなら、両親と同じ反応を返した彼女に憑いているよりも彼を見ていた方が少し精神的に楽だったのだ。
ベッドの上に腰掛けて、私は机に向かっている彼を眺めていた。ライトノベルを読んでいる彼を裸で眺めているという奇妙な状況に少し戸惑いながらも収まるべくして収まったような妙な安心を覚えていたのだ。
それから何時間と眺めていただろうか。お風呂が空いたという桃香ちゃんの声に適当な返事をして、ようやく本を置いた彼がじっとベッドの上に座る私を凝視して来た。私も思わず見えないはずの裸を隠してしまったが、今までも見えていなかったのだから今も見えていないだろうと諦念しながらも微かな希望に縋っていた。
春陽君は少し考え込んだ後、ベッドの上に座る私に向けて言った。
「誰かいるのか?」
「えっ……」
その言葉がどれだけ嬉しかったか。裸でいるのも忘れて、私は大声で応えた。
「うん。私、ここにいるよ!」
「……気のせいか?」
しかし、私の病魔は特に残酷で私の声を届けてはくれなかった。それが出来るのであれば、今頃これだけ泣き腫らした目で、裸で、そうはならなかったかもしれない。けれど、怪訝に思った春陽君は椅子から立ち上がるとベッドに迷わず足を進めて、目を細めて私のいる場所を凝視し続けると今度は手を伸ばす。
「ん?なんだこれ」
「……え?」
伸ばされた春陽君の手が掴んだのは、私の成長途中のおっぱい。右手だったから心臓に一番近い左の乳房だった。
ぷにっ。ふにふに。と感触を確かめるように撫で回すと、捏ねくり回し、果てには私を押し倒して抱き締めるなどの行為をしてきた。
思わず変な声を上げてしまいそうになった私は春陽君にされるがまま。
そうして難しい顔で堪能した後、春陽君は私の存在に初めて気づいたかのように私と視線を合わせて、数秒見つめ合った。
「……お、おう?倉科さんだっけ」
「わ、私が見えるの?触れるの?わかるの?」
「前半の質問の意図はわからないがまぁそうだな。わかるか、という質問に対してはおまえを然程知っているわけでもないから、クラスメイトだとかそんな認識でいいか?」
私にはそれで十分だった。涙が溢れて、すぐに視界は滲んでしまう。
「えっ、ちょ、おっぱいとか揉んだこととか謝るから。どんな罰でも受けるから通報とか社会的抹殺だけは勘弁してください!」
零れ落ちる涙をどう勘違いしたのか、私が押し倒されて襲われて怖くて泣いていると勘違いしたらしい。急にオロオロとし始める彼がおかしくて今度は笑ってしまった。
泣き笑い。私はやっと、笑えたのだ。
こんな状況でも、私と話せる人がいることに安心したのだ。
それまたどう思ったのか今度は、力づくで押さえつけられて口を塞がれる始末、コロコロと転がる急展開に私は目を白黒とさせながら彼に口を封じられてしまった。
なんというか、強姦される一歩手前のような……。
「叫ぶのはなしで。落ち着け倉科。おまえが叫ばないのなら俺は何もしない。だから、取り敢えず落ち着け倉科」
どうやら口封じがしたかったらしく、私はそんなこと関係なしに素直に従った。
「落ち着いたか?」という問いにこくりと頷く、そうすると安堵して彼は私の口から手を退けてくれた。
「……ふぅ。さて、何から話そうか?示談金なら払えないぞ。あっ、そうだ」
今度は「ちょっと待ってろ」と言ってスマホを取り出す。横にスライドしてからこちらにスマホのレンズを向けてパシャリと撮った。それも私の裸の写真を。
「わかるな倉科?これは保険だ。倉科が誰かにこの事をバラした場合、俺はこれをばら撒く」
スマホの画面を見せられる。そこには先程撮影した私の裸の写真が写っていた。
「ちょ、ちょっとなんで撮ってるの!?消して!」
「無理だ。桃香にバラされたらマズイ、色々と」
「そんなことしないから!だって、私、今君以外に見えないんだよ」
「……それはどういう意味だ?」
これまでに至る経緯を私は掻い摘んで説明した。
もう、なりふり構っていられない。私はこんな孤独に耐えられない。
黙っていた、相談したかった全てを打ち明けた。
「……ふーん。なるほど」
小一時間に渡る説明に春陽君は飽きる事なく付き合ってくれた。でも、私からの話が終わるなりスマホを弄り始めてしまったあたり私の話なんて興味なんてなかったのだろう。そう思って俯いていると、彼は目前にスマホの画面を突き出す。
「悪かったな。データは消したから、安心しろ」
「……春陽君」
こんな状況は変わっていないにも拘らず、私は誰かに話せた事で心は軽くなっていた。
春陽君は出来るだけ視線を逸らしてくれてはいるが、ちょっとチラチラとこちらを見てくるあたりそれは仕方ないのかもしれない。健全な男の子の前に裸でいる私もどうかと思うが、こればっかりは仕方がないのだ。
それにさっき胸を揉んだのも見えていなかったかららしく、気配を感じただけで私を探り当てたというので変な所を触ったりしたのも事故だと思うことにした。
その彼といえば、腕を組んで顎に手を当て考え込むようなポーズを取っている。
「なんで俺の部屋に裸でいるんだ?」
「……そ、それは、服が着れないからで」
「いや、そうじゃなくて、なんで俺の部屋にいるんだ?俺じゃなくても良かっただろ」
「……そ、それは」
言えない。臓器が綺麗だったから自然と春陽君の臓器を見ていたなんて。口が裂けても言えない。
「う、噂で春陽君が病魔を昔から宿してるって聞いたから……私の力になってくれるんじゃないかって」
「まぁ、噂は噂だからな。興味本位で聞いてくる奴には嘘を教えてるが、倉科は桃香の友達だし仮にもクラスメイトだし可愛いから協力しないこともないけど。俺は別に病魔の専門家でもなんでもないぞ」
「それはいいの。……でも、簡単に認めるんだ。病魔を宿してるって」
「その点で言えば俺は倉科の先輩であるわけだし、そんな傷だらけの様子でお願いされたら断れないだろ。俺は困って頼ってきた女の子を押し返せるほど精神は強くないんでな」
はぁ、とため息を吐いてガシガシと頭の裏を掻く。
「だがなぁ倉科、裸で男の部屋に来るなんて俺じゃなかったら迷わず襲ってたぞ。しかも存在が誰にも認識されないとか好きなことやりたい放題じゃないか」
「は、春陽君は私に何かしたいの……?」
「倉科は結構クラスでも人気あるだろ。桃香から聞いた。まぁ俺の目から見ても美人だし綺麗だと思わなくもないけど、別に興味はないからどうでもいいが。それとこれとは別で倉科に触りたいと思うのは当然だろ」
とてもオブラートにエッチなことしたいって顔に出てた。でも、手を出してこないあたり春陽君は優しい性格なんだろうなと私は思わず安心してしまうわけで、ちょっと泣けてきた。
「まぁ、取り敢えず風呂に入れよ。じゃないと俺が汚したって怒られる」
「へっ?」
彼が指差したベッドのシーツ、床に至るまで、裸足で出歩いていた私の足跡がついていた。
私は自分の足裏を見て、苦笑してしまうのだった。
「ここにいるよ」私の足跡がそう言っているような気がして、純粋に私がいた証を残しているような、そんな気持ちになれたのだから。
続。