目が覚める。
あの日の夢を見た事で未だうるさい心臓を落ち着かせるために深呼吸をする。
しばらくして落ち着いてから自分が昨日ホテルに泊まったことを思い出し、ようやく意識が覚醒する。
隣では同行者の少女と幼女がまだ寝息を立てていた。
まだ寝たままの二人を起こさないようにベッドから身を起こす。
寝具の暖かさから抜けて、空気の冷たさに身を震わせる。
もうすぐ春だというのに未だ寒さの方が強い。
素足を冷たい空気に晒しながら部屋の窓に近づき、閉め切ったカーテンを少しだけ開けて外を覗く。
登り始めた朝日の光が視界に差し込んできた。
それと同時に聳え立つ黒く巨大な、恐らく魔女であろうと推測した存在も目に入った。
これほど距離が離れているのにも関わらず、容易に目測できる程の巨大な魔女は今日も今日とて両手を上げて、己の頭上に浮かぶ球体を讃えていた。
今から2ヶ月程前。
あの魔女によって世界はあっさりと滅んだ。
魔法少女と魔女だけを残して。
「忘れ物はないな? ユイ」
ユイと呼ばれた幼女は自分の荷物が入ったリュックの中身を確認し、コクリと頷く。
そんなやり取りを横目に自分も身支度をしていく。
カロリーメイトとお茶という質素な朝食を終えた後、身支度と出発の準備を整えていた。
世界が終末を迎えようと身支度は女の子の習慣。
いつ死ぬかもわからないとは言え、まだ生きている内は清潔に綺麗でありたいと思うのは当たり前だった。
肩にまでかかる黒髪をとかし終えた後、後ろで一纏めにして結わえる。
ポニーテール。
お気に入りの青いリボンで結ばれた一房の髪が揺れる。
ふと見た窓の外から覗く空は雲一つない晴天で平和そのものだった。
「おい、ナルミ。早くしろ」
声をかけられ、振り返る。
ジーンズに長袖のシャツを着たラフな格好の茶髪の少女と青い長袖ワンピースを着た幼女が部屋の玄関に立っていた。
「うん。行こうか。アカネ、ユイ」
少女達は部屋から出る。
バタンと音を立ててドアが閉まった。
誰も居なくなった部屋が静寂に満ちる。
部屋の机の上にカロリーメイトの空箱が残されていた。
ナルミは今朝見た夢を思い返す。
あの日。
世界が終わった日。
始まりは突然だった。
いつもと変わらない日々。
見滝原市という町では大きな災害が起こっていても所詮遠い町の話。
いつもの様に学校に行って、暇な授業を受けて、友達と下らない話をして、その放課後。
ショッピングモールに入っている美味しいアイスクリーム屋のアイスを買って帰ろうとモール内を歩いていた時。
それは現れた。
ソウルジェムから感じた強烈を超えた、もはや凄惨と言うべき魔女反応。
気づいた時にはもう始まっていた。
周囲の人々が一斉に眩い光に包まれて溶けていく。
悲鳴が上がる暇すらなかった。
恐らく誰も何も分からなかっただろう。
いっそ穏やかですらあった。
全てを終えた光は空の彼方へと飛び去っていった。
僅か数十秒の出来事だった。
そしてナルミがその間にできた事。
それは一番近くにいた女の子を抱きしめる事だけだった。
その時、反射的に変身したナルミは混乱の極みにあった。
痛い程に魔女反応を訴えかけるソウルジェム。
謎の光に溶かされていく人々。
何をしていいかも分からず、隣を見る。
小さな女の子が光に包まれていた。
咄嗟に抱きしめる。
助けなければという思いが逸っての反射的な行動だった。
ナルミの能力は魔女という存在を拒絶する力。
この現象が魔女によるものならばあるいは、という思考が頭の中を駆け巡る。
殆ど賭けだった。
これ程の規模の現象を起こす魔女に対して、能力が通じる保証もない上に、既に光に包まれた時点で手遅れの可能性もある。
それでも今、ナルミにできる事はこれだけしかなかった。
果たして奇跡は為された。
全てが終わった後、その場に残ったのはナルミとその女の子———ユイだけだった。
あの魔女はこの世の生命を悉く奪い尽くしたのだろう。
ナルミはあの日以来、ユイ以外に生きた人間は愚か、鳥に猫や犬、虫に魚といったあらゆる生き物を見たことがなかった。
呼べばいつでも現れたあのキュウべえも居なくなっていた。
今や行く先で出会うのは魔女か使い魔か魔法少女だけ。
それも専ら魔女か使い魔ばかりだが。
「ナルミ。いつもの奴のお出ましだ」
ビジネス街。
静かにビルが立ち並び、あの日のままに車が乱雑する道路を横目に歩道を歩いていると、アカネが立ち止まる。
そして魔法少女に変身して、武器の双剣を構えた。
その見据える先に天秤に翼が生えた姿をした使い魔が数匹いた。
アカネがいつもの、と言う様にあの使い魔は行く先々でナルミたちの前に現れていた。
それも今回の様に結界の中ではなく、現実でだ。
ナルミたちは恐らくあの魔女の使い魔だと考えていた。
アレが現れ始めたのはあの日以降で、かつ結界を持たない魔女が目の前に聳え立っていたからだ。
「わかった。ユイをお願い。すぐに終わらせる」
ナルミも変身し、得物の杖を構える。
杖先についた双子の鈴が小気味よく鳴る。
その音に反応したのか使い魔たちがこちらに飛来してくる。
「消えて」
杖を一振り。
空中に小さな円形の魔法陣がいくつも浮かび上がると同時にそれらから細い光線が放たれる。
使い魔たちは避ける暇もなく、光線に貫かれて体が散り散りになり消滅した。
が、一匹だけ逃れた使い魔がナルミに迫り、髪飾りと化したソウルジェムを狙う。
そしてナルミの目の前に来た瞬間に幾筋もの光線に貫かれて消滅した。
生き残りがいない事を確認して変身を解く。
「お疲れさん。相変わらず強いな。お前の魔女特攻の能力」
殲滅が終わって同じく変身を解いたアカネが労いの言葉をかける。
ナルミはそれに肩を竦めた。
「それだけだよ。他に何の役にも立ちやしない」
ナルミの能力。
魔女を拒絶する力。
それは魔女の能力による干渉を跳ね除けて打ち砕く、魔女に対する絶対の力。
魔女のあらゆる攻撃を防ぎ、あらゆる防御を貫く彼女の前に立った魔女はその杖の一振りで悉く葬られてきた。
もし魔法少女が単純に魔女だけを相手にしていればいい存在だったならまさしく無敵の魔法少女だった。
だが弱点はそれだけだった事だった。
強すぎる能力の代償とでも言うかのように魔法少女であるはずのナルミの身体能力は変身しても一般人に毛の生えた程度のものだった。
また魔女に対して無敵の能力でも他の存在に対して全く無力で、魔力を帯びた攻撃は魔法少女はおろか他の生物全て、虫ですら当たる直前に魔力が霧散して無効化され、結界などによる防御は何の力を持たないユイにすら素通りされる始末。
もし他の魔法少女と争いになれば敗北必至の極端な能力だった。
「それでいいのさ。適材適所って言うだろ。それ以上強かったら私の役割がなくなっちまうし」
そしてその有事の際の護衛がアカネの役割である。
対魔女において最強の存在であるナルミをそれ以外の全てから守護する、謂わば露払いをアカネはナルミ達と出会った時に紆余曲折はあっって自ら買って出た。
アカネは決して弱い魔法少女ではない。
あの日以来、急激に増加した魔女たちをナルミ達と出会うまで一人で狩り続けてきた。
魔法少女との争いも少なからず経験し、その全てに打ち勝ってきた。
ナルミにとってもそんな強い魔法少女が自分の護衛をしてくれる事は願ってもなかった。
そして旅路に道連れが一人増えて、今に至る。
ユイがナルミの服の裾を引っ張る。
それと同時に可愛らしい腹の音が鳴った。
着けた腕時計が正午過ぎを指していた。
「もうお昼。時間が経つのが早いね」
「おっ、飯の時間か。待ってました」
アカネが待ち切れないという様にそわそわし始める。
ナルミはユイにカロリーメイトを渡しながら、その様子に嘆息した。
「期待するのは勝手だけど、アカネと私の分は必要最低限だけだよ」
「もしかしてまたアレだけ?」
途端に目に見えてアカネの機嫌が下がる。
空腹を訴える様に大げさに両手で自分の腹を撫で回し始める。
「仕方ないでしょ。食糧にも限りがあるんだし。どうとでもなる魔法少女の私達はできる限り削って、ユイに多く与えるのが当然でしょ」
あの日以来、ライフラインは止まりつつあり、当然、生鮮食品は腐っていく。
生き残った魔法少女の仕業だろう、何処の食品売り場も非常食や腐りにくいものは軒並み盗られている事が多く、食料の確保は日に日に困難になっている。
まだ余裕のある時こそ節約していかねばならない。
「そりゃそうだけど。いくら魔法少女と言えどカロリーメイト一欠片だけ3日連続は流石にちょっとこう、精神衛生上よろしくないというか」
せめて一本分はと食い下がってくるアカネにナルミが再び嘆息していると、その裾をユイが引っ張る。
振り向くと、ユイは自分の分のカロリーを半分に割って、差し出してきた。
「ユイ、いいんだよ気にしなくて。私達は魔法少女で普通の人よりかなり丈夫だから、あんまり食べなくても……」
ユイは首を横に振り、なおもカロリーメイトを差し出す。
口では何も語らないが、その目は断固として譲らない意思を十分過ぎる程に語っていた。
「わかった、降参。私達もしっかり食べるから、あなたもそれをちゃんと食べてね。お願い」
ユイはその言葉を聞いて、頷くとゆっくりとカロリーメイトを頬張り始めた。
その様子を認めて、ナルミはアカネに向き直る。
「今日はだけだからね」
「っし! サンキュー! 欠片と丸々一つとじゃ満足感が全く違うからな」
投げ渡されたカロリーメイトを受け取ると、アカネは早速、中身を食らいつき始めた。
非常に満足そうな顔している。
たまにはこういうのもいいかと思い、ナルミも自分の分に齧り付く。
世界が終わってもカロリーメイトのパサつきと味は変わらない。
口に潤いを戻すために水を飲み、一息つく。
ふと目に入る天を衝く魔女の姿。
あれから幾日を過ぎても、変わる事はない。
きっと全てを奪ったあの魔女を激しく憎悪する事が正しい感情の動きなのだろう。
けれど自問すれど、あの魔女を憎む気持ちはあまり湧いてこない。
純粋に憎むには、あの日はあまりにも多くの事が起こり過ぎた。
その全てを受け入れる程、ナルミの心は強くはなかった。
もしそれが出来たなら、今こうして生きている事はなく、あの日に
そして今でも時々考えてしまう。
あの日何も知らずに終わった方が良かったのではないかと。
そうすれば誰も何も手にかける事なく、何も知らず罪を自覚する事も犯す事もせずに済んで幸せだったのではないかと。
「おい」
かけられた声にハッとし、ナルミが思考から浮上するとグリーフシードが目の前に迫ってきた。
反射的にそれを掴み取る。
気づくとアカネがこちらを厳しい目つきで見ていた。
彼女がグリーフシードを投げて寄越したようだ。
「どうせまたろくでもない事考えてたろ?」
ナルミは図星を突かれ、言葉につまる。
見透かされていたらしい。
「ごめん、ちょっとね。でもグリーフシードを使う程じゃ」
「いいから使っとけ。万が一を起こしてあたしに面倒臭い事させる気? まあ、アンタがなったところでどうせ虫も殺せない雑魚だろうけど」
あんまりな言い様にナルミはむしろ笑みが零れた。
「ふふ、酷い言い様だね。今ので私が絶望したらどうするの?」
「だからそれを渡してんだろ。第一、今のでなる様な奴ならあの日になってるだろ」
「あの日にならなかったのは本当にたまたま。運良く沢山の事が起こり過ぎて絶望する余裕すらなかっただけの弱い魔法少女だよ。私は」
中指に嵌めた指輪をソウルジェムに変身させる。
純白の光を放つはずのそれは少し霞んでおり、その輝きに陰りを見せていた。
もらったグリーフシードを当てる。
「ナルミは強えよ」
グリーフシードが穢れを吸い取り、ソウルジェムが輝きを取り戻す。
「そうだといいんだけどね」
穢れを吸い終えたグリーフシードを手で弄ぶ。
「ユイを守ってここまで生きてきたんだろ。十分強えよ」
「ありがと」
その一言と一緒にアカネにグリーフシードが投げ返される。
「大丈夫。途中で諦めるつもりはないから」
そこまで言ってナルミは自分の分を食べ終えたユイがこちらを見ているのに気付いた。
その頭を優しく撫でる。
ユイは気持ち良さそうに目を細める。
「必ずユイを見滝原まで連れていく。絶対に母親の元に送り届ける」
ナルミはアカネを力強く見据える。
「それまで魔法少女をやめるつもりはないよ」
「そうかい」
アカネは再びカロリーメイトに齧り付く。
ナルミも自分の分を手早く口の中へ運んだ。
「生きてる人間。それも少女」
聳え立つビルの屋上からナルミ達を見下ろす影。
「奇跡。ああなんて奇跡。うふ、ふふふはははふふふ」
影は嗤う。
「待っててカスミ。もうすぐ。もうすぐあなたを助けられる。そうすればまた一緒に」
嗤いは、止まらない。