シャルティアになったモモンガ様が魔法学院に入学したり建国したりする話【帝国編】 作:ほとばしるメロン果汁
「はぁ――」
「あ……あの、陛下……」
「待てッ! ……しばし待て。お前たちの意見は後で聞く、今は――」
傍に控える騎士達の声に不愛想な声で返し、机に伏せたままの頭を掻きむしる。
視界の隅で机の上に自らの髪の毛が舞い落ちたが、気にしてなどいられない。
昼下がりの光が差す帝城。現皇帝ジルクニフの政務を執り行う執務室。
今までジルクニフは様々な命令をこの部屋から下してきた。貴族の粛清、帝国を揺るがす反乱の鎮圧、隣国との戦争、どんな状況でも決して混乱などしなかった。だが今この場に関しては頭を抱えるほかない。
チラリッと、冷や汗が落ちていた机から視線を上げ、睨むように部屋中央にいる人物を見る。
茶色く短い髪と、若さが熟したような顔立ち。あったはずの長い髭がなくなり、老いていた体は引き締まった筋肉と純白のローブに覆われた人物。困惑と混乱する弟子や文官達周りに囲いながら、まるで子供が自慢話をするように、西門で出迎えた人物の素晴らしさを説いていた。
――ジルクニフの苦悩も知らずに。
「フールーダ……先の話、全て本当なのだろうな?」
「無論です陛下。わが生涯の魔法研究全て……とは言っても『あの御方』に比べれば虫以下のものとなってしまいますが、私の全てをかけても構いません」
絞り出す様に尋ねた自らの声、それに答える嬉々とした声。
その返答に再び頭を抱える。わかってはいるのだ、その場にいたバジウッド直属の騎士も先ほどこの部屋に転がり込んできたのだから。今その御方とやらは、大通りを通りこの城へ向かっている。
(万が一の予想はしていたが……蓋を開けてみればあまりにも予想以上……いや、雲の上のような存在という訳か)
気のせいか胃がキリキリ痛み始めた気がする。皇帝の座についてから、これほどの重圧を感じるのは初めてかもしれない。
そこから生まれた不安を紛らわす様に、傍にあったカップの冷めきった茶を飲みほした。
♦
――コトッ、という音に視線を向けずに手を伸ばす。
いつもの決まった場所にカップが置かれ、ジルクニフが執務中に好む温かい茶が注がれていた。メイドが静かに扉を閉めるのを視界の隅で確認しつつ、カップを片手に持ち目の前の報告書を読み解く。
報告書の内容は『シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウンなる人物について』彼女の魔法、アゼルリシア山脈にいた理由、ドワーフ族との関係、銀糸鳥の報告とブレイン・アングラウス。それと彼女の探している人物たちについての調査に関する中間報告もあった。
正直に言えば眉唾な部分が多すぎる。特に銀糸鳥と接触する以前に関して全て本当だとすると、一個人で成し遂げた事とは到底思えなかった。最後の報告にあるブレイン・アングラウスを素手で屈服させたというだけでも十分脅威ではあるが。
「――ふぅ」
重いため息とともに椅子に背を預け、気を落ち着かせる。どちらにせよ今日の夕方頃にはすべてわかる事だ。ここ数日ソワソワ落ち着かなかった爺――フールーダはバジウッドとレイナース、そして
フールーダの
少女の捜している人物たちについての成果はさっぱりだった。もっとも、調査を始めてまだ十日も経っていない。彼女が帝国に着く今日この日に、交渉カードにできなかったのは少々残念だが、既に調査を始めていることをアピールするしかない。
「ん? ……何事だ?」
そこまで考えを終えた時、違和感を感じた。部屋にはジルクニフ一人しかいないが、部屋の外に城に似つかわしくない怒声が聞こえた気がした。この部屋の壁は防壁と言ってもよいほど分厚く強固に作られている。外の騒ぎが聞こえるという事は、それほどの事が起きているという事だ。
「陛下! 城内に侵入者ですッ!」
「なんだと」
扉の前に立っていた見張りの騎士と共に、四騎士であるニンブルが部屋に飛び込んでくる。彼が礼儀知らずというわけではない、それほどの事態という事だ。ジルクニフも思わず立ち上がった。
「城上空からです、
「眠らされて……? しかしこのタイミングで上空から?」
(警備情報が漏れていた? ……いや、それは今考えることではないか)
目の前の焦った顔ぶれに、なんでもないように鼻で笑いながら返事を返す。
「待て、落ち着け。皇帝が皇城を捨てて逃げだしたとなれば、貴族共の笑い話を一つ作ってやることになる。それより相手は何人だ? 眠らされているだけで殺されてはいないのか?」
「確認できたのは一人だけです。魔法詠唱者と思われますが、なんらかの魔法で
「そうか……それで十分だ。お前たちの忠義はうれしいが、ここを動く必要はなさそうだな」
貴族共の首を掴んでいる鮮血帝としては動くわけにはいかない。
たった一人の侵入者のため城から逃げ出したなどと貴族共に広がれば、蜂起する可能性が高い。小さな火種が国を分けた内戦などに発展すれば、国力の低下は火を見るよりも明らかだ。
それに相手は殺しはしてないようだ。勿論この城に侵入しようなどという賊の考えなどはわからない。ただ皇帝ジルクニフの首を取りにきたとなれば、見張りを眠らせるなどというまどろっこしい手を使うとは思えない。
(何か別の目的があるのだろうな……白昼侵入し、騒ぎになった。それが陽動だった場合は、他の侵入者の線を考えねばならないが)
そこまで考えて椅子に静かに座りなおす。こちらを見ていたニンブルも、ジルクニフの考えが少し伝わったのか落ち着きを取り戻していた。
「この騒ぎ自体が囮という可能性もある。宝物庫など重要施設の警護状況をすぐに確認せよ。それと文官達にこの部屋に集まるように通達を出せ。後は――」
今日これから迎えるはずだった人物にはどう対応するか。そこまで考えたところで部屋の隅、窓の外から声が聞こえた。
――「ジ~ル~」
ニンブルとともに首をゆっくり向ける。
白いローブを着た見覚えのない男が、嬉々とした表情で皇帝執務室の窓に張り付いていた。
「何者だッ!」
窓を破り侵入してきた男と悠然と座ったままのジルクニフ、その間に割って入るように剣を抜いたニンブル達騎士が並ぶ。そんな光景が目に入っていないのか「もう少し強度を上げるべきですな」などと割れたガラスをしげしげと見ている侵入者の男。
黒い瞳やその態度には一切の敵意が感じられない。短く茶色い髪と健康的に引き締まった体、そしてその体を覆う白いローブやネックレス――
(まさか……)
ふとその姿と共に浮かんだ予想に確信はない。むしろ自分でも信じられないモノだ。ジルクニフが幼いころから知っている変わらない姿とは、似ても似つかないどころか全くの別人だ。
だがジルクニフ自身の考えがそこに疑問を挟む。
見覚えのあるローブとネックレス、そして指輪。初めて会った侵入者にも関わらず『ジル』などと愛称で呼ぶ気安さとその態度。なにより、今日迎える実力不明の来客への対応で送り出した者達。
(可能性は限りなく低い……だがこの予想が当たっていたとすれば……いや、ただの幻術魔法という事もありえる……のか?)
予想が当たっていれば、僅かに考えていた神話の如き力を持った人物が来てしまった事に。ただの幻術だとしても、
どちらにせよ確かめないわけにはいかない。自らの不安が間違っていることを確認したい。騎士達が今にも切りかからん状況だったが、内心の動揺を表に出さず座ったまま声をかける。
「待てッ、もしや……………………………………………………………………………爺、か?」
「え?」「陛下?」「……フールーダ、様?」
部屋に張り詰めていた空気が突如霧散する。対峙している相手から目を離し、ジルクニフをまじまじと見る騎士。前に立っていたニンブルは間の抜けた声を出し、侵入者の全身を上から下まで確かめる様に見ている。そしてその当事者は――
「おおぉ! 流石ジル! 姿は変わってもすぐに私とわかるとは、どこで……やはりジルと呼んだ辺りでしょうか?」
両手を広げ今にも踊りだしそうな喜びを体全体で表しながら、呑気な事を言い出したのだった。
♦
冷めきった茶を飲み終え、改めて部屋を見回した。
自称フールーダとなった人物が部屋に侵入してから、この部屋はひっくり返したような大騒ぎだった。
まずなによりもその人物が本当にフールーダかどうかを確かめねばならない。選ばれし三十人の中でも幻術魔法に詳しい者達が急ぎ呼ばれたが、結果はジルクニフの予想通り正真正銘『若返ったフールーダ・パラダイン』という事だった。
本人しか知り得ない事を集まった文官達が確かめていき、ジルクニフ自らも幼い頃まで巡って質問を投げかけ、それとなく機密も絡めた質問までしたが全て完璧に答えてしまっていた。
なぜ騒ぎになったかと言えば、
確認のさなかに、西門にいたバジウッド直属の騎士達が早馬で状況を伝えてきた事で、その場で何があったのか理解した面々はフールーダの話を聞く弟子たちを除き、途方に暮れるようにジルクニフを見つめていた。
(ひとまず、下手に刺激などせず最上級の歓待準備をすべきだろうな)
呆けていた文官の一人に急ぎ指示を出す。その際「メイドではなく若い男を給仕に用意しろ」と伝えておく。次にバジウッドに対して使いを出し予定通り案内するようにと、念のため
「――はぁ、みな落ち着け。爺……もだ」
若い姿の人物を『爺』と呼ぶ抵抗感を僅かに感じながら、椅子から立ち上がる。
大騒ぎから戸惑いに包まれていた部屋には騎士と文官達、そして若返ったフールーダとその弟子である選ばれし三十人の主だった者と、ある意味この国を動かしている面々が揃ってジルクニフを見ている。
「もっとも分かりやすい展開ではないか、『絶対に逆らうわけにはいかない存在』ある意味では皇帝である私以上だぞ。そのような人物がドワーフ国とともに取引にきたのだ。それはお互いの利益を探り、話し合いをするという考えに他ならない。神話の如き力に任せ、相手から一方的に奪い取る者ではないのだ」
無論油断する気などない、握手した相手の手をいきなり切り落とすなどは帝国貴族社会でもたまにある事だ。ただ仮にそうなったとしても、今のように笑みを浮かべて堂々と切られながらも相手に一泡吹かせればいい。
「それに相対するのは私自身だ、お前たちは何も不安になることなく用意を進めてくれれば良い。……むしろ独り身の者達は喜ぶべきだと思うぞ。銀糸鳥の報告で薄々わかっていた事だが」
四騎士であるニンブルを始め、文官達を見回しながら苦笑いを浮かべ――
「シャルティア・ブラッドフォールン・アインズ・ウール・ゴウン殿は絶世の美少女だそうじゃないか。男としてお前たちは嬉しくないのか? だとすれば私は男だからな、今後お前たちとは距離を置いて仕事をせねばならなくなるぞ?」