シャルティアになったモモンガ様が魔法学院に入学したり建国したりする話【帝国編】 作:ほとばしるメロン果汁
自作のモグラ叩きかと思うほど次から次へと……報告してくださる方ありがとうございます。
前回のタイトルを少し短くしました
――リーン、ゴーン――
(やっと終わった……)
おそらく教師も他の生徒も心から思った一言だろう。
衝撃の朝から数時間、いつもの昼休みを告げる鈴の音色が教室に備え付けられたマジックアイテムから鳴り響く。教壇に立っていた教師は力なく振り向くと、青くなった顔をジエットの隣の席へ向けて大きく頭を下げた。
「では……これで授業を終わります。し、失礼します」
退出の挨拶をすると逃げるように外へと出て行く教師。
当然だが、教える立場である教師が最後にこんな挨拶をして退出するなど昨日までは一度もなかった。むしろ教師が終わりを告げるのと同時に、ジエット達生徒が感謝の礼をするのが学院の伝統だ。生徒の誰もが経験したことのない現象が、この教室で四度も行われていることになる。
今日これまで教壇に立った三人の教師も、誰に向けて頭を下げているのかジエット達は当然理解している。今日突然同じ教室で授業を受ける事となった美しい少女、ジエットの隣の席に座るシャルティア・ブラッドフォールン――彼女に対してだろう。
(昼休み……か)
教室内に教師がいなくなったことでそのことを実感する。
ジエットは微動だにせず、眼帯に覆われていないもう一つの目だけを動かして周囲を静かに確認した。ジエットと同じように誰一人動かない。今の授業で広げていた教科書に目を落としている者、何かを書き留めているフリをしている者、正面の黒板を凝視したまま動かない者と様々だったが誰も席を立とうとはしない。
今は昼休みだ。本来であればこの教室内にいるほぼすべての生徒が、学生食堂に向かう時間のハズだった。だが誰も動かない。全員がジエットの隣に座る少女の動きを警戒――とは違う気もするが、彼女が教室から出て食事へ向かうのを待っているのだ。
帝国の生きる伝説であるフールーダ・パラダインを連れて入室した少女。
けた外れの存在感と美しさ、そして地位を持つと思われる少女は無口だった。というよりも、彼女がジエットの隣に座ってから教壇に立った教師以外、教室内では誰一人喋ってはいない。どの教師も基本的には生徒に教本を読ませたり、問題を生徒に投げかけて答えさせるのがいつもの授業風景だったが、今日これまでの教師は全員一人で説明して、一人で教本を読み上るという型どおりの授業を行っていた。
一言で言えば異常事態だが、
そしてこれまでの休憩時間も、今と同じ光景が繰り返されてきた。
もちろんこの教室へ訪ねてくる者も誰一人いない。それどころか教室外の廊下を含めて、学院全体が不気味なほど静まりかえっているように思えた。おそらく、他の教室でも説明――あるいは警告紛いの注意があったのだろう。
少女が何者なのか、少なくともジエットを含めた生徒達は誰も知らない。
だがそれ自体はそれほど重要ではなかった。教師の最初の紹介と、なによりフールーダ・パラダインを連れて入室したことが全てを表している。
下手に動いては自分の首が飛ぶ。
巨大な生物の足元で声を潜める子犬の様に、教室の生徒は誰一人動けなかった。
「あの……」
教師が退出して静まり返っていた教室にあどけない少女の声が響いた。
それと同時に体を動かし、隣の――ジエットの方へ向く少女。
教室内の空気がさらに張り詰めたものになる。
当然声を掛けられたジエットの緊張は最高潮になった。
覚悟はしていた。何の因果か、誰の陰謀かはわからないが、奇しくも彼女のような存在の隣の席になった――なってしまったのだ。卒業まで声を一言も掛けられないなどという事はあり得ない。
「ハイッ! な、なんでしょうか! シャルティア・ブラッドフォールン様!」
勢い良く立ち上がり彼女に振り向くと直立不動のポーズをとる。
特に首から上は完全に固定するよう意識した。ジエットは幼馴染であるネメルや情報屋のディモイヤ、そして一方的に世話になっている生徒会長の才女など意外と女性の知り合いが多い。
彼女達、特にネメルには全く無い――とは彼女たちの名誉のために言わないが、圧倒的な格差がそこにはあった。これまでの授業中など、何度か隣の席を覗き見る機会があったのだがその度に驚愕させられた。
胸である。
入室した際からわかってはいたが、時間が経つにつれ冷静に観察すればその大きさがわかる。
ジエット程度の年齢にもなればそう言った事にも興味を覚えるどころか、この国では結婚していてもおかしくは無い年頃だ。特に隣の席から盗み見れば、必然的に相手を横から見てしまい否が応でもその大きさを意識してしまう。
だが当然向かい合っているこの状況下で、相手の胸を凝視するなど命知らずなことは出来ない。
男の本能を生存本能で踏み潰し、目線を少しでも下げないように相手の顔を引きつった笑顔で見つめた。
「えっと……先日お会いしましたよね? 帝都の路地で――」
「はい! あの時は本当にありがとうございました!」
同時に勢いよく頭を下げる。
頭を下げた視界の隅で級友達の動揺が見て取れた。おそらく、彼女と親交のある人物がクラスにいる事に驚いたのだろう。だがジエットからしてみればそれは誤解だ。
数日前に
そう信じたい、切実に。
「もう一人はネメルさんでしたか? お二人とも怪我は?」
「はい! ぶ、ブラッドフォールン様のお陰で怪我一つありません。騎士の方々にも良くしていただきました」
顔を上げて見た相手の表情は安堵するような可憐な笑顔。
気遣われた事とその微笑みに思わず顔が熱くなる。
「あの、私の事は気軽にシャルティアとお呼びください。『ブラッドフォールン様』なんて呼びづらいでしょう?」
「……」
――え?
困惑の声を口から漏らさなかったのは偶然だった。
立ち位置から必然的に見上げるような少女の顔。そのおずおずと伺うような表情もまた可憐で思わず心臓が跳ねる。そしてその口から発せられた提案に頭の方は混乱した。
ただの平民であるジエットが、鮮血帝とも恐れられる皇帝陛下と
(何かの罠か、試されてる……?)
根拠はない。ただそれくらいしか思いつかなかった。
どちらにせよ頷くのは問題外だ。力のない平民と貴族、その壁はジエットが思っているより遥かに高い。このクラスにだって貴族の生徒は何人かいる。彼らの口からジエットの不作法が誰かに流れれば、いらぬ問題を引き起こす恐れもある。
「こ、光栄ですが、やはりブラッドフォールン様と――」
「シャルティアと呼んでください」
突然少女の笑顔が近づく。
「……え?」
見れば直立不動のポーズを取るジエットに少女が身を乗り出していた。
二人の距離が近づき、ジエットの鼻翼をくすぐる甘い香りが漂う。宝石のような紅い瞳がこちらをジッと見つめていた。
「……いえ、ですが――」
「シャルティアと呼んでください」
「せっかくですが――」
「そんな遠慮はせずに」
「……」
「せっかくクラスメイトになったんですから♪」
――なんでだッ!?
なぜこうもこの少女はジエットに、ただの平民に名前を呼ばせたいのか。
断るたびに徐々に近づいて来る表情に陰険なものはない。むしろニコニコと満面の笑顔だった。綺麗で見惚れそうにもなるが、名前で呼んだ途端首が飛ぶのではないかという恐怖の方がはるかに大きい。
「隣の席になったのもなにかの縁ですし――」
(近い近い近い近いッ!)
ジエットは早くも限界だった。
咄嗟に後ろに下げた右足が緊張でガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうになる。胸を反らし、後ろに大きく曲がった背中からダラダラと大量の冷や汗が噴き出した。そして腹の部分には柔らかい感触――
誰か助けてくれッ!
少女から目を離さずにギリギリの視界で周囲を伺う。
限られた範囲だが、こちらを見ている級友が何人かいた。だがその顔は今のジエットと同じように困惑、あるいは驚きの表情で硬直している。考えてみれば当然だ。ジエットもあちら側にいれば彼らと同じような反応で固まっていただろう。外部からの助けはない。逃れる方法もない。
ジエットは息を呑み、覚悟を決めた。
「で、では……せめてシャルティア、様と?」
「……ふむ、うーん」
目の前の綺麗な眉が考え込むように動く。
海老ぞりのままごくりと喉を鳴らし、同時に体が震えそうになる。
「最初ですから、それぐらいが妥当ですね」
やってしまったと一瞬思ったが、相手の返答は満足に満ちた笑顔だった。
最初とはどういう意味でしょう? などと聞けるはずはない。せっかく繋いだ命、余計なことを言って危険に晒す無謀な探求心をジエットは持ち合わせていない。
少女が――シャルティアが乗り出していた身を引き、再び椅子に腰かける。予想はしていたがここで会話を終えるつもりはないようだ。ジエットは最早限界と言ってもいい心と体にムチを打つ。
「それで、貴方のお名前は?」
「あッ!? し、失礼しました! 自分はジエット・テスタニアと申します」
今更ながら自分の名前を名乗っていなかった事に気づき、自らの失態に全身が震えた。
相手に不満気な様子は一切ない。だが、身分の低い者が先に名乗っていないのはどう見ても失礼に当たる。できれば彼女が最初に席に着いた時、最低でもこの会話が始まった時に名乗っておくべきだった。
「それでジエット……君? お願いがあるのですが」
「じ、ジエットで結構です。……私に出来る事であればなんでもお申し付けください!」
顔から血の気が引く中、なんとか笑顔を浮かべ相手に微笑みかける。
拒否権は無い。彼女が次に何を言おうと、全力で頷くしかジエットに選択肢はない。
「昼食をご一緒しませんか?」
「是非お願いします! ……え?」
今彼女は何と言った? 昼食を、一緒に? 誰と?
僅かに残った冷静な思考が正しい答えを導く。
その答えは間違っているのではないか。確認する事は失礼になるかもしれないが、聞き間違いである事を僅かに期待して相手に問いかけた。
「えっと……自分とシャルティア様がですか……?」
「えぇ、他に誰か誘いたい人はいますか?」
真っ白になった頭に幼馴染である少女の顔が浮かぶ。
が、即座に考えるのを止めた。確かにネメルは彼女に――『ゴウン様』に御礼を伝えたがっていたが、今この状況でいきなり会わせては、ネメルが緊張のあまり不作法をしてしまう危険がある。彼女のためにもせめて事前に説明をしてからでなくてはならない。
「いませんが……私は貴族としての食事の作法には詳しくありません。それではご迷惑になるのでは?」
学院内でも有力な貴族、ジエットの知り合いでは生徒会長のフリアーネなどの上位者は、もっぱら金銭のかかる豪華な料理を口にすることが多い。ジエット達平民、そして名ばかりの貴族であるネメルなどは無料のランチ食を注文するのがいつもの光景だ。味はソコソコだが、貧しい家庭生まれの生徒のためにも栄養はしっかり考えられたものになっている。
当然目の前の少女も同じように貴族ご用達の料理を注文しているのだろう、そう思って申し出たジエットの不安からの言葉だったが、帰って来たのは思いがけない返事だった。
「食事の作法……? あぁ、大丈夫ですよ。みなさんと同じ無料のランチを注文するつもりですから」
「……」
それなら問題ないのだろうか? 目の前の少女がジエット達が普段食べるランチを受け取り、大勢の生徒達がいる食堂で食事をする。間違いなく生徒達の視線を集めてしまうだろう。そしてジエットが一緒に食事をするということは、その視線の半分がジエットに注がれることになる。
正直逃げ出したい気分だ。今でさえ胃がねじ曲がりそうなほど緊張している。だが、今更断るなどできるはずもない。
覚悟を決めて頷いた瞬間、教室のドアが唐突にノックされた。
返事をする者はいない。そもそも休憩時間に教室のドアがノックされることはない。
であれば扉の外にいる人物はなぜノックをしたのか、それは全員分かっている。この教室に今日からいる人物に対して、礼儀を弁えてのものだということを。
ノックから少し間を開け、ゆっくりドアが開いた。
「失礼します。シャルティア・ブラッドフォールン様」
優雅に頭を下げ、現れたのはジエットが良く知る女性だった。
「当学院の生徒会長を務めさせていただいております、フリアーネ・ワエリア・ラン・グシモンドと申します。皇帝陛下より放課後に学院の案内をするよう仰せつかっており、宜しければ事前に昼食を交えて挨拶を、と思ったのですが……ご歓談中でしたか?」
入室し、少女の前で恭しく礼をする生徒会長。
直立不動の態勢を取っていたジエットに対して、少し怪訝な視線を向けるのは無理もないことだろう。挨拶を受けた少女は立ち上がると、同じように頭を下げ帝国式の返礼をとった。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。シャルティア・ブラッドフォールンです。上級生のようですし気軽に『シャルティア』と、呼んでいただければ幸いです」
「身に余る光栄です、シャルティア様。私のことは是非『フリアーネ』と、お呼びください」
ジエットは思わずフリアーネに尊敬の眼差しを送った。
何度も遠慮しようとしたジエットとは違い、今の一度のやり取りで名前で呼ぶという対応を彼女はやってみせたのだ。もちろん公爵家の令嬢であるフリアーネと平民のジエットでは比べるべくもないが。
そして今のジエットにとってフリアーネはまさに救いの女神だった。
(これで一緒に食事ということはなさそうだな……)
思わず内心で大きく息を吐き出す。
なにせ生徒会長で公爵令嬢であるフリアーネが食事を誘いに来たのだ。ただの平民であるジエットと食事する事に比べれば、あちらを取るのが至極当たり前だ。この二人であればさぞや絵になる食事風景となるだろう。
一気に肩の荷が下りた気分だった。
「せっかくのお誘いですが……もうこちらのジエット・テスタニア君と一緒に食事をとる約束をしてしまったので……」
――ん?
「そうなのですか……宜しければ三人で、というのは如何でしょう? 私もジエット君とは友人を通じての先輩後輩の間柄です。旧知という程ではありませんが、知らない仲ではありませんよ。ねぇジエット君?」
「そうなんですか? なら問題はありませんかジエット君?」
――え?
「え?」
こちらを伺う二人を前に、ジエットは立ち尽くすしかなかった。
呆然とした意識の中、小さな舌打ちのような音が響いた気がした。
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