「だぁぁ!!待ちやがれクソッタレッ!」
星明りすら喰い潰す人工の輝きで照らされた都市、東京。その中で尚光が届かず、闇に覆われた路地を駆けずりながら、アイナは絶叫した。
彼女が怒号を飛ばす相手は、現在絶賛逃亡中のガイノイド。推進装置であったブースターは破棄しているが、姿勢制御用の脚部スラスターで移動しているようだ。カタログスペックで最高速度は時速40kmほど、当初より遅いとはいえアイナを撒ききるには十分であり、広い道路に出てしまえば振り切られてしまうだろう。
敵部隊は味方が総出で抑えている。一番厄介なサイボーグ女は対魔忍が引き付けている。作戦の成否は今この時、アイナの双肩に掛かっていた。
(ちんたら追っ掛けても逃げられる……やるしかねえかっ)
このまま追跡を続けるか否か、アイナは瞬時に決断する。走りながら、ベルトのホルスターから一発の弾丸を取り出す。見た目こそ装填されている9mm弾と同一だが、より燃焼性に優れた炸薬を詰め込んだ強装弾だ。一般で流通している強装弾と比べても炸裂時に得られる圧力が桁違いの特別性であり、その分銃身に掛かる負荷が高く普段使い出来ない『とっておき』である。
次いで左に持ったM9拳銃のスライドを引き、薬室に装填されていた銃弾と強装弾を交換する。ガチン、とスライドが前進し、薬室を覆い隠した。
(奴との距離は目測10m……もうすぐ路地を抜けちまうな、ここで仕掛けるっ)
疾走から歩幅を変更して軽く跳躍し、着地。両足の摩擦力で慣性を殺し、一瞬で『静』の状態を創り出す。両手を前に突き出し構え、狙いを定める。この動作を一連のものとしてワンアクションの内に遂行する。
引鉄を引くまで、一瞬の間すら必要なかった。
ガチッ!右手に撃鉄が落ちる。銃口をマズルフラッシュで閃かせながら、9×19mm弾が飛翔する。
右の閃光に僅かに遅れ、左手のM9の引鉄が引かれた。先のものより激しい銃声を奏でながら、銃身から弾丸が放たれる。より高い威力を引き出せるよう叡智が結集した強装弾が、先行する弾丸に追随する。
───否、それは追随に留まらなかった。通常より初速の速い弾丸は、瞬く間に通常弾へと追い付き、その底部を叩いた。
激しい火花が散るのと同時、2つの弾丸はその軌道を変えた。後方からの追突により運動エネルギーを分け与えられた通常弾はガイノイドの右脚へ、通常弾を弾き飛ばした強装弾はガイノイドの左脚へ、真っ直ぐその鋒を伸ばす。
そして。かく有るべしと定められたように、スラスターへと突撃、内部機構を破壊し爆炎と共に果てた。
『───!?』
推力であり姿勢制御を担っていたスラスターが破壊され、慣性のみが残されたガイノイドに許されたのは驚愕を浮かべることのみ。当然の帰結として、スピードはそのまま地面へと再び墜落した。
「JACKPOT!」
思わず、アイナの口から歓声が上がる。
これこそ、
銃把を二つ握り締めた彼女に、不可能はない。
『───脚部スラスター機能停止。機動能力喪失を確認』
一方、遂に移動手段を奪われたガイノイドはゆっくりと立ち上がる。
合理的に考えれば、これ以上の抵抗は無意味だ。主な機動力源であった背部ユニットは既になく、大きく損傷した脚では最早人が走る以上の速度は望めない。米連部隊に戦力が残っている以上、よしんばアイナを撃破出来たとしても、その先はないのだ。大人しく自決───もとい自壊するのが、人工知能として当然の結論であるだろう。
───だが。
『敵勢力からの逃走成功確率、0%。代替案を構築……敵戦力の殲滅、成功確率6%』
ガチャ。
砲身が構え直され、ガトリング砲の銃身がゆっくりと回転を始める。
『───結論、残有装備による敵勢力の殲滅を実行。状況を開始します』
その
「ッッ!!」
ガイノイドの宣言に……ではなく、空転を始めたガトリング砲に、アイナは戦慄の息を漏らす。
ある程度開けた場所ならば、横方向への機動によりある程度対処することが出来る。だが今彼女がいる場所は、一本道の狭い路地裏。一度銃口に火が着けば、逃れる場所も防ぐ物もない、決闘場にして処刑場だった。
故に、アイナに課せられた命題は一つ。3つの砲身から20x102mm弾が放たれるより前に、その牙から逃れる方策を叩き付ける事だ。
『脚部、固定完了』
ガイノイドの両脚から破砕音が響く。恐らく内蔵されたボルトを打ち込み、脚を地面に固定したのだ。そうしなければ、もうガイノイドはガトリング砲の反動を支え切れないのだろう。だが、発射体勢は整ってしまった。猶予は既にない。
(行けるか!?いや、やるしかねえ……!!)
覚悟を決めて、アイナは前へと足を踏み出した。発砲が開始されるまでおよそ3秒、彼我の距離は30mほど。後ろに退いた所で逃げ場がない以上、前進以外に道はない───!
───残り3秒
全力疾走する傍ら、右手をガイノイドの頭部へと伸ばし引金を引く。あからさまな攻撃に、ガイノイドは左手を翳すだけで弾丸を全て防ぎきってみせた。弾丸は無意味に虚空へと消えていく。
アイナの目的は、牽制ですらない。左手に残ったレーザーブレードを抑える事、それさえ果たせればいい。
───残り2秒
走り出して丸1秒、アイナはまだ10m地点に到達出来ていない。
アイナが訓練中に計測した100mのタイムは11.5秒。1秒間にざっと8.7m前進出来る計算だ。3秒全て使っても26m程度、ガイノイドまでは僅かに届かない。
更に言えば、彼女は既に戦闘を潜り抜け疲労が蓄積している身だ。G機関の特殊部隊にガイノイド、極めつけは『井河アサギ』との戦いは、彼女に極度の消耗を強いている。
だが、それでも。
(人工知能が諦めてねぇのに、俺が先に折れる訳にはいかねぇんだよっ!!)
それは、単なる意地だ。兵士として、部隊のエースとして。
ささやかで、真っ直ぐ芯を貫く矜持。それがある限り。アイナ・ウィンチェスターが脚を止めることはない。
───残り1秒
状況は整いつつあった。
彼我の距離は半分以下まで近付き、ブレードも封じた。だからこそ、僅かに、ほんの僅かに時が足りない。
アイナの目算で丁度14m。限界が近い中で理想に近い結果を出せてはいるが、彼女がやろうとしている事を果たすにはほんの僅かに足りない数字だった。
この土壇場で、アイナは最後の選択を迫られる。あと一歩踏み出すか否か。どちらを選んだにせよ賭けの要素は残る。一歩踏み出して回避する時間を失うか、踏み出さずにギリギリで届かないか。彼女が挽肉と化す可能性は、平等に揺蕩っていた。
刹那の内に選択せねばならない。未来など見えない只人の身にて。考えている暇などない。出来るのは、何方が
───何だ、考えるまでもなかったな。
アイナは、最後の一歩を踏み出した。
「ぉ、ォォオオオオオオ!!!」
───残り0秒
『
ガイノイドの無慈悲な宣言と共に、砲口が閃き、弾丸が放たれる。
轟音と共に20mm弾はアイナの肉を八つ裂きにしようと飛翔し───アイナが
『!?!?』
一瞬の出来事を、ガイノイドの眼は見逃していた。銃弾を防ぐために翳した左腕が、その視界を遮っていたからだ。だが、上空に残した索敵用の子機は全てを克明に映していた。
───それは、空を舞う、白銀。
ガトリング砲が火を噴く寸前、ギリギリのタイミングで地を蹴り跳躍したアイナ・ウィンチェスターの姿だった。
自らの脚力と発射までの時間までを天秤にかけ、針穴に糸を通すようなギリギリのタイミングを限界まで測り、ついに彼女は奇跡のような必然へと手を届かせたのだ。
先の射撃も、このための布石。無防備な滞空時間をレーザーブレードで攻撃されないようにする必要があったからだ。
だが、これでも足りない。ギリギリまで引き付けた事で射線からは逃れ得たものの、それは一時凌ぎでしかない。距離が遠すぎたのだ。彼女の跳躍力では、ガイノイドを回避出来ずに再びその銃火に身を晒すことになるだろう。
だから、アイナは、もう一度飛翔する。運命を捻じ曲げるために。
「ぐ、ぅぅぅううらぁぁ!!」
ダンッッ!!
コンバットブーツがビルの外壁を蹴り付け、更に高く、長く宙へとその身を投げ飛ばした。
そして、銀糸が人形に影を落とす。
『───!?』
「間に、合ったぁッ!」
ガイノイドの驚愕と、アイナの歓喜が同時に響く。
ガイノイドは、発砲のために脚部を地面に固定した。つまりそこから動くことは出来ない。アイナを追って振り向こうとすれば、固定を解除する必要があるためガトリング砲が撃てなくなる。発射体勢に再度入ろうとすれば、確実に隙が生まれるだろう。その機を逃すアイナではない。
必殺の一撃を回避され、逆に致命的な状況に追い込まれ、しかし戦闘用AIは即座に『次の必殺』へ取り掛かる。ガトリングの発砲を継続したまま、駆体の反動制御を全てオフに変更。ガトリング砲は自らが吐き出す弾丸の反動により、銃口を閃かせながら上方向へ跳ね上がり始めた。
機械の身体でなければ制御出来ないガトリングのリコイル。それを逆用し、自身のパワーと合わせて振り向くための動力に当てる。ボルトを解除せず、尚且攻撃体勢を維持したまま敵を追撃する。これがガイノイドが導き出した『最善』だ。
「クソッタレッ、こっち向くんじゃねえ!!」
振り向こうと動くガイノイドの背に、目的を瞬時に看破したアイナはありったけの弾丸を叩き込む。
確かにその銃弾は装甲によって弾かれ、ダメージは少ない。だが弾丸によって与えられる衝撃は、余すことなく受けることになる。
通常の戦闘では大した意味もないこの事実は、今この瞬間。『後ろに振り返る』という行動の阻害ただ一点において、重要なファクターへと変化していた。
甲高い音と共に弾丸を装甲で弾きながらも、僅かではあるが行動に遅れが生じていた。少なくとも、アイナが着地して弾倉を交換するだけの時間は。
だが間に、銃口は天頂から下り始めていた。ガイノイドが人間には不可能な角度で腰を捻りながら、アイナを眼光で突き刺す。もう数秒で、銃弾の雨はアイナの肢体を覆うことになるだろう。
体勢を立て直したアイナは、先程とは逆にガイノイドから距離を取り始める。同時に銃を構え直し、即座に発砲を継続した。狙いをガイノイドの躯体から砲身へと変更し、時間稼ぎを行う。
金属音と炸裂音が轟く中、遂に死神の鎌が首元に迫る。銃口がついにアイナを捉えた。
もう一秒すれば、大口径の弾丸がアイナ・ウィンチェスターを挽肉へと変えてしまうだろう。もう逃げ場も、策もない。だが彼女は僅かでも死を遅らせようと、設置されていたダストボックスの裏へ身を隠す。
無駄な抵抗だ。いかに金属製であろうと、ただの箱に弾丸を防ぐ能力はない。ガイノイドは更に腕を動かし、銃口をダストボックス、その裏で死を待つだけとなったアイナへ向け───
カカカカカッッッ
炸薬が弾けるそれとは異なる、乾いた音が響き渡る。砲身は空転し、あれだけ猛威を奮っていた弾丸は一つたりとも存在しない。当然、ダストボックスにも傷一つない。
『───残弾0、予備弾帯……なし。右腕ガトリング砲を破棄』
千載一遇の勝機を逃しながら、ガイノイドは冷静に状況を確認する。電磁的な接続が解除され、巨大な鉄塊と化したガトリング砲は大きく音を立てて地へと堕ちた。
「やっとで弾切れか……!」
ようやく乗り切ったのだと、アイナは安堵の息と共に呟く。ひたすら攻撃を凌ぎ続け、何とか勝ち得た成果。主兵装であるガトリング砲が無力化されたことで、残りは左腕のブレードと精々対人用のテーザーガンのみだ。
(対象の戦闘力低下、妨害勢力との分断、そして逃走出来ない状況を作り出すこと……条件はクリアだな)
事前に脳内に叩き込んだとある条件を並べ上げ、現状と照らし合わせる。
それは、彼女の持つ『奥の手』を出すために最低限整えるべき、と部隊長である『大尉』から提示された条件。
脅威を引き下げ、一対一の状況で、ガイノイドが此方に向かってくる事。この限定的な状況下においてのみ、彼女が用意した『秘密兵器』が必殺の切札となるのだ。
前座としての役割を十全に果たした愛銃をそれぞれレッグホルスターに収め、後生大事に隠していた
「待ちに待って、ようやくの出番だ。気合入れろよ……!」
そう呟くやいなや、アイナはダストボックスの影から飛び出した。右手を後ろに回し、
「
『抜き撃ち……笑止!』
アイナの宣戦布告に呼応し、ガイノイドがブレードを展開し、正面に構える。
実戦の回数こそ少ないが、戦闘用に開発されたガイノイドの分析能力は人間とは比較にならない域にまで達している。これまでの戦闘スタイルと構えから、アイナの次の手が拳銃の抜き撃ちであることは予測出来ていた。
瞬間、閃光が瞬き流星が肩部を射抜いた。
『───!?!?』
展開したレーザーブレードすら貫いて届いたダメージに驚愕すること刹那、再度飛来した
光の剣に激突した流星は、幾条に分かたれながらも剣に穴を穿ち、胸部に爪痕を残した。
『肩部、及び胸部損傷。超高温による装甲の融解を確認───』
ガイノイドの躯体に採用された複合装甲は特別製だ。ちょっとやそっとの攻撃や環境変化では傷一つつかない防御力を誇る。
それを溶かし、あまつさえ貫きうる力。異能力者を除けば、それが可能な物は限られてくる。
だからこそ、ガイノイドに蓄積されたデータがその可能性を否定する。インプットされた現存の兵器には、携行出来る大きさでそれ程のダメージを与えられる物は存在しない。
しかし、認めねばならなかった。現実の光景がデータを裏切ったという事実を。
『……高エネルギーレーザー砲、それも拳銃と同程度まで小型化された……』
「最新鋭の装備持ってるのが、お前らだけだと思うなよ?
アイナが持っていたのは、見た目だけならただの拳銃と相違ない。だが、その内に秘められた力は、それを遥かに凌駕していた。
電磁波を一点集中で照射することで目標を溶断するレーザー兵器。本来ならば対空用として軍艦に搭載されるべきそれを、あろうことか拳銃程にまで小型化していた。
この瞬間、状況は完全に逆転した。突出した戦力であったガイノイドはその手札を全て使い切っており、切札を最後まで温存し続けたアイナが遂に追い越したのだ。
ガイノイドを打倒しうる兵器の存在。最早防ぐ術も、逃げる術はない。なればこそ、可能性は前にしかない。
───奇しくもそれは、先程までのアイナと同じ行動原理。たとえか細い蜘蛛の糸であろうと、希望の光に手を伸ばす。
「ッ!させるか!」
ガイノイドの突撃に合わせ、アイナがその銃口を向ける。引金を引くたびに高出力のレーザーが奔り、レーザーブレードが迎撃して打ち払う。剣が光と激突するたびにエネルギーが拡散し、相殺しきれなかった閃光がガイノイドの
『外部装甲、損傷率50%を突破。戦闘続行、可能───!』
「しつこい奴!!」
ガイノイドを覆う複合装甲、特に前面のそれが溶けて爛れ、殆ど意味を為さない程にまで損耗している。それでも構わず、ガイノイドは残された腕を必死に振って凶弾を退けながら、前へと進み続ける。
まるでその先に、未来があると信じるかのように。
そして、その時が訪れる。
───ガチャン!シュゥゥゥ……
「!!」
『──!!』
アイナが持っていたレーザー拳銃のスライドが突如として展開。内部機構が露出し、中に籠もっていた熱が白煙となって吐き出された。
本来ならば身の丈程の大きさが必要なレーザー兵器を、威力はそのままに拳銃サイズに収めた代物。しかし、ダウンサイズの代償はその成功と同じくらい大きいものとなった。
出力を保つために媒質やレンズ部分の摩耗が尋常ではないという事もあるが、それ以上に問題だったのが弾数───正確には、連続照射回数だ。
拳銃と同形状であるため放熱用のシステムを搭載するスペースなどゼロに等しい。ほぼスライド部分からの自然放熱に頼り切りであり、大凡五発程度でオーバーヒートを起こしてしまうのだ。
内部熱量が既定値を超えた時点で強制的に放熱するシステムとなっているため銃本体に悪影響はほぼないが、完全に冷却出来るまで3分はかかる。戦闘中であっても五発撃てば3分間使用不可になるという、致命的な欠陥を抱えているのだ。
『勝機───!』
勿論、そこまでの詳細を知っているわけではない。この武装は情報軍内でも機密事項だ。極東の研究所まで情報が届いているわけはなく、ガイノイドが知るはずもない。
しかし、ソレは戦闘用に開発された人工知能だ。知らなくても、状況を推察することは容易い。銃撃の負荷によりレーザー拳銃はすぐには使用できないし、再びM9を手に取ったとしても問題ない。装甲は機能しないとはいえ、拳銃弾程度ならばガイノイドが破壊されるよりアイナが両断される方が早い。
今ここに、千載一遇の勝機あり。ガイノイドは左腕を突き出しながら突撃する。一秒でも早く刃を届かせるための、捨て身の構えであった。
「いいやまだだ───!」
ガイノイドが放つ乾坤一擲の一突きに対し、アイナは積み重ねた絶技にて応じる。
最大効率にまで高められた身体運びによって瞬く間にホルスターから伸びる
甲高い音が二つ響き、閃光が発振器と左脚を貫いた。
『っ!?』
突進する勢いのままに倒れ込む。視線を上げるまでもない。既に敗北の理由は、ガイノイドの
「忘れたのか?俺が何て呼ばれてるのか……」
『───
「銃は二丁あった、ってな。俺を相手に銃が一丁切りなんて思い込みは禁物だぜ?」
『……っ』
アイナは得意気に笑いながら、新たに抜いた銃を
敵を前に余裕な風情だが、当然でもある。先の一撃でガイノイドの武装は全て破壊され、逃走する足もない。勝敗は決したのだ。
残った部位で再び立ち上がろうと試みるも、左脚が焼き切れているため失敗。せめてもと左腕に力を込め、身体を起こす。
『左脚、切断により直立維持困難。左腕の損傷は発振器のみに留まる、ブレードの再展開……不可能』
今度こそ、完全な詰みだ。ソレは持っていたものを奪われたのだ。飛ぶことも、歩くことも、戦うことも。そして、これから全てを剥奪される───
「さて、上の連中がご所望なのは首だけだ───そっから下はいらねえなぁ?」
『……』
ゆらりと、銃口が躯体の首元へ向かう。高出力のレーザーで、細首を溶断するつもりなのだ。それを許してしまえばどうなるか、想像に難くない。ガイノイドは自己の意識を維持する最低限のエネルギーすら確保出来ず、次に目覚めた時は貴重な研究材料としてケーブルに繋がれていることだろう。
───そんな終わりは、いやだ。
ふとガイノイドの電脳に過ぎったそんな思考は、自己保存プログラムが産み出したものだろうか。
(とはいえ、間違って脳に当たったら事だな。確実に頸だけに当てねえと)
首から下はいらない。逆に言えば、首から上……つまり核となる集積回路は何としてでも無傷で確保しなければならない。この距離で静止している目標なら百発百中の自負はあるが、万が一そちらに被害が出てしまえば、これまでの苦労が水の泡だ。
アイナはゆっくり、警戒を怠らずに座り込むガイノイドへ近付く。
一歩、二歩。
これなら問題はないだろうと、彼女はそこで足を止めた。後は照準を合わせ引金を引くだけ……そんな彼女の耳が何かを捉えた。
───あ……ぁ……
耳を澄ましてみれば、それは目の前のガイノイドから発生した音のようだ。
(ふん、今更命乞いか?機械風情が)
────ああ……あーあーあーあー
アイナがそう断じている間にも、その音は大きくなっていく。単調で平坦なそれは人間らしさの一切が欠けており、聞いているものの不快感を煽る。
「……だぁ!気色悪ぃ声出すんじゃねえ!とっとと喉元掻ききって───」
淡々と響く音に苛立ちを隠しきれず、アイナは叫び声を上げると同時、引金にかけた指に力を籠める。後は銃内部で増幅されたレーザー光線が発射され、複合装甲を焼き切るだけだ。
───その音が本当に命乞いだったのならば。
『『『───Laaaaaaaaaaaaa!!!!!』』』
「ぐっ、ぎぃぃ……!?」
突如、音は衝撃波へと姿を変え、物理的なパワーを伴ってアイナへと襲い掛かった。空気を伝う振動が荒々しく彼女の肢体を殴打し続け、堪らず苦痛の声を漏らす。脳天が揺らされ、思考が定まらない。
(な、んで……こんな、じょうほうはっ!?)
辛うじて走った思考は、そんな疑問を挙げるだけ。彼女の意識は、もはやそれだけで精一杯だった。
勿論、彼女の疑問は当然だ。アイナを始めとする情報軍が持つガイノイドのスペックに、このような武装は存在しなかった。そしてそれは正しい。
そもそも、タイプM-3を始めとするガイノイドに搭載されている発声器の原理は、市販のスピーカーと変わらない。つまり、コイル等を使用することで電気エネルギーを振動へ変換し、人間が『音』として捉えられるように調節しているのだ。振動を発生させる物質と振動を伝える空気。この二つさえあれば、極論ではあるが『音』は成立するのだ。
だが、それだけでは足りない。あくまで発声用に搭載された物では小さ過ぎる。とても武器としては転用できるはずもない。
故に、必要なのは発想の転換だった。機械的な合理に基づく直線の思考ではない。もっと有機的な非合理な閃き、思考から思考への跳躍こそ、最後の鍵なのだ。
だからこそ、ソレは全力で震わせた。発声器だけではない。
高性能を謳う演算能力を最大に活かして全身を同時制御し、敵を撃破するために必要な振動を算出。各部位を一斉に振動させることで、躯体全身を使って歌ったのである。
その効果は推して知るべし。アイナの目に前に、大音量を発する大型スピーカーが出現したようなものだ。そしてそこから発せられるものは、歌声などど言える程生易しいものではない。
全身を、特に脳を強く揺さぶられ、アイナの意識は彼方へと飛び立つ。最早真っ白に染まった彼女の思考は何も映すことはないだろう。
だが、彼女の肉体は別だ。脳という命令系統の上位者を喪失して尚、彼女の身体は確かに、その任を全うしたのだった───。
△ ▼ △ ▼
「……いってえ」
満身創痍の身体を引き摺りよたよたと歩きながら、俺はぼそりと呟く。
ミンチの危機を回避し、何故か救援に駆け付けた八津紫に強敵を押し付け、命からがら逃げ延びるのには成功した。
現場から離れ、少し休んでから応急処置を始めたがまあひどいひどい。身体中が骨折してるし、所々皮膚が裂けてる場所もある。全部治るのに何ヶ月かかることやら……。
だがここはまだ戦場。ゆっくり休むわけにもいかず、かといって戦うことなぞ叶わぬ体だ。何とか味方に回収してもらおうと、事前に指定された合流地点へと急いでる最中というわけだ。
まあ、牛歩より遅いスピードしか出ないから辿り着けないんだけどな……寧ろこのダメージで歩けてるのを褒めて欲しいわ。いや、褒めてないで助けて下さいお願いします……!
……なんて馬鹿なことを考えてたら、何かに躓いてすっ転んでしまった。
「ぐぇっ、いっだぁ!?」
思わず悲鳴が飛び出る。コンクリートに叩きつけられた肉が痛い!?
鎮痛剤で激痛を抑え、強心剤で無理矢理身体を動かしているが流石に限界だ……歩く事に全神経使ってるから、足元に転がる人間にも気付けな……あ?人間?
俺が蹴っ躓いた原因に目線をやる。思わず、疑問の声が漏れた。
「……アイナ・ウィンチェスター?」
それは、少し前まで轡を並べていた女兵士だった。見間違いか?いや、あの銀髪と、ボディコンじみた服は間違えようがない。
…………は?こいつ負けたのか?ガイノイドとタイマン張って?
「もうむりじゃん……」
いやいや、これはどうしようもないだろ。こっちの最高戦力なんだが? 勝ち確の状況まで追い込んで負けてるんじゃ、どうあがいても絶望だろ。というか、その場合俺は帰還まで行けるのか? ガイノイドが野放しってことだよね……?
───Laa、Laaa……
思わず詰みを意識しかけたとき、風に乗って微かに、何かが耳に届く。ゆったりと、継続して流れてくるこれは……
「……うた?」
視線を上げ、辺りを見回す。音は小さいが、方向は辛うじて判別出来る。これは、曲がり角の先か?よく見れば、地面に何か擦れた跡がある。
俺はゆっくり立ち上がり、歩き出す。最早自力で立つことは叶わず、ビル壁を支えに何とかという有様だ。
一歩、また一歩先へ進む。合わせて、微かにしか聞こえなかったその音は少しずつ鮮明になっていく。
その歌を励ましにするように何とか力を振り絞り、遂に角の手前に辿り着く。一瞬、足が止まった。
「……バカだな、俺は」
今のコンディションでは、銃を握ることすら出来ない。このまま覗き込んで、敵対勢力がいたらどうするつもりなのだろうか。我ながら苦笑してしまう。
───歌声は変わらず響いている。
「……これがTRPGなら、踏み込んだ瞬間死ぬだろうなぁ」
何故か、そんな言葉が出てきた。そんな遊び、前世でやってたキリなのに。どうして今更そんなことを言うんだ、俺は。
「……ま、いっか。どうせ負傷度的に戻れねえしな」
誰にでもなくそんな言い訳を並べ、気付けば俺は一歩踏み込んでいた。危険性があると分かっていて、何と不用心だろうか。だが、どうしても歩を進めたくなったのだ。道が変わる。
角から道の先を見渡す、なんて事は必要なかった。何故なら、目標のソレは、すぐ目の前に。一筋の月明かりを浴び、思うままにメロディーを奏でていたのだから。
個人的なイメージは「左の…ゴッドフィンガー!?」みたいな感じです。
色々と誘惑が多くて執筆が遅れてしまい申し訳ないです。気付いたら5月なくなってたけど、アイツどこ行った??
とりあえずあと一話で終わるはずなので、またしばらくお待ちください。耐えてくれ脳内プロット…君が形を変えたら話が伸びてしまう…ッ