8-I きらきらのチョコレート
…どうしよう。
振り回され続けてすっかり忘れていた。
まさか3日もイヅナたちを
まあ、それもこれも全部博士とキリンのせいなんだけどさ…
「はぁ、はぁ…とにかく急がないと…!」
もう遅いかな。…間違いなく遅い。
でも、それはここで歩みを止める理由になんてならない。
飛んでいる訳だけど、歩みは止まらない。
先にどちらに行くか迷ったけど、屋敷の方が近そうだったからそっちに行くことに決めた。
「着いたはいいけど…あはは、入りづらいな」
”敷居が高い”と言うのだろうか。
もう妙な気を遣う間柄ではないはずなのに、なんだか気が引けてしまう。
しかし、ここで燻っていても何も始まらない。
僕は意を決して屋敷の扉を開けた。
「た、ただいまー…?」
恐る恐る声を掛ける。
僕の声だけが木霊して、足音だけが反射する。
居座るあまりの静けさに、進める足も怖気つく。
「イヅナぁ…い、いないの…?」
もしかして何処かに出掛けているのかな。
出て行っちゃったわけじゃ、ないよね?
「……」
スー…
襖を開ける音が床を伝い、部屋に差し込む光が僕の影を映す。
視界に入った景色にもイヅナの姿は見当たらない。
「や、やっぱり出掛けてる…?」
願わくばそうであって欲しい、が……
ガチガチに体が固まる。
震えながらノロノロと腕を上げて、そして。
目の前が真っ暗になった。
「……だーれだ?」
「…イヅナ?」
「うふふ、正解!」
目に掛けられた手が外れて、後ろにはイヅナがいた。
「あ、あぁ……えっと…」
「もう、遅いよノリくん、今日で何日?」
「み、3日……」
「そう、3日も経ったんだよ!」
確かに会いに行けなかったのは僕が悪い。
でも、だったらイヅナが来てくれればよかったのに……
「”待ってて”、って言われたから」
「…言ったような気がする」
いくら何でも律儀すぎると思うけど、それなら仕方ないのかな。
「でも、
「あ、分かった…」
やたら上機嫌に厨房へと駆けていくイヅナ。
あれ、なんで真っ先にここに来たって分かったんだろう?
…きっと、テレパシーかな。
「お待たせー!」
しばらくして、沢山の料理が食卓に運ばれてきた。
そのどれもが、淡く虹色の光を放っている。
よく見ないと分からない、だけど間違いなく全部にサンドスターが
今更とやかく言い立てることでもないけど、この光景はちょっぴりシュールだな。
「じゃあ、いただきます」
「うふふ、召し上がれ~!」
料理を口に運ぶと、とろける味がいっぱいに広がった。
いつも通り味はピカイチだ。
「…どう?」
「おいしいよ、イヅナ」
「えへへ、よかった! …ところで、今日はいつものとは別の隠し味も入れてみたんだ、分かる?」
「…別の?」
じゃあ、今日の料理に入ってるのは…?
もう一口含んで、もっとじっくり味を確かめてみた。
……分からない。
この料理の隠し味は本当に隠れている。
「分かる…?」
「え、ええと…」
当てられなかったらきっと怖いことになる。
でも特に味が変わったような感覚はしない。
…となると、入れてもあまり味が変わらない物かな?
この際だ、あてずっぽうに賭けてみるしかない。
それは例えば味に関係なくて、でも入れると美味しくなるもの。
そう、例えば…
「…心とか?」
「えっ?」
…反応からして違うみたいだ。
だけど…イヅナ?
「も、もう…!」
顔を赤くして身をよじっているように見える。
服をわしゃわしゃ乱す姿は明らかに興奮している。
「心ならいつも込めてるし…もう、ノリくんにあげちゃったよ?」
「あ…そ、そっか…!」
外しはしたけど、大事は避けられたのかな。
結局何が隠し味だったのかは気になるけれども。
「えへへ、お口開けて!」
「…あむ」
まあ、いいかな。
「…ねぇノリくん、渡したいものがあるんだ。待ってて、今持ってくるから」
食器を片づけたイヅナは、そんなことを言って再び部屋の外に消えた。
まだ口の中にさっきの料理の味――特にサンドスターの後味――が残っている。
心地よい風味なんだけど、ちょっと長引きすぎだ。
それだけ、印象深い味でもあるんだろう。
「ふぅ…」
ところで、”渡したいもの”とは、一体全体何だろう?
何かモノを渡すようなイベントなんてあったっけ。
ジャパリパークにはカレンダーが無いから日付の感覚がよく分からない。
はて、この島に来てから今日で何日目なのだろうか。
「日記も途中から適当になってるし…」
まともに日数を数えていたのも30日目くらいまで。
それからは大まかな出来事とおおよその数が書かれているだけ。
ここまで外界から隔絶された世界には、もはや時の流れなど必要ないのかもしれない。
変化もなく、発展もなく、同じサイクルの中で停滞し続ける。
自然なんて大体そんなものだし、革新的に進もうとしているのはきっとヒトだけなんだ。
…僕は、進もうとしてるのかな?
「…ノリくん!」
考え事をしているうちにイヅナが戻ってきた。
持っているものを後ろ手に隠し、もじもじと振舞っている。
「え、えへへ…これ、あげるね」
そう言って、可愛いリボンでラッピングされた箱を差し出した。
四角い箱の外面にはピンクの模様が立ち並び、普通の贈り物でないことを強烈にアピールしている。
「…これは?」
「開けてみて…!」
丁寧に結ばれたリボンを解きフタを開けると、中にはきらきらに輝くハート型のチョコレートが入っていた。
「わあ…!」
綺麗な作りもさることながら、『きらきらに輝く』という表現も比喩ではない。
サンドスター不足が心配になるけど、イヅナに限ってそんなことは起こらないのだろう。
「…食べてみて?」
「うん、いただきます…!」
一口かじりつくと、イヅナの味がした。
不思議と、チョコレートを食べている気はしない。
これを、なんと呼べばいいのだろう。
「おいしい?」
「…素敵な味だよ、イヅナ」
パァッと笑顔があふれ出た。
「うふふふふ…ありがとね!」
その後も、チョコレートをゆっくり時間をかけて食べ続けた。
あまり時間をかけたせいで、手の熱で溶けたチョコが指先に付いてしまった。
食べるのに夢中で、それに気づいたのは食べ終わってからだったけど。
「ノリくん、手…出して」
言われるがままに右手を差し伸べる。
「…あむっ」
指にしゃぶりつくイヅナ。
「んっ、んふふふ…」
舌をチロチロと動かしてチョコを舐め取ってくれた。
だけど、舐め方がねちっこいように感じる。
指がふやけてきても、イヅナは口に挟んだ手を放そうとしない。
芯までしゃぶりつくす勢いが見て取れる、紅い上目遣いが美しい。
「ね、ねぇ…そろそろこっちもいいかな…?」
流石にやりすぎだから、代わりに左を差し出した。
…でも待って、わざわざイヅナに舐めてもらう必要があるのかな?
普通なら、手を洗えば済む話なんだけど。
「はむむ…!」
結論が出る前にイヅナの口は僕の手を捕らえてしまった。
じゃあ、もういいや。
イヅナに全部任せることにしよう。
「じゅるる…!」
指を咥えるイヅナから目が離せなくなる。
真っ白な肌は紅潮し、髪の毛は忙しなく揺れている。
耳に噛みついて、あのチョコのように食べてしまいたい。
唾液まみれの右手を、こっそりゆっくり伸ばして……
「…ぷはぁ」
ああ、そうこうしているうちに終わっちゃったみたい。
バツが悪くなり、手は引っ込めてしまった。
ところで…イヅナはまだ満足していないのかな。
尻尾をブンブン振り回し、ちょっと下の方を見ている。
「じゃあ……次はこっち!」
「ま、待って、そこは…!?」
これも…任せちゃっていいのかな?
…はだけた服を着なおし、大きく息をついた。
「うゆぅ…ノリくん…」
「あはは…疲れちゃったね」
抱きしめるイヅナの髪を手ぐしでとかす。
そうすると、耳をぴょこんと揺らして悦んでくれる。
「えへへ…今日は私が先だったね」
「…さっきも聞いたけど、どういう意味?」
2人が順番を争っているのは見れば分かる。だけど今日ほどに意識することは珍しい。
…まあ、僕のせいと言われればそれまでだけど。
「えっとね、ノリくんに隠れてプレゼントを用意してたんだ…」
「そうだったんだ…」
なるほど、そんな事情があったんだ。
それにしても、妙な時期に重なっちゃったな。
「キタちゃんのも、そろそろできたかなと思って。 …確かめに行ってみたら?」
「…いいの?」
「いいよ、後で迎えに行くからさ!」
…多分、その時になったらもっと求められるんだろうな。
「でも…そっか。じゃあ、雪山まで行ってみるね」
「行ってらっしゃい、ノリくん」
襖を閉める直前、隙間越しに手を振った。
「…あ、うふふ!」
気付いてくれたイヅナは手を振り返してくれた。
名残惜しい気持ちが湧いてきて、このままでいたいと思った。
雑念を振り切り襖を閉め、そして後ろを向いて、
「よっ」
「わっ!?」
危うく尻もちをつきかけた。
咄嗟に彼が支えてくれなければ危なかったよ。
「か、神依君、どうして…?」
「別に? 急いで飛んでるお前を見かけて、様子を確かめに来ただけだ」
「あはは、それは見苦しいところを…」
もし空を飛べなければどうなっていたことか。
…博士に運んでもらうだけかな。
「それで、どうしたんだ? 随分と楽しそうだったが」
「み、見てたの!?」
「そんな訳あるか」
うぅ、チョップされた。
「はぁ、今の様子だけで大体分かる」
「あ、あはは…」
とりあえず、大事な部分は隠して今までのことを神依君に話した。
「成程…つまりはバレンタインチョコだな」
「バレンタイン…チョコ?」
「バレンタインデーってやつがあってな、その日に渡すチョコのことだ。…それくらい分かるんじゃないのか?」
「あー、分かる気がするかも」
神依君に言われるまで記憶と全然結びつかなかった。
外の世界にはそんな日があるんだな。
「じゃあ、神依君ももらったことあるの? バレンタインチョコ」
「なっ、俺に聞くのか!?」
「……?」
なんで驚くんだろう。
もしかして貰ったことがないのかな?
でも、チョコを貰う
だったらお母さんとかから貰うこともあると思うんだけどな。
「…いいだろう、聞かせてやる」
「あ、いいの?」
「その代わり! ちゃんと聞けよ? お前のせいで思い出しちまったからな…」
「…うん」
すると、神依君は全身をいっぱいに使って深呼吸をした。
な、何が始まるのかな……バレンタインの話、だよね?
「あれは、中学1年の終わりの話だ…」
何と愚かなことだろう。
その話が始まる直前になってから、僕は思い出した。
神依君が、外の世界で何を体験したのか。
…ごめん、神依君。
そう思うと、自身の過去を語る彼の姿が哀れに見えてきた。