キツネとカミサマ   作:ろんめ

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8-K 毛糸のマフラー

 

「はぁ、はぁ…なんでまた…?」

 

 本日2度目の大急ぎ。

 神依君のお話を聞いているうちに心も空も暗くなってしまった。

 

 というわけで、日付が変わらないうちにキタキツネのいる場所に向かわなきゃ。

 

 ”みずべちほー”との境界を超えると、空から雪が降ってきた。

 ピッタリ境界で降るか降らないかが分かれるのはジャパリパークでしか見られない光景に違いない。

 

 そして気温も急激に下がる。

 毛皮も一応あるけどやっぱり何か寒さをしのげるものが欲しいな。

 

「ふぅ…やっとだ」

 

 さあさあ、”ないものねだり”もここまで。

 もう僕は旅館に着いてしまったから、今日はこの寒さに悩まされることもあんまりないだろう。

 

 

 

「キタキツネー、いるー?」

 

 また、返事はない。

 デジャヴを感じ、今度も大丈夫なのかなという不安に駆られた。

 

「き、キタキツネー…?」

 

「…ノリアキ?」

 

 襖の向こうから声が聞こえた。

 

「あっ、キタキツネ!」 

 

 反射的にその方向へと駆け出し、襖を開けようと手を掛ける。

 

「だ、ダメだよッ!」

 

 でも、勢いよく止められてしまった。

 突然の声に驚いて開けかけた手も引っ込んだ。

 

「な、なんで?」

「ごめん、今日はその、恥ずかしくて…」

 

「恥ずかしい…? そ、そっか…」

 

 事情は分からないし、キタキツネが言わない限り知らない方がいい。

 もしかしたら、3日も放置したことを怒ってるのかもしれないし…

 

 とりあえず、背中を襖に付けて座る。

 そうすると、向こうからも襖に寄りかかる音が聞こえた。

 

 ごくわずかにキタキツネの熱を感じ、息が漏れる。

 急いで来た自分の熱と混ざったのか、キタキツネの方からも同じように吐息が聞こえる。

 

 この状況は気まずいな。

 

「……ゲームでもする?」

「…うん!」

 

 あってよかった携帯ゲーム機。

 無線通信機能もあるから例え相手に姿を見せられないときでも一緒に遊ぶことができる。

 …そんなときは絶対に訪れないとばかり思っていたけどね。

 

「遊ぶのはいつものでいい?」

「うん…負けないよ」

 

 

 ピコピコ、ピコピコ。 

 忘れかけてた『スマッシュシスターズ』。

 操作は手が覚えていてくれたから、なんとか場を繋ぐことができた。

 

 …最初だけ野生開放で辻褄を合わせたのは秘密だよ。

 

 

「…勝った!」

「うぅ…なんでぇ…?」

 

 髪の毛をわしゃわしゃとかき乱す音が聞こえる。

 キタキツネがゲームで負けた時にする癖だ。

 

 あとは親指の付け根を噛んだり口の中を噛んだり、頬をペチペチ叩いて落ち着こうとしたりと色々ある、あるけど…今はいいか。

 

「…もういっかい!」

「うん、いいよ」

 

 次はちょっと手加減しようかな。

 …でも、バレちゃうかもな。

 

「ノリアキ、マジメにやって!」

「…ああ、ごめん、次は本気でやる」

 

 案の定すぐに気づかれてしまった。

 あはは、キタキツネには敵わないや。

 

 だってその一挙手一投足と、キミが微かに動く音さえ、僕の集中力を削いでいくのだから。

 結局、それから一度も勝てなかった。

 とっても、楽しい時間だった。

 

 

「…ねぇ、キタキツネ?」

「んー…?」

 

 背中から聞こえる眠たげな声が、心を癒してくれる。

 

「その、ごめんね。3日も()()()()()()にしちゃって…」

「…寂しかった」

「だよね…ごめん」

 

 次ぐ言葉を失っていると、静かに開いた隙間から明るい橙色の何かが出てきた。

 広げてみると、長くてモフモフしていてあったかい。

 

「…これは?」

「ボクが作ったマフラーだよ、()()()()()()()()()()()()()()って()()()()()を掛けたの」

 

「あ、ありがとう…」

 

 これが、キタキツネが用意してくれたプレゼント…でいいんだよね。

 試しに首に巻いてみると、とっても温かい。

 

 それ以外の表現が見つからない。

 心の底から温められるような、そんな安心感を覚える。

 

 まるで、キタキツネがすぐそばにいてくれているみたいで。

 

「とっても嬉しいよ、キタキツネ…!」

 

「え、えへへ…よかった」

 

 僕の耳は、キタキツネが恥ずかしそうに服をいじる音を捉えた。

 普通なら聞こえないはずなのに、僕の気持ちも昂っているのかもしれない。

 

 

 少しでも彼女に触れていたくて、向こう側へとそっと手を出した。

 キタキツネの手が、僕を捕まえてくれた。

 

「ノリアキ、そこにいるんだよね…」

「うん、ずっといるよ」

 

「じゃあ、明日も…?」

「……」

 

 いられるならここにいたい。

 でもイヅナも置いておくことはできないんだ。

 イヅナに同じことを訊かれても、僕は答えられない。

 

「…いじわるなこと聞いちゃった?」

 

「ううん、いいんだよ」

 

 キタキツネ、確実にすぐそこにいるのにその姿を見ることができないなんて。

 手を強く握って、せめて離さないように努める。

 

 2人ともお互いの熱を感じながら静かに佇む。

 遠くから水音が聞こえてきて、眠ってしまいそうなほど穏やか。

 

 うつらうつら、分かるのは手と胸が暖かいことだけ。

 

 

「……そんなところに座って、何をしているのかしら?」

「っ、ギンギツネ!?」

 

 驚く僕に呆れるような目線を向け、襖の向こうにいるキタキツネに話しかけた。

 

「お風呂の時間よキタキツネ。早く出てきなさい」

「やだ、今日はダメ…!」

 

「わがまま言わないの…入るわよ」

「わわ、待って待って!」

 

 部屋に押し入るべく手を掛けたギンギツネを遮り、襖を完全に閉めた。

 

「そのさ…キタキツネが嫌がってるし、無理やりって言うのは…」

「あのねぇ、お風呂には毎日入らないとダメでしょう? 昨日も入ってないのよ」

 

 ぐうの音も出ないほどの正論に、もはや返す反論も思いつかない。

 

「そ、それは…じゃあ僕が話を付けるから、任せてくれないかな?」

 

「…分かったわ。なら、早くしてね?」

 

 不気味なほど柔和な微笑みを浮かべ、ギンギツネは向こうに行ってしまった。

 

 

 体が震えているのは寒さのせい。

 軽く動いて収めた後、キタキツネの方に声を掛けた。

 

「キタキツネ…やっぱり、ダメ?」

「どうしても、出なきゃいけないの…?」

 

 嫌がるキタキツネを外に出すのは心苦しい。

 だけどたった今約束してしまった、みすみす破るのは嫌だ。

 

「まず、僕が入って見てもいいかな。それでどうしても難しかったら、僕からギンギツネに伝えるからさ」

 

「……わかった」

 

 ススス…と襖は引かれ、僕は部屋に入った。

 でも、キタキツネはいない。

 

「あれ、キタキツネ?」

 

 と思ったら、部屋の隅にある布団が膨らんでいる。

 襖を閉めて、僕は彼女のもとに歩み寄る。

 

「もう、それじゃ部屋の中にいるのとおんなじだよ?」

「や、やっぱり恥ずかしいよぅ…」

 

 この調子じゃ僕と顔を合わせることも無理そうだし、お風呂に入るというのももはや問題外の話であろう。

 なら、もう仕方ないかな。

 

「…えいっ!」

 

 ごめんねキタキツネ。

 後で謝るから、まずその姿を見せて欲しい。

 

 

「……あ!」

「な、なんでぇ…?」

 

 膝下まであろうかという長さのキタキツネの髪が、肩にかかる程度にまで短くなっていた。

 普段の大人しめな雰囲気がいささか弱まり、身軽になったように感じる。

 

「髪の毛、切っちゃったの?」

「短くて恥ずかしいの…変でしょ?」

 

 ペタリと座り込んで上目遣いで僕を見上げる。

 思わず撫でようと出かけた手を引っ込め、言葉にしてキタキツネに渡す。

 

「全然変じゃない、かわいいよ、キタキツネ」

「ふぇぇ…!?」

 

 髪の毛の先をなびかせ、耳を撫でてあげた。

 

 頬を真っ赤に染めて、両腕で僕に抱きつく。

 そして、蕩けるような声で耳元に囁く。

 

「ノリアキ…ひとつお願いしていい?」

「ん…何かな?」

 

 

「お風呂…一緒に入って…!」

「えっ、それって…うわっ!?」

 

 キタキツネは僕を引きずる、無我夢中でお風呂へと向かっていく。

 

「さあ、脱いで!」

 

 服に手を掛けて、はぎ取るように僕を脱がせてしまう。

 

「待ってよキタキツネ、それくらい自分で…」

「んっ…!」

 

 唯一の頼みすら唇で奪われた。

 開かれた瞼の向こうにあった彼女の瞳は、虹と情の色に染まっている。

 

「ノリアキ、早く入ろ!」

 

 一体どうするのが正解なのか。

 分からないから、僕もこの心の中にある衝動に任せてみることにした。

 

 

 湯気が辺りを満たし、思考もぼやける空間の中。

 お湯の中に浸かり、僕たちは体を密着させていた。

 

 「えへへ…!」

 

 腕から指の先まで絡まりあい、体の境界もあやふやだ。

 

 熱のせいで呼吸は荒い吐息へと変わり、そのささやかな音さえ痺れるような興奮を誘う。

 

「はぁ…はぁ…! 匂い、やっと取れたね…!」

「匂い…?」

 

 恍惚と共に身をよじるキタキツネの肌は白く、淡く濡れて月明かりに照らされる。

 髪の毛が短くなったお陰で普段隠れていた部分まで露わになり、艶やかな体の線が強調されている。

 

「イヅナちゃんの匂い、ようやく無くせた。だから、次はボクの番」

 

 キタキツネは腕を解き、滑らせるように背中に回した。

 更に肌は密に触れ、零れる水音は煽情の種。

 

「ノリアキ…いいでしょ?」

 

「そ、それって…」

 

 言わんとしていることを、理解する。

 そして躊躇し、その間にもキタキツネは体をこすり付けて匂いを付けようとしている。

 

「はむ、ふふぅ…」

 

 いつかのように、僕の首筋に優しく牙を立てる。

 歯で規則的に刺激し、舌で染み入るように味わう。

 

 そして手も休むことはなく、僕の()()なところを撫でまわし反応を見て、からかうように妖艶な声を耳に刻み込む。

 

「……ぁ…」

 

 半分ほど、意識を失いかけていた。

 そんな焦点の合わなくなった目に止まったのは彼女の首筋。

 

 仕返しにとでも言うように、僕は彼女に噛みついた。

 

「ひゃっ!?」

 

 突然のことに驚いたキタキツネは、口を離して手も止まる。

 その隙に彼女の体を引き寄せて、身動きが取れないよう強く抱き締める。

 

「ノリアキ…んっ…」

 

 肌と肌が触れて、擦れて、擦れて、擦れて……!

 柔なキタキツネの肌が、整った胸のふくらみが、肉付きの良い腿の感触が、じわじわと理性を削り取る。

 

「キタキツネ…!」

 

 唇に、唇を重ねた。

 その合間を舌が縫い、口の中で唾液が混じる音が心を蕩かす。

 

 心も体も芯から温まり、準備は整った――

 

 

 その後、温泉の中で一体何があったのか。

 それはここで語れるようなことじゃないし、できることならもうしばらくは僕の胸の中の思い出に留めておきたい。

 

 つまりは、()()()()()()()()()()

 

 

 

「ふぅ……」

 

 お風呂から上がった後、浴衣に着替えた僕は外の風を浴びに出ていた。

 雪の結晶は月光に輝き、空に浮かぶ月は雪に彩られて美しかった。

 

「ちゃんと説得してくれたのね」

 

「…ギンギツネ」

 

 安心した様子のギンギツネは、僕の隣に立って空を見上げた。

 

「それで、なんであの子閉じ籠ってたのかしら?」

「髪を短く切って…それが恥ずかしいからだって」

 

 理由を告げると、ギンギツネはあっけらかんとして笑った。

 

「…ふふ、そんなことだったの?」

「そう、みたい」

 

 ふぅ、と大きく息を吐いたギンギツネ。

 

「…前と同じね、あの子。なんだか安心したわ、私の知ってるキタキツネから変わっちゃった気がしてたから」

 

「…そっか」

 

 ギンギツネにも、そんな心配があったんだ。

 

「じゃあ私は戻るわ…コカムイさんも、冷えないうちに入ってね?」

「そうだね…気を付けるよ」

 

 ギンギツネが行った後、僕は彼女にもらったマフラーの端を握った。

 じっくり触ると、柔らかい生地の中に硬めの毛糸があることに気づいた。

 でも、やっぱり温かい。

 

「変わらない…か」

 

 降り積もる雪を眺めた。

 この銀世界の景色は、きっと明日も変わらない。

 

 それでも、この景色を作る雪の結晶1つ1つはいつかすべて新しい雪に()げ替わってしまう。

 全然変わってないように見えても、全部が変わるんだ。

 外側も、中身さえも。

 

 

 握った手を、もう片方の手で包んだ。

 キタキツネ色のマフラーは、生きているように温かかった。

 

 

 

「――ノリくん!」

「イヅナ…来たんだ」

 

「勿論だよ、今日は…私もここに泊まろっかな~」

「…イヅナも?」

 

 イヅナはくふふと笑って僕に寄りかかった。

 マフラーを指の間でこすり合わせると、目を細めて言った。

 

「へぇ…! そうなんだぁ…」

「イヅナ、どうかした?」

 

「このマフラー、キタちゃんの香りでいっぱいね…!」

「あはは…キタキツネが作ったからね」

 

 ヒラッとマフラーを放し、イヅナは先に進んでいってしまった。

 

 そしてボソッと呟く声を、狐の耳は逃さなかった。

 

「…思い切ったね、キタちゃん」

 

 部屋の中に消えたイヅナを追って、僕も中に入った。

 

 

 

 焦って着替えたせいなのだろうか。

 マフラーと勾玉の紐が絡まり、ほどくのに時間が掛かった。

 

 一緒に身に付けているのは、難しい?

 出来るなら、そうではないと願いたい。

 

 

 ――雲に隠れた月は、果たして綺麗かな。

 


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