キツネとカミサマ   作:ろんめ

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Ⅰ-103 イヅナ、狐巫女になる

「ノリく…おほん、ノリアキよ、わた…わらわに何か用か?」

「えっと…イヅナ?」

 

 今日はイヅナの様子がちょっと変だ。

 なんとなく声を掛けると何やら古風な返事がやって来た。

 

「別に、用って訳じゃないけど…」

「そ、そうか…」

「……」

 

 いや、やっぱり変だ。

 

 服装のおかげか見た目との違和感は少ないけど、普段の様子とあまりにも食い違いすぎて恐ろしい。

 

「ねえイヅナ、もしかして怒ってる?」

「そ、そういうことじゃ…ではない! ただ…」

「…ただ?」

 

 もじもじと尻尾をくねらせる。

 

 恥ずかしい時によくやる仕草だけど、イヅナは恥ずかしいことをしている気分なのだろうか。

 

「こういうのも、可愛いかなって」

「え?」

「…お、思ったのじゃ!」

 

 今日のイヅナは、不思議な白い狐巫女。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ええと、その話し方は何処で覚えたの?」

「その、図書館にあった漫画…なのじゃが…」

 

 もじもじと漫画を差し出すイヅナ。

 恥ずかしいのは漫画か喋り方なのか、僕にはよく分からない。

 

 ええと、確かに表紙には可愛らしいキツネが描かれている。

 …睨まれちゃった。

 

 気を取り直して。

 内容は予想通り、今のイヅナのような口調のキツネが活躍する物語だ。

 かわ…面白いお話だと思う。

 

「そっか、これに憧れて…」

「ど、どうかの…変ではないか?」

 

 どちらかと言えば変だけど、慣れてないだけにも見えるかな。

 

「それは…もうちょっとしないと分かんないかも」

 

 ビクッとイヅナの耳が跳ねる。

 ちょうどこの漫画に描かれた狐の女の子のように。

 

「うぅ…まだ続けるのか?」

「イヅナが始めたんでしょ?」

「そ、それはそうなのじゃが…」

 

 耳を伏せて手をこまねく。

 そして困ったような表情で上目遣いをする。

 

 

 …待って、かわいい!

 

 

 正直に言って、最初の感想は”変なことやってるなぁ”ってだけだった。

 だけど、こんな風に恥ずかしがるイヅナを見るのは新鮮だ。

 

「…お願い、もう少しやってみて?」

 

 正直に言って、もうちょっと見てみたい。

 

「だ、だったらやるよ…のじゃ」

 

 ちょろいところも含めて、間違いなくかわいい。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「じゃあ、何かする…?」

 

 今日、僕たちは屋敷にいる。 

 朝一番に連れ去られた訳だけど別にいつものことだから気にはならない。

 

 連れてくる間ずっと無言だったから気にはなっていた。

 多分、口調を変える準備をしていたんだと思う。

 

「そ、そうじゃな…いつも通りではダメか?」

「…そっか、気負っても仕方ないよね」

 

 ああ、イヅナの初々しい姿だ。

 

 考えてみれば、こんな風に振舞う姿は初めて見るかもしれない。

 最初に出会った時から僕は振り回されっぱなしだったから。

 

「…そろそろお昼だね」

「そ、そうじゃな…」

「お腹空いたね」

「そ、そう…じゃな」

 

 緊張のせいか、同じ言葉しか言えていない。

 心なしか頭も回っていないように見える。

 

「…あ、何か作ればい、よいのか?」

「ええと…うん、お願いできるかな」

「よし、任せるのじゃ! …こんな感じかな」

 

 その後も、厨房の奥から細々と確認する声が聞こえる。

 

 どんな料理が出てくるか楽しみ…と思ったけど、別に料理は変わるわけないか。

 

 

「…このままで良いのかな」

 

 ずっと座ったままだけど、とてつもなく勿体ないことをしている気分だ。

 

 折角イヅナが頑張って口調を変えてくれているのに、僕はただ雛鳥のように口をぼうっと開けて料理を待っていて良いのか。

 

 いや、そんな筈はない。

 

「手伝おっかな…出来れば、おしゃべりもしたいし」

 

 イヅナも恥ずかしがりながら頑張ってくれてるんだし、僕もちゃんと向き合わないと。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 厨房ではイヅナがせっせと料理を作っている。

 美味しそうな食べ物の香りが部屋中を包み込んで、息を吸うたびに何だか楽しい気分になる。

 

「イヅナ、僕も何か手伝うよ」

「え? じゃあ………それを持ってくるのじゃ」

 

 イヅナはご飯の入った桶を指さし、数秒固まってから話し始める。

 まだまだ新しい口調に慣れていないみたい。

 

「これだね…はい、どうぞ」

「ありが…わわっ!?」

「おっとっと…イヅナ!?」

 

 僕の手から桶を受け取ろうとした瞬間、足元の段差に引っ掛かってバランスを大きく崩した。

 

 堪えようとするも耐えられず、そのまますってんころりん。

 

 何かに掴まろうと伸ばした手は桶を弾き飛ばし、イヅナは中に入っていた熱々の米粒を頭から被ることになってしまった。

 

「…だ、大丈夫?」

「もう、なんなの…? ……じゃ」

 

 真っ白でベトベトなご飯を払って、取って付けたような語尾は尚も健在である。

 

「これって酢飯かな…?」

「稲荷寿司を作ろうと思ったの…じゃが…」

 

 なるほど、そこはかとなくツンとした匂いを感じたのはそのせいみたいだ。

 酢飯まみれになったイヅナは全身からお酢の匂いを漂わせている。

 

 こんなことを考えるのもアレだけど…ちょっとだけ色っぽい。

 

 

「シャワーを浴びてくるのじゃぁ…」

「い、行ってらっしゃい…」

 

 トボトボと落ち込んだ足取りでイヅナは行ってしまう。

 何か今のうちに手伝えることはないかなと考えて、無難に厨房の掃除を始めた。

 

「あれ、お酒もあるんだ」

 

 さっきの衝撃で転がった瓶を棚に仕舞う。

 割れていなくてよかった。

 

「結構いっぱいある…何でだろう?」

 

 料理酒って訳ではなさそうだ。

 美味しいのかな、今度暇があったら飲んでみよう。

 

 ”このお酒が凄惨な悲劇を引き起こすなどと、この時の僕は夢にも思っていなかった…”

 

 …なんてね。

 幾ら酔ったところで何かが起きるものか。

 

 今やるべきことは掃除、お酒はお呼びじゃないですよ。

 

 

「そしてこっちは…イヅナの服から直接桶に戻したご飯……」

 

 ストップ…僕は何を考えているんだ?

 

 冷静に考えてみれば、誰かの体に付いたものが食べられる訳がない。

 でも少し前、僕の体に付いたご飯を、イヅナは臆せず食べていたような気もする。

 

「…ひ、一粒だけなら」

 

 ああ、ただの酢飯だ。

 残りはちゃんとゴミ箱に捨ててしまおう。

 

 これ以上、変な気が起こらないうちに。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「ふぅ…やっと完成したのじゃ!」

「よかった、その口調も段々板についてきたね」

「ふふん、わらわは物覚えが良いからの」

 

 出てきたご飯はいつもの和食に稲荷寿司付き。

 

 何があっても変わらない、実家の味と呼べる味。

 もちろん、僕にはここ以外に帰る場所なんてないんだけども。

 

「いただきます…!」

「じゃあ私も…あ」

「あはは、油断したでしょ」

「ゆ、油断なんぞしておらんっ!」

「……ふふ」

「…あはは、ちょっぴり楽しいのじゃ」

 

 イヅナの言う通りだ。

 

 いつも通りの食事のはずなのに、ほんの少し刺激を入れるだけでこんなに違うなんて。

 

 もったいないな、キタキツネにも聞かせてあげたかった。

 

「……ダメ」

「あ、あぁ…ごめん」

 

 二人きりの時にもう片方のことを考えてしまうのはまだ治らない悪い癖。

 

 何度もやらかして見透かされてきたというのに。

 僕って、ここまで割り切りの悪い性格だったっけ。

 

 きっとイヅナも怒って――

 

「キタちゃんだけには絶対聞かせないから!」

「……口調戻ってるよ?」

 

 驚いた。

 怒るには怒ってたけど、ベクトルが明後日の方向に飛んでいた。

 

「でもそっか…聞かせたくないんだ」

「だからノリくんをここに連れてきたんだよ?」

「…もう、口調変える気ある?」

「……もちろん、あるのじゃ」

 

 大きなレンコンを頬張って、シャクシャク鳴らしながら調子を整える。

 

 僕も同じ形のレンコンを口に入れ、顔を見合わせてからんと笑いあった。

 

 

「ほれ、あーんじゃ」

「あーん…もぐもぐ」

 

 お口の中でご飯の粒がほろほろほぐれ、油揚げに染み込んだ甘い汁がじわっと溢れ出す。

 

「あれ、いつもより美味しい気がする…!」

「気づいた? 今日は混ぜるサンドスターの量を多くしてみたのじゃ!」

「料理のうま味って…サンドスターだったの…?」

 

「確カニ、食べ物ノ()()()トサンドスター含有量ハ、比例ノ関係ヲ持ツトイウ研究ガアルヨ」

 

「急に出てきたっ!?」

「必要トアラバ、ボクハイツデモ駆ケ付ケルヨ」

「た、頼もしいね…?」

 

 赤ボスの出所はさておき、その通りなら料理にサンドスターを混ぜるのは合理的だということ。

 

 つまり髪の毛を入れたキタキツネも正しかったということ。

 

 髪の毛は口の中で溶けて虹に変わる万能調味料だったんだ。

 

「い、いけないよ…のじゃ!」

 

 僕が納得しかけたその時、イヅナは跳び上がって僕の両肩を掴む。

 後に続く言葉は…何となく予想できる。

 

「キタちゃんの髪の毛より、わ、わらわの髪の毛を食べるのじゃ! ほらっ!」

 

 彼女は何をとち狂ったのか、長くて白くて美しい髪の毛を僕の口に突っ込もうとしてくる…!

 

「ダメだよイヅナ! い、いくら髪の毛が美味しさの素になるからって…鰹節を削りもせずに食べる人なんていないでしょ!?」

 

「…そうかも」

 

 『かも』じゃなくて、間違いなくそうに決まってる。

 そもそも鰹節をそのまま食べるのなんてネコぐらいだ。

 

 普通に考えれば分かるはずのこと。 

 

 だから、そんなキラキラした目で僕を見ないで…?

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 それもさておき、イヅナはしばらく僕を膝で寝かせた後に解放してくれた。

 

 二人で肩を寄せ合いながら縁側に腰を掛ける。

 柔らかな風が頬を撫でる。空中を舞う葉っぱが一枚、イヅナの耳に引っ掛かった。

 

「ふふ…素敵な景色じゃ」

 

 指でそれをつまむと、僕の耳へと引っ掛けた。

 

「そうだね、本当に…綺麗だ」

 

 ふっと葉っぱを吹き飛ばし、風に乗っけて空まで運ぶ。

 向こうへ飛んで見えなくなると、新しい葉っぱが沢山飛んできた。

 

「…そういえば、最近はゆっくり話したことなかったね」

「あ…うん…」

「…もしかして、それで?」

「あはは、お見通しだね…なのじゃ!」

 

 ここまで来たなら意地だろう。

 それにこの不器用さが、却ってイヅナらしい気もするから好きだな。

 

 

「こうやって二人きりで落ち着いて座るのは…初めてかもね」

 

 …あれ、やめちゃった。

 

「こうでもしないと、キタちゃんに邪魔されちゃうから」

「邪魔しないための…って感じだったのにね」

 

「でも失敗じゃないよ。ノリくんが私たちの()()()受け入れてくれるお陰で、私たちは平穏に暮らせてるんだから」

 

「それなら良かった…って、言っていいのかな」

 

 僕達は変だ。

 とっても変な関係だ。

 

 いがみ合う筈の三角関係を、いがみ合わないために創ってる。

 

 だけど、それも楽しいと思うようになって…しまった。

 きっともう戻れないし、戻りたくもない。

 

 頭をそっとイヅナに預けた。

 

「うふふ、また寝ちゃうの?」

「寝ちゃダメ…?」

「いいよ…おやすみなさい」

 

 ふわふわ。

 イヅナの尻尾が僕の顔を覆う。

 柔らかで真っ白な暗闇の中で、僕は瞼を閉じた。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

「…ええと、キタちゃんには絶対ナイショだからね?」

「うん、絶対言わないよ」

「し、信じるからね…」

 

 目を覚ましたら既に夕方。

 僕達は急いで雪山の宿へと文字通り飛んで帰った。

 

 ほぼ一日と言って良い時間の失踪。

 キタキツネの機嫌は雪山の吹雪より冷たくなっているだろう。

 

 せめて一言掛けてからとも思ったけど、きっとそれじゃ行けなかったんだよね…

 

 考えれば考えるほど、やっぱり難儀な関係だなあ。

 

 

「ノリアキ…どこ行ってたの? ()()()()()()()一緒に」

「えっと…平原のお屋敷まで」

「朝から…何も言わずにずっと…?」

 

 キタキツネは特に怒ったような仕草は見せず淡々と詰め寄ってくる。

 ただ、瞳から光が抜け落ちているように見えた。

 

 彼女は唇がくっつきそうなほど顔を近づけたと思うと、僕の体をぎゅっと抱き締めた。

 そして、息が混じった囁き声を耳に振りかける。

 

「分かってるよ、ノリアキは何も悪くない。全部イヅナちゃんの仕業なんでしょ?」

「…ええと」

「んっ…! 大丈夫、ボクは全部知ってるから」

 

 庇おうとした口は即座に塞がれて、もう何も言えない。

 

 名残惜しそうなキタキツネの腕が僕を放し、次はイヅナに向き直る。

 

「イヅナちゃん…二人きりで何してたの?」

「な、何もしてないのじゃ! ……あ」

 

「……じゃ?」

 

「き、キタキツネ! 気にしないで、その…」

「…えへへ」

 

 振り返ったキタキツネは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 悪魔はきっと、こんな風に笑うんだろう。

 

 悪魔に魅せられた僕が思うんだから、きっと間違いはない。

 

「気にしないで、ボクはなーんにも聞いてないの()()!」

「…あーあ」

 

 彼女の手が僕を引く。

 最高の殺し文句と共に。

 

「ノリアキ、早く入るのじゃ!」

「あ、ああぁ……!?」

 

 頭を抱えるイヅナを尻目に、ルンルンなスキップでキタキツネは僕を連れていく。

 

「ギンギツネー! ノリアキたちが帰ってきたのじゃー!」

「あら、その喋り方はどうしたの?」

「ええとね、イヅナちゃんが――」

「ま、待ってよキタちゃんッ!?」

 

 雪山は今日も穏やかで、そよ風一つ吹いていない。

 イヅナの突き通すような叫び声は、静かな銀世界によく響く。

 

 


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