「おひゃえり…ひぇへへ…どりぇがいい…?」
「ど、どうしたのイヅナ…?」
「あからぁ~…ろれにするぅ~?」
この吐息、赤らんだ顔、回っていない呂律。
『どれにする』と聞いておきながら選択肢を見せない支離滅裂さ。
イヅナは見るからに酔っている。
恐らくだけど、完膚なきまでに出来上がっている。
「えへへぇ~…!」
柔らかな香りともふもふの尻尾が捕まえる。
大変だ、このままだと晩御飯を食べる前に僕が食われてしまいそうだ。
と、とにかく、今の状況を整理しよう。
僕は神依君にとある仕事を頼むために、彼を連れて水辺のPPPのところまで出向いた。
イヅナもキタキツネも伴わない外出だったけど、神依君と一緒であることと事情も考慮してオッケーを出してくれた。
大人しくお留守番してくれている筈だったんだけど。
イヅナのこの惨状は、一体何が起きたんだ…!?
「えっと、ご飯が良いんだけど…」
「ご飯~? えへへ、ご飯にはぁ、いっぱい
「お、お薬ッ!?」
イヅナが好んで入れる薬なんておおよそ一種類しか思い浮かばないんだけど…他のが入ってたらどうしよう。
「あ、危ない薬じゃないよね?」
「えへへ、元気になるだけだよぉ…!」
とりあえず…薬の種類は特定できた。
まあ、誰かさんは危険な方のクスリでもキメているのかと言わんばかりの錯乱ぶりだけども。
僕もそのうち彼女みたいになるかもしれないな。
「えへへへへ…すぐに温めてくるからね…うえっ…」
「だ、大丈夫かな…?」
頭やら腕やらを柱にバタバタぶつけながら歩くイヅナ。
そういえば、キタキツネとギンギツネはどうしているだろう。
きっと、碌な状態じゃないんだろうな…
何はともあれ、真実を確かめなければ始まらない。
イヅナについて行こうと歩き出したその時、すぐ横の扉が開かれた。
「あ、キタキツネ!」
「ノリアキ…助けて…?」
目に大粒の涙を浮かべてキタキツネが縋りつく。
こう考えるのは無粋だけど、通りがかるのを待ってたのかな。
でも関係ない。
そんなこと…今まで沢山あったから。
「安心して…必ず守るよ」
僕がどんな食べられ方をしても、キタキツネのことは守ろう。
そんな決意を心に、茶の間へと歩みを進めた。
…それほど大層な事態じゃないんだけど。
―――――――――
「…キタキツネは向こうで待っててもよかったのに」
「でも、怖いから」
「あはは、そうだよね」
キタキツネの気持ちは本当によく分かる。
分かるけど、僕の尻尾に抱きつくのは如何なものか。
しかもそれに飽き足らず、指を毛に突き入れてくすぐるのだから一時も気が抜けない。
キタキツネ…君は僕の味方だよね…?
「とっ、ところで…ん…ギンギツネは…?」
「……あっち」
キタキツネが指を向けた方向を見る。
扉の影が掛かった暗がりに、ギンギツネが倒れていた。
「…寝てるの?」
「イヅナちゃんにお酒を沢山飲まされて…ああなっちゃった」
なるほど、酔い潰されてしまったようだ。
可哀想だけど、もうこれ以上の被害には遭わないだろうし、安らかに眠れることを祈ろう。
…生きてるよね?
「ギンギツネが寝ちゃったから、イヅナちゃんが代わりにご飯を作ったんだ」
「あぁ…そっかぁ…」
「ボクは隠し味しか入れられないから…えへへ」
キタキツネが苦笑いと共に舌を出す。
イヅナは晩御飯に『おくすり』を入れたというけれど、ギンギツネが再起不能になった時点で運命は決まっていたのかもしれない。
アグレッシブな二人のせいで割を食っている常識人のギンギツネだけど、結果として僕に降りかかる過激なアプローチへの盾となっていたのだ。
もちろん、最強の矛の前に成す術もないことの方が多いのだけど。
「ノーリくんっ♪ ごっはんだよー♪」
ハイテンションが吹っ切れて雲の上へと飛び出すイヅナ。
お盆の上の味噌汁が踊るように揺れてこぼれた。
「…お酒って怖い」
「本当に、その通りだね」
こと二人に関しては素面でも「酔っていそうだな」と思うことがしばしばあった。
まさか、お酒が入るとここまで悪化するなんて思わなかったけど。
「ちょっとフラフラだから、ゆっくり置くねぇ~」
ガタンッ!
あれ、『ゆっくり』ってどういう意味だったっけ。僕もこの空気で酔っちゃったのかな…?
「今日はぁ…ギンちゃんが寝ちゃったから私が作ったのぉ」
「イヅナちゃんのせいなのに…」
「えへへぇ~」
イヅナはキタキツネが零した愚痴にも一切表情を崩さない。
多分音が耳に入っていない。
「なぁんかボーっとするけど、頑張ったよぉ」
その言葉通り、酔っているにも拘らず盆の上の料理はいつもと同じ美味しそうな
しかしこの中には大量のおくすりが入っている。
…致死量までは入ってないよね。
ご飯を前に葛藤していると、キタキツネにクイクイと袖を引っ張られる。
後ろを向くと、両手をメガホンに耳打ちされた。
「ねぇ、食べるの…?」
「食べなきゃきっと怒るよ?」
キタキツネは料理とイヅナの顔を交互に見て、諦めたように僕から手を離した。
「し、死なないでね…?」
「…うん」
普段なら笑って流すような心配事だけど、状況が状況だから強く否定できない。
ちなみに勘のいいヒトなら気づいたかもしれないけど、キタキツネはよく僕の命の心配をしてくれる。
かつて眠らせたイヅナを雪の中に生き埋めにしたフレンズの発言とは思えない…っていうのは、意地悪な考えかな。
「じゃあ、いただきます…」
「どうぞ…うふふ♡」
最初に味噌汁を口に含む。
まず口の中に広がったのはサンドスターの味。
今日のサンドスターは大体10割増しだ。そしてちょっと鉄の味もする。
横目でイヅナの手首を見ると、治りきっていない切り傷の跡があった。
…でも、食べる。
「今日は、色々入れたんだね」
「気づいた? えーとぉ……何入れたんだっけぇ…」
お願い、怖いこと言わないで。
イヅナは群を抜いて料理上手なことだし、泥酔してもまともにできると信じたい。そう思わなきゃ食べられない。
せめて、口に出来ない物は入っていませんように。
「ノリアキに変なもの食べさせないでよね…!?」
「大丈夫だよキタちゃん、私はそんなヘマしないよぉ~」
「……嘘じゃないよね」
「うふふ…当たり前でしょ?」
その言葉を言う一瞬だけ、イヅナの酔いが覚めたかのように見えた。
キタキツネは意外にもそれを聞いて納得し、僕の背中に寄りかかりながらゲームを始めた。
…僕も二人の様子を見て安心し最後の一口を飲み込むと、段々と体が火照ってきた。
「あ、あれ…?」
「うふふ、そろそろ効いてきたかなぁ…?」
「そっか…
ご飯が美味しいせいで忘れてたけど、そういえば入ってたんだった。
むぐぐ…意識すると余計に体が熱くなってくる。
「ほら、我慢しなくていいんだよ♪」
「え、ちょっと…!?」
「あ、イヅナちゃん――!?」
―――――――――
酔拳さながらタガの外れた怪力を発揮するイヅナに引き摺られ、勢いのままお風呂の中へと入れられる。
服を脱がされなかったのも、今日に限っては幸運だった。
…色々重なってとっても暑いけど。
「…溶けちゃいそうだね♡」
すぐ横でイヅナが妖しげに微笑む。
本当に溶けてしまうのではないかと思うくらい体が熱い。
薬で内側から火照る温度と、雪山の空気でも冷め切らぬ温泉の熱に挟まれて頭が沸騰してしまう。
皮肉にも思考はフリーズして、何を考える気も起きない。
「ノリくぅん…体が熱いの、なんでかなぁ…?」
「…お風呂のせいだね」
何も考えられない…そう思っていた。
だけど、イヅナの大ボケが辛うじて僕の理性を保ってくれたのだ。
そのおかげで、僕は狂うことなく熱湯の中で悶え苦しんでいる。
「イヅナ、上がらない?」
「らめぇ…じゅうかぞえてからぁ…」
「二人とも、何してるの…!?」
キタキツネの焦るような声が聞こえる。
他の音は感じないのにそれだけは判って安心した。
キタキツネは僕の体を揺さぶる。
小さな波が立ち、お湯が混ざって新鮮な熱さが僕にやって来る。
「ノリアキの体とっても熱いよ、こんなのおかしいよ…!」
「キタちゃん~なんで連れてくの~?」
「イヅナちゃんも、こんな時にお風呂入っちゃダメだって…!」
キタキツネはせっせと僕達をお風呂の外へと運ぶ。
床の間で突っ伏しながら自分から昇る湯気を眺め、何となく瞼を閉じると次の瞬間にはキタキツネに膝枕をされていた。
眠ってしまっていたみたいだ。
目が覚めた僕に気づくと、互いの額に手を当てて熱さを比べてくれた。
「おでこ、まだ熱いね…」
「あはは、心配掛けちゃったかな…ごめん」
「ノリアキは悪くないよ、全部イヅナちゃんのせいだもん」
「…あはは」
強く否定できないのが何とも悲しいところ。
「イヅナだって、悪気はなかったと思うから」
「あんな感じで悪気があったら、ボクびっくり」
「……だね」
何はともあれ、お酒のせいでひどい目に遭った。
ついでに盛られたお薬もまだ抜け切っていないみたいだし、もう少しだけ、キタキツネの膝に甘えていよう。
「…ところでイヅナは?」
居場所を聞くとキタキツネはあからさまに眉をひそめる。
しばし思案した後、渋々ながらも教えてくれた。
「あっちのお部屋に縛ってあるよ」
「し、縛ったんだ…!?」
単純というか、効果的というか…
こう言っちゃあれだけど、『悪質な酔っ払い』への対応だとしたら丁度いいのかもしれない。
「あのロープ、こんなことに使うはずじゃなかったのにな…」
……聞かなかったことにしよう。
―――――――――
「ノーリくんっ♪」
「…えっ?」
「い、イヅナちゃん!?」
キタキツネの後ろにイヅナが立っている。
ロープを両手に持ち、目にも留まらぬ速さでキタキツネを引っ張るとすぐに縛り上げてしまった。
「な、なんで…」
「キタちゃんこそ~、なんで縄ごときで私を封印できると思ったの~?」
まだ、酔いは覚めていないみたいだ。
イヅナはキタキツネを雑に放り出すと、千鳥足をはためかせて僕の方へと歩いてくる。
「か、体は大丈夫なの?」
「えへへへ、大丈夫じゃないかも~」
湿った吐息を耳に吐き掛け、イヅナは僕を抱き締める。
仄かに赤らむ柔肌が、ドクンドクンと脈打っていた。
「もうダメ…だからノリくん…ね?」
「やめてー、ズルいよー!」
バタバタと音がする。
キタキツネが縛られたまま暴れている。
助けようにも、イヅナに拘束されて動けない。
「うふふ、キタちゃんはそこで見ててね…♪」
「ノリアキ、こんなのでいいのっ!?」
「いいよね、ノリくん?」
「…仕方ないよ、イヅナもこんなに酔っちゃってるし」
「そんな……」
お酒の力で限界が消えれば、イヅナを止められる存在なんてこの島にはいないと思っている。
だからここは大人しく従おう。それに、ちょっぴりだけ期待もしている。
…薬のせいで。
「…ノリくん♡」
目を閉じ、コツンと額を合わせる。
尻尾が尻尾に巻き付いて、モフっと暖かく結ばれる。
唇同士が触れ合おうとしたその時、僕の体は強い力で後ろに引かれた。
「……ノリアキ♪」
「き、キタキツネ…?」
背中の側から耳に流し込まれるキタキツネの声。
だけど、妙に上ずって聞こえる。
「お酒って、美味しいんだね…」
「の、飲んだの…?」
「ボクも酔っちゃったぁ…そしたら、
「…あはは」
負けだ。もとより勝ち目も無かった。
勝つつもりも、そんなに無かった。
「じゃあ最後に、ちょっとだけ…」
キタキツネの手からお酒を受け取って一思いに呷る。
何かが覚めるような感覚と共に全身に血液が駆け巡り、いよいよ衝動を遮るものは何もない。
柔らかな体に顔をうずめ、包まれて、そして、溶ける。
お酒って、結構すぐに効くんだね。
そんなことを思いながら、僕はもふもふの中に溺れた。
―――――――――
「……ん?」
目が覚めると、僕は布団に一人で眠っていた。
障子の隙間から日の光が差し込む。
どうやら、もう朝みたいだ。
「いたっ…うぅ…」
頭がキーンと刺すような痛みに襲われる。
寝る前の記憶が思い出せない。
「……」
頭を押さえながら辛うじて部屋を見回すと、隅っこに見覚えのない瓶が転がっている。
「『白狐』…まさか、お酒…?」
荒々しい筆文字の形とラベルの模様。
こんな感じの瓶に入っている飲み物を、僕はお酒以外に知らない。
となるとこの頭痛は二日酔いのせいだろうか。
「お酒を飲むことなんて、無いと思ってたんだけどな…」
未だよろめく体で壁を伝い、みんながいるであろう居間へと重い足を運んだ。
「あら、コカムイさんも起きたのね」
「な…何してるの?」
居間では不機嫌そうなギンギツネが腕を組んで仁王立ち。
その前で、イヅナとキタキツネが正座をして俯いている。
「今日という今日はハッキリ言うわ、あなた達、少しは抑えることを覚えなさい!」
ビシッと指差すギンギツネ。
その力強い言葉も、二人には届いていないみたいだけど。
「えぇ~…」
「『えぇ~』じゃないの」
「でも、今回は全部イヅナちゃんのせいだもん」
「それは…キタちゃんも乗っかってたじゃん!」
「…そうなの、コカムイさん?」
「あ、えっと…」
しまった、僕の方に飛び火してくるなんて。
むむ…どう答えるのが一番だろう。
キタキツネの言葉を否定するのもかわいそうだし、かといってイヅナに責任を全部負わせるのも心苦しい。
大方キタキツネの言う通りだけど、成り行きで僕も多少乗り気になった節があったから。
だから僕は、かつての自分自身の選択を守り抜こう。
「ねぇギンギツネ、叱らなくてもいいんじゃない?」
「……え?」
「ほ、ほら、生きてれば色々あるし…わわわ…」
「…あなたもお説教ね」
ギンギツネに首根っこを掴まれたかと思うと、そのまま腰を抱えて持ち上げられる。
「ノリくんッ!」
「ギンギツネ、やめて!」
イヅナとキタキツネが同時にギンギツネへと飛び掛かる。
「…はぁ」
突然視界がぐるっと回った。
僕でさえどう動いたのか分からないほど速く。
気が付くとキタキツネは僕と同じように片腕で抱えられ、イヅナも脚で固められている。
「ギンギツネ、強い…!?」
「うふふ…そうかしら?」
僕に微笑みかけるギンギツネの瞳は、夜空よりも昏く輝いていた。
「とにかく、三人まとめてお説教よ…!」
…その後、嫌気が差したキタキツネが逃げ出したり、狐火で脅かしてイヅナが逃げようと画策したりと色々あった。
だけどきっと全て蛇足だから、もうこのお話はおしまいだ。
それに僕は、今でもあの夜の出来事を覚えていない。
イヅナたちは、酔っ払って何をしてたんだろう?