壊れた宿の屋根の穴から、真っ青な色が見えている。
だけど、それは移ろいゆく青空の色じゃない。
無粋に被せられた冷たいブルーシートの色だ。
今日も宿は沢山の青色にまみれている。
そこかしこに木材を頭に乗せたラッキービーストの姿が見えて、指揮を執る赤ボスの色はやっぱりよく目立つ。
――
島全部を見ても大きな事件は他に無かったらしく、こうも仰々しく後処理をするのは雪山だけ。
『他の場所は中くらいのセルリアンがポツポツと出て終わった』とイヅナに追い立てられながら博士が叫んでいた。
というか今になって考えれば何を呑気に叫んでいたのか。
不用意にここへ近づくたびに、博士は狐火の餌食になっている。
そして、赤ボスの計算がちょっぴり間違っていた事もあった。
神依君は申し訳なさそうだったけど、僕は気にしていない。
むしろ、”ついにセルリアンも搦め手を…”とか冗談を考えられるくらいに感情はスッキリだ。
チマチマと埋まる穴を見るのも、結構楽しい。
「ところで…ギンギツネは何をしてるの?」
昨日から彼女は、建物の修理と別に何か作業をしている。
何かの板に釘を打ったり、絵の具で何か描いたりと、明らかに全然違う。
「今は内緒よ。完成したら全部教えてあげるわ」
「…そっか」
ウキウキとした様子からして楽しいことに違いない。
僕も密かに胸を躍らせながら、キタキツネが呼ぶ方向に歩き出す。
今日一緒に遊んだのはキタキツネの大得意な格闘ゲーム。
カチャカチャとコントローラーが鳴り響く横で、やりたそうに見つめるイヅナの視線が印象的だった。
…よそ見してたせいかな、今日は惨敗しちゃった。
―――――――――
「見て、看板が完成したの!」
とびっきりに浮ついた声でギンギツネが『看板』と呼んだ板を見せる。
確かにそれは看板だった。
よく見る温泉のマークに雪山の壮大な景色。
筆がなぞった跡には黒く「温泉旅館はこの先」という形が辛うじて読めるように残されている。
なるほど、
…問題は、宿の方向を示すであろう
絵の具が水で滲み、これでは遠目で見ると血だと勘違いしかねない。
この矢印一つだけで看板が呪いの品のように見えてしまう。
ギンギツネはあんなに楽しそうに『これ』を描いたのかな、目を見張るべき美的センス。
僕にはとてもできない。
「…なんか不気味、お化け屋敷でも作るの?」
「違うわよキタキツネ、これは普通の案内板!」
「普通ってなんだっけ…?」
「き、気にしても仕方ないわ…そうじゃないかしら?」
キタキツネには賛同してもらえると思っていたのかな。
芳しい反応を得られなかったギンギツネは誤魔化す方向に走り出した。
「そうよ、ね…どう使うかが問題だもの」
「どう
頬に指を当ててキタキツネは首を傾げる。
何を思い浮かべているのかな。
きっとゲームのことじゃないかとは思う。
確かに、ゲームは”使える物”と”使えない物”が割と明確に分かれている。
実際はそこまで単純じゃないけど、制限は現実よりも多い。
だから効率的な考え方が身に付いているのかも。
まあ、キタキツネもそんなに深く考えていないのだと…何となく感じる。
「…と、とにかく説明するから、まずは静かに聞いてて!」
「ふふ、珍しいギンちゃん」
イヅナがサラっとした様子で笑う。
この二人が仲良く見える光景なんてなかったから、僕も少し『珍しい』と感じた。
何となく微笑ましくも思った。
――後から思えば間違いだらけだった。それはもう色々と。
―――――――――
「つまり…ここにお客さんを呼ぶの?」
「ここを色々作り直して、確認しに博士たちが視察に来るみたいね」
ギンギツネの話によると、全て博士が言い始めたことらしい。
また懲りずに長話をしているなと思ったけど、そんな目的があったとは驚いた。
なんでも『雪山の景色を楽しみたい』というフレンズがいるらしく、彼女のために島の長が動いているようだ。
存外、名ばかりな役職でもないみたい。
「でも、他の娘がここに来るんでしょ? 私は嫌だな」
「ボクも、もっと静かに過ごしたい」
案の定、イヅナもキタキツネも乗り気じゃないみたい。
ギリギリ声には出ていないけど、”
「…もちろん、理由はあるのよ?」
流石にここまで分かりやすい態度だと、ギンギツネもハッキリ尋ねられる前に弁明を始めた。
「私も最初は断ろうと思ったわ。だけど、旅館を直すための色々なものが全然足りなくてね」
「それを…博士が?」
「そう、そしたら『引き換えに』ってことで無理やり首を縦に振らされたのよ」
なるほど、あの二人は顔が広く、フレンズとの関わりも恐らくこの島で一番多い。
だとすれば、それを笠に着て無理やり話を通すことも不可能ではないだろう。
さながら、貴族と呼ばれていた人々のように。
…まあ、中々嫌な”鳥貴族”だと言いたくなるけども。
「へぇ、私だったらその場で斬り捨てて焼き鳥にしたのに」
「…え?」
なんか物騒なことを言い出したよイヅナちゃん。
「さ、流石に冗談だよね…?」
「ふふ、やると言ったらやるよ? ノリくんとの静かな暮らしを邪魔されたくないもの」
「しゅ、手段は選んでね? …選べる限りは」
「ノリくんがそう言うなら、ちゃんと手加減するね」
出来ることなら手を出さないのが一番なんだけど。
静かに暮らしたいんだから、恨みとか軋轢とかは
僕達はどうなんだろう。
そういう意味では、致命的なすれ違いが続いている気がする。
それに、もう絶対に
目を伏せて無為な考えに浸る僕の横で、説明をするギンギツネの明るい声が対照的に響いていた。
―――――――――
「さて、大体納得したと思うし、そろそろ準備に入りましょうか」
「納得って…誰が?」
「当然みんなよ?」
「ボクはやだ!」
ペタペタ床を叩いて反抗する。
キタキツネはずっと反対の姿勢を貫いていた。
イヅナの方はというと、ギンギツネの説得の甲斐あってか少し丸くなった。
「…これくらいは仕方ないよ、話もついちゃったらしいし」
諦めた風に振舞ってるけど、イヅナの口はほんのりと歪んでいる。
もしかして、招き入れた上で何かするつもりなのかな。
意見を翻したイヅナを見ながらも、キタキツネは譲らない。
「ボクは…やだ…!」
「キタキツネ、どうしてそんなに…」
「ここには誰も来ちゃ嫌、ノリアキもそうでしょ?」
「…えっと」
思わず言葉に詰まる。
僕は構わないと思っているけど、キタキツネには…どう言うべきだろう?
「もう、コカムイさんが困ってるでしょ。わがままも程々にしなさい」
「で、でも…」
キタキツネは引くに引けない様子だ。
こうなったらもう、僕が宥める以外に手はないだろう。
キタキツネの手を取って、額の髪の毛をさらりと払う。
「え、え…?」
こつん。
額と額をくっつけて、瞳をじっと覗き込んだ。
「ここ、こんなのじゃ…納得、しない、よ…」
「ねぇ、隠れちゃえばいいんだよ」
「隠、れる…?」
そっと額を離しながら肯定するように僕は微笑み掛けた。
”納得しない”と言っていたけど、離れるとき彼女はとても寂しげだった。
ほわんと漂う彼女の匂いが、まだ口の中に残っている。
名残惜しくも、僕は口を開いた。
「そう、博士たちと居るのが嫌なら、少しの間だけ宿から出てっちゃえばいいんだよ。寂しいなら僕もついてくよ?」
「ん、うん…分かった」
キタキツネはついに引き下がる。
とても手強かったけど、なんとか説得には成功できた。
「…ノリくん、今の私にも。ほら、早く」
「あはは、分かったよ、イヅナ」
どうしてか、代わりに別の何かを呼び寄せちゃったみたいだけど。
―――――――――
「…ねぇ、
かつてない苛立ちの籠った声に、僕に抱きついていた
キタキツネはギンギツネの姿を僕越しに見て、ため息をつきながら渋々離れた。
説得から多分一時間は経っている。
まあ、
当事者でない限りは。
「この際だから今すぐやることだけ言うわ、『どうすれば上手にもてなせるか考える』。さあ、始めるわよ」
「あれ、もう始まってる?」
「ええ、考えるのよ」
もてなす方法というと、なかなか難しいかもしれない。
しかし意外なことに、キタキツネとイヅナの手がすぐにピンと挙げられた。
ギンギツネが促すと、思いもよらぬ方法がその口から語られる。
「料理におくすり混ぜる」
「…キタキツネ?」
「温泉を干上がらせる」
「待ってイヅナ、それじゃ…」
「騒がしくして眠らせない」
「え、えぇ…?」
もてなす…もてなす?
はて、『もてなす』という言葉の意味は”嫌がらせ”だっただろうか。
ううむ、ひょっとしたらその通りなのかもしれない。
思い起こしてみれば、僕は言語学者ではない。
日本語について学んできたわけでもないし、今話している言葉も神依君の記憶からの受け売りだ。
果たして一体どこに、僕の記憶が正しいなんて証拠があるのだろう。
ただでさえ書き換えられまくっているというのに。
曖昧な知識で言葉の意味を凝り固まったものにするのは良くない。
二人が僕の知らない『もてなす』という言葉の意味に則って考えを述べた可能性だって……
「いや、ある訳ない! そんなの『もてなし』じゃないよっ!」
「え~?」
「『え~?』じゃなくて! それにイヅナ、テレパシーで僕の考えを書き換えないで、というかいつの間にそんなこと覚えたの?」
「違うよノリくん、書き換えたんじゃなくて、私たちの想いが一つになってるの。だって私たちは運命共同体なんだから」
「それなら、もうちょっといい想いを一つにしようよ…?」
「それもそうだね、ノリくんはどんな想いが良い?」
「急に聞かれると悩んじゃうな、うーん…」
「ノリアキ、ボクはどうなの…!?」
テレレレレン♪
ジャパリフォンの着信音が鳴り響く。
応答すると右耳からキタキツネの声が聞こえて、頭の中にはイヅナの声が捻じ込まれる。
ゴチャゴチャしてて何も聞き取れない。
僕は聖徳太子じゃないよ。
「イヅナちゃん、邪魔」
「キタちゃんが退けは平和に収まるんだよ?」
「待って、二人とも――」
ガンッ!!
「……」
一瞬にして全てが静まり返る。
寒空を仰ぐ小鳥は囀るのを止め、風は鳴りを潜めて淀んだように吹き流れる。
ジャパリフォンの音も頭の中の声も止み、宿にひしめき合うラッキービーストは足を止めて震えている。
意外と痛んだのかギンギツネは机を叩いた手を擦り、氷柱のように冷たく鋭い声でたった一言。
「…もういい、私だけで考えるわ」
ピシャ…襖の音が合図となり、ラッキービーストまたは働き始める。
イヅナはギンギツネが向こうへ行ってしまったのを確認すると……僕に抱きついた。
「やったねノリくん、これで好き勝手出来るよ!」
「で、でも…」
「ボクも忘れないで?」
キタキツネも競うように背中にくっつく。
二人とも、ギンギツネには至って興味がないみたいだ。
少なくともキタキツネは、彼女に対して思うところがあると思ってたんだけど、違うみたい。
「キタキツネ…ギンギツネのことはいいの?」
今までは避けていたその質問を、思わず尋ねてしまう。
いよいよ、彼女の無関心をこれ以上なく目の当たりにしてしまったせいだ。
「いいよ、もうノリアキの方がずっと大事だもん」
「…どうして?」
「えへへ…だって、好きになっちゃったから」
そう言って、キタキツネは目を閉じて僕の方に頭を差し出す。
”撫でて”…ってことかな。
他にどうするべきかも思い浮かばず、求められるままに手を乗せた。
「あふふ…」
いつも通り、柔らかくて暖かい。
耳をそっとなぞると、くすぐったい感覚が指先にも返ってくる。
ふんわりとした髪の毛をかき分けていると、時間さえも忘れてしまう。
やがて、僕もギンギツネのことをすっかり忘れてしまっていた。
それに気づいたのは、晩御飯のジャパリまんを食べた後のこと――
―――――――――
「…コカムイさん?」
「ここにいたんだね…ギンギツネ」
ギンギツネの口元がわずかに緩む。
だけど間もなくキュッと結ばれ、彼女はそっぽを向いてしまった。
「今更…何かしら」
「いや…ええと、いい案は思いついた?」
「…ええ、問題ないわ」
「そっか、良かった」
「……」
「……」
「………ねぇ」
「…?」
「やっぱり、私だけで全部やるのは難しいわ。
「別に、いいけど…」
「ありがとう…ええと、おやすみなさい」
「…うん」
僕に向けて伸ばされた手は途中で引っ込められ、後は何を言うこともなく行ってしまう。
「ギンギツネ…」
その胸の中で、彼女は何を考えているのだろう。
一体どんな苦悩を抱えているのだろう。
…傲慢かな?
だけど今、ギンギツネを気に掛けることが出来るのは僕だけな気がする。
このチャンスを掴めば、もっとギンギツネのことを知れるのかな。
そこにもし、忘れようのない事実があったのなら、僕は…